相良丸 (特設水上機母艦)

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相良丸
基本情報
船種 貨物船
クラス S型貨物船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 日本郵船
運用者 Flag of Japan.svg 日本郵船
 大日本帝国海軍
建造所 三菱重工業横浜船渠
母港 東京港/東京都
姉妹船 6隻
航行区域 遠洋
信号符字 JNPQ
IMO番号 47837(※船舶番号)
建造期間 509日
就航期間 1024日
経歴
起工 1939年6月23日[1]
進水 1940年3月23日[2]
竣工 1940年11月12日[2]
除籍 1943年9月1日
最後 1943年6月23日被雷大破
9月1日放棄[1]
要目
総トン数 7,189トン[3]
純トン数 3,938トン
載貨重量 9,482トン[3]
排水量 不明
全長 146.20m[3]
垂線間長 145.00m[1]
型幅 19.0m[3]
型深さ 9.80m(1940年)[3]9.6m(1942年)
高さ 28.65m(水面から1番・4番マスト最上端まで)
15.24m(水面から2番・3番マスト最上端まで)
9.44m(水面から船橋最上端まで)
喫水 4.08m[3]
満載喫水 8.54m[3]
機関方式 三菱MANディーゼル機関 2基[3]
推進器 2軸[3]
最大出力 10,512BHP[3]
定格出力 9,600BHP[3]
最大速力 19.6ノット[3]
航海速力 18.0ノット[3]
航続距離 16.0ノットで37,000海里
積載能力 2,950トン
1941年1月16日徴用。
高さは米海軍識別表[4]より(フィート表記)。
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相良丸
Sagara-maru in 1942.jpg
1942年、シンガポールにおける相良丸
基本情報
艦種 特設水上機母艦
特設運送艦
艦歴
就役 1941年9月20日(海軍籍に編入時)
連合艦隊南遣艦隊/横須賀鎮守府所管
要目
乗員 71名[3]
うち搭乗員15名
兵装 特設水上機母艦時
四一式15cm砲2門
五年式短8cm砲2門
九六式25mm連装機銃2基4門
九二式7.7mm機銃2基2門
110cm探照灯1基
90cm探照灯1基
装甲 なし
搭載機 特設水上機母艦時
九五式水上偵察機2機(補用)
零式観測機6機
呉式2号5型射出機1基
特設運送艦時
なし
徴用に際し変更された要目のみ表記。
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相良丸(さがらまる)は、日本郵船の崎戸丸型(S型)貨物船の六番船[5]太平洋戦争では日本海軍に徴傭されて特設水上機母艦、特設運送艦として運用された。

概要[編集]

相良丸は、ニューヨーク航路用の長良丸級貨物船(通称N型貨物船)6隻、リバプール航路用の赤城丸級貨物船(通称A型貨物船)5隻に続いて建造された崎戸丸級貨物船[5](通称S型貨物船)の一隻として、1940年(昭和15年)11月15日に三菱重工業横浜船渠で竣工した。しかし、崎戸丸級貨物船が就役する頃には第二次世界大戦が勃発するなど国際情勢が厳しくなり、また1940年(昭和15年)9月27日に日独伊三国同盟が締結されると日米関係も微妙なものとなった[6]。そこで、ニューヨーク航路からは保全のために優秀船を引き上げて旧型船を配した[6]。相良丸もニューヨーク航路に代えてシアトル航路に就航する予定だったが[7]、当時の情勢は相良丸に商業航海の機会をついに与えなかった。

1941年(昭和16年)1月16日付で日本海軍に一般徴傭され、マリアナ方面への兵器輸送任務に就く[7]。9月11日付で改めて徴傭され、9月20日付で特設水上機母艦として入籍[2]。10月31日まで三菱重工業長崎造船所で艤装工事を受けた後[2]三亜に進出。12月3日に三亜を出撃して12月5日にプロコンドル島英語版に到着し、同島に水上機基地を設営した[8]。緒戦のマレー上陸作戦では輸送船団に対する対潜警戒および、艦載機によるイギリス軍宿営地爆撃を行う[9]。12月10日にシンゴラ近海に到着後は、シンゴラを拠点として引き続き対潜哨戒に従事し[10]1942年(昭和17年)1月26日にはアナンバス諸島に移動して[11]パレンバン攻撃支援などを行った[12]。2月21日付で第一南遣艦隊小沢治三郎中将海軍兵学校37期)主力部隊に編入され[13]昭南(シンガポール)に進出して昭南近海やマラッカ海峡方面で艦載機による対潜哨戒、機雷および水中障害物の捜索を行う[14]。3月9日にはペナンに到着して水上機基地設営の後、スマトラ島北部[15]アンダマン諸島方面の作戦に協力[16]。一連の作戦が一段落した6月14日、ケッペル港第三船渠に入渠して福井静夫技術少佐の考案による迷彩塗装が施された[17][18]。整備終了後は再びマラッカ海峡、アンダマン諸島方面での対潜哨戒に従事した。この後、12月1日付で特設運送艦に類別変更される事が内定したため、搭載航空機を東印部隊に移管した[2][19]

横須賀に帰投後[20]1943年(昭和18年)に入ってからはニューギニアの戦いに投入される陸軍将兵を輸送する丙号輸送作戦に従事する。丙一号輸送では、同じく特設水上機母艦から特設運送艦に転じていた讃岐丸(日本郵船、9,246トン)や第九戦隊(岸福治少将・海兵40期)の軽巡洋艦大井および北上とともに第一輸送隊に属し、第二十師団青木重誠中将)を釜山からパラオを経由してウェワクまで輸送[21]。丙三号輸送でも第九戦隊、讃岐丸および特設巡洋艦護国丸大阪商船、10,438トン)とともに第一輸送隊に属して、第四十一師団阿部平輔中将)主力を青島からウェワクまで輸送した[22]。丙号輸送作戦終了後は通常の輸送任務に就いた。

昭和18年6月23日未明、相良丸は駆逐艦澤風護衛の下に北緯33度45分 東経138度10分 / 北緯33.750度 東経138.167度 / 33.750; 138.167[23]神子元島沖を航行中、アメリカの潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の魚雷攻撃を受けた。ハーダーは魚雷を4本発射して1本しか命中しなかったものの[24]、損傷は大きく航行不能となった[25]。相良丸は澤風に曳航されて北緯34度38分 東経137度53分 / 北緯34.633度 東経137.883度 / 34.633; 137.883[26][27]天竜川河口に座礁後、浮揚作業が試みられた[25]。しかし作業は進捗せず、7月4日にはアメリカの潜水艦ポンパーノ (USS Pompano, SS-181) からの更なる魚雷攻撃を受けて魚雷2本が命中し[28][27]、さらに激浪に翻弄されて船体の維持は困難を極める。7月14日、第26号駆潜特務艇が調査のため接近し、船橋直前より前部が屈曲しているのが確認された[29]。相良丸の復旧は断念されて9月1日付で船体放棄され[1][30]、除籍と解傭も同日に行われた[2]。相良丸の不幸中の幸いは、乗員の喪失が一人もなかった事である[25]

なお、崎戸丸型貨物船7隻のうち、相良丸以外の6隻は減トン甲板口[注釈 1]を閉鎖して総トン数など主要目の数値が一部増加しているが、相良丸のみそのような措置はとられなかった[1]

艦長/特務艦長[編集]

  • 小橋義亮 大佐:1941年9月20日[31] - 1942年4月18日
  • 松原雅太 後備海軍大佐:1942年4月18日 - 1943年1月30日[32]
  • 神田嘉穂 大佐:1943年1月30日[33] - 1943年8月28日[34]

姉妹船[編集]

崎戸丸型(S型)貨物船
  • 崎戸丸
  • 讃岐丸(二代目)
  • 佐渡丸(二代目)
  • 佐倉丸(二代目)
  • 相模丸(三代目)
  • 笹子丸

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「遮浪甲板を有する船において、総トン数算定の際、遮浪甲板と上甲板間の容積をトン数から除外するため設けられる開口部」(#郵船戦時上p.291)

出典[編集]

  1. ^ a b c d e なつかしい日本の汽船 三菱重工業株式会社横濱船渠建造船 昭和初期・太平洋戦争” (日本語). 長澤文雄. 2018年4月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f #特設原簿p.103
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n #日本汽船名簿
  4. ^ Sakito_Maru_class
  5. ^ a b なつかしい日本の汽船 三菱重工業株式会社長崎造船所建造船 昭和初期・太平洋戦争・戦後占領期” (日本語). 長澤文雄. 2018年4月24日閲覧。
  6. ^ a b #郵船100年史p.206
  7. ^ a b #郵船戦時上p.289
  8. ^ #相良丸(1)p.3
  9. ^ #相良丸(1)p.6
  10. ^ #相良丸(2)p.10
  11. ^ #相良丸(3)p.36
  12. ^ #相良丸(3)p.37, pp.39-40
  13. ^ #相良丸(4)p.3
  14. ^ #相良丸(4)p.4
  15. ^ #相良丸(4)pp.4-5
  16. ^ #相良丸(3)pp.23-24
  17. ^ #相良丸(6)p.46
  18. ^ #日本の軍艦4p.205
  19. ^ #相良丸(7)p.3,47
  20. ^ #郵船戦時上p.290
  21. ^ #丙号輸送部隊p.7
  22. ^ #丙号輸送部隊p.8
  23. ^ #SS-257, USS HARDERp.34
  24. ^ #SS-257, USS HARDERp.36
  25. ^ a b c #郵船戦時上p.291
  26. ^ #SS-181, USS POMPANOp.135
  27. ^ a b The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter V: 1943” (英語). HyperWar. 2011年12月22日閲覧。
  28. ^ #SS-181, USS POMPANOp.127, pp.135-136
  29. ^ #伊勢防1807p.29
  30. ^ #郵船100年史p.269
  31. ^ 海軍辞令公報(部内限)第716号 昭和16年9月20日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  32. ^ 『日本海軍史』第10巻、445頁。
  33. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1045号 昭和18年2月1日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  34. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1199号 昭和18年8月31日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092600 

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050081300 『昭和十四年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、22頁。
    • Ref.C08030655200 『軍艦相良丸戦闘詳報 第一号』、1-7頁。
    • Ref.C08030655200 『軍艦相良丸戦闘詳報 第二号』、8-31頁。
    • Ref.C08030655200 『軍艦相良丸戦闘詳報 第三号』、32-72頁。
    • Ref.C08030655300 『軍艦相良丸戦闘詳報 第四号』、1-19頁。
    • Ref.C08030655300 『軍艦相良丸戦闘詳報 第五号』、20-41頁。
    • Ref.C08030655300 『軍艦相良丸戦闘詳報 第六号』、42-59頁。
    • Ref.C08030655500 『軍艦相良丸戦闘詳報 第八号』。
    • Ref.C08030049600 『丙号輸送部隊戦斗詳報 第九戦隊戦斗詳報第三号』、1-51頁。
    • Ref.C08030417800 『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 伊勢防備隊戦時日誌』。
  • (Issuu) SS-257, USS HARDER. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-257_harder?mode=a_p. 
  • (Issuu) SS-181, USS POMPANO. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-181_pompano?mode=a_p. 
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3. 
  • 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • 日本郵船戦時船史編纂委員会 『日本郵船戦時船史』上、日本郵船、1971年
  • 木津重俊(編) 『世界の艦船別冊 日本郵船船舶100年史』 海人社、1984年ISBN 4-905551-19-6
  • 『写真 日本の軍艦4 空母II』 雑誌「」編集部(編)、光人社、1989年ISBN 4-7698-0454-7
  • 野間恒 『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』 野間恒(私家版)、2004年
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供) 『戦前船舶 第104号・特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿』 戦前船舶研究会、2004年
  • 松井邦夫 『日本商船・船名考』 海文堂出版、2006年ISBN 4-303-12330-7
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 藤代護『海軍下駄ばき空戦記』光人社 2001年

関連項目[編集]

座標: 北緯34度38分 東経137度53分 / 北緯34.633度 東経137.883度 / 34.633; 137.883