若月 (駆逐艦)

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若月
艦歴
発注 マル4計画
起工 1942年3月9日
進水 1942年11月24日
竣工 1943年5月31日
喪失 1944年11月11日
除籍 1945年1月20日
要目(計画)
排水量 基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長 134.2m
全幅 11.6m
吃水 4.15m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力 33.0ノット
航続距離 18ノットで8,000海里
燃料 重油:1,080トン
乗員 263名/289名[1]
兵装
(1944年[2]
65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装12挺
13mm単装機銃3挺
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
電探
(1944年[2]
21号電探1基
13号電探1基
水測兵装 九三式探信儀1基
(九三式水中聴音機1基)[3]

若月(わかつき)は、日本海軍駆逐艦秋月型の6番艦である。名称は、月齢2、3日の細い月をさす「若月」から[4]

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

1939年(昭和14年)度計画(マル4計画)仮称109号艦[5]1942年(昭和17年)3月9日三菱重工業長崎造船所で起工[5]。同年11月24日、進水[5]1943年(昭和18年)5月31日、竣工[5]。同日附で横須賀鎮守府[6]。当初は舞鶴海軍工廠で昭和17年6月に起工し、1944年(昭和19年)5月に竣工というスケジュールが立てられていた[7]

昭和18年の行動[編集]

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官木村進少将・海軍兵学校40期)に編入される[8]。6月22日、夕雲型駆逐艦9番艦「玉波」とともに瀬戸内海を出港して戦艦武蔵の護衛のため横須賀に向かい、6月23日に到着する[9]。間もなく、米潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の雷撃で大破した元特設水上機母艦相良丸日本郵船、7,189トン)の救難作業に従事[10]。5月27日に瀬戸内海に帰投した[11]。7月6日から13日までは空母冲鷹の護衛を務めた[12]。8月1日に瀬戸内海を出撃して再び横須賀へと向かい、8月2日に到着[13]。8月15日付で第61駆逐隊(駆逐隊司令大江覧治大佐)[14]に配属され、同隊は秋月型3隻(涼月、初月、若月)となった[15]

8月17日、連合艦隊司令長官古賀峯一大将直率の主力部隊(戦艦3隻《大和長門扶桑》、空母《大鷹[16] 、巡洋艦3隻《愛宕高雄能代》、駆逐艦部隊《涼風海風秋雲夕雲若月天津風初風》)として呉を出撃し、23日トラックへ到着[17][18]トラック諸島に進出後、第三艦隊司令長官小沢治三郎中将(海兵37期)率いる機動部隊と行動をともにする。機動部隊は9月と10月にマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった[19]。この頃、秋月型1番艦「秋月」が戦線に復帰して第61駆逐隊に復帰、同隊はようやく秋月型4隻(涼月、初月、若月、秋月)となった[20]

トラックに帰投して間もなく「ろ号作戦」が発動され、ラバウルなどへの航空要員の緊急輸送を行うこととなった[21]。10月30日、第十戦隊(司令官大杉守一少将)旗艦阿賀野型軽巡洋艦1番艦「阿賀野」に率いられトラックを出撃し、11月1日朝にラバウルに到着した[22][8]

ところが、この11月1日未明にアメリカ軍がブーゲンビル島タロキナ岬に上陸し、ブーゲンビル島の戦いが始まった。 これを受け、第五戦隊(司令官大森仙太郎少将・海兵41期)は、第五戦隊の妙高型重巡洋艦2隻(妙高羽黒)、第十戦隊指揮下の第一警戒隊(阿賀野初風若月長波)および第三水雷戦隊(司令官伊集院松治少将・海兵43期)指揮下の第二警戒隊(川内時雨白露五月雨)、輸送隊(第11駆逐隊司令山代勝守大佐。駆逐艦天霧文月卯月、[夕凪 (2代神風型駆逐艦)|夕凪]]、水無月ブカ島行》)を率いて11月1日14時30分にラバウルを出撃し、26ノットの速力でエンプレス・オーガスタ湾のアメリカ艦隊および輸送船団目指して進撃した[23]。翌11月2日未明、エンプレス・オーガスタ湾手前にてアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊の軽巡洋艦と駆逐艦の部隊に遭遇し、ブーゲンビル島沖海戦が起こる。第39任務部隊は丁字戦法を以って第五戦隊以下の進撃を阻み、第五戦隊以下は突入を阻止されて2隻(軽巡《川内》、駆逐艦《初風》)が沈没、損傷艦多数を出し11月2日朝にラバウルに帰投した[24]

11月5日のラバウル空襲、11月6日のブーゲンビル島への逆上陸を通じて空襲を受け、至近弾により中破する[25]。11月11日の第二次ラバウル空襲ののち、第十戦隊の駆逐艦2隻(61駆《若月》、10駆《風雲》)は第二水雷戦隊各艦(軽巡《能代》、第32駆逐隊《早波、藤波》、第27駆逐隊《五月雨》)と共にトラックへ回航される高雄型重巡洋艦4番艦「摩耶」(第四船体)、潜水母艦長鯨」を護衛してラバウルを出港したが[26]、12日に十戦隊旗艦の「阿賀野」が米潜水艦スキャンプから雷撃されて航行不能となった。3隻(軽巡《能代》、32駆《藤波早波》)は若月等と分離して阿賀野・浦風の救援に向かった[27]。14日、各艦(長鯨、摩耶、若月、風雲、五月雨)はトラック泊地に到着した。 つづいて十戦隊の駆逐艦2隻(61駆《若月》、第4駆逐隊《山雲》)は内地へ戻る軍艦2隻(潜水母艦《長鯨》、練習巡洋艦《鹿島》)を護衛してトラック泊地を出発。11月9日、「山雲」は艦隊を追跡する米潜水艦スカルピンを発見し、同艦艇を撃沈して生存者約40名を捕虜とした[28]。「山雲」はトラック泊地に戻り、残る艦は内地へ帰投。11月26日に横須賀に帰投し、修理と機銃増備工事が行われるも12月21日に缶室で火災事故が発生して修理完了が昭和19年1月9日となった[29]。修理後は瀬戸内海に回航された。修理中の12月12日、第61駆逐隊司令は大江大佐から泊満義大佐に交代した[30](大江大佐は12月26日附で重巡洋艦摩耶艦長)[31]

昭和19年の行動[編集]

1944年(昭和19年)1月16日、姉妹艦「涼月」は米潜水艦に雷撃されて大破、泊大佐(第61駆逐隊司令)が戦死する。 2月6日、第十戦隊(阿賀野型軽巡洋艦3番艦《矢矧》、第61駆逐隊《初月、若月》)は空母2隻(翔鶴瑞鶴)、利根型重巡洋艦2番艦「筑摩」を護衛して洲本沖を出撃し、2月13日に昭南(シンガポール)に到着後リンガ泊地に回航されて訓練に入る[32]。3月15日、「初月」とともに日本向けの輸送物件を搭載して昭南を出港し、3月21日にに到着[33][8]。 到着直前の3月20日附で天野重隆大佐(前職第10駆逐隊《秋雲風雲朝雲》司令)が第61駆逐隊司令に任命され、後任の第10駆逐隊司令は赤澤次壽雄大佐(涼月初代艦長)となった[34]

天野司令を迎えた第61駆逐隊(初月、若月)はリンガ泊地に向かう新鋭空母「大鳳」の護衛のため3月28日に瀬戸内海を出撃し、4月4日に昭南に到着した[35]。 5月11日、あ号作戦準備発令に伴って機動部隊を護衛してリンガ泊地を出撃し、5月15日にタウィタウィに到着して湾外での対潜掃討に従事する[36]。6月上旬はバリクパパンを起終点とする船団護衛に従事したが、6月13日の第一機動艦隊(小沢治三郎中将)のタウィタウィ出撃には同行できず、第一補給部隊を護衛した後6月17日に第一機動艦隊に合流した[37]。6月19日のマリアナ沖海戦第一日目、大鳳視界内にて直衛を務めるが、米潜水艦アルバコア (USS Albacore, SS-218) の雷撃によって「大鳳」が損傷し、「大鳳」は14時32分に大爆発を起こして沈没の危機に瀕した後呼び寄せられ、小沢中将以下第一機動艦隊司令部が移乗した[38]。司令部が16時6分に妙高型重巡洋艦4番艦「羽黒」に移るまで第一機動艦隊の臨時旗艦となった[39]。同日、空母「翔鶴」も米潜水艦に撃沈された。

海戦第二日目の6月20日、小沢長官直率の甲部隊(空母《瑞鶴》、第五戦隊《妙高羽黒》、第十戦隊《矢矧磯風浦風初月若月秋月霜月朝雲》)は輪形陣を形成、本艦は旗艦の左後方に位置し[40]、午後からのアメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機による空襲に対して10センチ砲弾440発、機銃弾4,000発を撃った[41]。海戦に敗れ、6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に瀬戸内海に帰投[29][8]。6月28日、秋月型2隻(若月、霜月)は当時の連合艦隊旗艦である軽巡「大淀」を護衛して横須賀に向かう[42][8]。横須賀に到着後、横須賀海軍工廠で機銃増備と13号電探の設置工事が行われた[42]

7月5日、「霜月」とともに横須賀を出港し[43]、呉に到着後は遊撃部隊乙部隊に加わり、戦艦長門金剛、重巡洋艦最上等を護衛して7月8日に呉を出撃する[44]。乙部隊は沖縄本島に配備される陸軍部隊を中城湾で降ろし、次いでマニラで軍需品を陸揚げしたあと、7月20日にリンガ泊地に到着[44]。9月12日、リンガ泊地を出港[8]。9月19日、呉に到着[45][8]。瀬戸内海において機動部隊とともに待機する。10月に入り、高雄への輸送任務を命じられたが[46]、この命令は間もなく取り消された[47]。10月17日、第61駆逐隊(涼月、若月)は米潜水艦ベスゴ (USS Besugo, SS-321)に襲撃され、魚雷2本が命中した「涼月」は中破(艦首切断)。同艦は入渠を余儀なくされ、レイテ沖海戦に参加できなくなった。

10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島英語版に上陸し、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は小沢中将率いる機動部隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった。 10月20日夕刻、小沢機動部隊(空母4隻《瑞鶴瑞鳳千代田千歳》、航空戦艦2隻《日向伊勢》、巡洋艦3隻《大淀五十鈴多摩》、秋月型駆逐艦4隻《初月秋月若月霜月》、松型駆逐艦4隻《》)は豊後水道を出撃[48]。10月24日、第四航空戦隊(日向《旗艦》、伊勢)、秋月型4隻(初月、秋月、若月、霜月)とともに前衛を構成し、夜襲を試みるも成果なく、夜半過ぎに本隊に合流した[49]。 同日、松型2隻(桐、杉)は小沢機動部隊から分離、沖縄に退避した[50]

10月25日朝、小沢機動部隊(はエンガノ岬英語版沖でついに第38任務部隊の艦載機による空襲を受ける(エンガノ岬沖海戦)。空襲と潜水艦の襲撃により姉妹艦「秋月」・軽巡「多摩」・空母4隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)は沈没し、駆逐艦3隻(初月、若月、)とともに瑞鶴・瑞鳳乗員救助にあたった[51]。つづいて2隻(軽巡《五十鈴》、駆逐艦《若月》)は、当時まだ沈んでいなかった「千代田」救援のため南下、すると第38任務部隊から分離して日本艦隊を追撃中の第34任務部隊(ウィリス・A・リー中将)中の巡洋艦部隊(ローレンス・T・デュボース少将)と交戦することになった[52][53]。第61駆逐隊司令天野重隆大佐は2隻(五十鈴、若月)を逃がすために司令駆逐艦「初月」を反転し、米艦隊に撃沈される[53]。「初月」の決死の掩護により、若月以下各艦は死地を脱した[53]。 避退後、再度の夜襲を企図した伊勢・日向・大淀・霜月と合流した[54]。海戦を通じて機銃弾を多数受けたものの、それ以上の被害はなかった[55]。秋月・初月の沈没により、第61駆逐隊は2隻編制(涼月、若月)となった。10月27日に奄美大島に到着後、「大淀」とともにマニラ方面への進出を命じられ、「霜月」から弾薬を供給された[56]。マニラに進出後、多号作戦支援部隊に編入された。

多号作戦[編集]

炎上し沈没寸前の若月。

11月8日朝、多号作戦第四次輸送部隊を護衛してマニラを出撃。翌11月9日夕方にオルモック湾に到着するも、大発が揃わなかったため兵員しか陸揚げできなかった[57]。11月10日、輸送部隊はオルモック湾を出撃してマニラに向かったが、間もなくB-25P-38 の攻撃を受けて陸軍特殊船高津丸(山下汽船、5,657トン)と輸送船香椎丸(大阪商船、8,407トン)が沈没。輸送部隊を指揮する第一水雷戦隊司令官木村昌福少将(海兵41期。座乗)は駆逐艦3隻(霞、朝霜長波)に救助作業を担当させ、秋霜以下の艦艇は輸送船金華丸(大阪商船、9,305トン)の護衛につけてマニラへ先発させた[58]。 この後、木村少将から朝霜・長波とともに第三次輸送部隊と合流するよう命令を受ける。21時にマスバテ島東方のブラックロック水道で第三次輸送部隊(指揮官早川幹夫第二水雷戦隊司令官、旗艦島風)に合流した[59]。第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機[60]による空襲を受ける。前部と後部に爆弾が命中して北緯10度50分 東経124度31分 / 北緯10.833度 東経124.517度 / 10.833; 124.517の地点に沈没[61]。駆逐艦長鈴木保厚中佐[要出典]以下290名[62]が戦死した。輸送部隊は駆逐艦4隻沈没(若月、島風浜波長波)・輸送船団全滅・島風沈没時に早川幹夫少将戦死という大損害を受け、生還したのは夕雲型16番艦「朝霜」だけだった。

11月15日、第61駆逐隊の解隊にともない、既に沈没していた「若月」は、書類上第41駆逐隊に編入された[63]。 翌年1945年(昭和20年)1月10日、「若月」は 帝国駆逐艦籍[64]、 秋月型駆逐艦[65]、 第41駆逐隊のそれぞれから除籍された[66]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』357頁による。

艤装員長[編集]

  1. 鈴木保厚 中佐:1943年5月1日 -

駆逐艦長[編集]

  1. 鈴木保厚 中佐:1943年5月31日 - 1944年11月11日戦死

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.28
  2. ^ a b 機銃、電探数は『日本駆逐艦物語』p281の「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」による。1944年8月20日の調査。
  3. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』p39、『写真 日本の軍艦 第11巻』p158による。
  4. ^ 片桐, 363ページ
  5. ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集18p.16『秋月型建造工程一覧表』
  6. ^ #内令昭和18年5月(7)p.35『内令第千七十三號 驅逐艦 若月 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル(略)| 昭和十八年五月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  7. ^ 遠藤, 209ページ
  8. ^ a b c d e f g #ハンディ判艦艇写真集18p.33(駆逐艦『秋月型』行動年表)◇若月◇
  9. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.11,14,15
  10. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.16
  11. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.20
  12. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.30,31,32,33
  13. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126200, pp.8,9
  14. ^ 昭和18年2月3日(発令2月3日付)海軍辞令公報(部内限)第1047号 pp.41-42』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  15. ^ #内令昭和18年8月(2)p.29『内令第千六百六十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年八月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六十一驅逐隊ノ項中「初月」ノ下ニ「、若月」ヲ加フ』
  16. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.51『一七日〇六〇〇(長官)2F(宛略)2F機密第一六二三二一番電 「トラツク」回航ニ關スル機密AdB命令要旨 一.第二軍隊區分(主力部隊ト合同後)區分指揮官兵力ノ順 主隊直率4S(摩耶缺)大鷹警戒隊(司令官)2sd 2sd(能代)24dg(涼風海風)秋雲(以下略)』
  17. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.4『(三)2sd(能代)ハ十六日主力部隊(長官1F直率)ノ指揮下ニ入リ主力部隊ノ警戒隊(司令官2sd、2sd(能代)初風天津風)トナリ十六日呉出撃八島假泊(海風ト合同佐鎮五特、便乗者一部移載)十七日假泊發十八日一一〇〇(長官)2F直率部隊(24dg(涼風)ヲ含ム)ト合同(指揮官)YBノ麾下(YB警戒隊)トナリ二十三日「トラツク」着』
  18. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.60『二三日一一五五(長官)1F(宛略)1F機密第二三一〇一九番電 大和長門扶桑愛宕高雄能代24dg(涼風海風)11dg(秋雲夕雲)天津風若月初風ヲ率ヒ「トラツク」着二三日〇七四五』
  19. ^ 『第八戦隊戦時日誌』C08030048800, pp.14,15,31,32,33 、木俣『日本空母戦史』504、508ページ
  20. ^ #内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中朝雲、ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中風雲ノ下ニ、朝雲ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中涼風ノ下ニ、満潮ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中若月ノ下ニ、秋月ヲ加フ』
  21. ^ 木俣『日本水雷戦史』374ページ
  22. ^ 『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.8
  23. ^ 『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.10
  24. ^ 『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.31
  25. ^ 遠藤, 210ページ、木俣『日本水雷戦史』389ページ
  26. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101400, pp.47,48,50
  27. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)430頁
  28. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)518頁『米潜水艦の跳梁』
  29. ^ a b 遠藤, 210ページ
  30. ^ 昭和18年12月13日(発令12月12日付)海軍辞令公報(部内限)第1279号 p.28』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  31. ^ 昭和18年12月27日(発令12月26日付)海軍辞令公報(部内限)第1287号 p.29』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094900 
  32. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.4
  33. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.5
  34. ^ 昭和19年3月22日(発令3月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1384号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096800 
  35. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.8 、C08030050400, pp.8
  36. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050500, pp.12
  37. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030724100, pp.12,13
  38. ^ 『あ号作戦戦闘詳報』C08030039800, pp.30,31
  39. ^ 『あ号作戦戦闘詳報』C08030039800, pp.31
  40. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.27
  41. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.15
  42. ^ a b 『第十戦隊戦時日誌』C08030724100, pp.13
  43. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.7
  44. ^ a b 『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.4
  45. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030051000, pp.4
  46. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.24
  47. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.25
  48. ^ #佐藤艦長続編(文庫)242、468頁
  49. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.36,39 、遠藤, 211ページ
  50. ^ #佐藤艦長続編(文庫)244-248頁『敵艦隊にまぎれこむ』
  51. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46
  52. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.4
  53. ^ a b c #駆逐艦入門366-367頁
  54. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.3,4
  55. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.19
  56. ^ 遠藤, 211、213ページ
  57. ^ 木俣『日本水雷戦史』552ページ
  58. ^ 木俣『日本水雷戦史』554ページ
  59. ^ 『多号作戦戦闘詳報第二号』pp.16
  60. ^ 木俣『日本水雷戦史』559ページ
  61. ^ 遠藤, 211ページ
  62. ^ 『艦長たちの軍艦史』p357
  63. ^ #秘海軍公報昭和19年11月(3)pp.4-5『内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ||第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫||第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  64. ^ #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍 軍艦 厳島/呉鎮守府在籍 軍艦 八十島/舞鶴鎮守府在籍 軍艦 神鷹/右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 曙、驅逐艦 満潮、驅逐艦 朝雲、驅逐艦 山雲、驅逐艦 野分、驅逐艦 早霜、驅逐艦 秋霜、驅逐艦 若月、驅逐艦 霜月/呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦風、驅逐艦 島風/佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 秋風、驅逐艦 卯月、驅逐艦 夕月、驅逐艦 初春/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 長波、驅逐艦 濱波、驅逐艦 沖波、驅逐艦 岸波/右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』
  65. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中八十島ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、秋風」ヲ、同卯月型「卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風、野分」」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同 島風ヲ削ル(以下略)』
  66. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7『昭和二十年一月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四驅逐隊ノ項ヲ削ル|第七驅逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十驅逐隊及第三十一驅逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル』

参考文献[編集]

  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 木俣滋郎 『駆逐艦入門 水雷戦の花形徹底研究』 光人社NF文庫、2006年7月。ISBN 4-7698-2217-0
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「戦術の極意」<駆逐艦艦長・石塚栄少佐の証言>(砲術長、村雨水雷長、北上水雷長、矢矧水雷長、槇艦長等)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0461-X
  • ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』 雑誌『』編集部/編、光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』学習研究社、2001年、ISBN 4-05-602063-9
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070177800 『昭和18年5~6月内令2巻/昭和18年5月(7)』。
    • Ref.C12070179600 『昭和18年7~8月 内令3巻/昭和18年8月(2)』。
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    • Ref.C08030101100 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年六月一日至昭和十八年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030126100
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年八月一日至昭和十八年八月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030126200
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    • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年九月五日 あ号作戦戦闘詳報 自昭和十九年六月十三日至同六月二十三日 サイパン島西方海面ニ於ケル戦闘』(昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030039800
    • 第六十一駆逐隊『六十一駆逐隊(涼月缺)戦闘詳報(第四号)』(昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030150500
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050800
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051000
    • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年十一月十日 機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至同年十月二十九日 比島沖海戦』(昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127700
    • 多号作戦第四輸送部隊 第一水雷戦隊司令部『多号作戦戦闘詳報第二号(自昭和十九年十一月八日至昭和十九年十一月十一日第四次輸送作戦) 』(昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030087600

関連項目[編集]