桑 (松型駆逐艦)

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艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1943年12月20日
進水 1944年5月25日
就役 1944年7月25日
その後 1944年12月3日戦没
除籍 1945年2月10日
性能諸元
排水量 基準:1,262t
公試:1,530t
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
航続距離 18ktで3,500
燃料 重油370t
乗員 211名/247名[1]
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)

(くわ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[2]松型駆逐艦(丁型)の5番艦である[3]。艦名は楢型駆逐艦2番艦「」に続いて2代目。

概要[編集]

一等駆逐艦は、1944年(昭和19年)7月25日藤永田造船所で竣工した松型駆逐艦[4]。同年10月下旬、小沢機動部隊に所属してレイテ沖海戦に参加、沈没した空母瑞鳳乗組員多数を救助した[4][5]。11月中旬、フィリピン方面に進出[4]。同年12月3日、姉妹艦「」と共に多号作戦従事中(第七次作戦)、フィリピンレイテ島オルモック湾で米駆逐艦と交戦、沈没した[4][6]

戦歴[編集]

建造[編集]

1944年(昭和19年)4月5日、「」と命名される[2]。 同日附で各艦(桑、奄美粟国伊号第三百五十二潜水艦伊号第三百六十七潜水艦)等は艦艇類別等級表に類別される[3]。 6月20日、日本海軍は海軍兵学校教官大熊安之助少佐(スラバヤ沖海戦時の軽巡那珂水雷長)を、桑艤装員長に任命する[7]。 6月24日、藤永田造船所の桑艤装員事務所は事務を開始する[8]

7月2日、大熊(桑艤装員長)は白露型駆逐艦6番艦五月雨艦長[9]へ転任(同艦沈没時、駆逐艦に救助される)[10]。駆逐艦文月艦長[11][12]等を歴任した山下正倫(やました まさとも)中佐(当時、海軍艦政本部部員)が、桑艤装員長に補職される[9]

7月25日、竣工。山下正倫中佐は正式に桑駆逐艦長となる[13]。主な初代幹部は、航海長小平清人中尉、砲術長北村徹大尉、水雷長三谷與司夫中尉[13]。同日附で松型2隻(桑、)は、呉鎮守府籍となる[14]

レイテ沖海戦[編集]

就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完海軍少将海軍兵学校41期)に編入される[15]瀬戸内海に回航され、8月3日から8月30日までは輸送任務に従事中の長良型軽巡洋艦1番艦「長良」に代わって第十一水雷戦隊の旗艦を務めた[16]。8月30日に旗艦の任務を球磨型軽巡洋艦2番艦「多摩」に移してからは[17]訓練を再興する。10月4日からは空母海鷹」とともに対潜掃討任務に従事する予定だったが[18]、整備の遅れにより任務は取り止められた[19]

10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島英語版に上陸し、日本軍捷一号作戦を発動した[20][21]。この作戦は小沢治三郎中将(海兵37期)が率いる機動部隊が囮となって第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入しアメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった[22]。 10月20日夕刻、小沢機動部隊(空母4隻《瑞鶴瑞鳳千代田千歳》、航空戦艦2隻《日向伊勢》、巡洋艦3隻《大淀五十鈴多摩》、秋月型駆逐艦4隻《初月秋月若月霜月》、松型駆逐艦4隻《》)は豊後水道を出撃[23][24]。 10月22日に空母千代田から重油の洋上補給を行うも予定の100トンに対して75トンしか補給できなかった[25][26]。 機動部隊は10月23日に兵力を二分して2つの輪形陣を形成し、これにより「桑」は空母「瑞鳳」の左後方に位置することとなった[27][28]。 10月24日、松型2隻(桐、杉)は小沢機動部隊から分離、沖縄に退避した[26][29]

10月25日朝、小沢機動部隊はエンガノ岬英語版沖でついに第38任務部隊の艦載機による空襲を受け(エンガノ岬沖海戦)、数度にわたる空襲により空母4隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)と護衛艦2隻(秋月《空襲による》、多摩《潜水艦による》)を喪失[30]。本艦の損傷は最少だった[31]。 続いて、本艦は小沢中将の命を受けて瑞鶴と瑞鳳の生存者救助任務を行った[32][33]。17時20分までの救助作業の結果、瑞鳳艦長の杉浦矩郎大佐以下847名を救助した[34]。また被弾して速力低下していた「槇」と遭遇し、山下(桑艦長)が「いかがなりや」と気遣う場面もあった[35]。「桑」は第61駆逐隊(初月若月)と共に更に救助作業を行うも、ローレンス・T・デュボース少将率いる巡洋艦部隊の攻撃を受け避退[36]。「初月」(第61駆逐隊司令天野重隆大佐)の奮戦と沈没により窮地を脱した[37]。 10月26日に中城湾に到着、瑞鳳生存者の一部を2隻(五十鈴、槇)に移し、奄美大島へ移動(同地で瑞鳳生存者を戦艦日向に移乗)[38][34]。10月30日、呉に帰投した。

「桑」は11月2日付で第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将・海兵40期)の指揮下に入る[39]。続いて第三十一戦隊(五十鈴、霜月[40]、桑、杉、桐[41]、槇、桃)は南方に進出する第四航空戦隊(司令官松田千秋少将。日向伊勢)を護衛して、11月9日に門司を出撃する[42][43]11月15日、日本海軍は松型5隻()により第52駆逐隊を編成[44][45]。 第四航空戦隊(日向、伊勢)とは南沙諸島長島で別れ[46]、第三十一戦隊旗艦の軽巡五十鈴を護衛してマニラに向かい、11月18日に到着した[47]。シンガポール回航中、米潜水艦(ヘイク)の雷撃で「五十鈴」が損傷する一幕もあった[48]。 11月23日付で第52駆逐隊は第三十一戦隊に編入され[49]、駆逐隊司令には岩上次一大佐(当時、第7駆逐隊司令)が任命されている[50]。この頃、レイテ島オルモック湾への輸送作戦である多号作戦が依然続行中であり、本艦は第七次多号作戦に参加することになった。本来の参加予定艦は「桐」だったが、座礁して修理にまわされた為、「桑」が代艦として参加することになったという[41]

多号作戦[編集]

11月30日午前[51]、第七次多号作戦が発令され、松型駆逐艦2隻()、第9号輸送艦第140号輸送艦、第159号輸送艦と第三梯団を構成してマニラを出撃した[52][53]。部隊指揮官は山下正倫中佐(桑艦長)[48]。出撃前、山下艦長は「犬死は許さん。一人となっても敵陣に踏みこむべし」と激励した[48][54]。また僚艦の松型2番艦「竹」は、これまでに第三次、第五次の多号作戦に参加していた[52][55]。出港直後、船団は日本陸軍潜水艦(三式潜航輸送艇、通称まるゆ)と遭遇した[48][54]

この頃になると、アメリカ軍は妨害のためにレイテから魚雷艇隊をはるばるオルモック方面に派遣するようになっており、11月28日夜半のオルモック襲撃に成功するなど戦果を挙げていた[56]第7艦隊司令官のトーマス・C・キンケイド中将は続いてオルモック方面に駆逐艦と掃海艇を派遣することとし[56]、これも過去二度の作戦で潜水艦と小型貨物船を破壊する戦果を挙げていた[56]。そして、三度目の作戦[56]としてアレン・M・サムナー (USS Allen M. Sumner, DD-692)、モール (USS Moale, DD-693) そしてクーパー (USS Cooper, DD-695) がオルモック湾に差し向けられる事となったのである[57]。 アレン・M・サムナー、モールおよびクーパーの第120駆逐群(ジョン・C・ザーム大佐)[58]は18時30分にレイテ湾を出撃し[58]、オルモック湾に急行した。だが、第120駆逐群はとにかく運がよくなかった。出撃して間もなくセブから飛来してきた戦闘八〇四飛行隊月光に付きまとわれ、爆撃と機銃掃射によりモールは2名の戦死者と22名の負傷者を出した[59]。また、アレン・M・サムナーおよびモールの船体にも若干の損傷が生じた[58]

12月2日夜、船団5隻はオルモック湾に到着して揚陸を開始した[53]大発が輸送艦と陸上を往復して物資を揚陸させている頃、南方の哨戒を開始した[60]。しかし、その南方からは第120駆逐群がオルモック湾に入りつつあり、ザーム大佐は日本側の雷撃を警戒して、艦を横に広がらせた横陣の隊形で湾内に入っていった[61]。オルモック湾に入った第120駆逐群は11,000メートル先の目標を狙い、まずクーパーが砲撃を開始した[61]。「桑」は第120駆逐群のオルモック湾侵入を確認するや、発光信号で敵艦発見を「竹」に知らせた[62][53]。山下(桑艦長)は米艦隊を軽巡洋艦3隻と判断、魚雷を発射[63]。続いて砲撃戦を行う[64]。だが最初の交戦はおよそ9分で決着がつき[65]、大破して炎上[64][66]。艦尾から沈没した[64]。山下艦長は体当たりを命じて「桑」は突撃を敢行したが、魚雷艇の魚雷攻撃で沈没したとの証言もある[63]。 その後、「竹」の雷撃によりクーパーは沈没し、潜水艦の襲撃と誤認して浮き足立った第120駆逐群は南方へ去っていった[67][68]。 第三梯団の指揮官を兼ねていた山下正倫中佐(桑駆逐艦長)[69]以下、桑乗組員約250名が戦死[66]。海上に放り出された生存者は「竹」に対して声をかけたり[70]、撃沈されたクーパーの乗員と英語で会話したという[71][67]。宇那木勁少佐(竹艦長)は生存者の救助をオルモックの陸上部隊に依頼した[72][73]。この時、最後尾の輸送艦が独断でカッターボートをおろし、桑乗組員8名(重傷2名)を救助した[64]。また救助された少数名は、現地の海軍陸戦隊に編入された[74][75]。だが陸上に上陸した乗組員のうち大部分は米軍や現地ゲリラに殺害されたという[66]

1945年(昭和20年)2月10日、松型4番艦「」と本艦は松型駆逐艦[76]、 帝国駆逐艦籍[77]より除籍。 「桃」は第43駆逐隊から、「桑」は第52駆逐隊から除かれた[78]

2005年(平成17年)、オルモック湾の深海108メートルの海底にて旧日本軍の艦艇とおぼしき残骸が発見された。香港のマンダリン・ダイバーズによって潜水調査が行われた。撮影された映像を見た乗員遺族の造船技師が、全弾射出済みの九二式 61cm4連装魚雷発射管と松型駆逐艦特有の船体の溶接痕を確認した。これにより、ほぼ「桑」と特定されたと香港ラジオテレビ(RTHK)は伝えた。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 大熊安之助 少佐: 1944年6月20日[7] - 1944年7月2日[9]
  2. 山下正倫 少佐/中佐:1944年7月2日[9] - 1944年7月25日[13]
駆逐艦長
  1. 山下正倫 中佐:1944年7月25日[13] - 1944年12月2日 戦死認定、同日付任海軍大佐[69]

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.7
  2. ^ a b #達昭和19年4月(1)pp.25-26『達第百六號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦二隻及海防艦七隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年四月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 桑(クワ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三百五十二潜水艦|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第三百六十七潜水艦|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 奄美(アマミ)/海防艦 粟國(アグニ)/第二十五號海防艦/第二十七號海防艦|日本海船渠株式會社ニ於テ建造 第二十三號海防艦/三菱重工業會社長崎造船所ニ於テ建造 第二十六號海防艦/第二十八號海防艦』
  3. ^ a b #内令昭和19年4月(1)pp.16-17『内令第五百三十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「桃」ノ下ニ「、桑」ヲ加フ|潜水艦、一等伊三百五十一號型ノ項中「伊號第三百五十一」ノ下ニ「、伊號第三百五十二」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號第三百六十六」ノ下ニ「、伊號第三百六十七」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「沖縄」ノ下ニ「奄美、粟國」ヲ、同第一號型ノ項中「第二十一號」ノ下ニ「、第二十三號、第二十五號、第二十七號」ヲ、同第二號型ノ項中「第二十四號」ノ下ニ「、第二十六號、第二十八號」ヲ加フ』
  4. ^ a b c d #陽炎型、2014332頁『桑(くわ)』
  5. ^ #秋月型(潮2015)333頁
  6. ^ #秋月型(潮2015)334頁
  7. ^ a b 昭和19年6月26日(発令6月20日付)海軍辞令公報(甲)第1520号 p.17』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099600 
  8. ^ 昭和19年7月6日(木)海軍公報(部内限)第4732号 p.24』 アジア歴史資料センター Ref.C12070479600 『○事務開始(略)驅逐艦桑艤装員事務所ヲ六月二十四日大阪市住吉區柴谷町四四藤永田造船所内ニ設置シ事務ヲ開始セリ(以下略)』
  9. ^ a b c d 昭和19年7月7日(発令7月2日付)海軍辞令公報(甲)第1528号 p.40』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099900 
  10. ^ 昭和19年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(甲)第1582号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100800 
  11. ^ 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076800 
  12. ^ 昭和15年1月8日(発令1月6日付)海軍辞令公報(部内限)第427号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600 
  13. ^ a b c d 昭和19年8月5日(発令7月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1554号 p.8』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100400 
  14. ^ #内令昭和19年7月p.26『内令第八九四號|驅逐艦 桑/驅逐艦 楓 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|第六十一號海防艦 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル 昭和十九年七月二十五日 海軍大臣』
  15. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.53
  16. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.4,8,11,33
  17. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.33
  18. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.9
  19. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.13
  20. ^ #最後の海空戦(文庫)25-26頁『出撃』
  21. ^ #桑レイテ戦闘詳報p.2『一.計畫竝ニ情況判断』
  22. ^ #空母二十九隻212-214『混乱するレイテ島の戦況』
  23. ^ #佐藤艦長続編(文庫)242、468頁
  24. ^ #桑レイテ戦闘詳報p.2『二.經過 十月十八日聯合艦隊電令作第三五六號ニヨリ本艦ハ機動部隊本隊ニ編入セラレ十九日出撃準備完成二十日豊後水道出撃機動部隊警戒隊(第一駆逐聯隊)トシテ主隊ノ對空對潜警戒ニ任ジツヽ主隊ト共ニ敵機動部隊ノ菲島北方誘出作戰ニ從事シ途中敵潜ノ觸接ヲ排除シツヽ南下二十四日吾攻撃隊発進同日夕刻ヨリ敵機ノ觸接ヲ受ケ二十五日敵機ノ空襲ヲ受クルニ至ル其ノ間ノ詳細左ノ如シ』
  25. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.19,20
  26. ^ a b #最後の海空戦(文庫)27-28頁
  27. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.24、木俣, 534ページ
  28. ^ #佐藤艦長続編(文庫)465頁(第四警戒航行序列)《杉、桐欠》
  29. ^ #佐藤艦長続編(文庫)244-248頁『敵艦隊にまぎれこむ』
  30. ^ #空母二十九隻214-218『眼前に見た瑞鳳の最期』
  31. ^ #桑レイテ戦闘詳報p.13『五.損害』
  32. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46
  33. ^ #秋月型(潮2015)301頁
  34. ^ a b #桑レイテ戦闘詳報p.13『六.其ノ他 二十五日瑞鳳乗員(六五三空ヲ含ム)八四七名(艦長以下准士官以上五七名下士官兵七九〇名救助重要シ中城湾ニテ五十鈴(槇)ニ夫々二二一(九〇)名移容爾余ハ奄美大島ニ於テ日向ニ移容セリ』
  35. ^ #佐藤艦長続編(文庫)469-471頁『いかがなりや』
  36. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.4
  37. ^ #最後の海空戦(文庫)42-44頁『死地へ行く「初月」』
  38. ^ #桑レイテ戦闘詳報p.5『十月二十六日一四二〇|中城湾着|中城湾ニテ瑞鳳乗員三一〇名ヲ五十鈴、槇ニ移乗セシム/瑞鳳戰死者(二名)ヲ荼毘ニ付シタル後槇ヲ率ヒ奄美大島ニ回航奄美大島箸主隊ト合同』
  39. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.47
  40. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.35『(2)霜月 内海西部方面ニアリテ警戒待機中ノ所第四航空戰隊第三十一戰隊ト共ニ八日出撃「ブルネイ」ニ回航中』
  41. ^ a b #佐藤艦長続編(文庫)249-250頁『粛然とした「桑」の沈没』
  42. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.53
  43. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.42『1KdF機密第〇二一四一八番電 第四航空戰隊(日向伊勢)第四十一駆逐隊(霜月)凉月 第三十一戰隊(五十鈴桑桐梅桃杉)ハ十一月八日槙冬月十八日頃内地出撃可能ノ見込』(涼月は浸水事故のため不参加)
  44. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.56
  45. ^ #秘海軍公報昭和19年11月(3)pp.4-5『内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日 海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ| |第五十二驅逐隊|桑、檜、樅、杉、樫| |第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  46. ^ 野村, pp.10
  47. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.58、野村, pp.10
  48. ^ a b c d #秋月型(潮2015)302-303頁『決死のオルモック湾突入作戦』
  49. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.59
  50. ^ 昭和19年12月24日(発令11月29日付)海軍辞令公報(甲)第1660号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102100 
  51. ^ 宇那木, pp.14
  52. ^ a b #佐藤艦長続編(文庫)198-200頁『決死の再出撃』
  53. ^ a b c #佐藤艦長続編(文庫)200-203頁『黒いもの、駆逐艦です!』
  54. ^ a b #地獄のレイテ輸送作戦91-93頁『苦戦する駆逐艦「桑」』
  55. ^ #南海の死闘131-133頁『レイテ島への最後の出撃』
  56. ^ a b c d ニミッツ、ポッター, 401ページ
  57. ^ #南海の死闘151-153頁『第十一章「オルモック」夜戦の戦訓と戦果」宇那木勁(「竹」艦長)
  58. ^ a b c 木俣, 565ページ
  59. ^ 木俣, 565、566ページ、ニミッツ、ポッター, 401ページ、渡辺, 319ページ
  60. ^ 宇那木, pp.16
  61. ^ a b 木俣, 566ページ
  62. ^ 宇那木, pp.17
  63. ^ a b #回想レイテ作戦164-166頁『オルモック沖の海戦絵巻』(桑上等水兵、藤井敏男。桑沈没後、志柿《空母飛鷹沈没時副長》の従兵)
  64. ^ a b c d #秋月型(潮2015)305-308頁『小さな勇者「桑」よ永遠なれ』
  65. ^ 木俣, 567ページ
  66. ^ a b c #地獄のレイテ輸送作戦97-98頁『「桑」の最後』
  67. ^ a b #佐藤艦長続編(文庫)204-206頁『必死の魚雷攻撃、米駆を葬る』
  68. ^ #南海の死闘162-163頁
  69. ^ a b 昭和20年7月14日(発令昭和19年12月2日付)海軍辞令公報(甲)第1856号 p.29』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100 
  70. ^ 宇那木, pp.21、木俣, 567ページ
  71. ^ 木俣, 568ページ
  72. ^ 宇那木, pp.21
  73. ^ #佐藤艦長続編(文庫)208-210頁
  74. ^ #10月18日以降増援兵力p.3『北比|マニラ|桑|一九四四、一二、二|四』
  75. ^ #10月18日以降増援兵力p.8『中比|レイテ|桑|一九四四、一二、二|一』
  76. ^ #秘公報昭和20年2月(2)p.20『内令第一〇八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年二月十日海軍大臣|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「、清霜」ヲ、同松型ノ項中「、桃、桑」ヲ、同二等若竹型ノ項中「呉竹、」ヲ削ル(以下略)』
  77. ^ #秘公報昭和20年2月(2)p.21『内令第一一五號|横須賀鎮守在籍 驅逐艦 清霜|呉鎮守府在籍 驅逐艦 桑 驅逐艦 呉竹|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 桃|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)』
  78. ^ #秘公報昭和20年2月(2)pp.20-21『内令第一一一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、朝霜」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項中「桃、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「桑、」ヲ削ル』

参考文献[編集]

  • 片岡紀明 「エンガノ岬沖の死闘―駆逐艦「槇」航海長・後藤英一郎」『最後の海空戦 若き最前線指揮官たちの日米戦争』 光人社NF文庫、2011年4月(原著2003年)。ISBN 978-4-7698-2683-5
  • 岸見勇美 『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌光人社、2010年12月。ISBN 978-4-7698-2666-8
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 木俣滋郎 「15 アメリカ駆逐艦「クーパー」」『連合軍艦艇撃沈す 日本海軍が沈めた艦船21隻の航跡』 光人社NF文庫、2013年8月。ISBN 978-4-7698-2794-8
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇』(光人社、1984年) ISBN 4-7698-0231-5
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「幸運と不運」<駆逐艦「竹」艦長・宇那木勁少佐の証言>(太平洋戦争時、磯波水雷長、海軍兵学校教官、椿艤装員長、竹艦長等)
    • 「戦術の極意」<駆逐艦艦長・石塚栄少佐の証言>(砲術長、村雨水雷長、北上水雷長、矢矧水雷長、槇艦長等)
    • 「勝敗の分岐点」<駆逐艦艦長・川畑誠少佐の証言>(太平洋戦争時、奄美大島根拠地隊副官、横須賀第一陸戦隊副官、水雷艇「鷺」艇長、重巡鈴谷水雷長、桐艦長等)
  • 志賀博ほか 『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』 潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7
    • 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹正岡勝直『されど"雑木林艦隊"恥ずることなかれ 雑木林といわれた松型十八隻、橘型十四隻、樅型三隻、若竹型六隻の闘魂
  • 志柿謙吉海軍参謀のフィリピン戦記 回想レイテ作戦』 光人社NF文庫、2005年7月。ISBN 4-7698-2462-9
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 『孫たちへの証言 第13集「特別号・21世紀への伝言」第二部 国外での体験』(新風書房、2000年)ISBN 4-88269-455-7
  • C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2
  • 香港ラジオテレビ(RTHK)『8花齊放(特別外判系列)第三集 "桑號~Finding KUWA"』(2006/5/19放送)
  • 茂呂計造 『南海の死闘 少年水兵の海戦記』 近代文藝社、1994年9月。ISBN 4-7733-3262-x 茂呂は「竹」水雷科連管手。
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
    • 当時艦政本部部員・海軍技術中佐遠山光一『マスプロ防空駆逐艦"松型"の誕生と背景 駆逐艦発達史の中に位置づけた丁型=松型十八隻と橘型十四隻の新機軸
    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
    • 元「柳」艦長・海軍少佐大熊安之助『松型「柳」艦長三たび痛恨の海に没したけれど 乗艦三隻の最期をみとった駆逐艦長が綴る海の勇者たちへの鎮魂歌
    • 当時「桑」一番高角砲射手・海軍上等兵曹山本貢『小さな勇者「桑」オルモックに死すとも 瑞鳳直衛の比島沖海戦をへて七次多号作戦に果敢な砲戦を演じた勇者の最後
  • 横井俊之ほか 『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』 潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9
    • 当時「瑞鳳」乗組甲板士官・海軍中尉岡上恵 兵学校卒業したての新品士官が見たマリアナ沖からエンガノ岬沖海戦
  • 「歴史群像」編集部『太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦―簡易設計ながら生存性に秀でた戦時急造艦の奮戦』(学習研究社、2003年) ISBN 4-05-603251-3
  • 渡辺洋二『夜間戦闘機「月光」』朝日ソノラマ新装版戦記文庫、1993年、ISBN 4-257-17278-9
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.『昭和19年1月~6月達/昭和19年4月(1)』。C12070124600。
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年4月(1)』。Ref.C12070195000。
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年7月』。Ref.C12070195500。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報号外/11月(3)』。Ref.C12070497900。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/2月(2)』。Ref.C12070503900。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030051000。
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127500
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127600
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127700
    • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年十一月十日 機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至同年十月二十九日 比島沖海戦』(昭和19年10月20日〜昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
    • 軍艦瑞鳳『軍艦瑞鳳戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至昭和十九年十月二十五日捷一号作戦』(昭和19年10月20日〜昭和19年10月25日 軍艦瑞鳳捷1号作戦戦闘詳報(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030582300、C08030582400
    • 宇那木勁「T型駆逐艦(竹)戦誌」(昭和19年11月〜終戦時 T型駆逐艦(竹)戦誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030751400
    • 野村留吉『第四航空戦隊 戦時日誌抜粋』(昭和19年5月1日〜昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋 (旗艦日向行動等)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030742100
    • 『昭和19年11月 駆逐艦桑菲島沖海戦戦闘詳報』。Ref.C08030590300。
    • 『第1表/2.1944年10月18日以降増援兵力』。Ref.C14061098700。

関連項目[編集]