南遣艦隊

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南遣艦隊(なんけんかんたい)は、大日本帝国海軍の部隊。

概要[編集]

南遣艦隊(なんけんかんたい)は、1941年(昭和16年)7月に日本軍が実施した仏印進駐および、同作戦後の東南アジア方面警備のために7月31日附で編成された[1][2]。太平洋海戦勃発以後、終戦までにのべ5個艦隊が東南アジアの駐留・防衛のために編成された。

なお、「南遣」の名を関した日本海軍の部隊は、日露戦争中に南シナ海沿岸の要地偵察やバルチック艦隊用の物資輸送を妨害するために派遣された「南遣支隊」が嚆矢である。第一次世界大戦中には、ドイツ領南洋諸島各地を制圧するために「第一南遣枝隊」「第二南遣枝隊」「特別南遣枝隊」が編成されている。

南遣艦隊[編集]

最初の南遣艦隊は、1941年昭和16年)7月10日昭和天皇の裁可を得て[2]7月31日佐世保で編成された[3][4]。初代の南遣艦隊司令長官は、平田昇海軍中将[5][6]。 当時の日本海軍は南部仏印進駐にともない[7]、第二遣支艦隊(旗艦足柄、指揮官新見政一第二遣支艦隊司令長官)を基幹戦力として「ふ号作戦」を実施しており[8][9]、8月上旬には南部仏印進駐を完了した[4]。南遣艦隊新設の準備は既にはじまっていたが、南部仏印進駐成功の見通しがついたため、前述の7月31日をもって発足した[1]。これは、中国大陸沿岸(南支)を主担当海域する第二遣支艦隊を南部仏印に配置するのは不適当で、警備部隊が必要とされた為の処置である[2]。関係各国との政治的な配慮を行う関係から、連合艦隊(作戦担当)から分離され、大本営直属艦隊となった[2]。新編時の南遣艦隊は、連合艦隊、支那方面艦隊とならぶ外戦部隊の一つであった[2]

8月2日、平田長官は南遣艦隊旗艦を香取型練習巡洋艦香椎(同艦は前月7月15日に竣工)に指定[2][10]8月11日午前7時、香椎はサンジャック沖合に到着[4]。同日12時30分、新見中将(ふ号作戦部隊指揮官)は平田長官に事務の引継を完了(ふ号作戦部隊は解散)[4]。以後、フランス領インドシナ方面の作戦は南遣艦隊の担当となった[4]。主力となるのは地上部隊の第81警備隊で、海軍が建造した艦艇は練習巡洋艦1隻(香椎)と海防艦1隻(占守)に過ぎない、実態は海軍根拠地隊に近い小艦隊だった[11]

しかし、南部仏印進駐により日本国と連合国の関係は決定的に悪化[9][12]10月18日、南遣艦隊司令長官は平田中将から小沢治三郎中将に交代[13]近藤信竹海軍中将〈第二艦隊司令長官〉や高橋伊望海軍中将〈第三艦隊司令長官〉との先後任の関係上)[2]太平洋戦争開戦準備に伴い、南遣艦隊は10月21日附で連合艦隊に編入された[2]。 陸軍のマレー作戦を援護すべく大本営連合艦隊司令部により戦力が増強された。一度に集結させると敵に作戦意図を察知される恐れがあったため、海上戦力は1941年11月末まで、航空戦力は12月2日までに進出した。司令長官の小沢治三郎中将は陣頭指揮の関係上、旗艦用の重巡洋艦を連合艦隊に要求。途中、第二艦隊司令長官近藤信竹中将から「南遣艦隊司令長官が前線に赴く必要は無い。サイゴンの陸上基地か『香椎』から指揮を執ればよいではないか」と妨害されたが、山本五十六連合艦隊司令長官は小沢中将の要請を是として重巡洋艦「鳥海」を追加した。

1941年(昭和16年)12月4日、山下奉文陸軍中将指揮下の第25軍の上陸船団27隻を護衛すべく海南島三亜港を出航。開戦前の12月6日の現地時間午前11:30に仏印最南端カモー岬を西進中、イギリスの大型偵察機2機が接近したため、撃墜している。12月8日夜半、マレー半島コタバル上陸を皮切りに陸軍の南方作戦を支援。マレー沖海戦ではイギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈している。増加された部隊以外はツダウム飛行場やサンジャック停泊地(現在のブンタウ)の警備を担当。根拠地隊の海軍陸戦隊は、陸軍のマレー半島シンガポール攻略部隊を追って南下した。年が明けて1942年(昭和17年)1月3日、フィリピン攻略部隊が新編されたことを機に、第一南遣艦隊に改名し、引き続きシンガポール占領のため進攻を継続した。南方作戦(マレー作戦、蘭印作戦)が一段落後の同年4月、増加された部隊は日本本土に帰還した。

編制[編集]

1941年7月31日 新編時の編制[編集]

  • 香椎(6000トン級練習巡洋艦)、占守900トン級海防艦
  • 金剛山丸(2000トン級特設砲艦)、音羽丸(200トン級掃海艇)、留萌丸(200トン級掃海艇)
  • 第81警備隊、第81通信隊

1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制[編集]

  • 香椎、占守
  • 第9根拠地隊
    • 初鷹
    • 第1掃海隊
    • 第11駆潜隊、相良丸、永興丸、長沙丸
    • 第91駆潜隊、野鳥丸
    • 第91警備隊、第91通信隊
  • 第11特別根拠地隊
    • 永福丸
    • 第81通信隊

1941年12月2日~1942年4月10日の間増加された戦力[編集]

歴代司令長官[編集]

  1. 平田昇中将 1941年7月31日[5][6] ~ 1941年10月18日[13]
  2. 小沢治三郎中将 1941年10月18日[13] ~(改名後も留任)

歴代参謀長[編集]

  1. 澤田虎夫少将 1941年7月31日[5]~(改名後も留任)

第一南遣艦隊[編集]

1942年1月3日、第三南遣艦隊新設に伴い先述の南遣艦隊を改名したものである。南遣艦隊の任務を引き継ぎ、シンガポールの戦いを支援した。攻略完了後はシンガポールに司令部を置き、マレー半島・インドシナ・ビルマニコバル諸島アンダマン諸島に根拠地隊を置いた。各地での局地戦や空襲で小規模な損害を重ねたが、主戦場とならなかったために、大規模な損害は受けなかった。

改称当時は連合艦隊、1942年(昭和17年)4月10日には3個南遣艦隊が連合した南西方面艦隊の指揮下に置かれた。1945年2月5日、第二南遣艦隊とともに第十方面艦隊に移籍し、終戦まで駐留を継続した。なお、第十方面艦隊司令部は第一南遣艦隊司令部が兼任している。

編制[編集]

1942年4月10日 南西方面艦隊新編時の編制[編集]

  • 直属:香椎占守
  • 第9根拠地隊(マレー半島防衛、司令部はペナン島
    • 初鷹、永興丸
    • 第11、91駆潜隊
    • 第11潜水艦基地隊
  • 第10特別根拠地隊(インドシナ防衛、司令部はサイゴン)
  • 第11特別根拠地隊(シンガポール防衛、司令部はシンガポール)
    • 第19、20、21号駆潜艇、永福丸
    • 第11通信隊
  • 第12特別根拠地隊(ニコバル諸島・アンダマン諸島防衛、司令部はポートブレア)
    • 、江祥丸、第41掃海隊
    • 第12通信隊
  • 附属:勝力、相良丸

※1943年、ビルマに第13根拠地隊を増設(第12特根の一部を割譲)

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 第9特別根拠地隊
    • 初鷹、永興丸、第11駆潜隊
  • 第10特別根拠地隊
    • 第7号掃海艇、第44掃海隊
    • 第9警備隊、第11潜水艦基地隊、第10港務部、第23衛所隊
  • 第11特別根拠地隊
    • 第19、20、21、41、43号駆潜艇、永福丸
  • 第12特別根拠地隊
    • 、江祥丸
    • 第14、25警備隊、第21、22衛所隊
  • 第13根拠地隊
    • 第12、13、17警備隊、第12通信隊
  • 附属:八重山天津風、第21魚雷艇隊
    • 第936海軍航空隊、第34、51、55、58、70、88、102、104、108、112防空隊、第40、231、234設営隊

1945年6月1日 最終時の編制[編集]

  • 第9特別根拠地隊
    • 初鷹
  • 第10特別根拠地隊
    • 第4、34号駆潜艇、第44掃海隊
    • 第10港務部、第10通信隊
  • 第11根拠地隊
    • 第41、43号駆潜艇
    • 第10、11警備隊
  • 第12特別根拠地隊
    • 第14、25警備隊
  • 第13特別根拠地隊
    • 第12、13、17警備隊
  • 第15根拠地隊
    • 第11駆潜隊
    • 第9警備隊、第11潜水艦基地隊
  • 附属:妙高高雄、第61号海防艦、第57号駆潜艇
    • 第3110設営隊

歴代司令長官[編集]

  1. 小沢治三郎中将 (改称前より留任)~
  2. 大川内伝七中将 1942年7月14日~
  3. 田結穣中将 1943年9月20日~
  4. 福留繁中将 1945年1月13日~(降伏)

歴代参謀長[編集]

  1. 澤田虎夫少将 (改称前より留任)~
  2. 浜田浄少将 1942年6月20日~
  3. 鳥越新一少将 1943年8月27日~
  4. 朝倉豊次少将 1944年8月16日~(降伏)

上級部隊[編集]

第二南遣艦隊[編集]

1941年(昭和16年)3月10日に編制した第三艦隊を再編・改称し、引き続きインドネシアを攻略・駐留した。ボルネオ島セレベス島スンダ列島・西ニューギニアを管轄したが、広大すぎることから1943年11月30日に第四南遣艦隊を分割し、東部の管轄区域を移譲した。大規模な戦闘は経験せず、潜水艦攻撃と機動部隊の空襲によって消耗した。第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散したが、隷下部隊は第二南遣艦隊に復帰することなく、第十方面艦隊直卒となった。第一南遣艦隊と同様に、南西方面艦隊・第十方面艦隊に属した。最初の1年間は、南西方面艦隊司令部の直卒部隊として司令部を兼任した。

編制[編集]

1942年3月10日 改称時の編制[編集]

  • 直属:足柄厳島
  • 第16戦隊:名取鬼怒五十鈴
  • 第21特別根拠地隊(ジャワ島防衛、司令部はスラバヤ
    • 第8、11、12号掃海艇、第1~3号駆潜艇
    • 第932海軍航空隊、第21通信隊、第21潜水艦基地隊、第1港務部
  • 第22特別根拠地隊(ボルネオ島防衛、司令部はバリクパパン
    • 第16号掃海艇、第4~6号駆潜艇
    • 第2警備隊、第2港務部
  • 第23特別根拠地隊(セレベス島防衛、司令部はマカッサル
    • 蒼鷹、新興丸、第54駆潜隊
    • 第3、6警備隊
  • 第24特別根拠地隊(スンダ列島・ニューギニア防衛、司令部はアンボン
    • 友鶴
    • 第934海軍航空隊、第4警備隊、第24通信隊
  • 附属:筑紫山陽丸、第2砲艦隊

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 第21特別根拠地隊
    • 第11、12、101号掃海艇、第104号哨戒艇、第1~3号駆潜艇
    • 第932海軍航空隊、第3警備隊、第21潜水艦基地隊、第1港務部
  • 第22特別根拠地隊
    • 第4~6号駆潜艇、第2、36号哨戒艇
    • 第2警備隊、第2港務部
  • 第23特別根拠地隊
    • 第8号掃海艇
  • 附属:第102号哨戒艇、萬洋丸、大興丸
    • 第33、53、101、103、109、113防空隊、第24、201、241設営隊

1945年6月1日 最終時の編制[編集]

  • 第21特別根拠地隊
    • 第1~3号駆潜艇
    • 第3~6警備隊、第21潜水艦基地隊、第1港務部、第21通信隊
  • 第22特別根拠地隊
    • 第4、5、56号駆潜艇、第2、36号哨戒艇
    • 第2警備隊、第2港務部
  • 第23特別根拠地隊
    • 第8号掃海艇
    • 第8警備隊
  • 附属:第106、109号哨戒艇
    • 第7特設輸送隊

歴代司令長官[編集]

  1. 南西方面艦隊司令長官兼務 (改称)~ ※実質的に第三艦隊司令長官高橋伊望中将の留任→高須四郎中将に継承
  2. 岩村清一中将 1943年4月15日~
  3. 三川軍一中将 1943年9月3日~
  4. 河瀬四郎中将 1944年6月18日~
  5. 柴田弥一郎中将 1945年1月29日~(降伏)

歴代参謀長[編集]

  1. 南西方面艦隊参謀長兼務 (改称)~ ※実質的に第三艦隊参謀長中村俊久少将の留任
  2. 松崎彰少将 1943年4月15日~
  3. 長谷真三郎少将 1945年1月19日~(降伏)

上級部隊[編集]

第三南遣艦隊[編集]

1942年(昭和17年)1月3日、フィリピン攻略のため、2個根拠地隊を主力として編制した。水上艦の多くは第三艦隊→第二南遣艦隊から抽出し、第三艦隊はさらに南方のインドネシア攻略に向かった。1942年4月1日より、南方の通商航路を保護する第一海上護衛隊を隷下に置いているのが特徴である。これはやがて南西方面艦隊を経て、海上護衛総司令部へと移譲された。陸海軍の協定により、海軍は中部・南部フィリピンの防衛担当となったため、ルソン島は陸軍に任せて規模を縮小している。しかし1944年夏より、フィリピン奪還に備えて再びルソン島の増強を図っている。そのため南西方面艦隊司令部はフィリピンに移り、第三南遣艦隊司令部を兼任した。しかしフィリピンの地上戦によって司令部は孤立化し、途絶した第一・第二南遣艦隊を統率するために第十方面艦隊を新設せねばならなくなった。

編制[編集]

1942年1月3日 新編時の編制[編集]

1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制[編集]

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 直属:津軽
  • 第32特別根拠地隊
    • 第30号掃海艇
    • 第33警備隊
  • 附属:唐津、隼、第36、45、46号駆潜艇、第103、105号哨戒艇、木曽丸
    • 第31海軍航空隊、第32海軍航空隊、第954海軍航空隊、第31警備隊、第31通信隊

1945年6月1日 最終時の編制[編集]

  • 第30根拠地隊
  • 第31特別根拠地隊
    • 第35警備隊、第31港務部、第31通信隊
  • 第32特別根拠地隊
    • 第33警備隊、第32通信隊、第10特設輸送隊
  • 第33特別根拠地隊
    • 第36警備隊
  • 附属:第21駆潜隊、第12魚雷艇隊、第25魚雷艇隊、第31魚雷艇隊
    • 第955海軍航空隊、第135、136、166~168、183~185、187、204~207防空隊
    • 第205、214、215、225、235、301、308、311、318、328、331、332、3011設営隊、第9特設輸送隊

歴代司令長官[編集]

  1. 杉山六蔵中将 1942年1月3日~
  2. 太田泰治中将 1942年12月1日~
  3. 岡新中将 1943年9月20日~
  4. 南西方面艦隊司令長官兼任 1944年8月15日~(降伏) ※三川軍一中将→大川内伝七中将が歴任

歴代参謀長[編集]

  1. 近藤泰一郎少将 1942年1月3日~
  2. 橋本象造少将 1943年1月11日~
  3. 島本久五郎少将 1944年7月27日~
  4. 南西方面艦隊参謀長兼任 1944年8月15日~(降伏) ※有馬馨少将が兼任

上級部隊[編集]

第四南遣艦隊[編集]

1943年(昭和18年)11月30日、オーストラリアで反撃体制を整えた連合軍のフィリピン攻略に備え、第二南遣艦隊を二分割し、東部方面の防衛を担当するために編制したのが第四南遣艦隊で、スンダ列島やバンダ海周辺の島嶼部の防衛を担当した。1944年の初期のうちに、第四南遣艦隊から西ニューギニアへの増援部隊を抽出することが決まり、1944年5月、第九艦隊の本拠地ホーランディアが陥落する直前に、編制が完了したばかりの第28特別根拠地隊をビアク島に派遣した。しかしビアク島も連合軍の直撃を受け、半年間の籠城戦の末に玉砕した。その後連合軍はフィリピンに上陸したため、遊兵化した第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散し、第十方面艦隊に吸収された。

編制[編集]

1943年11月30日 新編時の編制[編集]

  • 直属:厳島
  • 第24根拠地隊(スンダ列島防衛、司令部はフローレス島)
  • 第25特別根拠地隊(セラム島防衛、司令部はアンボン)
  • 第26特別根拠地隊(ハルマヘラ島防衛、司令部はカウ)
  • 附属:第934航空隊、2個防空隊、1個設営隊

1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制[編集]

  • 直属:厳島
  • 第24特別根拠地隊
    • 第4、6警備隊
  • 第25特別根拠地隊
    • 若鷹、第125駆潜隊
    • 第7、20、21警備隊、第24、25通信隊
  • 第26特別根拠地隊
    • 蒼鷹、第4、5号掃海艇
    • 第18、19、21警備隊
  • 附属:第50、56、105~107、110、114、115防空隊、第202、203、213、224、225設営隊

1945年3月1日 最終時の編制[編集]

  • 第25特別根拠地隊
    • 若鷹
    • 第7、20、21、26、27警備隊
  • 第26特別根拠地隊
  • 第28特別根拠地隊
    • 第18警備隊
  • 附属:第33、105防空隊、第36、201~203、224、232設営隊

歴代司令長官[編集]

  1. 山縣正郷中将 (全期間) ※解隊後、帰国中に中国大陸で戦死、海軍大将に昇進。

歴代参謀長[編集]

  1. 岡田為次少将 (全期間)

上級部隊[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 戦史叢書79巻305頁『南遣艦隊の新設』
  2. ^ a b c d e f g h 戦史叢書91巻516頁『第五艦隊・南遣艦隊の追加的新編』
  3. ^ 戦史叢書79巻306頁『大海令第二九〇号』
  4. ^ a b c d e 戦史叢書79巻306頁『南遣艦隊の進出と「ふ」号作戦部隊の解散』
  5. ^ a b c 戦史叢書79巻306頁『主要職員』
  6. ^ a b 昭和16年7月31日(発令7月31日付)海軍辞令公報(部内限)第681号 p.49』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  7. ^ 戦史叢書91巻526-528頁『南部仏印進駐の決定―「対米英戦ヲ辞セズ」』
  8. ^ 戦史叢書79巻298頁『作戦構想』
  9. ^ a b 戦史叢書91巻528-530頁『全面禁輸と軍令部』
  10. ^ 昭和16年8月6日(水)海軍公報(部内限)第3864号 p.47』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396500 『○将旗掲揚 南遣艦隊司令長官ハ八月二日将旗ヲ香椎ニ掲揚セリ』
  11. ^ 戦史叢書79巻305-306頁『兵力』
  12. ^ 戦史叢書79巻307頁『南部佛印進駐の影響』
  13. ^ a b c 昭和16年10月20日(発令10月18日付)海軍辞令公報(部内限)第732号 pp.13-14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 

参考文献[編集]

  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 中國方面海軍作戦(2) 昭和十三年四月以降』第79巻、朝雲新聞社、1975年1月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊(1) ―開戦まで―』第91巻、朝雲新聞社、1975年12月。


関連項目[編集]