風雲 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Kazagumo.jpg
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1940年12月23日
進水 1941年9月26日
就役 1942年3月28日竣工
その後 1944年6月8日戦没
除籍 1944年7月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

風雲(かざぐも)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦夕雲型の3番艦である[2]

艦歴[ソースを編集]

竣工まで[ソースを編集]

風雲は1939年度(マル4計画)仮称第118号艦として浦賀船渠での建造が決定、1940年(昭和15年)12月23日起工(藤永田造船所の2番艦巻雲と同日起工)[3]1941年(昭和16年)9月10日附で風雲(カザグモ)と命名[1]、同日附で夕雲型駆逐艦に登録[4]。9月26日進水[3]1942年(昭和17年)1月20日、吉田正義中佐は本艦艤装員長に任命される[5]。翌日、浦賀船渠に艤装員事務所を設置[6]3月16日浦賀船渠で夕雲型6番艦高波が進水する[7]。 27日、性能調査終了[8]。 3月28日に竣工[7][9]。艤装員事務所を撤去[10]横須賀鎮守府[11]。吉田も正式に風雲駆逐艦長(初代)となった[12]

昭和17年の戦い[ソースを編集]

風雲竣工直前の3月14日、夕雲型1番艦夕雲と夕雲型2番艦巻雲(3月14日竣工)[13]により第10駆逐隊(駆逐隊司令阿部俊雄大佐、前職第8駆逐隊司令)が編制されていた[14][15]。 風雲は3月28日の竣工と同時に横須賀鎮守府海面防備部隊直率部隊に編入され、同日附で第10駆逐隊に編入された[16][17]。阿部司令が着任するまで、吉田中佐(風雲艦長)が職務を代行する[18]。4月13日、着任した阿部司令は第10駆逐隊司令駆逐艦を本艦に指定した[19]。 4月15日、一等駆逐艦陽炎型19番艦秋雲が第10駆逐隊に編入され、定数4隻(秋雲、夕雲、巻雲、風雲)となった[20]

秋雲編入直前の4月10日、戦隊改編により第一航空艦隊(指揮官南雲忠一中将《海軍兵学校36期》)の直衛に任ずる部隊として第十戦隊(司令官木村進少将《海軍兵学校40期》)が編成され、第10駆逐隊も第十戦隊に編入された。これまでの第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将・海兵41期)に代わって南雲機動部隊の直衛に就く第十戦隊は、旗艦・軽巡長良以下[21]、第10駆逐隊《司令阿部俊雄大佐 第1小隊:(1)風雲、(2)夕雲、第2小隊:(3)巻雲、(4)秋雲》、第17駆逐隊《第1小隊:(1)谷風、(2)浦風、第2小隊:(3)浜風、(4)磯風》、第7駆逐隊《第1小隊:(1)、(2)、第2小隊:(3)》が所属していた[22]。だが第7駆逐隊は機動部隊から外されており、実際の機動部隊警戒隊(指揮官:第十戦隊司令官木村少将)は長良以下第10駆逐隊4隻、第17駆逐隊4隻、第四水雷戦隊/第4駆逐隊(司令有賀幸作大佐:第1小隊《野分》、第2小隊《萩風舞風》)という編制である[23][24]

第十戦隊は6月5日のミッドウェー海戦が初陣となったが、まず主力空母3隻(赤城加賀蒼龍)がアメリカ軍機動部隊艦載機SBD急降下爆撃機ドーントレスの空襲で被弾炎上した[25]戦闘詳報では、赤城に座乗の南雲長官・草鹿龍之介参謀長・源田実参謀、淵田美津雄赤城飛行長等の司令部人員を救助するため野分が赤城に接近したと記録[26]戦史叢書によれば、南雲司令部は野分に移乗したのち長良(第十戦隊旗艦)に送り届けられたとしている[27]。だが司令部附信号兵やカメラマンの証言によると、南雲司令部は駆逐艦を経由せず、装載艇で直接長良に移動している[28]。一方で吉田正義(当時風雲駆逐艦長)によれば、南雲長官以下司令部は赤城内火艇で風雲(第10駆逐隊司令駆逐艦)に移乗、一時同艦に将旗を掲げたのち第十戦隊旗艦長良に移動したとしている[29][30]

空母3隻被弾炎上後、第十駆逐隊は第二航空戦隊(司令官山口多聞少将)の空母飛龍の支援に従事した[31]。最終的に飛龍も被弾炎上し、風雲は飛龍の左舷にあって消火活動に協力した[31]。鎮火の見込みが立ったため加来止男飛龍艦長は風雲に離れるよう下令したが、その2時間後に誘爆が起ったという[31]。山口司令・加来艦長は総員退去を下令、2隻(風雲、巻雲)は飛龍生存者を収容した[31][32]。飛龍接舷時、過失により風雲・飛龍の接触事故がおこり、風雲はマストや測距義に損傷を受けている[33]。山口司令官、加来艦長は飛龍から脱出せず、戦死した[31]。風雲のカッターボートが飛龍右舷にいたところ上から拳銃が置ちてきたため、風雲の副長は「加来艦長はこの拳銃で自決したのでは」と語ったという[33]。 なお、飛龍は駆逐艦巻雲によって雷撃処分されたが、すぐには沈没しなかった[33]。アメリカ軍に鹵獲されるのを防ぐため、駆逐艦谷風が飛龍処分を下令され捜索に向かったが、発見できずに引き返した[34]。沈没寸前に飛龍から脱出した機関科生存者39名(4名漂流中死亡)は、のちにアメリカ軍によって救助された[31]。吉田(風雲艦長)は「飛龍を確実に処分して生存者を救助すればよかった」と回想している[31]。第十駆逐隊は6月13日にへ帰投した[35]

7月14日、臨時編成の第一航空艦隊が解散して第三艦隊が編成され、引き続き南雲忠一中将が第三艦隊司令長官、草鹿龍之介少将が参謀長となった。同時に第十戦隊から第7駆逐隊が外れ、第4駆逐隊および第16駆逐隊が編入される。第十戦隊は軽巡長良以下第4駆逐隊(嵐、野分、萩風、舞風)、第10駆逐隊(秋雲、夕雲、巻雲、風雲)、第16駆逐隊(雪風時津風天津風初風)、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)という戦力を揃えた。

ガダルカナル島の戦い[ソースを編集]

8月7日、ガダルカナル島およびフロリダ諸島にアメリカ軍が上陸してガダルカナル島の戦いが始まった。8月16日、第三艦隊は柱島泊地を出撃してトラック諸島に向かうが、アメリカ機動部隊が出現した事によりソロモン諸島東方海域に急行した[36]。8月24日の第二次ソロモン海戦でも空母の直衛を務めた。9月は秋雲とともにトラック周辺で警戒行動や対潜活動を行った[37]。10月26日の南太平洋海戦では前衛部隊に配される。前衛部隊のうち2隻(秋雲、巻雲)は前進部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)と共に敗走するアメリカ機動部隊を追撃し、漂流するアメリカの空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) を撃沈した。

南太平洋海戦の後、第十駆逐隊(夕雲、巻雲、風雲)は第二水雷戦隊田中頼三少将・海兵41期)、第七戦隊(司令官西村祥治少将・海兵39期)とともに外南洋部隊に加勢された[38]。秋雲は損傷艦(翔鶴瑞鳳筑摩熊野)や護衛の駆逐艦(秋月、第4駆逐隊、第17駆逐隊)と共に内地へ帰投している[39]。 11月3日、重巡2隻(鈴谷摩耶)、第二水雷戦隊、第10駆逐隊(夕雲、風雲)はトラック泊地を出撃、5日にショートランド諸島(ショートランド泊地)へ到着[40]。外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官の指揮下に入った[41]。第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将は外南洋増援部隊指揮官の職務を田中少将(二水戦司令官)に引き継ぎ、第三水雷戦隊各艦と共にトラック泊地へ戻った[40]

第十駆逐隊は外南洋部隊支援隊(指揮官西村祥治第七戦隊司令官)に編入されていたが、駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)に際して増援部隊(指揮官二水戦司令官)に編入された[40]。田中司令官は増援部隊の編制変更をおこない、甲増援隊(第十五駆逐隊《親潮早潮陽炎》、第二十四駆逐隊《海風江風涼風》、第三十一駆逐隊《巻波高波長波》、第十駆逐隊《夕雲、風雲》)による輸送作戦を命じた[40]。 11月6日深夜、ガダルカナル島への鼠輸送を行うため第15駆逐隊司令佐藤寅治郎大佐指揮下の甲増援隊はショートランド泊地を出撃[42]。途中でB-17 の空襲を受けたが被害はなく、深夜にガ島に到着するとタサファロング隊とエスペランス隊にわかれる[40]。エスペランス隊(夕雲、風雲)は糧食を降ろしたのち、175名の傷病兵と便乗者(戦史叢書では海軍69名・陸軍3名)を乗せて8日昼前に帰投した[43]。本作戦中、空襲を受けた駆逐艦2隻(長波、高波)に若干の損害があった[40]。また、巻雲は7日7時30分にショートランド泊地に到着、増援部隊に編入された[40]。 11月10日9時、第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐指揮下の駆逐艦5隻(夕雲、巻雲、風雲、巻波、涼風)は、第三十八師団師団長を含む陸兵600名、物資、第十一戦隊弾着観測員(飛行場砲撃時)を搭載してショートランドを出撃[44]。空襲を受けたが被害はなく、揚陸地点でアメリカ軍魚雷艇4隻と交戦しこれを撃退、揚陸に成功し、傷病者585名を収容して11日午前中に帰投した[44]

11月中旬の第三次ソロモン海戦では、外南洋部隊支援隊指揮官西村祥治第七戦隊司令官の指揮下、駆逐艦4隻(第10駆逐隊《風雲、夕雲、巻雲》、第8駆逐隊《朝潮》)で巡洋艦3隻(鈴谷摩耶天龍)を護衛[45]。本来ならば朝潮ではなく満潮が支援隊に編入されていたが、出撃前に泊地で空襲をうけ行動不能となっていた[45]。11月13日深夜から約20分間、重巡2隻(鈴谷、摩耶)はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対する対地砲撃を実施したが、決定的な損害を与えられなかった[45]。 14日午前6時頃、支援隊は外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官直率の外南洋部隊主隊(鳥海衣笠五十鈴)とニュージョージア島南方で合流し、ショートランド泊地へむかう[45][46]。だがニュージョージア諸島南方でアメリカ軍機の空襲を受け、対空戦闘により重巡衣笠が沈没(生存者は夕雲と巻雲が救助)、鳥海・摩耶・五十鈴等が損傷を受けた[45]。主隊・支援隊はショートランド泊地で急速補給をおこなったのち輸送船団(第二水雷戦隊)救援に向かうが、アメリカ艦隊と直接交戦する事はなかった[47]

第三次ソロモン海戦に勝利した連合軍は、パプアニューギニアブナに上陸作戦を敢行した(ブナとゴナの戦い[48]。 11月17日、外南洋部隊指揮官直率部隊(鳥海、夕雲、巻雲、風雲、親潮、陽炎)はラバウルに到着する[48]。第八艦隊司令部は陸上に移り[49]、4隻(鳥海、五十鈴、涼風、望月)はトラック泊地へ回航、他の巡洋艦(天龍)や駆逐艦はニューギニア方面の作戦に従事することになった[48][50]。 11月17日夜、輸送部隊は駆逐艦5隻(夕雲、巻雲、風雲、親潮、陽炎)で出撃し、バサブア(ブナ地区)へ約1000名を揚陸させた[51]。続く輸送作戦で駆逐艦海風(第24駆逐隊)が大破したため、駆逐艦4隻(春雨白露磯波)が外南洋部隊に編入され、22日にラバウルへ到着する[51]。連合軍の反撃を受けて、連合艦隊はガダルカナル島よりもニューギニア方面を重視する姿勢をとる[51]。 11月22日、輸送隊の駆逐艦4隻(巻雲、風雲、夕雲、荒潮)は陸兵800名のバサブア輸送を実施[52]。同日、外南洋部隊指揮官三川中将は新たな兵力部署を発令[52][53]。東部ニューギニア方面護衛隊(朝潮荒潮春雨白露春雨、磯波早潮、夕雲、巻雲、風雲)は、第十八戦隊司令官松山光治少将(旗艦天龍)の指揮下に入った[52]

11月28日、第10駆逐隊司令指揮下の駆逐艦4隻(夕雲、巻雲、風雲、白露)による陸兵輸送作戦を実施するが、29日昼間にB-17の空襲を受ける[54]白露大破・巻雲至近弾損傷の被害をうけ、輸送作戦は中止された[54]。12月8日、駆逐艦6隻(風雲、夕雲、朝潮、荒潮、磯波、電)で出撃[55]。空襲により2隻(朝潮、磯波)が損傷し、作戦は中止された[55]。12月11日、駆逐艦5隻(風雲、夕雲、荒潮、磯波、電)でラバウルを出撃、ニューアイルランド島カビエン)を経由したのち、アドミラルティ諸島(ロレンガウ)で支援隊(熊野、鈴谷、望月)から燃料補給を受けつつ[56]、迂回路をとってブナへ向かう[57]。14日午前2時より揚陸を開始、輸送作戦は成功した(被害は空襲至近弾の荒潮のみ)[57][58]

ニューギニア方面の作戦を進展させるため、日本軍はニューギニア島北岸のマダンウェワクを占領して飛行場を設置し、ラエ、サラモアに対する後方基地として強化することにした[59]。だがポートモレスビーの連合軍基地から激しい空襲を受ける可能性があり、ウエワク攻略部隊の上空警戒のため空母隼鷹第二航空戦隊)と護衛部隊(阿賀野、磯風、浜風、村雨)を派遣した[59][60][61]。 第十駆逐隊(巻雲、夕雲、風雲)と輸送船清澄丸はウェワク攻略を、駆逐艦4隻(荒潮、涼風、磯波、電)と輸送船2隻(愛国丸護国丸)および軽巡天龍がマダン攻略を実施した[59]。ウェワク攻略部隊は12月16日12時ラバウルを出撃、マダン攻略部隊は同日18時にラバウルを出撃した[62]。隼鷹航空隊の援護を受けたウェワク攻略部隊は、特に大きな戦闘もなく18日夜にウェワク揚陸を実施、21日朝にラバウルへ戻った[62]。一方、マダン攻略部隊は12月18日の空襲で護国丸が中破、潜水艦アルバコア (USS Albacore, SS-218) の雷撃で軽巡天龍(第十八戦隊旗艦)を喪失した[62]。本作戦終了とともに第10駆逐隊は前進部隊に編入された[62]

昭和18年の戦い[ソースを編集]

1943年(昭和18年)1月18日、第10駆逐隊司令は阿部俊雄大佐(後日、軽巡大淀艦長、空母信濃艦長等を歴任)から吉村真武大佐[63]に交代(吉村大佐は1月7日まで軽巡龍田艦長)[64]。第10駆逐隊は吉村司令のもとでガダルカナル島からの撤退作戦に参加した(ケ号作戦)。 1月23日、駆逐艦5隻(秋雲、夕雲、巻雲、風雲、雪風)は南東方面部隊に編入され、そのまま外南洋部隊に所属する[65]。2月1日の第一次作戦および2月4日の第二次作戦ではエスペランス岬へ向かう輸送隊(風雲、巻雲《第一次のみ》、夕雲、秋雲、谷風、浦風、浜風、磯風)に加わり、2月7日の第三次作戦ではラッセル諸島からの撤退作戦(風雲、夕雲、秋雲、長月、谷風、浦風、浜風、磯風)を行った。撤退作戦は成功したが、第一次作戦で姉妹艦巻雲が触雷し夕雲により雷撃処分され、第二次作戦で陽炎型の舞風が大破、第三次作戦で同じ陽炎型の磯風が中破した。第10駆逐隊は当面の間3隻編制(秋雲、夕雲、風雲)で行動を続ける[66]。 作戦終了後、風雲はパラオに回航され[67]第四十一師団阿部平輔中将)をウェワクへ輸送する丙三号輸送作戦に従事し[67]、3月にはウェワクとマダンの間にあるハンサへ第二十師団青木重誠中将)の将兵を輸送する輸送船団の護衛を行った[67]。その後はラバウルを経てショートランドへ再進出し、コロンバンガラ島への輸送作戦に加わる[67]。しかし、4月3日にショートランドで触雷して損傷したため、輸送部隊から外された[67]。4月28日に横須賀に帰投して修理が行われた。

修理後、風雲は北方に向かい幌筵島に到着した6月13日付で第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将・海兵41期)に加勢した[68]。7月に行われたキスカ島撤退作戦に、途中反転の第一次作戦、成功した第二次作戦ともに参加。収容部隊(阿武隈《木村少将旗艦》、木曾島風朝雲薄雲長波秋雲夕雲風雲若葉《初霜と衝突し離脱》、初霜《若葉の衝突後は燃料補給部隊護衛》、五月雨)、主隊(多摩)、燃料補給部隊(国後、日本丸)という部隊区分だった。他の艦は収容した陸軍の装備を全て捨てていたが、風雲のみ発動艇を回収し、さらに陸戦隊が飼っていたキツネも持ち帰ったという[69]。キツネは上野動物公園に寄贈された[69]。撤退作戦を終えた後は8月3日付で機動部隊に復帰し、横須賀を経て再び南方へと向かった[70]

9月15日附で風雲駆逐艦長は白露型駆逐艦1番艦白露駆逐艦長橋本金松少佐[71]に交代した(後日、吉田は第41駆逐隊《冬月涼月》として坊ノ岬沖海戦に参加)。 9月20日、第10駆逐隊(秋雲、風雲、夕雲)は第三水雷戦隊(司令官伊集院松治大佐・海兵43期)の指揮下に入り[72]、間もなくコロンバンガラ島からの撤退作戦である「セ号作戦」に参加した。 9月21日附で吉村は第10駆逐隊司令の職務を解かれ(10月11日より阿賀野型軽巡洋艦3番艦矢矧艤装員長)[73]天野重隆大佐(8月20日まで第21駆逐隊司令)[74]に交代する[75]。 9月28日夜と10月2日夜に二度にわたって行われた作戦では夜襲部隊として敵艦隊の出現に備えたが、何事も無くラバウルに帰投することができた。

戦いは間を置かず続けられ、ベララベラ島からの撤退作戦が行われていた。10月6日未明にラバウルを出撃し、ブーゲンビル島南方海域で欺瞞航路をとった後、ベララベラ島近海に向かった。増援部隊指揮官伊集院松治第三水雷戦隊司令官(秋雲座乗)は夜襲隊(秋雲、風雲、夕雲磯風時雨五月雨)を指揮して戦闘海域へ向かった。6日夜、フランク・R・ウォーカー英語版大佐率いる第42駆逐群[76]の先制攻撃を受けて第二次ベララベラ海戦が始まった。後続の僚艦夕雲が第42駆逐群の集中砲火を浴びて沈没するが、アメリカ駆逐艦シャヴァリア (USS Chevalier, DD-451) に夕雲の魚雷が命中して第42駆逐群の陣形は乱れ始めた。反航戦で第42駆逐群と砲戦を交えたが、二番砲塔に被弾して使用不能となった[77]。夕雲生存者を救助した後[78]、やがて体勢を立て直してセルフリッジ英語版 (USS Selfridge, DD-357) とオバノン英語版 (USS O'Bannon, DD-450) に対して魚雷を発射したが、距離が遠かったため命中しなかった[79]。夕雲の沈没により、第10駆逐隊は2隻編制(風雲、秋雲)となった。

ラバウルに帰投後、10月7日限りで第三水雷戦隊の指揮下から離れた[80]。秋雲とともにツルブへの輸送作戦を行った後[81]、第三艦隊(司令長官小沢治三郎中将・海兵37期)に合流してエニウェトク環礁へ進出[81]。10月31日附で満潮型駆逐艦朝雲」が第10駆逐隊に加入(朝雲は第9駆逐隊からの転出)、3隻編制(風雲、秋雲、朝雲)となる[82]。トラックに帰投後、駆逐艦3隻(風雲、秋雲、山雲)は戦艦大和、空母翔鶴を護衛してトラックを出港、12月17日に横須賀に帰投[83]。12月21日、司令駆逐艦は風雲から秋雲にかわった[84]。その後、東京石川島造船所で修理、対空兵器増設、電探装備工事を行った。

昭和19年の戦い[ソースを編集]

修理を終えた後の1944年(昭和19年)1月17日、2隻(風雲、秋雲)は横須賀を出港して翔鶴を瀬戸内海まで護衛[85]、2月5日、空母2隻(翔鶴、瑞鶴)を護衛して洲本沖を出撃し、昭南に向かった[86]。2月20日に瑞鶴を護衛して呉に向かった後[86]、3月7日には瑞鶴、重巡洋艦最上、第三戦隊(戦艦《金剛榛名》、司令官鈴木義尾中将・海兵40期)を護衛して瀬戸内海を出撃してリンガ泊地に向かった[87]。 3月20日附で第10駆逐隊司令天野重隆大佐は第61駆逐隊(涼月初月若月秋月)司令へ転任し、後任の10駆司令は秋月型駆逐艦3番艦涼月駆逐艦長赤澤次壽雄大佐となった[88]。3月25日、司令駆逐艦を秋雲から風雲に変更する[89]。 リンガ泊地に到着後は第十戦隊各艦(矢矧《旗艦》、秋雲)とともに航空戦隊との合同訓練に従事した[90]。だが4月11日、秋雲がアメリカの潜水艦レッドフィンの雷撃で撃沈され[91]、第10駆逐隊は2隻(風雲、朝雲)となった。5月12日、リンガ泊地を出撃してタウイタウイに進出、タンカー護衛と対潜掃討に従事した。

この頃、ビアク島を巡って攻防が繰り広げられており(ビアク島の戦い)、帝国海軍は渾作戦を発動してビアク島救援作戦を展開していた[92]。5月30日付で第10駆逐隊(風雲、朝雲)は渾部隊(指揮官左近允尚正第十六戦隊司令官:旗艦青葉)に編入され、間接護衛隊(戦艦《扶桑》、第10駆逐隊《風雲、朝雲》)、警戒隊(重巡洋艦《妙高羽黒》、第27駆逐隊《春雨五月雨白露時雨》)と共にタウイタウイからダバオへ移動する[93][94][92]。 6月2日、警戒隊(妙高、羽黒、春雨、五月雨、白露、時雨)と間接護衛隊(扶桑、風雲、朝雲)は輸送隊(青葉、鬼怒敷波浦波)と共にダバオを出撃するが、B-24爆撃機に触接されたため、豊田副武連合艦隊司令長官は6月3日夜に作戦の中止を発令した[95][94][92]。羽黒の士官は同航する旧式戦艦の扶桑を見て哀愁を感じたという[92]。6月5日、第五戦隊と間接護衛隊はダバオに到着した[92]。このあと渾作戦は駆逐艦6隻(春雨、五月雨、白露、時雨、浦波、敷波)のみで実施されたが空襲で「春雨」(第27駆逐隊司令駆逐艦)を喪失し、さらにアメリカ巡洋艦部隊に迎撃されて撃退された(第二次渾作戦)。 そこで連合艦隊は第一戦隊(戦艦《大和武蔵》)と第二水雷戦隊能代沖波島風)なども投入して上陸船団撃破と機動部隊の誘い出しを図る事となった[96]

6月7日深夜、第10駆逐隊(風雲、朝雲)は第五戦隊(妙高、羽黒:司令官橋本信太郎中将・海兵41期)とともにダバオを出撃[97][94]。この時、ダバオ湾英語版口にはアメリカの潜水艦ヘイク (USS Hake, SS-256) が哨戒を行っていた[91]。翌6月8日未明、ヘイクのレーダーは湾の中央を高速で移動する4つの目標を探知した[98]。2時12分、北緯06度03分 東経125度57分 / 北緯6.050度 東経125.950度 / 6.050; 125.950の地点で魚雷を6本発射し[99]、うち2本が風雲の左舷中央部と左舷艦尾に命中、搭載の魚雷が誘爆し[100]、4分で沈没した[101]。ダバオ湾を警戒中の駆逐艦2隻(秋霜)は駆逐艦浜風を通じて救援要請を受け[102]、直ちに出動[103][104]。朝雲と共に救助活動に従事した[105]。乗員のうち136名は夕雲型姉妹艦の秋霜に移乗してダバオへ向かったが[106]、他の者は全員戦死した。風雲座乗中の第10駆逐隊司令赤沢次寿雄大佐も戦死した(少将に進級)[107][108]

駆逐艦風雲は7月10日附で 夕雲型駆逐艦[109]、 帝国駆逐艦籍[110]から除籍された。 朝雲1隻になった第10駆逐隊も同日附で解隊され、朝雲は第4駆逐隊に編入、同隊は定数4隻(野分満潮山雲朝雲)を回復した[111]。だが第4駆逐隊は10月下旬のレイテ沖海戦で全滅、第10駆逐隊に所属した5隻(秋雲、夕雲、風雲、巻雲、朝雲)は太平洋戦争中に全隻喪失した。 また風雲2代目艦長橋本金松中佐は8月1日附で秋月型駆逐艦4番艦「初月」駆逐艦長[112]に就任したが、初月(第61駆逐隊司令駆逐艦)がレイテ沖海戦で沈没した際に戦死した[113]。初月座乗の第61駆逐隊司令天野重隆大佐(前職、第10駆逐隊司令)も戦死した[114]

歴代艦長[ソースを編集]

艤装員長
  1. 吉田正義 中佐:1942年1月20日[5] - 1942年3月28日[12]
駆逐艦長
  1. 吉田正義 中佐:1942年3月28日[12] - 1943年9月14日[71]
  2. 橋本金松 少佐/中佐:1943年9月14日[71] - 1944年6月15日[115]

参考文献[ソースを編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和17年3月1日~昭和17年3月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030315800。
    • 『昭和17年3月1日~昭和17年3月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(2)』。Ref.C08030315900。
    • 『昭和17年3月1日~昭和17年3月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(3)』。Ref.C08030316000。
    • 『昭和17年3月1日~昭和17年3月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(4)』。Ref.C08030316100。
    • 『昭和17年3月1日~昭和17年3月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(5)』。Ref.C08030315800。** 第十一戦隊司令部『自昭和十七年八月一日至同年八月三十一日 第十一戦隊戦時日誌』(昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051400
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至昭和十七年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098800
    • 第七戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至同十一月三十日 第七戦隊戦時日誌』(昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030047600
    • 第一水雷戦隊司令部『自昭和十八年六月一日至昭和十八年六月三十日 第一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月1日~昭和18年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030084400
    • 第一水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 第一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月1日~昭和18年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030084500
    • 第三水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 第三水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030106000
    • 第三水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 第三水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030106100
    • 第十戦隊司令部『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050000
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年一月一日至昭和十九年一月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050100
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年二月一日至昭和十九年二月二十九日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050200
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年三月一日至昭和十九年三月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050300
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050500
    • Ref.C12070110800 『昭和16年7月~12月達/昭和17年9月』。
    • Ref.C12070152200 『昭和16年5月~8月内令2巻/昭和16年8月(1)』。
    • Ref.C12070152800 『昭和16年9月~10月内令3巻/昭和16年9月(1)』。
    • Ref.C12070161300 『昭和17年1月~3月内令1巻/昭和17年3月(2)』。
    • Ref.C12070161400 『昭和17年1月~3月内令1巻/昭和17年3月(3)』。
    • Ref.C12070162400 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年4月(4)』。
    • Ref.C12070162800 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。
    • Ref.C12070175800 『昭和18年1月~4月内令1巻/昭和18年3月(1)』。
    • Ref.C12070181500 『昭和18年9~10月内令4巻/内令昭和18年10月(5)』。
    • Ref.C12070195500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。
    • Ref.C13072013300 『昭和17年12月31日現在10版内令提要追録第12号原稿/巻3第13類艦船(1)』。
    • Ref.C08030040400 『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日ミッドウエー海戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030023800 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(1)』。
    • Ref.C08030023900 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(2)』。
    • Ref.C08030024000 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(3)』。
    • Ref.C08030024100 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(4)』。
    • Ref.C08030768400 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030768500 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030768600 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030768700 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030768800 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030116000 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30 第四水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030116100 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30 第四水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030723500 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第5戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030148200 『昭和19年6月1日~昭和20年1月24日 第27駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030039800 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030039900 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030685200 『昭和19年5月1日~昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030685300 『昭和19年5月1日~昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(3)』。
  • SS-256, USS HAKE(issuuベータ版)
  • 生出寿 『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官』 光人社、1996年12月。ISBN 4-7698-2143-3
  • 生出寿 『連合艦隊・名指揮官の生涯 戦場の将器 木村昌福』 光人社、1997年12月。ISBN 4-7698-0835-6
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 駆逐艦秋雲会『栄光の駆逐艦 秋雲』駆逐艦秋雲会、1986年
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「欺瞞戦術」<駆逐艦「風雲」艦長・吉田正義大佐の証言>(太平洋戦争時、風雲艦長、第43駆逐隊司令、第41駆逐隊司令等)
  • 佐藤和正 『艦と乗員たちの太平洋戦争 日本海軍と乗員はいかに戦ったか』 光人社、2004年9月(原著1984年)。ISBN 4-7698-2432-7
    • 艦隊の中核 <駆逐艦「風雲」輸送作戦に奮闘す>
  • 福田幸弘 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』 時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社、1971年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』 朝雲新聞社、1975年8月。
  • 牧島貞一 『炎の海 報道カメラマン空母と共に』 光人社、2001年ISBN 4-7698-2328-2
  • 「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。

脚注[ソースを編集]

  1. ^ a b #達昭和16年9月p.7『達第二百七十七號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦二隻、駆潜艇及掃海特務艇二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年九月十日 海軍大臣 及川古志郎|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 風雲(カザグモ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第四十五潜水艦(以下略)』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和17年12月31日)p.4『夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、早波、濱波』
  3. ^ a b #内令昭和17年5月(2)p.22『艦名:風雲|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:浦賀船渠會社|起工年月日15-12-23|進水年月日16-9-26|竣工年月日17-3-28|(兵装略)』
  4. ^ #内令昭和16年9月(1)p.47『内令第千三十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年九月十日 海軍大臣及川古志郎|駆逐艦、一等夕雲型ノ項中「巻雲」ノ下ニ「、風雲」ヲ加フ』
  5. ^ a b 昭和17年1月20日(発令1月20日付)海軍辞令公報(部内限)第798号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072083900 
  6. ^ 昭和17年1月26日(月)海軍公報(部内限)第4003号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C12070410100 『○事務所設置(略)驅逐艦風雲艤装員事務所ヲ一月二十一日神奈川縣三浦郡浦賀町谷戸六地番浦賀船渠株式會社浦賀工場内ニ設置シ事務ヲ開始セリ(以下略)』
  7. ^ a b #S1703横鎮日誌(1)pp.17-18『(1)艦船關係 起工、進水、竣工』
  8. ^ #S1703横鎮日誌(4)p.19『二十七日一六三〇艦政本部長|二十七日一二〇〇浦賀首席監督官 風雲艤装委員長(横鎮参謀長)|艦本機密第三三一番電 驅逐艦風雲ノ主要性能ハ良好ナリ一般兵装艤装ハ概ネ適良ニシテ就役ニ適スルモノト認ム 首席監督官ハ右ノ旨製造所長ニ傳フベシ』
  9. ^ #S1703横鎮日誌(4)p.22『二十八日一〇三〇風雲艤装員長|二十八日一二三〇横鎮長官|風雲機密第一番電 驅逐艦風雲受領セリ』
  10. ^ 昭和17年3月31日(火)海軍公報(部内限)第4056号 p.31』 アジア歴史資料センター Ref.C12070411100 『○事務所撤去 驅逐艦風雲艤装員事務所ヲ三月二十八日撤去セリ』
  11. ^ #内令昭和17年3月(3)p.42『内令第五百二十三號 驅逐艦 風雲 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 風雲 右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年三月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  12. ^ a b c 昭和17年3月28日(発令3月28日付)海軍辞令公報(部内限)第835号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084700 
  13. ^ #S1703横鎮(3)p.2『十四日一一〇〇巻雲艦長(宛略)巻雲機密第一番電 巻雲ノ引渡ヲ受ク 一〇三〇』
  14. ^ #内令昭和17年3月(2)pp.20-21『内令第四百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第十驅逐隊|夕雲、巻雲|』
  15. ^ 昭和17年3月16日(発令3月14日付)海軍辞令公報(部内限)第828号 p.12』 アジア歴史資料センター Ref.C13072084600 
  16. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』C08030316100, pp.21
  17. ^ #内令昭和17年3月(4)p.42『内令第五百二十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「巻雲」ノ下ニ「、風雲」ヲ加フ|』
  18. ^ #S1703横鎮日誌(4)p.31『三十日一〇〇〇風雲艦長(宛略)風雲機密第二番電 第一〇驅逐隊司令着任迄風雲驅逐艦長職務ヲ代理ス』
  19. ^ 昭和17年5月1日(金)海軍公報(部内限)第4079号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C12070411900 『○司令驅逐艦指定 第十驅逐隊司令ハ四月十三日司令驅逐艦ヲ風雲ニ指定セリ』
  20. ^ #内令昭和17年4月(4)p.3『内令第六百五十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年四月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「夕雲」ノ上ニ「秋雲、」ヲ加フ』
  21. ^ 昭和17年4月15日(水)海軍公報(部内限)第4068号 p.28』 アジア歴史資料センター Ref.C12070419900 『○旗艦指定 第十戰隊司令官ハ四月十三日旗艦ヲ長良ニ指定セリ/第一海上護衛隊司令官ハ四月十一日旗艦ヲ浮島丸ニ指定セリ』
  22. ^ #ミッドウエー海戦戦闘詳報(1)p.8『第十戦隊戦時日誌(一)艦隊区分』
  23. ^ #ミッドウエー海戦戦闘詳報(1)p.9『(二)軍隊区分(イ)五月二十日附機動部隊兵力部署』
  24. ^ #艦と乗員たちの太平洋戦争(文庫)272頁
  25. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)95頁
  26. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(2)p.28『0745司令部移乗ノタメ駆逐艦野分近接ス』
  27. ^ #戦艦大和最後の艦長153頁
  28. ^ #炎の海261頁
  29. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』32ページ
  30. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)96頁
  31. ^ a b c d e f g #艦と乗員たちの太平洋戦争(文庫)273-277頁『空母「飛龍」の最期』
  32. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(1)pp.42-44『(ハ)飛龍(略)6日0015総員退去下令御真影ヲ奉ジ風雲巻雲ニ分乗開始0130移乗ヲ終了ス』
  33. ^ a b c #佐藤 艦長続編(文庫)100-101頁
  34. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(2)p.2『且味方飛行機ハ尚漂流中トノ報告アリシヲ以テ6日0945長良機ヲ以テ之ヲ捜索谷風ヲ分派撃沈セントセシガ共ニ目標ヲ発見セザルヲ以テ撃沈セシモノト推定ス』
  35. ^ 木俣『日本水雷戦史』148ページ
  36. ^ 『第十一戦隊戦時日誌』C08030051400, pp.21
  37. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』33ページ
  38. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.10
  39. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.22『11月1日1717第三艦隊司令長官/一.左ノ各艦(隊)ハ左記ニ依リ内地ニ帰投修理整備作業ニ任ズベシ(1)回航地 艦名:横須賀 翔鶴第四駆逐隊(萩風欠)、秋月/呉:熊野筑摩、第十七駆逐隊第1小隊秋雲 佐世保:瑞鳳、第十七駆逐隊第2小隊 (2)行動(イ)11月2日1400以後「トラック」発各回航地毎ニ先任艦長指揮シ回航スルモノトス。但シ呉佐世保ニ回航スルモノハ途中迄同一行動ヲ執リ分離時迄瑞鳳艦長指揮スベシ(以下略)』
  40. ^ a b c d e f g #叢書83ガ島戦350-351頁『七日の輸送』
  41. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.6『(一)「トラック」ニ於テ作戰準備指導ヲ整ヘ十一月三日1250第七戰隊(熊野欠)摩耶第二水雷戰隊第十駆逐隊ヲ率ヰ「トラック」出撃五日1200「ショートランド」ニ進出外南洋部隊指揮官ノ麾下ニ入リ外南洋部隊支援隊トナル』
  42. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.15
  43. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.15,16 、木俣『日本水雷戦史』218ページ
  44. ^ a b #叢書83ガ島戦353頁『十日の輸送』
  45. ^ a b c d e #叢書83ガ島戦376-378頁『「鈴谷、摩耶」のガ島飛行場砲撃と「衣笠」の喪失』
  46. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.18『(別圖其ノ二)自十一月十三日0540至十四日1300第七戰隊(熊野欠)摩耶行動圖』
  47. ^ #S1711七戦隊日誌(1)pp.6-7『(三)十三日0540外南洋部隊主隊ト共ニ「ショートランド」出撃2210「サボ」島北西方ニ於テ主隊ト分離支援隊ヲ率ヰ「ガ」島海面ニ突入飛行場制圧射撃ヲ実施十四日0004射撃ヲ終了 0550「ニュージョージァ」島南方ニ於テ主隊ト合同0630ヨリ約三時間ニ亘リ敵艦上機群ト交戰シツツ避退1300「ショートランド」ニ帰着燃料補給ノ上1749主隊ト共ニ再ビ「ショートランド」出撃「ソロモン」群島北方海面ヲ機宜行動輸送船隊ヲ支援シタル後十五日1427「ショートランド」ニ帰投セリ』
  48. ^ a b c #叢書83ガ島戦413-415頁『連合軍のブナ上陸と南東方面部隊の対策』
  49. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.46『十七日0655第八艦隊司令長官(宛略)第八艦隊機密第170655番電 将旗ヲ一時「ラボール」ニ移揚ス』
  50. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.46『十九日1535外南洋部隊指揮官(宛略)外南洋部隊機密第191538番電 外南洋部隊電令作第235号 天竜ヲ支援部隊ヨリ除キ「ラビ」飛行場攻略部隊ニ復皈』
  51. ^ a b c #叢書83ガ島戦418-420頁『聯合艦隊司令部の作戦指導』
  52. ^ a b c #叢書83ガ島戦423-424頁『外南洋部隊兵力部署』
  53. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.52『二十二日1240外南洋部隊指揮官(宛略)外南洋部隊機密第231240番電 外南洋部隊兵力部署ヲ左ノ通改ム(区分、指揮官、主要任務ノ順)一.主隊 直率 鳥海望月 全作戦支援/二.支援隊 第七戦隊司令官 第七戦隊(熊野欠)摩耶 「ソロモン」方面作戦支援/三.増援部隊 第二水雷戦隊司令官 第三十一駆逐隊、第十五駆逐隊(早潮欠)、第二十四駆逐隊(海風欠) 「ガ」島方面ニ対スル輸送作戦/四.R方面航空部隊 第十一航空戦隊司令官 第八〇二航空隊、水戦隊、千歳飛行機隊、讃岐丸山陽丸天霧哨三十六号哨三十八号 RX方面索敵「ガ」島方面輸送船上空直衛、「ショートランド」方面上空警戒、対潜掃蕩/五.RX方面防備部隊 第一根拠地隊司令官 兵力及任務従前通/六.「ニューギニア」方面護衛隊 第十八戦隊司令官 第十八戦隊(竜田欠)第八駆逐隊(満潮欠)第十駆逐隊(秋雲欠)春雨白露磯波電早潮 「ニューギニア」方面ニ対スル輸送作戦/七.東部ニューギニア方面防備部隊 第七根拠地隊(第二十三駆潜隊、第二十二駆潜隊欠)第八十二警備隊、横五特、佐五特 「ニューギニア」占領地域ノ防衛/八.R方面防備部隊 第八根拠地隊司令官 従前ヨリ第八十二警備隊、横五特、佐五特ヲ除ク兵力 「ラボール」方面防衛、輸送船護衛/九.附属直率隊 従前ノ兵力ニ五十鈴龍田海風満潮卯月、八聯特陸、第八気象隊ヲ加ヘル外従前通リ』
  54. ^ a b #叢書83ガ島戦426-427頁『混成第二十一旅団第一次輸送』
  55. ^ a b #叢書83ガ島戦428-429頁『混成第二十一旅団第三次輸送』
  56. ^ #S1711七戦隊日誌(5)p.5『(二)十二月十二日0512支援隊(第七戰隊)風雲夕雲ヲ率ヰ「カビエン」出撃1612「ロレンガウ」ニ進出東部「ニューギネア」方面増援部隊ノ補給竝ニ支援ニ任ジタル後十三日1300支援隊ヲ率ヰ「ロレンガウ」発十四日0750「カビエン」着尓後「カビエン」方面ニ在リテ「ソロモン」群島方面作戰竝ニ「カビエン」方面警戒ニ任ズ』
  57. ^ a b #叢書83ガ島戦447-448頁『混成第二十一旅団第四次輸送』
  58. ^ #艦と乗員たちの太平洋戦争(文庫)278-279頁
  59. ^ a b c #叢書83ガ島戦474-476頁『マダン、ウエワク攻略作戦』
  60. ^ #S1711七戦隊日誌(5)p.36『十四日0813第八艦隊司令長官(宛略)第八艦隊機密第14081353番電「ム」号作戰ニ関スル外南洋部隊ノ要旨左通リ 一.兵力部署(区分指揮官兵力)主隊直率 鳥海/支援隊 第七戰隊司令官 第七戰隊/R方面護衛隊 第十八戦隊司令官 第十八戰隊(竜田欠)/「ウエワク」攻略部隊 第十駆逐隊司令 第十駆逐隊(秋雲欠)清澄丸/「マダン」飛行場攻略部隊 愛國丸船長 駆逐艦四隻 愛國丸護國丸/母艦航空部隊 第二航空戰隊司令官 第二航空戰隊(飛鷹欠)第十戰隊(駆逐艦欠)駆逐艦三隻/二.各部ノ任務 (イ)主隊及支援隊ハ敵情ニ應ジ出撃作戰支援 (ロ)RZ方面護衛隊 x+2日「ラボール」発「アドミラウテイ」島北方ケイマンヲ迂回シ1800及2100頃夫々「ウエワク」「マダン」ニ入泊揚陸ヲ開始X+1日出迄ニ揚陸完了出港 (ロ)母艦航空部隊ハ「ウエワク」北方海面ヲ機宜行動「ウエワク」攻略部隊ノ上空直衛ニ任ジ状況ニ依リ「ウエワク」敵軍ヲ攻撃』
  61. ^ #S1712四水戦日誌(2)p.20『十三日2145AdB指揮官(宛略)2Fキデ132145 AdB電令作第92号 GF電令作第413号ニ依リ一時南東方面部隊ニ編入スベキdヲ磯風浜風及2dg(春雨五月雨欠)ニ指定ス AdB軍隊区分中ヨリ2sf(飛鷹欠)10S(dg欠)17dg2D及2dg(春雨五月雨欠)ヲ除ク』
  62. ^ a b c d #叢書83ガ島戦476-477頁『実施』
  63. ^ 昭和18年1月18日(発令1月18日付)海軍辞令公報(部内限)第1036号 pp.9-10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089400 
  64. ^ 昭和18年1月9日(発令1月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1027号 pp.20-21』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089000 
  65. ^ #叢書83ガ島戦534頁『外南洋部隊兵力部署』
  66. ^ #内令昭和18年3月(1)p.10『内令第三百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年三月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十驅逐隊ノ項中「巻雲、」ヲ削ル|第三十四驅逐隊ノ項中「羽風、」ヲ削ル』
  67. ^ a b c d e 『栄光の駆逐艦 秋雲』40ページ
  68. ^ 『第一水雷戦隊戦時日誌』C08030084400, pp.8
  69. ^ a b #艦と乗員たちの太平洋戦争(文庫)280頁
  70. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』47ページ
  71. ^ a b c 昭和18年9月15日(発令9月14日付)海軍辞令公報(部内限)第1216号 p.35』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093000 
  72. ^ 『第三水雷戦隊戦時日誌』C08030106000, pp.43
  73. ^ 昭和18年10月13日(発令10月11日付)海軍辞令公報(部内限)第1237号 p.17』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 
  74. ^ 昭和18年8月21日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1196号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092600 
  75. ^ 昭和18年9月22日(発令9月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1221号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093100 
  76. ^ 木俣『日本水雷戦史』365ページ
  77. ^ 木俣『日本水雷戦史』366ページ
  78. ^ 木俣『日本水雷戦史』368ページ
  79. ^ 木俣『日本水雷戦史』367ページ
  80. ^ 『第三水雷戦隊戦時日誌』C08030106100, pp.28
  81. ^ a b 『栄光の駆逐艦 秋雲』51ページ
  82. ^ #内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ』
  83. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050000, pp.5,10,25,31
  84. ^ 昭和18年12月25日(土)海軍公報(部内限)第4575号 p.39』 アジア歴史資料センター Ref.C12070443300 『○司令驅逐艦變更 第十驅逐隊司令ハ十二月十一日司令驅逐艦ヲ秋雲ニ變更セリ』
  85. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050100, pp.6,10
  86. ^ a b 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.5
  87. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.4
  88. ^ 昭和19年3月22日(発令3月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1384号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096800 
  89. ^ 昭和19年4月24日(月)海軍公報(部内限)第4673号 p.39』 アジア歴史資料センター Ref.C12070462300 『○司令驅逐艦變更 第十驅逐隊司令ハ三月二十五日司令驅逐艦ヲ風雲ニ變更セリ』
  90. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』58ページ
  91. ^ a b #叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  92. ^ a b c d e #サイパン・レイテ海戦記36-40頁『ビアク来攻と渾作戦』
  93. ^ #S1906五戦隊日誌p.2『(一)前月末渾部隊ニ編入セラレ「ダバオ」ニ待機中ノ處二日渾作戰部隊警戒隊(5S 27dg)間接護衛隊(扶桑10dg)ヲ率ヰ「ビアク」島ニ向ケ「ダバオ」ヲ出撃セルモ三日同作戰ノ一時中止ヲ令セラレタルヲ以テ五日「ダバオ」ニ歸投警戒待機ス此ノ間四日払暁敵B-24三機ト交戰ソノ一機ヲ撃墜他ヲ撃退セリ』
  94. ^ a b c #あ号作戦日誌(2)pp.20-21『(ハ)第十駆逐隊(1)風雲 渾部隊トシテ第五戰隊扶桑ノ警戒ニ任ジツヽ「タウイタウイ」ヨリ「ダバオ」回航中ノ所一日同地着、二日渾作戦間接護衛隊トシテ第五戦隊扶桑ト共ニ「ダバオ」出撃「ビアク」ニ向ケ航行中ノ所渾作戰中止反転ス 四日敵哨戒機数機ト交戰戰果被害ナク五日「ダバオ」ニ入港ス、七日渾作戰再興即日「ダバオ」出撃「バチヤン」ニ向ケ警戒航行中ノ處八日0320「セントオーガスチン」岬ノ二四〇度二〇浬ニ於テ敵浮上潜水艦ヲ発見之ガ攻撃ニ向ヒツヽアル中雷撃ヲ受ケ沈没セリ』
  95. ^ #S1906第27駆日誌(1)p.19『六-三2250GF長官(宛略)GF電令作第115號 渾作戰ヲ一時中止ス 各部隊左ニ依リ行動セヨ 一.5S及間接護衛隊ハ原隊ニ復歸セヨ/二.輸送隊(27dgヲ含ム)ハ「ソロン」ニ入泊シ機ヲ見テ渾作戰ヲ再興セヨ』
  96. ^ #あ号作戦日誌(2)pp.4-5『(イ)第一機動艦隊 前月中旬來其ノ全力ヲ「タウイタウイ」ニ集結決戰即應ノ態勢ヲ持シアリシトコロ敵ノ「ビアク」攻略作戰ニ對應スル爲前月末一部兵力ヲ之ニムケラレタルモ所期ノ成果ヲ得ラレザリシヲ以テ更ニ本月十日第一戰隊(長門欠)第二水雷戰隊(能代沖波島風)ヲ渾部隊ニ増勢セラレ右作戰部隊ハ十二日「バチヤン」泊地ニ其ノ大部ノ集結ヲ了シ作戰準備中新ニ敵ノ「マリアナ」進攻作戰ニ依リ渾作戰ハ一時中止ノ止ムナキニ至リ…』
  97. ^ #S1906五戦隊日誌pp.2-3『(二)七日5S10dgハ再ビ渾作戰部隊ニ編入セラレ同日ダバオ出港九日「バチャン」泊地着輸送隊(16S浦波敷波)ト合同同泊地ニテ待機ス「ダバオ」出撃時七日夜風雲敵潜ノ雷撃ヲ受ケ沈没セリ十日1S(長門欠)2sd(能代島風沖波)渾部隊ニ編入セラル』
  98. ^ 「SS-256, USS HAKE」p.118
  99. ^ 「SS-256, USS HAKE」p.141,142
  100. ^ 木俣『日本水雷戦史』439ページ
  101. ^ 「SS-256, USS HAKE」p.141
  102. ^ #S1905日栄丸日誌(2)p.16『六月八日浜風|日榮丸|キド第080416番電 發第五戦隊司令官風雲雷撃ヲ受ケタル爲湾口附近敵潜伏在面突破迄貴隊驅逐艦二隻救難竝ニ護衛トシテ派遣サレ度』
  103. ^ #S1905日栄丸日誌(2)p.17『六月八日響艦長(宛略)響機密第08610番電 響秋霜救助ノ爲出動ス』
  104. ^ #S1905日栄丸日誌(3)p.6『六月八日|0550|風雲救難ノ爲メ響秋霜出動/第五戦隊入港補給、補給後出港 秋霜第五戦隊ト共ニ出港』-p.17『六月八日響|日榮丸浜風|今ヨリ(響)救難ノ爲出動ス秋霜湾口哨戒中ニ付同艦モ派遣セラルヽヲ適當ト認ム|手旗』
  105. ^ #あ号作戦日誌(2)p.21『(2)朝雲 七日迄ノ経緯風雲ト同断 八日風雲遭難ニ際シ乗員救助九日「バチヤン」着燃料補給ノ上十一日「サムバキ」ニ回航…』
  106. ^ #S1905日栄丸日誌(2)p.18『六月十一日秋霜駆逐艦長(宛略)秋霜機密第110800番電 本日1630タバオ着ノ予定風雲乗員136(要檐者15名)収容御手配ヲ乞フ』
  107. ^ 『栄光の駆逐艦 秋雲』65,66ページ
  108. ^ 海軍少将赤沢次寿雄叙位の件』 アジア歴史資料センター Ref.A12090516900 
  109. ^ #内令昭和19年7月p.11『内令第八三三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年七月十日 海軍大臣|軍艦、砲艦橋立型ノ項中「橋立、」ヲ削ル|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、朝凪」ヲ、同夕雲型ノ項中「風雲、」ヲ、同二等若竹型ノ項中「、刈萱」ヲ削ル(以下略)』
  110. ^ #内令昭和19年7月pp.13-14『内令第八四二號|横須賀鎮守府在籍 軍艦 橋立 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 風雲|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 朝凪|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 刈萱 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和十九年七月十日 海軍大臣』
  111. ^ #内令昭和19年7月p.13『内令第八三八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年七月十日 海軍大臣|第四驅逐隊ノ項中「満潮」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第十驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  112. ^ 昭和19年8月8日(発令8月1日付)海軍辞令公報(甲)第1557号 p.34』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100400 
  113. ^ 昭和20年7月14日(発令昭和19年10月25日付)海軍辞令公報(甲)第1856号 p.29』 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100 
  114. ^ 昭和20年1月7日(発令昭和19年10月25日付)海軍辞令公報(甲)第1686号 p.25』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102800 
  115. ^ 昭和19年6月21日(発令6月15日付)海軍辞令公報(甲)第1517号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099600 

関連項目[ソースを編集]