君川丸 (特設水上機母艦)

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KimikawaMaru.JPG
船歴
起工 1936年11月2日[1]
進水 1937年3月11日[2]
竣工 1937年7月15日[2]
その後 1944年10月23日沈没
主要目
総トン数 6,863 トン[3]
載貨重量トン数 9,836 トン[3]
全長 146.16 m[3]
垂線間長 145.00 m[1]
型幅 19.0 m[3]
型深 9.25 m[3]
吃水 3.58 m(空船時平均)[3]
8.23 m(満載時平均) [3]
主機 川崎MAN (企業)ディーゼル機関 1基[3]
出力 7,500馬力(計画)[3]
8,867馬力(最大)[3]
航海速力 18ノット[3]
最高速力 19.39ノット[3]
乗員 47名[3]

君川丸(きみかわまる)は、川崎汽船の神川丸型級貨物船の三番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送船として運用された。

なお、太平洋戦争後に川崎汽船の神川丸型貨物船(二代目)の二番船として同名の二代目船が建造された。1951年(昭和26年)に竣工後、北米航路で活躍。1972年(昭和47年)にパナマ企業に売却されたが、2年後の1974年(昭和49年)に座礁事故で沈没した[4]

概要[編集]

昭和18年、大湊に停泊する君川丸。

川崎汽船が掲げた優秀船隊整備計画[注釈 1]の一隻として、1937年(昭和12年)7月15日に川崎造船所で竣工する。神川丸聖川丸、君川丸、國川丸の四姉妹船は、『神聖君国』の四文字に川崎汽船の『川』を加えて命名された[5]。当初艦内神社はなかったが、特設水上機母艦になった際、宇宿主一(君川丸)艦長が市川主計長に相談[6]。そこで市川主計長の父が宮司を務める川崎稲毛神社(主祭神武甕槌神)を奉斎することになった[6]

竣工後はニューヨーク航路に配され、さらにはイタリアまで足を伸ばした[7]。しかし、第二次世界大戦の勃発により商業航海の規模は縮小の一途をたどる。1941年(昭和16年)7月6日に日本海軍に徴傭されて特設水上機母艦となり、7月25日に入籍する[2]第五艦隊細萱戊子郎中将・海軍兵学校36期)付属として開戦劈頭は幌筵島東方方面の哨戒にあたり[8]、幌筵島と厚岸湾大湊との間で行動した[9]アリューシャン作戦発動後は水上機部隊を編成し[10]第四航空戦隊角田覚治少将・海兵39期)の空母龍驤隼鷹が第五艦隊指揮下にあった時期を除いて、北方で唯一の艦隊航空戦力だった。7月3日にアガッツ島英語版沖で爆撃を受けて損傷し[11]横浜にて修理が行われた[12]。以後も横須賀とアリューシャン方面を往復して哨戒行動や航空機輸送で活躍する。第五艦隊時に施されていた迷彩塗装は、福井静夫の手による相良丸日本郵船、7,189トン)の迷彩塗装と並び、残されている写真の多さもあり有名[13]である。1943年(昭和18年)5月上旬、横須賀を出港して北方方面へ移動中、アメリカの潜水艦に襲撃され右舷後方から魚雷3本を撃たれるが、かろうじて回避に成功した[14][15]。 その後、1943年(昭和18年)10月1日付で特設運送船(甲)に類別変更され[2]、11月18日から12月22日まで佐世保海軍工廠で特設運送船としての艤装工事を行った[2]。特設運送船となってからは、とかく潜水艦と悪い意味で縁があり、最終的には潜水艦によってその生涯を終えることとなる。

12月27日昼ごろ、2隻の掃海艇の護衛で特設運送船護国丸大阪商船、10,438トン)[16]とともに潮岬沖を東航中、アメリカの潜水艦トートグ(USS Tautog, SS-199) の雷撃により発射された6本の魚雷のうち1本が六番船倉に命中し、と推進器を破壊して3つの船倉に浸水し大破した[17][18][19]。また、逸れた5本の魚雷のうち1本が、付近にあった漁船に命中してこれを粉砕するという椿事もあった[20]。袋港(串本町)に避難の後[21]神戸港に曳航され、1944年(昭和19年)1月4日から6月24日まで、生まれ故郷の川崎重工業、次いで日立造船桜島工場で修理が行われた[22][23]。修理完了後、便乗者1,100名と軍需品を搭載し、ヒ69船団に加入して昭南(シンガポール)に向かうが[24]、これが日本の見納めとなった。7月13日16時に六連島沖を出港した船団は、東シナ海を縦断して台湾海峡を通過して高雄に立ち寄り、昭南行とマニラ行に分離する予定であったが、加入船に故障が相次いだ上に悪天候にも見舞われたので、高雄寄港を取りやめてマニラ寄港に切り替えることとなった[25]。7月18日夕刻には雷撃を受けるが、回避する[26]。7月20日にマニラに到着してマニラ止まりの加入船と別れ、7月25日早朝に出港して7月31日に昭南に到着した[27]。帰途はヒ74船団に加入する予定であったが、不具合が生じたのか陸軍タンカーはりま丸(石原汽船、10,045トン)[24]と差し替えられた[28]。改めてヒ76船団に加入し、10月2日に昭南を出港する[29]。しかし、10月8日に北緯14度05分 東経115度38分 / 北緯14.083度 東経115.633度 / 14.083; 115.633の地点でアメリカの潜水艦ベクーナ (USS Becuna, SS-319) の雷撃で左舷後部を損傷し、マニラに回航されて[29][30][31]応急修理を行った。

10月20日23時40分、マタ30船団に加入して高雄に向かった。この時の積載品は正確には不明だが、ヒマの実があったという証言がある[32]。船団の行く手は悪天候あり、潜水艦が多く伏在しているルソン島西岸部およびバシー海峡ありと前途は多難であった。10月23日正午ごろ、潜望鏡らしきものを発見して他の加入船に警戒を呼びかけた[33]。それからおよそ5時間半過ぎた15時38分頃、アメリカの潜水艦ソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) がマタ30船団に接触していた[34]。ソーフィッシュは2時間弱の追跡の後に17時24分に魚雷を5本発射し[35]、間もなく左舷後部に1本ないし4本が命中して沈没した[36][37]。12月10日に除籍および解傭された[2]

艦長[編集]

  • 青木節二 大佐:1941年7月25日[38] - 1941年10月1日[39]
  • 宇宿主一 中佐:1941年10月1日[39] -

姉妹船[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 神川丸型貨物船に先立って1935年(昭和10年)に建造されたタンカー建川丸(10,091トン)から始まった(#松井p.90)

出典[編集]

  1. ^ a b なつかしい日本の汽船 川崎汽船の所有船舶” (日本語). 長澤文雄. 2011年11月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f #特設原簿p.98
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m #日本汽船名簿
  4. ^ なつかしい日本の汽船 川崎汽船の所有船舶” (日本語). 長澤文雄. 2011年11月13日閲覧。
  5. ^ #日本海軍の栄光17頁
  6. ^ a b #日本海軍の栄光302-303頁
  7. ^ #神戸380426
  8. ^ #五艦1612pp.7-8
  9. ^ #五艦1612p.12
  10. ^ #五艦1705p.38
  11. ^ #AL作戦経過概要p.34
  12. ^ #日本の軍艦4p.193
  13. ^ Rosebury Yard 1/700戦時輸送船模型集・君川丸” (日本語). 岩重多四郎. 2011年11月13日閲覧。
  14. ^ #海軍工作兵戦記82頁
  15. ^ #日本海軍の栄光33頁
  16. ^ #阪警1812p.42
  17. ^ #阪警1812pp.42-44
  18. ^ #SS-199, USS TAUTOG, Part 2p.133
  19. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter V: 1943” (英語). HyperWar. 2011年11月14日閲覧。
  20. ^ #阪警1812p.44
  21. ^ #阪警1812p.48
  22. ^ #阪警1901p.28
  23. ^ #阪警1906p.10
  24. ^ a b #ヒ69p.3
  25. ^ #駒宮(2)p.211
  26. ^ #ヒ69p.9
  27. ^ #ヒ69pp.13-14
  28. ^ #雲鷹p.24
  29. ^ a b #駒宮(2)p.270
  30. ^ #SS-319, USS BECUNApp.38-39
  31. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VI: 1944” (英語). HyperWar. 2011年11月14日閲覧。
  32. ^ #駒宮(1)p.53
  33. ^ #駒宮(1)p.55
  34. ^ #SS-276, USS SAWFISHp.268
  35. ^ #SS-276, USS SAWFISHp.291
  36. ^ #駒宮(1)p.52-53
  37. ^ #SS-276, USS SAWFISHpp.290-291
  38. ^ 海軍辞令公報(部内限)第678号 昭和16年7月25日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  39. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第721号 昭和16年10月1日』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600 

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050073300 『昭和十四年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、35頁。
    • Ref.C08030019000 『自昭和十六年十二月一日 至昭和十六年十二月三十一日 第五艦隊戦時日誌』、1-12頁。
    • Ref.C08030019000 『自昭和十七年五月一日 至昭和十七年五月三十一日 第五艦隊戦時日誌』、33-44頁。
    • Ref.C08030019100 『自昭和十七年七月一日 至昭和十七年七月三十一日 第五艦隊戦時日誌』、9-17頁。
    • Ref.C08030019100 『昭和十七年七月十一日 AL作戦経過概要』、18-41頁。
    • Ref.C08030499900 『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 大阪警備府戦時日誌』。
    • Ref.C08030500200 『自昭和十九年一月一日至昭和十九年一月三十一日 大阪警備府戦時日誌』。
    • Ref.C08030500700 『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 大阪警備府戦時日誌』。
    • Ref.C08030708100 『ヒ六九 ヒ七〇船団作戦経過概要並所見』。
    • Ref.C08030583700 『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 軍艦雲鷹戦時日誌』、21-31頁。
    • Ref.C08030668400 『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 特設運送船第三東洋丸戦時日誌』、1-19頁。
  • 新聞記事文庫(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)
  • (Issuu) SS-199, USS TAUTOG, Part 2. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-199_tautog_part2?mode=a_p. 
  • (Issuu) SS-319, USS BECUNA. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-319_becuna?mode=a_p. 
  • (Issuu) SS-276, USS SAWFISH. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-276_sawfish?mode=a_p. 
  • 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • 駒宮真七郎 『続・船舶砲兵 救いなき戦時輸送船の悲録』 出版協同社、1981年
  • 元「阿武隈」主計長海軍主計少佐市川浩之助 『キスカ 日本海軍の栄光』 コンパニオン出版、1983年2月。ISBN 4-906121-29-2 著者は昭和16年10月から昭和18年6月まで君川丸主計長。
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』 出版協同社、1987年ISBN 4-87970-047-9
  • 『写真 日本の軍艦4 空母II』 雑誌「」編集部(編)、光人社、1989年ISBN 4-7698-0454-7
  • 木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』 朝日ソノラマ1989年ISBN 4-257-17218-5
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供) 『戦前船舶 第104号・特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿』 戦前船舶研究会、2004年
  • 松井邦夫 『日本商船・船名考』 海文堂出版、2006年ISBN 4-303-12330-7
  • 木村勢舟 「第四章 南海の死闘」『海軍工作兵戦記 苛酷なる水兵生活三年の記録』 光人社NF文庫、2006年2月(原著2004年)。ISBN 4-7698-2482-3 著者は昭和18年1月~昭和19年1月まで君川丸工作科勤務。

関連項目[編集]