夏雲 (駆逐艦)

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1939年11月22日に撮影された夏雲
艦歴
計画 マル2計画
起工 1936年7月1日
進水 1937年5月26日
就役 1938年2月10日
その後 1942年10月12日戦没
除籍 1942年11月15日
性能諸元
排水量 基準:約2,000t、公試:2,400t
全長 118.00m
全幅 10.386m
吃水 3.71m(平均)
機関 艦本式オール・ギアードタービン2基2軸
ロ号艦本式重油専焼缶3基
50,000hp
最大速力 34.85kt
航続距離 18ktで5,190浬
燃料 重油580t
乗員 230名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 II×2
(または13mm機銃 II×2)
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九〇式魚雷16本)
九一式爆雷×36

夏雲(なつぐも)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦朝潮型の7番艦である[2]

概要[編集]

駆逐艦(くちくかん)夏雲(なつぐも)は[3]、朝潮型駆逐艦の7番艦[2]佐世保海軍工廠で、1936年(昭和11年)7月から1938年(昭和13年)2月にかけて建造された[4]。同年8月11日には、昭和天皇の御召艦を務めた[5]

太平洋戦争開戦時、本艦を含め朝潮型4隻(朝雲、山雲、夏雲、峯雲)は第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将)麾下の第9駆逐隊(駆逐隊司令佐藤康夫大佐)を編成し、南方作戦フィリピン攻略戦蘭印作戦)に参加[3]。「山雲」損傷離脱後の第9駆逐隊は3隻編制となり[6]スラバヤ沖海戦クリスマス島攻略戦に参加した[3]。クリスマス島攻略戦で軽巡洋艦那珂(第四水雷戦隊旗艦)が大破すると、「夏雲」は1942年(昭和17年)4月12日から5月20日まで四水戦旗艦となった(その後、軽巡由良に変更)[7][8]

同年6月上旬のミッドウェー作戦における第9駆逐隊は、攻略部隊主隊(第二艦隊)に所属[3]。主力空母4隻喪失後は牽制部隊として行動した[9]。6月下旬から7月上旬にかけてアリューシャン方面作戦に従事[10]。8月以降、第四水雷戦隊および第9駆逐隊はガダルカナル島攻防戦に伴う強行輸送作戦(鼠輸送)に参加した[3]10月12日、「夏雲」はサボ島沖海戦において吹雪型駆逐艦叢雲を救援中、米軍機の空襲を受け沈没した[3]

艦名は海上自衛隊護衛艦なつぐも」に引き継がれた。

艦歴[編集]

太平洋戦争開戦まで[編集]

1936年(昭和11年)6月10日、佐世保工廠で建造予定の駆逐艦に「夏雲」の艦名が与えられる[1][11]。同日附で艦艇類別等級表に朝潮型駆逐艦として類別される[12]。佐世保工廠で建造された朝潮型は、「朝潮」と「夏雲」の2隻である[13]。 同年7月1日、「夏雲」は起工[4][14]1937年(昭和12年)5月26日、進水[4][15]。神戸川崎造船所で建造していた朝潮型4番艦「荒潮」と同日附の進水である[15]。 8月16日、日本海軍は吹雪型駆逐艦2隻(東雲薄雲)の駆逐艦長を兼務していた北村昌幸中佐を、夏雲艤装員長に任命した[16]。8月23日、佐世保工廠に夏雲艤装員事務所を設置[17]。本艦は朝潮型1番艦「朝潮」と共に建造された。 同年12月8日、北村は正式に夏雲初代駆逐艦長となる[18]

1938年(昭和13年)2月10日、竣工[4]。ただちに横須賀に回航された[19]。同日附で第41駆逐隊(山雲、夏雲)が編制され(駆逐隊司令高間完大佐)[注釈 1][20]、司令駆逐艦は姉妹艦「山雲」(駆逐艦長原為一少佐)に指定された[21]。2月14日、41駆司令駆逐艦は「山雲」から「夏雲」に変更される[21]。 2月22日より1日だけ、横須賀警備隊司令官は長門型戦艦1番艦「長門」から「夏雲」に将旗を移揚した[22][23]

その後、姉妹艦2隻(朝雲、峯雲)も、竣工と共に第41駆逐隊へ編入される。 7月22日、高間大佐(第41駆逐隊司令)は敷設艦「厳島」艦長へ転任[24]。後任の第41駆逐隊司令は板垣盛大佐となる[24]。 同年8月11日葉山御用邸滞在中の昭和天皇[25][26]海軍航空廠(追浜飛行場)の仮桟橋から沖合に停泊中の「夏雲」(第41駆逐隊司令板垣大佐、夏雲艦長北村中佐)に乗艦する[5]。天皇とともに、海軍大臣米内光政、内務大臣末次信正長谷川清横須賀鎮守府司令長官、古賀峯一軍令部次長、大和田芳之介横須賀防備隊司令官が「夏雲」に乗艦[5]。 横須賀防備戦隊旗艦も「山雲」となる[27][28]。 正午、「夏雲」(天皇座乗)は横須賀軍港を出港し木更津に向かう[5]。天皇は夏雲の上甲板で昼食をとった[5]。木更津到着後、天皇一行は上陸[26][29]。木更津海軍航空隊で戸塚道太郎第一聯合航空隊司令官、加来止男木更津海軍航空隊司令、多久安信千葉県知事等と謁見後、午後3時に「夏雲」へ帰艦[29]。午後3時50分、「夏雲」は横須賀軍港に帰投[29]。退艦した天皇は逸見埠頭より上陸、葉山御用邸へ戻った[26][29]

11月15日附で北村(夏雲艦長)は転任[30]。朝潮型6番艦「山雲」駆逐艦長原為一中佐[注釈 2]が、山雲と夏雲の駆逐艦長を兼務することになった[30]。 12月1日、原為一中佐(山雲・夏雲艦長)は吹雪型駆逐艦綾波艦長へ転出[31]溝畠定一少佐(当時、駆逐艦艦長)は、山雲駆逐艦長と夏雲駆逐艦長の兼務を命じられた[31]。 のち第三予備艦となり横須賀海軍工廠蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。

1939年(昭和14年)1月15日附で第1駆逐隊司令手束五郎大佐は、第41駆逐隊司令を兼任する[32]。 2月10日、夏雲駆逐艦長として原田耕作少佐が着任[33]。 4月15日より柴田力大佐が第1駆逐隊(10月20日まで)[34]と第41駆逐隊司令を兼ねる[35]

7月24日附で夏雲駆逐艦長は原田少佐から大田春男少佐へ交代[36]。 11月15日、朝潮型4隻(朝雲、夏雲、山雲、峯雲)所属の第41駆逐隊は第9駆逐隊と改称され、第41駆逐隊司令だった柴田大佐は第28駆逐隊司令へ転任[37]。第9駆逐隊の初代駆逐隊司令は新美和貴大佐となる[38]。なお、それまでの第9駆逐隊(時雨白露有明夕暮)は、前年11月15日附で佐世保鎮守府所属の第27駆逐隊と改称されている(駆逐隊司令渋谷紫郎大佐)[39]。 11月1日、宇垣環少佐(当時、駆逐艦帆風艦長)が吹雪型駆逐艦朝霧艦長へ転任[40]。大田少佐(夏雲艦長)は夏雲艦長と帆風艦長の兼務を命じられた[40]。 11月15日、志摩岑少佐が駆逐艦帆風艦長に任命され[41]、大田春男中佐(夏雲、帆風艦長)は艦長兼務を解かれた[42]

1940年(昭和15年)1月25日、大田春男中佐(夏雲駆逐艦長)は敷設艦「厳島」副長へ転任[43]。後任の夏雲駆逐艦長には、塚本守太郎少佐(当時、駆逐艦長月艦長)が任命された[44][43]。 塚本は、駆逐艦艦長[45]、駆逐艦初霜艦長[44]や同型若葉艦長[46]等を歴任していた。 9月16日、渡邉保正中佐(当時、駆逐艦大潮艦長)は、舞鶴海軍工廠で建造中の駆逐艦艤装員長(のち初代艦長)を命じられ[47]、塚本中佐は「夏雲」と「大潮」の駆逐艦長を兼務する[47]。11月15日、吉川潔中佐(当時、駆逐艦江風艦長)が大潮駆逐艦長に任命され、塚本(夏雲艦長)は艦長兼務を解かれた[48]

11月、第9駆逐隊は第二艦隊・第四水雷戦隊(旗艦「那珂」)に編入される。新美大佐(9駆司令)は球磨型軽巡洋艦2番艦「多摩」艦長へ転任[49]。後任の第9駆逐隊司令は篠田勝清大佐(前職、第30駆逐隊司令)[49]。四水戦司令官も、栗田健男少将から西村祥治少将(当時、戦艦榛名艦長)に交代した[49]。栗田は最上型重巡洋艦4隻(熊野、鈴谷、三隈、最上)で編成された第七戦隊司令官に任命された[49]

1941年(昭和16年)4月10日、第9駆逐隊司令は篠田大佐から佐藤康夫大佐(前職、第5駆逐隊司令)に交代した[50][注釈 3]

太平洋戦争緒戦[編集]

太平洋戦争開戦時の第9駆逐隊(駆逐隊司令佐藤康夫大佐)は、引き続き朝潮型駆逐艦4隻(朝雲夏雲峯雲山雲)で編制され、四水戦司令官西村祥治少将ひきいる第四水雷戦隊(旗艦那珂)に属し、同じく四水戦所属の第2駆逐隊(村雨五月雨春雨夕立)や第24駆逐隊(海風山風江風涼風)と共にフィリピン攻略作戦や南方作戦に参加した[51]。 12月31日、「山雲」が機雷により大破、長期戦線離脱を余儀なくされた(翌年5月15日附で第9駆逐隊より除籍)[6][52]。事実上3隻編制(朝雲、夏雲、峯雲)となった第9駆逐隊は、四水戦各艦と共に蘭印作戦に従事。バリクパパン攻略作戦(バリクパパン沖海戦)、ジャワ島攻略作戦に従事した。

1942年(昭和17年)2月下旬のスラバヤ沖海戦における駆逐艦「夏雲」(第9駆逐隊)と「海風」(第24駆逐隊)は、初鷹型急設網艦若鷹」等と共に輸送船団の護衛を任されており[53][54]、魚雷戦に参加できなかった[55]。本海戦で第四水雷戦隊(那珂、村雨、五月雨、春雨、夕立、朝雲、峯雲)は、第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦神通)や第五戦隊(司令官高木武雄少将:那智羽黒)と共に、カレル・ドールマン少将率いるABDA艦隊と交戦。 特に第9駆逐隊第1小隊(朝雲、峯雲)は戦果をあげるも[56]、第9駆逐隊司令座乗の「朝雲」が損傷し[57]、佐藤大佐は司令駆逐艦を「朝雲」から「夏雲」に変更した[58][59]。無傷の第9駆逐隊は2隻(夏雲、峯雲)となった。 司令駆逐艦変更直後、四水戦僚艦「村雨」はオランダ病院船「オプテンノール」を臨検、同船を第二水雷戦隊の「天津風」に引き渡している[60][61]。輸送船団入泊時には軽巡洋艦「鬼怒」や第8駆逐隊(朝潮、荒潮)と共同で哨戒をおこなった[62]

3月下旬、第9駆逐隊(峯雲、夏雲)と四水戦旗艦「那珂」はクリスマス島攻略作戦に従事した[63]。第十六戦隊司令官原顕三郎少将(3月10日まで第五水雷戦隊司令官)を指揮官とするクリスマス島攻略部隊が正式に編制され、3月31日の攻略を目指す[64]。主隊/第十六戦隊(名取長良)、警戒隊(司令官西村祥治少将:第四水雷戦隊「那珂」、第9駆逐隊第1小隊《峯雲、夏雲》、哨戒艇2隻、球磨川丸、君島丸)、第24特別根拠地隊分遣隊、補給部隊(あけぼの丸)、さらに第16駆逐隊の陽炎型駆逐艦「天津風」という兵力部署であった[64]。なお本海戦に参加した天津風駆逐艦長原為一中佐(元夏雲駆逐艦長)は『攻略部隊旗艦は那珂』と回想しているが、「那珂」は警戒隊旗艦である[65]

激しい抵抗や戦闘もなく攻略作戦は順調に進み、3月31日朝になるとクリスマス島守備隊は白旗を掲げた[66][67]。警戒隊・輸送船は入泊して陸戦隊の揚陸を開始する[66]。20時30分、「天津風」が到着して対潜哨戒に加わった[66]。4月1日18時、「那珂」及び第9駆逐隊(峯雲、夏雲)はクリスマス島北方海面を哨戒していた[66]。この時、潜水艦シーウルフ」 (USS Seawolf, SS-197) が「那珂」を雷撃する[68]。魚雷1本が命中した「那珂」は大破した[65]。「那珂」は「名取」に曳航されてジャワ島バンタム湾へ退避したが途中で自力航行可能となり、名取・夏雲・峯雲・天津風(途中まで)・長月・水無月等に護衛されて航海を続ける[69]。「那珂」のジャイロコンパスの故障により「夏雲」が嚮導艦となり[70]、各艦は4月3日昼過ぎに到着した[66]

クリスマス島攻略部隊は4月3日の「名取」バンタム湾到着をもって完全に解散[71][72]。3隻(那珂、夏雲、峯雲)は4月6日にバンタム湾を経ち、シンガポールへ移動する[73]。 シンガポールにて西村少将(四水戦司令官)は「那珂」を工作艦「朝日」に托すと、第四水雷戦隊旗艦を「夏雲」に変更[7]。 四水戦旗艦となった「夏雲」と姉妹艦「峯雲」は台湾を経由して北上、ドーリットル空襲(4月18日)の急報に対処しつつ、4月20日夜になり横須賀へ帰投した[74][75]。 この間、艦隊の再編により第24駆逐隊(海風江風山風涼風)は第一水雷戦隊へ転出、第8駆逐隊(朝潮荒潮、《大潮満潮》5月15日除籍[52])が第四水雷戦隊に編入された。また軽巡「由良」の四水戦編入も内示されている[76]

ミッドウェー海戦[編集]

5月2日、第9駆逐隊(夏雲、峯雲、朝雲)は米潜水艦(ドラム)に撃沈された水上機母艦「瑞穂」の遭難に関連し、現場海域で敵潜掃蕩に従事した[77][78]。「瑞穂」生存者は高雄型重巡洋艦2隻(高雄摩耶)に救助されている[78][79]。 5月9日、長良型軽巡洋艦4番艦「由良」が第四水雷戦隊に編入された[80]。 5月15日、「山雲」は正式に第9駆逐隊から除籍され、9駆は朝潮型3隻(夏雲、峯雲、朝雲)となる[52]。 5月19日、第9駆逐隊(夏雲、峯雲、朝雲)は第四戦隊と第三戦隊を護衛して東京湾から瀬戸内海へ移動[81][82]。また佐世保で修理と整備を行っていた「由良」も瀬戸内海に移動した[82]。 5月20日、西村祥治司令官は、四水戦旗艦を「夏雲」から「由良」に変更した[83][8]。 同日附で四水戦のうち由良・第2駆逐隊・第9駆逐隊はミッドウェー作戦において攻略部隊主隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)[83]、第8駆逐隊(朝潮、荒潮)は攻略部隊支援隊(指揮官栗田健男第七戦隊司令官)、という区分を通達される[84][85]。また第9駆逐隊の1番艦(司令駆逐艦)も「朝雲」となった[86]。四水戦所属の第4駆逐隊(第1小隊《嵐、野分》、第2小隊《萩風、舞風》)は[87]、第十戦隊と共に南雲機動部隊の護衛任務に従事する[88][89]

ミッドウェー作戦における攻略部隊主隊(旗艦「愛宕」)は[90][85]、第四戦隊(愛宕〔近藤長官座乗〕、鳥海)、第三戦隊第1小隊(比叡金剛)、第五戦隊(妙高羽黒)、第四水雷戦隊(由良、第2駆逐隊《村雨、五月雨、春雨、夕立》、第9駆逐隊《朝雲、夏雲、峯雲》、空母「瑞鳳」、駆逐艦「三日月」、補給船団(健洋丸、玄洋丸、佐多、鶴見)という戦力である[91][92]。だが各艦が内海西部に集結したのは出撃直前だっため、訓練期間は極めて短く、部隊訓練を行う余裕はなかったという[82]5月29日朝、攻略部隊主隊(第二艦隊司令長官、旗艦愛宕)は桂島泊地を出撃[93]ミッドウェー島に向かう[94]。 6月5日から7日にかけて、日本海軍は空母4隻(赤城加賀蒼龍飛龍)と重巡「三隈」を喪失[95]。攻略部隊主隊は損傷した重巡「最上」と第8駆逐隊(朝潮、荒潮)を収容する[96][97]

6月9日、第五戦隊(妙高羽黒)、第9駆逐隊(朝雲、夏雲、峯雲)、給油艦「玄洋丸」という戦力で『牽制部隊』(指揮官高木武雄第五戦隊司令官)が編成され[9]ウェーク島近海で行動する[98][99]。 ウェーク島の基地航空隊と連携し、偽電を交信するなど米軍機動部隊の誘引を試みたが、特に成果はなかった[100][101]。牽制部隊は6月14日より北方部隊に編入され、翌日には補給部隊(峯雲、玄洋丸)と合流、北上した[9][102]アリューシャン方面に転じてからは第五戦隊に加えて戦艦「金剛」、第一水雷戦隊(旗艦「阿武隈」、第21駆逐隊)、第二十一戦隊(木曾多摩)、油槽船「玄洋丸」と行動を共に『第二支援隊』を編成、米軍機動部隊出現に備えて警戒行動をとる[10][103]。本作戦中の6月15日、「那珂」は第四水雷戦隊から除かれた[104]。 6月20日附で西村少将は退任(6月25日附で第七戦隊司令官)[105]、後任の第四水雷戦隊司令官は高間完少将(当時、戦艦榛名艦長。第41駆逐隊初代司令)となる[106][107]

米機動部隊の北方来襲を警戒して空母瑞鶴瑞鳳まで投入した日本海軍だったが、米軍出現の徴候はなかった[108]。一方で米軍潜水艦の行動は活発化、7月5日には米軍潜水艦により駆逐艦2隻(子日)を喪失、2隻(不知火)大破という損害を受けている[109]。これらの情況判断により、日本海軍の支援部隊・機動部隊とも7月7日に配備を撤収、それぞれ内地へ帰投した[108]。艦隊の編制変更により第4駆逐隊(嵐、野分、萩風、舞風)と第8駆逐隊(朝潮、荒潮)が第四水雷戦隊から外れ、かわりに第27駆逐隊(時雨白露有明夕暮)が編入された。

ガダルカナル島の戦い[編集]

北方での任務終了後の7月19-20日、第9駆逐隊第1小隊(朝雲、夏雲)は重巡洋艦「鳥海」(第八艦隊旗艦、司令長官三川軍一中将)のラバウル進出を護衛して桂島を出発する[110]。トラックを経由してラバウルへ向かう途中、第16駆逐隊第1小隊(雪風時津風)と「鳥海」護衛任務を交代する[111][112]。8月1日、クェゼリン環礁に立ち寄り香取型練習巡洋艦1番艦「香取」と合流、8月8日に横須賀へ到着した[113]

8月19日、トラックに入港し、24日の第二次ソロモン海戦に第二艦隊司令長官近藤信竹中将(旗艦「愛宕」)指揮下の前進部隊本隊(第四戦隊《愛宕〔近藤中将座乗〕、高雄摩耶》、第五戦隊《妙高羽黒》、長門型戦艦陸奥》、水上機母艦《千歳》、第四水雷戦隊《由良、村雨、五月雨、春雨、朝雲、夏雲》、第15駆逐隊《早潮親潮黒潮》)として参加した。第二次ソロモン海戦時、「峯雲」はトラック泊地で座礁[114]、損傷のため前進部隊には同行していない[115]。また戦艦「陸奥」は低速のため重巡洋艦の高速航行に付随できず、第2駆逐隊(村雨、五月雨、春雨)護衛下で艦隊から分離されている[116]。前進部隊は米空母「サラトガ」から飛来した艦爆・艦攻小数機に襲撃される。同空襲で「千歳」が中破した[117]。南雲機動部隊・前進部隊とも9月上旬にトラック泊地へ帰投したが、日本艦隊がソロモン諸島北方で活動中であるようにみせかけるため、連合艦隊は第9駆逐隊(朝雲、夏雲)に対し陽動作戦を行うよう命じた[118]。2隻は9月2日に前進部隊と分離、適宜行動して偽電を発したのち、9月8日にトラック泊地へ戻った[118]

9月中旬、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対する日本陸軍総攻撃に呼応して南雲機動部隊・前進部隊ともにトラック泊地を出撃するが、9月14日に「妙高」がB-17重爆の空襲で戦死傷者3名を出したのみで、大規模な戦闘には発展しなかった[119]。9月26日、秋月型駆逐艦1番艦「秋月」と第9駆逐隊(朝雲、夏雲、峯雲)は外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入され、ガダルカナル島への増援輸送作戦(鼠輸送/東京急行)に従事する[120]

10月2日、第9駆逐隊司令佐藤康夫大佐(朝雲座乗)指揮下の駆逐艦5隻(第9駆逐隊《朝雲、夏雲、峯雲》、第2駆逐隊《村雨、春雨》)は零式水上観測機小数機の援護を受け、ガ島輸送に成功した[121][122]。 10月5日、佐藤司令の指揮下駆逐艦6隻(第9駆逐隊《朝雲、夏雲、峯雲》、第2駆逐隊《村雨春雨夕立》)はショートランド泊地を出撃[123][124]。午後3時過ぎ、急降下爆撃機SBDドーントレス9機の空襲により、まず「峯雲」が至近弾を受け浸水により速力低下[125][126]。「夏雲」は「峯雲」を護衛して避退[114][124]。つづいて「村雨」も至近弾による浸水被害を受け、揚陸を断念して避退した[127]。佐藤司令はひきつづき3隻(朝雲、夕立、春雨)を率いてガ島へ突入、揚陸を無事に完了した[128][124]。なお米軍は駆逐艦1隻撃沈、1隻大破(おそらく沈没)を報告している[124]。 10月6日朝、朝潮型2隻(夏雲、峯雲)はショートランドに帰投[129]。増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官は、損傷した2隻のラバウル回航を指示する[130]。「村雨」はトラック泊地で応急修理をすませ戦線に復帰したが、「峯雲」は内地修理を余儀なくされ[114]、健在の第9駆逐隊所属艦は2隻(朝雲、夏雲)となった[131]

10月8日、水上機母艦「日進」と秋月型駆逐艦1番艦「秋月」による第2回ガダルカナル島輸送作戦が実施される[132][133]。9駆司令佐藤大佐(朝雲座乗)指揮下の第2駆逐隊(夕立、春雨)、第9駆逐隊(朝雲、夏雲)が迫撃砲18門、陸兵560名、舞四特通信工作隊を搭載しつつ、日進隊に同行することになった[134][133]。午前5時44分、「日進」は駆逐艦5隻(秋月、朝雲、夏雲、夕立、春雨)に護衛されてショートランド泊地を出撃[135]。米軍機の空襲を受けるが零戦隊や零観隊の活躍によって日進隊に被害はなく、21時前後にガ島タサファロングに到着、物資を全て揚陸した[133][136]。 日進隊や駆逐艦輸送(鼠輸送)は順調に進んでいたが、大発動艇を用いた蟻輸送は失敗に終わり、物資揚陸予定に遅れが生じた[137]。そこで軽巡「龍田」、水上機母艦「千歳」が外南洋部隊増援部隊(指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官)に編入され、輸送計画に川内・由良も加わることになった[137]

サボ島沖海戦[編集]

1942年(昭和17年)10月12日、駆逐艦「夏雲」はサボ島沖海戦に伴う重巡洋艦「古鷹」と吹雪型駆逐艦5番艦「叢雲」救援行動中に米軍機の空襲を受け沈没、生存者は朝潮型駆逐艦5番艦「朝雲」に救助された[138]。経過の詳細は以下のとおり。

10月11日朝、水上機母艦2隻(日進千歳)、駆逐艦「秋月」、駆逐艦「綾波」(第19駆逐隊)、第11駆逐隊第1小隊(白雪[注釈 4][139][140][141]叢雲)、第9駆逐隊(朝雲、夏雲)はショートランド泊地を出撃[138]、ガダルカナル島への輸送・揚陸作戦に従事する[142][143]。 輸送物件は15cm榴弾砲4門、野砲2門、牽引車4、弾薬車4、高射砲1門、固定無線1基、陸兵各艦合計675、弾薬糧食等[144][145]。日進輸送隊の直衛にあたった零式艦上戦闘機のうち、最後の6機は日没まで直衛を行い予定どおり駆逐艦の傍に着水したが、不時着時に2名が戦死した[146]。水上機部隊は消耗して稼働機数ほぼゼロとなっており、零戦しか上空警戒を担当できなかったのである[146]。 日進隊は20時10分にガ島タサファロングへ到着、揚陸を開始したが、22時頃にサボ島方面で水上戦闘が行われているのを認めた[143][147]。日進・千歳は22時50分揚陸終了、駆逐隊も23時05分に揚陸終了、南方航路をとってサボ島方面へ移動を開始した[143]

日進隊が揚陸作業を続けていた頃、外南洋部隊支援隊指揮官五藤存知第六戦隊司令官(旗艦「青葉」)指揮下の重巡洋艦3隻(青葉古鷹衣笠)と第11駆逐隊第2小隊(吹雪初雪)は、ガダルカナル島の米軍ヘンダーソン飛行場に対し艦砲射撃を実施するため戦闘海域に接近していた[148][149]。 同日、連合艦隊司令長官山本五十六大将の下令によって第三戦隊(司令官栗田健男中将)の金剛型戦艦2隻(金剛榛名)及び護衛部隊(第二水雷戦隊、司令官田中頼三少将)も飛行場艦砲射撃を行うべくトラック泊地を出撃しており、第六戦隊(外南洋部隊支援隊)は第三戦隊・第八艦隊・第五戦隊等に先駆けて飛行場砲撃を行う予定である[150]。 航空偵察や日進輸送隊からの報告により「敵艦隊の存在なし」と判断した第六戦隊部隊は[151]、待ち伏せしていた米艦隊(指揮官ノーマン・スコット少将:重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻)の艦影を日進隊と誤認したまま先制攻撃を受け、五藤司令官戦死、旗艦「青葉」大破、重巡「古鷹」と駆逐艦「吹雪」沈没という損害を出して敗北した[152]。無傷の艦は「衣笠」だけだった[153]。「初雪」は沈没する「古鷹」から乗組員を救助後、戦場を離脱している[152][154]

日進輸送隊はラッセル諸島西側を通過して戦闘海域を離脱[155]。この時、日進輸送隊から駆逐艦4隻(朝雲、夏雲、白雪、叢雲)が分派される[156]。第11駆逐隊第1小隊(白雪、叢雲)は「古鷹」救援を[157]、第9駆逐隊(朝雲、夏雲)は「衣笠」と合流して米艦隊の撃滅を、それぞれ下令された[156]。 だが「古鷹」は既に沈没しており、引き揚げが遅れた11駆1小隊(白雪、叢雲)はニュージョージア島沖で米軍機の波状攻撃を受けて「叢雲」が大破炎上、航行不能となる[156][158][159]。 第9駆逐隊(朝雲、夏雲)は「叢雲」の航行不能を知り救援のためかけつけたが、ドーントレス11機の空襲により「夏雲」は至近弾複数発を受ける[156][158]。浸水が進み、佐藤康夫司令は「夏雲」乗組員を「朝雲」に収容した[156]。「夏雲」は14時27分に沈没、塚本艦長以下19名[160]が戦死した[159][161]。アメリカ側による沈没地点記録南緯08度40分 東経159度20分 / 南緯8.667度 東経159.333度 / -8.667; 159.333。または南緯08度46分 東経157度18分 / 南緯8.767度 東経157.300度 / -8.767; 157.300[3]。 また第11駆逐隊司令杉野修一大佐は「叢雲」生存者を「白雪」に収容した[162][163]。健在2隻(朝雲、白雪)は「叢雲」を放棄して一旦避退したが、救援のためガ島へ進撃中の増援部隊(川内、由良、時雨、白露、天霧)等と合流したのち、夜陰に乗じて「叢雲」の元に戻る[156]。「叢雲」の曳航を試みたものの手の施し様がなく、「叢雲」は「白雪」によって雷撃処分された[159][162][158]

11月15日、サボ島沖海戦で沈没した駆逐艦3隻(吹雪、叢雲、夏雲)と北方海域で沈没した駆逐艦「」の除籍が決定[164]。「夏雲」は第9駆逐隊[165]、朝潮型駆逐艦[166]から削除された。峯雲修理中のため第9駆逐隊最後の健在艦となった「朝雲」は、「由良」沈没や「秋月」損傷にともない第四水雷戦隊旗艦となり、第三次ソロモン海戦に臨んだ[167]

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 北村昌幸 中佐:1937年8月16日[16] - 1937年12月8日[18]
駆逐艦長
  1. 北村昌幸 中佐:1937年12月8日[18] - 1938年11月15日[30]
  2. (兼)原為一 中佐:1938年11月15日[30] - 1938年12月1日[31] (本職:山雲駆逐艦長)
  3. (兼)溝畠定一 中佐:1938年12月1日[31] - 1939年2月10日[33](本職:山雲駆逐艦長)
  4. 原田耕作 少佐:1939年2月10日[33] - 1939年7月24日[36]
  5. 大田春男 少佐/中佐:1939年7月24日[36] - 1940年1月25日[43]
  6. 塚本守太郎 少佐/中佐:1940年1月25日[43] - 1942年10月12日 戦死、同日付任海軍大佐[168][169]

注釈[編集]

  1. ^ 高間は、サボ島沖海戦(夏雲沈没時)、第三次ソロモン海戦時の第四水雷戦隊司令官。後に第二水雷戦隊司令官、第十一水雷戦隊司令官等を歴任。
  2. ^ 後日、陽炎型駆逐艦「天津風」駆逐艦長、第27駆逐隊司令《時雨》、軽巡洋艦「矢矧」艦長等を歴任。
  3. ^ 篠田大佐は、のちに戦艦山城艦長として、同艦沈没時に西村祥治中将と共に戦死
  4. ^ 戦史叢書では「白雲」とするが、同艦は8月28日の空襲で大破。10月1日附で警備駆逐艦となり内地へ回航され、呉で修理中。

参考文献[編集]

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  • 原為一 『帝国海軍の最後』 河出書房新社、2011年7月(原著1955年)。ISBN 978-4-309-24557-7
  • 藤原盛宏、岡武文発行人 『わが青春と海軍』 株式会社トムス出版部、1974年3月。
    藤原は当時海軍主計少尉、昭和17年3月より11月まで第11駆逐隊庶務主任。サボ島沖海戦時、第11駆逐隊司令駆逐艦「白雪」乗艦。
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  • 学研 「勝目純也(文章)「◎インタビュー 駆逐艦『叢雲』水雷科員 石川玉吉 」」『ミリタリー・戦史Magazine 歴史群像 2015年2月号』 学研パブリッシング〈歴史群像〉、2015年1月。
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    • Ref.C08030110100 『昭和17年2月8日~昭和17年3月10日 第4水雷戦隊戦闘詳報(6)』。
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    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030113800 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030113900 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030114000 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030114100 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030045800 『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030586700 『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030586800 『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030325800 『昭和17年9月1日~昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(4)』。

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和11年6月p.『達第七十三號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十一年六月十日 海軍大臣 永野修身 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 夏雲(ナツグモ)』
  2. ^ a b #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』
  3. ^ a b c d e f g #陽炎型(2014)299頁『夏雲(なつぐも)』
  4. ^ a b c d #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『夏雲|(艦性能略)|佐世保工廠|11-7-1|12-5-26|13-2-10|(艦兵装略)』
  5. ^ a b c d e 昭和天皇実録七巻614-615頁『十一日 木曜日/横須賀海軍航空廠に行幸/横須賀御出港』
  6. ^ a b #陽炎型(2014)301頁『山雲(やまぐも)』
  7. ^ a b #S1704四水戦日誌(1)p.9『本日附艦隊編制替ニ依リ二十四駆ハ一水戦ニ八駆ハ當隊ニ編入セラレタリ 昭南港ニ於テ朝日及101工作部ト協議シ那珂應急修理ニ関スル要務處浬ヲ終リ十二日1000将旗ヲ夏雲ニ移揚ノ上 九駆一小隊ヲ率ヰ高雄ヲ経テ横須賀ニ向ヒタリ 途上十八日敵機動部隊ノ来襲ヲ聞キ我亦之ニ應ズル如ク増速セルモ荒天ノ為意ノ如クナラズ二十一日横須賀ニ歸着尓後整備作業ニ従事セリ』
  8. ^ a b 昭和17年6月4日(木)海軍公報(部内限)第4107号 p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C12070412400 『○旗艦變更 第四水雷戰隊司令官ハ五月二十日旗艦ヲ由良ニ變更セリ』
  9. ^ a b c ミッドウェー海戦(戦史叢書)530-531頁『牽制部隊の行動』
  10. ^ a b 北東方面海軍作戦260-262頁『第三軍隊区分』
  11. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ210-211(原本381-382頁)『◎驅逐艦夏雲命名ノ件 昭和十一年六月十日(達七三)艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 夏雲(ナツグモ)』
  12. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ69(原本99頁)『昭和十一年六月十日(内令一九八)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等朝潮型ノ項中「朝雲」ノ下ニ「、夏雲」ヲ加フ』
  13. ^ #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『朝潮|(艦性能略)|佐世保工廠|10-9-7|11-12-16|12-8-31|(艦兵装略)』
  14. ^ 第3553号11.7.25夏雲』 アジア歴史資料センター Ref.C05110626500 『艦船要目ニ関スル件照會(中略)艦名 夏雲(ナツグモ)|龍骨据付ノ日 昭和十一年七月一日(以下略)』
  15. ^ a b 昭和12年5月28日 海軍公報第3059号 p.47』 アジア歴史資料センター Ref.C12070363300 『○進水 驅逐艦荒潮本月二十六日株式會社川崎造船所、驅逐艦夏雲ハ同日佐世保海軍工廠ニ於テ孰モ進水セリ』
  16. ^ a b 昭和12年8月16日(発令8月16日付)海軍辞令公報(号外)第28号 p.20』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072200 
  17. ^ 昭和12年8月27日 海軍公報(部内限)第2700号 p.39』 アジア歴史資料センター Ref.C12070367200 『○艤装員事務所設置 驅逐艦夏雲艤装員事務所ヲ佐世保海軍工廠内ニ設置シ八月二十三日事務ヲ開始セリ』
  18. ^ a b c 昭和12年12月8日(発令12月8日付)海軍辞令公報(号外)第103号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072900 
  19. ^ 昭和13年2月12日 海軍公報(部内限)第2835号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C12070371800 『○驅逐艦夏雲行動豫定』
  20. ^ 昭和13年2月10日(発令2月10日付)海軍辞令公報(部内限)第136号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400 
  21. ^ a b 昭和13年2月17日 海軍公報(部内限)第2839号 p.20』 アジア歴史資料センター Ref.C12070371800 『○司令驅逐艦指定 第四十一驅逐隊司令ハ二月十日司令驅逐艦ヲ山雲ニ指定セリ』-『○司令驅逐艦變更 第四十一驅逐隊司令ハ二月十四日司令驅逐艦ヲ山雲ヨリ夏雲ニ變更セリ』
  22. ^ 昭和13年2月12日 海軍公報(部内限)第2844号 pp.38-39』 アジア歴史資料センター Ref.C12070371800 『○将旗移揚 横須賀警備戰隊司令官ハ二月二十二日将旗ヲ長門ヨリ夏雲ニ移揚セリ』
  23. ^ 昭和13年2月12日 海軍公報(部内限)第2846号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C12070371800 『○将旗復歸 横須賀警備戰隊司令官ハ二月二十三日将旗ヲ夏雲ヨリ長門ニ復歸セリ』
  24. ^ a b 昭和13年7月22日(発令7月22日付)海軍辞令公報(部内限)第215号 p.35』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  25. ^ 昭和13年8月9日(火)官報3480号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ31『◎行幸仰出 天皇陛下ハ明後十一日神奈川縣下海軍航空廠及千葉縣下木更津海軍航空隊ヘ行幸アラセラルヘキ旨仰出サル御發着割左ノ如シ/午前九時 葉山御用邸御出門/同九時三十分 海軍航空廠箸御/同十一時三十分 同 所發御 驅逐艦夏雲ニ御乗艦/正午 横須賀軍港御出港/午後一時二十分 木更津沖箸御 御上陸/同 一時四十五分 木更津海軍航空隊箸御/同 二時四十五分 同 所發 驅逐艦夏雲ニ御乗艦/同 三時十分 木更津沖發御/同 四時 横須賀軍港御入港 逸見埠頭御上陸/同 四時二十分 同 所發御/同 四時五十分 葉山御用邸還幸(以下略)』
  26. ^ a b c 昭和13年8月13日(土)官報3484号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ8『◎行幸 天皇陛下ハ一昨十一日午前九時葉山御用邸御出門海軍航空廠及木更津海軍航空隊ヘ行幸午後四時四十六分葉山御用邸ヘ還幸アラセラレタリ』
  27. ^ 昭和13年8月11日(木)海軍公報(部内限)第2984号 p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C12070374500 『○艦船所在』
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  42. ^ {{アジア歴史資料センター|C13072076700|昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.47}大田免兼職}
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  57. ^ #四水戦スラバヤ(2)p.23『〇七四七4sdハ列ヲ解キ第一警戒航行隊形所定ノ位置ニ就ク〇八一五峯雲朝雲ヲ護衛シ合同シ9dg司令ハ司令駆逐艦ヲ夏雲ニ変更朝雲ヲ修理ノタメ「バリクパパン」ニ回航セシメ其ノ他予定ノ如ク「クラガン」ノ泊地ニ向ヘリ』
  58. ^ #S1702四水戦日誌(1)p.83『二十八(天候略)一七.1600朝雲ヲ修理ノタメ「バリクパパン」ニ回航セシム(《司令》9dgハ夏雲)』
  59. ^ 昭和17年3月3日 海軍公報(部内限)第4033号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C12070410600 『○司令驅逐艦變更 第九驅逐隊司令ハ二月二十八日司令驅逐艦ヲ夏雲ニ變更セリ』
  60. ^ #四水戦スラバヤ(2)pp.48-49『一五五五 村雨ノ一四〇度方向二〇粁ニ商船ラシキ檣ヲ発見直チニ確メニ行カシム』-『一六二〇 右商船ハ蘭国商船ト判明(此ノ海面敵艦ノ溺者多シ)』-『一六三五 村雨該病院船ヲ臨検次イデ之ガ監視抑留ヲ天津風ニ引継ギ村雨ハ間モナク復歸ス』
  61. ^ #第二氷川丸の航跡52-62頁『オプテンノール号の謎めいた動き』
  62. ^ #四水戦スラバヤ(2)p.48『一五三〇宛1Eg(略)二.哨区ヲ右ノ通変更ス C区海風 D区若鷹 E区峯雲 F区夏雲鬼怒及8dgハ泊地ノ西北方那珂及2dgハ泊地ノ東方ヲ移動哨戒ス』
  63. ^ #S1703四水戦日誌(2)p.37『四.参考(一)麾下艦船部隊ノ行動』
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  67. ^ #S1703四水戦日誌(2)p.20『三一日〇八〇七(4sd司令官)|名取|敵ハ白旗ヲ揚ゲタリ今ヨリ輸送船ヲ入泊セシメヨ』
  68. ^ #潜水艦戦争172頁『シーウルフ(SS197)と日本潜水艦 1942年4月1日』
  69. ^ #S1703四水戦日誌(3)p.14『途中那珂ハ2日0810迄ハ名取夏雲峯雲天津風ノ護衛ヲ受ケ0810以後更ニ2D/22dg(長月水無月)ヲ加ヘ1800ヨリ天津風原隊ニ歸リ3日0425名取ハ「バンタム」灣ニ先行セリ』
  70. ^ #S1703四水戦日誌(4)p.37『〇四二〇4sd司令官|夏雲|夏雲ハ那珂ノ前程二粁嚮導艦トナレ』-『〇四三〇同右|同右|那珂「コンパス」破損錨地迄嚮導セヨ速力十一節』
  71. ^ 海軍進攻作戦(蘭印)622頁
  72. ^ #S1703四水戦日誌(3)p.23『2日0000 4sd(那珂 1D/9dg)X攻略部隊ヨリ除カル』
  73. ^ #S1704四水戦日誌(1)pp.8『「バンタム」泊地ニ於テ静波丸ニ依リ損傷情況ヲ確メ應急準備ヲナシ6日2200九驅一小隊ト共ニ昭南港ニ向ケ「バンタム」泊地ヲ出港セリ途中天候ニ恵マレ大ナル支障ヲ受クルコトナク10日1530「セレター」軍港ニ入港セリ』
  74. ^ #S1704四水戦日誌(1)p.56『四.参考(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  75. ^ #S1704四水戦日誌(1)p.66『二〇(天候略)一九二〇9dg1D横須賀着』
  76. ^ #S1704四水戦日誌(1)p.55『二七日一八五〇大海参一部長|GF2F各参謀長(4sd 5SS司令官)|大海参一機密第二九六番電 五月九日附由良ヲ5SSヨリ除キ4sdニ編入(那珂ハ内地皈着迄4sdノ侭トス)』
  77. ^ #S1704四水戦日誌(2)pp.9-10『一日夜瑞穂遭難ニ關聯GF電令作第一三二號及同一三三號ニ依リ九駆(山雲欠)ハ二日ヨリ四日迄現場附近海面ノ敵潜掃蕩ニ従事セリ』
  78. ^ a b 本土方面海軍作戦106-107頁『本州南岸の護衛、対潜作戦/五月の状況』
  79. ^ #S1703高雄行動関係書類(2)p.4
  80. ^ #S1704四水戦日誌(2)p.10『九日附ニテ由良ハ5SSヨリ除カレ當隊ニ編入サル同日前進部隊電令第七號ニ依リ大潮ハ舞鶴満潮呉山雲ハ横須賀ニテ修理セシメラルルコトトナリ何レモ十五日附ニテ特別役務艦ニ編入セラレタリ』
  81. ^ #S1704四水戦日誌(2)p.10『十八日0900九駆ヲ率ヰ東京湾外ノ對潜掃蕩ヲ實施シ4S 3Sノ直衛トナリ十九日2230桂島泊地ニ入港セリ』
  82. ^ a b c ミッドウェー海戦(戦史叢書)175-176頁『本隊の出撃準備』
  83. ^ a b #S1704四水戦日誌(2)pp.10-11『二十日1500旗艦ヲ夏雲ヨリ由良ニ変更同日附ニテ第二段作戰第二期兵力部署發令セラレ由良 二駆 九駆ハ攻略部隊主隊ニ編入セラレ 八駆ハ攻略部隊支援隊ニ編入セラレタリ』
  84. ^ #S1704四水戦日誌(2)p.53『二〇(天候略)1500旗艦ヲ夏雲ヨリ由良ニ変更、由良 九駆 二駆 攻略部隊主隊ニ編入セラル 八駆ハ攻略部隊支援隊ニ編入』
  85. ^ a b #ミッドウエー海戦日誌(1)pp.4-5『別表第二 MI作戰部隊兵力部署』
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  89. ^ ミッドウェー海戦(戦史叢書)141-145頁『主要幹部』
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  93. ^ ミッドウェー海戦(戦史叢書)265-267『経過概要』
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  97. ^ ミッドウェー海戦(戦史叢書)517-518頁『「最上」等の収容成功』
  98. ^ #S1706五戦隊日誌(1)p.16『5S(那智欠)9dg玄洋丸ハ6月9日以来牽制部隊トシテ「ウェーキ」島近海ニ行動中ナリシ處6月14日牽制部隊解隊…』
  99. ^ #S1704四水戦日誌(3)pp.8-9『9dgハ2F機密第七九〇番電ニ依リ九日牽制部隊ニ編入サレ次デ北方部隊ニ編入サレタリ』
  100. ^ 中部太平洋方面海軍作戦(2)26頁(註:山雲は前述のとおり5月15日附で9dgより除籍済)
  101. ^ ミッドウェー海戦(戦史叢書)531頁(6月14日朝、潜水艦らしき1隻と遭遇したのみ)
  102. ^ #S1706五戦隊日誌(1)p.18『(1)自昭和17年6月14日至同年6月20日(略)兵力|5S(妙高羽黒) 9dg(朝雲夏雲峯雲) 玄洋丸』
  103. ^ #S1706五戦隊日誌(1)p.27『第二支援隊ハ6月28日1230第一支援隊ニ引続キ阿武隈、9dg、5S、21S、金剛、玄洋丸ノ順ニ出港作戦海域ニ向ケ陸奥海湾ヲ出撃ス…』
  104. ^ #S1704四水戦日誌(3)p.6『(二)第四水雷戦隊艦隊編成 (2)6月15日 那珂第四水雷戦隊ヨリ除カル』
  105. ^ 昭和17年6月25日(発令6月25日付)海軍辞令公報(部内限)第889号 p.24』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085900 
  106. ^ #S1704四水戦日誌(3)p.65『二一(天候略)前司令官西村少将退艦 後任司令官高間少将着任』
  107. ^ 昭和17年6月22日(発令6月20日付)海軍辞令公報(部内限)第886号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085900 
  108. ^ a b 北東方面海軍作戦262-263頁『第二次遊撃作戦』
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  111. ^ #S1709八艦隊日誌(1)p.43『二十九(天候略)一三〇六直衛(1D/9dg)ハ1D/16dg(雪風時津風)ト交代1D/9dgハ反轉横須賀ニ向フ』
  112. ^ 中部太平洋方面海軍作戦(2)71頁
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  123. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.40『第九駆、第二駆(五月雨欠)|一〇-五|野砲2、陸兵277ヲ「タサファロング」ニ揚陸ス 村雨峯雲}至近弾ニ依リ被害アリ夏雲護衛KXEニ引返セリ』
  124. ^ a b c d 南東方面海軍作戦(2)181頁『四日〜六日の輸送』
  125. ^ #S1710四水戦日誌(1)p.38『五日1550(司令)9dg(宛略)9dg機密第051550番電 1510ケノヘ22ニ於テ敵爆撃機九機ト交戰之ヲ東方ニ撃退ス、峯雲至近弾ニ依リ艦首左舷ニ破孔ヲ生ジ第二兵員室ニ浸水出シ得ル速力十二節夏雲ヲシテ之ヲ護衛「ショートランド」ニ皈投セシム其ノ他異状ナシ朝雲2dgヲ率ヒ予定位通進撃ス』
  126. ^ #S1710四水戦日誌(1)pp.39-40『五日1900峯雲(宛略)峯雲機密第051900番電 1515「ケノヘ22」ニ於テ艦爆×6ノ急爆ヲ受ケ至近弾ニ依ル被害 一.艦首ヨリ35番「ビーム」迄兩舷外鈑大破上甲板線下満水其ノ他状況不明ナルモ被害拡大ノ模様ナシ出シ得ル最大速力14節/二.方位盤一番B線轉輪羅針儀使用不能、1、2、7番ノミ/三.重傷陸兵1軽傷本艦下士官兵10陸兵3』
  127. ^ #S1710四水戦日誌(1)pp.38-39『五日1630(司令)2dg(宛略)2dg機密第051630番電 村雨1600艦爆2来襲至近弾3ニ依リ左舷前部ニ破孔無数揚錨機室糧食庫ニ浸水軽傷者10数名 一六三〇』-『五日1725(司令)2dg(宛略)2dg機密第051725番電 村雨艦首附近浸水ノ爲速力21節以上使用不能極力應急処置ヲ施シ揚陸決行セントセシモ明日ノ離脱困難ナルニ付ショートランドニ帰投ス』
  128. ^ #S1710四水戦日誌(1)p.39『五日1715(司令)9dg(宛略)9dg機密第051715番電 1600ケハフ38ニ於ケル敵機トノ交戰ニ依リ村雨至近弾3左舷前部破孔無数揚錨機室糧食庫浸水軽傷者十数名出シ得ル最大速力21節ショートランドニ皈投セシム、朝雲夕立春雨ヲ率ヰ予定通進撃ス』
  129. ^ #S1710四水戦日誌(1)p.43『六日0750峯雲(宛略)峯雲夏雲「ショートランド」着』
  130. ^ #S1710四水戦日誌(1)p.43『六日1157(司令官)3sd(宛略)3sd機密第061157番電 村雨及峯雲修理ノ爲「ラボール」ニ回航セシム村雨(使用可能速力二十一節)代艦トシテ有明派遣ヲ得バ好都合ナリ』
  131. ^ #S1710四水戦日誌(4)pp.44-45『四.参考(1)麾下艦船部隊ノ行動』
  132. ^ #S1709日進詳報(1)p.9『(ハ)第二回「ガ」島輸送』
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  134. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.41『第九駆(峯雲欠)、第二駆(村雨五月雨欠)|一〇-八|陸軍迫撃砲大隊、舞四特通信工作隊人員計614ヲ揚陸ス』
  135. ^ #S1709日進詳報(1)p.8『秋月ハ専ラ本艦ノ護衛ニ當ル外9駆(峯雲欠)2駆(村雨五月雨欠)ハ往復ノ途次日進艦長ノ命ヲ受ケ護衛ニ當リ概ネ上図ノ隊形ニテ航行セリ』
  136. ^ #S1709八艦隊日誌(2)pp.40-41『日進秋月|一〇-八|舞四特高射砲4、陸軍高射砲2、十糎榴弾砲2、牽引車1、人員180弾薬糧食ヲRXNニ揚陸ス』
  137. ^ a b 南東方面海軍作戦(2)186-188頁『輸送計画の再検討と九日〜十日の輸送』
  138. ^ a b #S1709八艦隊日誌(2)p.41『第九駆(峯雲夏雲欠)、第十一駆(二小隊欠)、綾波|一〇-一一|聯隊砲1、大隊砲2、速射砲2、迫撃砲1、兵400其他ヲRXNニ揚陸、帰途空爆ニ依リ夏雲ト叢雲ヲ失フ』
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  140. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.2-3『内令第千八百二十五號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 山雲|呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 夕霧 驅逐艦 白雲|右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  141. ^ #S1709呉鎮日誌(4)pp.1-2『四参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動/白雲』
  142. ^ #S1709日進詳報(1)p.9『日進千歳、9駆(峯雲欠)11駆1小隊綾波秋月 10月11日0600「ショウトランド」発中央航路ヲ取リ2020「タサファロング」着揚陸開始…』、p.10『(三)護衛ノ状況 秋月夏雲ハ専ラ日進千歳ノ護衛ニ任ズルノ外同行駆逐艦ハ往復ノ途次護衛ニ當リ概ネ左ノ隊形ニテ航行セリ』
  143. ^ a b c 南東方面海軍作戦(2)190-191頁『「日進、千歳」の輸送』
  144. ^ 南東方面海軍作戦(2)188-189頁『サボ島沖海戦』
  145. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.41『日進千歳秋月夏雲|一〇-一一|十五榴4、牽引車4、野砲2、弾薬車4、高射砲1、固定無線1、陸兵675、弾薬糧食』
  146. ^ a b #ラバウル海軍航空隊(学研M文庫)148-149頁
  147. ^ #S1709日進戦闘詳報(2)p.13『2307|(将旗)9dg|日進衣笠(将旗)3sd|無線|輸送駆逐隊揚陸終了/2310|戦斗用意(曩ノ交戦海面ニ向ケ)本艦南方航路ヲ行ク「サボ」島北東五浬附近ニ敵味方不明ノ大艦盛ニ誘爆セルヲ認ム』
  148. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.37『敵「ガダルカナル」飛行場及其ノ周辺ニ対スル制圧射撃ノ目的ヲ以テ支援隊(第六戦隊及吹雪初雪)ハ10月11日1200「ショートランド」出撃…』
  149. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.42『第六戦隊、第十一駆(一小隊欠)|一〇-一一|KXI砲撃ノ為進撃中「サボ」島二八〇度一五浬ニ於テ敵巡艦、駆逐艦数隻ヲ發見之ト交戦ス』
  150. ^ #S1612六戦隊日誌(6)pp.34-35『是ニ於テ艦砲ヲ以テスル「ガダルカナル」飛行基地砲撃制圧ノ議案画セラレ10月13日第3戦隊射撃実施ノ予定トナリタルヲ以テソノ前ニ先ヅ當隊ヲ以テ砲撃ヲ実施スベク発令セラレタリ、即チ10月11日第六戦隊、13日第三戦隊、14日鳥海及第六戦隊砲撃実施(尓後15日第五戦隊第二水雷戦隊砲撃ノ発令アリ)ノ予定トナレリ』
  151. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.38『2013増援部隊タル日進錨地着及2030「ガダルカナル」基地気指揮官ヨリ天候快晴ノ電アリシヲ以テ当面ノ天候ヲ突破シ「ガダルカナル」敵飛行場砲撃ヲ決行セントセリ』
  152. ^ a b 南東方面海軍作戦(2)193-195頁『支援隊先制攻撃を受ける』
  153. ^ #S1710四水戦日誌(2)p.16『十二日0056(司令官)6S(宛略)6S機密第120055番電 戦斗速報第六號 エ145地点ケホフ47ニ於テ敵甲巡3以上及駆逐艦数隻ト遭遇交戦十五分概ネ敵ヲ撃破シタルモ陸上射撃不能トナリタルヲ以テ全軍引揚ヲ令ス 被害、青葉砲塔前部使用不可能最大速力32節 古鷹航行不能 衣笠異状ナク航行中』
  154. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.41『初雪ハ会敵後直ニ取舵ニ転舵衣笠ニ続航中ナリシガ二三三〇古鷹ノ救援ニ向ヒ十二日〇〇〇八現場着古鷹沈没ト共ニ人員救助ニ努メタルモ天明後ノ敵機ノ襲来ヲ考慮シテ〇二〇〇救助ヲ打切リ人員五一三名(准士官以上三三名下士官兵傭人四八〇名)ヲ収容ノ後短艇二隻及円材等ヲ残置シ急速中央航路ヲ北上セリ』
  155. ^ #S1709日進詳報(1)p.9『揚陸部隊ハ揚陸続行2250作業終了「ラッセル」諸島西側ヲ通過帰途ニ就ク』
  156. ^ a b c d e f 南東方面海軍作戦(2)200-202頁『「叢雲、夏雲」の喪失』
  157. ^ #S1709日進詳報(2)p.14『0033|日進|(将旗)9dg|無線|九隊ハ衣笠ト會同敵ヲ攻撃々滅スベシ衣笠2400ノ位置「サボ」島ノ296度47浬針路235度速力28節』-p.22『一二|航海中|一.0020白雪叢雲ヲ古鷹救援ニ向ハシム』
  158. ^ a b c #高松宮日記5巻45頁
  159. ^ a b c #S1710四水戦日誌(3)pp.17-18『15日1800(将旗)3sd(宛略)3sd機密第151800番電 SNB ZOB戦斗概報第三號/一.十一日夜6Sノ夜戦ニ際シ直衛d吹雪沈没初雪被弾前部水線上破口荒天航行竝ニ二十四節以上ノ航行危険/二.日進千歳11dg(2D欠)9dg(峯雲欠)ハ増援兵力ヲ「ガ」島ニ揚陸シタル後11dgハ古鷹救援ニ赴キ「ソロモン」諸島南方海面ヲ経テ避退中(2/3未着)一四二〇夏雲沈没叢雲大火災爆發収拾ノ途ナク朝雲白雪乗員ヲ収容シテ一旦避退夜陰ニ乗ジ更ニ叢雲ヲ曳航セントセシモ大火災艦尾切断シテ見込ナク遂ニ之ヲ処分セリ 夏雲戦死駆逐艦長以下十七名 叢雲ハ全員行衛不明』
  160. ^ #海軍駆逐隊(2015)162頁
  161. ^ #S1710四水戦日誌(2)p.18『十二日1440(司令)9dg(宛略)9dg機密第121440番電 一四二七夏雲沈没我乗員ヲ収容避退ス』
  162. ^ a b #わが青春と海軍156頁
  163. ^ 歴史群像2015年2月号136-137頁『ガ島沖で沈没』
  164. ^ #内令昭和17年11月(4)p.25『内令第二千百十八號|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 朧、驅逐艦 夏雲|呉鎮守府在籍 驅逐艦 吹雪、驅逐艦 叢雲|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 昭和十七年十一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  165. ^ #内令昭和17年11月(4)p.25『内令第二千百十七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年十一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「夏雲、」ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「吹雪、」及「、叢雲」ヲ削ル』
  166. ^ #内令昭和17年11月(4)p.24『内令第二千百十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「吹雪型」ヲ「白雪型」ニ改メ同項中「、吹雪」「、叢雲」「、朧」ヲ、同朝潮型ノ項中「、夏雲」ヲ削ル』
  167. ^ #陽炎型(2014)300-301頁『朝雲(あさぐも)』
  168. ^ 昭和17年11月18日(発令10月12日付)海軍辞令公報(号外)第989号 p.27』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088200 
  169. ^ 故海軍大佐塚本守太郎位階追陞ノ件 pp.4-5』 アジア歴史資料センター Ref.A11115329900 

関連項目[編集]