大島 (砲艦)

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大島
艦歴
発注 1889年度計画
起工 1889年8月29日
進水 1891年10月14日
就役 1892年3月31日
その後 1904年5月18日沈没
除籍 1905年6月15日
性能諸元
排水量 常備:640t
全長 垂線間長:53.65m
全幅 8.0m
吃水 2.75m
機関 2軸レシプロエンジン2基、ラモント式2缶
1,200馬力
燃料 石炭140t
最大速 12.0kt
兵員 130名
兵装 12cm砲4基
4.7cm砲2基
3.7cm連装砲6基

大島(おおしま)は、日本海軍砲艦摩耶型砲艦の改良型である。

概要[編集]

呉造船部小野浜分工場1892年3月31日に竣工、第一種と定められる。

日清戦争では、黄海海戦旅順大連威海衛攻略作戦等に参加。1898年3月21日、二等砲艦に類別。

日露戦争では、旅順攻略作戦に参加。1904年5月18日、旅順沖で哨戒活動中、濃霧の中で砲艦「赤城」が衝突し沈没した。1905年6月1日、喪失公表[1]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 島崎好忠 少佐:1892年6月3日 - 1893年1月26日
  • 植村永孚 少佐:1893年1月26日 - 5月20日
  • 外記康昌 少佐:1893年5月20日 -
  • 森川植 少佐:1896年4月1日 - 1897年2月4日
  • 丹治寛雄 少佐:1897年2月4日 - 6月10日
  • 松枝新一 中佐:不詳 - 1898年7月19日
  • 荒木亮一 中佐:1898年7月19日 - 1898年12月3日
  • 梶川良吉 中佐:1898年12月3日 - 1899年7月6日
  • 小橋篤蔵 中佐:1900年1月12日 - 1901年2月14日
  • 中村貞邦 中佐:1901年6月7日 - 1902年3月13日
  • 長井群吉 中佐:1902年3月13日 - 1903年6月22日
  • 広瀬勝比古 中佐:1903年12月28日 - 1904年5月18日

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第6574号、明治38年6月1日。

参考資料[編集]

関連項目[編集]