鞍馬 (巡洋戦艦)

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巡洋戦艦 鞍馬
艦歴
起工 1905年8月23日
進水 1907年10月21日
就役 1911年2月28日
退役 1923年9月20日
除籍 1923年9月20日
その後 ワシントン海軍軍縮条約により解体
性能諸元
排水量 常備:14,636トン
満載:15,595トン
全長 137.2m
水線長 147.8m
全幅 23m
吃水 8m
機関 宮原式重油石炭混焼缶28基
+直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進 22,500hp
最大速力 21ノット
乗員 844名
兵装 30.5cm連装砲 4門
20.3cm連装砲 8門
12cm単装砲 14門
8cm単装砲 4門
45.7cm魚雷発射管 3門
装甲 水線帯 100-180mm
砲塔 125-180mm
バーベット 125-180mm
司令塔 200mm
甲板 75mm

鞍馬(くらま)は[1]日本海軍巡洋戦艦(建造時は装甲巡洋艦[2][3]鞍馬型巡洋戦艦1番艦。伊吹型装甲巡洋艦の2番艦として扱われることもある。 艦名は鞍馬山に由る[4]

艦歴[編集]

1905年(明治38年)6月11日、日本海軍は寅号装甲巡洋艦の艦名を「鞍馬」と内定する(第一号装甲巡洋艦は伊吹を予定)[5]8月23日、寅号装甲巡洋艦は横須賀海軍工廠で起工[4]1907年(明治40年)10月21日、進水[4][6]。進水式には明治天皇皇后(のち昭憲皇太后)が臨席した[6][7]。 同日附で寅号装甲巡洋艦は制式に「鞍馬」と命名[1]。一等巡洋艦に類別される[2]1911年(明治44年)2月28日、竣工[4]。計画時点では、香取型戦艦に準ずる砲力を持つ高速艦であったが、ドレッドノートの出現により、進水時点で既に旧式艦としての性格を帯びた艦となった。

就役直後にジョージ5世の戴冠記念観艦式に参加するため、本艦は「利根」とともに遣英艦隊(司令長:島村速雄中将)を編成[4]1911年(明治44年)3月下旬、島村中将及び鞍馬・利根乗組員は明治天皇に拝謁する[8][9]。 4月1日、巡洋艦2隻(鞍馬、利根)は横須賀を出港[10]。6月24日にスピットヘッドでの観艦式に参加[4]。11月22日、横須賀に帰投した[11]

1912年(大正元年)8月28日、日本海軍は艦艇類別等級表を改訂する[12]。伊吹以下4隻(筑波生駒鞍馬伊吹)が巡洋戦艦に類別された[13][3]

第一次世界大戦では、通商保護とマリアナ諸島及びカロリン諸島の占領支援に従事[4]。その後シベリア出兵の支援に用いられた。

1922年(大正11年)2月6日締結のワシントン海軍軍縮条約により廃棄が決定[4]1923年(大正12年)9月20日、除籍[14]。艦艇類別等級表からも削除[15][16]。翌年にかけて解体された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • (兼)中野直枝 大佐:1909年4月1日 - 5月22日
艦長
  • 西山保吉 大佐:1910年5月5日 - 1911年1月16日 *兼横須賀海軍工廠艤装員
  • 石井義太郎 大佐:1911年1月16日 - 12月1日 *兼横須賀海軍工廠艤装員
  • 秀島成忠 大佐:1911年12月1日 - 1912年6月18日
  • 永田泰次郎 大佐:1912年6月18日 - 1913年12月1日
  • 榊原忠三郎 大佐:1913年12月1日 - 1914年4月21日
  • (兼)町田駒次郎 大佐:1914年4月21日 - 5月27日
  • 志津田定一郎 大佐:1914年5月27日 - 1915年9月1日
  • 斎藤半六 大佐:1915年9月1日 - 1916年12月1日
  • (兼)大内田盛繁 大佐:1916年12月1日 - 1917年2月13日
  • 森本義寛 大佐:1917年2月13日 - 10月10日
  • 別府友次郎 大佐:1917年12月1日[17] - 1919年11月20日[18]
  • 井手元治 大佐:1919年11月20日 - 1920年11月20日
  • 寺岡平吾 大佐:1920年11月20日 - 1921年12月1日
  • 河合退蔵 大佐:1921年12月1日 - 1922年4月1日
  • 高倉正治 大佐:1922年4月1日[19] - 1922年11月10日[20]
  • (兼)小泉親治 大佐:1922年11月10日 - 12月1日
  • (兼)広沢恒 大佐:1922年12月1日[21] - 1923年4月1日[22]
  • (兼)安部隆吉 大佐:1923年4月1日[22] -

同型艦[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達明治40年10月p.21『達第百十八號 横須賀海軍工廠ニ於テ建造ノ寅號装甲巡洋艦ヲ鞍馬ト命名セラル 明治四十年十月二十一日 海軍大臣男爵 齋藤實』
  2. ^ a b #達明治40年10月p.22『達第百十九號 艦艇類別等級別表中巡洋艦ノ欄一等ノ下「生駒」ノ次ニ「鞍馬」ヲ加フ 明治四十年十月二十一日 海軍大臣男爵 齋藤實』
  3. ^ a b #達大正1年8月p.33『達第十二號 艦艇類別等級別表ノ通改正ス 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 斎藤實|艦艇類別等級表|軍艦|巡洋戦艦| |筑波、生駒、鞍馬、伊吹|』
  4. ^ a b c d e f g h #幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ87(原本136頁)『鞍馬(くらま) 艦種一等巡洋艦 二檣(信號用)
    艦名考山名に採る、鞍馬山は山城國に在り、京都の北3里なり、古名暗部山、後世山谷の形状に附會し鞍馬の字を選ぶと云ふ、半腹に鞍馬寺あり。
    艦歴明治44年2月下旬竣工し、同年4月1日横須賀發、英國皇帝戴冠式に際し、6月24日同國「スピットヘッド」に於て擧行の観艦式参列の爲め利根と共に英國に回航(第二艦隊司令長官中将島村速雄引率、艦長大佐石井義太郎)。大正元年8月巡洋戰艦に列す(昭和8年類別標準の改正により戰艦となる)。同3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年9月第一南遣支隊に属し「マーシャル」・東「カロリン」群島方面の警戒竝に占領に任ず(艦長大佐志津田定一郎)、同12年9月20日除籍、廢棄(華府海軍々備制限條約に由る)。
    ―要目― 長485呎/幅75.5呎/吃水26呎/排水量14,600噸/機關 往復關機2基、宮原式罐/馬力22,500/速力21.25/乗組人員817/船材 鋼/兵装 12吋4/8吋8/4.7吋砲14/12听砲8/機關砲4/發射管3/起工 明治38-8-23/進水 同40-10-21/竣工 同44-2-28/建造所 横須賀工廠』
  5. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.199『◎戰艦安藝薩摩装甲巡洋艦筑波生駒鞍馬伊吹命名ノ件 明治三十八年六月十一日(内令三一六)新造軍艦六隻艦名左ノ通御治定相成候條命名式擧行マテ部内限リ通用スルコトヲ得ル儀ト心得ヘシ|呉海軍工廠ニ於テ製造 甲號戰艦 安藝|横須賀海軍工廠ニ於テ製造 乙號戰艦 薩摩|呉海軍工廠ニ於テ製造 子號装甲巡洋艦 筑波/丑號装甲巡洋艦 生駒|横須賀海軍工廠ニ於テ製造 寅號装甲巡洋艦 鞍馬|呉海軍工廠ニ於テ製造 第一號装甲巡洋艦 伊吹』
  6. ^ a b 明治40年10月22日官報第7295号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『○皇后行啓 皇后陛下ハ御豫定ノ如ク昨二十一日横須賀軍港ニ於テ軍艦鞍馬進水式擧行ニ付キ午前十一時三十分御出門正午十二時新橋停車場御發車同港ヘ行啓午後五時五十五分新橋停車場御箸車同六時二十分還御アラセラレタリ』
  7. ^ 明治40年10月24日官報第7297号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ5『○軍艦鞍馬進水式概況』
  8. ^ 明治44年3月28日官報第8326号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ9『○東宮御發艦 皇太子殿下ハ御豫定ノ如ク昨二十七日午前十時十分葉山御用邸御出門同十時四十五分逗子停車場御發車同十一時横須賀停車場御箸車軍艦鹿島ヘ御乗艦正午十二時横須賀軍港御發艦アラセラレタリ|○拝謁竝賢所参拝 在京都華族總代トシテ天機伺ノタメ出京ノ從五位唐橋在知ハ昨二十七日午前十時三十分拝謁仰付ケラレ又今般英國ヘ派遣ノ第二艦隊軍艦鞍馬、利根乗員島村海軍中将、海軍大佐石井義太郎(中略)ハ同時拝謁竝ニ 賢所参拝仰付ケラレ海軍上等筆記楠田徳太郎以下百三十六名ハ 賢所参拝仰付ケラレタリ』
  9. ^ 明治44年3月29日官報第8327号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ8『○拝謁竝賢所参拝 今般英國ヘ派遣ノ第二艦隊軍艦鞍馬、利根乗員海軍中佐吉田清風(中略)昨二十八日午前十時三十分拝謁竝ニ 賢所参拝仰付ケラレ海軍上等兵曹森山藤四郎以下百四十四名ハ同時 賢所参拝仰付ケラレタリ』
  10. ^ 明治44年4月5日官報第8332号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ8『○軍艦發箸 各港灣ニ於ケル軍艦發箸左ノ如シ(海軍省)』
  11. ^ 参考文献「思い出の日本軍艦 訪欧時の『鞍馬』と『利根』」
  12. ^ #達大正1年8月p.32『達第十一號 艦艇類別標準別表ノ通改正セラル 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 斎藤實』
  13. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ56番『◎艦艇類別等級 大正元年八月二十八日(達一二)艦艇類別等級別表ノ通改正ス(別表)』
  14. ^ #達明治39年11月p.2『達第百九十五號 軍艦 香取/同 鹿島/同 薩摩/同 安藝/同 生駒/同 鞍馬/同 伊吹/同 三笠/同 肥前 右帝國軍艦籍ヨリ除カル 大正十二年九月二十日 海軍大臣 財部彪』
  15. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.60『◎大正十二年九月二十日(達一九六)艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「香取、鹿島、薩摩、安藝」、巡洋戰艦ノ欄内「生駒、鞍馬、伊吹」及海防艦ノ欄内「三笠、肥前」ヲ削除ス』
  16. ^ #達明治39年11月p.2『達第百九十六號 艦艇類別等級別表中戰艦ノ欄内「香取、鹿島、薩摩、安藝」、巡洋戰艦ノ欄内「生駒、鞍馬、伊吹」及海防艦ノ欄内「三笠、肥前」ヲ削除ス 大正十二年九月二十日 海軍大臣 財部彪』
  17. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  18. ^ 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  19. ^ 『官報』第2898号、大正11年4月4日。
  20. ^ 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
  21. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  22. ^ a b 『官報』第3199号、大正12年4月2日。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『明治40年 達 完/11月』。Ref.C12070056500。
    • 『大正1年 達 完/8月』。Ref.C12070064400。
    • 『大正12年 達完/9月』。Ref.C12070082500。
  • 「思い出の日本軍艦 訪欧時の『鞍馬』と『利根』」『世界の艦船』第607集(2003年2月号)海人社
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]