若月 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
若月
艦歴
発注 マル4計画
起工 1942年3月9日
進水 1942年11月24日
竣工 1943年5月31日
喪失 1944年11月11日
除籍 1945年1月20日
要目(計画)
排水量 基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長 134.2m
全幅 11.6m
吃水 4.15m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力 33.0ノット
航続距離 18ノットで8,000海里
燃料 重油:1,080トン
乗員 263名/289名[1]
兵装
(1944年[2]
65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装12挺
13mm単装機銃3挺
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
電探
(1944年[2]
21号電探1基
13号電探1基
水測兵装 九三式探信儀1基
(九三式水中聴音機1基)[3]

若月(わかつき)は、日本海軍駆逐艦[4][5]

概要[編集]

一等駆逐艦「若月」は[5]秋月型駆逐艦の6番艦である[6]。名称は、月齢2、3日の細い月をさす「若月」から[7]三菱重工業長崎造船所で建造[8]1942年(昭和17年)3月9日に起工[8]1943年(昭和18年)5月31日に竣工後[4]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属[9]。8月15日附で第61駆逐隊に編入[10]。11月初旬のブーゲンビル島沖海戦に参加、つづいて米軍機動部隊艦載機によるラバウル空襲を小破で切り抜けた[4]。損傷修理のため、練習巡洋艦鹿島などと共に11月下旬内地へ帰投[4]

1944年(昭和19年)6月19日、マリアナ沖海戦に参加[4]。空母「大鳳」(第一航空戦隊旗艦)が米潜水艦アルバコアの雷撃と誘爆で沈没すると、第一機動艦隊長官小沢治三郎中将や古村啓蔵参謀長など小沢艦隊司令部は「若月」に移乗した[11]。その後、機動部隊司令部は重巡洋艦羽黒を経由して空母「瑞鶴」に移った[11]

同年10月末、捷一号作戦に伴うレイテ沖海戦では、小沢機動部隊として参加[4][12]。同海戦で空母4隻沈没後、「若月」は内地にはもどらず軽巡「大淀」と共に奄美大島からフィリピンルソン島マニラへ進出[12][13]。 第二遊撃部隊(指揮官志摩清英第五艦隊司令長官)に編入され[14]レイテ島地上戦にともなう多号作戦(レイテ島増援作戦)に従事した[15]。 11月11日[12]、多号作戦に従事中の「若月」は、米軍機の空襲により島風型駆逐艦「島風」等と共にレイテ島オルモック湾で撃沈された[16][17]

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

1939年(昭和14年)度計画(マル4計画)仮称109号艦[8][18]。日本海軍は三菱重工業長崎造船所で建造された大和型戦艦2番艦「武蔵」が進水したあとの船台で、秋月型駆逐艦複数隻を同時に建造する[19]1942年(昭和17年)3月4日、三菱重工業長崎造船所で建造中の秋月型3番艦「涼月」が進水[8]3月9日、同造船所は第109号艦(若月)を起工[8][18]。8月20日、軽巡洋艦「矢矧」や海防艦(択捉松輪佐渡隠岐)等と共に命名される[20]。 同日附で各艦(能代矢矧、若月)等は艦艇類別等級表に登録[21]。 同年11月24日、「若月」は進水[18][22]。若月進水式には、11月19日に着任したばかりの佐世保鎮守府司令長官南雲忠一中将(真珠湾攻撃ミッドウェー海戦時の第一航空艦隊司令長官)が臨席した[23][24][25]

1943年(昭和18年)5月1日、日本海軍は白露型駆逐艦「白露」艦長[26]、朝潮型駆逐艦「峯雲」艦長[26][27]等を歴任した鈴木保厚中佐(当時、駆逐艦満潮艦長)[27][28]を、若月艤装員長に任命した[28]5月31日、竣工[8][4]。鈴木中佐(若月艤装員長)は制式に若月駆逐艦長(初代)となる[29]。主要初代幹部は、佐藤定郎大尉(砲術長)、森健二中尉(水雷長)、多田和夫大尉(機関長)、関口吉孝予備中尉(航海長)[29]。若月艤装員事務所は撤去された[30]。 同日附で横須賀鎮守府[31]。当初は舞鶴海軍工廠で昭和17年6月に起工し、1944年(昭和19年)5月に竣工というスケジュールが立てられていた[32]

昭和18年の行動[編集]

1943年(昭和18年)5月31日の竣工をもって、「若月」は訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官木村進少将・海軍兵学校40期:旗艦龍田)に編入される[33][34][35]。 6月5日、瀬戸内海(桂島泊地)に到着[36]。駆逐艦島風等と共に訓練に従事する[37]。6月8日、桂島泊地で長門型戦艦「陸奥」が爆沈[38]、十一水戦は救助作業に従事した。

6月22日、「若月」は夕雲型駆逐艦「玉波」とともに瀬戸内海を出港して大和型戦艦2番艦「武蔵」護衛のため横須賀に向かい、6月23日に到着する[39][40]。間もなく2隻(若月、玉波)は、米潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の雷撃で大破した元特設水上機母艦相良丸」(日本郵船、7,189トン)救難作業への協力を命じられる(駆逐艦澤風救難中)[41][42]。相良丸は天竜川の河口に座礁した[42]。27日、駆逐艦2隻(若月、玉波)は瀬戸内海に帰投した[43]

7月7日、内海西部から横須賀に移動[44]。12日まで、大鷹型航空母艦「冲鷹」の護衛を務めた[45][46](同艦は空母瑞鶴以下第三艦隊と合流してトラック泊地進出)[47]。 それ以外の時期は、瀬戸内海で訓練に従事する。「若月」は軽巡「龍田」と共に夜間水上戦闘の訓練も行った[48]。 この頃、舞鶴での修理を終えた朝潮型駆逐艦「」が第十一水雷戦隊所属艦として桂島泊地に到着、各艦(龍田、能代、若月、霞)は共に訓練に従事した[49][50]。 8月1日、瀬戸内海を出撃して再び横須賀へ向う[51][52]。8月2日に到着[53][54]。 8月15日付で第61駆逐隊(駆逐隊司令大江覧治大佐)[55]に配属され、同隊は秋月型駆逐艦3隻(涼月、初月、若月)となった[10][56]

8月17日、連合艦隊司令長官古賀峯一大将直率の主力部隊(戦艦3隻〈大和長門扶桑〉、空母〈大鷹[57]、巡洋艦3隻〈愛宕高雄能代〉、駆逐艦部隊〈涼風海風秋雲夕雲、若月、天津風初風〉)として内地を出撃し、23日トラックへ到着[58][59]トラック諸島に進出後、第三艦隊司令長官小沢治三郎中将(海兵37期)率いる機動部隊と行動をともにする。機動部隊は9月と10月にマーシャル諸島方面へ出撃したが[60]、会敵の機会がなかった[61]。 この頃、秋月型駆逐艦1番艦「秋月」が戦線に復帰して第61駆逐隊に復帰(再編入)、同隊はようやく秋月型4隻(涼月、初月、若月、秋月)となった[62]

トラックに帰投して間もなく「ろ号作戦」が発動され、ラバウルなどへの航空要員の緊急輸送を行うこととなった[63][64]。10月30日、第十戦隊(司令官大杉守一少将)旗艦の軽巡洋艦「阿賀野」以下4隻(阿賀野、若月、初風、長波)はトラックを出撃し、11月1日朝にラバウルに到着した[65][66][33]

ところが、この11月1日未明にアメリカ軍がブーゲンビル島タロキナ岬に上陸し、ブーゲンビル島の戦いが始まった[67][68]。 これを受け、第五戦隊(司令官大森仙太郎少将・海兵41期)は、第一襲撃隊の妙高型重巡洋艦2隻(妙高羽黒[69]、第三水雷戦隊(司令官伊集院松治少将・海兵43期)指揮下の第一警戒隊〔第二襲撃隊〕(川内時雨白露五月雨[69]、第十戦隊指揮下の第二警戒隊〔第三襲撃隊〕(阿賀野初風、若月、長波[70][69]、輸送隊(第11駆逐隊司令山代勝守大佐。駆逐艦天霧文月卯月夕凪水無月ブカ島行〉)を率いて11月1日14時30分にラバウルを出撃[71]。26ノットの速力でエンプレス・オーガスタ湾のアメリカ艦隊および輸送船団目指して進撃[72][73]。このうち輸送隊は逆上陸の見通しが立たなくなったことから、1日夜に反転してラバウルに帰投した(水無月はブカ輸送実施)[73]

11月2日未明、エンプレス・オーガスタ湾手前にてアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊の軽巡洋艦と駆逐艦の部隊に遭遇し、ブーゲンビル島沖海戦(連合軍呼称「エンプレス・オーガスタ湾海戦」)が起こる[74][69]。第39任務部隊は丁字戦法を以って第五戦隊以下の進撃を阻み、第五戦隊以下は突入を阻止された上に「妙高」と「初風」が衝突[75]。2隻(軽巡〈川内〉、駆逐艦〈初風〉)が沈没[76]。損傷艦多数を出し[77][78]、米軍輸送船団撃滅の作戦目的を放棄してラバウルに帰投した[75][79]。川内座乗の第三水雷戦隊司令官は呂号第104潜水艦に救助され、ラバウルに戻った[79]

11月5日、第38任務部隊フレデリック・シャーマン少将)はラバウルに対する空襲を敢行(ラバウル空襲[80][81]。同地へ進出したばかりの第二艦隊司令長官栗田健男中将麾下の重巡洋艦部隊(愛宕〈第二艦隊旗艦〉、高雄摩耶鈴谷最上筑摩)は摩耶大破航行不能・愛宕艦長戦死等の大損害を受けた(ラバウル空襲[82][83]。「若月」は至近弾により、多少の浸水被害があった[82]南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将は重巡部隊に帰投を命じ、栗田艦隊(大破した摩耶を除く)はラバウル進出中の2隻(鳥海、涼波)を含めてトラック泊地に戻っていった[84][85]

11月6日、南東方面部隊指揮官(草鹿中将)は第十戦隊・第二水雷戦隊・第三水雷戦隊の戦力でタロキナ逆上陸作戦を再開[86]。支援部隊(第十戦隊司令官)指揮下の第一支援部隊(阿賀野、若月、風雲、浦風)、第二水雷戦隊司令官指揮下の第二支援隊(能代、早波、長波〈時雨は修理のためブカ島輸送組へ〉)、挺身輸送隊(第31駆逐隊司令香川清登大佐)指揮下の警戒隊(大波、巻波)、輸送隊(天霧、文月、卯月、夕凪)およびブカ島輸送隊(夕張、水無月、時雨)をもって輸送作戦を実施[86]。水上部隊は同日13時にラバウルを出撃、挺身輸送隊は7日0007分にタロキナ上陸地点に到着し0045分に揚陸を終了[86]。支援隊は2隻(阿賀野、若月)が空襲を受け軽微の被害を受けたが、各艦とも大きな被害はでず11月4日午前7時にラバウルへ帰投した[86]

ブーゲンビル島沖航空戦が展開中の同時期[87]太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将は南太平洋軍司令官ウィリアム・ハルゼー大将の要請を受けて、第50.3任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)を派遣する[88]。ニミッツ大将はギルバート諸島方面の戦況をにらみつつ、を派遣することに決した[88][89]11月11日朝、米軍機動部隊はふたたびラバウル空襲を実施[89][90]。夕雲型駆逐艦「涼波」(第32駆逐隊)が沈没[81][91]。駆逐艦「長波」(第31駆逐隊)が大破航行不能[90][92]。「阿賀野」は魚雷命中により艦尾をもぎとられる[93][94]。十戦隊(若月、浦風)も小破した[90][92]。 草鹿中将(南東方面部隊指揮官)はラバウル所在水上艦艇のトラック泊地退避を下令[90]。 第十戦隊の駆逐艦2隻(61駆〈若月〉、10駆〈風雲〉)は第二水雷戦隊各艦(軽巡〈能代〉、第32駆逐隊〈藤波早波、第27駆逐隊〈五月雨〉)と共にトラックへ回航される高雄型重巡洋艦4番艦「摩耶」(第四戦隊)、潜水母艦長鯨」を護衛してラバウルを出港したが[95]、12日に十戦隊(阿賀野、浦風)は米潜水艦(スキャンプ)に襲撃され、被雷した「阿賀野」は航行不能となった[90][96]。 3隻(軽巡〈能代〉、32駆〈藤波、早波〉)は若月等と分離して阿賀野・浦風の救援に向かった[97][98]。それ以上の被害は出ず、トラック泊地からの救援艦(長良、涼月、初月)等と合流後、各艦は14日-15日にかけてトラック泊地に到着した(阿賀野は長良に曳航)[90][96]

つづいて十戦隊の駆逐艦2隻(61駆〈若月〉、第4駆逐隊〈山雲〉)は内地へ戻る3隻(潜水母艦〈長鯨〉、練習巡洋艦〈鹿島〉、特設巡洋艦〈護国丸〉)を護衛してトラック泊地を出発[99][100]11月19日[101]、「山雲」は艦隊を追跡する米潜水艦スカルピンを発見し、同艦艇を撃沈して生存者約40名を捕虜とした[102][103]。「山雲」はトラック泊地に戻り、残る艦は内地の航海を続ける[104]。 11月25日朝、日本近海で「若月」は鹿島以下瀬戸内海回航組と分離[105][106]。11月26日に横須賀に帰投、同地で修理を実施する[4]。修理と機銃増備工事が行われるも12月21日に缶室で火災事故が発生して修理完了が昭和19年1月9日となった[107]。 修理中の12月12日、第61駆逐隊司令は大江大佐から泊満義大佐に交代[108](大江大佐は12月26日附で重巡洋艦摩耶艦長となる)[109]

昭和19年の行動[編集]

1944年(昭和19年)1月16日、特設巡洋艦赤城丸を護衛中の第61駆逐隊所属2隻(涼月初月)は、米潜水艦スタージョンに雷撃されて「涼月」が大破[110]、泊大佐(第61駆逐隊司令)が戦死する[111][112]。 修理を終えた本艦は横須賀から内海西部に移動[113][114]。 2月6日、第十戦隊(軽巡洋艦〈矢矧〉、第10駆逐隊〈風雲秋雲)、朝雲〉、第61駆逐隊〈初月、若月〉)は空母2隻(翔鶴瑞鶴)、重巡洋艦「筑摩」を護衛して洲本沖を出撃し[115][116]、各艦は2月13日-14日に昭南(シンガポール)へ到着[115][117]。第61駆逐隊はリンガ泊地に回航されて訓練に入る[118][119]

3月15日、第61駆逐隊(初月、若月)は日本向けの輸送物件を搭載してシンガポールを出港し[33]、3月21日に到着[120][121]。 到着直前の3月20日附で天野重隆大佐(前職第10駆逐隊〈秋雲風雲朝雲〉司令)が第61駆逐隊司令に任命され、後任の第10駆逐隊司令は赤澤次壽雄大佐(涼月初代艦長)となった[122]

天野司令を迎えた第61駆逐隊(初月、若月)はリンガ泊地に向かう新鋭空母「大鳳[123]を護衛して3月28日に瀬戸内海を出撃[124][125]。4月4日[126]、シンガポールに到着した[127][128]。 その後、修理中の涼月以外の第61駆逐隊(初月、若月、秋月)は対潜哨戒や第一航空戦隊(大鳳、翔鶴、瑞鶴)の訓練支援に従事する[127][129]

5月、第61駆逐隊(初月、若月、秋月)は第十戦隊各艦と共に行動[130]。5月11日、あ号作戦準備発令に伴って機動部隊を護衛してリンガ泊地を出撃し、5月15日にタウィタウィに到着して湾外での対潜掃討に従事する[130]6月6日、駆逐艦2隻(卯月型水無月〉、秋月型〈若月〉)は給油船「興川丸」を護衛、バリクパパンボルネオ島)を目指してタウイタウイ泊地スールー諸島)を出撃[131]。 同日夜、「水無月」はダバオ南東海上でアメリカ軍潜水艦「ハーダー」(USS Harder, SS-257)の雷撃により沈没[132][133]。同航していた「若月」も雷撃されるが被害はなく、本艦は6月8日にバリクパパン着[131][134]。 6月13日の第一機動艦隊(小沢治三郎中将)のタウィタウィ出撃には同行できず、第一補給部隊を護衛した後6月17日に第一機動艦隊に合流した[131]

6月19日マリアナ沖海戦第一日目[135][136]、「若月」は大鳳視界内にて直衛を務めるが、同艦は米潜水艦アルバコア [137](USS Albacore, SS-218) の雷撃によって損傷[138][139]。14時32分に大爆発を起して沈没の危機に瀕すると[140]、第一機動艦隊司令部(司令長官小沢治三郎中将、参謀長古村啓蔵少将等)はカッターボートで「大鳳」から脱出、「若月」に移乗した[141][142][143]。「若月」は小沢司令部が16時6分に重巡洋艦「羽黒」(第五戦隊旗艦、司令官橋本信太郎少将)に移るまで、第一機動艦隊の臨時旗艦となった[11][131]。大鳳艦長菊池朝三大佐以下生存者は「磯風」に救助された[144]。また同日午前11時、空母「翔鶴」も米潜水艦カヴァラに雷撃され、午後2時頃に沈没した[140]

海戦第二日目の6月20日[145][146]、小沢長官は「羽黒」から翔鶴型2番艦「瑞鶴」に旗艦を変更[147]。小沢中将直率の甲部隊(空母〈瑞鶴〉、第五戦隊〈妙高羽黒〉、第十戦隊〈矢矧磯風浦風初月、若月、秋月霜月朝雲〉)は輪形陣を形成、「若月」は旗艦「瑞鶴」の左後方に位置し[148]、午後からのアメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機による空襲に対して10センチ砲弾440発、機銃弾4,000発を撃った[149]。海戦に敗れ、6月22日に中城湾に寄港の後、各艦は6月24日-25日にかけて瀬戸内海に帰投[131][150]

6月28日、秋月型2隻(若月、霜月)は当時の連合艦隊旗艦である軽巡「大淀」(司令長官豊田副武大将)を護衛して横須賀に向かう[131][151]。 横須賀に到着後、横須賀海軍工廠で機銃増備と13号電探の設置工事が行われた[131][151]。 7月1日附で若月水雷長は、森健二郎大尉から加藤文夫大尉(駆逐艦春雨沈没時の水雷長)に交代[152]

7月5日、秋月型2隻(若月、霜月)は横須賀を出港して呉に移動[153][154]。呉に到着後は遊撃部隊乙部隊に加わり、第十戦隊(旗艦〈矢矧〉、第17駆逐隊〈磯風浜風〉、秋月型2隻〈若月、霜月〉)は軍艦3隻(戦艦〈長門金剛〉、重巡〈最上〉)を護衛して7月8日に呉を出撃する[155][156]。 乙部隊は沖縄本島に配備される陸軍部隊を中城湾で降ろす[155][157]。次いでマニラで軍需品を陸揚げしたあと、7月20日にリンガ泊地に到着[155][158]。月末、本艦はシンガポールで入渠整備をおこなった[153][159]。 8月、第十戦隊各艦と共に、リンガ泊地方面で哨戒と訓練に従事[160][161]。 9月12日、第十戦隊の駆逐艦4隻(若月、磯風、浦風、浜風)はリンガ泊地を出港[162][163]。 9月19日、呉に到着[164][165]。同地で本艦は第17駆逐隊(磯風、浦風、浜風)と別れ[166]、瀬戸内海において第二遊撃部隊(第五艦隊)、空母機動部隊とともに待機する[167]

10月に入り、第十一水雷戦隊各艦(松型駆逐艦)、第61駆逐隊、第41駆逐隊は機動部隊に編入[168]。だが41駆の姉妹艦「冬月」は軽巡「大淀」護衛中に米潜水艦に雷撃されて損傷、呉で修理を余儀なくされた[12]台湾沖航空戦の勃発にともない[169]、第61駆逐隊は第六五三海軍航空隊の人員と基地物件を高雄へ輸送する任務を命じられた[170][171]。この命令(任務)は間もなく取り消され[172]、練習巡洋艦「鹿島」と第30駆逐隊(夕月卯月)が担当することになった[173]。 10月17日-18日、大分を出撃して九州沿岸を南下中の第61駆逐隊(涼月、若月)は[174]、米潜水艦ベスゴ (USS Besugo, SS-321)に襲撃され、魚雷2本(不発1本)が命中した「涼月」は中破[12][175]。「若月」は爆雷攻撃を行い、「涼月」の避退を掩護した[169]。だが「涼月」は入渠を余儀なくされ、レイテ沖海戦に参加できなくなった[111][176]

10月17日、アメリカ軍がフィリピンレイテ湾スルアン島英語版に上陸(19-20日、レイテ島に上陸開始)[177]。翌18日、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は小沢中将率いる機動部隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に第二艦隊司令長官栗田健男中将(海兵38期)率いる第一遊撃部隊がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった[178]。 10月20日夕刻、小沢機動部隊(空母4隻〈瑞鶴瑞鳳千代田千歳〉、航空戦艦2隻〈日向伊勢〉、巡洋艦3隻〈大淀五十鈴多摩〉、秋月型駆逐艦4隻〈初月秋月若月霜月〉、松型駆逐艦4隻〈〉)は豊後水道を出撃[179][180]。 10月24日、本隊から分離した前衛6隻〔第四航空戦隊(日向〈旗艦〉、伊勢)、秋月型4隻(初月、秋月、若月、霜月)〕は夜襲を試みるも成果なく(ただし米軍に発見されたことでハルゼーの反応を引き出した)[181]、夜半過ぎに本隊に合流した[182][183]。ハルゼー提督は「栗田艦隊は壊滅的打撃を受けた」をと判断し、標的を小沢機動部隊にむけた[184]。 同日、松型2隻(桐、杉)は小沢機動部隊から分離、沖縄に退避した[185]

10月25日[186]、小沢機動部隊はエンガノ岬沖で第38任務部隊の艦載機による空襲を受ける(エンガノ岬沖海戦[187][188]。空襲により姉妹艦「秋月」[12][189]、軽巡「多摩」(空襲で被雷損傷して単艦退避中、潜水艦ジャラオによる)[190][191]、空母3隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳)は沈没[192]。健在駆逐艦3隻(初月、若月、)は瑞鶴・瑞鳳乗員救助にあたった[193]。 つづいて2隻(軽巡〈五十鈴〉、駆逐艦〈若月〉)は、当時まだ沈んでいなかった「千代田」救援のため南下[194]、すると第38任務部隊から分離して日本艦隊を追撃中の第34任務部隊(ウィリス・A・リー中将)の巡洋艦部隊(司令官ローレンス・T・デュボース少将)と交戦することになった[195][196]。デュボース隊は、まず「千代田」を砲撃して撃沈し、さらに小沢部隊を追撃した[197]。第61駆逐隊司令天野重隆大佐は2隻(五十鈴、若月)を逃がすために司令駆逐艦「初月」を反転し、米艦隊と交戦の末に撃沈される[198][191]。「初月」の決死の掩護により、若月以下各艦は死地を脱した[196][194]。 避退後、「若月」は再度の夜襲を企図した伊勢・日向・大淀・霜月と合流した[199][200]。「若月」は海戦を通じて機銃弾を多数受けたものの、それ以上の被害はなかった[201]。また秋月・初月の沈没により、第61駆逐隊は2隻編制(涼月、若月)となった[167][202]。 10月27日に奄美大島に到着後、「大淀」とともにマニラ方面への進出を命じられ[203][204]、2隻(大淀、若月)は「霜月」以下各艦から弾薬を供給された[205][206]。10月29日、2隻(大淀、若月)は奄美大島を出発。11月1日(10月31日着とする資料あり)[12]、マニラに到着[13][207]。「若月」は多号作戦支援部隊に編入され、「大淀」と分離した[208]

多号作戦[編集]

炎上し沈没寸前の若月。

フィリピンにおける日本海軍最高責任者の南西方面艦隊司令長官三川軍一中将は、レイテ島に対する増援輸送作戦を多号作戦と呼称した(10月29日、NSB電令作第30号)[15][209]。連合艦隊は、すでに10月27日に第31駆逐隊(岸波、沖波、朝霜、長波)を、28日に第二水雷戦隊(島風、第2駆逐隊〈秋霜、清霜〉、第31駆逐隊〈前日編入済み〉、第32駆逐隊〈浜波〉)を、第一遊撃部隊(栗田艦隊)から第二遊撃部隊(指揮官志摩清英中将、第五艦隊司令長官)に編入していた[15][14]。機動部隊主隊からは、秋月型駆逐艦4隻(第61駆逐隊〈若月、涼月〉、第41駆逐隊〈霜月、冬月〉)を第二遊撃部隊に編入した[14]。秋月型4隻のうち、涼月と冬月は損傷修理がまにあわず内地で待機(後日、空母隼鷹の第二次比島輸送を護衛)、若月と霜月がフィリピンに進出した[14]。 11月1日、南西方面艦隊司令長官は三川中将から大川内傳七中将に交代した[210]。大川内中将は、多号作戦の第三次から第七次までの実施計画を発令した[210][211]。第三次輸送部隊と第四次輸送部隊は11月6日マニラ出撃の予定だった[212]

11月5日、マニラとクラーク地区は米軍機動部隊艦載機の空襲をうける。マニラ湾で重巡洋艦那智(第五艦隊旗艦、志摩長官以下司令部は陸上所在で無事)が沈没、多号作戦従事中の駆逐艦2隻(沖波)が損傷した[212]。空襲のため船団の出撃は遅延した[17]。 翌7日、空襲はなかったが第14方面軍(司令官山下奉文陸軍大将)が大本営に「レイテ輸送作戦中止」を意見具申したため、船団は出撃しなかった[17]連合艦隊(司令長官豊田副武大将、参謀長草鹿龍之介中将、参謀副長高田利種少将、首席参謀神重徳大佐)は南西方面艦隊に対し「十一日を期し、第一遊撃部隊(指揮官栗田健男第二艦隊司令長官、旗艦「大和」)のレイテ突入と共に、第三次、第四次増援を強行するように」と通知した[17]

11月8日[17][213]、「若月」は多号作戦第四次輸送部隊を護衛してマニラを出撃[13][214]。第四次輸送作戦部隊は、マニラ空襲の影響で第三次輸送作戦部隊(指揮官早川幹夫第二水雷戦隊司令官)より先にオルモック湾へ向かう[215][216]。 優速輸送船3隻(香椎丸、金華丸、高津丸)を第一護衛部隊(指揮官松山光治少将)の海防艦4隻(沖縄占守11号13号)、第一水雷戦隊司令官木村昌福少将(海兵41期。「」座乗)指揮下の駆逐艦6隻(旗艦〈〉、第2駆逐隊〈秋霜〉、第7駆逐隊〈〉、第31駆逐隊〈朝霜長波〉、秋月型〈若月〉)で護衛する[211][216]。また別働隊の第一号型輸送艦3隻(6号、9号、10号)も同日夕刻にマニラを出撃した[17][217]11月9日夕方にオルモック湾に到着するも[218][219]大発が揃わず揚陸作業は難航[216][220]。兵員しか陸揚げできなかった[221][222]11月10日朝、第四次輸送部隊はオルモック湾を出撃してマニラに向かったが、間もなくB-25爆撃機P-38戦闘機 の攻撃を受ける[223][224]。海防艦11号、陸軍特殊船高津丸(山下汽船、5,657トン)と輸送船香椎丸(大阪商船、8,407トン)が沈没[17][225]。木村少将は駆逐艦3隻(霞〈旗艦〉、朝霜、長波)に救助作業を担当させ、損傷した秋霜以下の艦艇を輸送船金華丸(大阪商船、9,305トン)の護衛につけてマニラへ先発させた[223][226]

この後、木村少将は麾下の駆逐艦3隻(若月、朝霜、長波)に対し[224][227]、第三次輸送部隊と合流するよう下令する[228][229]。分離を命じられた3隻は、21時にマスバテ島東方のブラックロック水道で多号作戦第三次輸送部隊(指揮官早川幹夫第二水雷戦隊司令官、旗艦島風。11月9日マニラ出撃、低速輸送船5隻、うちセレベス丸は座礁して脱落)に合流[17][227]。一方、第三次輸送部隊から駆逐艦2隻(初春)が分離[224]、第四次輸送部隊の3隻(若月、朝霜、長波)と任務を交代した[229][230]。 第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが[231]、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機[232]による空襲を受ける[227][233]。 輸送船4隻(泰山丸、三笠丸、西豊丸、天照丸)は沈没[229][16]。続いて護衛艦艇も狙われる[229][234]。 11時40分[235]、「若月」の前部と後部に爆弾が命中して北緯10度50分 東経124度31分 / 北緯10.833度 東経124.517度 / 10.833; 124.517の地点に沈没[236]。駆逐艦長鈴木保厚大佐[237]、若月砲術長折笠重康少佐(キスカ島撤退作戦時の軽巡阿武隈航海長)[227][238]など、290名が戦死[239]。なお若月生存者のうち45名がフィリピンの戦いにおける陸上兵力に転用されたとの記録が残る[240]。 第三次輸送部隊は「若月」をふくめ駆逐艦4隻沈没(若月、島風浜波長波)、輸送船団全滅[227]、島風沈没時に二水戦司令官早川幹夫少将戦死および司令部全滅[241]という大損害を受けた[17][242]。マニラに生還したのは駆逐艦「朝霜」(他に駆潜艇46号とも)だけだった[243][244]

11月15日、第十戦隊は解隊されて[14]、残存艦艇は第二水雷戦隊(20日の木村昌福少将任命まで二水戦司令官不在)に編入される[245][241]。 同日附で第61駆逐隊も解隊[202][246]。 既に沈没していた「若月」は、書類上第41駆逐隊に編入された[246][13]。 翌年1945年(昭和20年)1月10日、「若月」は 帝国駆逐艦籍[247]、 秋月型駆逐艦[248]、 第41駆逐隊のそれぞれから除籍された[249]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』357頁による。

艤装員長[編集]

  1. 鈴木保厚 中佐:1943年5月1日[28] - 1943年5月31日[29]

駆逐艦長[編集]

  1. 鈴木保厚 中佐/大佐:1943年5月31日[29] - 1944年11月11日戦死(同日附で海軍少将に進級)[237]

参考文献[編集]

  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年
  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人 『戦藻録 明治百年史叢書』 原書房、1968年1月。
  • 生出寿 『連合艦隊・名指揮官の生涯 戦場の将器 木村昌福』 光人社、1997年12月。ISBN 4-7698-0835-6
  • 生出寿 『智将小沢治三郎 沈黙の提督 その戦術と人格』 潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2017年7月(原著1988年)。ISBN 978-4-7698-3017-7
  • 小沢提督伝刊行会編 『回想の提督 小沢治三郎』 原書房、1971年3月。
  • 小淵守男 『少年水兵の太平洋戦争 巡洋艦「大淀」16歳の海戦』 光人社NF文庫、2011年11月。ISBN 978-4-7698-2713-9
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
  • 岸見, 勇美 『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌光人社、2010年12月。ISBN 978-4-7698-2666-8
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 木俣滋郎 『駆逐艦入門 水雷戦の花形徹底研究』 光人社NF文庫、2006年7月。ISBN 4-7698-2217-0
  • 倉橋友二郎 『駆逐艦隊悲劇の記録 海ゆかば・・・』 徳間書店、1967年6月。 著者は1944年6月〜1945年5月まで駆逐艦「涼月」砲術長勤務。
  • 倉橋友二郎 『激闘駆逐艦隊』 朝日ソノラマ、1987年12月。
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 海戦の原則 <駆逐艦「浜波」司令・大島一太郎少将の証言>(レイテ沖海戦、多号作戦時、第32駆逐隊司令として駆逐艦浜波乗艦)
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「戦術の極意」<駆逐艦艦長・石塚栄少佐の証言>(砲術長、村雨水雷長、北上水雷長、矢矧水雷長、槇艦長等)
  • 志賀博ほか 『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』 潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7
    • 当時「朝霜」航海長・海軍大尉芦田収『夕雲型「朝霜」多号作戦オルモック輸送 敵機の集中攻撃をかいくぐり三次四次レイテ輸送から生還した航海長の体験
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • チェスター, ニミッツ、E・B・ポッター 『ニミッツの太平洋海戦史』 実松譲・富永謙吾訳、恒文社、1962年12月。
  • 野元為輝ほか 『航空母艦物語 体験で綴る日本空母の興亡と変遷!』 潮書房光人社、2013年6月。ISBN 978-4-7698-1544-0
    • 元「大鳳」第一機動艦隊司令部付技術長・海軍技術大佐塩山策一『まろぼしの不沈空母「大鳳」の悲劇 秘密裡に出撃したまま南溟に消えた重防禦空母の生涯
  • 原為一ほか 『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』 潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8
    • 当時「阿賀野」補機長・海軍機関兵曹長笠倉重雄『新鋭「阿賀野」ラバウル湾口の悪夢を語れ 轟音と炎暑に充ちた艦底で体験した機関科員の凄絶なる戦闘記録
    • 当時「阿賀野」通信科員・海軍一等兵曹中村卓司『損傷艦「阿賀野」紅蓮の炎のなかの絶叫 ブーゲンビル島沖海戦からラバウル大空襲そして被雷沈没の最後
    • 当時「川内」水雷長・海軍少佐浅野市郎『俊鋭軽巡「川内」タロキナ岬沖の悲運 速力三十五ノット五五〇〇トン最終発展型軽巡のブーゲンビル島沖海戦
    • 当時大淀第三分隊士・海軍中尉足立之義『大淀乗員が見た小沢オトリ艦隊の悲惨 左舷高角砲指揮官が敵空襲下で体験したエンガノ岬沖海戦の現実
    • 当時五十鈴工作科・海軍一等工作兵曹須藤岩夫『防空巡五十鈴の脈動がわが胸に響くとき 満十七歳の秋、血の海に戦い生還した工作兵の血涙の戦場体験
    • 当時五十鈴通信長・海軍大尉芝山末男『防空巡洋艦五十鈴エンガノ岬沖の血戦 主砲を撤去して高角砲六門に対空機銃と電探。大改装後の通信長の回想
    • 当時大淀航海長・海軍中佐内田信雄『艦隊司令部用旗艦大淀の航跡 連合艦隊旗艦としても栄光をになった名艦の生涯を綴る航海長の手記
  • 福井静夫福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語』第5巻、阿部安雄・戸高一成/編集委員、光人社、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6
  • 福田幸弘 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』 時事通信社、1981年7月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』第54巻、朝雲新聞社、1972年3月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<2> 昭和十七年六月以降』第62巻、朝雲新聞社、1973年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』第93巻、朝雲新聞社、1976年3月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • マッキンタイヤー, ドナルド 『レイテ 連合艦隊の最期・カミカゼ出撃』 大前敏一訳、中野五郎監修、サンケイ新聞社出版局〈第二次世界大戦ブックス5〉、1971年3月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0461-X
  • ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』 雑誌『』編集部/編、光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4
  • 雑誌「丸」編集部 『空母機動部隊 私は非情の海空戦をこう戦った!』 光人社、2010年7月。
    • 当時第一機動艦隊司令長官・海軍中将小沢治三郎『昭和20年10月16日/小沢長官が米軍に語った証言記録-質問者/米海軍R・A・オフスティ少将 「あ」号作戦の疑問に答える』
    • 当時海軍技術大佐塩山策一『大鳳と瑞鶴で見たマリアナ沖海戦』
    • 元第一機動艦隊参謀・海軍大佐大前敏一『あ号作戦・レイテ沖海戦に散る 小沢機動艦隊の最後』
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 戦史研究家落合康夫『艦名別秋月型駆逐艦十二隻の生涯』
    • 戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
    • 当時「秋月」二代目艦長・海軍中佐緒方友兄『二代目艦長が綴る駆逐艦「秋月」の奮戦 被雷損傷修理をおえ新艦長を迎えて前線復帰した後の精鋭艦の航跡
    • 当時「初月」艦長・海軍大佐田口正一『遙かなり防空直衛駆逐艦「初月」の航跡 初陣の潜水艦戦からマリアナ沖海戦まで勇猛艦長の東奔西走の日々
    • 当時「浜波」乗組・海軍中尉中沢五郎『オルモック急行「浜波」砲塔に息絶えて 長波、朝霜、若月らと行を共にした第三次多号作戦の悲惨
    • 当時「島風」機関長・海軍少佐上村嵐『追随をゆるさぬ最高速感「島風」の最後 乗員四五〇名のうち生存者たった三名という制空権なき輸送作戦の結末
  • 横井俊之ほか 『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』 潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9
    • 当時在「大鳳」一機動艦隊司令部付技術長・海軍技術大佐塩山策一『されど新鋭空母「大鳳」恥ずることなかれ 飛行甲板も舷側も防禦万全のはずの不沈空母はなぜ魚雷一本で沈んだのか
    • 米潜アルバコア艦長・米海軍少佐J・ブランチャード『大鳳はこうして沈んだ 米潜水艦アルバコア艦長が綴る第一航空戦隊旗艦「大鳳」撃沈の真相
    • 当時「大鳳」乗組六〇一空魚雷分隊員・海軍二等兵曹堀豊太郎・「丸」編集部『栄光と悲劇に彩られた日本空母の奮戦 大鳳、祥鳳、赤城加賀、飛龍蒼龍、龍驤、飛鷹、翔鶴瑞鶴、瑞鳳、千代田、信濃の最後
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』学習研究社、2001年、ISBN 4-05-602063-9
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和17年1月~12月達/達昭和17年8月』。Ref.C12070115300。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月分(3)』。Ref.C12070164600。
    • 『昭和18年5~6月内令2巻/昭和18年5月(7)』。Ref.C12070177800。
    • 『昭和18年7~8月 内令3巻/昭和18年8月(2)』。Ref.C12070179600。
    • 『昭和18年9~10月内令4巻/内令昭和18年10月(5)』。Ref.C12070181500。
    • 『昭和19年9月~12月秘海軍公報号外/11月(3)』。Ref.C12070497900。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(2)』。Ref.C12070503600。
    • 『昭和17年12月31日現在10版 内令提要追録第12号原稿 巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13072013300。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 佐世保鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030339800。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 佐世保鎮守府戦時日誌(3)』。Ref.C08030340000。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 佐世保鎮守府戦時日誌(4)』。Ref.C08030340100。
    • 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030101200。
    • 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030101300。
    • 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030101400。
    • 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030101500。
    • 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌(7)』。Ref.C08030048700。
    • 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌(8)』。Ref.C08030048800。
    • 『昭和17年12月1日~昭和18年11月2日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030044900。
    • 『昭和17年12月1日~昭和18年11月2日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)/第五戦隊司令部『昭和十八年十一月十五日 南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報 第二号』』。Ref.C08030045000。
    • 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030106200。
    • 『昭和18年11月1日~昭和18年11月30日 特設巡洋艦護国丸戦時日誌 南海守備隊輸送 丁2.4号輸送(4)』。Ref.C08030654200。
    • 『昭和18年11月1日~昭和18年12月31日 佐伯防備隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030410200。
    • 『昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030126000。
    • 『昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030126100。
    • 『昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030126300。
    • 『昭和19年3月1日~昭和19年11月15日 第1機動艦隊戦時日誌』。Ref.C08030036200。
    • 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030039800。
    • 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030039900。
    • 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030040000。
    • 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030040100。
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030050000。
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030050100。
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030050200。
      第十戦隊司令部『自昭和十九年二月一日至昭和十九年二月二十九日 第十戦隊戦時日誌』
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030050300。
      第十戦隊司令部『自昭和十九年三月一日至昭和十九年三月三十一日 第十戦隊戦時日誌』
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030050400。
      第十戦隊司令部『自昭和十九年四月一日至昭和十九年四月三十日 第十戦隊戦時日誌』
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(6)』。Ref.C08030050500。
      第十戦隊司令部『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 第十戦隊戦時日誌』
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌』。Ref.C08030724100。
      第十戦隊司令部『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 第十戦隊戦時日誌』
    • 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)』。Ref.C08030150500。
      第六十一駆逐隊『六十一駆逐隊(涼月缺)戦闘詳報(第四号)』
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030050800。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030050900。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030051000。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030127700。
    • 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)』。Ref.C08030036600。
    • 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(2)』。Ref.C08030036700。
    • 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)』。Ref.C08030036800。
    • 『昭和19年10月1日~昭和19年10月31日 捷号作戦戦時日誌(4)第10戦隊』。Ref.C08030039400。
    • 『昭和19年10月25日 駆逐艦霜月戦闘詳報』。Ref.C08030590100。
    • 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 軍艦大淀捷1号作戦戦闘詳報』。Ref.C08030577500。
    • 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(4) 軍艦大淀・軍艦鈴谷』。Ref.C08030038300。
    • 『昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030087600。
      多号作戦第四輸送部隊 第一水雷戦隊司令部『多号作戦戦闘詳報第二号(自昭和十九年十一月八日至昭和十九年十一月十一日第四次輸送作戦)』
    • 『第1表/2.1944年10月18日以降増援兵力』。Ref.C14061098700。
    • 『昭和16.12~20.9 第2次世界大戦略歴(乙)第1号(主要作戦の概要)/昭和19年4月経過概要~昭和19年6月経過概要』。Ref.C16120622700。
    • 『昭和16.12~20.9 第2次世界大戦略歴(乙)第1号(主要作戦の概要)/昭和19年7月経過概要~昭和19年9月経過概要』。Ref.C16120622800。
    • 『昭和16.12~20.9 第2次世界大戦略歴(乙)第1号(主要作戦の概要)/昭和19年10月経過概要~昭和19年12月経過概要』。Ref.C16120622900。
    • 『昭和16.12~18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1/昭和18年6月』。Ref.C16120658200。
    • 『昭和16.12~18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1/昭和18年11月』。Ref.C16120658700。
    • 『昭和19.1~昭和20.2 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年1月』。Ref.C16120659200。
    • 『昭和19.1~昭和20.2 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年6月』。Ref.C16120659700。
    • 『昭和19.1~昭和20.2 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年10月』。Ref.C16120660100。
    • 『昭和19.1~昭和20.2 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年11月』。Ref.C16120660200。

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.28
  2. ^ a b 機銃、電探数は『日本駆逐艦物語』p281の「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」による。1944年8月20日の調査。
  3. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』p39「写真 日本の軍艦 第11巻』p158による。
  4. ^ a b c d e f g h 秋月型(潮2015)、79-80頁「若月(わかつき)」
  5. ^ a b #達昭和17年8月pp.19-22「達第二百三十三號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦五隻、海防艦四隻、掃海艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 若月(ワカツキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十潜水艦 伊號第四十一潜水艦 伊號第四十二潜水艦 伊號第五十二潜水艦|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 呂號第百九潜水艦|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 海防艦 擇捉(エトロフ) 特務艦 白埼(シラサキ)|三井造船株式會社玉工場ニ於テ建造 海防艦 松輪(マツワ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 佐渡(サド)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 海防艦 隠岐(オキ)|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第二十三號掃海艇|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 第二十六號掃海艇」
  6. ^ #昭和17年12月31日艦船(1)p.「艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|秋月型|秋月、照月、涼月、初月、新月、若月」
  7. ^ 片桐, 363ページ
  8. ^ a b c d e f 福井1993、日本駆逐艦物語、205頁「第6表、秋月型(乙型)一覧表」
  9. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.46「五.作戰經過ノ概要(略)(五)若月三十一日當隊ニ編入佐世保ニ回航出撃準備」
  10. ^ a b #内令昭和18年8月(2)p.29〔内令第千六百六十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年八月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六十一驅逐隊ノ項中「初月」ノ下ニ「、若月」ヲ加フ〕
  11. ^ a b c 智将小沢治三郎、256-259頁
  12. ^ a b c d e f g 戦史叢書93巻、30-34頁「大本営海軍部の水上兵力整頓の基本方針」
  13. ^ a b c d #S1907十戦隊日誌(3)p.34「(3)若月 大淀ノ警戒ニ任ジツツ内地ヨリ回航中ノ所一日「マニラ」着八日「マニラ」出撃多號作戰第四次輸送部隊警戒艦トシテ九日「オルモック」突入揚搭ニ成功右終了後反轉十日第三次輸送部隊ト航過ノ際之ニ編入之ガ警戒ニ任ジツツ再度「オルモック」ニ突入セントセル所十一日一一四〇同地突入直前敵機動部隊ト交戰遂ニ沈没スルニ至レリ 十五日附四十一駆ニ編入セラル」
  14. ^ a b c d e 戦史叢書54巻、450-453頁「フィリピン沖海戦直後の水上部隊」
  15. ^ a b c 戦史叢書93巻、51頁「レイテ増援輸送作戦を多号作戦と呼称」
  16. ^ a b 昭和19年11月、経過概要(護衛対潜)p.4(昭和19年-11月11日)
  17. ^ a b c d e f g h i 戦史叢書93巻、62-65頁「軍需品搭載船団の全滅」
  18. ^ a b c #ハンディ判艦艇写真集18p.16「秋月型建造工程一覧表」
  19. ^ 福井1993、日本駆逐艦物語、207-208頁「フル回転する各造船所」
  20. ^ #達昭和17年8月p.19「達第二百三十二號 佐世保海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 矢矧(ヤハギ)」
  21. ^ #内令昭和17年8月(3)pp.5-6〔内令第一五五四號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等阿賀野型ノ項中「阿賀野」ノ下ニ「、能代、矢矧」ヲ加フ 同、航空母艦ノ項中「飛鷹」ノ下ニ「、冲鷹」ヲ加フ|駆逐艦、一等初春型ノ項中「子日、」ヲ、同白露ノ項中「山風、」ヲ、同朝潮型ノ項中「、霰」ヲ削リ、同秋月型ノ項中「新月」ノ下ニ「、若月」ヲ加フ(以下略)〕
  22. ^ #S1711佐鎮日誌(3)p.28「二十四日〇九三〇佐世保鎮守府司令長官|海軍大臣|機密第二四〇九三〇番電 驅逐艦若月本日〇九〇〇無事進水ス|有線」
  23. ^ 昭和17年11月11日(発令11月11日)海軍辞令公報(部内限)第985号 p.47』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088000 
  24. ^ #S1711佐鎮日誌(1)p.26「司令長官|同(中将)|南雲忠一|十一月十九日着任」
  25. ^ #S1711佐鎮日誌(4)p.30「二十三(天候略)(略)二、司令長官長崎市出張」/p.41「二十四(天候略)驅逐艦若月長崎ニ於テ進水(略)三、司令長官歸府」
  26. ^ a b 昭和15年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第543号 p.38』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  27. ^ a b 昭和18年1月27日(発令1月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1042号 p.29』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089500 
  28. ^ a b c 昭和18年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1106号 p.45』 アジア歴史資料センター Ref.C13072090800 
  29. ^ a b c d 昭和18年6月2日(発令5月31日付)海軍辞令公報(部内限)第1134号 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091400 
  30. ^ 海軍公報(部内限)第4408号 昭和18年6月8日(火) p.20』 アジア歴史資料センター Ref.C12070431800 「○事務開始 第四五二航空隊派遣隊ヲ五月二十九日横濱航空基地内ニ設置シ事務ヲ開始セリ|○事務所撤去 特務艦荒埼艤装員事務所ハ五月二十九日撤去セリ|驅逐艦若月艤装員事務所ハ五月三十一日撤去セリ」
  31. ^ #内令昭和18年5月(7)p.35「内令第千七十三號 驅逐艦 若月 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル(略)| 昭和十八年五月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎」
  32. ^ 遠藤, 209ページ
  33. ^ a b c #ハンディ判艦艇写真集18p.33(駆逐艦『秋月型』行動年表)◇若月◇)
  34. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.22「備考 雷 電 内南洋部隊ニ編入中/響 五月十七日 北方部隊/新月 五月十七日 機動部隊/島風 五月十日 若月 五月三十一日}當隊ニ編入」
  35. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.44「四.参考(一)麾下艦船ノ行動」
  36. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.10「五日〇六〇二若月(宛略)〇六〇〇桂島着」
  37. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.19「四.参考 麾下艦船ノ行動」
  38. ^ 智将小沢治三郎、163頁
  39. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.11,14,15
  40. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.15「二十二日〇九四五若月(宛略)若月玉波横須賀着」
  41. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.16「二十三日一七〇一11sd司令官(宛略)横鎮機密第二三一二〇二番電関聯 若月玉波ハGF機密第一五一四三〇番電ニ依ル任務ニ支障ナキ範囲ニ於テ横鎮ノ協議ニ應ジ相良丸救難作業ニ協力スベシ」
  42. ^ a b 昭和18年6月、経過概要(護衛対潜)p.6(昭和18年-6月23日)
  43. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.20「(ロ)玉波若月二十一日内海西部出撃(敵潜水艦掃蕩及護衛)二十七日内海西部着」
  44. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.32「六日〇四〇一11sd司令官(宛略)若月横須賀ニ向ケ桂島発」/p.33「七日〇九〇〇若月艦長(宛略)横須賀着」
  45. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.33「十二日一四二五11sd司令官(宛略)若月内海西部着」
  46. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.30「三日一三四〇GF長官(宛略)機密第〇三一三四〇番電 1F長官ハ七月八日迄ニ驅逐艦一隻ヲ横須賀ニ派遣冲鷹(横須賀ヨリ豊後水道外3Fニ合同迄)ノ護衛ニ任ズベシ』/p.31「三日1F長官(略)1F信令第八一號 若月ヲシテ1F信電令第五一號ノ任務終了後GF機密第〇三一三四〇番電ノ任務ニ從事セシムベシ」
  47. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.41「一一|若月3Fト洋上會合冲鷹ト解列一一〇六」
  48. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.43「二五(位置略)(略)龍田主砲(夜間)教練射撃/大和電探公試協力/若月主砲第一回夜間水上射撃」
  49. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.26「(四)麾下艦船ノ行動」
  50. ^ #S1804十一水戦日誌(2)p.44「三〇(位置略)〇六一五能代龍田若月霞桂島出港/二四〇〇 八島假泊|各艦諸教練 若月主砲機銃第三回教練射撃」-「三一(位置略)假泊地発/一六二五能代若月霞入港(桂島)(以下略)」
  51. ^ #S1804十一水戦日誌(3)p.8「一日一二四五11sd司令官(宛略)藤波内海西部着 若月横須賀ニ向ケ発」
  52. ^ #S1804十一水戦日誌(3)p.33「一(天候略)一二三〇藤波桂島発一四三〇呉着/若月一二四五桂島出撃」
  53. ^ #S1804十一水戦日誌(3)p.5「(四)麾下艦船ノ行動」
  54. ^ #S1804十一水戦日誌(3)p.9「二日一三〇三若月駆逐艦長(宛略)若月横須賀着」
  55. ^ 昭和18年2月3日(発令2月3日付)海軍辞令公報(部内限)第1047号 pp.41-42』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  56. ^ #S1804十一水戦日誌(3)p.35「一五(位置略)響横須賀発〇七〇〇|若月61dgニ編入セラル」
  57. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.51「一七日〇六〇〇(長官)2F(宛略)2F機密第一六二三二一番電 「トラツク」回航ニ關スル機密AdB命令要旨 一.第二軍隊區分(主力部隊ト合同後)區分指揮官兵力ノ順 主隊直率4S(摩耶缺)大鷹警戒隊(司令官)2sd 2sd(能代)24dg(涼風海風)秋雲(以下略)」
  58. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.4「(三)2sd(能代)ハ十六日主力部隊(長官1F直率)ノ指揮下ニ入リ主力部隊ノ警戒隊(司令官2sd、2sd(能代)初風天津風)トナリ十六日呉出撃八島假泊(海風ト合同佐鎮五特、便乗者一部移載)十七日假泊發十八日一一〇〇(長官)2F直率部隊(24dg(涼風)ヲ含ム)ト合同(指揮官)YBノ麾下(YB警戒隊)トナリ二十三日「トラツク」着」
  59. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.60「二三日一一五五(長官)1F(宛略)1F機密第二三一〇一九番電 大和長門扶桑愛宕高雄能代24dg(涼風海風)11dg(秋雲夕雲)天津風若月初風ヲ率ヒ「トラツク」着二三日〇七四五」
  60. ^ 智将小沢治三郎、165頁
  61. ^ 『第八戦隊戦時日誌』C08030048800, pp.14,15,31,32,33、木俣『日本空母戦史』504、508ページ
  62. ^ #内令昭和18年10月(5)p.38〔内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ〕
  63. ^ 木俣『日本水雷戦史』374ページ
  64. ^ 戦史叢書96巻、384-386頁「第一航空戦隊飛行機隊の進出と戦闘加入」
  65. ^ 戦史叢書96巻、388頁「タロキナへの逆上陸輸送計画の生起」
  66. ^ #S1712五戦隊日誌(4)p.8「一.参加兵力ノ情況(イ)5S 川内 時雨 五月雨 文月及水無月ハ十月三十一日一四三〇「ラボール」出撃「モノ」島方面ニ作戰シ卯月ハ「ブカ」輸送ニ從事夫々一日一〇二〇「ラボール」ニ歸投/(ロ)白露阿賀野長波初風若月一日午前「ラボール」入港」
  67. ^ #S1712五戦隊日誌(4)p.8「二.敵情(イ)敵ハ一日〇二〇〇頃T×30以上ヲ「タロキナ」附近ニ上陸シ「タロキナ」岬附近ヲ占據セリ」
  68. ^ 戦史叢書96巻、382-383頁「連合軍のタロキナ上陸とわが航空攻撃」
  69. ^ a b c d 戦史叢書96巻、391-394頁「ボーゲンビル島沖海戦・その一」
  70. ^ #S1712五戦隊日誌(4)p.13「(ハ)兵力區分」
  71. ^ #S1807三水戦日誌(5)pp.30-31「(二)軍隊区分各部隊ノ任務」
  72. ^ #S1712五戦隊日誌(4)p.10「(一)一日一四三〇RR出撃26節(夕凪最大速力)ヲ以テ「セントヂョーヂ」岬南方ヨリ針路一三〇度ヲ以テ「ガゼル」湾ニ直航(之字運動ヲ行ハズ)(以下略)」
  73. ^ a b 戦史叢書96巻、390-391頁「第二回出撃―輸送隊の反転帰投」
  74. ^ ニミッツ 1962, pp. 177-180.
  75. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 182-184.
  76. ^ 智将小沢治三郎、166-167頁
  77. ^ #S1712五戦隊日誌(4)p.43-45「二.被害(イ)艦船」
  78. ^ 昭和18年11月、経過概要(護衛対潜)p.2(昭和18年-11月2日)
  79. ^ a b 戦史叢書96巻、394-395頁「ボーゲンビル島沖海戦・その二」
  80. ^ ニミッツ 1962, p. 185.
  81. ^ a b 智将小沢治三郎、167-169頁
  82. ^ a b 戦史叢書96巻、399-400頁「米空母機による第一次被空襲と被害―十一月五日」
  83. ^ 昭和18年11月、経過概要(護衛対潜)pp.3-4(昭和18年-11月5日)
  84. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.30「五日(指揮官)YB(宛略)鳥海涼波ハ「ラバウル」入港ヲ止メ「トラツク」ニ帰投セヨ」
  85. ^ 戦史叢書96巻、400-401頁「重巡部隊のトラック帰投」
  86. ^ a b c d 戦史叢書96巻、401-404頁「タロキナ北方逆上陸の成功」
  87. ^ 戦史叢書96巻、411-412頁「大本営発表」
  88. ^ a b 戦史叢書96巻、413-414頁「米空母機による第二次ラバウル空襲―十一月十一日」
  89. ^ a b ニミッツ 1962, p. 186.
  90. ^ a b c d e f 戦史叢書96巻、414-415頁「邀撃作戦と艦艇の被害」
  91. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.53「五.戦果及被害 (一)戦果 飛行機撃墜二機 涼波1早波1 (二)被害 沈没 駆逐艦一隻(涼波) 撃破 駆逐艦一隻(長波) 其ノ他 被害ナシ|六我兵力ノ現状 (一)全力發揮可能ノモノ (司令官)能代(司令)早波藤波(司令)大波巻波 (二)其ノ他 長波航行不能對空射撃(機銃可能)」
  92. ^ a b 昭和18年11月、経過概要(護衛対潜)p.5(昭和18年-11月11日)
  93. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.47「〇七二五|阿賀野後部ニ魚雷一本命中位置デューオブヨーク島沖」
  94. ^ #軽巡二十五隻31-35頁「使用不能になった主機械」
  95. ^ #S1806二水戦日誌(5)p.50「11日将旗2sd/艦N1702/直衛配備ヲ左ノ通定ム 能代ノ左右70度摩耶ノ左右90度長鯨ノ180度距離2粁前方ヨリ右側若月風雲、左側早波藤波、後方五月雨」
  96. ^ a b #軽巡二十五隻35-37頁「魚雷一本の命中で大浸水」
  97. ^ 戦史叢書62巻、430頁
  98. ^ #S1806二水戦日誌(6)p.32「一一(天候略)1708NTB電令作第135号ニ依リ阿賀野救難ノタメ2sd(能代)32dg(早波藤波)遭難現場ニ急行ス 摩耶長鯨五月雨若月風雲「トラック」ニ先行セシム」
  99. ^ #S1808護国丸(4)p.22「長鯨艦長(宛略)長鯨機密第一八〇四〇〇番電発長鯨艦長 長鯨鹿島護國丸若月呉ニ向ケ「トラツク」発」
  100. ^ #S1808護国丸(4)p.10「一八(天候略)〇三五六出港用意(長鯨鹿島若月)山雲ハ礁外二〇〇浬迄本船団護衛ニ任ズ」
  101. ^ 昭和18年11月、経過概要(護衛対潜)p.6(昭和18年-11月19日)
  102. ^ 戦史叢書62巻、518頁「米潜水艦の跳梁」
  103. ^ ニミッツ 1962, p. 369.
  104. ^ #S1808護国丸(4)p.10「一九(天候略)〇六〇〇山雲護衛ヲ止メ解列(以下略)」
  105. ^ #S1811佐伯防備隊日誌(2)p.35「十一月十九日一六四三呉防戰司令官(宛略)電令作第三九八號 一.長鯨鹿島護國丸若月二十三日二十四日正午位置N25°0.5'E139°0.5'、N28°28'E136°17'西水道ニ向フ(以下略)」
  106. ^ #S1808護国丸(4)pp.11-12「二五(天候略)〇七五〇若月解列横須賀ニ向フ警戒航行止ム(略)〇八一七豊後水道西水道ニ入ル/一六一一入港用意」
  107. ^ 遠藤, 210ページ
  108. ^ 昭和18年12月13日(発令12月12日付)海軍辞令公報(部内限)第1279号 p.28』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  109. ^ 昭和18年12月27日(発令12月26日付)海軍辞令公報(部内限)第1287号 p.29』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094900 
  110. ^ 昭和19年1月、経過概要(護衛対潜)p.6(昭和19年-1月16日)
  111. ^ a b 秋月型(潮2015)、76-78頁「涼月(すずつき)」
  112. ^ #S1812十戦隊日誌(2)p.25「初月機密第一七〇九〇五番電 十六日一〇五〇涼月北緯三二度一五分東経一三二度二九分ニテ雷撃ヲ受ケ大破 司令泊(六二六)駆逐艦長瀬尾(一六三七)戰死セリ」
  113. ^ #S1812十戦隊日誌(1)pp.10-11「四.麾下艦船部隊ノ行動」
  114. ^ #S1812十戦隊日誌(2)p.28「若月機密第一九二〇一五番電 若月内海西部着」
  115. ^ a b #S1812十戦隊日誌(3)pp.9-10「(四)麾下艦船部隊ノ行動」
  116. ^ #S1812十戦隊日誌(3)p.27「六(天候略)矢矧10dg初月若月〇六三〇昭南ニ向ケ翔鶴瑞鶴筑摩ヲ護衛洲本発〇六一五朝雲昭南ニ向ケ洲本発」
  117. ^ #S1812十戦隊日誌(3)p.28「一三(天候略)雪風〇七三〇呉発/一八二五10dg若月昭南着/一八四六矢矧昭南着」
  118. ^ #S1812十戦隊日誌(3)pp.4-5「(ロ)矢矧10dg 61dg(初月若月)櫻部隊ニ編入1sfヲ護衛六日洲本発矢矧61dg(初月若月)昭南ヲ経テ二十日「リンガ」着二十一日敷島部隊ニ合同爾後ノ行動前號通/10dg十三日昭南着二十日同地発瑞鶴護衛臼杵ヲ経テ二十七日呉着」
  119. ^ #S1812十戦隊日誌(4)pp.14-15「四.麾下艦船部隊ノ行動」
  120. ^ #S1812十戦隊日誌(4)p.5「ロ)(略)61dg(初月若月)KdB電令作第一四七號ニ依リ1KF内地行輸送物件大鳳護衛ノ目的ヲ以テ呉ニ向ケ昭南発二十一日呉着」
  121. ^ #S1812十戦隊日誌(4)p.28「61dg機密第二一一四一五番電 當隊(初月若月)呉着」
  122. ^ 昭和19年3月22日(発令3月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1384号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096800 
  123. ^ 智将小沢治三郎、183頁
  124. ^ #S1812十戦隊日誌(4)p.8「(ヲ)二十八日初月及若月大鳳護衛内海西部発昭南ニ回航ス」
  125. ^ #S1812十戦隊日誌(4)pp.43-44「二八(天候略)(略)〇六〇〇初月若月大鳳護衛昭南ニ向ケ内海西部発」
  126. ^ 智将小沢治三郎、202頁
  127. ^ a b #S1812十戦隊日誌(5)pp.8-10「(ホ)(1)初月/(2)若月/(3)秋月/(4)涼月」
  128. ^ #S1812十戦隊日誌(5)p.51「4(天候略)〇九〇〇風雲秋雲昭南着/一八〇〇初月若月大鳳護衛呉ヨリ昭南着/一八二五風雲秋雲「リンガ」ニ向ケ昭南発」
  129. ^ #S1812十戦隊日誌(5)pp.12-16「(三)麾下艦船部隊ノ行動」
  130. ^ a b #S1812十戦隊日誌(6)pp.11-14「(ホ)第六十一駆逐隊(1)初月/(2)若月/(3)秋月/(4)涼月」
  131. ^ a b c d e f g #あ号作戦日誌(2)pp.26-27「(2)若月 五日迄「タウイタウイ」ニアリテ警戒待機シツツ諸訓練ニ從事ス此ノ間二日一戰隊射撃曳的艦トシテ出動セリ 六日水無月ト共ニ興川丸ヲ護衛「バリクパパン」ニ向ケ発出港後間モナク水無月敵潜ノ雷撃ヲ受ケ沈没之ガ救難ニ赴ク途中敵潜ノ雷撃ヲ被リタルモ被害ナシ 八日「バリツクパパン」着 九日良榮丸荒崎ヲ護衛「タウイタウイ」ニ向ケ出撃セルモ命ニ依リ途中ヨリ反転十日「バリクパパン」皈投、同地ニアリテ待機、十四日同地発KdBニ合同スベク單獨比島東方洋上ニ向フ 十六日第一補給部隊ニ合同之ガ護衛ニ任ズ 十七日本隊ニ合同之ガ警戒艦トナル警戒中矢矧ノ聴音セル敵潜ヲ探知攻撃之ヲ制圧セリ 十九、二十日敵KdBトノ戰闘ニ参加敵艦爆二機ヲ撃墜、二機ヲ撃破セリ 十九日大鳳敵潜ノ攻撃ヲ受ケ被雷沈没スルヤ之ガ掃蕩攻撃並ニ人員救助ニ任ジKdB長官ノ将旗ヲ移揚セルモ後刻羽黒ニ移揚セラレタリ 二十一日本隊警戒艦トシテ中城湾ニ向ヒ二十二日同地着補給ノ上二十三日同地発、二十四日桂島着、二十八日霜月ト共ニ聯合艦隊旗艦大淀警戒艦トシテ横須賀ニ回航、二十九日同地着、單装機銃、十三號電探装備等ノ工事ニ着手ス」
  132. ^ #あ号作戦(第2復員局)p.56「六-六」
  133. ^ #戦藻録(1968)338頁「六月七日 水曜日 晴」
  134. ^ #あ号作戦日誌(2)p.36(第十戦隊各艦行動表)
  135. ^ 昭和19年6月、経過概要(護衛対潜)p.13(昭和19年-6月19日)
  136. ^ 昭和19年4月-6月経過概要p.16「(六月)十九日」
  137. ^ 智将小沢治三郎、249頁
  138. ^ 福田幸弘 1981, pp. 62-63「旗艦「大鳳」爆沈」
  139. ^ #野元、航母(2013)、139-142頁「揮発油庫を直撃した一発の魚雷」
  140. ^ a b 智将小沢治三郎、254-255頁
  141. ^ 福田幸弘 1981, pp. 64-65.
  142. ^ #回想の提督166-167頁
  143. ^ #野元、航母(2013)、144-145頁「揮発油庫を直撃した一発の魚雷」
  144. ^ #野元、航母(2013)、132-133頁「大鳳ついに羽ばたかず」
  145. ^ 昭和19年6月、経過概要(護衛対潜)p.13(昭和19年-6月20日)
  146. ^ 昭和19年4月-6月経過概要p.16「(六月)二十日」
  147. ^ 福田幸弘 1981, pp. 65-68.
  148. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.27
  149. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.15
  150. ^ 昭和19年4月-6月経過概要p.17「二十五日」
  151. ^ a b #あ号作戦日誌(2)p.28「(ヘ)霜月 十日附第十戰隊ニ編入セラレ同日「タウイタウイ」ニ向ケ佐世保発、十四日九度一〇分北一二〇度五〇分東ニ於テ「ギマラス」ニ進出中ノ機動部隊ト合同、本隊ニ編入、同隊ノ警戒ニ任ジツゝ同日「ギマラス」ニ着補給ノ上翌十五日出撃、十九日二十日敵KdBト交戰艦爆二機撃墜被害ナシ 二十日夕遊撃部隊ニ編入敵ヲ索メテ追撃シタルモ途中ニテ反転二十二日中城湾着、同地ニテ燃料補給翌二十三日本隊ニ復皈中城湾発本隊ノ警戒ニ任ジツゝ二十四日桂島着待機中ノ所二十八日若月ト共ニ同地発 聯合艦隊旗艦大淀ノ警戒ニ任ジツゝ翌二十九日横須賀着、單装機銃及十三號電探ノ装備工事ニ着手ス」
  152. ^ 昭和19年7月7日(発令7月1日付)海軍辞令公報甲(部内限)第1527号 p.36』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099900 
  153. ^ a b #S1907十戦隊日誌(1)p.7「(2)若月 月頭ヨリ横須賀ニ於テ整備中ノ所四日附遊撃部隊ニ編入五日霜月ト共ニ横須賀発、六日呉着爾後二十二日迄ノ経過概ネ矢矧ト同断、二十三日昭南ニ回航月末迄入渠整備ニ從事ス」
  154. ^ #S1907十戦隊日誌(1)p.12「(五)麾下艦船部隊ノ行動所在」
  155. ^ a b c #S1907十戦隊日誌(1)p.4「(イ)矢矧 月頭ヨリ呉ニ於テ整備補給ニ從事中ノ所四日遊撃部隊ニ編入陸軍部隊竝ニ軍需品搭載 第三戰隊(金剛)長門最上第十七駆逐隊(磯風浜風)若月霜月ト共ニ遊撃部隊乙部隊トシテ八日同地発、途中対潜訓練ノ後臼杵湾ヲ経テ十日中城湾入港陸軍部隊ヲ揚陸、十二日同地発十四日「マニラ」湾着、軍需品ヲ揚搭補給ノ上十七日同地発、二十日「リンガ」着爾後月末迄同方面ニアリテ訓練警戒待機ニ任ズ(以下略)」
  156. ^ #S1907十戦隊日誌(1)p.35「八(天候略)一〇三〇矢矧磯風浜風霜月若月臼杵ニ向ケ呉発一九三七着/〇七〇〇第四駆逐隊扶桑内地ニ向ケ「タラカン」発|乙部隊 主隊金剛長門最上警戒隊10S(矢矧磯風浜風霜月若月)」
  157. ^ #S1907十戦隊日誌(1)pp.35-36「一〇(天候略)一四五〇乙部隊中城湾着|風雲駆逐艦籍ヨリ除カル 10dg解隊朝雲4dgニ編入サル」-「一二(天候略)〇四四〇乙部隊「マニラ」ニ向ケ中城湾発」
  158. ^ #S1907十戦隊日誌(1)p.37「二〇(天候略)一六二〇乙部隊「リンガ」着/一七二〇朝雲浦風摩耶護衛「マニラ」着/?初月秋月訓練ノ爲周防灘ニ回航」
  159. ^ #S1907十戦隊日誌(1)p.38「二四(天候略)若月昭南港ニ向ケ軍港発一五三〇着五号船渠入渠」
  160. ^ #S1907十戦隊日誌(2)p.4「(3)若月 八日「ベルハラ」衛所敵潜水艦探知ノ報ニ依リ第五哨艦トナレル外十六日迄ノ経過概ネ矢矧ト同断二十三日昭南ニ回航電探改装工事施行ノ上二十七日「リンガ」皈投爾後同方面ニアリテ訓練警戒待機ニ從事ス尚三十一日曳的艦トシテ出動セリ」
  161. ^ #S1907十戦隊日誌(2)p.9「(四)麾下艦船部隊ノ行動所在」
  162. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.4「(2)若月 十一迄ノ経過概ネ矢矧ト同断十二日第十七駆逐隊ト共ニ「リンガ」発呉ニ回航十九日同地着爾後ノ経過詳細不明(同艦戰時日誌参照)」
  163. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.27「八(天候略)〇二三〇第十七駆逐隊(雪風欠)若月呉ニ向ケ「リンガ」発」
  164. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.28「十九(天候略)一四〇〇第十七駆逐隊(雪風欠)若月「リンガ」ヨリ呉着/一五〇〇山雲入渠修理ノ爲昭南ニ向ケ「リンガ」発二一〇〇着」
  165. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.7「(三)麾下艦船部隊ノ行動所在」
  166. ^ #S1907十戦隊日誌(3)pp.4-5「(ホ)第十七駆逐隊(1)磯風浦風 十一日迄ノ経過概ネ矢矧ト同断十二日浜風若月ト共ニ「リンガ」発「リンガ」進出豫定ノ第二戰隊警戒ノ爲呉ニ回航十九日同地発若月ト分離雪風ト合同修理工事施行ノ上二十二日第二戰隊警戒艦竝ニ輸送任務ヲ兼ネ同地発「ブルネイ」ヲ経テ「リンガ」進出ノ途上ニアリ(十月二日「リンガ」着)」
  167. ^ a b #捷号日誌(4)第10戦隊p.4「一部(六十一駆、四十一駆)ハ第二遊撃部隊トシテ内海西部ニアリテ訓練警戒待機ニ從事中ノ處、十四日附機動部隊本隊ニ編入セラレ捷一號作戰発動発令セラルルヤ、三.四航戰ノ警戒ニ任ジツヽ内海西部発「ヒリッピン」沖海戰ニ参加相當ノ戰果ヲ擧ゲタルモ秋月沈没初月消息不明トナレリ爾余ノ部隊ハ内海西部ニ皈投爾後同方面ニ於テ警戒待機ニ任ズ」
  168. ^ #S1906十一水戦日誌(4)p.23「(長官)KdB(宛略)機密第一四一四一二番電 KdB電令作第五六號 第十一水雷戰隊、第六十一駆逐隊、第四十一駆逐隊ヲKdMBニ編入ス」
  169. ^ a b 倉橋友二郎 1987, pp. 131-132「若月沈没す」
  170. ^ #捷号日誌(4)第10戦隊p.22「KdB一六〇八五六番電 機動部隊信電令作第八號 若月涼月ハ先任艦長之ヲ指揮六五三空人員並ニ基地物件ヲ速ニ高雄ニ輸送シタル後内海西部ニ歸投スベシ」
  171. ^ #S1906十一水戦日誌(4)p.24「機密第一七〇六三三番電 KdB電令作第五八號 一.杉ハ任務終了セバ速ニ呉ニ回航スベシ/二.涼月ハ呉ニ回航物件ヲ杉ニ搭載スベシ/三.若月杉ハ若月駆逐艦長之ヲ指揮シ搭載物件ヲ速ニ高雄ニ輸送スベシ」
  172. ^ #S1906十一水戦日誌(4)p.25「機密第一七一二一三番電 KdB電令作第五九號 KdB電令作第五八號ヲ取消ス 若月ハ徳山ニ於テ補給ノ上KdMB電令作第七號ニ應ズル如ク行動スベシ」
  173. ^ #捷号日誌(4)第10戦隊p.24「GF機密第一七〇九三〇番電 聯合艦隊電令第四六六號 若月凉月ハ搭載物件ヲ鹿児島ニ於テ鹿島三十駆ニ移載ノ上内海西部ニ皈投スベシ 鹿島及三十駆ノ搭載力不足ノ場合ニハ台湾行対空兵器彈藥ノ一部ヲ卸スモノトス」
  174. ^ 倉橋友二郎 1987, pp. 123-128「またもや被雷」
  175. ^ 昭和19年10月、経過概要(護衛対潜)p.5「16|2200頃|凉月都井崎沖合ニ於テ(潜水艦)(魚雷)×1ヲ受ケ引返ヘセリ」
  176. ^ 倉橋友二郎 1987, pp. 128-129「比島沖海戦」
  177. ^ 戦史叢書54巻、445-446頁「米軍レイテ、ミンドロに上陸」
  178. ^ マッキンタイヤー 1971, pp. 40-43「日本海軍とくいの夜戦」
  179. ^ 智将小沢治三郎、296頁
  180. ^ 昭和19年10月-12月経過概要p.4「(十月)二十日」
  181. ^ マッキンタイヤー 1971, pp. 85-86小沢のおびきだし戦法
  182. ^ 智将小沢治三郎、298-299頁
  183. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.36,39、遠藤, 211ページ
  184. ^ マッキンタイヤー 1971, p. 86「ハルゼー提督の失敗」
  185. ^ #佐藤艦長続編(文庫)244-248頁「敵艦隊にまぎれこむ」
  186. ^ 昭和19年10月-12月経過概要p.5「(十月)二十五日」
  187. ^ マッキンタイヤー 1971, pp. 160-161「"全軍突撃せよ"」
  188. ^ 福田幸弘 1981, pp. 372-376「全滅覚悟の囮海戦(十月二十五日)」
  189. ^ #捷号日誌(4)第10戦隊p.51-52「秋月機密第二六一五二八番電 二十五日機動部隊本隊第一次来襲機ト交戰〇八二〇聯管ニ大型爆彈一命中大破孔浸水〇八四〇沈没セリ 一.戰果撃墜十三機/二.槇ニ救助セラレタル乗員艦長以下准士官以上一〇名下士官兵一八〇名尚霜月二〇名救助セラレタルモノト認ム」
  190. ^ #軽巡二十五隻、322頁「多摩(たま)」
  191. ^ a b マッキンタイヤー 1971, pp. 179-181.
  192. ^ マッキンタイヤー 1971, pp. 164-166「千歳、瑞鳳、瑞鶴」
  193. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46
  194. ^ a b #軽巡二十五隻273-277頁「次つぎ沈む小沢艦隊」
  195. ^ マッキンタイヤー 1971, p. 165「エンガノ岬沖海戦 1944年10月25日海戦図」
  196. ^ a b #駆逐艦入門366-367頁
  197. ^ マッキンタイヤー 1971, pp. 178-179「「千代田」に砲弾の嵐」
  198. ^ 智将小沢治三郎、317-318頁
  199. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.3,4
  200. ^ 小淵守男 2011, pp. 308-310「無傷の「大淀」Uターン再出撃」
  201. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.19
  202. ^ a b #S1907十戦隊日誌(3)pp.33-34「(ロ)第六十一駆逐隊 十五日附解隊セラル(1)初月 十月二十五日「ヒリッピン」沖海戰以來消息不明 十五日附聯合艦隊附属トナル/(2)凉月 呉方面ニアリテ整備中十五日附第四十一駆逐隊ニ編入セラル當司令部ト別動中ニ付詳細不明(同艦戰時日誌参照)/(4)秋月 十月二十五日「ヒリツピン」沖海戰ニ於テ沈没十五日附連合艦隊附属トナル」
  203. ^ #軽巡二十五隻289頁(若葉と若月を誤記)
  204. ^ #捷号日誌(4)大淀鈴谷p.14「二七|一一四四(奄美大島)|二九」
  205. ^ 遠藤, 211、213ページ
  206. ^ 小淵守男 2011, pp. 313-314.
  207. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.42「大淀機密第〇一一六〇〇番電 大淀若月「マニラ」着」
  208. ^ 小淵守男 2011, pp. 308・317-318.
  209. ^ 戦史叢書54巻、448-449頁「増援兵力の輸送」
  210. ^ a b 戦史叢書93巻、56-57頁「南西方面艦隊司令長官の交代と輸送作戦実施計画」
  211. ^ a b 戦場の将器、246-247頁
  212. ^ a b 戦史叢書93巻、58-59頁「米有力機動部隊の出現」
  213. ^ 昭和19年10月-12月経過概要p.7「(十一月)八日|多號第四次作戰(司令官/1Sd d×6 cd×4 T×3) ○AM/8「マニラ」發、夜/10「オルモツク」突入 ○相當ノ損傷ヲ受ケタルモ人員ノ揚陸ノミ概ネ成功ス」
  214. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.54「八(天候略)一〇三〇若月第四輸送部隊警戒隊トシテ「オルモック」ニ向ケ「マニラ」発/〇三〇〇矢矧17dg(YB)「ブルネイ」発第三輸送部隊ノ間接支援」
  215. ^ 昭和19年11月、経過概要(護衛対潜)p.3(昭和19年-11月8日)
  216. ^ a b c 岸見 2010, pp. 37-38.
  217. ^ #比島方面海軍作戦(2)103-104頁「(ニ)第四次多號作戰」
  218. ^ #S1907十戦隊日誌(3)pp.54-55「九(天候略)若月第四輸送部隊「オルモック」着」
  219. ^ 昭和19年11月、経過概要(護衛対潜)p.3(昭和19年-11月9日)
  220. ^ 戦場の将器、247-248頁
  221. ^ 木俣『日本水雷戦史』552ページ
  222. ^ #戦藻録(1968)438-439頁「十一月十日 金曜日 曇 スコール多し」
  223. ^ a b 岸見 2010, pp. 41-43.
  224. ^ a b c 戦場の将器、248-249頁
  225. ^ 昭和19年11月、経過概要(護衛対潜)p.4(昭和19年-11月10日)
  226. ^ 木俣『日本水雷戦史』554ページ
  227. ^ a b c d e 戦場の将器、249-250頁
  228. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.55「一〇(天候略)若月「オルモック」発 途中第三輸送部隊編入反転」
  229. ^ a b c d 岸見 2010, pp. 43-46.
  230. ^ #佐藤 艦長(文庫)217-218頁「無謀なる輸送作戦のはてに」
  231. ^ 昭和19年10月-12月経過概要pp.7-8「(十一月)九日|多號第三次作戰(司令官/2Sd 島風、長波、w×1 ch×1 T×5) ○十一日「オルモツク」突入豫定 ○GFハ1YBノ大部ヲ以テ「スル」海又ハ「ミンダナオ」海方面ニ進出セシメ間接護衛ニ任ゼシム」
  232. ^ 木俣『日本水雷戦史』559ページ
  233. ^ 昭和19年10月-12月経過概要p.8「(十一月)十一日|多號第三次作戰ハ「オルモツク」附近ニ到達セルモ敵航空部隊ノ攻撃ヲ受ケ殆ド壊滅ス「レイテ」増援作戰ハ極メテ困難化ス」
  234. ^ #佐藤 艦長(文庫)219-221頁
  235. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.55「一一(天候略)一一四〇若月「オルモック」沖ニテ沈没/一六〇〇矢矧17dg「ブルネイ」皈着」
  236. ^ 遠藤, 211ページ
  237. ^ a b 昭和20年3月13日(発令昭和19年11月11日)海軍辞令公報(甲)第1744号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103800 
  238. ^ 戦場の将器、209頁
  239. ^ 『艦長たちの軍艦史』p357
  240. ^ #10月18日以降増援兵力p.1「(方面)北比|(地區)マニラ|(所轄)若月|(進出期日 編制期日)一九四四 一一.一一|(員数)四五」
  241. ^ a b 戦史叢書93巻、67-69頁「第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入」
  242. ^ 秋月型(潮2015)、237-238頁「ついに快速艦も姿を消す」
  243. ^ #戦藻録(1968)439-440頁「十一月十一日 土曜日 曇」
  244. ^ #比島方面海軍作戦(2)104-105頁「(ホ)第三次多號作戰」
  245. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.36「(参考)十五日附解隊ニ伴ヒ同日将旗ヲ撤去司令部ハ残務整理ノ爲矢矧ニ乗艦十六日「ブルネイ」発二十四日佐世保着残務整理ヲ終リ十二月五日退艦スノ間幕僚ハ第二水雷戰隊司令官代理矢矧艦長ノ輔佐ニ任ズ」
  246. ^ a b #秘海軍公報昭和19年11月(3)pp.4-5〔内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ||第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫||第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル〕
  247. ^ #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10〔内令第二九號|横須賀鎮守府在籍 軍艦 厳島/呉鎮守府在籍 軍艦 八十島/舞鶴鎮守府在籍 軍艦 神鷹/右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 曙、驅逐艦 満潮、驅逐艦 朝雲、驅逐艦 山雲、驅逐艦 野分、驅逐艦 早霜、驅逐艦 秋霜、驅逐艦 若月、驅逐艦 霜月/呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦風、驅逐艦 島風/佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 秋風、驅逐艦 卯月、驅逐艦 夕月、驅逐艦 初春/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 長波、驅逐艦 濱波、驅逐艦 沖波、驅逐艦 岸波/右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣〕
  248. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2〔内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中八十島ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、秋風」ヲ、同卯月型「卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風、野分」」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同 島風ヲ削ル(以下略)〕
  249. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7〔昭和二十年一月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四驅逐隊ノ項ヲ削ル|第七驅逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十驅逐隊及第三十一驅逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル〕

関連項目[編集]