レンネル島沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
レンネル島沖海戦
Torpedoed cruiser USS Chicago (CA-29) low in the water on 30 January 1943.jpg
戦争太平洋戦争 / 大東亜戦争
年月日:1943年1月29日~30日
場所:ソロモン諸島、レンネル島
結果:日本の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指導者・指揮官
草鹿任一中将、檜貝襄治少佐 ロバート・C・ギフェン少将
戦力
一式陸攻26
九六式陸攻15
潜水艦4
重巡洋艦3
軽巡洋艦3
駆逐艦6
損害
陸攻10 重巡洋艦1沈没
駆逐艦1大破
ソロモン諸島の戦い

レンネル島沖海戦とは太平洋戦争大東亜戦争)中、1943年(昭和18年)1月29日から30日にソロモン諸島レンネル島沖で発生した海戦[1][2]。日本軍が航空攻撃でアメリカ軍の重巡洋艦シカゴ (USS Chicago, CA-29) を撃沈した。また、この海戦でアメリカ軍は近接信管を使用した。日本軍はガダルカナル撤退作戦(ケ号作戦)の最中であり、島に近付く敵を阻止する必要があった。

概要[編集]

日本軍航空部隊は1943年(昭和18年)1月15日からガダルカナル島への夜間攻撃を強化を企画、天候が回復した19日より撤収作戦終了までほぼ連夜に渡りガダルカナル島飛行場の爆撃を行っていた。またポートモレスビーラビへの夜間爆撃も同時に実施していた。1月25日からはガダルカナル島のアメリカ軍飛行場に対し航空撃滅戦を実施。第一次となる25日、零戦72機が一式陸攻12機とともに侵攻するも、5機(零戦4機・一式陸攻1機)を喪失し撃墜戦果無しと一方的な敗北を喫した。一方で第二次の27日、海軍の要請によりソロモン方面へ進出していた陸軍航空部隊飛行第11戦隊飛行第1戦隊一式戦「隼」69機が飛行第45戦隊九九双軽9機とともに侵攻。この空戦においてアメリカ陸軍航空軍第339戦闘飛行隊および海兵隊第112海兵戦闘飛行隊の戦闘機24機と交戦、一式戦「隼」は6機を喪失するも7機を撃墜していた。

1月29日、日本軍の偵察機がサンクリストバル島の南でアメリカ艦隊(護衛空母2、重巡洋艦3、軽巡洋艦3、駆逐艦8)を発見した。これはギフェン少将の指揮する、ガダルカナル島の部隊の交代要員を乗せた輸送船を護衛する第18任務部隊であり、護衛空母2隻(シェナンゴスワニー)及び重巡洋艦3隻(シカゴ、ルイビルウイチタ)、軽巡洋艦3隻(クリーブランド、コロンビア、モントピリア)からなっていた。また、その後方には空母エンタープライズサラトガを基幹とする艦隊が援護のためにいたが日本軍はこの艦隊は発見できていない。

2隻の護衛空母は18ノットしか出せず、巡洋艦の足を引っ張る結果となった。またトーチ作戦から太平洋へ転属になったばかりで、日本軍の戦術に慣れていなかった[3]

敵艦隊を発見した日本軍は、ラバウル、バラレ、ブカ、ショートランドから触接機を発進させた。

日本軍は、攻撃が太陽が没する直前の薄暮になるようにわざと時間を遅らせてラバウルから攻撃隊を発進させた。まず12時35分に第705航空隊の一式陸攻16機が、続いて12時45分に第701航空隊の96式陸攻22機が発進した。指揮官は701空飛行長檜貝襄治少佐。なお、第701航空隊の22機のうち7機は夜間攻撃用の照明隊である。また、第705航空隊のうち1機は故障のため引返している。

ギフェン隊は19時に駆逐艦4隻と合流予定であり、その時間に遅れそうであったため低速の護衛空母を護衛の駆逐艦2隻と共に分離した。

日没後の17時19分、第705航空隊が攻撃を開始したが戦果はなく対空砲火で1機を失った。その後触接機が照明弾を投下した。17時40分、第701航空隊が攻撃を開始した。この攻撃で重巡洋艦シカゴに2本、ルイビルウイチタに各1本の魚雷が命中した。シカゴは大破したがルイビルとウイチタに命中した魚雷は不発だった。日本軍は指揮官機を含む2機を失った。また、近くにいた伊17伊25伊26伊176の4隻が支援に向かった。

翌30日、日本軍は再びギフェン隊を発見、10時15分、ブカ島から第751航空隊の一式陸攻11機が発進した。また、前日支援に向かった潜水艦4隻も損傷して曳航中のシカゴを攻撃するよう命ぜられた。14時6分、攻撃隊はギフェン隊を発見、攻撃を開始した。空母エンタープライズからの直援機などにより攻撃隊は陸攻11機のうち7機が撃墜されたが、シカゴに魚雷4本を命中させて撃沈、駆逐艦ラ・ヴァレットにも魚雷1本を命中させ大破させた。午後、伊25が米駆逐艦に発見され、合計40個の爆雷を投下されたが被害はなかった。

日本の大本営は『戦艦2隻、巡洋艦3隻撃沈、戦艦1隻、巡洋艦1隻中破、戦闘機3機撃墜、味方損害10機』と大本営発表を行った[1][4]

アメリカ軍は重巡洋艦1隻沈没、駆逐艦1隻大破の損害を受けたが、輸送船は無事にガダルカナル島に到着できた。日本軍もガダルカナル撤退を察知されることなく作戦目的を達した。

2月1日、日本海軍はガダルカナル島からの第一次撤収を開始した。

脚注[編集]

  1. ^ a b #記録画報(続)p.25『レンネル島沖海戰 海の荒鷲二日間に亘り強襲敵有力艦隊の反攻を撃破 帝國海軍航空部隊は十八年一月廿九日ソロモン群島レンネル島東方に有力なる敵艦隊を發見、直ちに進發し惡天候を衝きてこれを同島北方海面に補足し全力を擧げ薄暮奇襲を敢行、敵へ威力に大打撃を與へた。 敵はわが猛攻を受くるや倉皇として反轉、南東方に遁走せんとせしが翌三十日更にわが海軍航空部隊は晝間強襲を結構し、これに大損害を擧へ敵の反撃企圖を撃碎した。本海戰に於て敵戰艦二隻撃沈、巡洋艦三隻撃沈、戰艦一隻中破、巡洋艦一隻中破、戰闘機三機撃墜の大戰果を擧げた。わが方の損害は自爆七機、未帰還機三機である。寫真は堂々晝間強襲決行のわが海の荒鷲、林海軍報道員撮影、海軍省許可濟第三二號』
  2. ^ #ソロモン現地報告102頁『レンネル島沖海戰第一日』
  3. ^ #米軍が記録したガダルカナルの戦いp326
  4. ^ #海軍戦記(3)74頁『レンネル島沖海戰』

参考文献[編集]

  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 大本営海軍報道部編纂 『大東亜戦争海軍戦記. 第3輯 info:ndljp/pid/1907051』 興亜日本社、1943年5月。
    • 大本営海軍報道部編 『ソロモン海戦:海軍報道班員現地報告 info:ndljp/pid/1062915』 文芸春秋社、1943年6月。
    • 英文大阪毎日学習号編輯局編 『大東亜戦争記録画報. 續篇 info:ndljp/pid/1906766』 大阪出版社、1943年6月。
  • 平塚柾緒 『『米軍が記録したガダルカナルの戦い』』 草思社、1995年。ISBN ISBN 4-7942-0632-1

関連項目[編集]