藤波 (駆逐艦)

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松崎艦長と藤波。
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1942年8月25日
進水 1943年4月20日
就役 1943年7月31日竣工
その後 1944年10月26日[1][2]
もしくは10月27日戦没[3][4]
除籍 1944年12月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

藤波(ふじなみ)は、日本海軍駆逐艦[5][3]夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の11番艦である。

概要[編集]

夕雲型駆逐艦「藤波」は日本海軍の駆逐艦[3]太平洋戦争中の1943年(昭和18年)7月末に竣工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属[6]。8月20日より夕雲型駆逐艦で編制された第32駆逐隊に所属[7]。第32駆逐隊は第二水雷戦隊に編入後、各方面の輸送作戦や船団護衛に従事しつつ、1944年(昭和19年)6月下旬のマリアナ沖海戦や、10月中旬以降の捷号作戦レイテ沖海戦)に参加する。10月25日、サマール島沖海戦で重巡洋艦「鳥海」が航行不能になると、「藤波」は鳥海乗組員を救助して退避[8]。だが単艦航行中に米軍機動部隊艦載機の攻撃を受け沈没し、藤波・鳥海乗組員総員が戦死した[3]

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

1939年度(マル4計画)仮称第127号艦として藤永田造船所で建造される。 1943年(昭和18年)3月5日、日本海軍は川崎重工業(神戸川崎造船所)で建造の航空母艦大鳳[9]、藤永田造船所の夕雲型駆逐艦11番艦を藤波[5]三菱重工業長崎造船所で建造の秋月型駆逐艦7番艦を霜月と命名[5]。 さらに3隻(大鳳、藤波、霜月)等は艦艇類別等級表に登録された[10]

7月1日、日本海軍は松崎辰治中佐(海軍兵学校52期)を藤波艤装員長に任命する[11][12]。 7月3日、藤永田造船所内に設置中の藤波艤装員事務所は事務を開始[13]。 7月31日、竣工[3]。松崎艤装員長は制式に藤波駆逐艦長(初代)となる[14]。初代主要幹部は、玉井幸男大尉(機関長)、前田圭造中尉(砲術長)、栗田義文中尉(水雷長)、橋本正熙中尉(航海長)[14]。同日、艤装員事務所を撤去[15]舞鶴鎮守府[16]

第十一水雷戦隊[編集]

1943年(昭和18年)7月31日、竣工した夕雲型11番艦藤波と夕雲型12番艦早波(早波艦長清水逸郎中佐、海兵51期[14][17]は、第十一水雷戦隊に編入[18][6]。 第十一水雷戦隊(司令官木村進少将《海軍兵学校40期》)[19]は駆逐艦の訓練を主任務とする水雷戦隊で[20]、本艦編入の直前に夕雲型10番艦「涼波」(涼波艦長神山昌雄中佐、海兵51期)も[17]、十一水戦に加わっている[21][22]。 内南洋部隊編入中の第6駆逐隊を除き[23][24]、第十一水雷戦隊(龍田、《9月1日附で第9駆逐隊に編入》[24]若月《8月15日附で第61駆逐隊編入》[25]、涼波、早波、藤波、《8月中旬、内地帰投》[26][27])は日本本土で訓練に従事[28][29]

8月17日、主力部隊(戦艦3隻《大和長門扶桑》、空母《大鷹[30] 、巡洋艦3隻《愛宕高雄能代》、駆逐艦部隊《涼風海風秋雲夕雲若月天津風初風》)は呉を出撃、トラックに向かった[31][32]。 第十一水雷戦隊(早波、涼波、藤波、霞)は主力部隊航路前方の哨戒に従事した[33][34]。 8月18日、第十一水雷戦隊旗艦は「龍田」から吹雪型駆逐艦22番艦に変更[35]

8月20日、日本海軍は夕雲型3隻(涼波早波藤波)により第32駆逐隊を編成する[7][36]。 初代第32駆司令は、白露型駆逐艦4番艦夕立初代艦長[37]陽炎型駆逐艦10番艦時津風初代艦長[38]等を歴任した中原義一郎大佐(海軍兵学校48期[39][40](7月8日まで第24駆逐隊司令)[41]

翌8月21日、駆逐艦4隻(響《旗艦》、涼波、藤波、早波)は扶桑型戦艦2番艦山城(横須賀在泊)の内海西部回航を護衛するため[42]、島風型駆逐艦島風の訓練に協力しつつ[43]横須賀に回航[44][29]。8月22日、同地着[45][29]。 8月26日、5隻(山城《第11水雷戦隊旗艦》[46]、響、涼波、藤波、早波)は横須賀を出発[47][48]。8月27日、瀬戸内海に到着した[49][50]。 その後も、第十一水雷戦隊各艦は訓練を実施[51][52][53]

9月30日付で、第32駆逐隊は第二水雷戦隊(司令官高間完少将《海軍兵学校41期》)[54][55]に編入される[24][56]。 引き続き第十一水雷戦隊の指揮を受けた[57]

10月1日、第32駆逐隊に夕雲型9番艦玉波(玉波艦長青木久治中佐、海兵50期[58]が編入され、同隊は夕雲型4隻(涼波、藤波、早波、玉波)を揃えた[59][60]。ただし、玉波は空母隼鷹等を護衛しており、32駆本隊とは別行動である[61]

昭和18年下旬の行動[編集]

9月下旬、連合艦隊は戦艦2隻(山城伊勢)と第十一水雷戦隊により丁三号輸送部隊を編成[62][63]。 10月15日、丁三号輸送部隊(山城《第十一水雷戦隊旗艦》、伊勢《航空戦艦》、龍田《軽巡》、第32駆逐隊《早波、涼波、藤波》は佐伯および豊後水道を出撃[64][65]。 10月20日、トラック諸島に到着[66][67][68]。戦艦搭載の物件を各艦と輸送船4隻に移載[64][69]。 第十一水雷戦隊(龍田《旗艦》[70]、早波、涼波、藤波)は10月20日から23日にかけて第一次ポナペ輸送(ポナペ(ポンペイ島))を実施した[71](23日ポナペ発。24日トラック帰着)[72]。 本艦は第二次ポナペ輸送には参加しなかった[73][74]

10月28日、丁三号輸送部隊は解散[64]。同日附で第32駆逐隊は第二水雷戦隊に復帰する[75][63]。遊撃部隊警戒隊所属[76]。第十一水雷戦隊(龍田、山城、伊勢)は空母2隻(隼鷹雲鷹)等と共に内地へ戻った[64]。 第32駆逐隊(早波、涼波、藤波)は10月29日に高間完少将(第二水雷戦隊司令官)の[77]、10月30日に栗田健男中将(第二艦隊司令長官)の視察を受ける[78]。 10月31日時点の第二水雷戦隊は、阿賀野型軽巡洋艦2番艦能代(旗艦)と島風型島風、第24駆逐隊(海風涼風満潮)、第27駆逐隊(時雨五月雨白露)、第31駆逐隊(大波巻波長波)、第32駆逐隊(早波、涼波、玉波、藤波)で編制され、各地に分散して行動していた[79][68]

11月3日、第二水雷戦隊(能代、涼波、藤波、早波、玉波)は[80]、第二艦隊司令長官栗田健男中将指揮下の重巡洋艦部隊(愛宕《第二艦隊旗艦》、高雄摩耶鳥海鈴谷最上筑摩)と共にトラック泊地を出撃[81][82][83]ラバウルへ進出する[84][85]。 途中、日章丸(昭和タンカー、10,526トン)がカビエン北方約180浬地点で空襲を受けて損傷し[86][83]、2隻(涼波、鳥海)が遊撃部隊から分離して救援に向かった[87][88]

11月5日、第38任務部隊フレデリック・シャーマン少将)はラバウルに対する空襲を敢行した(ラバウル空襲[89]。同日朝6時頃にラバウルへ到着したばかりの栗田艦隊は大打撃を受けた[83][90]。特に摩耶は直撃弾により機関部で火災が発生、航行不能となった[91][90]。藤波には魚雷1本が命中したが、不発だった(戦死1名、負傷9名)[85][90]。 南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将は、ラバウル移動中の2隻(鳥海、涼波)を含めてラバウル所在の重巡洋艦部隊にトラック泊地への撤退を命じた[92][93]。栗田艦隊はトラック泊地へ帰投[94]。修理を必要とする藤波は摩耶等とラバウルに残留した[85]。同時期、タロキナ岬ブーゲンビル島)に対する逆上陸作戦が実施されたが、藤波は修理のため参加できなかった[95]

11月11日早朝、第50.3任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)の増援を受けたアメリカ軍機動部隊は、第2回目のラバウル空襲を敢行した[96][97]。 第二水雷戦隊(能代、第31駆逐隊《大波、長波、巻波》、第32駆逐隊《早波、涼波、玉波、藤波》)はろ号作戦協力のため出動準備を整えていたが[98]、アメリカ軍機動部隊の空襲を予期し[99]、空襲警報を受けてスコールにまぎれながらラバウル港外に脱出しつつあった[100][97]。 このラバウル空襲で阿賀野型軽巡洋艦1番艦阿賀野が魚雷命中により艦尾を切断してしまった[101][97]。 また夕雲型10番艦涼波(第32駆逐隊)も沈没している[88][102]。 夕雲型4番艦長波(第31駆逐隊)が大破し[103][104]、 他数隻に軽微な被害があった[97]

南東方面艦隊(司令長官草鹿任一中将)の下令によりラバウル在泊艦艇(能代、阿賀野、摩耶、長鯨浦風若月風雲、早波、藤波、五月雨)[105][106]はトラック泊地に撤退[97][107]。 退却の途中、アメリカの潜水艦スキャンプ (USS Scamp, SS-277) の雷撃で阿賀野が航行不能となった。第二水雷戦隊(能代、早波、藤波)は摩耶・長鯨護衛を中断、2隻(阿賀野《航行不能》、浦風《臨時十戦隊旗艦》)の救援にあたった[85][97]

一連の経過により、ラバウルに残る第二水雷戦隊は第31駆逐隊(大波、巻波、長波《航行不能状態》)となった[108][97]。このうち夕雲型2隻(大波、巻波)も11月24日のセント・ジョージ岬沖海戦で沈没し[109][110]、長波のみラバウルに取り残された。 また涼波の沈没により第32駆逐隊は3隻編制となったが[111][112]、12月15日附で夕雲型13番艦浜波(浜波艦長本倉正義中佐。時津風沈没時艦長。海兵51期[17]を編入し、定数4隻を回復した[113][114]

トラックに帰投後の第二水雷戦隊(能代、第32駆逐隊《早波、藤波》)はクェゼリン環礁およびウォッジェ環礁への緊急輸送作戦に参加した[85][115][116]。輸送作戦終了後の12月4日、遊撃部隊と分離してサイパン島への輸送に従事[115][117]。 サイパン島とトラック間での船団護衛を行った[118][117]。12月24日、トラック泊地到着[117][119]。 本艦が船団護衛任務従事中の12月15日、第二水雷戦隊司令官高間完少将は第十一水雷戦隊司令官へ転任[120][121]。後任の二水戦司令官は、長門型戦艦1番艦長門艦長早川幹夫少将(早川は、第一次ソロモン海戦時の重巡鳥海艦長)[120][121]

12月23日-24日、陸軍部隊を輸送するため、第五戦隊司令官橋本信太郎少将が指揮する戊二号輸送部隊の5隻(重巡3隻《妙高羽黒利根》、駆逐艦2隻《時雨白露》)は呉を出撃[122]呉を出港[123]。 ところが、時雨(第27駆逐隊司令原為一大佐)が漁船と衝突し修理のため引き返した[124][125]。 12月25日、藤波は戊二号輸送部隊に編入、サイパン方面対潜掃蕩任務を島風型島風(第二水雷戦隊)に引き継ぐ[126][117]。トラック泊地を出動した藤波は、28日に戊二号輸送部隊と合流した[117]。 12月29日[127][128]、藤波を加えた戊二号輸送部隊はトラック泊地に到着する[129][117]

昭和19年の行動[編集]

1944年(昭和19年)1月2日、戊号二号輸送部隊(重巡《妙高、羽黒、利根》、駆逐艦《白露、藤波》)はトラック泊地を出撃[130][131]。4日にカビエンに到着[132][133]。同部隊は第22駆逐隊(文月皐月)の支援を受けていた[134]。アメリカ軍機動部隊艦載機約80機は利根以下戊二号輸送部隊を発見できず、第22駆逐隊(皐月、文月)を襲撃[135]。両艦とも損傷、皐月艦長飯野忠男少佐も戦死した[135]。 1月5日、戊二号輸送部隊は被害なくトラック泊地に戻った[131][136]

1月10日、駆逐艦2隻(藤波、満潮)は大和型戦艦1番艦大和を護衛してトラックを出港[137]。1月15日[138]に帰投した[139][140]。本艦は呉で整備に従事[141][139]。 続いて、横須賀行きの第130乙船団を護衛[142][143]。 2月4日からは第二海上護衛隊の指揮下に入る[143]。 悪天候で待機したあと、2月6日にトラック行きの第3206船団を護衛して館山を出港した[143]。ところが、トラックを目前にした2月16日、3206船団はアメリカの潜水艦タング (USS Tang, SS-306) の雷撃で暁天丸(拿捕船、6,854トン)が沈没した[143][144]。藤波は人員救助と対潜掃討を行った後船団を追ったが、2月17日、トラック西方沖に到達した所でトラック島空襲で飛来してきた第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機の一群につかまり[145]、辰羽丸(辰馬汽船、5,784トン)と瑞海丸(東亜海運、2,812トン)を失った[143]。 2月18日、藤波はトラックに到着した[143][146]。 2月19日から20日、藤波は峯風型駆逐艦9番艦秋風と共に[147]パラオに下がる工作艦明石と標的艦波勝を護衛してトラックを出港[145][143][148]。途中合流の白露型5番艦春雨(第27駆逐隊)を加え、2月24日にパラオに到着した[149][143]。しばらくパラオで待機[150]

だが、パラオにもアメリカ機動部隊の空襲の危機(パラオ大空襲)が迫ってきたため3月29日に第二艦隊栗田健男中将・海兵38期)麾下の第四戦隊(愛宕、高雄、鳥海)や第二水雷戦隊(春雨、白露、満潮、藤波)、大和型戦艦2番艦「武蔵」(連合艦隊旗艦。連合艦隊長官古賀峯一大将、福留繁参謀長はパラオ陸上に残留)[151]と第17駆逐隊(浜風、谷風、浦風、磯風)はパラオを出港してダバオに向かった[152][153]。 しかし出港直後に第17駆逐隊(浜風谷風浦風磯風)が護衛していた武蔵が[154]、アメリカの潜水艦タニー (USS Tunny, SS-282) の雷撃で損傷した[155][151]。 駆逐艦3隻(藤波、満潮、白露)は第17駆逐隊と武蔵護衛任務を交代[156]。4隻(武蔵、白露、藤波、満潮)は艦隊から分離して内地へ向かう[157]。古賀長官が殉職した海軍乙事件[158][159]後の4月3日、武蔵以下4隻(武蔵、満潮、藤波、白露)は呉へ帰投した[160][161]

4月15日、第32駆逐隊司令は中原義一郎大佐から折田常雄大佐(秋月型2番艦照月沈没時艦長)に交代[162][163]。中原大佐は5月8日附で長良型1番艦長良艦長となるが[164]、8月7日の同艦沈没時に戦死した(海軍中将へ特進)[165][166]

その後、藤波は上海に移動し、マニラハルマヘラ島行きの竹一船団の護衛に就く[167]。護衛任務終了後、5月18日にタウイタウイ到着、第二艦隊に合流する[4]6月6日深夜、タウイタウイ近海で睦月型駆逐艦6番艦水無月が対潜攻撃中に消息不明となり(水無月は後にハーダーの雷撃で撃沈された。)[168]、夕雲型12番艦早波(第32駆逐隊司令駆逐艦)も捜索と対潜哨戒のため出動したが[169]6月7日昼頃、早波がアメリカの潜水艦ハーダーUSS Harder, SS-257)の雷撃で撃沈された[168][170]。第32駆逐隊は2隻編制(藤波、浜波)となった[171]。 また早波の沈没時に艦長の清水逸郎中佐[172]と折田大佐(第32駆逐隊司令)が戦死した(海軍少将に進級)[173][174]。第32駆逐隊は、一時駆逐隊司令不在となった。そこで玉波艦長青木久治中佐(海兵50期)[58]が6月15日附で第32駆逐隊司令に転任[175]、早波艦長として着任予定だった千本木十三四中佐(海兵52期)[12]が玉波艦長となった[175]

6月19日のマリアナ沖海戦では[176]、丙部隊(第三航空戦隊、第二艦隊主力)に所属して第二艦隊司令長官栗田健男中将(愛宕座乗)直率の第四戦隊(愛宕《第二艦隊旗艦》、高雄摩耶鳥海)、第三航空戦隊(司令官大林末雄少将:千歳千代田瑞鳳)、第一戦隊(司令官宇垣纏中将:大和武蔵)、第三戦隊(司令官鈴木義尾少将:金剛榛名)、第七戦隊(司令官白石万隆少将:熊野鈴谷利根筑摩)、第二水雷戦隊(司令官早川幹夫少将:旗艦《能代》、第31駆逐隊《長波岸波朝霜沖波》、第32駆逐隊《藤波、玉波、浜波》、附属《島風》)と行動を共にする[177][178]。 海戦は惨敗[179]。前衛部隊は、6月20日の戦闘で3隻(千代田、榛名、摩耶)に爆弾命中や至近弾による損害があった[180][181]。 日本艦隊は6月22日に中城湾に入港[182][183]。翌23日、第32駆逐隊(玉波、藤波)は出港、6月25日にマニラに到着した[184]。さらに昭南に回航された[184]

7月2日以降、球磨型軽巡洋艦3番艦北上と第32駆逐隊(玉波、藤波)は[185][186]、昭南からマニラ経由で日本に向かう旭東丸飯野海運、10,051トン)の護衛に従事した[187][188]。 ところが7月7日未明、マニラ到着を目前にアメリカの潜水艦ミンゴ (USS Mingo, SS-261)[168]の雷撃で玉波が沈没している[189][190](青木32駆司令戦死、千本木艦長戦死)[191][192]。 第32駆逐隊は夕雲型2隻(藤波、浜波)となった[193]。 同日、北上以下船団はマニラに到着[190][194]。北上は修理のためマニラに残留した[195][196]。 7月10日、駆逐艦3隻(藤波、夕凪)は[197]、旭東丸と速吸を護衛してマニラを出港[198]。5隻(旭東丸、速吸、藤波、響、夕凪)はサンベルナルジノ海峡を経由して[199]、7月17日に呉に帰投した[200]

8月8日大鷹型航空母艦1番艦大鷹[201][202]駆逐艦3隻(藤波夕凪朝風《マニラ合流》)と海防艦9隻とともに、タンカー4隻(速吸帝洋丸《日東汽船、9,849トン》、永洋丸《8,627トン》、あづさ丸、帝亜丸帝国船舶、元フランス船アラミス/日本郵船委託、17,537トン》)、陸軍特殊船、貨物船、給糧艦伊良湖などからなる重要船団『ヒ71船団』(指揮官:第六護衛船団司令官梶岡定道少将)は門司を出撃[203][204]馬公で加入船の顔ぶれを少し改めた後、8月17日朝に出港[205][201]8月18日朝、被雷した永洋丸と同船護衛を命じられた夕凪が分離[201][206]。 つづいて同日夜、バシー海峡からルソン島沿岸に至るまでの間にアメリカのラッシャー (USS Rasher, SS-269) 、ブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) 、スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) の3隻の潜水艦の猛攻を受け大鷹・速吸・帝亜丸・帝洋丸・陸軍特殊船玉津丸大阪商船、9,589トン)が沈没して大混乱に陥った[207][208][206]。 藤波もなんとかマニラに到着して船団を再構成し、8月25日に出港した。しかし、マニラから新たに加わったタンカーの旭邦丸(飯野海運、10,059トン)が故障を起こして船団から一時脱落し、再合流するまで「旭邦丸」の護衛にあたった[209]。船団は9月1日に昭南に到着し[209]、藤波はその後リンガ泊地で第二艦隊に合流した。

藤波が航海中の8月25日、白露型6番艦五月雨の座礁沈没により[210]同型2番艦時雨1隻となった第27駆逐隊より、同駆逐隊司令大島一太郎大佐(海兵50期)が第32駆逐隊司令に任命される[211][58]。当時の第32駆逐隊は前述のように消耗を続け、夕雲型2隻(浜波、藤波)だけになっていた[212]

沈没[編集]

10月18日、捷一号作戦発動に伴って、第二艦隊司令長官栗田健男中将(旗艦愛宕)を指揮官とする第一遊撃部隊はリンガ泊地から出動し[213]ブルネイ湾英語版で補給の後[214]、10月22日に出撃した[215][216]レイテ沖海戦における藤波は、第一遊撃部隊第一部隊(第四戦隊《愛宕、高雄、鳥海、摩耶》、第一戦隊《大和、武蔵、長門》、第五戦隊《妙高、羽黒》、第二水雷戦隊《能代、島風、第2駆逐隊〔早霜、秋霜〕、第31駆逐隊〔岸波、沖波、朝霜、長波〕、第32駆逐隊〔藤波、浜波〕)に属して戦闘に参加した[217]10月23日、アメリカの潜水艦2隻(ダーターデ―ス)の襲撃により第四戦隊の高雄型重巡洋艦3隻は大打撃を受けた(沈没《愛宕、摩耶》、大破《高雄》)[218][219]。高雄および護衛の31駆2隻(朝霜、長波)はブルネイに向け退避を開始[220][221]。残存した鳥海は第五戦隊(司令官橋本信太郎少将)の指揮下に入った[222][223]。また愛宕脱出後の栗田艦隊司令部(栗田長官、小柳冨次参謀長等)は岸波を経て大和(第一戦隊旗艦)に移乗、同艦より指揮をとる[224][225]

10月24日のレイテ沖海戦・シブヤン海空襲では栗田長官(大和座乗)の第一部隊(第一戦隊《大和武蔵長門》、第五戦隊《妙高羽黒鳥海〔臨時編入〕》、第二水雷戦隊《能代〔旗艦〕、第2駆逐隊〔早霜秋霜〕、第31駆逐隊〔岸波沖波〕、第32駆逐隊〔浜波藤波〕、島風型〔島風〕》)としてアメリカ軍機と交戦[226]、武蔵が沈没[227]、3隻損傷離脱(妙高、浜風、清霜)という損害を受けた[228][229]

10月25日、サマール沖海戦により栗田艦隊は重巡洋艦3隻(鈴谷、筑摩、鳥海)が航行不能となり[230]、熊野と早霜が大破して戦場を離脱した[8][231]。 沖波は鈴谷の救援[232]野分は筑摩の救援[233][234]、藤波は鳥海の救援を命じられ、それぞれ航行不能各艦に向かった[235][236]。 19時17分、第一遊撃部隊指揮官(栗田中将)は、航行不能艦の処分許可と警戒艦のコロン湾回航を命じる[237][238]。藤波は鳥海の乗組員を救助後[8]、夜になり鳥海の雷撃を実施した[239][240]。栗田艦隊本隊から落伍しつつ最上型4番艦熊野警戒艦に指定され[241]コロン島に帰投することとなった[242][243]。 翌日、救援艦2隻(藤波、野分)は撃沈されたため、4隻(鳥海、筑摩、藤波、野分)がどのようにして沈没したのか、詳細は不明である[244][245]。沖波・鈴谷生存者の記録によれば藤波の沈没状況は以下のとおりである。

10月26日14時、救助した鈴谷乗組員(約400名)を満載して単艦航海中の沖波は、セミララ島(ミンドロ島南方)に座礁した夕雲型17番艦早霜(第2駆逐隊)を発見して接近[246][1]。沖波は乏しい燃料の中から早霜に対し燃料補給を開始する[246][1]。 この時、2隻(早霜、沖波)は藤波が約10km程沖合を西方向に航行するのを発見した[1]。14時30分、藤波は空襲を受け早霜、沖波の目前で轟沈した[1]。藤波・鳥海ともに1人の生存者もいなかったという[244][245]。またアメリカ軍機も2隻を襲ってきたため、沖波は横付を離して回避した[246]。単艦でコロン島へ向かった[247]。 同時刻、ミンドロ島南方では最上型重巡洋艦4番艦熊野(第七戦隊)が空襲を受け航行不能となっていた[248][2]。熊野からは新たに出現した敵機約40が熊野には近づかず、水平線上の別目標に急降下爆撃を行う光景が見えたという[249]

こうして藤波・鳥海乗組員は全滅した。同様に、筑摩の乗組員を救助して退避中の野分もハルゼー提督直率の米水上艦隊に補足され、撃沈された[250][245](野分乗組員全滅。筑摩乗組員も、航空機搭乗員以下数名をのぞき全員戦死)[251]。第一戦隊司令官宇垣纏中将は陣中日誌「戦藻録」において、10月26日の戦闘を以下の様に記述している[2]

敵は敗殘艦處分の戰勝氣分にて殘す所なく掃除す。地を代へて我も其の時代ありしなり。 — 宇垣纒、戦藻録 429ページ

同日夕刻、第十六戦隊(鬼怒浦波)救援のため陽炎型駆逐艦2番艦「不知火」(第一水雷戦隊、第18駆逐隊司令駆逐艦)はコロン湾を出撃[252]10月27日、不知火はセミララ島近海で擱座した早霜を発見、救援中に米軍機動部隊艦載機の攻撃を受けて撃沈された(第18駆逐隊司令および不知火全乗組員戦死)[253][254]。また一部文献によると、藤波は早霜を救援しようと試みた結果10月27日[4]になって不知火と共に撃沈されたとする[253][245]

11月11日、多号作戦に従事していた浜波も空襲により島風や長波と共にオルモック湾で沈没した[255]。 11月15日、第32駆逐隊は解隊された[256]。書類上在籍していた浜波は第31駆逐隊に転出、同隊は夕雲型駆逐艦4隻(長波《11月11日沈没》、岸波《12月4日沈没》[168]沖波《11月13日大破着底》、浜波《11月11日沈没》)編制となった[256]。 12月10日、藤波は夕雲型駆逐艦[257]、 帝国駆逐艦籍[258]より除籍された。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 松崎辰治 中佐:1943年7月1日[11] - 1943年7月31日[14]
駆逐艦長
  1. 松崎辰治 中佐:1943年7月31日[14] - 1944年10月27日 戦死、同日付任海軍大佐[259]

参考文献[編集]

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脚注[編集]

  1. ^ a b c d e #S士官の手記続編p.7『(ホ)筑摩、野分、鳥海、藤波ノ消息ニ關シ 2000/10 25沖波北上中「サマール」接岸ニテ二隻航行中ナリシヲ認メタリ速力10k?ト認メタリ右ハ筑野ナルヤ鳥藤ナルヤ不明 1000/25集結時鳥海ハ「出シ得ル速力16k」更ニ「出シ得ル速力8k」ノ信號アリ又筑摩ハ「我航行不能」ノ信號アリ 1400/26「ミンドロ」島前方「セミララ」島海岸ニ於テ沖波ハ早霜ニ重油50Tヲ補給中「ミンドロ」島寄リニ藤波ノ西航スルヲ認メ(約一〇〇〇〇米)タルモ1430/26敵fbノ攻撃ヲ受ケツツアリシヲ確認間モナク轟沈ラシキ火焔黒煙ヲ認メタリ當時藤波ハ單艦ニシテ既ニ鳥海ハ藤波魚雷ニテ處分シアリキ』
  2. ^ a b c #戦藻録(1968)428-429頁『十月廿六日 木曜日 晴 決戰第三日(略)損傷に依り自力馬尼刺に向ひつゝありし熊野はミンドロ島西岸に於て敵機の攻撃を受け損傷増加し、警戒に當れる驅逐艦も鳥海生存者と共に沈没するに至れり』
  3. ^ a b c d e #秋月型(潮2015)224頁『藤波(ふじなみ)』
  4. ^ a b c #ハンディ判艦艇写真集17(駆逐艦『陽炎型・夕雲型・島風』行動年表)p.137◆藤波◆
  5. ^ a b c #達昭和18年3月pp.3-4『達第四十二號 昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦二隻、海防艦一隻、驅潜艇二隻及特務艇三隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十八年三月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 藤波(フヂナミ)|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 霜月(シモツキ)|三菱重工業會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號第四十一潜水艦、呂號第四十三潜水艦|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 海防艦 六連(ムツレン)|函館船渠株式會社ニ於テ建造 第四十五號驅潜艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第四十八號驅潜艇|佐野安船渠株式會社ニ於テ建造 第十九號掃海特務艇|三菱重工業株式會社彦島造船所ニ於テ建造 第二十一號掃海特務艇|株式會社横濱ヨット工作所ニ於テ建造 第十號魚雷艇』
  6. ^ a b #S1804十一水戦(2)p.44『三一(天候略)藤波早波當隊ニ編入 旗艦復帰(一五〇〇)』
  7. ^ a b #内令昭和18年8月(3)p.24『内令第千七百七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年八月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第三十二驅逐隊|涼波、藤波、早波| 』
  8. ^ a b c #捷号第1遊撃部隊(1)p.45『一二〇六|1YB機密二五一二〇六番電 航空攻撃目標竝ニ成果速報アリ度 此ノ日〇七〇〇頃ヨリ一六三〇ニ至ル間十一次ニ亘ル延機数四五〇機ノ熾烈ナル雷爆撃ヲ受ケ熊野鈴谷筑摩鳥海早霜ニ相当ノ損害アリ 当時四周ノ敵情ニ鑑ミ損傷艦ハ極力自力航行ニ努ムルモ見込ナキモノハ艦ヲ處分シ乗員ヲ警戒艦ニ収容ノ上「コロン」ニ向ハシメタリ 即チ熊野早霜ハ單独航行、鈴谷乗員ハ沖波ニ鳥海乗員ハ藤波ニ夫々収容「サマール」島接岸航路ヲ採リ「サンベルナルヂノ」海峡ニ向ヘリ 野分ハ筑摩ノ救援ニ向ハシメタルモ爾後消息不明ナリ』
  9. ^ #達昭和18年3月pp.2-3『達第四十一號 川崎重工株式會社ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十八年三月五日 海軍大臣嶋田繁太郎 軍艦 大鳳(タイホウ)』
  10. ^ #内令昭和18年3月(1)pp.44-45『内令第三百九十三號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十八年三月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦ノ部中「龍鳳」ノ下ニ「、大鳳」ヲ加フ|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「涼波」ノ下ニ「、藤波」ヲ、同秋月型ノ項中「若月」ノ下ニ「、霜月」ヲ加フ|潜水艦、二等呂三十五型ノ項中「呂號第四十」ノ下ニ「、呂號第四十一」」ヲ、「呂號第四十二」ノ下ニ「、呂號第四十三」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「隠岐」」ノ下ニ「、六連」ヲ加フ|驅潜艇、第十三號型ノ項中「第四十四號」ノ下ニ「、第四十五號」「、第四十八號」ヲ加フ』
  11. ^ a b 昭和18年7月1日(発令7月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1162号 p.4松崎補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092000 
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  13. ^ 昭和18年7月15日(水)海軍公報(部内限)第4440号 p.35』 アジア歴史資料センター Ref.C12070432400 『○事務開始 六連艤装員事務所ハ六月二十八日大阪市此花區櫻島日立造船株式會社ニ於テ事務ヲ開始セリ|藤波艤装員事務所ハ七月三日大阪市住吉區柴谷町四四番地藤永田造船所内ニ於テ事務ヲ開始セリ』
  14. ^ a b c d e 昭和18年7月31日(発令7月31日付)海軍辞令公報(部内限)第1180号 p.47清水(補早波艦長)、p.48松崎(補藤波艦長)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092200 
  15. ^ 昭和18年8月7日(土)海軍公報(部内限)第4460号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C12070433200 『○事務所撤去 對島艤装員事務所ハ七月二十八日撤去セリ|驅逐艦早波艤装員事務所ハ七月三十一日撤去セリ|伊號第四十潜水艦艤装員事務所ハ七月三十一日撤去セリ|藤波艤装員事務所ハ七月三十一撤去セリ|六連艤装員事務所ハ七月三十一日撤去セリ』
  16. ^ #内令昭和18年7月(6)p.22『内令第千五百五十六號 驅逐艦 藤波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|海防艦 六連 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|呉鎮守府在籍 海防艦 六連 右警備海防艦ト定メラル|昭和十八年七月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  17. ^ a b c 大正12年07月16日 官報第3288号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955411 p.2清水逸郎(補少尉候補生)《371中段》・本倉正義(補少尉候補生)《371下段》、p.3神山補少尉候補生《372中段》
  18. ^ #S1807舞鎮日誌(1)p.92『三十一日一三三〇總長(宛略)戰時編制中改正ノ件 七月三十一日附(本府關係 藤波、早波ヲ11sdニ編入)』
  19. ^ 明治45年07月18日 官報第8724号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952081 p.2木村補少尉候補生
  20. ^ #S1804十一水戦(2)p.24『(三)作戰指導其ノ他 主トシテ内海西部ニ在リ全作戰支援竝ニ新造驅逐艦ノ急速練成戰備促進諸訓練ノ指導護衛ニ從事』
  21. ^ #S1804十一水戦(2)p.35『二七日一六一三軍令部総長(宛略)昭和十八年度帝國海軍編制中左ノ通改定セラル 七月二十七日附涼波ヲ11sdニ編入』
  22. ^ #S1807舞鎮日誌(1)p.87『廿七日一六三一總長(宛略)二十七日附 戰時編制中改定 涼波ヲ第十一水雷戰隊ニ編入』
  23. ^ #S1804十一水戦(3)pp.3-4『備考 6dg(響缺)内南洋部隊ニ編入中 響ハ八月三日附北方部隊ヨリ復帰ス』
  24. ^ a b c #S1804十一水戦(4)p.4『備考 6dg(響缺)内南洋部隊ニ編入中/霞 九月一日附9dgニ編入/山雲 九月十五日附4dgニ編入/32dg 九月三十日附2sdニ編入』
  25. ^ #S1804十一水戦(3)p.19『十五日〇〇〇〇大臣(宛略)十五日附駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 第六十一駆逐隊ノ項中ニ若月ヲ加フ』
  26. ^ #S1804十一水戦(3)p.34『九(天候略)響横須賀着一〇四三』
  27. ^ #S1804十一水戦(3)p.19『十六日一七三五11sd旗艦(宛略)機密一六一七三五番電 響呉着』
  28. ^ #S1804十一水戦(2)p.26『(四)麾下艦船ノ行動』
  29. ^ a b c #S1804十一水戦(3)p.5『(四)麾下艦船ノ行動』
  30. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.51『一七日〇六〇〇(長官)2F(宛略)2F機密第一六二三二一番電 「トラツク」回航ニ關スル機密AdB命令要旨 一.第二軍隊區分(主力部隊ト合同後)區分指揮官兵力ノ順 主隊直率4S(摩耶缺)大鷹警戒隊(司令官)2sd 2sd(能代)24dg(涼風海風)秋雲(以下略)』
  31. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.4『(三)2sd(能代)ハ十六日主力部隊(長官1F直率)ノ指揮下ニ入リ主力部隊ノ警戒隊(司令官2sd、2sd(能代)初風天津風)トナリ十六日呉出撃八島假泊(海風ト合同佐鎮五特、便乗者一部移載)十七日假泊發十八日一一〇〇(長官)2F直率部隊(24dg(涼風)ヲ含ム)ト合同(指揮官)YBノ麾下(YB警戒隊)トナリ二十三日「トラツク」着』
  32. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.60『二三日一一五五(長官)1F(宛略)1F機密第二三一〇一九番電 大和長門扶桑愛宕高雄能代24dg(涼風海風)11dg(秋雲夕雲)天津風若月初風ヲ率ヒ「トラツク」着二三日〇七四五』
  33. ^ #S1804十一水戦(3)p.18『十四日一五〇〇11sd司令官(宛略)機密第一四一五〇〇番電 信電令作第九號 一.早波涼波藤波霞ハ先任指揮官之ヲ指揮シ明後十六日徳山ニ於テ燃料補給ノ上十七日天明時ヨリ日没時迄沖ノ島ノ五〇浬圏内主力部隊出撃航路附近ノ敵潜相当ヲ實施スベシ/二.右任務終了セバ徳山錨地ニ入泊スベシ』
  34. ^ #S1804十一水戦(3)p.20『十六日0600早波駆逐艦長(宛略)早波涼波藤波霞徳山経由豊後水道沖ニ向ケ桂島発』
  35. ^ #S1804十一水戦(3)p.36『一八(天候略)〇二〇〇霞早波藤波涼波徳山着 一〇〇〇響呉発一五三〇徳山着|旗艦ヲ響ニ変更ス』
  36. ^ #S1804十一水戦(3)pp.22-23『二十日〇〇一一大臣(宛略)二十日附 一.駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 第三十一駆逐隊ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ 第三十二駆逐隊 涼波 藤波 早波/二.以下省略』
  37. ^ 昭和11年11月04日 官報第2953号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959435 p.7
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  39. ^ 大正9年07月17日 官報第2388号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954501 p.3中原補少尉候補生《411》
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  42. ^ #S1804十一水戦(3)p.20『十七日一〇二六番電1F長官(宛略)一.山城ハ水上訓練部隊指揮官ノ定ムルトコロニ依リ内海西部ニ回航所定ノ任務ニ從事スベシ/二.第十一水雷戰隊司令官ハ之ガ護衛ニ任ズベシ』
  43. ^ #S1804十一水戦(3)p.36『二一(天候略)響32dg0630出港引続キ出撃横須賀ニ向フ|響32dg魚雷発射 島風研究発射側方警戒 敵潜掃討』
  44. ^ #S1804十一水戦(3)p.23『二十一日一三四三11sd司令官(宛略)響、三十二駆ヲ率ヰ横須賀ニ向ケ内海西部発』
  45. ^ #S1804十一水戦(3)p.24『二十二日一三四五11sd司令官(宛略)當隊(響、三十二駆)横須賀着』
  46. ^ #S1804十一水戦(3)p.26『二十六日〇八〇五11sd司令官(宛略)将旗ヲ一時山城ニ移揚セリ』
  47. ^ #S1804十一水戦(3)p.27『二十六日一二三二11sd司令官(宛略)山代響第三十二駆逐隊ヲ率ヰ内海西部ニ向ケ横須賀発』
  48. ^ #S1804十一水戦(3)p.37『二六(天候略)〇九〇〇響32dg山城一二三〇横須賀発|山城護衛ノ爲響32dg出撃』
  49. ^ #S1804十一水戦(3)p.27『二十七日二一四〇11sd司令官(宛略)山城響32dgヲ率ヰ内海西部着』
  50. ^ #S1804十一水戦(3)p.37『二七(天候略)響32dg二一三〇桂島着|山城護衛出撃響32dg』
  51. ^ #S1804十一水戦(3)p.37『三〇(天候略)響〇七三〇桂島出港 32g一二三〇出港 八島一八二〇假泊|響曳的艦 32dg主砲晝間射撃』-『三一(天候略)〇七三〇響32dg八島出港 響徳山入港一七五〇 山雲横須賀発一六〇〇|響32dg対空射撃 對空戰斗教練( ) 山雲出撃護衛』
  52. ^ #S1804十一水戦(4)p.5『(四)麾下艦船ノ行動』
  53. ^ #S1804十一水戦(4)p.28『二二|八島|龍田三十二駆八島發(〇六三〇)|龍田三十二駆對空射撃 三十二駆昼間教練射撃』
  54. ^ 大正2年12月20日 官報第420号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952520 p.3高間補少尉候補生《501上段》
  55. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.14『(一)司令部(イ)職員官氏名』
  56. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.13『(四)麾下艦船部隊ノ行動』
  57. ^ #S1806二水戦日誌(3)p.10『(8)32dg(早波涼波藤波)三十日附2sdニ編入同日附YBヨリ除カレ丁三號輸送部隊ニ編入引續キ11sd司令官ノ指揮ヲ受ク』
  58. ^ a b c 大正11年6月2日(金)官報第2949号。国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955066 p.14大島一太郎補少尉候補生《58中段》、青木久治補少尉候補生《59中段》
  59. ^ #内令昭和18年10月(1)p.11『内令第二千三十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月一日海軍大臣嶋田繁太郎|第二十七驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、五月雨」ヲ加フ|第三十二驅逐隊ノ項中「早波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ』
  60. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.2『(イ)一般(略)一日附玉波32驅ヘ五月雨27驅ヘ編入セラル』
  61. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.8『玉波 一日附三二驅ニ編入隼鷹他二隻ヲ護衛四日内海西部五日呉着十三日呉發シ佐伯ニ回航十四日隼鷹雲鷹ヲ護衛同發十九日「トラツク」着爾後「トラツク」ニ在リテ待機』
  62. ^ #S1804十一水戦(5)p.3『(二)我軍ノ状況 九月二十六日聯合艦隊機密第二四二一五一番電ニ依リ第十一水雷戰隊(龍田)第三十二驅逐隊((司令)早波涼波藤波)山城伊勢ヲ以テ丁三號輸送部隊ヲ編成セラル 丁三號輸送部隊ハ九月二十八日呉入港戰備作業(山城十月八日入渠同十二日出渠)補給訓練(龍田伊勢ハ十月七・八日伊勢灘出動)ニ從事シタル後伊勢ハ十月九日龍田第三十二驅逐隊ハ同十二日山城ハ同十三日夫々宇品ニ回航 陸軍山中部隊ノ一部二,四三〇名及附随物件二,四五七立米ヲ収容シ佐賀関沖ニ集結ヲ完了ス』
  63. ^ a b #S1806二水戦日誌(4)p.8『(4)第三十二驅逐隊(早波涼波藤波)内海西部ニ在リテ待機整備(出撃準備)十二日宇品ニ回航丁三號輸送部隊ニ編入十三日佐伯ニ回航十五日同發二十日「トラツク」着陸軍甲支隊ヲ移載「ポナペ」ニ向ケ「トラツク」發二十三日「ポナペ」着即日同發二十四日「トラツク」着二十六日早波涼波第二次「ポナペ」輸送ノ爲「トラツク」發二十七日「ポナペ」着即日同發二十八日「トラツク」着同日附畫艦共YB警戒隊ニ編入』
  64. ^ a b c d #S1804十一水戦(5)p.4『本職十月十一日山城ニ将旗ヲ移揚シ十五日一〇〇〇豊後水道西掃海水道出撃二十日一三〇〇「トラツク」ニ進出本職将旗ヲ龍田ニ復帰ス 山城伊勢搭載物件ハ逐次龍田第三十二駆逐隊竝ニ輸送船團(山霜丸、日豊丸、第十八御影丸、第二永興丸)ニ移積ノ上本職之ヲ指揮シ「ポナペ」ニ輸送、龍田「トラツク」歸投時十月二十八日ヲ以テ丁三號輸送部隊ノ任務ヲ解カル|(2)二十八日附聯合艦隊電令作第七七八號ニ依リ本職内地回航部隊(龍田、山城、伊勢、隼鷹、雲鷹、利根)第二十四駆逐隊〔海風涼風〕谷風第七駆逐隊〔曙〕)ヲ指揮シ三十一日「トラツク」發内地ニ回航セリ』
  65. ^ #S1804十一水戦(5)p.21『十五日〇六〇〇11sd司令官(宛略)山城伊勢龍田三十二駆(缺玉波)「トラツク」ニ向ケ内海西部発』
  66. ^ #S1804十一水戦(5)p.6『(四)麾下艦船ノ行動』
  67. ^ #S1804十一水戦(5)p.28『二十日一三〇〇11sd司令官(宛略)山城伊勢龍田三十二駆(玉波缺)「トラツク」着』
  68. ^ a b #S1806二水戦日誌(4)p.12『(四)麾下艦船部隊ノ行動』
  69. ^ #S1804十一水戦(5)pp.24-27『十八日二〇三〇GF参謀(宛略)甲支隊ハ龍田32dg(玉波缺)ノ外マーシヤル諸島方面船団ヲ利用左ニ依リ「ポナペ」輸送ノ如ク手配済ニ付「トラツク」着後速ニ荷役ヲ開始シ得ル如ク準備方取計ハレ度(以下略』
  70. ^ #S1804十一水戦(5)p.30『二十一日一二一〇11sd司令官(宛略)将旗ヲ龍田ニ復歸セリ』
  71. ^ #S1804十一水戦(5)p.32『二十日〇八〇〇11sd司令官(宛略)龍田三十二駆(缺玉波)「ポナペ」ニ向ケ発』-『二十三日一五〇五11sd司令官(宛略)龍田三十二駆(玉波缺)〇六〇〇「ポナペ」着一五〇〇「トラツク」ニ向ケ発』
  72. ^ #S1804十一水戦(5)p.34『二十四日一三一三11sd司令官(宛略)龍田三十二駆(缺玉波)「トラック」着』
  73. ^ #S1804十一水戦(5)p.34『二十六日〇七三五11sd司令官(宛略)龍田早波涼波「ポナペ」ニ向ケ発』
  74. ^ #S1804十一水戦(5)p.48『二十八日(天候略)龍田32dg(藤波玉波缺)一三〇〇「トラツク」着(略)丁三號輸送部隊ノ編制ヲ解カル』
  75. ^ #S1804十一水戦(5)p.39『二十八日2sd旗艦(宛略)×サヨ× 一.本日附三十二駆(早波涼波藤波)ヲ原隊ニ復帰セシメラル豫定』
  76. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.11『二十八日 三二驅(早波涼波藤波)YB警戒隊ニ編入(丁三號輸送隊ヨリ)』
  77. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.84『二九(天候略)司令官32dg(早波涼波藤波)巡視/五月雨敵大編隊來襲ノ爲出撃5Sノ直衛ニ就キ之ト交戰セルモ被害ナク入港』
  78. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.84『三〇(天候略)長波一三三〇「トラツク」発/島風一四五〇「トラツク」発|島風日章丸東亜丸ヲ礁外二〇〇浬迄護衛ノ爲「トラツク」発/長波1sf基地員物件輸送ノ爲「ラバウル」ニ向ケ「トラツク」発|2F司令長官 32dg(早波涼波藤波)巡視』
  79. ^ #S1806二水戦日誌(4)p.11『十月三十一日現在 二水戰(能代巻波二四驅(海風涼風満潮)三二驅(早波涼波玉波藤波)島風YB警戒隊二七驅(時雨五月雨白露)NTB SNB 2SYB三一驅(大波長波)NTB』
  80. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.25『二日(司令官)2sd(宛略)機密二水戰命令作第一〇七号中島風ヲ削除シ左ノ通改ム 三.直衛区分 第一群 能代(0) 涼波(11) 藤波(13)/第二群 早波 玉波/六 探知 島風ヲ除キ三時間交代トス』
  81. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.17『(四)麾下艦船部隊ノ行動』
  82. ^ #叢書96ガ島撤収後396-397頁『栗田部隊のラバウル進出決定』
  83. ^ a b c #叢書96ガ島撤収後397-399頁『ラバウル進出と逆上陸計画との絡み合い』
  84. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.4『(1)上旬(略)更ニYBノ大部ヲ以テ増援ニ決シ三日2sd(能代32驅(早波玉波藤波涼波))YB指揮官ト共ニ「トラツク」出撃出撃後NTBニ編入セラル』
  85. ^ a b c d e #S1806二水戦日誌(5)p.10『(3)32驅(早波、藤波)「トラツク」在泊中一、二日不要物件陸揚出撃準備實施/三日32驅(早波玉波藤波涼波)「トラツク」出撃即日NTBニ編入セラル四日涼波分離五日「ラバウル」着敵數十機以上ト交戰|戰果 敵機撃墜三(一不確實)藤波/同各一 一 早波、玉波/被害 藤波雷撃(不發)ニヨリ船体軽微ナル被害 戰死一 負傷九 其ノ他ナシ|六日32驅(早波)B號作戰第二支援隊トシテ参加、藤波「ラバウル」残留/七日同歸着作戰終了/八日ヨリ十日迄敵飛行機來襲屡港外ニ出撃ス/十一日敵大編隊來襲之ト交戰 涼波沈没 早波、藤波被害ナシ|戰果 早波藤波撃墜 各一|同日夕刻NTB電令作第三二號ニ依リ「トラツク」回航部隊護衛ノ爲出撃途中敵機ノ觸接爆撃ヲ受クルモ被害ナシ/十二日2sd(能代)ト共ニ阿賀野救援ニ向ヒ對潜掃討、警戒ニ從事十五日「トラツク」着十六日NTBヨリ除カレYB警戒隊ニ復歸ス/二十四日YB警戒隊トシテ「クエゼリン」ニ向ケ出撃二十六日同着 二十八日輸送物件(陸兵及物件)搭載二十九日打合三十日「クエゼリン」發 同日「イミエジ」着揚搭後「ウオツヂエ」行基地物件搭載』
  86. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.14『島風 日章丸、日榮丸船團ヲ護衛一日「トラツク」着二日同「トラツク」發途中敵機ト交戰日章丸被弾、日榮丸先行五日「ラバウル」着夕刻4S 7S等ヲ護衛「ラバウル」發途中敵潜ト戰闘八日「トラツク」着(以下略)』
  87. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.26『四日一三〇〇(指揮官)YB(宛略)NTB機密第〇四〇六四二番電及機密第〇四〇九〇〇番電関聯涼波鳥海ヲ派遣ス』
  88. ^ a b #S1806二水戦日誌(5)p.11『涼波 三日「トラック」出撃迄31驅(早波、玉波、藤波)ニ同ジ 四日日章丸護衛ノ爲分離16驅司令ノ指揮ヲ受ケ同船警戒救難五日「ラバウル」着同日夕刻4S護衛「ラバウル」發七日「トラック」着即日「トラック」發九日「ラバウル」着、十一日敵機来襲ノ際「ラバウル」灣口附近ニ於テ交戦一機ヲ撃墜セルモ被雷撃及魚雷ノ誘爆ニ依リ〇七〇七沈没』
  89. ^ #ニミッツの太平洋海戦史185頁
  90. ^ a b c #叢書96ガ島撤収後399-400頁『米空母機による第一次被空襲と被害―十一月五日』
  91. ^ #摩耶(学研M)189-192頁
  92. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.30『五日(指揮官)YB(宛略)鳥海涼波ハ「ラバウル」入港ヲ止メ「トラツク」ニ帰投セヨ』-『五日1955(長官)YB(宛略)4S(摩耶鳥海欠)7S(鈴谷)8S(筑摩)島風ヲ率ヒ「トラツク」ニ向ケ「ラバウル」発』
  93. ^ #叢書96ガ島撤収後400頁『重巡部隊のトラック帰投』
  94. ^ #第八戦隊日誌(7)pp.40-41『(二)遊撃部隊ハ三日〇七三〇「トラック」出撃「ラバウル」ニ進出南東方面部隊作戦ニ従事シ七日一三〇〇「トラック」ニ帰投ス』
  95. ^ #叢書96ガ島撤収後401-402頁『タロキナ北方上陸の成功』
  96. ^ #ニミッツの太平洋海戦史186頁
  97. ^ a b c d e f g #叢書96ガ島撤収後414-415頁『邀撃作戦と艦艇の被害』
  98. ^ #S1806二水戦日誌(6)pp.40-41『二、計畫 第二水雷戰隊(《旗艦》能代、第三十一驅逐隊《司令大波長波巻波》第三十二驅逐隊《司令早波涼波藤波》)ハ南東方面部隊襲撃部隊ニ編入サレ「ろ」號作戰ノ爲待機警泊中ノ處右ノ形勢ニ備ヘ常ニ出撃ノ準備ヲ完成シ敵ノ大空襲ニ際シテハ猶豫ナク港外ニ避航スル計畫ナリ』
  99. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.42『〇六三〇|敵機動部隊ノ熾烈ナル艦船攻撃ヲ豫期シ直ニ港外ニ向ケ出動ス』
  100. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.43『〇六五九|陸上對空砲火ノ發砲ヲ聞ク「ラバウル」灣外相當廣範圍ノ「スコール」アリ之ヲ利用シテ敵機ノ空襲回避ニ努ム』
  101. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.47『〇七二五|阿賀野後部ニ魚雷一本命中位置デューオブヨーク島沖』
  102. ^ #秋月型(潮2015)224頁『涼波(すずなみ)』
  103. ^ #S1806二水戦日誌(5)pp.12-13『長波 一日一航戦基地物件輸送「ラバウル」着同日NTB OSYBニ編入午後出港「ブーゲンビル」島沖海戦ニ参加 二日歸投敵機ト交戦撃墜五機人員兵器異常ナシ 同五日同ジク「ラバウル」ニ在リテ敵機ト交戦撃墜二機 六日以後十日迄大波ニ同ジ 十一日「ラバウル」ニ在リテ敵機約百三十機ト交戦〇七〇七至近弾次デ〇七一五頃後部ニ被弾機械舵故障使用不能トナリ巻波曳航ノ上入港 爾後「ラバウル」ニ在リテ修理竝ニ警戒ニ従事中(二十七日被曳航準備完成)』
  104. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.53『五.戦果及被害 (一)戦果 飛行機撃墜二機 涼波1早波1 (二)被害 沈没 駆逐艦一隻(涼波) 撃破 駆逐艦一隻(長波) 其ノ他 被害ナシ|六我兵力ノ現状 (一)全力發揮可能ノモノ (司令官)能代(司令)早波藤波(司令)大波巻波 (二)其ノ他 長波航行不能對空射撃(機銃可能)』
  105. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.47『一一日〇九三〇(長官)NTG(宛略)一.本十一日敵空襲ニテ艦船被害調査中ナルモ阿賀野舵故障涼波沈没長波航行不能/二.取敢ズ能代阿賀野摩耶長鯨浦風若月風雲等ヲ速ニ「トラツク」ニ回航セシム/三.21sf基地員輸送用駆逐艦ヲ派遣アリ度』
  106. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.50『一一日(司令官)2sd|一七〇二艦N|タナ七三直衛配備ヲ左ノ通定ム 能代ノ左右七〇度摩耶ノ左右九〇度長鯨ノ一八〇度距離二粁前方ヨリ右側若月風雲、左側早波藤波、後方五月雨』
  107. ^ #摩耶(学研M)192-193頁
  108. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.6『31驅(大波、巻波、長波)「ラバウル」ニ在リテ待機中十九日巻波ハ作戦輸送ニ従事セリ』
  109. ^ #ニミッツの太平洋海戦史187-188頁
  110. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.7『(3)下旬 31驅(大波、巻波)二十一日二十二日第一次「ブカ」作戦輸送ニ従事同二十四日二十三日第二次「ブカ」作戦輸送ニ従事揚陸後歸途二十五日0000頃「ヘンバニ」岬南西海面ニ於テ敵巡洋艦戦隊、水雷戦隊、魚雷艇群ト交戦砲雷撃ヲ受ケ沈没セリ』
  111. ^ #内令昭和19年1月(2)p.14『内令第六十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年一月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十六驅逐隊ノ項中「初風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「望月、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「涼波、」ヲ削ル』
  112. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.2『一二日(司令)32dg|〇九〇五(司令官)2sd|タナ八六 十一日附當隊艦船番号左ノ通変更ス 一.早波 二.玉波 三.藤波 四.涼波』
  113. ^ #内令昭和18年12月(2)p.46『内令第二千六百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波」ノ下ニ「、濱波」ヲ加フ』
  114. ^ #S1812二水戦日誌(1)p.7『十五日附濱波2sd 32dg編入セラル、春雨修理完成内海西部ニ回航十九日着』
  115. ^ a b #S1812二水戦日誌(1)pp.5-6『(イ)一般(第二水雷戰隊)(1)上旬2sd〔能代32dg(早波藤波)〕「クエゼリン」方面ニ在リテ待機或ハ作戰輸送ニ從事中ノ所三日YBニ對スルUNB指揮官ノ指揮ヲ解カレ三日夜YB「ルオット」発2sd警戒隊トシテ「トラック」ニ向フ 四日丙作戰第三法集結Z作戰部隊ノ編制ヲ解カル/藤波ハ七五五空基地物件輸送ノ爲分離五日夜YB「トラツク」帰着爾後「トラック」ニ在リテ待機』
  116. ^ #S1812二水戦日誌(1)p.6『作戰 2sd〔能代32dg(早波藤波)〕「ルオット」「クヱゼリン」「イミヱジ」「ウオッゼ」方面輸送護衛』
  117. ^ a b c d e f #S1812二水戦日誌(1)pp.14-15『(3)32dg(藤波)三日迄早波ニ同ジ/四日YB主力ト分離(七五五空基地物件輸送)「サイパン」ニ向フ/六日GF電令作第八五〇號YB電令作第二九號ニ依リ(指揮官)UNB指揮下ニ入ル/七日「サイパン」着 揚搭終了/八日總洋丸救難ノ爲「サイパン」発九日〇六〇〇現場着掃蕩セルモ手掛ヲ得ズ十日「サイパン」帰着待機/十九日筥崎丸船団護衛ノ爲「サイパン」発に十日合同二十四日「トラック」着/二十五日GF電令作第八七二號ニ依リ戊二號輸送部隊ニ編入セラル//二十七日「トラック」発二十八日5Sニ合同、途中利根探知ノ敵潜攻撃(効果不明)/二十九日「トラック」着/三十一日戊二號輸送人員物件搭載』
  118. ^ #S1812二水戦日誌(1)p.7『(2)中旬2sd(能代)「トラック」ニ在リテ待機(略)32dg(早波)及藤波ハYB電令作第三九號ニ依リ六日(指揮官)UNB式下ニ入リ夫々「パラオ」及「サイパン」方面ニ在リテ護衛及對潜掃討ニ從事セシメラルヽ事トナリ32dg(早波)ハ十一日「トラック」発、藤波ハ上旬以降引續キ「サイパン」方面ニ在リ護衛ニ從事中(以下略)』
  119. ^ #S1812二水戦日誌(1)p.19『(四)麾下艦船部隊ノ行動』
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  123. ^ #S1701第八戦隊日誌(8)p.27『(七)十日聯合艦隊電令作第八五七號及機動部隊機密第一〇一七〇〇番電ニ依リ8S(利根)5S、27dg(時雨白露)ハ二十三日迄ニ横須賀ニ回航、陸軍部隊ヲ南東方面ニ輸送ノ豫定ナリシトコロ一月一日附ヲ以テ第八戰隊解隊ノコトトナリ豫定変更十六日聯合艦隊電令作第八六一號ニ依リ5S利根27dg(時雨白露)ヲ以テ戊二號輸送部隊ヲ編制、5S司令官之ヲ指揮シ二十二日呉ニ於テ大海機密第一五一一一番電ノ人員物件ヲ搭載「トラック」経由「カビエン」ニ向ケ二十四日一三〇〇内海西部ヲ出撃二十九日「トラック」着尚利根ハ二十五日附ヲ以テ遊撃部隊ニ編入セラル』
  124. ^ #S1812二水戦日誌(1)p.15『(5)27dg(時雨)(略)二十四日5S利根ト共ニ「トラック」ニ向ケ發/二十五日一九二八魚船國吉丸ト觸衝小被害アリ命ニ依リ呉ニ引返シ修理ニ從事(以下略)』
  125. ^ #S1812二水戦日誌(1)p.50『二四日二一四五(司令)27dg(宛略)時雨、5S直衛トシテ警戒航行中一九二八豊後水道附近ニ於テ無燈ノ大型漁船ト觸衝左舷水線上ニ数個所ノ跳出及亀裂ヲ生ジ一二節以上ノ速力ニ堪ヘズ修理ノ為(?)ニ同航ス。相手船人員機関異状ナシ損害軽微』
  126. ^ #S1812二水戦日誌(1)p.9『早波ハ中旬ニ引續キ「パラオ」方面、藤波ハ「サイパン」方面輸送護衛對潜掃蕩ニ從事中/二十五日藤波ハ戊二號輸送部隊ニ編入島風藤波ニ交代「サイパン」方面對潜警戒護衛ニ任ゼシメラル。浜波ハ二十四日呉発波船團護衛(以下略)』
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  139. ^ a b #S1812二水戦日誌(3)pp.12-13『藤波 戊二號輸送部隊トシテ大気中二日「トラック」発/四日「カビエン」着揚搭後即日発/五日「トラツク」着任務終了輸送部隊ノ編制ヲ解カル/十日満潮ト共ニ大和護衛「トラツク」発/十五日呉着入渠整備ニ從事/二十五日修理整備完了/二十八日桂島ヨリ門司着/二十九日(横鎮長官ノ指揮ヲ受ケ)ハ一三〇九船団ヲ護衛門司発/三十日洲本沖着陸軍々旗及陸兵移乗即日発/三十一日尾鷲湾着』
  140. ^ #S1812二水戦日誌(3)pp.9-10『満潮(略)十日大和護衛「トラツク」発十五日徳山着(以下略)』
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  144. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.47『十六(天候略)藤波三二〇四船団護衛中〇〇四五敵(潜水艦)ヲ発見爆雷攻撃ヲナスモ効果不明爾後制圧中〇二三五(8°0′N149°17′E)ニ於テ暁天丸雷撃ヲ受ケ沈没人員救助ヲナス』
  145. ^ a b #S1812二水戦日誌(4)pp.5-6『(2)中旬(略)十七日「トラツク」敵機動部隊ノ空襲アリ 27dg(時雨春雨)黎明出港礁内礁外ニ於テ敵艦爆四十五機ト交戰六機撃墜セルモ時雨ニモ相當ノ被害アリ「パラオ」ニ先行 春雨被害軽微「パラオ」ヘノ途中明石護衛ノ爲「メレヨン」ニ假泊/藤波船団護衛南下中十七日朝一隻雷撃ヲ受ケ沈没之ガ救助及敵潜制圧後船団ニ合同スルヤ敵艦爆六機ノ空襲ヲ受ケ二隻沈没一隻ヲ護衛「トラック」入泊二十日明石船団ヲ護衛「トラツク」発(略)藤波(三二〇四船団 明石船団)』
  146. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.48『十八(天候略)藤波一八〇〇「トラツク」着』
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  186. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.8『二(天候略)一.(司令官)青葉鬼怒十九駆(浦波)昭南入港/二.北上「マニラ」ニ向ケ昭南発/三.敷波「バリックパパン」ニ向ケ「タラカン」発』
  187. ^ #S1906旭東丸日誌(1)p.16『六月三十日 北上(宛略)北上機密第三〇一八三〇番電 一.旭東丸護衛艦北上三二dg(玉波藤波)二日一三〇〇内海西部ニ向ケ昭南発(マニラ経由)速力十四.五節(以下略)』
  188. ^ #S1906旭東丸日誌(2)p.4『一.経過 七月一日燃料満載ノ上昭南発マニラ経由呉ニ回航同日十七日呉着同月十八日於「新宮」燃料陸揚同月二十二日工廠甲錨地ニテ兵装々備及船体機関ノ修理ニ着手』
  189. ^ #秋月型(潮2015)224頁『玉波(たまなみ)』
  190. ^ a b #S1906旭東丸日誌(2)p.10『七(天候略)〇二〇〇玉波分離反転〇二一〇爆雷投射始ム〇三一五玉波ノ位置ニ火焔爆煙ヲ上ルヲ見ル〇三二〇藤波反転玉波ノ現場ニ向フ 〇六〇〇船内哨戒第一配備トナス 〇六一一藤波合同一二〇〇藤波護衛ヲ止メ』
  191. ^ 昭和19年11月6日(発令7月7日付)海軍辞令公報(甲)第1638号 p.33青木(戦死昇進)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072101800 
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  193. ^ #内令昭和19年9月(2)p.23『内令第一〇五六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年九月十日海軍大臣|第十八驅逐隊ノ項中「薄雲、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波、」ヲ削ル』
  194. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.9『七(天候略)三.北上「マニラ」着|爾後北上入渠整備』
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  196. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.3『(ハ)麾下艦船部隊ノ行動(七月)第十六戰隊』
  197. ^ #S1906旭東丸日誌(2)p.18『八|マニラ|三十一根|藤波 響 夕凪通報|藤波、響、夕凪ハ旭東丸ニ横付補給サレタシ』
  198. ^ #S1906旭東丸日誌(2)pp.10-11『十(天候略)〇六二五速吸旭東丸ハ響藤波夕凪ノ護衛ヲ受ケ呉ニ向ケ マニラ發〇八一四速吸故障復旧假泊一四一六速吸故障復旧假泊発(以下略)』
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  219. ^ #摩耶(学研M)247-250頁『20 葬送』
  220. ^ #高雄対潜戦闘p.6『0832大和→朝霜/朝霜ハ高雄ノ護衛ヲ続行スベシ|朝霜愛宕乗員ノ救助ヲ終リ本艦ノ警戒ニ就ク』-『0849大和→長波・朝霜/長波朝霜ハ今ヨリ高雄艦長ノ指揮ヲ受ケ護衛ニ任ゼヨ』
  221. ^ #重巡洋艦戦記268-271頁『運命のパラワン島沖』
  222. ^ #捷号第十戦隊詳報(2)p.34『(司令官)1S|二三 〇七五五|鳥海ヲ第五戰隊司令官指揮下ニ入ル』
  223. ^ #重巡洋艦戦記24-25頁『▽パラワン沖の悲劇』
  224. ^ #サイパン・レイテ海戦記152頁
  225. ^ #捷号第一戦隊日誌p.88『(イ)二十三日黎明第二艦隊旗艦(愛宕)被雷沈没スルヤ旗艦ヲ大和ニ移サレ爾後司令長官ハ大和ニ於テ第一遊撃部隊ヲ指揮セラレタルガ同艦ガ熾烈ナル對空戰斗及菲島沖海戰ヲ通ジ克ク旗艦ノ任務ヲ完ウシ得タルハ一ニ同艦ノ指揮適切ニシテ最後マデ其ノ戰力ヲ保持シ得タルニ依ルモノト認ム』
  226. ^ #サイパン・レイテ海戦記159頁『対空警戒航行序列(輪形陣)』
  227. ^ #捷号第一戦隊日誌p.88『(ロ)武藏ハ不幸沈没スルニ到リタルモ同艦ノ輪形陣占位々置ハ外圏上ニアリ敵機ノ好目標トナリ攻撃ヲ概ネ之ニ引受ケ他艦ニ代リ沈没セリト見ルベク第一遊撃部隊戰果ノ裏ニ同艦ノ犠牲アルヲ忘ルベカラズ』
  228. ^ #サイパン・レイテ海戦記166頁
  229. ^ #戦藻録(1968)418-419頁『十月廿四日 火曜日 晴 決戰第一日』
  230. ^ #サイパン・レイテ海戦記270頁
  231. ^ #戦藻録(1968)423頁
  232. ^ #生出、黛328頁
  233. ^ #野分物語(文庫)263頁
  234. ^ #捷号第十戦隊詳報(1)p.30『(三)第四駆逐隊 満潮朝雲山雲ハ第三部隊ニテ二十五日〇三〇〇頃「スリガオ」水道通過敵艦隊ト交戰以後消息ナシ 野分ハ二十五日一一四〇筑摩救援ノタメ解列以後消息ナシ』
  235. ^ #サイパン・レイテ海戦記280-281頁
  236. ^ #重巡洋艦戦記238頁
  237. ^ #捷号第十戦隊詳報(3)p.1『二五 一九一七(指揮官)1YB|二五 一九四五熊野鳥海筑摩藤波通報 大臣 (長官)GF (司令官)7S|第一遊撃部隊機密臺二五一九一七番電 極力自力航行ニ努ムルモ見込ナキモノハ艦ヲ処分乗員ヲ警戒艦ニ収容ノ上コロンニ皈投セヨ|電信』
  238. ^ #捷号第1遊撃部隊(1)p.47『一九一七|1YB機密二五一九一七番電 極力自力航行ニ努ムルモ見込ナキモノハ艦ヲ處分シ乗員ヲ警戒艦ニ収容ノ上「コロン」ニ歸投セヨ 二十五日第三部隊《2S(山城扶桑)最上27dg(満潮朝雲山雲)時雨》ノ動静(以下略)』
  239. ^ #捷号第1遊撃部隊(2)pp.35-36『藤波(宛略)藤波機密第二六〇四〇〇番電 鳥海全部収容ノ上二一四八廃棄艦ヲ雷撃處分「コロン」ニ向フ 地点ヤヒヤ35針路?速力?|電信』
  240. ^ #サイパン・レイテ海戦記383頁
  241. ^ #S1905熊野日誌(4)p.38『10月27日0030頃/警戒艦タル浜風藤波未着ナルモ空襲ノ状況ト速力トニ鑑ミ先行スルニ決シ行動予定ヲ日栄丸ニ托シ單艦出港ス』
  242. ^ #生出、黛334頁
  243. ^ #捷号第1遊撃部隊(2)p.41『(長官)6F(宛略)6F機密第二五二二〇二番電 筑摩鳥海野分藤波1YBヨリ分離後落シアリ味方識別ヲ留意セヨ』
  244. ^ a b #撃沈戦記(2013)152-153頁『フィリピン沖は艦艇の墓場』
  245. ^ a b c d #サイパン・レイテ海戦記396-398頁
  246. ^ a b c #S士官の手記pp.20-21『一四〇〇頃「ミンドロ」島南方「セミララ」島海岸近クニ早霜深泊中ナルヲ發見当時早霜被爆ノ爲一番砲ヨリ前部切断燃料海水混入ノ爲使用不能大部残額僅ニ五トン沖波モ九五トン位ナリシモ艦長ハ之ニ對シ三〇噸ノ補給ヲ計畫横付シ約十二、三トンノ補給終シシ時敵艦爆十数機ノ急襲ヲ受ケ両艦ノ離シ終ラザルニ初弾落下之ト交戦戦果被害ナシ』
  247. ^ #S士官の手記p.21『日没時「パラワン」島「コロン」着補給(早霜ハ其ノ後「セミララ」島ニ坐礁司令以下「マニラ」ニ皈リタルモ先任将校69期田中秋文大尉ハ三十数名ヲ指揮之ニ残リタリ其ノ後GKFノ優柔ヤ先見ノ明ナキ爲遂ニ之ガ所置ナク米軍ノ「ミンドロ」島上陸トナリ遂ニ救出出來ザリシト聞ク)』
  248. ^ #重巡最上出撃せよ181-183頁『悲しき漂流二時間』
  249. ^ #重巡最上出撃せよ184頁
  250. ^ #S士官の手記続編p.8『尚「戦時下ノ我海軍」ト題スル米作戰部長「アーネスト・J・キング」提督ノ公式報告書ニ依レバ米第三艦隊「ハルゼー」ノ派遣セル快速戰艦部隊ハ朝/26「サンベルナルヂノ」海峡入口ニ到達シ日本艦隊ノ落伍艦(巡洋艦又ハ大型驅逐艦)ヲ撃沈セリと明確ニ記録サレアリ之ハ恐ラクハ筑摩、野分ナラント推察セラル』
  251. ^ #野分物語(文庫)265-266頁『轟沈後にいた生存者』
  252. ^ #第3/4.輸送作戦pp.10-11『26日シブヤン海に於て鬼怒及び浦波が被爆した際、コロン湾に帰投したばかりの第二遊撃部隊の不知火は、これが救助を命ぜられ26日日没時、コロン湾を出撃した。同艦は27日早朝、遭難地点附近を捜索したが鬼怒を発見できず、帰途に就いたが、爾後その消息を断った。』
  253. ^ a b #サイパン・レイテ海戦記394頁
  254. ^ #S1909一水戦日誌(3)p.11『11月1日|那智飛行機|0630カヒデ弯カナカオ基地発駆逐艦不知火ノ捜索ヲ実施ス/1015セミララ弯ニ擱座セル駆逐艦早霜ヲ発見着水不知火消息ヲ尋ネタル處セミララ島西方1000米ニテ沈没セルコト判明セリ|戦果:早霜発見、不知火ノ消息判明』
  255. ^ #秋月型(潮2015)225-226頁『浜波(はまなみ)』
  256. ^ a b #内令昭和19年11月(3)pp.4-5『内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ||第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫||第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  257. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.12『内令第一三三三號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年十二月十日海軍大臣 驅逐艦、一等初雪形ノ項中「浦波、」ヲ、同初春型ノ項中「、若葉」ヲ、同不知火型ノ項中「不知火、」ヲ、同夕雲型ノ項中「、藤波」ヲ、同秋月型ノ項中「秋月、」「、初月」ヲ削ル』
  258. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.18『内令第一三四〇號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦波、驅逐艦 不知火|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 若葉 驅逐艦 秋月 驅逐艦 初月|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 藤波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(中略) 昭和十九年十二月十日 海軍大臣』
  259. ^ 昭和20年7月15日(日)海軍辞令公報(甲)第1857号 p.38』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]