磯風 (陽炎型駆逐艦)

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磯風
Japanese destroyer Isokaze II.jpg
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 佐世保海軍工廠
種別 駆逐艦
計画 1937年度(マル3計画
起工 1938年11月25日
進水 1939年6月19日
就役 1940年11月30日竣工
除籍 1945年5月25日
最後 1945年4月7日自沈
要目
基準排水量 2,033トン
全長 118.5m
全幅 10.8m
吃水 3.8m
ボイラー ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式衝動タービン2基2軸
52,000馬力
速力 35.0ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個
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磯風(いそかぜ)は、太平洋戦争大東亜戦争)での大日本帝国海軍駆逐艦

概略[編集]

磯風の艦名は磯風型駆逐艦磯風に続いて2代目。磯風は陽炎型駆逐艦の12番艦である。第17駆逐隊に所属して、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦第二次ソロモン海戦南太平洋海戦ガダルカナル島撤退作戦ニュージョージア島の戦いマリアナ沖海戦レイテ沖海戦など太平洋戦争中の数々の作戦や大規模海戦に参加。大和武蔵信濃金剛愛宕大鳳蒼龍といった連合艦隊主要艦艇の沈没に遭遇した[1]1945年(昭和20年)4月7日坊ノ岬沖海戦にて被弾し航行不能となった。戦闘終了後、第17駆逐隊僚艦雪風により自沈処分された。

艦歴[編集]

陽炎型駆逐艦磯風は仮称第28号艦として佐世保海軍工廠で建造がはじまった。1938年(昭和13年)11月25日起工[2]1939年(昭和14年)5月1日に磯風(イソカゼ)と命名[3]、同年6月19日進水[2]。11月30日に竣工[2]呉鎮守府[4]。陽炎型駆逐艦全19隻のうち、8番艦雪風と12番艦磯風のみ佐世保工廠で建造された[5]。磯風は陽炎型浦風谷風と共に1940年12月15日(11月15日内令第847号)に編成された第17駆逐隊に所属[6]1941年(昭和16年)6月30日に陽炎型13番艦浜風が竣工・編入される[7]。第17駆逐隊は浦風、磯風、浜風、谷風の4隻で太平洋戦争に臨んだ[8]

南雲機動部隊[編集]

開戦時の17駆(司令杉浦嘉十大佐:司令艦谷風)は、第6駆逐隊()、第21駆逐隊(初春子日初霜若葉)、第27駆逐隊(有明夕暮時雨白露)と共に第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦阿武隈)に所属。第一水雷戦隊各隊の中で阿武隈と第17駆逐隊のみ南雲機動部隊(司令長官南雲忠一中将:旗艦赤城)の護衛艦に選抜され、第二水雷戦隊所属の第18駆逐隊(不知火陽炎)及び秋雲と共に真珠湾攻撃に参加した[9]12月8日の第一次攻撃隊発艦時、南雲機動部隊は第六警戒航行序列をとっており、磯風は空母瑞鶴の後方を航行していた。その後も空母機動部隊と共にラバウル攻略、ダーウィン空襲にジャワ島攻略、セイロン沖海戦の各作戦に従事する。 1942年(昭和17年)2月8日、秋雲、陽炎、霰が警戒隊(第一水雷戦隊)指揮下を離れる[10]。2月10日、第27駆逐隊第2小隊(有明夕暮)、第4駆逐隊第2小隊(萩風舞風)が一水戦の指揮下に入り、以降南雲機動部隊と行動を共にした[11]。2月21日、1月以降南雲機動部隊として行動していた第4戦隊(摩耶高雄)・第4駆逐隊第1小隊(野分)が南方部隊に編入され、機動部隊から離れる[12]。2月22日、駆逐艦の1番2番砲塔上に農鼠色に塗った天幕を張り、さらに日の丸(国旗)を描いて敵味方識別を行うよう通達があった[13]。25日、機動部隊はスラウェシ島スターリング湾を出発、ジャワ島南方へ進出する。

3月1日、ジャワ海方面で活動中の南雲機動部隊はオランダ武装商船モッドヨカード号(8000トン級)と遭遇した[14]。磯風は不知火、有明、夕暮等と協力しモッドヨカード号を撃沈する[15]。同日、戦艦比叡や第八戦隊(利根筑摩)もアメリカ軍の駆逐艦エドサルに対して大量の弾薬を消費、赤城、蒼龍の艦載機の支援を受けてようやくエドサルを撃沈した[16]。機動部隊護衛艦達の砲撃について、大森一水戦司令官や草鹿龍之介南雲機動部隊参謀長は「射撃距離を適切とし、弾薬を節約するように」と苦言を呈している[17]。 3月6日、第二航空戦隊(司令官山口多聞少将:空母飛龍蒼龍)、第三戦隊第2小隊(榛名金剛)、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)は空母赤城以下機動部隊主隊から分離[18]、翌日、浜風、磯風が空母蒼龍、飛龍の護衛となり、榛名、金剛、谷風、浦風がクリスマス島砲撃を行った[19]。守備隊は白旗を掲げたため、同島攻略は容易と判断され[20]、のちに第十六戦隊・第四水雷戦隊による攻略作戦が実施された(日本軍のクリスマス島占領)。3月9日、二航戦・三戦隊第2小隊・17駆は主隊に合同した[21]。 3月28日午前3時過ぎ、敵掃海艇らしき艦が機動部隊に対して反航しているのが確認され、阿武隈は磯風に確認を命じた。出向いた磯風が確認したところ、それは駆逐艦秋風であった[22]。 4月4日、インド洋方面で行動中、連合国軍飛行艇が南雲機動部隊に触接したため零戦隊がこれを撃墜、磯風は搭乗員6名を救助する[23]。勝ち戦なので余裕があり、また磯風初の捕虜ということで待遇を良くして豪華な食事を出していた[24]。それから捕虜は空母赤城に移送されたが、のちに同艦砲術長から「磯風で甘やかしたから(赤城でも)捕虜が贅沢を云って困る」と苦情を言われたという[24]

1942年4月の第十戦隊(旗艦:軽巡洋艦長良)新設に伴い磯風以下17駆各艦もこれに所属し、引き続き南雲機動部隊を護衛した[25]。4月16日、磯風は補給部隊(東栄丸、日本丸、国洋丸、神国丸)の護衛艦として機動部隊主隊と分離、呉へ向かった[26]。4月20日、兵力部署の改定が正式に下令されて第17駆逐隊は第一水雷戦隊(阿武隈)の指揮下を離れることになり[27]、大森一水戦司令官は各所属部隊・各艦に対し惜別と感謝の言葉を送った[28]。これを受けて17駆司令北村昌幸大佐も阿武隈に答礼している[29]

6月上旬、第17駆逐隊はミッドウェー作戦に参加。6月5日のミッドウェー海戦ではアメリカ軍機動部隊艦載機SBDドーントレスの空襲を受け、至近弾で一時的に航行不能になるも復旧に成功[30]。一方で速力低下を起こしたため水雷戦隊に随伴できず、被弾炎上する第二航空戦隊の空母蒼龍の救援を命じられた[31]。蒼龍が沈没すると、磯風は浜風と共に蒼龍乗組員を救助した[32][33]。なお重巡筑摩が蒼龍救援のため残置した短艇乗組員も磯風が回収している(カッターは放棄)[34]。戦闘後、磯風は蒼龍の救助者を千歳型水上機母艦千代田に引き渡した。この戦闘で磯風、谷風、荒潮は入渠修理を要する被害を受けた[35]

ガダルカナル島を巡る戦い[編集]

1942年(昭和17年)7月14日、艦隊の再編により第10戦隊(旗艦長良、第4駆逐隊、第10駆逐隊、第16駆逐隊、第17駆逐隊)は第三艦隊(司令長官南雲忠一中将)に所属することになった[36]。8月5日、第17駆逐隊は第八艦隊(外南洋部隊)に編入された[37]。8月7日、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸してガダルカナル島の戦いがはじまるとソロモン方面へ進出し、ガ島輸送(鼠輸送)に従事する。日本軍はガダルカナル島へ派遣する一木支隊を二梯団に分割し、先遣隊900名を有賀幸作第4駆逐隊司令指揮下の陽炎型6隻(嵐、萩風、陽炎、谷風、浦風、浜風)がガ島へ輸送した[38]。8月19日、キ号作戦支援のため磯風は重巡洋艦鳥海(第八艦隊旗艦)に従いラバウルを出港する[39][40]。23日、鳥海、衣笠と共にショートランド泊地に到着、その後、鳥海は衣笠、夕凪と共に同泊地を出発し磯風は残置された[41]。24日、ショートランド泊地に停泊していた第30駆逐隊・磯風、江風は、先行した陽炎と合流した上で、ガダルカナル島のアメリカ軍基地砲撃と同島周辺の米艦隊攻撃、ガ島へ向かう一木支隊第二梯団の護衛を命じられる[42]。日の出前、睦月、江風、弥生、陽炎はガ島砲撃に成功する[43]。磯風はアメリカ軍潜水艦と交戦したため、陸上砲撃には加わっていないとされる[44]。同日、第二次ソロモン海戦で日本軍は空母龍驤を喪失し、基地航空隊の航空攻撃も戦果をあげられず敗北した。

8月25日午前5時40分、睦月、江風、磯風、陽炎、弥生の順で航行する小艦隊はガダルカナル島へ向かう第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)神通指揮下の一木支隊第二梯団輸送船団と合流する[45]。直後の午前6時からアメリカ軍機による空襲を受け旗艦神通が中破(田中司令官は旗艦を陽炎に変更[46])、駆逐艦睦月特設巡洋艦金龍丸が沈没する[47]。これによりガ島上陸作戦は中止された[48]。神通と涼風はトラック泊地へ撤退した。弥生哨戒艇1号(旧島風)哨戒艇2号(旧灘風)が沈没艦生存者を乗せてラバウルへ向かう[49]。26日夕刻、田中司令官は「磯風」艦長に船団の指揮を委任すると、燃料不足の陽炎、海風と共にショートランド泊地へ先行し、磯風は江風、哨戒艇2隻、輸送船2隻(大福丸、ぼすとん丸)をショートランド泊地に送り届けた[50]。その後、第11航空艦隊の命令により同泊地にて海風、磯風は兵員約400名と1300名分の補給品を搭載する[51]。27日、約450名の陸兵が分乗した磯風と第24駆逐隊はショートランドを出港、第20駆逐隊と合同してガ島上陸を企図するが、アメリカ軍機の襲撃により駆逐艦朝霧が沈没、白雲が大破(天霧に曳航され退避)、夕霧天霧も損傷という損害を出してショートランドへ撤退した[52]。30日、駆逐艦夕立とガ島陸兵輸送任務を交代し、磯風に乗船していた一木支隊約130名は夕立に移乗して出港した[53]。だが、磯風以下の駆逐艦群は陸海軍の命令系統の混乱にふりまわされて出撃できなかった[54]。なお、夕立は31日に陸軍兵のガ島上陸を成功させ、アメリカ軍機の空襲を排除して帰投している[55]。同日、ショートランドに軽巡洋艦川内と第24駆逐隊、第17駆逐隊(浦風、谷風)が到着した[56]。第17駆逐隊各艦は水上機母艦日進、千歳、軽巡川内、由良、他駆逐隊隊と共同してガダルカナル島への強行輸送作戦(鼠輸送)に従事した[57]

ガ島を巡る戦いが始まった頃、日本軍はニューギニア島南岸の都市ポートモレスビー攻略を目指して陸路からのポートモレスビー作戦を実施中であった。8月下旬には、ミルン湾ラビ海軍陸戦隊が上陸した。連合軍飛行場の占領が主目的であった。8月24日と28日の揚陸作戦には、磯風以外の17駆3隻(浦風、谷風、浜風)が第18戦隊(天龍龍田)指揮下で参加している[58]。その後も浜風が常に同方面にあって、駆逐艦嵐や第30駆逐隊と共に兵員・物資輸送、対地支援砲撃、撤収作戦などに従事した[59]。だが揚陸後の海軍陸戦隊は連合軍の反撃により大損害を受け、継戦能力を喪失する。第八艦隊は9月5日までに部隊を撤退させた[60]。 9月10日、大発動艇を破壊されて移動手段をなくし取り残されていた佐世保第五特別陸戦隊を撤収させるため、磯風は第30駆逐隊の指揮下に入ると駆逐艦弥生と共にラバウルを出港する[61]。9月11日、 B-17B-25約10機による空襲を受け16時15分に弥生は撃沈されてしまった[62]。磯風は回避行動を取ったため弥生乗組員の救助が出来ず、陸戦隊救援作戦も中止してラバウルへ避退した[63]。天龍、浜風による捜索も失敗[64]。9月21日、磯風は望月と共にラバウルを出撃、翌日友軍と協力して弥生のカッターボートを発見し10名を救助した[65]。その日のノルマンビー島救出作戦は失敗した[66]。25日に望月を率いて再出撃、ノルマンビー島に上陸していた弥生乗組員83名を救助する(磯風乗組員の回想では、磯風に57名収容[67][68]。同日、第17駆逐隊は外南洋部隊から除かれた[69]。磯風は9月28日をもって第18戦隊の指揮下を離れた[70]

10月13日、第17駆逐隊は機動部隊前衛(前進部隊)に編入された[71]。10下旬には南太平洋海戦に参加。25日夜半、第七戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦鈴谷)前方を航行していた磯風はアメリカ軍飛行艇から夜間雷撃を受けるも、被害はなかった[72]。26日、南雲機動部隊とアメリカ軍機動部隊は互いに攻撃隊を送り込み、日本軍は翔鶴(大破)、瑞鳳(中破)、筑摩(大破)、熊野(至近弾小破)が損傷、アメリカ軍はエンタープライズ(中破)、ホーネット(航行不能)、サウスダコタ(小破)等が損傷、アメリカ軍機動部隊は敗走を開始した[73]。 戦闘後、第17駆逐隊(浦風、谷風、浜風、磯風)・第4駆逐隊・駆逐艦秋月、秋雲は翔鶴、瑞鳳、熊野、筑摩の内地回航護衛を命ぜられ、11月2日にトラックを出港[74]。熊野、筑摩、谷風、浦風は途中で分離して呉に向かった[75]。磯風、浜風は瑞鳳指揮下の元、佐世保に入港した。27日、第17駆逐隊第2小隊(磯風、浜風)は第五戦隊(司令官大森仙太郎少将:妙高羽黒)の指揮下に入り、横須賀へ向かう[76]。 11月29日到着後は海軍陸戦隊、陸軍第六飛行師団要員、軍需物資を積載[77]。30日に横須賀を出港してトラック泊地へ向かった[78][79]。12月4日、磯風、浜風は前進部隊に編入される[80]。連合艦隊よりラバウルへ向かうよう命令された[81]。5日、トラック泊地着後すぐにラバウルへ向かい8日早朝着[82]。物資揚陸後トラックへ向かい、10日到着をもって磯風、浜風は第五戦隊の指揮下を離れた[83]

昭和十八年[編集]

1943年(昭和18年)、再度ソロモン/ガダルカナル方面へ進出した磯風は駆逐艦による輸送作戦(鼠輸送)に従事、ソロモン海を奔走することになった[84]。1月5日、舞風、谷風、浦風、浜風および輸送船5隻とブナ輸送任務を実施[85]。10日、米潜水艦アルゴノート (USS Argonaut, SM-1/SF-7/SS-166/APS-1) を舞風、浜風、陸上基地航空隊と共同で撃沈したとされる。14-15日、駆逐艦秋月時津風黒潮、谷風、浦風、浜風、舞風と共にガ島輸送に成功[86]。同日、米潜水艦と交戦、撃沈を報告している[87][33]。23日、舞風とレカタ輸送任務を実施する[88]。26日、舞風、喜山丸とコロンバンガラ輸送任務を実施[89]。同時期、日本海軍はレンネル島沖海戦で米戦艦2隻・巡洋艦3隻を撃沈してアメリカ軍の行動を一時封止したと判断(実際は重巡洋艦1隻沈没、駆逐艦1隻大破)。劣勢に追い込まれていたガダルカナル島からの撤退作戦ケ号作戦を発動する[90]。第17駆逐隊の4隻も同作戦に従事した。

磯風は三次にわたるガ島撤収作戦の総てに投入された。第二次撤収作戦時には、救助され磯風に乗艦したばかりの百武晴吉司令官を、磯風乗組員がビンタするという珍事も起きた[91]。17駆の救助人数は、第一次撤収作戦(谷風408名、浦風771名、浜風807名、磯風1075名)[92]、第二次撤収作戦(谷風が208名、浦風が790名、浜風が634名、磯風が1174名)[93]、合計5876名と記録されている[94]。第三次撤収作戦中の2月7日午後4時前後、アメリカ軍機の空襲を受けて損傷する[95]。爆弾2発が1番砲塔前後に命中し艦首部分を損傷、大火災が発生し舵も故障した[96]。スクリューが出るほどの浸水被害が生じた[97]。駆逐艦長月[98]時津風が曳航しようとしたが断り、17ノットで戦場を離脱した[97][99]駆逐艦江風に曳航されたという証言もある。この被弾で24名が戦死、7名が負傷した[100]。共にケ号作戦に参加した五月雨からは、磯風の一番砲塔下の船体が大きく損傷し、右から左へ筒抜けになっている光景が見られた[101]

ショートランド泊地に到着すると救難船長浦丸の支援により応急修理を実施、11日にラバウルへ回航すると工作艦山彦丸により一番砲塔を撤去・船体補強を行う[102]。トラック泊地へ移動後、3月22日に出発、3月29日に呉へ到着した[103]。この時呉鎮守府司令長官南雲忠一中将が大破した磯風を視察し「これほど損傷した艦をよく連れ帰ってくれた」と乗組員を賞賛した[104]。南雲中将は乗組員に、山口県湯田温泉への慰安旅行を贈っている[105][106]。磯風は7月まで呉工廠で修理に従事する。この間、着任したばかりの横暴な士官に対する下士官兵全員が参加した殴打事件があった。艦長は熟慮した結果、兵の士気を考慮して兵の反乱で負傷した士官を退艦させている[107]

7月上旬に修理が完了、7月8日、磯風は第八戦隊(利根筑摩)、航空巡洋艦最上、軽巡洋艦大淀、第10戦隊旗艦阿賀野、同戦隊第4駆逐隊(萩風)・第61駆逐隊(涼月初月)(一部著作では空母翔鶴瑞鶴を含む[108])と共に、陸軍南海第四守備隊と軍需物資を各艦に便乗させ、呉を出発する[109]。トラック泊地(停泊15-19日)を経由して21日にラバウル到着[110]。艦隊の再編が行われ、第十戦隊旗艦を軽巡阿賀野から駆逐艦萩風に一時変更、乙部隊(水上機母艦日進、萩風、嵐、磯風)はブーゲンビル島ブインへの、61駆逐隊(涼月、初月)はブカへの輸送作戦に従事することになった[110]。利根から嵐に、筑摩から萩風に、大淀から磯風に、それぞれ燃料補給が行われた後、乙部隊はラバウルを出撃する[111]。ショートランド北口オバウ島北方20浬付近を航行中の22日13時45分、中央日進、日進の右前方3kmに萩風、同艦左前方3kmに嵐、同艦後方3kmに磯風という対潜水艦警戒陣形で進む乙部隊は[112]、雲間より出現したB-17爆撃機とアメリカ軍急降下爆撃機の空襲を受ける[113]。零戦は16機が配備されていたが、アメリカ軍戦闘機30機以上・爆撃機46機の前に為す術もなかった[114]。水上機母艦日進は爆弾6発の命中により14時3分に沈没[115]。第七戦隊整備員35名と陸軍兵を含め約1100名が戦死した[110]。磯風達は生存者の救出にあたるが、16時30分前後にふたたびB-17が襲来したため救助作業は中止され、本来の目的であるブインへの輸送作戦を遂行する[116]。18時-20時にかけて人員746名と軍需品の揚陸を行うと日進の沈没地点に戻り救助を行うが、22時55分にアメリカ軍機襲来により断念された[117]。23日、萩風、嵐、磯風はラバウルに帰着した[110]。貴重な高速大型輸送艦日進の沈没は、1943年3月初頭ニューギニア島ラエに向かう増援部隊がダンピール海峡で全滅したビスマルク海海戦の再現になってしまった[118]。その後、第4駆逐隊と分離してトラック泊地に戻っていた磯風は、8月6日に再びトラックを出発[110]。第五戦隊、第61駆逐隊(涼月、初月)と共に南海第四守備隊第三次部隊をラバウルへ進出させた[110]。8月8日にラバウル着後、トラックへ戻る第五戦隊・61駆と分離、磯風は南東方面部隊に編入された[119]

アメリカ軍が制空権も制海権も掌握しつつある中、磯風は南東方面部隊に編入されソロモン諸島海域で活動を続けた。8月17日、駆逐艦(第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐座乗)、浜風、時雨と共に第一次ベララベラ海戦を戦う。8月25日以降、浜風、磯風、時雨はレカタ基地撤収任務に従事[120]。撤退作戦は成功したが、空襲により浜風は損傷、内地に回航された[121]。9月28日、コロンバンガラ島からの撤退作戦「セ号作戦」第一回撤退作戦に参加、磯風、時雨、五月雨は第一夜襲隊を編成して撤退作戦を掩護した[122]。10月1日、磯風、時雨、五月雨、望月は第二回撤退作戦に参加、アメリカ軍駆逐艦隊と交戦し、戦果はなかったものの撤退作戦は無事に完了した[123]。一連の撤退作戦で1万2000名がコロンバンガラ島からの脱出に成功した[124]。5-6日、ベララベラ島からの撤退作戦に従事。その最中に生起した第二次ベララベラ海戦に駆逐艦秋雲(三水戦司令官伊集院松治大佐座乗)、風雲夕雲、五月雨、時雨と共に参加。「巡洋艦または大型駆逐艦2隻撃沈、駆逐艦3隻撃沈」という報告とは裏腹に、実際のアメリカ軍損害は駆逐艦1隻沈没、駆逐艦2隻大破、日本軍は駆逐艦夕雲の喪失であったが、ベララベラ島からの日本軍撤退は成功した[125]

10月30日、浦風、磯風はトラックにて第十四戦隊司令官伊藤賢三少将の指揮下に入り[126]、第十四戦隊(那珂五十鈴)、軽巡2隻(多摩木曾)、第4駆逐隊(野分舞風山雲)と共に、カビエンに向かうT四號輸送部隊(陸軍第17師団)の輸送船栗田丸(10月22日沈没)、日威丸、日枝丸、護国丸、清澄丸、神風丸を護衛する事になった[127][128]。輸送任務は三次にわけて行われ、第十四戦隊、第17駆逐隊(浦風、磯風)、清澄丸、護国丸は第二次輸送任務を担当した[127]。11月1日、駆逐艦の駆逐艦長だった前田実穂少佐が着任する[129]。当初は部下に厳しく接したため敬遠されたが、操艦の妙を発揮して、乗組員の信頼を集めた[130]。同日、第二輸送隊はトラックを出港した[131]。 11月3日、アメリカ軍B-24爆撃機の空襲により那珂が戦死7名重傷者20名という損害を出す一方、特設巡洋艦清澄丸は被弾浸水して航行不能となる[127][132]。同船の曳航を五十鈴が行い、那珂、磯風および途中合流した水無月はその護衛にあたった[133]。浦風、護国丸は先行してラバウルに向かった[134]。11月4日、カビエンに到着[135]。ラバウルより到着した軽巡洋艦夕張をふくめ、各艦は清澄丸より物資人員を転載した[127]。磯風は兵員236名、山砲2門等を受け入れた[136]。14時18分、五十鈴は機雷に触れるが損害は軽微[127]。出港時の16時29分、磯風は左舷後部に触雷し小破[137]、同乗していた陸軍兵あわせて63名の負傷者を出す[138]。このため磯風はカビエンに残置された[127]。同日附をもって17駆(磯風、浦風)は南東方面部隊に編入される[139]。トラック泊地の工作艦明石に接舷して応急修理をしたのち、駆逐艦白露と共に内地へ向かい11月18日呉に到着、工廠で修理することになった。12月28日、修理完成。

昭和十九年[編集]

磯風から撮影された武蔵沈没直前の写真

1944年(昭和19年)1月12日、南方に進出。ブラウンへの輸送に従事した後、26日トラック移動。その後、敷島部隊(第二戦隊《長門、扶桑》、第七戦隊《熊野、鈴谷、利根》、第十戦隊「秋月」・第17駆逐隊《第1小隊:浜風、谷風、第2小隊:浦風、磯風》)として2月1日にトラック泊地を出発、リンガ泊地へ進出した[140][141]。3月中旬、パラオへの船団護衛についた。29日、磯風、浦風はパラオ大空襲から退避する大和型戦艦武蔵(連合艦隊旗艦)の護衛を行うが、米潜水艦タニー (USS Tunny, SS/SSG/APSS/LPSS-282)から武蔵への雷撃を許し、魚雷1本が命中した武蔵は小破した[142]。武蔵は本土に回航され、磯風は第一遊撃部隊の護衛部隊に加わる。31日、第17駆逐隊に雪風が編入され、同隊は不知火型5隻(磯風、浦風、谷風、浜風、雪風)となった[143]。磯風は第17駆逐隊司令艦に指定されていた[144]。同日、二式飛行艇で退避しようとした古賀峯一連合艦隊司令長官等が殉職した(海軍乙事件)。 5月19日にタウイタウイに進出。6月9日、駆逐艦磯風、島風早霜、谷風は対潜掃討任務に従事する[145]。午後10時、米潜水艦ハーダー(USS Harder, SS-257)の雷撃により僚艦の谷風が目前で撃沈された[146]。14日、谷風負傷者を乗せバコロドに入港する[145]。6月19-20日のマリアナ沖海戦には小沢機動部隊・甲部隊に属し、空母大鳳の直衛で参加した[145]。19日、米潜水艦アルバコア(USS Albacore, SS-218)の攻撃による大鳳の被雷と爆発、沈没の一部始終を目撃し乗員を救助している[147]。大鳳戦死者の水葬に用いる軍艦旗が足らなくなり、毛布で代用したという[148]。同日、空母翔鶴も米潜水艦カヴァラ(USS Cavalla, SS-244)の雷撃で沈没し、第一航空戦隊の残存空母は瑞鶴だけになった。翌20日、瑞鶴の直衛として輪形陣右側に配置され、第五戦隊や第十戦隊各艦と共にアメリカ軍機と交戦する[149]。戦闘後、磯風は燃料不足のため艦隊から分離し単艦で沖縄中城湾へ向かった[145]。6月24日、内地に到着する[150]

7月8日、陸軍部隊と軍需品輸送のため、遊撃部隊乙部隊として長門、金剛、最上、矢矧、浜風、若月、霜月と呉を出発、沖縄(10-12日)やマニラ(14-17日)に立ち寄りつつ、20日にリンガ泊地へ到着した[151]。8月3日、座礁した駆逐艦敷波の救難作業を矢矧と共に行った[152]。対潜哨戒に従事した後、シンガポールに回航される。10日附をもって谷風が第17駆逐隊と駆逐艦籍から除籍された[153]。同日、磯風は「シミ」〇八船団を浜風と護衛しシンガポールを発ち、14日ミリ着、16-20日「ミシ」〇六船団を護衛、20日シンガポールに到着するとレーダー改装工事を受ける[154]。9月12日、矢矧、浦風、浜風、若月と共に呉に帰還[155]、19日に呉到着後は若月と分離、内地にて修理を受けていた雪風と合同した[156]。第17駆逐隊は22日より扶桑型戦艦扶桑山城の南方進出を護衛する[157]

10月8日、第17駆逐隊司令艦は磯風から浦風に変更された[158]。10月22日の捷一号作戦では栗田艦隊第一遊撃部隊(司令長官栗田健男中将)第二部隊(司令官鈴木義尾中将、旗艦金剛)に所属してレイテ沖海戦に参加した。10月23日、米潜水艦ダーターUSS Darter, SS-227)とデイス (USS Dace, SS-247)の雷撃により栗田艦隊旗艦愛宕、重巡洋艦摩耶が沈没、高雄が大破して戦線を離脱した[159]。衝撃は大きかったが、旗艦が大和に変更されたことで、むしろ艦隊決戦に向けた気運が高まったという[160]。 10月24日、栗田艦隊はシブヤン海で空襲を受けた。磯風は戦艦金剛を中心とする第二部隊輪形陣の左後方に配置され、右前方に利根榛名が位置していた[161]。この日の戦闘で、集中攻撃を受けた戦艦武蔵は艦隊から落伍した。夕刻、白石東平大尉(磯風水雷長)が沈みかけた武蔵の写真を撮っている[162]。また第17駆逐隊では浜風が被弾して速力低下を起こし、同じく被弾していた駆逐艦清霜と共に武蔵の護衛を命じられた[163]。第17駆逐隊は浜風を残して進撃を続けた。なお最終的に武蔵の沈没を目撃し、同艦乗組員の救助を行ったのはこの二艦である[164]。 翌日10月25日のサマール沖海戦では、第十戦隊旗艦矢矧に従って米護衛空母群に肉薄、17駆逐隊と野分は各艦酸素魚雷4本を発射したが、磯風のみ8本を発射する[165]。だが魚雷は遠距離発射だったため命中せず、第十戦隊は巡洋艦戦隊の砲撃による水柱や黒煙を命中と誤認して正規空母撃沈を報じたものの、実際の戦果はなかった[166]。アメリカ軍によれば、護衛空母カリニン・ベイセント・ローに迫る数本の魚雷があったものの、対空砲や艦載機の機銃掃射により命中前に爆破された[167]。戦闘後、艦隊はコロンにて燃料の不足した駆逐艦を分離したため、栗田艦隊の護衛にあたる駆逐艦は磯風と雪風の2隻だけとなった。それでも27日に燃料切れをきたし、磯風は榛名から、雪風は長門から、それぞれ燃料の曳航補給を受ける[168]。10月28日、ブルネイに帰着した。一連の戦闘で磯風乗組員1名が戦死、6名が重軽傷を負った[169]。艦に対する被害は殆どなかった[170]

11月5日、ブルネイ湾外で第二氷川丸の水路嚮導を行う[171]。7日、浜風とブルネイを出発、新南群島(南沙諸島)東方で重巡洋艦足柄と会合し、ブルネイに戻った[172]。なお11月15日附をもって第十戦隊は解隊、磯風を含めた各艦はそのまま第二水雷戦隊(司令官木村昌福少将)へ編入された[173]。16日、矢矧と17駆逐隊は日本本土へ戻る戦艦大和、長門、金剛を護衛して呉に向かうが21日、台湾沖にて米潜水艦シーライオン (USS Sealion, SS/SSP/ASSP/APSS/LPSS-315)の雷撃により、戦艦金剛と第17駆逐隊司令艦浦風が撃沈された[174]。雪風は大和、長門を護衛して先行、磯風と浜風は金剛乗組員の救助に従事したが、浦風は全乗組員が戦死した[175]。これにより駆逐隊司令艦は浜風に変更された。23日、呉入港[176]。矢矧は空母隼鷹と合同して佐世保に向かい、第17駆逐隊には戦艦長門の横須賀回航護衛任務が与えられた[177]。24日、長門、浜風、雪風と出港し、翌25日、横須賀港へ入港した[178]。28日、第17駆逐隊は大和型戦艦3番艦を改造した空母信濃を護衛して横須賀を出港し呉へ向かった。

11月29日、米潜水艦アーチャーフィッシュ (USS Archer-fish, SS/AGSS-311) の雷撃で信濃が沈没、磯風、浜風、雪風は信濃の生存者の救助に当たった[179]

12月16日、新谷喜一大佐が第17駆逐隊新司令として着任、司令艦は雪風に変更された[180]。19日、連合艦隊電令576号により第17駆逐隊(雪風、浜風、磯風)は空母龍鳳指揮下に入り、台湾方面への輸送作戦が命じられる[181]。この輸送船団は『ヒ87船団』と命名されていた[182]。29日、播磨灘で爆雷投下訓練を行い正月用のを調達するが、浮かび上がった鯛に転覆した信濃を思い出す乗組員もいたという[183]。また空母雲龍の沈没後、佐世保で修理に従事していた第21駆逐隊時雨もヒ87船団護衛に加わる[184]。30日、雪風は機関故障により船団護衛に従事できず呉に引き返し、司令艦は浜風に変更された[185][186]。31日午前5時30分、ヒ87船団は門司の六連泊地を出港した[187]。 年が明けて1945年(昭和20年)1月7日、台湾近海でタンカー宗像丸が米潜水艦ピクーダ (USS Picuda, SS-382)の雷撃により損傷、空母龍鳳は浜風、磯風、時雨に護衛されて基隆に寄港し、それを見届けて3隻はヒ87船団護衛任務に戻った[188]1月8日、浜風は輸送船海邦丸と衝突して浸水[189]、さらに翌日には座礁してしまう[190]。護衛任務続行不能により、1月8日をもって磯風は第17駆逐隊司令艦となった[191][192]。1月9日、台湾高雄市に到着[193]。一方、浜風は修理のため馬公市にとどまった。12日、龍鳳、磯風、御蔵はタモ35船団の護衛として基隆を出港[194]。17日、龍鳳と分離すると[195]、18日に呉へ帰還した[196]。なお、高雄市で磯風と分離したのち引き続きヒ87A船団を護衛していた時雨も24日、マレー半島東岸で米潜水艦ブラックフィンSS-322)の雷撃で撃沈された。

以後、磯風は船体の補修や整備に従事した。2月15日、徳山沖で特攻兵器回天震洋の訓練に携わり[197]、3月5日、土佐沖で第一機動基地航空隊と対空訓練を行った。19日の呉軍港空襲では軽巡洋艦大淀の隣に繋留され、ほとんど動けなかったが被害はなかった[198]。26日、天一号作戦発動(GF電令作第582号)[199]。28日、呉を出港し広島湾兜島南方に第二水雷戦隊各艦と集結する。燃料弾薬は待機する駆逐艦から補給し、93式魚雷16本を積載した[200]。磯風の煙突には白ペンキで菊水マークが描かれた[201]。「磯風」には新谷大佐以下第17駆逐隊司令部が乗艦していた[202]

沈没[編集]

矢矧と磯風

4月6日、磯風は第二艦隊旗艦大和を護衛し徳山を出港、夜間には陣形訓練と大和を目標とした襲撃訓練を行う[203]。翌7日、坊ノ岬沖海戦に参戦する。空襲序盤、17駆僚艦浜風轟沈した。その後、航行不能となった第二水雷戦隊旗艦矢矧から『第二水雷戦隊司令官(古村啓蔵少将)移乗のため横付けせよ』との命令があり、空襲のタイミングを見計らって矢矧に接近した[204][205]。矢矧に横付けし、舫索を結ぶ[206]。直後、アメリカ軍機の襲撃を受けた。磯風は速度を落としていたため完全に回避できず、13時56分、右舷後部への至近弾により機械室に浸水、さらに機銃掃射で多数の死傷者を出した[207]。15時25分には速力12ノットで北方退避中を報告したものの[208]、浸水が進み、乗員の修理も成功せず、やがて航行不能となった磯風は漂流した[209]。駆逐艦初霜に救助されていた古村少将は佐世保への帰投を急ぐため損傷艦の曳航を認めず、磯風の処分を決定する[210]。19時25分には雪風による曳航準備(速力9ノット予定)が進められていたが、潜水艦の襲撃や翌日のアメリカ軍艦載機による空襲を懸念する古村少将は再度雪風による磯風の処分を命じた[211]。こうして磯風乗組員は「雪風」に移動[212]。第17駆逐隊司令艦も雪風に変更された[213]。大和沈没から8時間の22時30分、雪風が雷撃で磯風を処分しようとしたが魚雷は艦底を通過、最終的に砲撃処分となり22時40分、搭載魚雷の誘爆により磯風は沈没した[214]。戦死20名、負傷者54名[215]。生存者326名[216]。沈没位置(北緯30度46分05秒 東経128度09分02秒 / 北緯30.76806度 東経128.15056度 / 30.76806; 128.15056[217]

駆逐艦磯風は5月25日附で 第17駆逐隊[218] 帝国駆逐艦籍[219]、 不知火型駆逐艦[220]のそれぞれから除籍された。「磯風」「浜風」沈没後の第17駆逐隊には初霜が編入されていたが[221]、7月30日に機雷と接触して沈没した。8月15日玉音放送終戦の日)。同日附で第17駆逐隊は解隊され、雪風は第41駆逐隊に編入された[222]

磯風は連合艦隊の栄光から終焉、さらに大和型戦艦姉妹の最後を見届けた歴戦の艦だった[1]。 元磯風の乗組員であった井上理二(昭19年1月、磯風に配属)は、自著『駆逐艦磯風と三人の特年兵』において磯風が最高武勲艦であると記している[223]

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 杉岡幸七 少佐:1940年8月15日[224] - 1940年11月1日[225]
駆逐艦長
  1. 杉岡幸七 少佐/中佐:1940年11月1日[225] - 1940年11月15日[226]
  2. 白濱政七 中佐:1940年11月15日[226] - 1941年2月25日[227]
  3. 磯久研磨 中佐:1941年2月25日[227] - 1941年9月10日[228]
  4. 豊嶋俊一 中佐:1941年9月10日[228] - 1942年11月22日[229]
  5. 神浦純也 少佐/中佐:1942年11月22日[229] - 1943年11月1日[230]
  6. 前田實穂 少佐/中佐:1943年11月1日[230] - 1945年4月15日[231]

公試成績[編集]

時期 排水量 出力 速力 実施日 実施場所 備考
新造時 2,530t 52,390shp 34.58kt 1940年(昭和15年)11月22日[5] 佐世保沖 10/10全力
新造時 34.9kt 過負荷全力

磯風のプラスチックモデルキット[編集]

2007/10/25発売。
  • 1/350 日本海軍 甲型駆逐艦 磯風 `スーパーディテール` (ハセガワ)
2008年8月下旬発売。フルハルモデル。竣工時(1940年)、第一次改装後(1943年)、天一号作戦(1945年4月)を選択できる。
  • 1/700ウォーターラインシリーズNo.448「日本海軍 駆逐艦 磯風(1945)」 (青島文化教材社)
ウォーターラインシリーズ。

関連項目[編集]

亡国のイージス - はたかぜ型護衛艦の3番艦「いそかぜ」という架空の護衛艦が物語の舞台として登場し、反乱を阻止しようとする護衛艦「うらかぜ」(同じく架空艦)を攻撃する。映画版ではこんごう型護衛艦みょうこう」が「いそかぜ」を、むらさめ型護衛艦いかづち」が「うらかぜ」を演じた。

脚注[編集]

  1. ^ a b #駆逐艦磯風と三人の特年兵86-89頁
  2. ^ a b c #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『艦名:磯風|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:佐世保工廠|起工年月日13-11-25|進水年月日14-6-19|竣工年月日15-11-30|(兵装略)』
  3. ^ #5月(昭和14年達完)p.1『達第六十五號 艦艇建造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻及潜水艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年五月一日 海軍大臣米内光政|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 磯風(イソカゼ)
  4. ^ #艦艇特務艦艇籍一覧表p.2
  5. ^ a b #日本海軍艦艇写真集17駆逐艦110頁
  6. ^ #編制(昭和15年12月25日現在)p.1
  7. ^ #日本海軍艦艇写真集17駆逐艦112頁
  8. ^ #編制(昭和16年12月31日現在)p.2
  9. ^ #戦隊行動調書p.33
  10. ^ #S1701一水戦日誌(2)pp.7-8『2月8日 警戒隊(秋雲陽炎霞欠)ハ南方部隊ニ、秋雲、陽炎、霰ハ連合艦隊附属ニ夫々編入セラル 警戒隊(浜風欠)パラオ着』
  11. ^ #S1701一水戦日誌(3)pp.1-2『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
  12. ^ #S1701一水戦日誌(3)p.16『2月21日 摩耶、高雄、第四駆逐隊1小隊ヲ母艦航空部隊ヨリ除キ南方部隊本隊ニ編入セラル』
  13. ^ #S1701一水戦日誌(2)p.71『22日警戒隊指揮官0930/各艦ハ左ニ依リ戦時日本船舶味方識別信号既定第五條ニ依ル国旗識別標識ヲ準備シオクベシ|一.阿武隈 前艦橋天蓋上及後甲板|二.駆逐艦 1.2番砲塔天蓋上(天幕ヲ濃鼠色ニ塗装ノ上国旗ヲ画ク 右天幕ハ常時塗装シ置クコトヲ得』
  14. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦495頁
  15. ^ #S1703一水戦日誌(1)p.5『3月1日第18駆逐隊1小隊、第27駆逐隊2小隊及磯風「ジャバ」南方海面ニ於テ蘭国武装商船(モッドヨカード號)ヲ砲撃撃沈ス』
  16. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦497頁『対「エドソール」(米駆)合戦図機動部隊支援隊』
  17. ^ #S1703一水戦日誌(1)p.15『1日警戒隊指揮官/先ノ商船ニ対スル砲戦ニ於テ弾薬ノ消耗著シク大ナルモノ又射距離過大ナルモノアリ、目標ト状況トニ応ジ艦長ハ砲戦指揮上特ニ考慮ヲ要ス』-p.16『2日機動部隊参謀長→2日1730各駆逐艦司令/今後相当ノ強敵ニ遭遇スル算多ク且ツ弾薬ノ補充困難ナル現状ニ鑑ミ会敵ニ際シテハ適時射的ノ短縮砲火ノ管制等ニ依リ極力射撃効果ノ発揚並ニ弾薬ノ節約ヲ計ラレタシ』
  18. ^ #S1703一水戦日誌(1)p.6『3月6日第17駆逐隊別働隊トシテ第二航空戦隊司令官ノ指揮下ニ入リ主隊ト分離別動ス』-p.50『6日1030機動部隊第2兵力部署ニ依ル別働隊(第2航空戦隊、第3戦隊2小隊、第17駆逐隊)ハ「クーパン」ニ通ズル205度線以北ノ海面ニ於ケル残敵撃滅ノ為主隊ト分離』
  19. ^ #S1703一水戦日誌(1)p.51『3月7日 一.早朝第3戦隊第2小隊及第17駆逐隊1小隊ハ「クリスマス」島陸上施設(電信所桟橋油槽)ヲ砲撃 二.午後別動隊ハ「スンダ」海峡南方海面ニ於テ大型武装商船2隻ヲ撃沈セリ』
  20. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦511頁
  21. ^ #S1703一水戦日誌(1)pp.7,52『3月9日第17駆逐隊主隊ニ合同』
  22. ^ #S1703一水戦日誌(1)p.59『28日一.0326阿武隈ハ南緯9度47分東経112度10分ニ於テ292度方向ニ敵掃海艇ラシキモノ反航セルヲ認メ磯風ヲ派遣之ヲ確認セシム、0613磯風合同(反航掃海艇ハ秋風)』
  23. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦642頁
  24. ^ a b #駆逐艦磯風と三人の特年兵23頁『初めての捕虜』
  25. ^ #戦隊行動調書p.10
  26. ^ #S1703一水戦日誌(4)pp.5-6『4月16日磯風補給隊ノ警戒艦トシテ主隊ト分離呉ニ回航ス』-pp.53-54『1135磯風北緯9度23分東経110度14分ニ於テ補給隊(東栄丸、日本丸、国洋丸、神国丸)ノ警戒艦トシテ主隊ト分離呉ニ回航ス』
  27. ^ #S1703一水戦日誌(4)p.5『4月20日対米作戦第三法止メ第一期兵力部署ニ復帰セシメラル』-p.36『(一)麾下艦船部隊ノ行動(第十七駆逐隊:谷風、浦風、磯風、浜風|4月20日2200本職ノ指揮下ヲ離ル』
  28. ^ #S1703一水戦日誌(5)p.27『20日警戒隊指揮官→20日2230警戒隊/既往累次ノ作戦ニ於テ各員勇戦奮闘克ク其ノ任務ヲ全ウセルハ本職ノ欣快之ニ過グルモノナシ、今ヤ部隊編制改リ暫ク袂ヲ別ツニ際シ諸子ガ赫々タル武勲ト絶大ナル労苦ニ対シ深ク敬意ト感謝ノ意ヲ表ス。乗員一同益々健闘将来ノ栄アル武勲ト武運ノ長久ヲ祈ル』
  29. ^ #S1703一水戦日誌(5)p.28『20日第17駆司令→20日2250第一水雷戦隊司令官/長期ニ亘ル御懇切ナル御指導ヲ深謝シ司令官以下諸官ノ武運長久ヲ祈ル』
  30. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵38-39頁
  31. ^ #一航艦戦闘詳報(2)p.48
  32. ^ #一航艦戦闘詳報(1)pp.44-46
  33. ^ a b 阿部三郎『特攻大和艦隊』156頁
  34. ^ #一航艦戦闘詳報(3)p.19
  35. ^ #S1612連合艦隊(2)p.19『(一)被爆ニ因ルモノ(略)谷風、磯風、荒潮 小破航行ニ支障ナキモ入渠修理ヲ要ス(後略)』
  36. ^ #戦隊行動調書p.10『七.一四.3Fニ編入 10dg、17dg、16dg(雪風、時津風、天津風、初風)、4dg(嵐、舞風、野分、萩風)』
  37. ^ #S1709八艦隊日誌(1)p.8,45『八月五日 第十七駆逐隊 白鷹 外南洋部隊ニ編入』
  38. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵54頁
  39. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.21-22、#S1709八艦隊日誌(1)p.55『2000 鳥海 磯風ヲ率ヒ作戦地ニ向ケ「ラバウル」発』
  40. ^ #昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(1)p.34『2000 鳥海、磯風「キ」號作戦支援ノ為「ラバール」發』
  41. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.58
  42. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)559頁
  43. ^ #S1709八艦隊日誌(1)p.58、#昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(1)p.16,45『30dg(卯月、望月缺)「磯風」「江風」「陽炎」ハ八月二十四日二二〇〇「ルンガロード」ニ進入飛行場附近ヲ砲撃シタル後北方ニ退避セリ』
  44. ^ #昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(4)p.21『敵潜攻撃中ノ磯風ヲ除キ四隻ヲ以テ「ルンガロード」ニ進入(以下略)』
  45. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)586頁
  46. ^ #昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(1)pp.47-48
  47. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)587頁
  48. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)588頁
  49. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)590頁
  50. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.37-38、#昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(1)p.50
  51. ^ #ルンガ沖の閃光159頁
  52. ^ #昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(1)pp.20-21、pp.53-54
  53. ^ #夕立カ号作戦p.8、#S1708二水戦日誌(5)p.27
  54. ^ #S1708二水戦日誌(6)pp.46-47、#昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(1)pp.58-59
  55. ^ #夕立カ号作戦p.9、#S1708二水戦日誌(5)pp.34-36
  56. ^ #昭和17年8月外南洋部隊増援部隊詳報(1)p.61
  57. ^ #S1709八艦隊日誌(2)pp.13-17
  58. ^ #S1708十八戦隊日誌(8)pp.31-32『RAT攻略部隊第一次輸送(18S、17dg(磯風缺、23chg(23ch缺)、南海丸、畿内丸)行動圖 自昭和17年8月24日0700至同年8月28日0212』-『RAT攻略部隊第二次輸送(天龍、17dg(磯風缺))行動図 自昭和17年8月28日1505至同年8月30日1856』
  59. ^ #S1708十八戦隊日誌(6)p.15『(一例)9月4日/一時浜風ノ援護射撃ニ依リ沈黙セル敵ハ再ビ攻勢ニ転ジ来ル』
  60. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.18『(2)「ラビ」方面作戦/「ラビ」ニ於ケル呉三特、呉五特、横五特ハ相当ノ損害ヲ蒙リタルモ部隊ヲ集結シ再度攻撃移転ニ決ス、然レ共其ノ後ノ攻撃モ所期ノ成果ヲ挙グル事能ハズ遂ニ現地徹底ヲ下令ス9月5日ヲ以テ徹底ヲ完了セリ』
  61. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)634頁
  62. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)p.7『弥生磯風ヲ30dg司令指揮ノ下ニ1630RRヲ出撃セシメタルガ弥生11日1535及1545爆弾被害ニ依リ1615南緯10度3分東経151度27分ニテ沈没セリ』
  63. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.18『今日迄所在不明ナリシ佐五特ハ9月9日伝令ノ連絡ニ依リ「グッドイナフ」島ノ「ワッツ」岬ニ在ル事判明セリ。9月11日弥生、磯風ハ右救援ニ赴キタルモ敵機ノ襲撃ニ依リ弥生沈没シ目的ヲ達スル能ハズ、佐五特救援ハ一時延期スルノ止ムナキニ至レリ』
  64. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)p.9『天龍浜風ヲ率ヰ敵飛行機ノ来襲ヲ考慮(12日)同夜沈没地点北西方面海面及「ノルマンビー」島北東岸捜索ノ事ニ決セリ』
  65. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)p.9『21日1930RR出撃磯風望月ヲシテ救出ニ向ハシメタルガ22日天候不良ニシテ上空哨戒機ノ発進ナカリシヲ以テ順延トシ偶前日味方戦闘機ガ「スルミ」沖ニテ発見セル漂流「カッター」ガ弥生ノモノナル算アリタルヲ以テ聖川丸水偵ト協力之ガ捜索ニ向ハシメタルニ右ハ弥生「カッター」ニシテ磯風ハ1300弥生連絡員10名ヲ収容、之ガ嚮導ノ下ニ在「ノルマンビー」島弥生乗員救助ニ向ヘリ』
  66. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)636頁
  67. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵59頁
  68. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)pp.10-11『25日2100RR発再度磯風望月ヲシテ之ガ救出ニ向かハシム。経過別図第三ノ通ニシテ艦長梶本少佐以下83名ノ救出ヲ了セリ。更ニ帰途同日1000頃「ウッドラーク」島北西方海面ニテ被弾沈没セル気象観測船恭海丸乗員ヲ捜索セシメタルモ何等消息ヲ得ル能ハズ27日1700RR帰着』
  69. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.10
  70. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)pp.5-6『ロ.任務編制軍隊区分(磯風)(28日除カル)備考 磯風ハ弥生乗員救出完了迄編入』
  71. ^ #S1701八戦隊日誌(3)p.40
  72. ^ #S1709七戦隊記録綴其弐(3)p.12『25日2233/第七戦隊前方直衛駆逐艦磯風附近ニ爆弾ラシキモノヲ投下セルヲ認ム(翌日磯風ヨリノ通報ニ依リ敵飛行艇ノ雷撃ナリシコト判明)』
  73. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵63頁
  74. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.22『11月1日1717第三艦隊司令長官/一.左ノ各艦(隊)ハ左記ニ依リ内地ニ帰投修理整備作業ニ任ズベシ (1)回航地 艦名:横須賀 翔鶴、第四駆逐隊(萩風欠)、秋月 呉:熊野、筑摩、第十七駆逐隊第1小隊、秋雲 佐世保:瑞鳳、第十七駆逐隊第2小隊 (2)行動(イ)11月2日1400以後「トラック」発各回航地毎ニ先任艦長指揮シ回航スルモノトス。但シ呉佐世保ニ回航スルモノハ途中迄同一行動ヲ執リ分離時迄瑞鳳艦長指揮スベシ(以下略)』
  75. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.33『11月7日1410熊野艦長/熊野、筑摩、第十七駆逐隊(磯風、浜風欠)呉着』
  76. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.20『(佐世保)27日 1400 5S浜風、磯風ヲ率ヰ横須賀ニ向ケ発 警戒航行 20節即時待機』
  77. ^ #S1706五戦隊日誌(5)pp.9-10『(略)第八連合特別陸戦隊並ニ「カ号」作戦部隊用軍需品及陸軍第六飛行師団要員物件等輸送ノ為、5S、2d/17dgヲ率ヰ佐世保発、29日横須賀着、急速輸送物件搭載ノ上30日「トラツク」ニ向ケ横須賀ヲ出撃ス』
  78. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)223-224頁『乙一号輸送』
  79. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.21『30日1500/5S磯風浜風ヲ率ヰ「トラツク」ニ向ケ横須賀発、警戒航行』
  80. ^ #S1712五戦隊日誌(1)p.7『前進部隊指揮官4日1950/一.磯風浜風ヲ前進部隊本隊ニ編入ス(略)』
  81. ^ #S1712五戦隊日誌(1)p.7『5日0250GF長官/二.前進部隊指揮官ハ5S磯風浜風ヲシテ「ラボール」ニ回航(要スレバ「トラック」ニ於テ補給上)搭載人員、兵器物件ヲ揚陸ノ上「トラック」ニ帰投セシムベシ』
  82. ^ #S1712五戦隊日誌(1)p.4『経過/(略)12月5日「トラック」ニ入泊急速補給ノ上即日同地発。12月8日早朝「ラボール」着搭載物件ノ急速揚陸ニ従事セリ(略)』
  83. ^ #S1712五戦隊日誌(1)p.5『同日1630揚陸作業終了同地発12月10日「トラック」着 2D/17dgヲ原隊ニ復帰セシム』
  84. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵69-70頁
  85. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.30
  86. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.26
  87. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵70頁
  88. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.28
  89. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.29
  90. ^ #S1712五戦隊日誌(1)pp.15-16『1月28日「ケ」号作戦発動(中略)29日夕刻及翌30日午後ノ両回ニ亘ル攻撃ニ依リ戦艦2隻、巡洋艦3隻ヲ撃沈(「レンネル」島沖海戦)、敵ノ策動ヲ封ジタルモ「ガ」島方面ノ天候不良ニシテ航空撃滅戦ノ進捗意ノ如クナラザリシ為1月31日「ケ」号第一次作戦ヲ1日延期シ2月1日ヲ期シ決行ノ事トセラル』
  91. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵76頁。乗艦すると甲板で放心状態になる陸兵が多く、救助作業に支障が出たため、気合をいれるよう艦長命令があった。
  92. ^ #S1802第17駆日誌(1)p.11
  93. ^ #S1802第17駆日誌(1)p.17
  94. ^ #S1802第17駆日誌(1)p.55
  95. ^ #S1709八艦隊日誌(5)p.23『1600 敵機三〇来襲磯風一番砲塔ニ爆弾命中中破 江風救援ニ任ジ帰投ス』
  96. ^ #S1802第17駆日誌(1)pp.7,20
  97. ^ a b #駆逐艦磯風と三人の特年兵77-82頁
  98. ^ #S1802第17駆日誌(1)p.24『1620:長月救援ニ来リシモ自力航行可能ノ為救援ヲ止メ進撃ス』
  99. ^ #S1802第17駆日誌(1)p.24『1640:火災前部鎮火十七節(回転)ニテ帰途ニ就ク』
  100. ^ #S1802第17駆日誌(1)p.55。『我が青春の追憶』『駆逐艦磯風と3人の特年兵』によると28名戦死。
  101. ^ #須藤,五月雨177頁
  102. ^ #S1802第17駆日誌(1)p.67
  103. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)259頁『機動部隊前進部隊の一部内地回航とその整備の下令』
  104. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵84頁
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  106. ^ 阿部三郎『特攻大和艦隊』158頁
  107. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵89-112頁
  108. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)357頁『東方部隊指揮官の任務、機動部隊指揮官に継承』
  109. ^ #S1701八戦隊日誌(6)pp.18-19,31-32
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  116. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.38、#S1709日進詳報(2)p.46
  117. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.38
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  121. ^ #S1807三水戦日誌(2)p.26『1510敵大型機9機来襲約1時間半ニ渉リ之ト交戦撃退セルモ各艦燃料不足遂ニ浜風損傷(1634大型機9機ノ編隊爆撃ニヨル至近弾最大速力平水18節)ノ状況ニ鑑ミ「ブイン」回航ヲ取止メ尓後0300頃断続的ノ敵機ノ触接ヲ受ケツツ0515「ラバウル」ニ帰着』
  122. ^ #須藤,五月雨226頁
  123. ^ #須藤,五月雨230-231頁
  124. ^ #ソロモン海「セ」号作戦213頁
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  128. ^ #T四號輸送部隊pp.3,16-17
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  131. ^ #T四號輸送部隊p.18
  132. ^ #S1804十四戦隊日誌(5)pp.17-18『清澄丸至近弾ニテ機械室浸水航行不能』
  133. ^ #T四號輸送部隊p.20
  134. ^ #T四號輸送部隊p.21『四日1020 十七駆(浦風)護国丸「ラバウル」着』
  135. ^ #T四號輸送部隊p.21『四日0700 第十四戦隊、清澄丸(五十鈴曳航)、磯風、水無月「カビエン」泊地着
  136. ^ #T四號輸送部隊p.22
  137. ^ #T四號輸送部隊pp.22-23『1629 出港時磯風推進器附近ニ触雷 磯風清澄丸ハ「カビエン」ニ残シ那珂、五十鈴ノミヲ率ヒ1630「ラバウル」ニ向ケ「カビエン」発』
  138. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵123頁
  139. ^ #T四號輸送部隊p.36『11月4日1817GF電令作第786号ニ依リ17駆(浦風、磯風)ヲNTB(南東方面部隊)YBニ編入』
  140. ^ #S1812十戦隊日誌(3)p.4『(イ)當隊(秋月17dg)敷島部隊ニ編入2S7S(筑摩欠)ヲ護衛1日「トラック」発、4日「パラオ」着、16日「パラオ」発、21日「リンガ」着、櫻部隊ト合同爾後「リンガ」方面ニアリテ南西方面作戦協力並ニ訓練ニ従事ス』
  141. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)551-552頁『聯合艦隊水上部隊の西方転進準備』
  142. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵140頁
  143. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵151頁
  144. ^ #S1906十戦隊日誌p.15
  145. ^ a b c d #S1906十戦隊日誌pp.8-9
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  159. ^ #サイパン・レイテ海戦記143-148頁
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  161. ^ #サイパン・レイテ海戦記159頁
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  180. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.58、#S1911第17駆日誌(2)p.5『12月16日/2000 新司令海軍大佐新谷喜一着任(司令駆逐艦雪風)』
  181. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.47
  182. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵266頁
  183. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵267頁
  184. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.60
  185. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.61、『三.雪風蒸気管亀裂ノ為呉ニ回航 四.司令駆逐艦ヲ浜風ニ変更』
  186. ^ #S1911第17駆日誌(2)p.19
  187. ^ #S1911第17駆日誌(2)p.8
  188. ^ #S1911第17駆日誌(3)p.28、#S1911第17駆日誌(6)p.4『1月7日/三.1420 竜鳳護衛任務終了 浜風時雨ト共ニ船団ヲ進及ス』
  189. ^ #S1911第17駆日誌(3)p.31
  190. ^ #S1911二水戦日誌(2)p.41、#S1911第17駆日誌(3)p.33
  191. ^ #S1911第17駆日誌(3)p.5、#S1911第17駆日誌(6)p.5
  192. ^ #S1911二水戦日誌(2)p.27『八日九〇〇/17dg→GF、2F、2sd、龍鳳:司令駆逐艦ヲ磯風ニ変更セリ』
  193. ^ #S1911第17駆日誌(6)p.5
  194. ^ #S1911第17駆日誌(5)p.36、#S1911第17駆日誌(6)pp.6,24
  195. ^ #S1911第17駆日誌(6)pp.7,26『1月17日 三.1505 竜鳳と分離、先航ス』『竜鳳→磯風(1505):列ヲ解ケ』
  196. ^ #S1911二水戦日誌(2)p.33、#S1911第17駆日誌(4)p.18
  197. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵276-82頁
  198. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵293頁
  199. ^ #S1911第17駆日誌(8)p.21
  200. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵312頁
  201. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵302頁
  202. ^ #S1911第17駆日誌(9)p.20
  203. ^ #S1911第17駆日誌(9)p.9
  204. ^ 『我が青春の追憶』の記述による。『駆逐艦磯風と3人の特年兵』324頁にも同等記述あり
  205. ^ #S2004二水戦詳報(2)p.39
  206. ^ 阿部三郎『特攻大和艦隊』168頁
  207. ^ #駆逐艦磯風と三人の特年兵324頁、#S2004二水戦詳報(2)p.42
  208. ^ #S2004二水戦詳報(2)p.46、#昭和19年11月第17駆日誌(9)p.32『071500/磯風 機関室浸水出シ得ル速力12節 電気関係全部破損 傾斜15度次第ニ増大シツツアリ 一先ヅ北方ニ避退ス』
  209. ^ 阿部三郎『特攻大和艦隊』169頁
  210. ^ #S2004二水戦詳報(2)pp.49-50
  211. ^ #S2004二水戦詳報(2)pp.51-52
  212. ^ #昭和19年11月第17駆日誌(9)p.33、#駆逐艦磯風と三人の特年兵333頁
  213. ^ #昭和19年11月第17駆日誌(9)p.12
  214. ^ 阿部三郎『特攻大和艦隊』170頁
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  219. ^ #内令昭和20年5月(4)p.48『内令第四七〇號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 磯風 右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)』
  220. ^ #内令昭和20年6月(1)p.1『海軍公報第五〇二八號(昭和二十年六月一日海軍大臣官房)内令第四七二號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和二十年五月二十五日 驅逐艦 一等不知火型ノ項中「、磯風」ヲ削ル(以下略)』
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  222. ^ #秘海軍公報昭和20年8月(2)p.28『内令第七三四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年八月十五日海軍大臣|第十七驅逐隊ノ項ヲ削ル 第四十一驅逐隊ノ項中「夏月」ノ下ニ「、雪風」ヲ加フ』
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参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13071991800 『巻1 追録/第2類 編制(昭和15年12月25日現在 10版 内令提要追録第8号原稿)』。
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  • ミッドウェー海戦迄
    • Ref.C08030079500 『昭和17年1月1日~昭和17年2月28日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030079600 『昭和17年1月1日~昭和17年2月28日 第1水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030079700 『昭和17年1月1日~昭和17年2月28日 第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030079800 『昭和17年1月1日~昭和17年2月28日 第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030080200 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030080300 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030080400 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030080500 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030080600 『昭和17年3月1日~昭和17年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030041200 『昭和17年1月1日~昭和17年9月30日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第3戦隊(3)』。
    • Ref.C08030048200 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(1)』。
    • Ref.C08030017900 『昭和16年12月1日~昭和17年6月連合艦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030023800 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(1)』。
    • Ref.C08030023900 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(2)』。
    • Ref.C08030024000 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(3)』。
  • ガダルカナル島の戦い
    • Ref.C08030044300 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030095600 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030095700 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030095800 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030095900 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030096000 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030096100 『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(6)』。
    • Ref.C08030096400 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030096500 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030096600 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030096700 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030096800 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030096900 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030772700 『自.昭和17年8月30日~至.昭和17年9月27日 駆逐艦夕立戦闘詳報「カ号作戦」』。
    • Ref.C08030062300 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030062400 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030062500 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。
    • Ref.C08030062800 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030048400 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(3)』。
    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030022700 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030022800 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030022900 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030023000 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(6)』。
    • Ref.C08030023100 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(7)』。
    • Ref.C08030023200 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(8)』。
    • Ref.C08030768100 『昭和17年9月~昭和17年11月 第7戦隊作戦記録綴 其の2(3)』。
    • Ref.C08030768400 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030044700 『昭和17年12月1日~昭和18年11月2日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030146300 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
  • 水上機母艦「日進」救助以降
    • Ref.C08030048700 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(6)』。
    • Ref.C08030586800 『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030105800 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030105900 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030106000 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030052500 『昭和18年4月1日~昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。『昭和18年11月10日 T四號輸送部隊任務報告』
    • Ref.C08030052600 『昭和18年4月1日~昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。『自昭和18年11月1日 至昭和18年11月31日 第14戦隊戦時日誌』
  • 昭和19年初頭
    • Ref.C08030050000 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030050100 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030050200 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030050300 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030050400 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030050500 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(6)』。
  • マリアナ沖海戦
    • Ref.C08030036200 『昭和19年3月1日~昭和19年11月15日 第1機動艦隊日誌』。
    • Ref.C08030713900 『昭和19年5月20日~昭和19年6月22日 あ号作戦 第10戦隊戦闘詳報 第12号』。
    • Ref.C08030724100 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030150500 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)』。
  • レイテ沖海戦
    • Ref.C08030146400 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030146500 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030146600 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030146700 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030589300 『昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 第17駆逐隊戦闘詳報』。
    • Ref.C08030577600 『昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 軍艦矢矧捷1号作戦戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030577700 『昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 軍艦矢矧捷1号作戦戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030050800 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030050900 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030051000 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030102400 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030102500 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030102600 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030102700 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
  • 信濃沈没~ヒ87輸送船団護衛
    • Ref.C08030147000 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030147100 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030147200 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030147300 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。「第十七駆逐隊(雪風)戦時日誌 昭和20年1月」
    • Ref.C08030147400 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。「第十七駆逐隊(雪風)戦時日誌/第十七駆逐隊 浜風戦闘詳報(昭和20年1月15日馬公対空戦闘)」
    • Ref.C08030147500 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。「第十七駆逐隊(磯風)戦時日誌 昭和20年1月」
    • Ref.C08030147600 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
  • 坊ノ岬沖海戦
    • Ref.C08030147700 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。
    • Ref.C08030147800 『昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(9)』。
    • Ref.C08030103000 『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030103100 『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030103200 『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 福田幸弘 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』 時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6
  • 須藤幸助 『駆逐艦五月雨』 朝日ソノラマ、1988年1月。ISBN 4-257-17097-2
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0461-X
  • 阿部三郎『特攻大和艦隊 帝国海軍の栄光をかけた十隻の明暗』単行本(霞出版社、1994年) ISBN 4-87602-211-9  文庫版(光人社NF文庫、2005年)ISBN 4-7698-2458-6
  • 井上理二 『駆逐艦磯風と三人の特年兵』 光人社、1999年9月。ISBN 4-7698-0935-2
  • 雑誌「丸」編集部 『ハンディ判日本海軍艦艇写真集 17 駆逐艦 春雨型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』 光人社、1997年10月。ISBN 4-7698-0818-6
  • 学習研究社 『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.19 水雷戦隊Ⅱ 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡学習研究社、1998年8月。ISBN 4-05-601918-5
  • 岡田幸和、「日本駆逐艦の戦闘被害調査」、歴史群像太平洋戦史シリーズVol23『秋月型駆逐艦』学習研究社、1999年、p158-168。ISBN 4-05-602063-9
  • 種子島洋二 『ソロモン海「セ」号作戦―コロンバンガラ島奇蹟の撤収』 光人社、2003年9月。ISBN 4-7698-2394-0
  • ラッセル・クレンシャウ、岡部いさく岩重多四朗訳 『ルンガ沖の閃光 日本海軍駆逐艦部隊(対)アメリカ海軍巡洋艦部隊大日本絵画、2008年9月。ISBN 978-4-499-22973-9

外部リンク[編集]