秋風 (駆逐艦)

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IJN Akikaze departing Yokosuka Taisho 12.jpg
艦歴
計画 1917年度(八四艦隊案
起工 1920年6月7日
進水 1920年12月14日
竣工 1921年4月1日
その後 1944年11月3日戦没
除籍 1945年1月10日
要目
排水量 基準:1,215トン
公試:1,345トン
全長 102.6メートル
全幅 8.92メートル
吃水 2.79メートル
機関 ロ号艦本式缶4基
パーソンズタービン2基2軸
38,500馬力
速力 39ノット
航続距離 14ノットで3,600カイリ
燃料 重油:395トン
乗員 154名
兵装 45口径12cm単装砲4門
6.5mm単装機銃2挺
53.3cm連装魚雷発射管3基
(魚雷8本)
1号機雷16個

秋風(あきかぜ)は、日本海軍駆逐艦一等駆逐艦峯風型の9番艦である[1]。艦名は立秋に秋の気配を感じさせる風を意味する。

艦歴[編集]

「秋風」は1919年(大正8年)5月24日、峯風型姉妹艦や樅型駆逐艦と共に命名された[2]。同日附で一等駆逐艦に類別[3]三菱長崎造船所で建造。竣工後、横須賀鎮守府籍に編入。

日中戦争支那事変)に際して、1938年(昭和13年)以降は華中の沿岸作戦に参加。1940年(昭和15年)、峯風型4隻(羽風、秋風、太刀風夕風)による第34駆逐隊新編にともない、「秋風」は舞鶴鎮守府に転籍した。同年11月15日より空母「鳳翔龍驤」と共に第一航空艦隊第三航空戦隊(司令官角田覚治少将)を編制する[4]。 4月10日、「夕風」は第34駆逐隊から除籍、34駆は3隻(羽風、秋風、太刀風)となった[5]。同日附で第34駆逐隊は空母「赤城加賀」と第一航空戦隊(司令官南雲忠一中将)を編制した[6]。 5月1日、第34駆逐隊は第二遣支艦隊に編入され、しばらく中国方面で活動した[7]。 9月15日、第34駆逐隊は第十一航空艦隊(司令長官塚原二四三中将)に編入された[8]。第十一航空艦隊は南方作戦で重要な役割を担っており、「秋風」も司令部や基地要員の移動のため南方へむかった[9]

太平洋戦争[編集]

太平洋戦争大東亜戦争)では、南方で輸送、海上護衛作戦に参加。1942年(昭和17年)8月7日以降ガダルカナル島の戦いが始まると、「秋風」も各方面への強行輸送任務(鼠輸送)に投入された。第一次ソロモン海戦では水上機母艦「秋津洲」と共に日本軍基地航空隊(十一航空艦隊)不時着機の救助任務に従事している。1942年(昭和17年)12月24日に南東方面艦隊(司令長官草鹿任一中将、参謀長中原義正少将)が編制されるが、同艦隊司令部は第十一航空艦隊と兼務であり、「秋風」以下第34駆逐隊もひきつづき南東方面艦隊/第十一航空艦隊直属隊として行動した[10]1943年(昭和18年)1月23日、第34駆逐隊僚艦「羽風」が米潜水艦に撃沈され、同隊は「秋風、太刀風」の2隻となった。 3月14日、「秋風」はニューアイルランド島要港カビエンを出発、15日にカイリル島、16日にロレンガンに立ち寄り、17日カビエン着、18日迄にはラバウルへ戻った[11]。この航海中、下記の虐殺事件が発生した。 4月1日、第34駆逐隊は解隊され、「秋風」は第十一航空艦隊直属となった[12]。日本軍がニュージョージア島の戦いブーゲンビル島の戦いで米軍に圧倒される中、「秋風」は最前線で行動を続けた。7月27-28日にはニューブリテン島グロスター岬で駆逐艦「三日月有明」が座礁して沈没[13]。救助のため「秋風」が派遣され、2隻の乗組員を救助した[14]

1944年(昭和19年)2月中旬、中部太平洋における日本海軍の最大拠点トラック泊地は、米軍機動部隊艦載機によるトラック島空襲を受け、停泊していた艦艇や地上基地航空隊は大損害を蒙る。米軍機動部隊が去ったあと損傷艦を退避させることになり、駆逐艦「秋風、藤波春雨(途中合流)」は工作艦「明石」、標的艦「波勝」を護衛してパラオ泊地へむかった[15][16]。 5月1日、「秋風」(舞鶴鎮守府籍)と「松風」(横須賀鎮守府籍)は佐世保鎮守府に転籍した[17]。同時に卯月型駆逐艦2隻(卯月夕月)の第30駆逐隊に編入され、同隊は「卯月、夕月、秋風、松風」の4隻となった[18]。だが6月9日に「松風」は米潜水艦に撃沈される。そこで日本海軍は8月20日附で第22駆逐隊を解隊し、同隊所属だった駆逐艦2隻(皐月夕凪)を編入する[19]。同日附で、第30駆逐隊は第三十一戦隊に編入される[20]。それから間もない8月25日、「夕凪」は米潜水艦に撃沈され、9月21日には「皐月」がマニラで空襲を受け沈没した。第30駆逐隊は「卯月、夕月、秋風」の3隻となった。

同年10月30-31日、「秋風」はフィリピン方面への『緊急輸送作戦』に従事する空母「隼鷹」を護衛することになった[21]。「隼鷹」は空母でありながら航空機をまったく搭載せず、その格納庫に戦艦「大和」を含む第二艦隊(栗田艦隊)用の砲弾、第三十一根拠地隊向けの砲弾、第1挺進集団の一部、第七震洋隊の水上特攻艇震洋」50隻と基地隊員130名を搭載したという[21]。 輸送部隊は隼鷹艦長を指揮官とし、空母「隼鷹」、軽巡洋艦「木曾」、第30駆逐隊(司令澤村成二大佐:夕月卯月、秋風)で編制されている[22]。しかし艦隊の動向は米軍に察知されており、米潜水艦複数(ジャラオアトゥル、ピンタド等)からなるウルフパックが「隼鷹」を狙っていた[23]。 台湾・馬公市に立ち寄ったのちブルネイに向け移動中の11月3日夜、米潜水艦「ピンタド」(USS Pintado, SS-387)が「隼鷹」に対して魚雷6本を発射[23]、これが「秋風」に命中し、22時53分、大爆発により「秋風」の艦体は分断され艦尾は22時58分に沈没した[24]。「夕月」が救援にあたるが[25]、秋風乗組員は全員行方不明(戦死認定)となった[26]。「ピンタド」は「卯月、夕月」の爆雷攻撃を受けて退避し、「隼鷹」は難を逃れた。「秋風」の沈没地点はルソン島サンフェルナンド西方北緯16度50分 東経117度11.9分 / 北緯16.833度 東経117.1983度 / 16.833; 117.1983[23]。「秋風」が「隼鷹」の楯となったのか、「隼鷹」を狙って外れた魚雷が偶然「秋風」に命中したのかは定かではない[23]

1945年(昭和20年)1月10日、「秋風」は 峯風型駆逐艦[27]、 帝国駆逐艦籍[28] のそれぞれから除籍された。所属していた第30駆逐隊も解隊された[29]

現在、「秋風」の慰霊碑は呉海軍墓地にあり、隣には空母「隼鷹」の慰霊碑が建立されている。

駆逐艦秋風虐殺事件[編集]

1943年(昭和18年)3月18日、ニューギニアの戦いにおいて日本軍が進出したニューギニア島東部(東部ニューギニア)から、一大拠点であるニューブリテン島ラバウルへ向け現地の在住民間人(女子供を含む民間人たる外国人)を「秋風」にて移送中、艦上において乗員がその全員を処刑・虐殺した戦争犯罪。 日本海軍は洋上虐殺だけでも重巡洋艦利根」(ビハール号事件)や「伊号第八潜水艦(ほか多数の潜水艦)」等が事件を起こしているが、いずれも乗船を撃沈され退船した連合国輸送船(商船)の乗員を、洋上ないし艦上にて一方的に処分・処刑したものであった。「秋風」艦上において処刑された被害者はそういった捕虜ではなく現地人であった民間人であり、かつ女子供や同盟国人を含むため、それら船員の虐殺事件とは性格を大きく異にする。経過は以下のとおり。

北東部ニューギニアは古くはドイツ植民地帝国植民地であり(ドイツ領ニューギニア第一次世界大戦によるドイツ敗戦以降は同島南東部を領有していたオーストラリア委任統治領となる)、現地には宣教師や農園主等としてドイツ人ら欧米各国人が入植していた。当時、ラバウル方面の作戦全般を指揮していた南東方面艦隊(司令長官草鹿任一中将、参謀長中原義正少将)は[30]、東部ニューギニア・中部ソロモンの防備をかためるため航空基地整備を企図しており、3月9日に「南東方面基地設営計画」、14日に「南東方面基地整備計画」を発令し、4月15日を目標に21ヶ所の陸上基地(新設10)・12ヶ所の水上機基地(新設6)を整備しようとしていた[31]

被害者の内訳は以下の通り。

戦後、連合国は本事件を調査。ニューギニア方面を担当する当時の第八艦隊司令長官三川軍一海軍中将および、参謀長大西新蔵海軍少将B級戦犯に指名するが、事件当時の艦長である佐部鶴吉海軍少佐以下主要士官は既に戦死し、また「秋風」自体も乗員諸共に戦没しているため、事件当事者不在により三川・大西は不起訴に終わっている。なお当時の「秋風」は南東方面艦隊/第十一航空艦隊(第八艦隊の上部組織)附属であるため、第八艦隊とは別の命令系統に所属していた[33][34]。また1943年3月~4月のラバウル方面は、第81号作戦(ビスマルク海海戦)や『い号作戦』実施のため、連合艦隊、南東方面艦隊(第十一航空艦隊)、第三艦隊、第八艦隊、日本陸軍の指揮系統が複雑に絡み合っていた。

軍事評論家伊藤正徳は著書『連合艦隊の栄光』の中で、以下のようなエピソードを紹介している。米軍はソロモン諸島における日本軍(航空隊、艦隊)の動向をいち早く察知するため、多数のコースト・ウォッチャーズ(沿岸監視員)を配置して諜報活動を行っていた[35]。沿岸監視員は軍人だけでなく民間人も多く、無線機で米軍に連絡をとっていた[35]。ソロモン作戦の後期、日本軍は電波探知により諜報網を検挙、スパイとみなしたドイツ人、オーストラリア人、豪州人等、現地人、すくなくとも60名以上を駆逐艦の甲板上で処刑したという[35]。だが伊藤は、この駆逐艦の艦名について言及していない。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』228-229頁による。階級は就任時のもの。

  • (心得)山本松四 少佐:1921年4月1日 - 1922年12月1日[36]
  • 山本松四 中佐:1922年12月1日[36] -
  • (心得)山本弘毅 少佐:1923年11月10日 - 1924年12月1日[37]
  • 清水長吉 少佐:1924年12月1日 - 1925年12月1日[38]
  • 伊藤長 少佐:1925年12月1日 - 1929年2月1日[39] ※1926年12月1日より予備艦
  • 津田源助 少佐:1929年2月1日 - 11月1日
  • 平塚四郎 少佐:1929年11月1日 - 1931年12月1日 同日より予備艦
  • (兼)田原吉興 少佐:1931年12月1日 -
  • (兼)有賀幸作 少佐:1932年2月12日 - 1932年12月1日
  • 大江覧治 少佐:1932年12月1日 - 1933年11月1日
  • 小田操 少佐:1933年11月1日 -
  • 中村健夫 大尉:1934年8月10日 -
  • 山代勝守 少佐:1934年11月1日 - 1935年10月31日[40]
  • 山本皓 少佐: 少佐:1935年10月31日[40] - ※1937年3月20日より予備艦
  • 赤沢次寿雄 少佐:1937年12月15日 -
  • 青木久治 少佐:1938年3月5日 -
  • 有本輝美智 少佐:1938年12月15日 -
  • 東日出夫 少佐:1939年11月15日 -
  • 森卓次 少佐:1941年4月10日 -
  • 佐部鶴吉 大尉:1942年10月25日 -
  • 山崎仁太郎 少佐:1943年8月10日 - 1944年11月3日戦死

脚注[編集]

  1. ^ #艦艇類別等級表(昭和12年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|峯風型|峯風、澤風、沖風、島風、灘風、矢風、羽風、汐風、秋風、夕風、太刀風、帆風、野風、波風、沼風』
  2. ^ #達大正8年5月(2)p.8『達第九十五號 軍備補充費ヲ以テ大正八年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦五隻二等驅逐艦五隻及特務船二隻ニ左ノ通命名ス|大正八年五月二十四日 海軍大臣加藤友三郎|一等驅逐艦五隻 汐風(シホカゼ) 秋風(アキカゼ) 夕風(ユフカゼ) 太刀風(タチカゼ) 帆風(ホカゼ)|二等驅逐艦五隻 菊(キク) 葵(アフヒ) 萩(ハギ) 薄(ススキ) 藤(フヂ)|特務船二隻 佐多(サタ) 野間(ノマ)』
  3. ^ #達大正8年5月(2)p.8『達第九十六號 艦艇類別等級表中驅逐艦一等ノ欄「羽風」ノ次ニ「、汐風、秋風、夕風、太刀風、帆風」ヲ、同二等ノ欄「梅」ノ次ニ「、菊、葵、萩、薄、藤」ヲ加フ|大正八年五月二十四日 海軍大臣加藤友三郎』
  4. ^ #第34駆逐隊支那事変第9回功績p.2『自昭和十五年十一月十五日至昭和十六年四月九日|第一艦隊第三航空戦隊ニ属シ教育訓練竝ニ沿岸防備ニ従事對支那事變内地待機』
  5. ^ #内令昭和16年4月(3)p.37『内令第三百六十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十六年四月十日 海軍大臣及川古志郎|第三十四驅逐隊ノ項中「、夕風」ヲ削ル』
  6. ^ #第34駆逐隊支那事変第9回功績p.2『自昭和十六年四月十日至昭和十六年四月三十日|第一航空艦隊第一航空戦隊ニ属シ教育訓練竝ニ沿岸防備ニ従事對支那事變内地待機』
  7. ^ #第34駆逐隊支那事変第9回功績pp.2-3『自昭和十六年五月一日至昭和十六年五月三十一日|第二遣支艦隊ニ附属シ南支沿海ニ行動シ南支沿岸ノ警備支那船舶ノ交通遮断宣言地區ニ於ケル第三國船舶ノ交通遮断敵軍事施設ノ破壊沿岸要地ノ急襲作戦資料ノ調査ニ従事シ併セテ要局即應ノ順準備ニ任ズ』
  8. ^ #第34駆逐隊支那事変第10回功績p.2『一六-九-一五|役務変更第十一航空艦隊ニ編入』
  9. ^ #第34駆逐隊支那事変第10回功績p.3『秋風|勤労乙|16-9-15 16-11-30|第十一航空艦隊ニ属シ教育訓練竝ニ沿岸防備ニ従事對支那事變内地待機/勤労丙|16-10-18 16-11-30|高雄方面ニ進出シ第十一航空艦隊司令部基地移動及飛行機隊ノ教育訓練ニ協力シツツ十一月五日南方部隊航空部隊ニ編入セラレ大東亜戦争作戦準備ニ任ズ』
  10. ^ #S1712南東方面艦隊日誌(1)p.6『二.十二月二十四日附(一)第八艦隊及第十一航空艦隊ヲ以テ南東方面艦隊ヲ編成聯合艦隊ニ編入』
  11. ^ #S1712南東方面艦隊日誌(2)pp.14-15『四.麾下艦船部隊ノ行動(其ノ一)南東方面艦隊附属|秋風|』
  12. ^ #内令昭和18年4月(1)p.26『内令第五百七十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日海軍大臣嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム|第十一驅逐隊ノ項中「白雪、」ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項中「、時津風」ヲ削ル|第八驅逐隊、第二十九驅逐隊及第三十四驅逐隊ノ各項ヲ削ル』
  13. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後249-250『経過概要と南東方面部隊等の作戦指導』
  14. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.21『三日月亦大破離礁ノ見込ナキニ至リシ處、1800秋風現地着、30dg司令ハ総員退去ヲ決意、両艦ノ乗員ノ大部分ヲ同艦ニ収容、29日0730「ラバウル」帰着』
  15. ^ #S1902三水戦日誌(1)p.23『秋風|自二.一九至二.二四|自「トラック」至「パラオ」間明石波勝警戒|任務完遂』
  16. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.49『24日(天候略)春雨藤波明石波勝護衛「パラオ」着』
  17. ^ #内令昭和19年5月(1)p.1『内令第六百十號 横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 松風|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 秋風|右本籍ヲ佐世保鎮守府ニ改定セラル|昭和十九年五月一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  18. ^ #内令昭和19年5月(1)pp.3-4『内令第六百十一號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル|昭和十九年五月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十二驅逐隊ノ項中「水無月」ノ下ニ「、夕凪」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「夕月」ノ下ニ「、松風、秋風」ヲ加フ』
  19. ^ #秘海軍公報昭和19年8月(4)pp.45-46『内令第九七七號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル|昭和十九年八月二十日 海軍大臣|第二十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「秋風」ノ下ニ「皐月、夕凪」ヲ加フ』
  20. ^ #S1906三十駆日誌(1)p.9『八月二十日|聯合艦隊第三十一戦隊ニ編入サル』
  21. ^ a b #日本空母戦史790-791頁『隼鷹の砲弾緊急輸送(十~十一月)-戦艦大和へ四十六センチ砲弾を-』
  22. ^ #S1906第30駆日誌(3)p.4『10月30日/夕月、卯月、隼鷹、木曽護衛「ブルネイ」ニイ向ケ佐世保発(作戦緊急輸送)秋風馬公ニ向ケ大島出港|31日/秋風、夕月卯月ニ合同ス』
  23. ^ a b c d #日本空母戦史792-793頁
  24. ^ #S1906第30駆日誌(3)p.27『秋風十一月三日2253N16度50分E117度11.9分ニ於テ敵潜制圧中雷撃(2又ハ以上ヲ受ケ)大誘爆ト共ニ艦体両断僅ニ尾部ヲ残シアリシガ2258遂ニ沈没セリ』
  25. ^ #S1906第30駆日誌(3)p.21『11月3日2253秋風敵潜ノ雷撃ヲ受ケ沈没隼鷹ヨリ「人員ヲ救助シタル後合同セヨ」ノ命アリタリ|卯月ハ護衛続行、夕月ハ現場ニ残リ敵潜掃蕩竝ニ秋風生存者ヲ捜索救助セントス』
  26. ^ #S1906第30駆日誌(3)p.27『被害 秋風沈没 秋風乗員総員行衛不明』
  27. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中「八十島」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、秋風」ヲ、同「卯月型 卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風」「、野分」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波」「、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同「 島風」ヲ削ル(以下略)』
  28. ^ #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍 軍艦厳島|呉鎮守府在籍 軍艦八十島|舞鶴鎮守府在籍 軍艦神鷹|右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 曙、驅逐艦 満潮、驅逐艦 朝雲、驅逐艦 山雲、驅逐艦 野分、驅逐艦 早霜、驅逐艦 秋霜、驅逐艦 若月、驅逐艦 霜月|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦風、驅逐艦 島風|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 秋風、驅逐艦 卯月、驅逐艦 夕月、驅逐艦 初春|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 長波、驅逐艦 濱波、驅逐艦 沖波、驅逐艦 岸波|右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』
  29. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7『昭和二十年一月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四驅逐隊ノ項ヲ削ル|第七驅逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十驅逐隊及第三十一驅逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル』
  30. ^ #S1712南東方面艦隊日誌(2)pp.9-10『二.人員ノ現状(イ)司令部(一)職員氏名』
  31. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後84-86頁『航空基地整備計画』
  32. ^ Series MP742/1, item number 336/1/1444, "Akikaze Massacre", National Archives of Australia, <http://naa12.naa.gov.au/scripts/Imagine.asp>
  33. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後93-94頁『昭和十八年度帝国海軍戦時編制』
  34. ^ #S1712南東方面艦隊日誌(2)pp.3-4『編制配備(イ)艦隊編制|南東方面艦隊|第十一航空艦隊|附属|第三十四驅逐隊|秋風、太刀風』
  35. ^ a b c #連合艦隊の栄光(角川)104頁
  36. ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  37. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  38. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  39. ^ 『官報』第627号、昭和4年2月2日。
  40. ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。

参考文献[編集]

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    • Ref.C08030149700 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030149800 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
  • 伊藤正徳 『連合艦隊の栄光』 角川書店、1974年7月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 木俣滋郎 『日本空母戦史』 図書出版社、1977年7月。
  • 『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦Ⅱ、潮書房、1981年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。

関連項目[編集]