霰 (朝潮型駆逐艦)

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艦歴
計画 マル2計画
起工 1937年3月5日
進水 1937年11月16日
就役 1939年4月15日
その後 1942年7月4日戦没
除籍 1942年7月31日
性能諸元
排水量 基準:約2,000t、公試:2,400t
全長 118.00m
全幅 10.386m
吃水 3.71m(平均)
機関 艦本式オール・ギアードタービン2基2軸
ロ号艦本式重油専焼缶3基
51,000hp
最大速力 34.85kt
航続距離 18ktで5,190浬
燃料 重油580t
乗員 230名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
(または13mm機銃 Ⅱ×2)
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九〇式魚雷16本)
九一式爆雷×36

(あられ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦朝潮型の10番艦(最終艦)である[2]。この名を持つ帝国海軍の艦船としては春雨型駆逐艦「霰」に続き2隻目。朝潮型は速力と航続距離の性能不足の面から本艦をもって建造が打ち切られ、以降は新設計の陽炎型駆逐艦が建造された。

艦歴[編集]

1936年(昭和11年)12月14日、帝国海軍は建造予定の水上機母艦2隻・駆逐艦2隻に、水上機母艦「千代田」と「瑞穂」、朝潮型駆逐艦「峯雲」と「」の艦名を与えた[1]舞鶴海軍工廠で建造された朝潮型は、2番艦「大潮」と本艦のみである。「霰」は1937年(昭和12年)3月5日に起工、同年11月16日に進水、1939年(昭和14年)4月15日に竣工[3]。同時に第18駆逐隊に編入された。第18駆逐隊は朝潮型2隻(霰、)、陽炎型駆逐艦2隻(陽炎不知火)で編制されている。11月15日、第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。

太平洋戦争開戦時の第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)は軽巡洋艦「神通」を旗艦とし、第8駆逐隊(朝潮大潮満潮荒潮)、第15駆逐隊(黒潮親潮早潮夏潮)、第16駆逐隊(雪風時津風初風天津風)、第18駆逐隊で編制されていた。だが第8駆逐隊は第二艦隊司令長官近藤信竹中将(旗艦:重巡洋艦「愛宕」)直率の南方部隊本隊に編入されていた。第18駆逐隊も第二水雷戦隊の指揮下を離れ、南雲機動部隊(司令長官南雲忠一中将)の警戒隊(指揮官大森仙太郎第一水雷戦隊司令官:旗艦「阿武隈」)に編入[4]。第17駆逐隊(谷風浦風浜風磯風)および陽炎型の「秋雲」と行動を共にした。1941年(昭和16年)11月26日、ハワイ攻撃機動部隊の空母6隻(赤城加賀蒼龍飛龍翔鶴瑞鶴)の護衛として単冠湾を出港、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加した。緒方(霞艦長)によれば、朝潮型駆逐艦には航続力の点で不安があったため燃料を入れた大量の18リットル缶を艦内に積み上げており、煙草も吸えなかったという[5]。12月14日から呉海軍工廠で修理を行った。

1942年(昭和17年)1月8日、を出港して引き続き南雲機動部隊を護衛する。ラバウル攻撃を筆頭に、2月には第二航空戦隊ポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、4月のセイロン沖海戦に参加した。4月23日、呉に帰着して入渠整備を行った[6]。一連の作戦終了後、機動部隊の護衛を主任務とする第十戦隊(旗艦「長良」)の新編にともない、第18駆逐隊は原隊(第二水雷戦隊)に復帰[7]。当時の第18駆逐隊は第1小隊(不知火、霞)、第2小隊(陽炎、霰)という編制である[8]。また第8駆逐隊が第二水雷戦隊からのぞかれた[9]

5月下旬、第二水雷戦隊(神通、第15駆逐隊、第16駆逐隊、第18駆逐隊)はサイパンに集結、6月上旬のミッドウェー海戦には攻略部隊輸送船団の護衛として参加した[10][11]。6月8日、18駆は第七戦隊(司令官栗田健男少将)の指揮下に入る[12]。6月14日に第七戦隊を護衛してトラックに帰投。大破した重巡「最上」を同地に残し、6月23日、第18駆逐隊は第七戦隊の重巡2隻(熊野鈴谷)を護衛して呉に帰投した[13]

この後、第18駆逐隊は第五艦隊(司令長官細萱戊子郎中将:旗艦「那智」)の指揮下に入った[14]。6月23日、大本営アッツ島およびキスカ島の長期確保を指示し、連合艦隊および北方部隊は兵力増強のため輸送部隊(千代田、あるぜんちな丸、鹿野丸、菊川丸、第18駆逐隊)を編制[15]。6月28日、第18駆逐隊(不知火、霞、霰)は横須賀から水上機母艦「千代田」と輸送船「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカ島(鳴神島)に向かった[16][13]

7月5日未明、「千代田、あるせんちな丸」はキスカ島キスカ湾に入港した[17]。第18駆逐隊はキスカ島沖で濃霧のため仮泊中、米潜水艦「グロウラー」(USS Growler, SS-215)に襲撃された[18]。18駆司令宮坂義登大佐(兵47期)は、乗員の疲労を考えて転錨を遅らせたこと、霧のため予想より沖合に停泊してしまったこと、米潜水艦の活動は仮泊地には及ばないと考えていたこと、などが大被害の要因になったと回想している[17]。「グロウラー」の発射した魚雷1本が「霰」の左舷前檣下に命中。前部魚雷発射管を吹き飛ばされた「霰」は主砲と残された魚雷発射管で反撃を試みたが、成功しなかった[19]。「霰」の船体はV字に折れたのち、沈没[19]。104名が戦死した。その様子は陸上の第五警備隊からも見ることが出来たという[20]。さらに「霞」および「不知火」にも魚雷が命中しており、2隻とも大破している[17][21]。また同日には第21駆逐隊の初春型駆逐艦子日」も米潜水艦「トライトン」に撃沈されている[22]

わずか1日で駆逐艦2隻を喪失・2隻大破という事態に、宇垣纏連合艦隊参謀長は各方面に苦言を呈することになった[23]。同時に、米潜水艦の活発な行動に危機感を覚えた北方部隊(第五艦隊)は、米軍機動部隊が出現しないこともあり、空母「瑞鶴瑞鳳龍驤」以下増援部隊各艦を内地に帰投させた[24]

第18駆逐隊の中で唯一の健在艦となった駆逐艦「陽炎」は[25]、陽炎型駆逐艦3隻(黒潮親潮早潮)で編制されていた第15駆逐隊に編入された[26]。残存した「霞、不知火」は7月20日附で第五艦隊附属となる[27]。 7月31日、駆逐艦「霰」と「子日」の除籍が決定。「霰」は第18駆逐隊[28]、帝国駆逐艦籍[29]のそれぞれから除籍された。 8月15日、第18駆逐隊は解隊[30]。 8月20日、「霰」は朝潮型駆逐艦から除籍された[31]。8月31日、「霞」と「不知火」は特別役務駆逐艦に格下げされる[32]。第18駆逐隊が満潮型「霞」と不知火型「不知火」および初雪型「薄雲」という編制で復活するのは、1944年(昭和19年)3月31日のことだった[33]

時が流れた2006年8月に、沈没した米潜グラニオン(SS-216)捜索チームがソナーで水深100mに沈没している「霰」を発見した。ソナー画像によると、「霰」は前部魚雷発射管が装備されていた部分で船体が分断され、折れ口には機関や缶の残骸がある。その近くの海底には前部魚雷発射管の残骸がある。艦尾側は正立状態で、艦首側は約170度ほど右に回転し、艦橋が艦尾側に重なって横転した状態で沈んでいる。「霰」の1番砲塔は直立していて、「グロウラー」にむけて砲撃していたことを示している。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 大原利通 少佐/中佐:1938年3月15日[34] - 1939年3月1日[35]
駆逐艦長
  1. 大原利通 中佐:1939年3月1日[35] - 1941年9月20日[36]
  2. 緒方友兄 少佐/中佐:1941年9月20日[36] - 1942年7月31日[37]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和11年12月(1)p.5『達第百八十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦二隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十二月十四日 海軍大臣永野修身|呉海軍工廠ニ於テ建造 水上機母艦 千代田(チヨダ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 水上機母艦 瑞穂(ミヅホ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 峯雲(ミネグモ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 霰(アラレ)』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年6月30日)p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|朝潮型|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』
  3. ^ #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『霰|一等駆逐艦|(艦要目略)|舞鶴工廠|12-3-5|12-11-16|14-4-15|(艦装備略)』
  4. ^ #支那事変第10回功績(18駆)p.1『第十八驅逐隊/不知火霞陽炎霰|勲功乙|自昭和十六年十一月十八日至昭和十六年十二月七日|所定ノ準備ヲナシ布哇ニ向ケ佐伯湾出撃空襲部隊ノ前路警戒飛行警戒及補給部隊ノ護衛ニ任ズ|上記ノ目的ヲ達ス』
  5. ^ #佐藤 艦長(文庫)194頁
  6. ^ #S1703二水戦日誌(3)p.4『(4)18dg 機動部隊ニ編入印度洋機動部隊ヲ終了シ二十三日呉歸着修理整備工事ニ従事(五月一日前進部隊ニ編入ノ豫定)』
  7. ^ #S1703二水戦日誌(5)p.4『(4)18dg 五月一日附機動部隊ヨリ前進部隊ニ編入當隊ニ復歸呉ニ於テ修理整備作業ニ従事五月十一日桂島ニ回航訓練待機 五月十五日桂島發第一類戰斗訓練實施ノ上十六日18dg(陽炎霰欠)呉着MI作戰準備ニ従事陽炎霰ハ十六日早朝分離MI作戰参加輸送船護衛ノ為横須賀ニ向ケ發十七日横須賀着作戰準備、五月十九日1D/18 2D/18夫々MI作戰参加輸送船ノ一部ヲ護衛集合呉及横須賀發』
  8. ^ #S1703二水戦日誌(5)p.5『(ハ)五月中ノ2sd艦隊區分』
  9. ^ #S1703二水戦日誌(3)p.47『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
  10. ^ #S1703二水戦日誌(5)pp.4-5『(ロ)自五月二十日至五月三十一日 五月二十日附GF第二段作戰第二期兵力部署トナリ尓後2sd(早潮欠)ハ攻略部隊護衛隊トシテ早潮ハ攻略部隊航空隊ニ編入MI作戰ニ従事』
  11. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.35『四参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動』
  12. ^ #あ号作戦日誌(4)p.15『18dgハ六月八日以後7S司令官ノ指揮下ニ入リ行動』
  13. ^ a b #あ号作戦日誌(4)p.17『(三)18dg 六月二十三日1D/7Sヲ護衛呉歸着補給整備 六月二十五日千代田ヲ護衛呉發途中2D/18dgヲ圖南丸救援ニ分派 1D/18二十六日2D/18dg二十七日夫々横須賀着 六月二十八日18dg(陽炎欠)千代田あるぜんちな丸ヲ護衛「キスカ」ニ向ケ横須賀發 六月二十九日陽炎横須賀出撃尓後野島埼南方ノ敵潜掃蕩ニ従事』
  14. ^ #第五艦隊日誌(2)p.8『麾下(指揮下)艦船部隊ノ行動 其ノ六 十八駆逐隊|霰|霞|不知火|陽炎』
  15. ^ #叢書29北東方面271頁
  16. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.52『自7月1日至7月4日18dg(陽炎缺)ハ5F長官ノ指揮下ニ入リ千代田あるぜんちな丸護衛任務ニ従事7月5日「キスカ」警泊中遭難』
  17. ^ a b c #叢書29北東方面272-273頁
  18. ^ #第五艦隊日誌(2)p.15『麾下艦船部隊ノ行動 其ノ二|十八駆逐隊|霰/4日一七一〇}USS GROWLER/5日〇三二〇沈没SUNK』
  19. ^ a b #佐藤 艦長(文庫)197頁
  20. ^ #S1705一水戦日誌(4)p.17『五日0320五警隊司令|五日0350第五艦隊司令長官|味方駆逐艦一隻沈没中他ノ一隻火災』
  21. ^ #S1705一水戦日誌(4)p.17『五日0345十八驅司令(宛略)18dg機密第109番電 當隊「リトルキスカヘッド」ノ0度1500米附近假泊中0256ヨリ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ霰沈没不知火霞ハ各魚雷一本命中防水作業中』
  22. ^ #S1705一水戦日誌(4)p.18『五日2240電駆逐艦長|六日0015第一水雷戰隊司令官|電機密第110番電 子日ハ五日1250霧中(視界二粁)「アガツ」島ドツク岬ニ半速ニテ接近中右舷梯附近ニ魚雷1命中艦体2ツニ切断瞬時ニ沈没ス驅逐艦長以下巓覆艦體ニアリテ子ノ日萬歳ヲ三唱セル後艦ト運命ヲ共ニセリ』
  23. ^ #S1705一水戦日誌(4)p.19『五日1830聯合艦隊参謀長|六日0930聯合艦隊各参謀長各司令官各所轄長|GF機密第539番電 ?近来船舶若ハ港湾及附近驅逐艦潜水艦ニシテ敵潜水艦ノ攻撃ヲ受ケ不覺ヲトリツツアルハ洵ニ遺憾トスルトコロニシテ小艦艇ニ於テモ左ノ諸項ヲ励行アリ度(以下略)』
  24. ^ #第五艦隊日誌(2)pp.21-22『六月九日3S(-2D)8S瑞鳳神川丸等ヲ次デ5Sf5S等ヲ北方部隊ニ増援サレタルヲ以テ本兵力ヲ併セ引續キ待機海面ヲ行動セシガ六月二十日鳴神島及熱田島ノ第一期防備作業概成セルヲ以テ水上機部隊潜水部隊等ヲ残置セシメタル外大部ノ兵力ヲ大湊ニ回航補給ヲ實施セル後六月二十八日再度出撃シ鳴神島増援部隊ノ進出掩護竝ニ敵艦隊捕捉ノ態勢ヲ整ヘタリ 然ルニ其ノ後引續キ敵艦隊ハ依然トシテ當方面ニ出現シ来ル模様無ク加フルニ敵潜水艦ノ跳梁ハ漸次度ヲ加ヘ来リ之ニ依ル損害沈没及大破駆逐艦各二隻及ビ更ニ待機海面ニ迄及バントスル懼アリシヲ以テ豫定ヲ若干繰上ゲ七月七日増援部隊ノ桂島(一部横須賀)方面回航ヲ命ジタリ』
  25. ^ #S1705二水戦日誌(2)p.53『陽炎ハ自七月一日至七月九日湊町沖又ハ横須賀ニ在リテ敵潜掃蕩作戰竝ニ主要艦船護衛任務ニ従事 七月九日菊川丸ヲ護衛キスカ方面ニ行動七月二十日附18dg(陽炎缺)ハ5Fニ陽炎ハ15dgニ編入セラル』
  26. ^ #内令昭和17年7月(3)p.28『内令第千三百二十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年七月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎 第十八驅逐隊ノ項中「陽炎、」ヲ削リ第十五驅逐隊ノ項中「早潮」ノ下ニ「、陽炎」ヲ加フ』
  27. ^ #第五艦隊日誌(2)p.12『麾下艦船部隊ノ行動 其ノ二|十八駆逐隊|霞|不知火』
  28. ^ #内令昭和17年7月(4)p.38『内令第千三百九十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年七月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十八驅逐隊ノ項中「霰、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「子日、」ヲ削ル』
  29. ^ #内令昭和17年7月(4)p.39『内令第千三百九十二號 呉鎮守府在籍 驅逐艦 霰|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 子日|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|昭和十七年七月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  30. ^ #内令昭和17年8月(2)p.40『内令第千五百三十號 驅逐隊編制中左ノ通改正セラル 昭和十七年八月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  31. ^ #内令昭和17年8月(3)pp.5-6『内令第一五五四號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十七年八月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等阿賀野型ノ項中「阿賀野」ノ下ニ「、能代、矢矧」ヲ加フ 同、航空母艦ノ項中「飛鷹」ノ下ニ「、冲鷹」ヲ加フ|驅逐艦、一等初春型ノ項中「子日、」ヲ、同白露ノ項中「山風、」ヲ、同朝潮型ノ項中「、霰」ヲ削リ、同秋月型ノ項中「新月」ノ下ニ「、若月」ヲ加フ(以下略)』
  32. ^ #内令昭和17年8月(4)pp.14-15『内令第千六百二十六號 呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 霞|驅逐艦 不知火|右特別役務驅逐艦ト定ム|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  33. ^ #内令昭和19年3月(5)p.39『内令第五百十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム|第九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「濱風」ノ下ニ「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第十八驅逐隊/薄雲、霞、不知火|第二十二驅逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル|第二十四驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  34. ^ 昭和13年3月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第149号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072073500 で閲覧可能。
  35. ^ a b 昭和14年3月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第308号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072075500 で閲覧可能。
  36. ^ a b 昭和16年9月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第716号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072082100 で閲覧可能。
  37. ^ 昭和17年8月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第910号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072086500 で閲覧可能。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070101000 『昭和11年達完/12月(1)』。
    • Ref.C12070164200 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(3)』。
    • Ref.C12070164300 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(4)』。
    • Ref.C12070164500 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月分(2)』。
    • Ref.C12070164600 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月分(3)』。
    • Ref.C12070164700 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月分(4)』。
    • Ref.C12070196900 『昭和19年1月~7月 内令/昭和19年3月(5)』。
    • Ref.C13071997700 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。
    • Ref.C13071998900 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(下)原稿:巻3追録/第16類艦船』。
    • Ref.C14120970200 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊潜水隊水雷隊掃海隊 海軍武功調査/18駆機密第17号の38 第18駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。
    • Ref.C14120979800 『支那事変 第9回功績概見表綴/支那事変第9回功績概見表/9駆機密第17号の5 第18駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。
    • Ref.C14120988600 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/18駆機密第4号の46 第18駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。
    • Ref.C08030019100 『昭和16年12月1日~昭和19年6月30日 第5艦隊戦時日誌AL作戦(2)』。
    • Ref.C08030079500 『昭和17年1月1日~昭和17年2月28日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030081500 『昭和17年5月29日~昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030081600 『昭和17年5月29日~昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030094400 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030094500 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030094600 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030094900 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030095000 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030095100 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030095200 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030040100 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(4)』。 表題は『あ号作戦』だが昭和17年6月二水戦日誌収録。
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社、1983年ISBN 4-7698-0207-2
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 綱渡りの航跡 <駆逐艦「秋月」艦長・緒方友兄大佐の証言>(1980年8月25日に行われた当時霰艦長緒方へのインタビューを掲載。のち軽巡木曾副長、駆逐艦秋月艦長等)
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書29 北東方面海軍作戦』 朝雲新聞社、1969年8月。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。

関連項目[編集]