萩風 (駆逐艦)

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萩風
Hagikaze.jpg
基本情報
建造所 浦賀船渠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 陽炎型駆逐艦
艦歴
発注 1939年度(マル4計画
起工 1939年5月23日
進水 1940年6月18日
竣工 1941年3月31日
最期 1943年8月6日戦没
除籍 1943年10月15日
要目
基準排水量 2,033トン
全長 118.5 m
最大幅 10.8 m
吃水 3.8 m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式衝動タービン2基2軸
出力 52,000馬力
速力 35.0ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個
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萩風(はぎかぜ)は、日本海軍駆逐艦[1]陽炎型駆逐艦の第17番艦である[2]1942年6月のミッドウェー海戦では空母加賀の乗組員を救助、赤城(南雲機動部隊旗艦)を雷撃で処分した。1943年8月のベラ湾夜戦で戦没した。

艦歴[編集]

太平洋戦争まで[編集]

マル4計画、仮称第113号艦として浦賀船渠1939年(昭和14年)5月23日起工[3]。同造船所では、萩風のほかに5隻の陽炎型(不知火早潮時津風浜風秋雲)を建造した。 1940年(昭和15年)2月23日、仮称第113号艦は「萩風」(ハギカゼ)と命名された[1]。同日附で姉妹艦嵐や敷設艦津軽等も命名されている[1]。萩風は同年6月18日に進水し[3]、11月15日附で井上良雄中佐(11月1日まで吹雪型駆逐艦艦長[4])は萩風の艤装員長に任命される[5]。同時期、萩風艤装員事務所を設置[6]

1941年(昭和16年)3月31日竣工[3]。萩風艤装員事務所を撤去[7]横須賀鎮守府籍。 同日附で萩風は陽炎型16番艦嵐と共に、新たに編制されたばかりの第4駆逐隊に所属することになった[8]。第4駆逐隊司令は佐藤寅治郎大佐[注釈 1][9]。また井上艤装員長も正式に萩風駆逐艦長に任命されている[9]。佐藤司令は司令駆逐艦を嵐に指定した[10]。4月28日、萩風は1日だけ司令駆逐艦となる[11]

6月18日、第4駆逐隊司令は佐藤大佐から有賀幸作大佐に交代した[注釈 2][12]。有賀司令は、頻繁に司令駆逐艦を変更。萩風は7月9日[13]、8月1日[14]から8月16日[15]、8月19日[16]と第4駆逐隊司令駆逐艦に指定された。 10月上旬、四国沖での演習中に駆潜艇を誤射、井上艦長は「安全なる航海を祈る」と信号を送った[17]。10月31日、第4駆逐隊に陽炎型15番艦野分、18番艦舞風が編入され定数4隻となる[18]。南方方面へ移動するため豊後水道を南下中、第4駆逐隊は試験航海中の大和型戦艦1番艦大和とすれ違った[注釈 3][19]

太平洋戦争緒戦[編集]

太平洋戦争開戦時、陽炎型新鋭艦4隻(野分萩風舞風)は引き続き第4駆逐隊(司令有賀幸作大佐:司令駆逐艦嵐)を編制し、第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦那珂)に所属した。さらに南方方部隊本隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官:旗艦愛宕)に編入され、第四戦隊(愛宕高雄摩耶)、第三戦隊(金剛榛名)等と共に南方作戦を支援する[20][21]。当時の第4駆逐隊は愛宕(南方部隊本隊)と行動を共にしており、第四水雷戦隊本隊指揮下での作戦行動はほとんどなかった。

1942年(昭和17年)2月下旬以降、第4駆逐隊第1小隊(嵐、野分)は第四戦隊(愛宕、高雄、摩耶)と共にジャワ島南方に進出して掃討作戦を実施[22]。第4駆逐隊第2小隊(萩風、舞風)は南雲機動部隊警戒隊としてセイロン島沖海戦に参加する[23]。同海戦中の4月9日に赤城(機動部隊旗艦)がイギリス軍爆撃機9機に奇襲された際、萩風は咄嗟に対空射撃を実施、のちに『あの時爆弾が赤城に命中していた方が目が醒めたのでは』と語られたという[24]。 4月14日、シンガポール沖で南雲機動部隊は分割され、陽炎型3隻(秋雲、萩風、舞風)は第五航空戦隊の空母2隻(翔鶴瑞鶴)を護衛して台湾馬公市に向かった[25]。馬公着後、五航戦の護衛を第27駆逐隊(時雨白露有明夕暮)に引き継ぎ、日本本土へむかった。五航戦と第27駆逐隊は、このあと5月上旬の珊瑚海海戦に参加している。 内地に帰還した後、5月5日附で井上良雄(萩風艦長)は退任[26][27][注釈 4]。後任として岩上次一中佐(4月15日まで吹雪型駆逐艦敷波艦長[28])が萩風駆逐艦長に任命される[26][注釈 5]。第4駆逐隊は南雲機動部隊警戒隊(旗艦長良)に所属し、第10駆逐隊(秋雲、夕雲、巻雲、風雲)、第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)と共にミッドウェー海戦に参加した[29]

6月5日、南雲機動部隊はアメリカ軍機動部隊艦載機の空襲を受け、まず空母3隻(赤城、加賀、蒼龍)が被弾炎上した。第4駆逐隊第2小隊(萩風、舞風)は米潜水艦ノーチラス(USS Nautilus, SF-9/SS-168)を追い払いつつ、加賀の乗員を救助した(加賀に不発魚雷1本命中)[30][31]。加賀の沈没後、第2小隊(萩風、舞風)は第4駆逐隊第1小隊(嵐、野分)と合流、空母赤城の救援に加わった[32]。日の出直前、第4駆逐隊(嵐-野分-萩風-舞風の単縦陣)は赤城を雷撃にて処分した[33]酸素魚雷各艦1本を発射、魚雷命中後の赤城は間もなく沈没した[注釈 6][34]。その後、第4駆逐隊は山本五十六連合艦隊司令長官が座乗する戦艦大和以下主力艦隊と合流、萩風は戦艦長門に加賀生存者を移乗させた[35]。 また直後のアリューシャン攻略作戦を支援しつつ、アメリカ軍機動部隊出現に対処するため連合艦隊は南雲機動部隊残存部隊や攻略部隊から艦艇を引き抜き、北方部隊(第五艦隊)を増強する[36]。第4駆逐隊は北方海面に進出し、第四航空戦隊(司令官角田覚治少将:空母龍驤隼鷹)等と合流して作戦に従事[37]。第二機動部隊(第一空襲部隊《龍驤、隼鷹、高雄、潮、漣、曙、浦風、東邦丸》、第二空襲部隊《瑞鶴、瑞鳳、摩耶、嵐、野分、萩風、舞風、富士山丸》)として行動したが[38]、米艦隊出現の徴候はなく、作戦中止にともない7月上旬以降内地へ戻った[39]

7月14日附で艦隊の編制が大きくかわり、第4駆逐隊は第十戦隊(司令官木村進少将)に編入された。軽巡長良を旗艦とする第十戦隊は陽炎型駆逐艦もしくは夕雲型駆逐艦で編制され、第4駆逐隊の他に第10駆逐隊(秋雲夕雲巻雲風雲)、第16駆逐隊(雪風時津風天津風初風)、第17駆逐隊(谷風浦風浜風磯風)という陣容であった[40]

ソロモン諸島の戦い[編集]

8月7日、アメリカ軍はガダルカナル島フロリダ諸島に上陸、ガダルカナル島の戦いがはじまった。8月16日午前5時、陽炎型駆逐艦6隻(指揮官/有賀第4駆逐隊司令:嵐《司令駆逐艦》、萩風、陽炎谷風浦風浜風)は陸軍一木支隊約900名(指揮官一木清直大佐)を分乗させトラック泊地を出撃[41]。8月18日21時以降ガダルカナル島タイボ岬へ揚陸した[42]。この部隊は21日イル川渡河戦で全滅している。第17駆逐隊3隻(谷風、浦風、浜風)はラビの戦い(「レ」号作戦)に従事するためガダルカナル島海域を離脱してラバウルに向かった[43]。陽炎型3隻(嵐、萩風、陽炎)は警戒艦として、ひきつづきルンガ泊地附近を行動した[44]

8月19日、萩風、陽炎はサボ島周辺でアメリカ軍魚雷艇数隻を砲撃で撃沈[45][46]、萩風は1隻を拿捕して調査したあと自沈させた[47]。 日中、B-17爆撃機の空襲を受け艦尾(三番砲塔とも)に被弾を受け[45][48]、舵故障を起こした[49][50]。萩風は嵐の援護下でガ島の浅瀬に停泊、舵を中央で固定した[51]。有賀司令は陽炎にガ島海域警戒任務を引き継がせると、2隻(嵐、萩風)をトラック泊地へ回航させた[52][45]。泊地到着直前の23日午後1時、嵐、萩風は山本五十六連合艦隊司令長官座乗の戦艦大和、空母春日丸(大鷹)、第7駆逐隊()と遭遇した[53]

9月8日附で岩上中佐(萩風艦長)は陽炎型11番艦浦風の駆逐艦長へ転任[54]。萩風駆逐艦長には畑野健二少佐(睦月型駆逐艦1番艦睦月沈没時駆逐艦長)が任命された[54]。 10月1日、左舷推進軸を損傷していた萩風は日本本土へ回航された[55]。7日、右推進器の切損により航行不能となり[56]、朝潮型駆逐艦山雲に護衛され8日に横須賀港へ戻った[57][55]。到着後、翌1943年(昭和18年)1月22日まで浦賀船渠で修理に従事する[58]。この間、12月1日附で畑野(萩風)艦長は夕雲型駆逐艦8番艦清波の艤装員長に任命されている[59]。清波艤装員長の職務は12月28日附で有馬時吉中佐に交代した[60]。 また第4駆逐隊僚艦野分は12月7日の鼠輸送中に損傷、嵐は昭和18年1月15日の鼠輸送作戦で損傷、舞風は2月4日ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)従事中に損傷し、それぞれ内地帰投と修理を余儀なくされた[61]

1943年(昭和18年)2月20日、第4駆逐隊司令は有賀幸作大佐から杉浦嘉十大佐に交代する[注釈 7][62]。2月24日、杉浦司令は司令駆逐艦を嵐から萩風に変更した[63]。 修理を終えた萩風は夕雲型駆逐艦7番艦大波と共に空母冲鷹を護衛して2月28日に横須賀を出港し、トラックへ進出した[64]。3月8日、萩風は第27駆逐隊の駆逐艦夕暮と共に冲鷹の横須賀回航を護衛する[65]。横須賀帰投後の2隻(萩風、夕暮)は戦艦金剛の内海西部回航を護衛した[66][67]。 3月下旬は、空母翔鶴及び第50航空戦隊(鳳翔龍鳳)の訓練に協力[68]。28日、トラック泊地より内地へ帰投中の第七戦隊部隊(鈴谷熊野浦風)掩護に派遣された[69][70]

4月1日、第三戦隊司令官栗田健男中将指揮下の各艦(金剛、榛名、浦風、萩風)は呉を出発[71][72]。6日トラック泊地到着[73]。その後、同泊地とラバウル方面で輸送任務に従事した。 4月下旬、トラック泊地にあった第15駆逐隊(親潮黒潮陽炎)、第24駆逐隊(海風)、第4駆逐隊(萩風)は4月24日附で南東方面部隊に編入され、中部ソロモン方面の輸送作戦に従事することになった[74]。各艦は26日にラバウルへ到着して増援部隊に編入、作戦のためブインへ進出した[74]。2隻(萩風、海風)は4月29日の第二次コロンバンガラ島輸送作戦[74]、5月4日第四次輸送任務に従事した[75]。ところが第五次輸送作戦に従事中の第15駆逐隊(親潮黒潮陽炎)はアメリカ軍が敷設した機雷によって大破、さらに航空攻撃を受けて3隻とも沈没した[74]。第六次作戦のため待機中の2隻(萩風、海風)は急遽出動[76]。コロンバンガラ島を一周して第15駆逐隊を捜索し、内火艇1隻を発見する[74]。乗船中の陽炎先任将校から第15駆逐隊3隻沈没と生存者救助済の連絡を受け、2隻(萩風、海風)は引き返した[77]。第15駆逐隊の全滅によって鼠輸送(駆逐艦輸送作戦)は5月下旬まで中止されている[74]。なお陽炎の除籍にともない陽炎型駆逐艦は『不知火型駆逐艦』に改定された[78]

5月17日、萩風は第四水雷戦隊(司令官高間完少将:旗艦長良)に編入された[79]。煙突や短艇の標識塗装に変化はない[80]。 6月5日、萩風は夕雲型駆逐艦清波[81]、吹雪型駆逐艦と共に空母2隻(雲鷹冲鷹)の横須賀回航を護衛する事になった[82]。6月5日トラックを出発し、本土へ向かう[83]。6月10日(横須賀到着前日)、萩風は第四水雷戦隊の指揮下を離れた[84]

同日夕刻、第27駆逐隊(有明夕暮)に護衛されていた空母飛鷹が米潜水艦トリガー(USS Trigger, SS-237)の雷撃で航行不能となった[85][86]。横須賀へ回航中の軽巡五十鈴が被雷現場におもむき曳航救難を開始[87][88]。6月11日、横須賀停泊中の扶桑型戦艦2番艦山城と萩風にも飛鷹曳航のため出撃命令が下されるが、飛鷹側は曳航状態良好のため「山城の曳航は必要なきものと認む」と発信した[89]。6月12日、飛鷹隊は横須賀に到着する[90]6月16日附で萩風駆逐艦長は畑野少佐から馬越正博少佐に交代した[91][注釈 8]

7月10日、第三艦隊司令長官小沢治三郎中将が指揮する空母4隻(翔鶴瑞鶴瑞鳳冲鷹)、重巡洋艦3隻(利根筑摩最上)、軽巡洋艦2隻(大淀阿賀野)、水上機母艦「日進」、駆逐艦部隊(第4駆逐隊《嵐、萩風》、第17駆逐隊《磯風》、第61駆逐隊《涼月初月》、夕雲型駆逐艦《玉波》)は横須賀を出撃[92][93]。各艦は、マーシャル諸島ソロモン諸島派遣予定の陸軍部隊や軍需物資も搭載していた[94][95][96]。7月15日、暗号解読や僚艦からの通報により、米潜水艦ティノサ(USS Tinosa, SS-283)とポーギー (USS Pogy, SS-266)がトラック諸島近海で小沢機動部隊を待ち伏せていた[94]。ティノサも距離3500mで魚雷4本を発射するが回避され、小沢艦隊は被害なくトラック泊地に到着した[94][97]

7月19日、大型艦5隻(利根、筑摩、最上、大淀、日進)と第十戦隊(阿賀野、萩風、嵐、磯風、涼月、初月)は更にトラック泊地を経てラバウルへ進出した。7月21日、第十戦隊司令官大杉守一少将は阿賀野から一時的に萩風へ移乗、旗艦を変更した[98]。嵐は利根、萩風は筑摩、磯風は大淀に接舷しそれぞれ補給を受けた[99]。準備完了後、不知火型3隻(萩風、嵐、磯風)は、中戦車22両・野砲16門・歩兵三個大隊・各種軍需物資を満載した水上機母艦日進を護衛してラバウルを出撃、ブーゲンビル島ブインへと向かい[100]、第61駆逐隊(涼月、初月)も続けて出港し、ブカ島へ向かった[101]。だが、ブイン輸送隊はブイン直前でアメリカ軍機70機以上の攻撃を受け日進が撃沈された[101][100]。3隻(萩風、嵐、磯風)はブインに約750名の兵員を輸送したのち日進の沈没現場に戻り、海軍92名・陸軍81名を救助した[100]。日進の沈没は3月3日ビスマルク海海戦の再現になってしまった[102]

ニュージョージア島の戦い[編集]

ラバウルに帰投後、第十戦隊旗艦は萩風から阿賀野に戻る[103]。ここで第4駆逐隊(萩風、嵐)のみ南東方面部隊・外南洋部隊・増援部隊に編入され、ソロモン諸島に残ることになった[103]。外南洋部隊増援部隊はニュージョージア島の戦いにともなうクラ湾夜戦コロンバンガラ島沖海戦で旗艦2隻(秋月型駆逐艦新月《第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将戦死、三水戦司令部全滅》、川内型軽巡洋艦神通《第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将戦死、神通艦長佐藤寅次郎少将戦死、二水戦司令部全滅》)、駆逐艦多数(長月初雪清波夕暮)を喪失し、他の駆逐艦も軒並み損傷、着任したばかりの第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐が軽巡川内より指揮を執っていた[103][104]。萩風、嵐以外の艦(利根、筑摩、最上、阿賀野、大淀、磯風、涼月、初月)はトラックへ帰投したが、その際磯風は魚雷と弾薬を2隻(萩風、嵐)に供与している[105]

7月25日、第4駆逐隊司令指揮下の駆逐艦3隻(萩風、嵐、時雨)はサンタイサベル島レカタ輸送を実施、揚陸に成功して28日夕方ラバウルへ戻った[106]。8月1日、駆逐艦4隻(萩風、嵐、時雨、天霧)はコロンバンガラ島輸送作戦を実施中、アメリカ軍魚雷艇15隻と交戦する[107]。夜間水上戦闘の最中、警戒隊天霧はジョン・F・ケネディ中尉を艇長とする魚雷艇「PT-109英語版」を体当たりによって撃沈した[108]

ニュージョージア島での戦局は悪化する一方であり、日本軍はさらなる増援部隊を投入する。前述のとおり天霧はアメリカ軍魚雷艇との衝突により損傷したため、白露型駆逐艦江風(第24駆逐隊)と任務を交替した[109][110]。8月5日、ブインおよびコロンバンガラ島への輸送のため、軽巡川内と第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐指揮下の駆逐艦4隻(萩風、嵐、江風、時雨)はラバウルを出撃した[111]。伊集院司令官座乗の川内は陸兵450名と物資130トンをブインへ、第4駆逐隊は陸兵950名と物資90トンを搭載していた[111]。また萩風には第三水雷戦隊先任参謀の二反田三郎中佐が川内より乗艦していた[112]

8月6日、コロンバンガラ輸送隊はブインへ向かう川内と分離後、萩風-嵐-江風-時雨の単縦陣を形成し、30ノットを発揮して目的地に近づいた[111][113]。各艦の開距離は500mだったが、3番艦江風と最後尾時雨の距離は1000mに開いていた[114]。海面には薄い靄がたちこめ、視界は不良だったという[115] [116] [117]。 日中の時点で輸送隊はアメリカ軍哨戒機に捕捉され、行動を報告されていた[117]。これに対し、日本側は「敵有力部隊策動の恐れあり」程度にしかアメリカ軍の行動を把握しておらず[116]、予定されていた水上偵察機の夜間哨戒も天候不良を理由に実施していない[117]

アメリカ軍は各方面からの情報に依り、日本艦隊を待ち伏せていた。アメリカ軍駆逐艦6隻(指揮官フレデリック・ムースブルッガー中佐:ダンラップクレイヴンモーリーラングスタレットスタック)はレーダーを装備しており、日本艦隊に対して先制攻撃を敢行する[118]。米水雷戦隊は24本の魚雷を発射[119]。日本艦隊が米艦隊に気付いた時には次々に魚雷が命中し、江風は轟沈した[120]。 第4駆逐隊(萩風、嵐)も被雷して戦闘不能となった[116]。 萩風には魚雷2本が命中し[121][122]、 主砲や魚雷発射管は使用不能となったため使用可能の機銃で反撃を実施した[121]。だが2隻は続く米駆逐艦隊の砲撃によって炎上し、嵐は22時10分前後に沈没、萩風も総員退去後の22時18分に沈没した[123][124][125]

単縦陣の最後尾にいた第27駆逐隊の白露型駆逐艦時雨(駆逐隊司令原為一大佐)は魚雷攻撃の回避に成功した(2本艦底通過、1本舵命中不発《後日判明》)[126][127]。つづいて魚雷8本を発射したが米艦隊には命中せず(時雨側は命中と誤認)[111][127][128]。次発魚雷を装填して戻ってきたが状況不明のため戦闘継続を断念、生存者の救助を陸上部隊に依頼して戦場を離脱した[116][129]。その後時雨は川内と合流してラバウルへ向かった[130]。 米艦隊は時雨の追跡を打ち切ったのち戦闘海域に戻り、萩風以下沈没艦3隻の生存者を救助しようとしたが、ほとんどの者は救助を拒んだという[131]。戦死者約170名以上[132]。輸送中の陸軍兵合計940名のうち生存者は約120名程であった[133][134]

生還した第27駆逐隊(時雨)や杉浦嘉十第4駆逐隊司令は、レーダー(電波探信儀)および米駆逐艦部隊新戦法の脅威を各方面に報告[127][135]軍務局キスカ島撤退作戦を終え内地に戻っていた島風型駆逐艦島風第二水雷戦隊所属)に対し電探射撃について研究を行うよう下令している[136][137]。杉浦司令は貴重な駆逐艦を輸送任務(鼠輸送)に投入することを避けるよう訴えているが[135]、駆逐艦による輸送作戦は太平洋戦争末期まで常態化することになった。 9月4日、杉浦司令は野分に将旗を掲げた[138][139]。9月15日、ベラ湾夜戦により残存艦2隻(野分、舞風)となった第4駆逐隊に、満潮型駆逐艦山雲が編入され、同隊は3隻(野分、舞風、山雲)となった[140]。第4駆逐隊はトラック島空襲舞風が撃沈されるまで3隻編制で活動を続ける事になる。 馬越(萩風艦長)は日本に戻り、9月10日に軍令部でベラ湾夜戦の様相を報告した[141]。 10月1日附で萩風駆逐艦長の職務を解かれ[142]、10月10日より砲艦唐津(旧米国砲艦ルソン)艦長[143]に任命される[注釈 9][144]

駆逐艦萩風と嵐は10月15日附で不知火型駆逐艦[145] 第4駆逐隊[146]、 帝国駆逐艦籍[147]、 それぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 井上良雄 中佐:1940年11月15日[5] - 1941年3月31日[9]
駆逐艦長
  1. 井上良雄 中佐:1941年3月31日[9] - 1942年5月5日[26]
  2. 岩上次一 中佐:1942年5月5日[26] - 1942年9月8日[54]
  3. 畑野健二 少佐:1942年9月8日[54] - 1943年6月16日[91]
  4. 馬越正博 少佐:1943年6月16日[91] - 1943年10月1日[142]

注釈[編集]

  1. ^ 佐藤大佐は、軽巡神通艦長として神通が沈没したコロンバンガラ島沖海戦で戦死した。
  2. ^ 有賀大佐は第11駆逐隊《初雪白雪吹雪》より転任。佐藤大佐は第15駆逐隊《親潮夏潮早潮黒潮》へ転任。
  3. ^ 当時第4駆逐隊司令有賀幸作大佐は坊ノ岬沖海戦時に大和艦長として参加、大和沈没時に戦死した。
  4. ^ 井上良雄萩風艦長は、のちに第18駆逐隊司令として駆逐艦不知火沈没時に戦死した。
  5. ^ 岩上次一大佐は、第52駆逐隊司令として駆逐艦沈没時に戦死した。
  6. ^ 萩風砲術長によれば、嵐と萩風の魚雷が命中起爆し、野分は不発、舞風は発射していない。
  7. ^ 有賀大佐は3月1日附で重巡鳥海艦長。杉浦大佐は後日重巡羽黒艦長としてペナン沖海戦で戦死している。
  8. ^ 畑野少佐は秋月型駆逐艦7番艦霜月駆逐艦長として霜月沈没時に戦死した。
  9. ^ 馬越少佐は1944年(昭和19年)3月3日、唐津が米潜水艦ナーワルの雷撃で大破した際に戦死した。のち中佐に進級。

参考文献[編集]

  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人 『戦藻録 明治百年史叢書』 原書房、1968年1月。
  • 生出寿 『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官』 光人社、1996年12月。ISBN 4-7698-2143-3
  • 木俣滋郎 『日本空母戦史』 図書出版社、1977年
  • 倉橋友二郎 『駆逐艦隊悲劇の記録 海ゆかば・・・』 徳間書店、1967年6月。 著者は1941年9月〜1942年9月まで「萩風」砲術長勤務。のち「涼月」砲術長として坊ノ岬沖海戦参加。
  • 倉橋友二郎 『激闘駆逐艦隊』 朝日ソノラマ、1987年12月。
  • 小板橋孝策 『「愛宕」奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』 光人社NF文庫、2008年ISBN 978-4-7698-2560-9
  • 佐藤静夫 『駆逐艦「野分」物語 若き航海長の太平洋海戦記』 光人社NF文庫、2004年1月。ISBN 4-7698-2408-4
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録
    • 当時 四駆逐隊付・海軍少尉候補生戸田専一『乗艦「舞風」「萩風」ネズミ輸送の悲惨を語れ 駆逐艦の損傷相次ぎ風雲急を告げるソロモン戦線五ヶ月の体験
    • 当時「嵐」水雷長・海軍大尉宮田敬助『第四駆逐隊「嵐」「萩風」ベラ湾夜戦に死す 昭和十八年八月六日夜、コロンバンガラ輸送の途次に魚雷をうけて三隻沈没
  • 外山三郎 『図説 太平洋海戦史 第3巻 写真と図説で見る日米戦争光人社、1995年9月。ISBN 4-7698-0711-2 著者は海軍少佐、防衛大学教授等。
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第四巻 昭和十七年一月一日~昭和十七年九月三十日』 中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-X
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月一日~昭和十八年二月十一日』 中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403395-8
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第六巻 昭和十八年二月十二日~九月』 中央公論社、1997年3月。ISBN 4-12-403396-6
  • 種子島洋二 『ソロモン海「セ」号作戦―コロンバンガラ島奇蹟の撤収』 光人社、2003年9月。ISBN 4-7698-2394-0
  • 寺内正道ほか 『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』 潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • 当時二十七駆逐隊司令・海軍大佐原為一『二十七駆逐隊司令わがソロモン海の戦歴 旗艦時雨の艦上で指揮したベラ湾夜戦、二次ベララベラ海戦の実相
  • 永井喜之・木俣滋郎 「第2部 第二次大戦/日本編 11章 駆逐艦「萩風」「嵐」「江風」」『新戦史シリーズ 撃沈戦記』 朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8
  • チェスター・ニミッツ/E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳 『ニミッツの太平洋海戦史』 恒文社、1962年12月。
  • 橋本敏男田辺弥八ほか 『証言・ミッドウェー海戦 私は炎の海で戦い生還した!』 光人社NF文庫、1999年ISBN 4-7698-2249-9
    • 惨たり空母加賀埋骨の決戦記 元空母加賀飛行長・海軍大佐天谷孝久
    • わが愛機は命運なき母艦とともに 元空母加賀艦攻隊・海軍一飛曹松山政人
    • 栄光燦たり空母加賀の奮戦 元空母加賀工作長・海軍大尉国定義男
  • 原為一『帝国海軍の最後』(河出書房、1962)
  • 原為一 『帝国海軍の最後』 河出書房新社、2011年7月(原著1955年)。ISBN 978-4-309-24557-7
  • 福井静夫『海軍艦艇史 2 巡洋艦コルベット・スループ』ベストセラーズ、1980年。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書29 北東方面海軍作戦』 朝雲新聞社、1969年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0461-X
  • サミュエル・モリソン大谷内一夫訳 『モリソンの太平洋海戦史』 光人社、2003年8月。ISBN 4-7698-1098-9
  • ウォルター・ロード、実松譲訳 『逆転 信じられぬ勝利』 フジ出版社、1969年7月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08051772000 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。
    • Ref.C08030509000 『昭和16年12月8日~昭和17年5月31日 馬公警備府戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030023200 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(8)』。
    • Ref.C08030096400 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030096500 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030096600 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030096700 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030096800 『昭和17年8月13日~昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(5)』。
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    • Ref.C08030362000 『昭和17年7月1日~昭和17年1月30日 横須賀防備戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030105900 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030769100 『昭和18年1月1日~昭和18年1月31日 第7戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030769200 『昭和18年1月1日~昭和18年1月31日 第7戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030041800 『昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030041900 『昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030116400 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030100400 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030100500 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030100600 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030100700 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030116900 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030117000 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030117100 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030117200 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030117300 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030052200 『昭和18年4月1日~昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030586800 『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030048700 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(6)』。
    • Ref.C08030101000 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030101100 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C13071998900 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(下)原稿:巻3追録/第16類艦船』。
    • Ref.C13071997700 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。
    • Ref.C12070106700 『昭和15年1月~12月達/2月』。
    • Ref.C12070150000 『昭和16年1月~4月内令1巻/昭和16年3月(3)』。
    • Ref.C12070153600 『昭和16年9月~10月内令3巻/昭和16年10月(4)』。
    • Ref.C12070178200 『昭和18年5~6月 内令2巻/昭和18年6月(4)』。
    • Ref.C12070180700 『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年9月(4)』。
    • Ref.C12070181300 『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(3)』。
    • Ref.C12070181400 『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(4)』。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c #達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津軽(ツガル)|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 国後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチジャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年6月30日)p.4『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』
  3. ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『艦名:萩風|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:浦賀船渠會社|起工年月日14-5-23|進水年月日15-6-18|竣工年月日16-3-31|(兵装略)』
  4. ^ 昭和15年11月1日(発令11月1日付)海軍辞令公報(部内限)第550号 p.5』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079300 
  5. ^ a b 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第555号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 
  6. ^ 自昭和12年1月 至昭和20年4月 海軍公報/昭和15年目録(3)p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C12070383900 『海軍公報(部内限)目録(十二月分)二|三六六七|第五潜水戰隊第六戰隊将旗移揚、第二十一水雷隊司令定變更、萩風艤装員事務所、第十五航空隊残務整理箇所』
  7. ^ 昭和16年4月4日 海軍公報(部内限)第3762号(金) p.31』 アジア歴史資料センター Ref.C12070394100 『○事務所撤去 海軍機雷學校(假稱)設立準備委員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/萩風艤装員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/第十四號驅潜艇艤装員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/第十五號驅潜艇艤装員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ/第五冨久丸、海形丸事務所ヲ三月三十一日撤去セリ』
  8. ^ #内令昭和16年3月(3)p.2『内令第二百七十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年三月三十一日 海軍大臣 及川古志郎|第三驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第四驅逐隊|嵐、萩風|』
  9. ^ a b c d 昭和16年3月31日(発令3月31日付)海軍辞令公報(部内限)第606号 p.57』 アジア歴史資料センター Ref.C13072080500 
  10. ^ 昭和16年4月10日(木)海軍公報(部内限)第3767号 p.20』 アジア歴史資料センター Ref.C12070394200 『○司令驅逐艦指定 第四驅逐隊司令ハ四月一日司令驅逐艦ヲ嵐ニ指定セリ』
  11. ^ 昭和16年5月3日 海軍公報(部内限)第3784号(土) p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C12070394800 『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ四月二十八日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更、同日復歸セリ』
  12. ^ 昭和16年6月18日(発令6月18日付)海軍辞令公報(部内限)第657号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081400 
  13. ^ 昭和16年7月12日(土)海軍公報(部内限)第3843号 p.15』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396200 『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ七月九日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更、同日復歸セリ』
  14. ^ 昭和16年8月11日(月)海軍公報(部内限)第3868号 p.15』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396600 『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ八月八日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更セリ』
  15. ^ 昭和16年8月19日(火)海軍公報(部内限)第3875号(火) p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396700 『○司令驅逐艦復歸 第四驅逐隊司令ハ八月十六日司令驅逐艦ヲ嵐ニ復歸セリ』
  16. ^ 昭和16年8月21日(木)海軍公報(部内限)第3875号 p.31』 アジア歴史資料センター Ref.C12070396700 『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ八月十九日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更、同日復歸セリ』
  17. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録33-34頁(空撃ちの筈だったが、演習弾が装填されていた)
  18. ^ #内令昭和16年10月(4)p.19『内令第千三百七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年十月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「萩風」ノ下ニ「、野分、舞風」ヲ加フ』
  19. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録212頁
  20. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦(付図第一)『南方作戦関係主要職員表 昭和十六年十二月八日』
  21. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録12頁
  22. ^ #愛宕奮戦記53頁
  23. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録18頁
  24. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録25-26頁
  25. ^ #S1612馬公警備府日誌(5)pp.28-29『一四(天候略)第五航空戦隊機密第383番電 瑞鶴翔鶴萩風秋雲舞風4月18日1400馬公到着ノ豫定錨地指定ヲ乞フ(略)』
  26. ^ a b c d 昭和17年5月5日(発令5月5日付)海軍辞令公報(部内限)第854号 pp.1-2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085400 
  27. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録31頁
  28. ^ 昭和17年4月15日(発令4月15日付)海軍辞令公報(部内限)第843号 p.38』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100 
  29. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録39頁
  30. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録69頁
  31. ^ #ロード、逆転264-266頁『米潜水艦攻撃の謎』
  32. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録73頁
  33. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録80頁
  34. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録81-83頁
  35. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録85-86頁
  36. ^ #戦史叢書29北東方面258頁『敵艦隊邀撃作戦』
  37. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録90頁
  38. ^ #戦史叢書29北東方面260-262頁『第三軍隊区分』
  39. ^ #戦史叢書29北東方面262-263頁『第二次邀撃作戦』
  40. ^ #戦隊行動調書p.10『10S:7.14 3Fニ編入 旗艦長良、10dg、17dg、16dg(雪風時津風天津風初風)、4dg(嵐舞風野分萩風)』
  41. ^ #外南洋増援部隊(1)p.10『(一)挺身隊(4dg《野分舞風缺》17dg《磯風缺》及陽炎)ハ陸軍一木支隊先遣隊(陸兵約900名)ヲ分乗4dg司令指揮ノ下ニ八月十六日050「トラック」ヲ出撃ス』
  42. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)519頁(4駆司令は一貫して有賀大佐)
  43. ^ #外南洋増援部隊(1)p.7『17dg(磯風缺)|八月十三日|八月十八日|挺身隊トシテ一木支隊先遣隊ヲ揚陸後「レ」號作戰参加ノ爲「ラバール」ニ回航ス』
  44. ^ #外南洋増援部隊(1)p.11『(五)挺身隊ハ八月十八日2030「ガダルカナル」島「タイボ」岬西方泊地ニ進入シ2100上陸成功2330右揚陸作業ヲ終了後豫定計画ニ従ヒ4dg(野分舞風缺)及陽炎ハ「ツラギ」及「ルンガ」泊地附近ノ警戒ニ任ジ17dg(磯風缺)ハ「レ」號作戰参加ノ爲「ラバール」ニ向フ』
  45. ^ a b c #外南洋増援部隊(1)pp.11-12『(六)八月十九日早朝萩風(陽炎)ハ「ツラギ」沖ニ於テ敵水上機動艇1(1)撃沈3(1)大破 陽炎飛行艇(一機)撃沈 嵐ハ「ガダルカナル」「ルンガ」岬ノ敵ニ応戰之ヲ砲撃相當ノ損害ヲ與ヘタルモ各艦0955B17型2機以上ノ攻撃ヲ受ケ1015萩風ハ三番砲塔後部ニ爆弾命中損傷ヲ蒙リ嵐護衛ノ下ニ「トラック」ニ向フ 陽炎ハ4dg(野分舞風缺)ノ任務ヲ継承シ「ガダルカナル」泊地ノ警戒ニ任ズ』
  46. ^ #S1709八艦隊(1)pp.54-55『8月16/佐五特派遣隊(200名)「タイボ」ニ揚陸成功、第4駆ハ佐五特揚陸後「ルンガ」方面ヲ砲撃海上「トラック」2撃沈3ヲ大破ス、萩風空襲ニ依リ損傷ヲ受ク』
  47. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録113頁
  48. ^ #高松宮日記4巻410頁
  49. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録116頁
  50. ^ #外南洋増援部隊(1)p.7『4dg(野分舞風缺)|八月十三日|八月十九日|挺身隊トシテ一木支隊先遣隊ヲ揚陸後警戒感トシテ「ルンガ」泊地警戒中萩風敵飛行機ノ爆撃ヲ受ケ損傷 嵐護衛ノ下「トラック」ニ回航ス』
  51. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録117-118頁、#戦藻録(1968)168頁
  52. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)534頁
  53. ^ #戦藻録(1968)170頁
  54. ^ a b c d 昭和17年9月10日(発令9月8日付)海軍辞令公報(部内限)第939号 p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C13072086800 
  55. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)192頁
  56. ^ #高松宮日記5巻23頁
  57. ^ #S1707横須賀防備戦隊(2)pp.3-4『七日(天候略)〇七四〇山雲長浦発(略)(四)山雲ハ三宅島ノ五四度二二浬ヨリ航行不能ノ萩風ヲ曳航ス/第二十六号駆潜艇ハ之ガ警戒護衛ニ任ズ』
  58. ^ #陽炎型(2014)313頁『萩風』
  59. ^ 昭和17年12月2日(発令12月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1003号 p.50』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088400 
  60. ^ 昭和17年12月31日(発令12月28日付)海軍辞令公報(部内限)第1022号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088700 
  61. ^ #陽炎型(2014)163頁
  62. ^ 昭和18年2月23日(発令2月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1057号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089800 
  63. ^ 昭和18年3月3日(水)海軍公報(部内限)第4330号 p.43』 アジア歴史資料センター Ref.C12070429700 『○司令驅逐艦變更 第十五驅逐隊司令ハ一月二十六日司令驅逐艦ヲ陽炎ニ變更セリ/第四驅逐隊司令ハ二月二十四日司令驅逐艦ヲ萩風ニ變更セリ/第二十四驅逐隊司令ハ二月二十四日司令驅逐艦ヲ海風ニ變更セリ』
  64. ^ #S1801二水戦日誌(3)p.4『大波(略)15日鳥海冲鷹ヲ護衛シ同地発20日横須賀着修理ニ従事28日萩風ト共ニ冲鷹ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ同地発』
  65. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.33『8日|(天候略)|一.夕暮萩風ト共ニAdB電令作第159号ニ依ル沖鷹警戒任務ニ従事』
  66. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.35『19日|(天候略)|一.夕暮萩風ト共ニ内海西部ニ向ケ金剛護衛任務ニ従事ス(GF信電令第133号KdB電令作第58号)』
  67. ^ #S1709三戦隊日誌(2)pp.47-48『一八日一二二〇3S司令官|金剛4dg(萩風)夕暮|3S信令第六九号 今次回航ニ関シ左ノ通定ム 一.4dg司令ハ夕暮ヲ併セ指揮スベシ』
  68. ^ #S1709三戦隊日誌(2)pp.48-49『二十一日〇一三四KdB待機部隊指揮官(3S司令官)(宛略)(二十二日発令)一.3S飛行機隊(榛名ヲ含ム)ハ二十二日8S 2sf豊後水道出撃ノ際佐伯航空隊ヲ基地トシ豊後水道外ノ対潜警戒ニ任ズベシ詳細ニ関シテハ呉鎮部隊ト協議スベシ/二.4dg(萩風)ハ二十二日ヨリ二十七日迄翔鶴艦長ノ指揮ヲ受ケ仝艦及50sfノ訓練ニ協力スベシ』
  69. ^ #S1709三戦隊日誌(2)pp.50-51『二十五日一一五三KdB待機部隊指揮官(3S司令官)(宛略)一.7S及浦風二十八日午後豊後水道通過二十九日〇八〇〇呉着ノ予定/二.萩風ハ4dg司令所定ニ依リ豊後水道外約一〇〇浬ニ於テ7Sニ合同之ガ護衛ニ任ズベシ/三.翔鶴艦長ハ二十八日午後適宜飛行機ヲ以テ航路附近ノ対潜警戒ヲ実施スベシ』
  70. ^ #S1801七戦隊日誌(2)p.4『(三)三月二十四日呉ニ回航修理ノ命アリ同日〇八〇〇第七戰隊浦風天津風ヲ率ヰ「トラック」発同日一五二〇出撃ノ警戒ニ協力セシ天津風ヲ分離シ諸訓練ヲ實施シツツ北上二十八日一〇〇〇豊後水道入口近ク湾口附近警戒ニ協力ノ萩風ヲ合同一四三〇豊後水道沖ノ島着浦風次イデ萩風ヲ分離同日二三一〇宮島沖ニ假泊二十九日〇七五〇呉着整備ニ従事ス』
  71. ^ #S1709三戦隊日誌(2)p.51『二十九日〇九〇一3S司令官(宛略)當隊4dg(萩風)及浦風三月三十一日〇九〇〇呉発左ニ依リトラツクニ進出ノ豫定警戒等可然取計ハレ度(以下略)』
  72. ^ #S1709三戦隊日誌(3)p.3『(一)前月末内地ニ於テ待機中ナリシガ「トラツク」ニ進出ノ命ニ依リ四月一日呉発六日トラツクニ到着コノ間呉鎮第七特陸呉ヨリ「トラツク」迄輸送セリ』
  73. ^ #S1709三戦隊日誌(3)p.6『六日(天候略)一一四〇「トラツク」着|KdB指揮官不在中3S司令官KdB(トラツク所在)ヲ指揮ス』
  74. ^ a b c d e f #戦史叢書96ガ島撤収後159-163頁『中部ソロモン方面増援輸送(親潮、黒潮、陽炎の沈没)』
  75. ^ #S1801二水戦日誌(6)p.7『第四次「コロンバンガラ」輸送|5月4日 5月5日|海風(司令24dg)萩風(司令4dg)』
  76. ^ #高松宮日記6巻243頁
  77. ^ #陽炎型(2014)174頁
  78. ^ #内令昭和18年6月(4)p.44『内令第千二百二十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「陽炎型」ヲ「不知火型」ニ改メ同項中「陽炎、」「、黒潮、親潮」ヲ削ル』
  79. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.7『4dg(萩風)ハ17日0800「トラック」着以降4sdニ編入(指揮下ニ入ル)セラレ尓後同地ニ在リテ訓練整備ニ任ズ前記ノ外「トラック」ニ於テ左ノ通警戒護衛任務ニ従事何レモ任務ヲ完遂セリ』
  80. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.45『AdB電令作第199号ニ依リ4dg(萩風)本職指揮下ニ編入中同隊ノ隊番号ヲ三番隊トナス但シ煙突及短艇等ノ標識ハ変更セズ』
  81. ^ #S1801二水戦日誌(6)pp.34-35『AdB指揮官|29日2330 2sd4sd各司令官4dg司令(GF4F横鎮各司令長官大臣総長雲鷹冲鷹潮|AdB電令作第208號 雲鷹冲鷹「トラック」ヨリ横須賀回航ニ際シ2sd司令官ハ麾下駆逐艦1隻ヲ、4sd司令官ハ4dg(萩風)ヲ派遣シ雲鷹艦長ノ指揮ヲ受ケ同艦ノ警戒ニ任ゼシムベシ』-『29日2330 2sd司令官→二水戦〔2F、2KEg、4F司 雲鷹冲鷹潮〕|AdB電令作第208號ニ依ル駆逐艦ヲ清波ニ指定ス』
  82. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.55『27日0822(将旗)GF→27日1500(将旗)2F(将旗)7dg雲鷹大鷹冲鷹潮|GF電令作第578号 一.雲鷹冲鷹潮現任務終了後雲鷹艦長指揮ノ下ニ横須賀ニ回航スベシ/二.AdB指揮官ハd×2(萩風ヲ含ム)ヲシテ雲鷹艦長ノ指揮ヲ受ケ右部隊ノ護衛ニ任ズベシ/三.7dg(曙)ハ現任務終了後横須賀ニ回航スベシ』
  83. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.83『5日(天候略)4dg(萩風)0425横須賀ニ向ケトラック発|4dg(萩風)AdB電令作第208号ニ依ル雲鷹冲鷹警戒任務ニ従事横須賀ニ回航ス|元GF司令長官山本元帥国葬』
  84. ^ #S1805四水戦日誌(2)pp.9-10『4dg(萩風)前月ニ引続キ(将旗)4sdノ指揮下ニ在リ5日AdB電令作第208号ニ依リ雲鷹艦長ノ指揮ヲ受ケ同艦警戒任務ニ従事「トラック」発横須賀ニ回航10日GF電令作第588号AdB電令作第217号ニ依リKdBニ復帰セシメラレ4sdノ指揮ヲ離ル』
  85. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.85『有明夕暮、1853飛鷹敵潜水艦ノ魚雷攻撃ヲ受ケ遭難之ガ掩護中夕暮1937飛鷹ヨリ敵潜水艦ト誤認サレ高角砲及機銃射撃ヲ受ケ軽微ナル損害ヲ受ク』
  86. ^ #木俣空母481-485頁『飛鷹、被雷す(六月十日)』
  87. ^ #S1804十四戦隊日誌(1)p.28『8日0900呉発、横須賀ニ回航ノ途、GF機密第102230番電ニ依リ11日0600飛鷹救難曳航作業ニ従事 12日0530横須賀着』
  88. ^ #木俣空母485頁『飛鷹の曳航(六月十一日)』
  89. ^ #高松宮日記6巻352-353頁
  90. ^ #S1805四水戦日誌(2)pp.37,86『有明夕暮2sf(飛鷹)ト共ニ1053横須賀着』
  91. ^ a b c 昭和18年6月16日(発令6月16日付)海軍辞令公報(部内限)第1148号 p.43』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091600 
  92. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.18『…翌十日機動部隊指揮官指揮ノ下ニ第八戦隊ヲ率ヰ0600同地發1230沖ノ島出撃「トラック」ニ回航15日着急速補給ヲ完了機動部隊第一部隊(8S 61dg)及第三部隊(日進)ヲ率ヰ14S(那珂)ヲ併セ指揮シ16日早朝「トラック」發ニテ搭載人員ヲ「ミレ」方面ニ輸送ノ予定ナシリ所…』
  93. ^ #S1709日進詳報(2)p.38『七月三日一八二五機動部隊指揮官|8S 10S外日進|KdB機密〇三二一一〇番電 一.略/二.冲鷹日進玉波(日進艦長ノ命ヲ受ケ日進警衛ニ任ズ)ハ便宜各所在地發七月十一日一二〇〇迄ニ當部隊ニ合同セヨ|無電』-『七月十日〇五三〇日進(宛略)日進玉波〇五〇〇「トラック」ニ向ケ發|無電』-『七月十四日〇五〇〇瑞鶴|艦隊|日進冲鷹玉波嵐ハ列ヲ解キ日進艦長所定ニ依リ概ネ當隊ニ續行「トラック」ニ入泊スベシ|信号』
  94. ^ a b c #木俣空母498-500頁
  95. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)357頁
  96. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後249頁
  97. ^ #高松宮日記6巻472頁
  98. ^ #陽炎型(2014)190頁
  99. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.36『…21日1500「ラバウル」ニ入泊直ニ乙部隊ニ対スル積換補給(嵐ハ利根、萩風ハ筑摩、磯風ハ大淀ヨリ燃料補給満載)並ニ「ラバウル」ニ於ケル揚搭作業ヲ開始シ…』
  100. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)373頁
  101. ^ a b #陽炎型(2014)191頁
  102. ^ #ソロモン海「セ」号作戦123頁
  103. ^ a b c #陽炎型(2014)192-193頁
  104. ^ 昭和18年7月7日(発令7月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1067号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092100 
  105. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.40『…出撃前日(23日附)4dg南東方面部隊編入ノGF電令ニ接シタルヲ以テ不取敢第一部隊ヨリ除キ第十戦隊司令官所定ニ依リ磯風ノ魚雷弾薬等ヲ同隊ニ移載ノ上第一部隊ハ24日0915「ラバウル」ヲ出撃セリ…』
  106. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後254頁
  107. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後259頁『外南洋部隊の作戦』
  108. ^ #モリソンの太平洋海戦史234頁
  109. ^ #陽炎型(2014)197頁
  110. ^ #原(復刻版)97頁
  111. ^ a b c d #戦史叢書96ガ島撤収後260頁
  112. ^ #陽炎型(2014)199頁
  113. ^ #S1709八艦隊(8)p.46『(2)「コロンバンガラ」輸送部隊 川内ト分離後「ボーゲンビル」島東側ヲ南下「ベラ」海湾ヨリ「コロンバンガラ」泊地ニ向ケ萩風、嵐、江風、時雨ノ順ニ単縦陣針路180度速力30節ニテ航行中…』
  114. ^ #原(復刻版)98頁
  115. ^ #ソロモン海「セ」号作戦126頁
  116. ^ a b c d #S1806二水戦日誌(2)pp.30-33『八日〇五五一(司令)27dg(宛略)27dg戰闘概報 一.會敵時ノ對勢天候視界 (イ)敵ハ巡洋艦二隻以上ヲ主隊トシ驅逐艦三隻ヲ其ノ斜前ニ配シ針路二五五度速力二八節會敵時我ヨリノ方位一二〇度D一〇浬敵ハ會敵後間モナク面舵ニテ反轉同航戰トナル 我針路一八〇度速力三〇節開距離一〇〇〇米程度單縦陣/(ロ)天候曇視界五〇〇〇乃至八〇〇〇東方ハ特ニ視界不良|二.八月六日「コロンバンガラ」作戰輸送隊ハ4dg司令指揮ノ下ニハ萩風嵐江風時雨ノ順序ニ單縦陣針路一八〇度速力三〇節ニテ「ベラ」海灣ヲ南下中二一五〇「コロンバンガラ」(ショーダーヒル)ノ三一〇度一九浬ニ於テ「コロンバンガラ」ヲ背影トスル敵d×3 c×2以上(弾着水柱ニ依リ判定)及「ギゾ」島ヲ背影トスル魚雷艇及飛行機ニ依リ方圍攻撃ヲ受ク 嵐江風魚雷命中火災、萩風ハ連絡杜絶セルモ萩風ハ敵ノ集中砲火ヲ受ケツツ主砲ニテ反撃嵐ハ機銃ニテ交戰江風ハ瞬時ニシテ沈没セリ 時雨ハ敵編隊ニ對シ直ニ魚雷發射(發射雷數八本)驅逐艦ラシキモノ一隻魚雷命中炎上セルヲ認ム爾後敵ノ魚雷ヲ回避一旦反轉北上約三〇分間ニシテ次發魚雷装填ヲ了シ更ニ反轉戰場ニ向ヒタルニ敵飛行機ノ爆撃ヲ認ムルノミニシテ敵艦影ハ島影ニ隠レ視認シ得ズ當時敵方視界五〇〇〇米濛氣アリ状況極メテ不利ナルヲ以テ人員救助ヲ八聯特ニ依頼シ戰場ヲ避退セリ』
  117. ^ a b c #S1806二水戦日誌(2)pp.68-69『二七日〇八三七(司令)4dg(宛略)8cg機密第二七〇八三七番電 八月六日「コロンバンガラ」作戰輸送隊戰概報概ネ27dg機密第〇八一八二九番電所報ノ外左ノ通 一.経過(イ)輸送隊ハ八月六日一四三〇頃「ブカ」島の東方ニ於テ敵触接機ラシキモノ一機「ガ」島宛作戰緊急電報一通ヲ打電セルヲ傍受シタル外敵觸接ヲ認メズ/(ロ)當夜我ガ水偵ハ輸送隊ノ行動海面附近ノ哨戒竝ニ「ベラ」灣一帯ノ敵魚雷艇掃蕩ヲ行フ豫定ナリシモ天候不良ノ爲取止メタリ/(ハ)「ベラ」灣進入ニ先立チ敵部隊策動兆アル旨通信情報ヲ得豫定通艦内哨戒第一配備魚雷戰準備ヲ整ヘ警戒ヲ厳ニシ同灣ニ突入セリ當時天候曇視界西方約一〇粁東方約六粁ニシテ「コロンバンガラ」島北側一帯ハ特ニ視界不良』
  118. ^ #モリソンの太平洋海戦史235頁
  119. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録126頁
  120. ^ #S1806二水戦日誌(2)pp.5-6『江風 NTBニ編入中ニシテ前月30日「トラック」発今月1日「ラバウル」着爾後同方面作戦行動中ノ處8月6日夜4dg(萩風、嵐)27dg(時雨)ト共ニ陸兵「コロンバンガラ」輸送任務中敵巡洋艦2以上駆逐艦3及飛行機、魚雷艇多数ノ包囲攻撃ヲ受ケ4dg(萩風嵐)ト共ニ「コロンバンガラ」島「ショルダーヒル」ノ310度19浬附近ニテ遭難沈没ス』
  121. ^ a b #S1806二水戦日誌(2)pp.69-70『二七日〇八三七(司令)4dg(宛略)一.経過(略)(ニ)二一四五頃左六〇度約六粁ニ黒影一個發見直ニ各艦「左戰闘」次デ該黒影ハ反航中ノ敵驅逐艦一隻ナルヲ認メ(嵐江風モ夫々両舷ニ魚雷艇一隻ヲ發見)直ニ戰闘ヲ開始セントシタル瞬間(此ノ寸前右驅逐艦ハ四隻ニシテ面舵ニ斉動中方位角左一六〇度距離約五粁ナルヲ観測)萩風嵐江風共至近ニ雷跡(計一二)ヲ認メ二一四六 一番艦ヨリ相續イテ命中(萩風罐室二本嵐罐室二本補機室一本江風艦橋下二本)シ萩風、嵐ハ通信航行不能トナリ一部機銃ノ外仝攻撃兵器使用ニ堪ヘザルニ至ル 嵐ハ時ニ大火災ヲ竝發セリ江風ハ魚雷命中ト同時ニ船体切断間モナク沈没セリ此ノ間實ニ黒影ヲ發見ヨリ魚雷命中迄約一分ノ短時間ナリヤ/(ホ)萩風、嵐ハ残リタル一部ノ機銃ヲ以テ應戰ニ努メタレドモ敵ハ二方面ヨリ砲火ヲ集中命中弾続出萩風モ火災ヲ生ジ兩艦共ニ爆發各所ニ起ル(陸軍弾薬ヲ搭載シアリタリ)全艦火ノ海ト化シ戰闘力全ク喪失如何トモナス能ハザルニ至リシヲ以テ二二一五総員退去ヲ命ズ間モナク兩艦共沈没セリ』
  122. ^ #高松宮日記6巻559頁
  123. ^ #S1709八艦隊(8)p.46『2150「ショールダーヒル」ノ310度19浬ニテ巡洋艦2隻駆逐艦3隻ヨリ成ル隊ト魚雷艇飛行機ノ協同攻撃ヲ受ケ時雨ノ外各艦ニ魚雷2本以上命中江風ハ瞬時ニシテ沈没萩風江風又航行不能トナリ爾後敵ノ集中砲火ヲ受ケ両艦トモ共沈没セリ』
  124. ^ #S1807三水戦日誌(2)p.20『各艦直チニ戦闘ヲ開始セントセル時各艦共至近ニ雷跡(計12)ヲ認メタルモ2146萩風ヨリ相続デ魚雷命中江風ハ船体切断直チニ沈没、萩風.嵐又通信航行不能一部機銃ノ外全攻撃兵器使用ニ堪ヘズ萩風嵐ハ一部機銃ヲ以テ応戦ニ努メタルモ二方面ヨリ集中砲火ヲ蒙リ爆発各所ニ起リ全艦火災戦闘力全ク喪失セルヲ以テ2215総員退去間モナク沈没ス』
  125. ^ #陽炎型(2014)212頁
  126. ^ #原(復刻版)103頁
  127. ^ a b c #S1806二水戦日誌(2)pp.30-33『(略)三.戰果(27dg時雨ノ分ノミ)d×1魚雷命中大破|四.萩風嵐炎上泡風沈没時雨ハ敵魚雷二本艦底ヲ通過セルモ被害ナシ|五.所見 本戰闘ニ於テ我ハ敵有力部隊策動ノ虞アルコトノ外敵状不明ナルニ反シ敵ハ直ニ局地ニ先着島影ニ隠レ電探ヲ利用シ魚雷艇ト協同我ヲ待受先制攻撃セリ 之ガ對策ニ關シテハ慎重ナル研究ヲ要スルモノト認ム』
  128. ^ #原(復刻版)100-102頁(原司令は命中と回想しているが、米艦隊に被害なし)
  129. ^ #海軍駆逐隊(2015)68-71頁『時雨のみが生還』
  130. ^ #S1807三水戦日誌(2)p.20『時雨(略)状況極メテ我ニ不利ナルヲ以テ人員救助ニ関シ八聯特ニ依頼シ戦場ヲ離脱北上0800 3sd(川内)ニ合同1430「ラバウル」帰着』
  131. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録127頁
  132. ^ #撃沈戦記221頁
  133. ^ #S1807三水戦日誌(2)p.21『(4)損害(a)萩風、嵐、江風沈没 (b)人員右三艦乗員海軍約190名陸軍120名ノ外全員生死不明』
  134. ^ #S1806二水戦日誌(2)pp.70-71『二七日〇八三七(司令)4dg(宛略)二.戰果 時雨ノモノニ特ニ追加スベキ事項ナシ/人員ノ被害 八月二十四日迄ニ判明セル三艦ノ生存者合計海軍約一九〇名陸軍約一二〇名其ノ他ハ殆ド戰死セルモノノ如シ|三.本戰闘ニ於テ本職ノ戰闘指揮宜敷ヲ得ズ遂ニ優秀ナル驅逐艦三隻ト多數ノ将兵ヲ失ヒタルハ眞ニ残念至極ニシテ御上ニ對シ恐懼ニ堪ヘズ何トモ申譯ナク責任重大ナルヲ痛感シアリ』
  135. ^ a b #S1806二水戦日誌(2)pp.71-72『二七日〇八三七(司令)4dg(宛略)四.所見 (イ)敵ハ「コロンバンガラ」島ヲ背景トシ待伏セ狭視界部ヨリ巧ニ接敵視界限度附近ニ我ヲ發見ト同時ニ發射一時避退雷撃ノ奏功確メ砲撃セルモノニシテ早クヨリ電波探信儀ヲ使用魚雷戰準備ヲ行ヘルコト略確實ナリ 今後敵驅逐艦ハ此ノ種戰法ヲ繰返スベキ算大ナル故警戒ヲ要スルト共ニ之ガ對策ヲ考慮シ置クコト肝要ナリ/(ロ)右ニ關聯シ電波探信儀及傍受装置ヲ要スルニ付該装置ヲ速ニ装備スルコト上策ナリ/(ハ)最前線ヘノ補給様式竝ニ中間補給?其ノ他ノ設備ヲ根本的ニ改善驅逐艦輸送ハ速ニ避クルヲ要ス特ニ新鋭驅逐艦ハ輸送等ニハ充當スルコトナク攻撃??スルコト肝要ナリ/(ニ)今回各艦共魚雷命中ニ依リ主砲ハ全部機力人力トモ旋回不能發射機ハ半數機力人力旋回不能トナレリ旋回装置強化ノ要アリ/(ホ)暗號書其ノ他機密書類ハ敵手ニ陥リタル虞ナキモノト認ム』
  136. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.56『二二日〇三二八軍務局長教育局長(宛略)軍務機密第二一一八四三番電』
  137. ^ #S1806二水戦日誌(2)pp.64-65『二四日一九五五(長官)2F(宛略)2F電令第一二號(略) (イ)主要研究項目 電波探信儀ヲ全幅利用スル驅逐艦射撃及發射』
  138. ^ #野分物語(文庫)84頁
  139. ^ 昭和18年9月18日(土)海軍公報(部内限)第4496号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C12070434000 『○司令驅逐艦變更 第四驅逐隊司令ハ九月四日司令驅逐艦ヲ野分ニ變更セリ』
  140. ^ #内令昭和18年9月(4)p.28『内令第千九百三十六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年九月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「舞風」ノ下ニ「、山雲」ヲ加フ』
  141. ^ #高松宮日記6巻591頁『午後「萩風」艦長馬越少佐、八月六日海戦遭難報告。沈没後廿日バカリ「ベララベラ」ヲ歩テ皈ツタ話ハ珍シカツタ(約300名陸海軍)。戦闘ノ苦心、戦局ノ不利ノモトニ敢闘スルモノヲ思ヘバ安キ心モナキバカリナリ。』
  142. ^ a b 昭和18年10月1日(発令10月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1229号 p.33』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093500 
  143. ^ 昭和18年10月13日(発令10月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1237号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 
  144. ^ 昭和19年6月8日(発令3月3日付)海軍辞令公報(部内限)第1509号 p.16』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 
  145. ^ #内令昭和18年10月(3)p.46『内令第二千百四十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、三日月」ヲ、同初雪型ノ項中「初雪、」ヲ、同初春型ノ項中「、有明、夕暮」ヲ、同白露型ノ項中「、江風」ヲ、同不知火型ノ項中「、嵐、萩風」ヲ、同夕雲型ノ項中「、清波」ヲ削ル|潜水艦、一等伊百六十八型ノ項中「伊號第百六十八、」ヲ削ル』
  146. ^ #内令昭和18年10月(4)p.8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風、」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一驅逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』
  147. ^ #内令昭和18年10月(4)pp.9-10『内令第二千百六十一號|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 嵐、驅逐艦 萩風|呉鎮守府隻 驅逐艦 初雪|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 三日月、驅逐艦 有明、驅逐艦 夕暮、驅逐艦 江風|舞鶴鎮守府籍 驅逐艦 清波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府籍 伊号第百六十八潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]