南遣艦隊

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南遣艦隊(なんけんかんたい)は[1]大日本帝国海軍の部隊[2]。 南遣艦隊の符号はKFで、第一南遣艦隊は1KF、第二南遣艦隊は2KF、第三南遣艦隊は3KF、第四南遣艦隊は4KFとなる[3]

概要[編集]

南遣艦隊(なんけんかんたい)は、1941年(昭和16年)7月に日本軍が実施した仏印進駐および同作戦後の東南アジア方面警備のため[2][4]大本営直轄部隊として7月31日附で編成された[1][5]。 10月21日、連合艦隊に編入された[2][1]。 12月8日の太平洋戦争(大東亜戦争)[6]勃発以後、終戦までにのべ5個艦隊が東南アジアの駐留・防衛のために編成された[7]

1942年(昭和17年)1月3日[2]、従来の南遣艦隊は第一南遣艦隊に改称[1][8]、フィリピン方面警備を担当する第三南遣艦隊が新編された[9][10]蘭印作戦達成にともない、同年3月10日附で第三艦隊や第五水雷戦隊が解隊され[2][11]、同隊所属戦力を再編して第二南遣隊艦隊が新編された[12][13]

同年4月10日、第二段作戦開始にともなう戦時編制改定により[14]、第一・第二・第三南遣艦隊ふくめ南西方面全般を統括する南西方面艦隊が新編され[7][15][16]、第二南遣艦隊司令長官が南西方面艦隊司令長官を兼任した[14][17]。第二南遣艦隊長官と南西方面艦隊長官の兼任は1943年(昭和18年)4月まで続いた[18]

1943年(昭和18年)11月30日、第二南遣艦隊の担当区域を分割する形で第四南遣艦隊が新編され[7]、南西方面艦隊に加えられた[13][19]。第四南遣艦隊は豪北方面(西部ニューギニア)の作戦を担当したが[13]1945年(昭和20年)3月10日に解隊された[7][19]。 連合軍のフィリピン反攻にともなうルソン島の戦いで南西方面艦隊司令部(第三南遣艦隊司令部兼務)が孤立したため、海軍は2月5日附で第十方面艦隊を新編する[7][20]。第一南遣艦隊(第13航空艦隊)と第二南遣艦隊は第十方面艦隊の主力部隊として、ひきつづき東南アジア方面の作戦を担当して終戦を迎えた[7][21]

なお、「南遣」の名を関した日本海軍の部隊は、日露戦争中に南シナ海沿岸の要地偵察やバルチック艦隊用の物資輸送を妨害するために派遣された「南遣支隊」が嚆矢である。第一次世界大戦中には、ドイツ領南洋諸島各地を制圧するために「第一南遣枝隊」・「第二南遣枝隊」・「特別南遣枝隊」が編成されている。

南遣艦隊[編集]

最初の南遣艦隊は[2]1941年昭和16年)7月10日昭和天皇の裁可を得て[4]7月31日佐世保で編成された[22][23]。初代の南遣艦隊司令長官は[18]平田昇海軍中将[24][25]。 当時の日本海軍は南部仏印進駐にともない[26]、第二遣支艦隊(旗艦:足柄、指揮官:新見政一第二遣支艦隊司令長官)を基幹戦力として、ふ号作戦を実施しており[27][28]、日本軍は8月上旬に南部仏印進駐を完了した[23][29]。 南遣艦隊新設の準備は既にはじまっていたが、南部仏印進駐成功の見通しがついたため、前述の7月31日をもって発足した[5]。これは、中国大陸沿岸(南支)を主担当海域する第二遣支艦隊を南部仏印に配置するのは不適当で、警備部隊が必要とされた為の処置である[4]。関係各国との政治的な配慮を行う関係から連合艦隊(作戦担当)から分離され[4]大本営直属艦隊となった[1][30]。新編時の南遣艦隊は、連合艦隊・支那方面艦隊とならぶ外戦部隊の一つであった[4]

8月2日、平田長官は南遣艦隊旗艦を香取型練習巡洋艦香椎(同艦は前月7月15日に竣工)に指定する[4][31]8月11日午前7時、香椎はサンジャック沖合に到着した[23]。同日12時30分、新見中将(ふ号作戦部隊指揮官)は平田長官に事務の引継を完了する(ふ号作戦部隊は解散)[23]。以後、フランス領インドシナ方面の作戦は南遣艦隊の担当となった[23]。主力となるのは地上部隊の第81警備隊で、海軍が建造した艦艇は練習巡洋艦1隻(香椎)と海防艦1隻(占守)に過ぎない、実態は海軍根拠地隊に近い小艦隊だった[32][33]

しかし、南部仏印進駐により日本国と連合国の関係は決定的に悪化する[28][34]10月18日[18]、南遣艦隊司令長官は平田中将から小沢治三郎中将に交代した[35][36]近藤信竹海軍中将〈第二艦隊司令長官〉や高橋伊望海軍中将〈第三艦隊司令長官〉との先後任の関係上)[4][33]太平洋戦争開戦準備に伴い[4]、南遣艦隊は10月21日附で連合艦隊に編入された[1][37]。 陸軍のマレー作戦を援護すべく大本営連合艦隊司令部により戦力が増強された[38]。一度に集結させると敵に作戦意図を察知される恐れがあったため、海上戦力は1941年11月末まで、航空戦力は12月2日までに進出した。 司令長官の小沢治三郎中将は陣頭指揮の関係上、旗艦用の重巡洋艦を連合艦隊に要求する[38]。途中、第二艦隊司令長官近藤信竹中将(南方部隊指揮官)から「南遣艦隊司令長官(小沢)が前線に赴く必要は無い。サイゴンの陸上基地か『香椎』から指揮を執ればよいではないか」と妨害されたが、山本五十六連合艦隊司令長官は小沢中将の要請を是として重巡洋艦「鳥海」を追加した[38]

1941年(昭和16年)12月4日[39]山下奉文陸軍中将指揮下の第25軍の上陸船団27隻を護衛すべく海南島三亜港を出航する[40]。開戦前の12月6日の現地時間午前11:30に仏印最南端カモー岬を西進中、イギリスの大型偵察機2機が接近したため、撃墜している[41]12月8日夜半[42]、マレー半島コタバル上陸を皮切りに陸軍の南方作戦を支援した[43]マレー沖海戦では、南遣艦隊麾下の基地航空隊がイギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈している[38]。増勢された部隊以外はツダウム飛行場やサンジャック停泊地(現在のブンタウ)の警備を担当する。根拠地隊の海軍陸戦隊は、陸軍のマレー半島シンガポール攻略部隊を追って南下した。

年が明けて1942年(昭和17年)1月3日、フィリピン攻略・警備部隊の第三南遣艦隊が新編されたことを機に南遣艦隊は第一南遣艦隊に改名し[8][9][44](司令長官、参謀長以下留任)[18][45]、引き続きシンガポール占領のため、マレー半島やボルネオ方面作戦を継続した[1][46]。南方作戦(マレー作戦・蘭印作戦)が一段落後の同年4月以降、増勢された部隊は日本本土に帰還した[47]

編制[編集]

1941年7月31日、新編時の編制[編集]

  • 香椎(6000トン級練習巡洋艦)・占守900トン級海防艦
  • 金剛山丸(2000トン級特設砲艦)・音羽丸(200トン級掃海艇)・留萌丸(200トン級掃海艇)
  • 第81警備隊・第81通信隊

1941年12月10日、太平洋戦争開戦時の編制[編集]

  • 香椎・占守
  • 第9根拠地隊
    • 初鷹
    • 第1掃海隊
    • 第11駆潜隊・相良丸・永興丸・長沙丸
    • 第91駆潜隊・野鳥丸
    • 第91警備隊・第91通信隊
  • 第11特別根拠地隊
    • 永福丸
    • 第81通信隊

1941年12月2日 - 1942年4月10日の間増加された戦力[編集]

歴代司令長官[編集]

  1. 平田昇中将:1941年7月31日[24][25] - 1941年10月18日[36]
  2. 小沢治三郎中将:1941年10月18日[36] -(改名後も留任)

歴代参謀長[編集]

  1. 澤田虎夫少将:1941年7月31日[24] -(改名後も留任)

第一南遣艦隊[編集]

第一南遣艦隊は、1942年(昭和17年)1月3日の第三南遣艦隊新設に伴い、先述の南遣艦隊(司令長官小沢治三郎中将)を改名したものである[18][44](司令長官、参謀長など留任)[46][45]。南遣艦隊の任務を引き継ぎ、シンガポールの戦い蘭印作戦を支援した[8][46]南方作戦終了後、臨時編入されていた重巡鳥海などはミッドウェー作戦にそなえて日本本土へ帰還した[47]。第一南遣艦隊旗艦は香椎に戻った[47]。第一南遣艦隊はシンガポールに司令部を置き、マレー半島・インドシナ・ビルマニコバル諸島アンダマン諸島に根拠地隊を置いた。各地での局地戦や空襲で小規模な損害を重ねたが、主戦場とならなかったために、大規模な損害は受けなかった。

改称当時、引き続き連合艦隊の指揮でマレー作戦・蘭印作戦に従事した。1942年(昭和17年)4月10日、3個南遣艦隊が連合した南西方面艦隊が発足すると[7][48]、南西方面艦隊の指揮下に置かれた[15]

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)1月8日[49]、南西方面艦隊より第13航空艦隊がのぞかれ第一南遣艦隊に編入され、第一南遣艦隊司令長官田結穣中将が第13航空艦隊司令長官を兼任した[18][50]。 2月5日、日本海軍は第五艦隊(司令長官志摩清英中将)を解隊し[51]第十方面艦隊(司令長官福留繁中将、参謀長朝倉豊次少将)を新編する[52][53]。 第一南遣艦隊と第二南建艦隊は南西方面艦隊からのぞかれて他部隊(第十三航空艦隊・第五戦隊など)と共に第十方面艦隊に編入され[51]、終戦まで駐留を継続した[52]。なお、第十方面艦隊司令部(司令長官・参謀長)はひきつづき第一南遣艦隊司令部および第十三航空艦隊司令部を兼任した[18][53]

編制[編集]

1942年4月10日、南西方面艦隊新編時の編制[編集]

  • 直属:香椎占守
  • 第9根拠地隊(マレー半島防衛。司令部はペナン島
    • 初鷹・永興丸
    • 第11・91駆潜隊
    • 第11潜水艦基地隊
  • 第10特別根拠地隊[54](インドシナ防衛。司令部はサイゴン)
  • 第11特別根拠地隊(シンガポール防衛。司令部はシンガポール)
    • 第19・20・21号駆潜艇・永福丸
    • 第11通信隊
  • 第12特別根拠地隊[55](ニコバル諸島・アンダマン諸島防衛。司令部はポートブレア)
    • ・江祥丸・第41掃海隊
    • 第12通信隊
  • 附属:勝力・相良丸

※1943年、ビルマに第13根拠地隊を増設(第12特別根拠地隊の一部を割譲)

1944年4月1日、戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 第9特別根拠地隊
    • 初鷹・永興丸・第11駆潜隊
  • 第10特別根拠地隊
    • 第7号掃海艇・第44掃海隊
    • 第9警備隊・第11潜水艦基地隊・第10港務部・第23衛所隊
  • 第11特別根拠地隊
    • 第19・20・21・41・43号駆潜艇・永福丸
  • 第12特別根拠地隊
    • ・江祥丸
    • 第14・25警備隊・第21・22衛所隊
  • 第13根拠地隊
    • 第12・13・17警備隊・第12通信隊
  • 附属:八重山天津風・第21魚雷艇隊
    • 第936海軍航空隊・第34・51・55・58・70・88・102・104・108・112防空隊・第40・231・234設営隊

1945年6月1日、最終時の編制[編集]

  • 第9特別根拠地隊
    • 初鷹
  • 第10特別根拠地隊
    • 第4・34号駆潜艇・第44掃海隊
    • 第10港務部・第10通信隊
  • 第11根拠地隊
    • 第41・43号駆潜艇
    • 第10・11警備隊
  • 第12特別根拠地隊
    • 第14・25警備隊
  • 第13特別根拠地隊
    • 第12・13・17警備隊
  • 第15根拠地隊
    • 第11駆潜隊
    • 第9警備隊・第11潜水艦基地隊
  • 附属:妙高高雄・第61号海防艦・第57号駆潜艇
    • 第3110設営隊

歴代司令長官[編集]

  1. 小沢治三郎中将:(改称前より留任)
  2. 大川内伝七中将:1942年7月14日 -
  3. 田結穣中将:1943年9月20日 -
  4. 福留繁中将:1945年1月13日 -(降伏)

歴代参謀長[編集]

  1. 澤田虎夫少将:(改称前より留任)
  2. 浜田浄少将:1942年6月20日 -
  3. 鳥越新一少将:1943年8月27日 -
  4. 朝倉豊次少将:1944年8月16日 -(降伏)

上級部隊[編集]

第二南遣艦隊[編集]

1941年(昭和16年)3月10日、蘭印作戦の目途がついたことで日本海軍は第三艦隊(司令長官高橋伊望中将)や麾下の第五水雷戦隊(司令官原顕三郎少将)等を解隊・再編・改称し[18][56]第二南遣艦隊を新編した(司令長官高橋伊望中将)[12][57]。 4月10日、日本海軍は第二段作戦方針に基づき戦時編制の改定を実施する[14][48]。この中で、南西方面全体を統轄する南西方面艦隊を新編した[15]。南西方面艦隊は、第一・第二・第三南遣艦隊を麾下に置いた[15]。第二南遣艦隊司令長官高橋伊望中将が南西方面艦隊司令長官を兼務した[14][17]。 南西方面艦隊発足後も、南方部隊として引き続きインドネシアを攻略・駐留した[14]。 最初の1年間は、南西方面艦隊司令部の直卒部隊として司令部を兼任した。9月15日、第二南遣艦隊司令長官(南西方面艦隊司令長官兼任)は高橋中将から高須四郎中将に交代した[18]

1943年(昭和18年)4月15日、第二南遣艦隊司令長官に岩村清一中将が任命され、南西方面艦隊司令部と分離した[58](高須中将は南西方面艦隊長官専任)[18]ボルネオ島セレベス島スンダ列島・西ニューギニアを管轄したが、広大すぎることから11月30日に第四南遣艦隊を新編し(南西方面艦隊麾下)[18][59]、東部の管轄区域を移譲した。大規模な戦闘は経験せず、潜水艦攻撃と機動部隊の空襲によって消耗した。

1945年(昭和20年)2月5日の第十方面艦隊新編にともない(上述)[51]、第一南遣艦隊と第二南遣艦隊は南西方面艦隊からのぞかれて第十方面艦隊へ編入された[52]。 また第四南遣艦隊は同年3月10日に解散したが[18]、麾下部隊は第二南遣艦隊に復帰することなく、第十方面艦隊直卒となった。

編制[編集]

1942年3月10日、改称時の編制[編集]

  • 直属:足柄厳島
  • 第16戦隊:名取鬼怒五十鈴
  • 第21特別根拠地隊(ジャワ島防衛。司令部はスラバヤ
    • 第8・11・12号掃海艇・第1~3号駆潜艇
    • 第932海軍航空隊・第21通信隊・第21潜水艦基地隊・第1港務部
  • 第22特別根拠地隊(ボルネオ島防衛。司令部はバリクパパン
    • 第16号掃海艇。第4~6号駆潜艇
    • 第2警備隊・第2港務部
  • 第23特別根拠地隊(セレベス島防衛。司令部はマカッサル
    • 蒼鷹・新興丸・第54駆潜隊
    • 第3・6警備隊
  • 第24特別根拠地隊(スンダ列島・ニューギニア防衛。司令部はアンボン
    • 友鶴
    • 第934海軍航空隊・第4警備隊・第24通信隊
  • 附属:筑紫山陽丸・第2砲艦隊

1944年4月1日、戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 第21特別根拠地隊
    • 第11・12・101号掃海艇・第104号哨戒艇・第1~3号駆潜艇
    • 第932海軍航空隊・第3警備隊・第21潜水艦基地隊・第1港務部
  • 第22特別根拠地隊
    • 第4~6号駆潜艇・第2・36号哨戒艇
    • 第2警備隊・第2港務部
  • 第23特別根拠地隊
    • 第8号掃海艇
  • 附属:第102号哨戒艇・萬洋丸・大興丸
    • 第33・53・101・103・109・113防空隊・第24・201・241設営隊

1945年6月1日、最終時の編制[編集]

  • 第21特別根拠地隊
    • 第1~3号駆潜艇
    • 第3~6警備隊・第21潜水艦基地隊・第1港務部・第21通信隊
  • 第22特別根拠地隊
    • 第4・5・56号駆潜艇・第2・36号哨戒艇
    • 第2警備隊・第2港務部
  • 第23特別根拠地隊
    • 第8号掃海艇
    • 第8警備隊
  • 附属:第106・109号哨戒艇
    • 第7特設輸送隊

歴代司令長官[編集]

  1. 南西方面艦隊司令長官兼務(※実質的に第三艦隊司令長官高橋伊望中将[57]の留任→高須四郎中将に継承)
  2. 岩村清一中将:1943年4月15日 -
  3. 三川軍一中将:1943年9月3日 -
  4. 河瀬四郎中将:1944年6月18日 -
  5. 柴田弥一郎中将:1945年1月29日 -(降伏)

歴代参謀長[編集]

  1. 南西方面艦隊参謀長兼務(※実質的に第三艦隊参謀長中村俊久少将の留任)
  2. 松崎彰少将:1943年4月15日 -
  3. 長谷真三郎少将:1945年1月19日 -(降伏)

上級部隊[編集]

第三南遣艦隊[編集]

1942年(昭和17年)1月3日[44]フィリピン攻略・警備・海上交通保護のため、軽巡洋艦1隻(球磨)・敷設艦1隻(八重山)・砲艦隊1隊・特別根拠地隊2隊と附属隊をもって発足した[9](大海指第37号[60]・大海指第38号[61]による)[46]。水上艦の多くは第三艦隊→第二南遣艦隊から抽出し、第三艦隊はさらに南方のインドネシア攻略に向かった[62]

第三南遣艦隊は連合艦隊に属し、南方部隊指揮官近藤信竹中将(第二艦隊司令長官)の指揮下におかれた[62]。 第三南遣艦隊令長官に親補された杉山六蔵海軍中将は[18]、1月6日に高雄市で軽巡球磨に将旗を掲げた[62]。1月9日にマニラへ進出、陸上に司令部を置いた[46]。当初の任務は、マニラ湾口の封鎖や、フィリピン各地の制圧・占領であった[63]。2月には第一砲艦隊・第51・53駆潜隊・第31・32航空隊を増勢、2月中旬に水雷艇3隻(13日〈雉・鴻〉、15日〈粟〉)、3月6日に第6駆逐隊()が編入された[63]

同年4月10日に南西方面艦隊が発足すると、第三南遣艦隊も麾下に入った[7][15]。当時、アメリカ軍のコレヒドール要塞は陥落しておらず、日本陸軍の第14軍に協力してマニラ方面の作戦に従事した[64]。またフィリピン各地の島嶼を占領するため、護衛艦艇として第二水雷戦隊と第四水雷戦隊から駆逐隊が増強された。 5月上旬に要塞が陥落しフィリピンの米軍が降伏すると[65]、増援の駆逐隊[64](第2駆逐隊〈村雨五月雨夕立春雨〉、第24駆逐隊〈海風山風江風〉、第15駆逐隊〈親潮黒潮早潮〉)は原隊に復帰してミッドウェー作戦に参加した(フィリピンの戦い)。

陸海軍の協定により、海軍は中部・南部フィリピンの防衛担当となったため、ルソン島は陸軍に任せて規模を縮小している。しかし1944年(昭和19年)夏より、フィリピン奪還に備えて再びルソン島の増強を図っている。そのため南西方面艦隊司令部はフィリピンに移り、8月15日より三川軍一南西方面艦隊司令長官が第三南遣艦隊司令長官を兼任した[18]。しかしフィリピンの戦い (1944-1945年)にともなうルソン島地上戦(昭和20年1月初旬以降)によって第三南遣艦隊(南西方面艦隊)司令部は孤立化した。大本営は、連携不能となった第一・第二南遣艦隊を統率するために、2月5日附で第十方面艦隊を新設せねばならなくなった(詳細既述)[52][51]

編制[編集]

1942年1月3日、新編時の編制[編集]

1942年7月14日、ミッドウェー海戦後の編制[編集]

  • 直属:球磨・八重山
  • 第31特別根拠地隊
    • 第17・18号掃海艇・第31駆潜隊
  • 第32特別根拠地隊
    • 武昌丸
  • 附属:讃岐丸・日祐丸・第36共同丸
    • 第31航空隊・第2測量隊

1944年4月1日、戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 直属:津軽
  • 第32特別根拠地隊
    • 第30号掃海艇
    • 第33警備隊
  • 附属:唐津・隼・第36・45・46号駆潜艇・第103・105号哨戒艇・木曽丸
    • 第31海軍航空隊・第32海軍航空隊・第954海軍航空隊・第31警備隊・第31通信隊

1945年6月1日、最終時の編制[編集]

  • 第30根拠地隊
  • 第31特別根拠地隊
    • 第35警備隊・第31港務部・第31通信隊
  • 第32特別根拠地隊
    • 第33警備隊・第32通信隊・第10特設輸送隊
  • 第33特別根拠地隊
    • 第36警備隊
  • 附属:第21駆潜隊・第12魚雷艇隊・第25魚雷艇隊・第31魚雷艇隊
    • 第955海軍航空隊・第135・136・166~168・183~185・187・204~207防空隊
    • 第205・214・215・225・235・301・308・311・318・328・331・332・3011設営隊・第9特設輸送隊

歴代司令長官[編集]

  1. 杉山六蔵中将:1942年1月3日 -
  2. 太田泰治中将:1942年12月1日 -
  3. 岡新中将:1943年9月20日 -
  4. 南西方面艦隊司令長官兼任:1944年8月15日 -(降伏)(※三川軍一中将・大川内伝七中将が歴任)

歴代参謀長[編集]

  1. 近藤泰一郎少将:1942年1月3日 -
  2. 橋本象造少将:1943年1月11日 -
  3. 島本久五郎少将:1944年7月27日 -
  4. 南西方面艦隊参謀長兼任:1944年8月15日 -(降伏)(※有馬馨少将が兼任)

上級部隊[編集]

第四南遣艦隊[編集]

1943年(昭和18年)後半になると、日本軍はオーストラリアで反撃体制を整えた連合軍のフィリピン攻略に備えなくてはならなくなった。そこで同年11月30日[59]、第二南遣艦隊を二分割し、東部方面の防衛を担当するために編制したのが第四南遣艦隊である[19]。司令長官は山縣正郷中将[18]。スンダ列島やバンダ海周辺の島嶼部の防衛を担当した。1944年の初期のうちに、第四南遣艦隊から西ニューギニアへの増援部隊を抽出することが決まり、1944年5月、第九艦隊の本拠地ホーランディアが陥落する直前に、編制が完了したばかりの第28特別根拠地隊をビアク島に派遣した。しかしビアク島も連合軍の直撃を受け、半年間の籠城戦の末に玉砕した。その後連合軍はフィリピンに上陸したため、第四南遣艦隊は遊兵化した。1945年(昭和20年)2月5日の第十方面艦隊新編時、日本陸軍と日本海軍は「南方方面作戦に関する陸海軍中央協定」を結ぶ[51]。陸上防衛に関し、南方軍は第十方面艦隊と第四南遣艦隊を指揮することになった[51]。第四南遣艦隊は3月10日に解散し[19]、第十方面艦隊に吸収された[66]。元司令長官の山縣中将は内地へ帰還中の17日、搭乗機が遭難して消息不明になった[66]

編制[編集]

1943年11月30日、新編時の編制[編集]

  • 直属:厳島
  • 第24根拠地隊(スンダ列島防衛。司令部はフローレス島)
  • 第25特別根拠地隊(セラム島防衛。司令部はアンボン)
  • 第26特別根拠地隊(ハルマヘラ島防衛。司令部はカウ)
  • 附属:第934航空隊・2個防空隊・1個設営隊

1944年4月1日、戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 直属:厳島
  • 第24特別根拠地隊
    • 第4・6警備隊
  • 第25特別根拠地隊
    • 若鷹・第125駆潜隊
    • 第7・20・21警備隊・第24・25通信隊
  • 第26特別根拠地隊
    • 蒼鷹・第4・5号掃海艇
    • 第18・19・21警備隊
  • 附属:第50・56・105~107・110・114・115防空隊・第202・203・213・224・225設営隊

1945年3月1日、最終時の編制[編集]

  • 第25特別根拠地隊
    • 若鷹
    • 第7・20・21・26・27警備隊
  • 第26特別根拠地隊
  • 第28特別根拠地隊
    • 第18警備隊
  • 附属:第33・105防空隊・第36・201~203・224・232設営隊

歴代司令長官[編集]

  1. 山縣正郷中将(全期間。解隊後、帰国中に中国大陸で戦死、海軍大将に昇進)

歴代参謀長[編集]

  1. 岡田為次少将(全期間)

上級部隊[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 戦史叢書102巻、528頁「南遣艦隊」
  2. ^ a b c d e f 戦史叢書102巻、523-524頁「付録第7 陸海軍の組織・編制関係概見表(昭和12年~20年)」「(6)第1次上海事変から大東亜戦争開戦までの艦隊の新設・解隊」
  3. ^ 戦史叢書102巻、418-419頁「付録第3、軍隊符号等(隊号・略字等)」「2.海軍関係」
  4. ^ a b c d e f g h 戦史叢書91巻516頁「第五艦隊・南遣艦隊の追加的新編」
  5. ^ a b 戦史叢書79巻305頁「南遣艦隊の新設」
  6. ^ 戦史叢書80巻102-103頁「大東亞戦争と呼称決定」
  7. ^ a b c d e f g h 戦史叢書102巻、524-526頁「付録第77 陸海軍の組織・編制関係概見表(昭和12年~20年)」「(7)大東亜戦争間における艦隊の新設・解隊」
  8. ^ a b c 戦史叢書102巻、529頁「第1南遣艦隊」
  9. ^ a b c 戦史叢書80巻223頁「南西方面/十七年一月三日 三南遣新設、三十一特根(マニラ)、三十二特根(ダバオ)を編入。同日 南遣艦隊を一南遣と改称」
  10. ^ 戦史叢書102巻、530頁「第三南遣艦隊」
  11. ^ 戦史叢書102巻、527-528頁「(2)第3艦隊」
  12. ^ a b 戦史叢書80巻224頁「南西方面/三月十日 ジャワ攻略完了に伴い、第三艦隊、五水戦、一根、二根解隊、二南遣、二十一特根(スラバヤ)、二十二特根(バリクパパン)、二十三特根(マカッサル)新設」
  13. ^ a b c 戦史叢書102巻、530頁「第二南遣艦隊」
  14. ^ a b c d e 戦史叢書80巻375-377頁「六 南西方面の作戦指導と経過概要/第二段作戦方針」
  15. ^ a b c d e 戦史叢書80巻224頁「南西方面/四月十日 南西方面艦隊司令部新設」
  16. ^ 戦史叢書102巻、530頁「南西方面艦隊」
  17. ^ a b 昭和17年4月10日(発令4月10日付)海軍辞令公報(部内限)第841号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100 
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 戦史叢書102巻、457-459頁「付録第6 陸海軍首脳者在職推移表(昭和6年9月~20年12月)」「2 海軍首脳者」「(4)聯合艦隊、その他の艦隊」
  19. ^ a b c d 戦史叢書102巻、530頁「第四南遣艦隊」
  20. ^ 戦史叢書102巻、530頁「第10方面艦隊」
  21. ^ 戦史叢書102巻、526-527頁「(3)終戦時昭和20年8月における海軍の隷属・指揮・指示系統概要」
  22. ^ 戦史叢書79巻306頁「大海令第二九〇号」
  23. ^ a b c d e 戦史叢書79巻306頁「南遣艦隊の進出と「ふ」号作戦部隊の解散」
  24. ^ a b c 戦史叢書79巻306頁「主要職員」
  25. ^ a b 昭和16年7月31日(発令7月31日付)海軍辞令公報(部内限)第681号 p.49』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  26. ^ 戦史叢書91巻526-528頁「南部仏印進駐の決定―「対米英戦ヲ辞セズ」」
  27. ^ 戦史叢書79巻298頁「作戦構想」
  28. ^ a b 戦史叢書91巻528-530頁「全面禁輸と軍令部」
  29. ^ 戦史叢書102巻、78頁「昭和16年(1944年)8月8日」
  30. ^ 戦史叢書102巻、77頁「昭和16年(1944年)7月31日」
  31. ^ 昭和16年8月6日(水)海軍公報(部内限)第3864号 p.47』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396500 「○将旗掲揚 南遣艦隊司令長官ハ八月二日将旗ヲ香椎ニ掲揚セリ」
  32. ^ 戦史叢書79巻305-306頁「兵力」
  33. ^ a b 智将小沢治三郎21-22頁
  34. ^ 戦史叢書79巻307頁「南部佛印進駐の影響」
  35. ^ 智将小沢治三郎18頁
  36. ^ a b c 昭和16年10月20日(発令10月18日付)海軍辞令公報(部内限)第732号 pp.13-14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 
  37. ^ 戦史叢書102巻、84頁「昭和16年(1941年)10月21日」
  38. ^ a b c d 智将小沢治三郎22-24頁
  39. ^ 戦史叢書102巻、91頁「昭和16年(1941年)12月4日」
  40. ^ 智将小沢治三郎38-40頁
  41. ^ 智将小沢治三郎41-44頁
  42. ^ 戦史叢書102巻、92頁「昭和16年(1941年)12月8日」
  43. ^ 智将小沢治三郎44-49頁
  44. ^ a b c 戦史叢書102巻、99頁「昭和17年(1942年)1月3日」
  45. ^ a b 昭和17年1月5日(発令1月3日付)海軍辞令公報(部内限)第787号 p.3』 アジア歴史資料センター Ref.C13072083800 
  46. ^ a b c d e 戦史叢書80巻141-143頁「第一、第三南遣艦隊の新編」
  47. ^ a b c 智将小沢治三郎71-72頁
  48. ^ a b 戦史叢書102巻、115頁「昭和17年(1942年)4月10日」
  49. ^ 戦史叢書102巻、276頁「昭和20年(1945年)1月8日」
  50. ^ 戦史叢書102巻、529頁「第13航空艦隊」
  51. ^ a b c d e f 戦史叢書102巻、281-282頁「昭和20年(1945年)2月5日」
  52. ^ a b c d 戦史叢書93巻、191-192頁「第十方面艦隊の編成/南西方面艦隊の改編」
  53. ^ a b 昭和20年2月9日(発令2月5日付)海軍辞令公報(甲)第1717号 p.9(福留繁中将、補第十方面艦隊司令長官兼第十三航空艦隊司令長官第一南遣艦隊司令長官)、p.14(福留、朝倉等補職)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103400 
  54. ^ 戦史叢書80巻223頁「南西方面/一月十五日 十特根編入」
  55. ^ 戦史叢書80巻223-224頁「南西方面/二月十五日 十二特根新設(予定ラングーン、アンダマン)一南遣に編入」
  56. ^ 戦史叢書102巻、111頁「昭和17年(1944年)3月10日」
  57. ^ a b 昭和17年3月10日(発令3月10日付)海軍辞令公報(部内限)第824号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084400 
  58. ^ 戦史叢書102巻、172頁「昭和18年(1943年)4月15日」
  59. ^ a b 戦史叢書102巻、204頁「昭和18年(1944年)11月30日」
  60. ^ 戦史叢書80巻141頁「大海指第三十七号 聯合艦隊司令長官ハ第三南遣艦隊司令長官ヲシテ菲律賓群島方面海域ノ作戦並ニ海上交通ノ確保ニ任ゼシムルト共ニ陸軍ト協同シテ菲律賓群島ノ残敵ヲ掃蕩シ且同群島ノ警備ニ任ゼシムベシ」
  61. ^ 戦史叢書80巻141-142頁「大海指第三十八号 菲律賓群島占領後ニ於ケル同群島ノ警備ハ別紙「菲律賓群島警備ニ関スル陸海軍中央協定」ニ準拠スベシ」
  62. ^ a b c 戦史叢書2巻、290-291頁「協力海軍の縮減」
  63. ^ a b 戦史叢書2巻、312-313頁「海軍のバタアンに対する関心漸増」
  64. ^ a b 戦史叢書80巻377-378頁「比島方面の作戦」
  65. ^ 戦史叢書2巻、532-533頁「カラバオ、フライレ両島の占領と全米比軍の降伏」
  66. ^ a b 戦史叢書102巻、288頁「昭和20年(1945年)3月10日」

参考文献[編集]

  • 生出寿 『智将小沢治三郎 沈黙の提督 その戦術と人格』 潮書房光人社〈光人社NF文庫〉、2017年7月(原著1988年)。ISBN 978-4-7698-3017-7
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 比島攻略作戦』第2巻、朝雲新聞社、1966年10月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 中國方面海軍作戦(2) 昭和十三年四月以降』第79巻、朝雲新聞社、1975年1月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊(2) ―昭和17年6月まで―』第80巻、朝雲新聞社、1975年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊(1) ―開戦まで―』第91巻、朝雲新聞社、1975年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』第93巻、朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1976年3月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 陸海軍年表 付 兵器・兵語の解説』第102巻、朝雲新聞社、1980年1月。


関連項目[編集]