桑 (松型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
基本情報
建造所 藤永田造船所
運用者  大日本帝国海軍
級名 松型駆逐艦
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1943年12月20日
進水 1944年5月25日
竣工 1944年7月25日
最期 1944年12月3日戦没
除籍 1945年2月10日
要目
基準排水量 1,262t
公試排水量 1,530t
全長 100.00m
最大幅 9.35m
吃水 3.30m
ボイラー ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
燃料 重油370t
航続距離 18ktで3,500
乗員 211名/247名[1]
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)
テンプレートを表示

(くわ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[2]松型駆逐艦(丁型)の5番艦である[3]。艦名は楢型駆逐艦2番艦「[4]に続いて2代目[5]

概要[編集]

一等駆逐艦は、1944年(昭和19年)7月25日藤永田造船所で竣工した松型駆逐艦[6]。竣工後は訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した[7]8月3日から8月30日にかけて第十一水雷戦隊旗艦を務めた[注 1]。 同年10月4日第三十一戦隊を基幹とする敵潜掃蕩部隊に編入される[11][12]。出動準備中に捷一号作戦が発動されると、小沢機動部隊に編入されてレイテ沖海戦に参加した[13][14]10月25日の戦闘で空母瑞鳳が沈没すると[15]、同艦乗組員847名を救助した[16]

11月上旬より第三十一戦隊[注 2]第四航空戦隊日向伊勢)を護衛して内地を出撃[18]、「桑」は馬公南沙諸島を経由してフィリピン方面に進出した[6]。 同年11月15日[19]、新編成の第52駆逐隊に所属する[20]12月2日深夜、姉妹艦「[21](第43駆逐隊)と輸送艦3隻を率いて多号作戦を実施中[22](第七次作戦)[23]、日付変更後の12月3日未明にフィリピンレイテ島オルモック湾米軍大型駆逐艦3隻と交戦する[24]。この戦闘で「桑」は沈没した[25]

戦歴[編集]

建造[編集]

仮称艦名、第5485号艦[5]。 1943年(昭和18年)12月20日、藤永田造船所で起工[26]。 1944年(昭和19年)4月5日、「」と命名される[2]。 同5日付で各艦(桑、奄美粟国伊号第三百五十二潜水艦伊号第三百六十七潜水艦)等は艦艇類別等級表に類別される[27]5月25日、進水[26]。 6月20日、日本海軍は海軍兵学校教官大熊安之助少佐(スラバヤ沖海戦時の軽巡那珂水雷長)を、桑艤装員長に任命する[28]。 6月24日、藤永田造船所の桑艤装員事務所は事務を開始する[29]

7月2日、大熊(桑艤装員長)は白露型駆逐艦五月雨艦長[30]へ転任した[注 3]。 駆逐艦文月艦長[35][36]等を歴任した山下正倫(やました まさとも)中佐(当時、海軍艦政本部部員)が、桑艤装員長に補職される[30]。この人事は「海上勤務となって最前線で戦いたい」と山下が熱望した結果だったという[37]7月25日、「桑」は竣工した[26]。 山下正倫中佐は正式に桑駆逐艦長となる[38]。主な初代幹部は、航海長小平清人中尉、砲術長北村徹大尉、水雷長三谷與司夫中尉[38]。同25日付で松型2隻(桑、)は、呉鎮守府籍となる[39]

訓練[編集]

就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完海軍少将海軍兵学校41期)に編入される[40]。瀬戸内海に移動し、十一水戦僚艦と合流した[41][42]

8月1日、連合艦隊は新たな兵力部署を発令[43]第二遊撃部隊を新編して機動部隊に編入した[44]。 第二遊撃部隊は第五艦隊を基幹とする[注 4]。 ほかに第十一水雷戦隊[注 5]、扶桑型戦艦2隻[注 6]、航空戦艦2隻(伊勢日向)、第21駆逐隊(若葉初春初霜[注 7]、第61駆逐隊(秋月、涼月、初月、若月)などが第二遊撃部隊に組み込まれた[48]8月3日、高間司令官は十一水戦旗艦を「扶桑」から「桑」に変更した[9][49] [注 8]。 この頃、秋月型駆逐艦「涼月」が修理を終えて戦線に復帰、十一水戦各艦と訓練をおこなった[50][53]。 また「清霜」と「竹」は8月10日に内海西部を出撃、南西方面にむかった[50][54]

8月30日、軽巡「多摩」が十一水戦に編入される[46]。高間少将は十一水戦旗艦を「桑」から「多摩」に変更した[10][55]。これ以降、十一水戦旗艦は「多摩」になった[56][57]。 以降の「桑」は10月中旬まで十一水戦僚艦や[56][58]、内海西部所在だった第二遊撃部隊と[59][60]、訓練をおこなう[58][11]。内海西部所在の他部隊所属艦も第二遊撃部隊の訓練に同行することがあり、9月上旬には駆逐艦「初月」と「雪風」が訓練に協力した[61][62]

日本海軍は8月20日付で対潜機動部隊の第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将、旗艦「五十鈴」)を編成した[63]。第三十一戦隊は連合艦隊に編入された[64]。9月7日、豊田副武連合艦隊司令長官は第三十一戦隊と第21駆潜隊で「敵潜掃蕩部隊」の編成を命じ、9月中旬以降の活動を命じた[65]。 10月4日、「桑」は敵潜掃蕩部隊に編入された[11]。第二遊撃部隊としての訓練を切り上げ、呉で整備を実施する[66]大鷹型航空母艦の「海鷹」とともに対潜掃討任務に従事する予定だった[66][67]。 10月10日、アメリカ海軍機動部隊は沖縄方面に来襲[68]十・十空襲[69]、日本海軍は基地航空隊により反撃を試みた[70]

レイテ沖海戦[編集]

10月17日[71]アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島に上陸した[72]。翌18日夕刻、日本軍捷一号作戦を発動した[73][74]。 本作戦は、第一機動艦隊司令長官小沢治三郎中将(海兵37期)が率いる機動部隊第三艦隊)が囮となって第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)をひきつけ[75]、その隙に第二艦隊司令長官栗田健男中将(海兵38期)率いる第一遊撃部隊がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった[76][77]

第三艦隊の本来の護衛部隊は第二遊撃部隊[注 9]だったが[78]台湾沖航空戦の「残敵掃討」に駆り出されてしまった[79][80]。 さらに秋月型駆逐艦「冬月[81]と「涼月[82]が日本近海で相次いで被雷、修理を余儀なくされた。 そこで練習部隊の第十一水雷戦隊から「多摩」と「杉」を[83][注 10]、内地所在の第三十一戦隊と軽巡「大淀」を、それぞれ機動部隊の護衛部隊に編入した[85]

当時、第三十一戦隊司令官は旗艦を「五十鈴」から「槇」に移し、「五十鈴」は呉で整備を実施、「槇」と「桑」は大分県佐伯において訓練中を実施していた[13]。このあと第三十一戦隊旗艦は「大淀」に変更された[86][87]。また四航戦のうち空母「隼鷹」と「龍鳳」は搭載する航空隊がなく、出撃しなかった[88]。「海鷹」は台湾への航空機輸送任務を命じられた[89]。出撃各艦は内地残留の「隼鷹」から燃料を補給した[90]

10月20日夕刻[14]、小沢機動部隊、すなわち第三航空戦隊瑞鶴瑞鳳千代田千歳)、第四航空戦隊航空戦艦2隻(日向伊勢)、軽巡洋艦3隻(大淀五十鈴多摩)、秋月型駆逐艦4隻(初月秋月若月霜月)、松型駆逐艦4隻()は豊後水道を出撃した[注 11][注 12]

22日に空母千歳から重油の洋上補給を行うも[93]、予定の100トンに対して75トンしか補給できなかった[94]。 機動部隊は23日に兵力を二分して2つの輪形陣を形成し[95]、これにより「桑」は空母「瑞鳳」の左後方に位置することとなった[96][注 13]10月24日[98]、松型2隻(桐、杉)は小沢機動部隊から分離、沖縄方面に退避した[99]

10月25日朝、小沢機動部隊はエンガノ岬沖でついに第38任務部隊の艦上機による空襲を受ける[100]エンガノ岬沖海戦[101]。数度にわたる空襲により空母4隻と護衛艦2隻を喪失した[注 14]。 本艦の損傷は最少だった[105][106]

対空戦闘の最中、「桑」は小沢中将の命を受けて沈没空母の生存者救助任務を行った[107][108]。「桑」と「伊勢」は空母「瑞鳳」の救助をおこなう[109]。 17時20分までの救助作業の結果、「桑」は瑞鳳艦長の杉浦矩郎大佐以下847名を救助した[16][注 15]。また被弾して速力低下中の「槇」と遭遇し、山下(桑艦長)が「いかがなりや」と気遣う場面もあった[111]。 続いて「桑」は第61駆逐隊(初月若月)と共に更に救助作業を行うも、ローレンス・T・デュボース少将率いる巡洋艦部隊の攻撃を受け避退する[112]。生存者救出中の小沢機動部隊各艦は「初月」(第61駆逐隊司令天野重隆大佐)の奮戦と沈没により窮地を脱した[113][114]。 10月26日に中城湾に到着、瑞鳳生存者の一部を2隻(五十鈴、槇)に移し、「桑」は「槇」を率いて奄美大島へ移動する[108](同地でさらに瑞鳳生存者を戦艦日向に移乗)[108][115]。10月29日から30日にかけて、小沢部隊残存艦は呉に帰投した[116][117]

小沢機動部隊が避退中だった10月27日、連合艦隊はレイテ島決戦に関する基本方針を発令した[118]。第三十一戦隊はフィリピン方面緊急輸送と、同地進出後の南西方面部隊[119](指揮官:南西方面艦隊司令長官)編入を命じられた[注 16]11月2日付で、十一水戦の松型2隻(杉、桑)は第三十一戦隊の指揮下に入った[121][122]11月5日、第三十一戦隊(五十鈴、梅、桃、桐)と松型2隻(桑、杉)はマニラ方面緊急輸送作戦を下令されるとともに、マニラ到着をもって南西方面部隊編入を命じられた[123](GF電令作第515号)[18]。 第三十一戦隊司令官指揮下の各艦(軽巡五十鈴、駆逐艦霜月[124]、桑、杉、桐、)は南方に進出する第四航空戦隊(司令官松田千秋少将。日向伊勢[125]を護衛して、11月9日に門司を出撃する[126][17]。 この輸送部隊を南方輸送部隊H部隊と呼称する[注 17][注 18]澎湖諸島馬公を経由して南下中の11月13日マニラは米軍機動部隊艦上機の襲撃をうけて在泊艦艇に大損害をうけた[130][131]。H部隊はマニラ直行をやめていったん南沙諸島に入泊した。

11月15日[19]、日本海軍は松型5隻()により第52駆逐隊を編成した[20][132][133]。 第四航空戦隊と護衛の姉妹艦(梅、桐)とは南沙諸島長島で別れ[134]、第三十一戦隊旗艦の軽巡「五十鈴」を護衛してマニラに向かい、11月18日に到着した[135]。またマニラ脱出後に四航戦と合流していた駆逐艦3隻(朝霜)のうち[136]、便乗中の宇那木勁少佐が「竹」に移乗[137]、竹駆逐艦長の交代が行われた[注 19]。 同方面行動中の11月19日未明、マニラ沖合でアメリカ潜水艦ヘイクの雷撃により「五十鈴」が損傷する一幕もあった[140]。「五十鈴」は舵をうしなった[141]。 「五十鈴」は「桃」に護衛されてシンガポールに退避した[123][142][注 20]

同時期[145]、第三十一戦隊は第五艦隊に編入された[133]。また11月25日付で第52駆逐隊は第三十一戦隊に編入され[19][146]、駆逐隊司令には岩上次一大佐(当時、第7駆逐隊司令)が任命されている[147]。 この頃、日本軍はマニラからレイテ島西岸オルモック湾への輸送作戦「多号作戦」を依然として継続していた[148][149]。本艦は第七次多号作戦に参加することになった[150]。本来の参加予定艦は「桐」だったが、座礁して修理にまわされた為、「桑」が代艦として参加することになったという[151]

多号作戦[編集]

11月30日午前[152]、第七次多号作戦が発令された[注 21]。 松型駆逐艦2隻()、第9号輸送艦第140号輸送艦第159号輸送艦は「第三/第四梯団」を構成し[22]、マニラを出撃した[160][161]。部隊指揮官は山下正倫中佐(桑駆逐艦長)[162]。僚艦の松型2番艦「竹」は、これまでに第三次[163]、第五次の多号作戦に参加していた[23][164]。 出撃前、山下艦長は「犬死は許さん。一人となっても敵陣に踏みこむべし」と激励した[165][166]。また輸送戦隊司令部の機関参謀が各輸送艦をまわって「任務を果たさずして、絶対に帰ってくるな」と訓示しており[162]、宇那木少佐(竹駆逐艦長)は「陸上にいる参謀というものは無責任なものだ」[167]、志賀博大尉(旧姓保坂、竹水雷長)は「輸送戦隊司令官か南西方面艦隊司令長官の意向であろう」と回想している[37]。 午前6時30分、第七次多号作戦部隊の第三梯団はマニラを出航した[168]。出港直後、船団は日本陸軍潜水艦(三式潜航輸送艇、通称まるゆ)と遭遇した[165][169]

この頃になると、アメリカ軍は妨害のためにレイテから魚雷艇隊をはるばるオルモック方面に派遣するようになっており、11月28日夜半のオルモック襲撃に成功するなど戦果を挙げていた[170]第7艦隊司令官のトーマス・C・キンケイド中将は続いてオルモック方面に駆逐艦と掃海艇を派遣することとし[170]、これも過去二度の作戦で潜水艦と小型貨物船を破壊する戦果を挙げていた[170]。そして、三度目の作戦[170]としてアレン・M・サムナー (USS Allen M. Sumner, DD-692)、モール (USS Moale, DD-693) そしてクーパー (USS Cooper, DD-695) がオルモック湾に差し向けられる事となったのである[171]。 アレン・M・サムナー、モールおよびクーパーの第120駆逐群(ジョン・C・ザーム大佐)[172]は18時30分にレイテ湾を出撃し[172]、オルモック湾に急行した[173]。だが、第120駆逐群はとにかく運がよくなかった。出撃して間もなくセブから飛来してきた戦闘八〇四飛行隊月光に付きまとわれ、爆撃と機銃掃射によりモールは2名の戦死者と22名の負傷者を出した[174]。また、アレン・M・サムナーおよびモールの船体にも若干の損傷が生じた[172]

12月2日午後、第七次多号作戦部隊(第三、第四梯団)は敵機に発見されるが、空襲を受けなかった[175]同2日夜、船団5隻はオルモック湾に到着して揚陸を開始した[176]大発が輸送艦と陸上を往復して物資を揚陸させている頃、「桑」は船団南側を、「竹」は船団南西側の哨戒を開始した[173][177]。しかし、その南方からは第120駆逐群がオルモック湾に入りつつあり、ザーム大佐は日本側の雷撃を警戒して、艦を横に広がらせた横陣の隊形で湾内に入っていった[178]。 オルモック湾に入った第120駆逐群は11,000メートル先の目標を狙い、まずクーパーが砲撃を開始した[178]。オルモック港(揚陸地点)より「竹」-「桑」-米駆逐艦3隻という位置関係になる[179]。 「桑」は第120駆逐群のオルモック湾侵入を確認するや、発光信号で敵艦発見を「竹」に知らせた[180]。「桑」は電気系統に故障をかかえており、砲側照準での戦闘となった[181]。山下(桑艦長)は米艦隊を軽巡洋艦3隻と判断、魚雷を発射する[注 22]。敵艦2隻撃沈を確認したあと[184]、続いて砲撃戦を行う[185]。だが最初の交戦はおよそ9分で決着がつき[186]、「桑」は大破して炎上[187]。艦尾から沈没した[188]。山下艦長は体当たりを命じて「桑」は突撃を敢行したが、魚雷艇の魚雷攻撃で沈没したとの証言もある[184]。 その後、「竹」の雷撃によりクーパーは沈没し[189](桑生存者は「桑」の雷撃と回想)[190]、潜水艦の襲撃と誤認して浮き足立った第120駆逐群は南方へ去っていった[191][192]

この戦闘における「桑」沈没により[25]、第三梯団の指揮官を兼ねていた山下正倫中佐(桑駆逐艦長)[193]以下、桑乗組員約250名が戦死した[194]。海上に放り出された桑生存者は「竹」に対して声をかけたり[195](志賀によれば、桑艦長ここにありとの声もあったという)[196]、撃沈されたクーパーの乗員と英語で会話したという[197]。救助をもとめられた「竹」も被弾して左舷に傾斜[198]、機関部に損傷を受けてマニラにたどりつけるか否かという状態で、救助を行う余裕はなかった[196][199]。宇那木勁少佐(竹艦長)は生存者の救助をオルモックの陸上部隊に依頼した[200][201]。桑生存者によれば「竹」から「大発動艇から助けに来るから頑張れ」と声がかけられたという[188]。この時、最後尾の輸送艦が独断でカッターボートをおろし、桑乗組員8名(重傷2名)を救助した[202]。また救助された少数名は、現地の海軍陸戦隊に編入された[203][204]。だが陸上に上陸した乗組員のうち大部分は米軍や現地ゲリラに殺害されたという[194]。桑生存者の一人は入院治療を余儀なくされ、1945年(昭和20年)1月5日マニラへ入港した病院船第二氷川丸[205](元オランダ病院船「オプテンノール」)に乗船してフィリピンを離れた[202]

2月10日、松型4番艦「」と本艦は松型駆逐艦[206]、 帝国駆逐艦籍[207]より除籍。 「桃」は第43駆逐隊から、「桑」は第52駆逐隊から除かれた[208]

2005年(平成17年)、オルモック湾の深海108メートルの海底にて旧日本軍の艦艇とおぼしき残骸が発見された。香港のマンダリン・ダイバーズによって潜水調査が行われた。撮影された映像を見た乗員遺族の造船技師が、全弾射出済みの九二式 61cm4連装魚雷発射管と松型駆逐艦特有の船体の溶接痕を確認した。これにより、ほぼ「桑」と特定されたと香港ラジオテレビ(RTHK)は伝えた。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 大熊安之助 少佐: 1944年6月20日[28] - 1944年7月2日[30]
  2. 山下正倫 少佐/中佐:1944年7月2日[30] - 1944年7月25日[38]
駆逐艦長
  1. 山下正倫 中佐:1944年7月25日[38] - 1944年12月2日 戦死認定、同日付任海軍大佐[193]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 8月3日(戦艦扶桑 → 桑)[8]、8月30日(桑 → 軽巡多摩[9][10]
  2. ^ 第三十一戦隊司令官江戸兵太郎少将:本輸送作戦の指揮下兵力は、軽巡「五十鈴」、秋月型駆逐艦「霜月」、松型駆逐艦(梅、桐、桃、桑、杉)[17]
  3. ^ 同年8月中旬に「五月雨」がパラオ諸島で座礁して沈没した時[31]、松型駆逐艦「」に救助される[32][33](8月31日付で五月雨駆逐艦長の職務を解かれる)[34]
  4. ^ 8月1日時点の編成 第五艦隊司令長官志摩清英中将:第二十一戦隊(那智足柄木曾多摩)、第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将:軽巡阿武隈、第7駆逐隊〈〉、第18駆逐隊〈不知火〉)[45]。8月末をもって「木曾」は横須賀鎮守府付となり、「多摩」は8十一水戦に編入される[46]
  5. ^ 8月1日時点の十一水戦は、軽巡「長良」、駆逐艦6隻(清霜、桑)。ただし十一水戦の編入・編出は頻繁である[46]
  6. ^ 大本営海軍部は9月10日付で第二戦隊(司令官西村祥治中将:山城扶桑)を新編し、第二艦隊に編入した(9月24日、第一遊撃部隊に編入される)[47]
  7. ^ 第21駆逐隊は8月5日付で第一水雷戦隊に編入された[46]
  8. ^ 十一水戦旗艦の軽巡「長良」が沖縄方面輸送作戦に投入されたので、高間少将は7月30日から戦艦「扶桑」に将旗を掲げていた[42][50]。旗艦を「桑」に変更後の8月7日、「長良」は潜水艦クローカーに撃沈される[51]。十一水戦司令官は「桑」に将旗を掲げ続けた[9]。軍令部は軽巡「名取」を十一水戦旗艦とする予定だったが[52]、「名取」は8月18日に潜水艦ハードヘッドの雷撃で撃沈された[19]。「桑」は引き続き十一水戦旗艦であった[9]
  9. ^ 第二遊撃部隊の指揮官は、第五艦隊司令長官志摩清英中将[45]。第二遊撃部隊は、第一水雷戦隊と第十一水雷戦隊を指揮する[45]
  10. ^ 十一水戦司令官は旗艦を「多摩」から駆逐艦「」に移し、十一水戦の大部分と共に内地に残った[84]
  11. ^ 〔 二.經過 十月十八日聯合艦隊電令作第三五六號ニヨリ本艦ハ機動部隊本隊ニ編入セラレ十九日出撃準備完成二十日豊後水道出撃機動部隊警戒隊(第一駆逐聯隊)トシテ主隊ノ對空對潜警戒ニ任ジツヽ主隊ト共ニ敵機動部隊ノ菲島北方誘出作戰ニ從事シ途中敵潜ノ觸接ヲ排除シツヽ南下二十四日吾攻撃隊発進同日夕刻ヨリ敵機ノ觸接ヲ受ケ二十五日敵機ノ空襲ヲ受クルニ至ル其ノ間ノ詳細左ノ如シ 〕[91]
  12. ^ 軍隊区分[92]:第一軍隊区分 主隊(三航戦、四航戦)、巡洋艦戦隊(多摩、五十鈴)、警戒隊/第一駆逐連隊(大淀、桑、槇、杉、桐)/第二駆逐連隊(初月、秋月、若月、霜月)、補給部隊(仁栄丸、たかね丸、秋風、海防艦4隻)|第二軍隊区分 主隊(三航戦、巡洋艦戦隊、第一駆逐連隊)、前衛(四航戦、第二駆逐連隊)。
  13. ^ 機動部隊の輪形陣は、第五群(瑞鶴、瑞鳳、伊勢、大淀、多摩、初月、秋月、若月、杉、桐)と、第六群(千代田、千歳、日向、五十鈴、霜月、槇、桑)にわかれていた[97]
  14. ^ 駆逐艦「秋月」(空襲による)[102]、軽巡「多摩[103](空襲損傷後、戦場避退中に潜水艦ジャラオによる)[104])。
  15. ^ 「伊勢」は瑞鳳乗組員98名を収容した[110]
  16. ^ 発信 聯合艦隊司令長官 着信 捷号作戦部隊 通報 南方軍総司令官 聯合艦隊機密第二七一七一五番電 聯合艦隊電令作第三九二号[120] 一 敵ハ我累次ニ亙ル猛攻ニ屈セズ「レイテ」島「サマール」島方面ニ橋頭堡ヲ拡大中ナリ/二 聯合艦隊ハ陸軍ト協同 第一、第二十六師団及第六十八旅団ヲ基幹トスル兵力ヲ速ニ「レイテ」島方面ニ輸送 一挙ニ敵ヲ撃滅セントス/三 南西方面部隊ハ所在基地航空兵力ト協同シ 陸軍上陸部隊ノ直接護衛敵空母及輸送船ノ撃滅ニ任ジ 且戦略要点ノ防備強化之ヲ確保スベシ/四 第一遊撃部隊ハ菲島又ハ北部「ボルネオ」方面ヲ根拠トシ 陸軍上陸部隊ノ間接護衛ニ任ジ 南西方面部隊ノ作戦ヲ強力ニ支援スベシ/五 先遣部隊ハ全力ヲ菲島方面ニ集中 敵輸送路ノ遮断及敵機動部隊ノ捕捉撃滅ニ任ズベシ/六 機動部隊本隊ノ一部ハ補給終了後内海西部ニ回航 第四航空戦隊(隼鷹、龍鳳、第六三四航空隊欠)、第三十一戦隊ヲシテ 主トシテ特別攻撃隊兵力ヲ速ニ菲島方面ニ急送セシムベシ 右兵力菲島到着ノ時機ヲ以テ 第四航空戦隊(隼鷹、龍鳳、第六三四航空隊欠)ヲ第一遊撃部隊ニ 第三十一戦隊ヲ南西方面部隊ニ夫々編入ノ予定 
  17. ^ 大内『航空戦艦「伊勢」「日向」』96頁ではH部隊編成を「航空戦艦(伊勢、日向)、軽巡2(大淀、五十鈴)、防空駆逐艦2(霜月、涼月)、護衛駆逐艦6(梅ほか)11隻と記述する[127]
  18. ^ 一部の二次資料で、H部隊の編成を四航戦(日向、伊勢)、三十一戦隊(五十鈴、霜月、梅、桐、槇、桃、桑、杉)としたり[128]、また「桐」が不在で「槇」加入とする[129]
  19. ^ 軽巡鬼怒航海長で鬼怒沈没後に竹臨時艦長を務めた飯村忠彦少佐から[138]、宇那木勁少佐へ交代した[139]
  20. ^ 第三十一戦隊司令部はシンガポールで秋月型駆逐艦「霜月」に旗艦を変更し、11月24日に「桃」を率いて同地を出発した[18]。翌25日未明、アメリカ潜水艦カヴァラに「霜月」が撃沈され、第三十一戦隊司令官の江戸少将は戦死した[143]。後任は鶴岡信道少将であった[144]
  21. ^ 第一梯団(陸軍SB艇〈5号、11号、12号〉と第20号駆潜艇[153]、第二梯団(陸軍SB艇〈10号、14号〉)、第三梯団(海軍輸送艦〈140号、159号〉)、第四梯団(駆逐艦〈桑、竹〉、第9号輸送艦))[154][155]。第二梯団以外の作戦は[156]、おおむね成功した[157][158]。第20号駆潜艇は駆逐艦長波生存者72名を乗せてマニラにもどった[159]
  22. ^ 桑上等水兵、藤井敏男の証言より[182]。藤井は桑沈没後にカッターボートでオルモックに上陸したあとセブ島に渡り、第33特別根拠地隊[183]先任参謀の志柿《空母飛鷹沈没時副長》の従兵になった[184]

出典[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.7
  2. ^ a b #達昭和19年4月(1) pp.25-26〔 達第百六號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦二隻及海防艦七隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年四月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 桑(クワ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三百五十二潜水艦|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第三百六十七潜水艦|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 奄美(アマミ)/海防艦 粟國(アグニ)/第二十五號海防艦/第二十七號海防艦|日本海船渠株式會社ニ於テ建造 第二十三號海防艦/三菱重工業會社長崎造船所ニ於テ建造 第二十六號海防艦/第二十八號海防艦 〕
  3. ^ 戦史叢書88 1975, pp. 52-56駆逐艦(丁)
  4. ^ 福井静夫、日本駆逐艦物語 1993, p. 294日本海軍駆逐艦艦名一覧/Ⅱ二等駆逐艦
  5. ^ a b 福井静夫、日本駆逐艦物語 1993, p. 291(I 一等駆逐艦つづき)桑(Ⅱ)Kuwa
  6. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, p. 332桑(くわ)
  7. ^ #S1906十一水戦日誌(2) p.49〔 二十六日二二三五總長|二六一九四八各鎭F警(長官)|キデ二六一九四八 七月二十五日附 桑ヲ11Sdニ編入|無電 〕
  8. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.34(作戦経過概要、昭和19年8月)〔(3日)一三一五桑呉発一五一五桂島着| |一三〇〇将旗ヲ扶桑ヨリ桑ニ移揚 〕
  9. ^ a b c d #S1906十一水戦(3) pp.3-4(昭和19年8月、十一水戦軍隊区分)
  10. ^ a b #S1906十一水戦日誌(3) p.39(作戦経過概要、昭和19年8月)〔(30日)多摩一一〇〇呉発一二四〇桂島着| |旗艦ヲ桑ヨリ多摩ニ変更 多摩11Sd編入 〕
  11. ^ a b c #S1906十一水戦(4) p.5〔 (四)麾下艦船ノ行動 〕(昭和19年10月)
  12. ^ #S1906十一水戦日誌(4) p.37(作戦経過概要、昭和19年10月)〔 四|樅〇七五六岩国沖発一七二五帰着|樅出動訓練|桑 対潜掃蕩部隊ニ編入 〕
  13. ^ a b 戦史叢書56 1972, pp. 78b-79第三十一戦隊
  14. ^ a b 戦史叢書45 1970, pp. 499-500機動部隊本隊 ― 二十日豊後水道南下
  15. ^ 空母二十九隻 2016, pp. 214-218眼前に見た瑞鳳の最期
  16. ^ a b 戦史叢書56 1972, pp. 432-434「瑞鳳」の沈没
  17. ^ a b #S1907十戦隊日誌(3) p.42〔 1KdF機密第〇二一四一八番電 第四航空戰隊(日向伊勢)第四十一駆逐隊(霜月)凉月 第三十一戰隊(五十鈴桑桐梅桃杉)ハ十一月八日槙冬月十八日頃内地出撃可能ノ見込 〕(涼月は浸水事故のため不参加)
  18. ^ a b c 戦史叢書93 1976, pp. 73-74南西方面艦隊、駆逐艦の不足を訴う
  19. ^ a b c d 戦史叢書45 1970, p. 363.
  20. ^ a b #秘海軍公報昭和19年11月(3) pp.4-5〔 内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日 海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ| |第五十二驅逐隊|桑、檜、樅、杉、樫| |第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル 〕
  21. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 331竹(たけ)
  22. ^ a b #S1910-12経過概要 p.14(昭和19年12月)〔 二日|第七次多號(桑、竹、9、140、159輸)ハ「オルモック」突入ニ成功セルモ揚搭作業中敵水上部隊ト交戰(桑沈没、竹片舷航行)
  23. ^ a b 岸見勇美 2010, pp. 26-27多号作戦(昭和19年マニラよりレイテ島に対する輸送作戦)の経過概要
  24. ^ 木俣、駆逐艦入門 2006, pp. 333-336レイテ沖の駆逐艦戦
  25. ^ a b #S1912経過(護衛対潜) p.2(昭和19年12月)〔 3| |多号作戦(略)(ニ)第七次 第三及第四梯団(竹、輸送艦×3)ハ揚搭終了、0300/3オルモック発マニラニ向ケ帰投中/同舩団ハ今朝(→12-3)0030頃揚陸作業中敵大型d3~4ト交戰セルモノノ如シ| |只今迄ニ判明セルモノ 戰果 敵d×1撃沈 沈没 桑/片舷航行 竹/竹ハ補機室ニ被弾アリシモマニラ迄自力航行可能ノ見込ナリ 戰果 大型d×1轟沈 同1隻撃破 Tb×2撃沈 〕
  26. ^ a b c 戦史叢書88 1975, p. 55第五四八五号艦 桑(くわ)
  27. ^ #内令昭和19年4月(1) pp.16-17〔 内令第五百三十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「桃」ノ下ニ「、桑」ヲ加フ|潜水艦、一等伊三百五十一號型ノ項中「伊號第三百五十一」ノ下ニ「、伊號第三百五十二」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號第三百六十六」ノ下ニ「、伊號第三百六十七」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「沖縄」ノ下ニ「奄美、粟國」ヲ、同第一號型ノ項中「第二十一號」ノ下ニ「、第二十三號、第二十五號、第二十七號」ヲ、同第二號型ノ項中「第二十四號」ノ下ニ「、第二十六號、第二十八號」ヲ加フ 〕
  28. ^ a b 昭和19年6月26日(発令6月20日付)海軍辞令公報(甲)第1520号 p.17」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099600 
  29. ^ 昭和19年7月6日(木)海軍公報(部内限)第4732号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C12070479600 〔 ○事務開始(略)驅逐艦桑艤装員事務所ヲ六月二十四日大阪市住吉區柴谷町四四藤永田造船所内ニ設置シ事務ヲ開始セリ(以下略) 〕
  30. ^ a b c d 昭和19年7月7日(発令7月2日付)海軍辞令公報(甲)第1528号 p.40」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099900 
  31. ^ 秋月型(光人社) 2015, pp. 266-267.
  32. ^ 南海の死闘 1994, pp. 88-89.
  33. ^ 海軍兵科将校 1985, pp. 146-147.
  34. ^ 昭和19年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(甲)第1582号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100800 
  35. ^ 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.6」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076800 
  36. ^ 昭和15年1月8日(発令1月6日付)海軍辞令公報(部内限)第427号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600 
  37. ^ a b 海軍兵科将校 1985, pp. 169-170柔軟なる思考
  38. ^ a b c d 昭和19年8月5日(発令7月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1554号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100400 
  39. ^ #内令昭和19年7月 p.26〔 内令第八九四號|驅逐艦 桑/驅逐艦 楓 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|第六十一號海防艦 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル 昭和十九年七月二十五日 海軍大臣 〕
  40. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.53
  41. ^ #S1906十一水戦日誌(2) p.5〔 (四)麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動 〕(昭和19年7月)
  42. ^ a b #S1906十一水戦日誌(2) pp.65-66(作戦経過概要、昭和19年7月)〔 (25日)清霜呉ニ回航(出撃準備)桃呉ヨリ八島ニ回航| |桑11Sdニ編入 〕〔(26日)竹呉ニ回航同日八島皈着|桃巡視 〕〔(27日)桑内海西部ニ向ケ大阪発 〕〔(28日)冬月八島出動 桑呉着|冬月出動訓練 〕〔(29日)長良 冬月 桃 梅 竹八島出動|長良 冬月 梅 桃 竹出動諸訓練 〕〔(30日)〇六三〇長良呉ニ向ケ八島発 一〇〇〇呉着 一九〇〇長良佐世保ニ向ケ呉発|一三〇〇将旗ヲ一時長良ヨリ扶桑ニ移揚 〕(31日)〔 一七三〇長良佐世保着|長良佐鎭長官ノ指揮下ニ入リ南西方面諸島緊急輸送任務ニ從事|長良佐鎭長官ノ指揮下ニ入ル 〕
  43. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 244-245新作戦要領と新兵力部署
  44. ^ 戦史叢書37 1970, pp. 370a-371第二遊撃部隊(第五艦隊)/編成
  45. ^ a b c 戦史叢書37 1970, p. 370b.
  46. ^ a b c d 戦史叢書37 1970, p. 372.
  47. ^ 戦史叢書37 1970, pp. 568-569第二戦隊の編成
  48. ^ 戦史叢書45 1970, p. 003a付表第三(『大本營海軍部・聯合艦隊<6>』)第三段作戦兵力部署(昭和19年8月1日)
  49. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.8〔 二日(司令官)11Sd|二日〇八三〇扶桑、桑〔呉鎭〕|11Sd信令第二〇號 一.明三日一三〇〇将旗ヲ桑ニ移揚ス/二.本職桑ヲ率ヰ一三一五出港桂島ニ回航ノ豫定|信號 〕、同部隊戦時日誌 p.11〔 三日一三〇五(司令官)11Sd(宛略)機密第〇三一三〇五番電 将旗ヲ桑ニ移揚セリ|無電 〕
  50. ^ a b c #S1906十一水戦(3) p.5〔 (四)麾下艦船部隊竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動 〕(昭和19年8月)
  51. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 50-51第二航空艦隊(南西諸島空)の進出輸送
  52. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.28〔 十七日一九四八大海参一部長|十八日一五三〇各F鎭警GEB(長官)|機密第一七一九四八番電 八月二十日附 五十鈴ヲGF附属ヨリ除キ31Sニ編入ス/名取ヲ31Sニ編入スルヲ取止ム11Sdニ編入ス|無電 〕
  53. ^ #S1906十一水戦日誌(2) p.48〔 二十五日〇七一五(司令)61dg|二十五日〇一〇三〇涼月(ツ)(司令官)11Sd (長官)3F|機密二五〇七一五番電 修理工事完了セバ11Sdニ合同訓練ニ從事スベシ同隊所在左ノ通(以下略) 〕、#S19.06十一水戦日誌(3) p.12〔 三日(司令官)11Sd|三日一五一五 43dg 桑 涼月|11Sd信令第二一號 43dg及涼月ハ左ニ依リ対潜訓練ヲ實施スベシ 一.實施期日八月四日 竹涼月 五日梅桃/二.作業海面廣島湾崎田島附近 協力(参加)部隊呉潜戰(三航戰)|信号 〕〔 四日(司令官)11Sd(宛略)43dg司令ハ当分ノ間涼月及桑ノ訓練ヲ統制スベシ|信號 〕、同部隊戦時日誌 p.29〔 二十日(指揮官)2YB|二十日一八四六2YB|2YB信令第二號 左ニ依リ燃料補給ヲ行フ (イ)期日 二十一日 二十二日/(ロ)給油艦 日榮丸 良榮丸/(ハ)被重油艦補給順序及補給組合セ 日榮丸 扶桑 龍鳳 桑 良榮丸 伊勢 隼鷹 槇 涼月|信號 〕
  54. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.36(作戦経過概要、昭和19年8月)〔(10日)〇七四五清霜竹桂島発 梅桃涼月桂島ヨリ八島回航 桑大津島出動|清霜竹桂島出撃 桑梅桃涼月出動諸訓練|槇11Sd編入 〕
  55. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.33〔 三十日〇〇〇〇軍令部總長(宛略)|機密第三〇〇〇〇〇番電 多摩ヲ21Sヨリ除キ11Sdニ編入ス|無電 〕〔 三十一日〇七二八(宛略)|機密第三一〇七二八番電 八月三十日旗艦ヲ多摩ニ変更セリ|〃 〕
  56. ^ a b #S1906十一水戦日誌(3) p.42(昭和19年9月、十一水戦軍隊区分)
  57. ^ #S1906十一水戦(4) pp.3-4(昭和19年10月、十一水戦軍隊区分)
  58. ^ a b #S1906十一水戦日誌(3) p.43〔 (四)麾下艦船ノ行動 〕(昭和19年9月)
  59. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.58(作戦経過概要、9月20日)〔 〇五四〇11Sd桂島出動|2YB 11Sd出動諸訓練 〕
  60. ^ 戦史叢書37 1970, pp. 373a-374第二遊撃部隊(第五艦隊)/訓練等
  61. ^ 戦史叢書37 1970, pp. 373b-374.
  62. ^ #S1909一水戦日誌(1) pp.27-29(作戦経過概要、昭和19年9月5日~10日項)
  63. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 361-364第三十一戦隊の新編
  64. ^ 戦史叢書37 1970, pp. 76-81対潜撃滅戦隊の創設
  65. ^ 戦史叢書37 1970, p. 80.
  66. ^ a b #S1906十一水戦日誌(4) pp.9-10〔 GFサチ|(司令官)11Sd (司令官)31S (長官)1KdF (長官)5F GKE 海鷹|機密第〇四一四三〇番電 GFサチ 桑ハ約二週間対潜諸訓練實施ノ上十月二十日頃門司発予定ノ海鷹護衛ノ任務ニ從事セシメラルル予定|無電 〕-〔 GF長官|(司令官)11Sd (司令官)31S (長官)1KdF (長官)5F 桑|機密第〇四一四三五番電 GF電令作第三三二號 四日附 桑ヲ敵潜掃蕩部隊ニ編入ス 通報大海差一部長、海護総司令部長官|無電 〕-〔 (司令官)11Sd|(司令官)31S|機密第〇四二〇一三番電 発宛参謀 桑ハ2YB作業主トシテ十月六日夜間発射七日晝夜間一類作業ヲ實施シタル後貴隊関係整備工事施行予定ノ処貴意至急知ラサレ度|無電 〕-〔 (司令官)11Sd|桑[(司令官)31S]|機密第〇五七四六番電 11Sd信電令第一八號 桑ハ準備出来次第呉ニ回航至急出動準備ヲ完成スベシ|無電 〕
  67. ^ #S1906十一水戦日誌(4) pp.12-13〔 (司令官)31S|東通(11Sd司令官)機密第〇七一九三四番電 発GFサチ 通報11Sd司令官 GEBサチ 桑(槇)ハ整備遅レ十月十三日(十月十日)工事終了ノ予定GF機密第〇四一四四三番電ニ依ル海鷹護衛ニハ両艦練度等ヲ勘案情況ニ依リテハ槇ヲ充当セシメラルルヲ可ト認メアル處右決定資料十月十五日頃再電ス海鷹護衛艦ノ行動予定承知致度|無線 〕
  68. ^ 戦史叢書37 1970, p. 599.
  69. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 431-434米艦上機の沖繩空襲
  70. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 434-436.
  71. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 21-22.
  72. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 459-460米軍スルアン島に上陸す ― 十月十七日
  73. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 471-472発動 ― 十月十八日
  74. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 33-36.
  75. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 32-34囮部隊の出撃
  76. ^ 秋月型(光人社) 2015, pp. 29-31激戦のレイテ沖に死す
  77. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 75-77機動部隊本隊/出撃準備の下令
  78. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 27-29機動部隊本隊に対する指導
  79. ^ 戦史叢書37 1970, pp. 677-678聯合艦隊司令長官、残敵殲滅を命令
  80. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 443-445水上部隊の出撃 ― 十月十五日~十六日
  81. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 328-329冬月(ふゆづき)
  82. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 325-326涼月(すずつき)
  83. ^ 戦史叢書56 1972, p. 78a十一水戦
  84. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 532.
  85. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 460-465日吉司令部の決戦準備促進 ― 十月十七日
  86. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 569-571,605.
  87. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 531第三十一戦隊、空母を護衛
  88. ^ 大内、航空戦艦 2014, p. 90.
  89. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 463-464.
  90. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 78a-79第三十一戦隊
  91. ^ #桑レイテ戦闘詳報 p.2
  92. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 82-85作戦要領
  93. ^ 戦史叢書56 1972, p. 89.
  94. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.19,20
  95. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.24、木俣, 534ページ
  96. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 154-156機動部隊本隊の作戦行動/頻繁に敵潜水艦を探知
  97. ^ 戦史叢書56 1972, p. 155.
  98. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 512-513機動部隊本隊の牽制作戦
  99. ^ 戦史叢書56 1972, p. 240.
  100. ^ 戦史叢書56 1972, p. 406.
  101. ^ 戦史叢書45 1970, pp. 523-526エンガノ岬沖の戦闘
  102. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 407-408「秋月」の沈没
  103. ^ 軽巡二十五隻 2014, p. 322多摩(たま)
  104. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 443-444米側資料による「多摩」の最期
  105. ^ 戦史叢書56 1972, p. 453.
  106. ^ #桑レイテ戦闘詳報 p.13〔 五.損害 〕
  107. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46
  108. ^ a b c #桑レイテ戦闘詳報 p.13〔 六.其ノ他 二十五日瑞鳳乗員(六五三空ヲ含ム)八四七名(艦長以下准士官以上五七名下士官兵七九〇名救助重要シ中城湾ニテ五十鈴(槇)ニ夫々二二一(九〇)名移容爾余ハ奄美大島ニ於テ日向ニ移容セリ 〕
  109. ^ 佐藤、艦長たち 1993, pp. 94-96艦停止、救助急げ
  110. ^ #伊勢捷1号詳報(1) p.10〔 1603 伊勢停止 瑞鳳乗組員救助(98名[内准士官以上5名]) 〕
  111. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 469-471いかがなりや
  112. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.4
  113. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 273-276次つぎ沈む小沢艦隊
  114. ^ 最後の海空戦 2011, pp. 42-44死地へ行く「初月」
  115. ^ #桑レイテ戦闘詳報 p.5〔 十月二十六日一四二〇|中城湾着|中城湾ニテ瑞鳳乗員三一〇名ヲ五十鈴、槇ニ移乗セシム/瑞鳳戰死者(二名)ヲ荼毘ニ付シタル後槇ヲ率ヒ奄美大島ニ回航奄美大島箸主隊ト合同 〕
  116. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 454-455主隊の内地回航
  117. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 30-34大本營海軍部の水上兵力整頓の基本方針
  118. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 24a-26レイテ島決戦に対する聯合艦隊の基本命令
  119. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 9-11兵力部署
  120. ^ 戦史叢書93 1976, p. 24b.
  121. ^ #S1906十一水戦(4) p.47〔 (四)麾下艦船竝ニ一時編入艦船ノ行動 〕(昭和19年11月)
  122. ^ #S1906十一水戦日誌(4) p.53〔 (司令官)31S(宛略)機密第〇五一五三〇番電 発31S司令官 通報 上根 下防 門司在勤武官/31S(五十鈴、梅、桃、桐) 4Sf(日向伊勢)霜月 涼月 桑 杉 左ニ依リ「マニラ」ニ向フ對潜警戒ニ関シ手配ヲ得度 一.日向 梅 桃 杉 七日〇三三〇六連発一四三〇佐世保着九日〇三〇〇佐世保発〇八三〇古志岐島ノ〇度一二浬ニ於テ五十鈴ニ合同ス/二.五十鈴 伊勢 駆逐艦四 九日〇二一五 六連発 〕
  123. ^ a b 戦史叢書54 1972, p. 453.
  124. ^ #S1907十戦隊日誌(3) p.35〔 (2)霜月 内海西部方面ニアリテ警戒待機中ノ所第四航空戰隊第三十一戰隊ト共ニ八日出撃「ブルネイ」ニ回航中 〕
  125. ^ 大内、航空戦艦 2014, pp. 96-97.
  126. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.53
  127. ^ 大内、航空戦艦 2014, pp. 95-96.
  128. ^ 日本空母戦史 1977, p. 802aH部隊(昭和19年11月9日、北九州出撃)
  129. ^ 撃沈戦記 2013, p. 45H部隊編成(日向、伊勢、五十鈴、霜月、梅、桃、槙、桑、杉)
  130. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 543-546十一月十三日の空襲、「木曾」、駆逐艦等の沈没
  131. ^ 戦史叢書93 1976, p. 67a第二遊撃部隊のマニラ撤退と第一遊撃部隊の内地回航
  132. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.56
  133. ^ a b 戦史叢書93 1976, pp. 67b-69第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入
  134. ^ 野村, pp.10
  135. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.58、野村, pp.10
  136. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 548-549第二遊撃部隊のマニラ撤退/ブルネイに避退す
  137. ^ 南海の死闘 1994, pp. 111-113艦長宇那木少佐着任
  138. ^ 南海の死闘 1994, pp. 104-105田中艦長退艦?飯村少佐臨時艦長?
  139. ^ 佐藤、艦長続篇 1984, pp. 103-104生と死の行き違い
  140. ^ 秋月型(光人社) 2015, pp. 302a-303決死のオルモック湾突入作戦
  141. ^ 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年11月 」 アジア歴史資料センター Ref.C16120660200 p.7(昭和19年11月)〔 19|0330|五十鈴コレヒドール西方55′ニ於テ(魚雷)1本舟尾ニ命中舟尾舵共ニ切断| |現在16K航行可能 〕
  142. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 278-280狭水道で舵なし操艦の妙
  143. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 128-129水上部隊
  144. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 330-332第三十一戦隊の編成
  145. ^ 戦史叢書93 1976, p. 69.
  146. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.59
  147. ^ 昭和19年12月24日(発令11月29日付)海軍辞令公報(甲)第1660号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102100 
  148. ^ 戦史叢書54 1972, pp. 448-449増援兵力の輸送
  149. ^ 秋月型(光人社) 2015, pp. 311-312リスクの大きい輸送作戦
  150. ^ 戦史叢書41 1970, pp. 514a-515多号第七、第八次
  151. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 249-250粛然とした「桑」の沈没
  152. ^ 宇那木, pp.14
  153. ^ #S1910-12経過概要 p.13(昭和19年11月)〔 三十日|第七次多號作戰(SS×3 ch20)敵ノ攻撃ヲ排除シ「イビール」ニ突入成功 〕
  154. ^ 戦史叢書41 1970, p. 514b多号第七次
  155. ^ 岸見勇美 2010, pp. 75a-77悲壮!第七次輸送作戦
  156. ^ #S1912経過(護衛対潜) p.2(昭和19年12月)〔 3| |多号作戦(略)(ハ)第七次第二梯団(SS4号欠)ハ予定時刻タル2100/1ニ至ルモ オルモックニ到着シアラズ|途中事故アリシ模様 〕
  157. ^ 戦史叢書48 1971, p. 462.
  158. ^ 戦史叢書93 1976, p. 77.
  159. ^ 戦史叢書56 1972, p. 555b.
  160. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 198-200決死の再出撃
  161. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 200a-203黒いもの、駆逐艦です!
  162. ^ a b 岸見勇美 2010, pp. 75b-77.
  163. ^ 戦史叢書56 1972, p. 537.
  164. ^ 南海の死闘 1994, pp. 131-133レイテ島への最後の出撃
  165. ^ a b 秋月型(光人社) 2015, pp. 302b-303.
  166. ^ 岸見勇美 2010, pp. 91-93苦戦する駆逐艦「桑」
  167. ^ 佐藤、艦長続篇 1984, pp. 109-111決死の再出撃
  168. ^ 岸見勇美 2010, pp. 79-80.
  169. ^ 岸見勇美 2010, p. 92.
  170. ^ a b c d ニミッツ、ポッター, 401ページ
  171. ^ 南海の死闘 1994, pp. 151-153第十一章「オルモック」夜戦の戦訓と戦果」宇那木勁(「竹」艦長)
  172. ^ a b c 木俣, 565ページ
  173. ^ a b 海軍兵科将校 1985, pp. 173-175.
  174. ^ 木俣, 565、566ページ、ニミッツ、ポッター, 401ページ、渡辺, 319ページ
  175. ^ #S1912経過(護衛対潜) p.1(昭和19年12月)〔 2|1530|多号作戦第七次挺進部隊 第3、第4梯団(桑、竹、9、140、159輸送艦)敵機1~2ノ触接ヲ受ク| |途中敵ノ攻撃ヲ受クルコトナク2230頃全艦艇無事オルモック突入 〕
  176. ^ 戦史叢書56 1972, p. 555a-556第七次多号作戦
  177. ^ 岸見勇美 2010, pp. 81-85オルモック湾の夜戦「竹」の殊勲
  178. ^ a b 木俣, 566ページ
  179. ^ 海軍兵科将校 1985, pp. 175-176無心の大戦果
  180. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 200b-203.
  181. ^ 秋月型(光人社) 2015, p. 304.
  182. ^ 志柿謙吉 2005, pp. 164-166オルモック沖の海戦絵巻
  183. ^ 戦史叢書45 1970, p. 374.
  184. ^ a b c 志柿謙吉 2005, p. 165.
  185. ^ 秋月型(光人社) 2015, pp. 305a-307小さな勇者「桑」よ永遠なれ
  186. ^ 木俣, 567ページ
  187. ^ 岸見勇美 2010, pp. 97-98「桑」の最後
  188. ^ a b 秋月型(光人社) 2015, p. 306.
  189. ^ 海軍兵科将校 1985, pp. 178-179.
  190. ^ 秋月型(光人社) 2015, p. 305b.
  191. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 204-206必死の魚雷攻撃、米駆を葬る
  192. ^ 南海の死闘 1994, pp. 162-163.
  193. ^ a b 昭和20年7月14日(発令昭和19年12月2日付)海軍辞令公報(甲)第1856号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100 
  194. ^ a b 岸見勇美 2010, p. 98.
  195. ^ 宇那木, pp.21、木俣, 567ページ
  196. ^ a b 海軍兵科将校 1985, pp. 182-185.
  197. ^ 岸見勇美 2010, pp. 85-88漂流海面の日米交流
  198. ^ 南海の死闘 1994, pp. 145-146「竹」被弾
  199. ^ 南海の死闘 1994, pp. 146-148オルモック湾脱出
  200. ^ 宇那木, pp.21
  201. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 208-210.
  202. ^ a b 秋月型(光人社) 2015, p. 307.
  203. ^ #10月18日以降増援兵力 p.3〔 北比|マニラ|桑|一九四四、一二、二|四 〕
  204. ^ #10月18日以降増援兵力 p.8〔 中比|レイテ|桑|一九四四、一二、二|一 〕
  205. ^ 第二氷川丸の航跡 2005, pp. 230-232.
  206. ^ #秘公報昭和20年2月(2) p.20〔 内令第一〇八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年二月十日海軍大臣|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「、清霜」ヲ、同松型ノ項中「、桃、桑」ヲ、同二等若竹型ノ項中「呉竹、」ヲ削ル(以下略) 〕
  207. ^ #秘公報昭和20年2月(2) p.21〔 内令第一一五號|横須賀鎮守在籍 驅逐艦 清霜|呉鎮守府在籍 驅逐艦 桑 驅逐艦 呉竹|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 桃|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略) 〕
  208. ^ #秘公報昭和20年2月(2) pp.20-21〔 内令第一一一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、朝霜」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項中「桃、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「桑、」ヲ削ル 〕

参考文献[編集]

  • 大内健二『航空戦艦「伊勢」「日向」航空母艦と戦艦を一体化させた恐るべき軍艦 付・航空巡洋艦』光人社〈光人社NF文庫〉、2014年6月。ISBN 978-4-7698-2834-1
  • 片岡紀明「エンガノ岬沖の死闘―駆逐艦「槇」航海長・後藤英一郎」『最後の海空戦 若き最前線指揮官たちの日米戦争』光人社〈光人NF文庫〉、2011年4月(原著2003年)。ISBN 978-4-7698-2683-5
  • 岸見勇美『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌』光人社、2010年12月。ISBN 978-4-7698-2666-8
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年3月。
  • 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年3月。
  • 木俣滋郎「第8章 護送駆逐艦の登場」『駆逐艦入門 水雷戦の花形徹底研究』光人社〈光人社NF文庫〉、2006年7月。ISBN 4-7698-2217-0
  • 木俣滋郎「3.航空戦艦「日向」「伊勢」」『撃沈戦記 海原に果てた日本艦船25隻の航跡』光人社NF文庫、2013年6月。ISBN 978-4-7698-2786-3
  • 木俣滋郎「15 アメリカ駆逐艦「クーパー」」『連合軍艦艇撃沈す 日本海軍が沈めた艦船21隻の航跡』光人社〈光人NF文庫〉、2013年8月。ISBN 978-4-7698-2794-8
  • ノンフィクション作家佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇 17人の艦長が語った勝者の条件』光人社、1984年4月。ISBN 4-7698-0231-5
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社〈光人社NF文庫〉、1993年5月。ISBN 47698-2009-7
  • (37-58頁)『孫子の兵法』<戦艦「大和」艦長・松田千秋少将の証言>(レイテ沖海戦時の四航戦司令官)
  • (86-98頁)『用兵の極致』<戦艦「伊勢」艦長・中瀬沂少将の証言>(レイテ沖海戦時の伊勢艦長)
  • (123-125頁)『武人の本懐』<戦艦「日向」艦長・野村留吉少将の証言>(レイテ沖海戦時の日向艦長)
  • (193-208頁)『綱渡りの航跡』<駆逐艦「秋月」艦長・緒方友兄大佐の証言>(レイテ沖海戦時の秋月艦長、槇に救助)
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇 17人の艦長が語った勝者の条件』光人社〈光人NF文庫〉、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「幸運と不運」<駆逐艦「竹」艦長・宇那木勁少佐の証言>(太平洋戦争時、磯波水雷長、海軍兵学校教官、椿艤装員長、竹艦長等)
    • 「戦術の極意」<駆逐艦艦長・石塚栄少佐の証言>(砲術長、村雨水雷長、北上水雷長、矢矧水雷長、槇艦長等)
    • 「勝敗の分岐点」<駆逐艦艦長・川畑誠少佐の証言>(太平洋戦争時、奄美大島根拠地隊副官、横須賀第一陸戦隊副官、水雷艇「鷺」艇長、重巡鈴谷水雷長、桐艦長等)
  • 駆逐艦「天霧」先任将校志賀博『海軍兵科将校』光人社、1985年3月。ISBN 4-7698-0264-1
  • 志賀博ほか『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7
    • 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹正岡勝直『されど"雑木林艦隊"恥ずることなかれ 雑木林といわれた松型十八隻、橘型十四隻、樅型三隻、若竹型六隻の闘魂
  • 志柿謙吉『海軍参謀のフィリピン戦記 回想レイテ作戦』光人社〈光人NF文庫〉、2005年7月。ISBN 4-7698-2462-9

重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8

  • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 『孫たちへの証言 第13集「特別号・21世紀への伝言」第二部 国外での体験』(新風書房、2000年)ISBN 4-88269-455-7
  • C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2
  • 原為一ほか『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8
    • 当時「五十鈴」工作科・海軍一等工作兵曹須藤岩夫『防空巡「五十鈴」の脈動がわが胸に響くとき 満十七歳の秋、血の海に戦い生還した工作兵の血涙の戦場体験
    • 当時「五十鈴」通信長・海軍大尉芝山末男『防空巡洋艦「五十鈴」エンガノ岬沖の血戦 主砲を撤去して高角砲六門に対空機銃と電探。大改装後の通信長の回想
    • 戦史研究家柏木浩『日本の軽巡洋艦かく戦えり』
    • 戦史研究家落合康夫『日本海軍軽巡洋艦 戦歴一覧』
  • 福井静夫福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語』第5巻、阿部安雄・戸高一成/編集委員、光人社、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 沖縄方面海軍作戦』第17巻、朝雲新聞社、1968年7月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<1> 臺灣沖航空戦まで』第37巻、朝雲新聞社、1970年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 捷号陸軍作戦(1) レイテ決戦』第41巻、朝雲新聞社、1970年12月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<6> ―第三段作戦後期―』第45巻、朝雲新聞社、1970年4月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 比島捷号陸軍航空作戦』第48巻、朝雲新聞社、1971年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』第54巻、朝雲新聞社、1972年3月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』第56巻、朝雲新聞社、1972年6月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍戦備<2> ― 開戦以後 ―』第88巻、朝雲新聞社、1975年10月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』第93巻、朝雲新聞社、1976年3月。
  • 香港ラジオテレビ(RTHK)『8花齊放(特別外判系列)第三集 "桑號~Finding KUWA"』(2006/5/19放送)
  • 松田源吾ほか『軽巡海戦史 駆逐艦を率いて突撃した戦隊旗艦の奮戦と最後』潮書房光人社、2017年3月。ISBN 978-4-7698-1639-3
  • 当時「五十鈴」艦長・海軍大佐松田源吾『防空巡「五十鈴」のエンガノ岬沖海戦 小沢オトリ艦隊とともに最後の決戦場に殴り込んだ艦長の回想
  • 戦史研究家伊達久『航跡でたどる軽巡二十五隻の栄光と悲惨』
  • 戦史研究家落合康夫『日本海軍軽巡洋艦戦歴一覧』
  • 三神國隆「第6章 極秘日誌でたどる病院船第二氷川丸の航跡」『海軍病院船はなぜ沈められたか 第二氷川丸の航跡』光人社NF文庫、2005年1月。ISBN 4-7698-2443-2
  • 茂呂計造『南海の死闘 少年水兵の海戦記』近代文藝社、1994年9月。ISBN 4-7733-3262-X 茂呂は「竹」水雷科連管手。
  • 山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-62
  • 戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
  • 当時艦政本部部員・海軍技術中佐遠山光一『マスプロ防空駆逐艦"松型"の誕生と背景 駆逐艦発達史の中に位置づけた丁型=松型十八隻と橘型十四隻の新機軸
  • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
  • 元「柳」艦長・海軍少佐大熊安之助『松型「柳」艦長三たび痛恨の海に没したけれど 乗艦三隻の最期をみとった駆逐艦長が綴る海の勇者たちへの鎮魂歌
  • 当時「桑」一番高角砲射手・海軍上等兵曹山本貢『小さな勇者「桑」オルモックに死すとも 瑞鳳直衛の比島沖海戦をへて七次多号作戦に果敢な砲戦を演じた勇者の最後
  • (308-319頁)当時「梅」乗組・海軍上等兵曹市川國雄『香り浅き「梅」バシー海峡に消えたり 熾烈なる対空戦闘の果て誕生六ヶ月余りで海底に没した愛艦への鎮魂歌
  • 横井俊之ほか『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9
  • 当時「瑞鳳」乗組甲板士官・海軍中尉岡上恵 兵学校卒業したての新品士官が見たマリアナ沖からエンガノ岬沖海戦
  • 「歴史群像」編集部『太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦―簡易設計ながら生存性に秀でた戦時急造艦の奮戦』(学習研究社、2003年) ISBN 4-05-603251-3
  • 渡辺洋二『夜間戦闘機「月光」』朝日ソノラマ新装版戦記文庫、1993年、ISBN 4-257-17278-9
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年1月~6月達/昭和19年4月(1)』。C12070124600。
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年4月(1)』。Ref.C12070195000。
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年7月』。Ref.C12070195500。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/11月(3)』。Ref.C12070497900。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/2月(2)』。Ref.C12070503900。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030051000。
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年8月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(6)』。Ref.C08030086900。
    • 『昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030087200。
    • 『昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030087300。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030127400。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030127500。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3))』。Ref.C08030127600。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4))』。Ref.C08030127700。
    • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年十一月十日 機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至同年十月二十九日 比島沖海戦』(昭和19年10月20日〜昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
    • 軍艦瑞鳳『軍艦瑞鳳戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至昭和十九年十月二十五日捷一号作戦』(昭和19年10月20日〜昭和19年10月25日 軍艦瑞鳳捷1号作戦戦闘詳報(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030582300、C08030582400
    • 宇那木勁「T型駆逐艦(竹)戦誌」(昭和19年11月〜終戦時 T型駆逐艦(竹)戦誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030751400
    • 野村留吉『第四航空戦隊 戦時日誌抜粋』(昭和19年5月1日〜昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋 (旗艦日向行動等)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030742100
    • 『昭和19年11月 駆逐艦桑菲島沖海戦戦闘詳報』。Ref.C08030590300。
    • 『昭和19年10月24日~昭和19年10月25日 第4航空戦隊捷1号作戦戦闘詳報』。Ref.C08030576800。
    • 『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(1)』。Ref.C08030576900。
    • C08030577000『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(2)』。
    • 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。
    • 『第1表/2.1944年10月18日以降増援兵力』。Ref.C14061098700。
    • 『昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年12月』。Ref.C16120660300。
    • 『第2次世界大戦略歴大東亜戦争経過概要(防衛省防衛研究所)昭和19年10月経過概要~昭和19年12月経過概要』。Ref.C16120725100。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]