早潮 (駆逐艦)

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Japanese destroyer Hayashio underway c1940 (painting).jpg
艦歴
計画 1937年度(マル3計画
起工 1938年6月30日[1]
進水 1939年4月19日[1]
就役 1940年8月31日[1][2]竣工
その後 1942年11月24日沈没
除籍 1942年12月24日
性能諸元
排水量 基準:2,033トン
全長 118.5m
全幅 10.8m
吃水 3.8m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式衝動タービン2基2軸
52,000馬力
速力 35.5ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個

早潮(はやしお/はやしほ)は、日本海軍駆逐艦[3]陽炎型駆逐艦の5番艦である[4]1942年(昭和17年)11月下旬、ラエ沖で空襲により大破、沈没した。戦後、艦名は海上自衛隊はやしお型潜水艦はやしお」、はるしお型潜水艦はやしお」に継承された。

概要[編集]

駆逐艦早潮は、1940年(昭和15年)8月末に浦賀船渠で完成した陽炎型駆逐艦5番艦[4][5]太平洋戦争開戦時、第二水雷戦隊麾下の第15駆逐隊に所属して南方作戦蘭印作戦に従事[5]1942年(昭和17年)6月上旬のミッドウェー作戦では第十一航空戦隊(千歳神川丸)の護衛に従事した[5]。 8月以降のガダルカナル島の戦いでは、鼠輸送ガダルカナル島輸送作戦)に多数参加[5]。11月中旬の第三次ソロモン海戦では第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)旗艦となる[6]。同海戦集結直後の11月24日、ニューギニア東部ラエ増援作戦従事中に空襲を受けて大破、炎上[5]。僚艦「白露」の砲撃で自沈した[7]

艦歴[編集]

建造[編集]

1939年(昭和14年)3月31日、日本海軍は練習巡洋艦1番艦と2番艦にそれぞれ香取鹿島陽炎型駆逐艦5番艦に早潮(本艦)、測天型敷設艇巨済の艦名を与えた[3][8]。同日附で4隻(香取、鹿島、早潮、巨済)は艦艇(特務艇)類別等級表に類別される[9][10]。 本艦は浦賀船渠で建造されることになった[3]。浦賀船渠は本艦を含めて6隻の陽炎型駆逐艦(不知火、早潮、時津風浜風萩風秋雲)を建造した。早潮は1938年(昭和13年)6月30日、起工[1]1939年(昭和14年)4月19日、進水[1]

1940年(昭和15年)5月1日、日本海軍は朝潮型駆逐艦4番艦荒潮艤装員長[11]および初代艦長[12]、駆逐艦皐月初雪艦長等を歴任した山隈和喜人中佐を、早潮艤装員長に任命する[13]。 同日、浦賀船渠の早潮艤装員事務所は事務を開始する[14]。 8月31日[2]に竣工(姉妹艦の夏潮と同日竣工、夏潮艦長野間口兼知中佐)[1][15][16]。山隈中佐も制式に早潮駆逐艦長となった[16]。早潮艤装員事務所を撤去[17]呉鎮守府籍。

第15駆逐隊[編集]

1940年(昭和15年)8月31日、日本海軍は既に竣工していた陽炎型4番艦「親潮」(舞鶴海軍工廠建造艦、親潮艦長金岡國三中佐)[18]と、完成したばかりの2隻(夏潮、早潮)で第15駆逐隊を編制した[19]。初代駆逐隊司令には植田弘之介大佐が任命されている[16]。編成直後の第15駆逐隊は、呉鎮守府練習駆逐隊となる[20]。 11月15日、第15駆逐隊は第二艦隊(司令長官古賀峯一中将)・第二水雷戦隊(司令官五藤存知少将)に編入[19][21]。同時に第16駆逐隊に所属していた陽炎型3番艦「黒潮」が第15駆逐隊に編入され、15駆は定数4隻(黒潮、親潮、早潮、夏潮)を揃えた[19]

1941年(昭和16年)6月18日、第15駆逐隊司令は植田大佐から佐藤寅治郎大佐(前職第4駆逐隊司令)[22][23]に交代した(植田は9月20日より日本丸監督官)[24]。 9月1日、山隈中佐(早潮艦長)は第11掃海隊司令へ転任(翌年1月12日、タラカン攻略作戦中に戦死[25]。その際、機雷敷設艦オラニエを駆逐艦山風が撃沈)[26][27]。 睦月型駆逐艦8番艦長月および睦月型9番艦菊月駆逐艦長[28]等を歴任した金田清之中佐(当時、白露型駆逐艦2番艦時雨駆逐艦長。1939年4月1日[29]〜1941年9月1日[26])が、早潮駆逐艦長(二代目)に補職される[26]

太平洋戦争開戦時、引続き陽炎型4隻(黒潮親潮早潮夏潮)は第15駆逐隊を編制していた。第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦神通)所属。1941年(昭和16年)12月、ダバオホロ攻略作戦に参加した。

1942年(昭和17年)1月、メナド攻略作戦に参加し、以降、ケンダリーアンボンマカッサル、クーパンの各攻略作戦、ジャワ南方機動作戦に参加。2月9日、米潜水艦の雷撃により僚艦「夏潮」が沈没[30][31]。第15駆逐隊は陽炎型3隻(黒潮、親潮、早潮)編制になった[32]。 3月1日、高雄型重巡洋艦3隻(愛宕《第二艦隊旗艦、近藤信竹中将座乗》、高雄摩耶)、第4駆逐隊(野分)はジャワ島南方に進出して通商破壊作戦を実施する。重巡部隊を支援していた「早潮」は、3月2日にオランダ船籍の輸送船(1,100トン)を拿捕した[33]。3月3日、重巡部隊は「早潮」と油槽船「東栄丸」と合同、補給を行う[34]。3月7日、各艦はセレベス島スターリング湾に帰投した[35]。 3月15日にスターリング湾を出港し、まで空母「加賀」(座礁して艦底損傷中)を護衛した。3月23日から4月17日まで、呉で整備に従事した[36]

4月17日、第15駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)は呉を出撃、フィリピンへ向かう[37]。翌4月18日、第15駆逐隊はドーリットル空襲に遭遇した[37]。 警戒部隊指揮官高須四郎中将の指揮下兵力(戦艦《扶桑山城伊勢日向》、空母《鳳翔瑞鳳》、第6駆逐隊《》、第15駆逐隊《親潮、黒潮、早潮》、駆逐艦《三日月夕風》)として日本列島沿岸の警備にあたるが、米軍機動部隊との交戦は起きなかった[37]。本作戦従事中の4月19日朝、「早潮」はソビエト商船の臨検を実施しているが、連行中に悪天候でソ連商船を見失い[38]、日本海軍は基地航空隊を投入して捜索活動をおこなっている[37][39]。4月20日夜の作戦中止により第二戦隊等は内海西部へ帰投、第15駆逐隊はフィリピンへ向かった[37]。 その後、マニラ湾口封鎖作戦に参加。5月10日、マニラを出港し、第15駆逐隊(黒潮、親潮、早潮)は駆逐艦2隻(夕暮)と共に、空母「翔鶴」(珊瑚海海戦で損傷中)の内地帰投を護衛、5月17日に呉へ帰投した[5][36]

ミッドウェー海戦[編集]

5月下旬から6月上旬にかけてのミッドウェー作戦における「早潮」は、第十一航空戦隊(司令官藤田類太郎少将)を基幹とする航空隊(千歳神川丸、早潮、第35号哨戒艇〔旧駆逐艦〕、海軍陸戦隊1個小隊)として参加する[36][40]。航空隊の主任務は、ミッドウェー島攻略部隊の対潜・対空警戒および、作戦成功後の水上機基地設営等であった[41]。また神川丸は水上機母艦瑞穂(5月1日沈没)の代艦として、5月20日附で航空部隊に編入されていた[36]。早潮は呉で緊急整備をおこなったのち、佐世保に移動[36]。同地より千歳を護衛してサイパン島に進出した[36]。 5月28日夕刻以後、占領隊(輸送船団)、護衛隊(指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官、旗艦神通)、航空隊はサイパン島を出撃、ミッドウェーに向かった[42]。進撃途上、輸送船団は支援隊(指揮官栗田健男第七戦隊司令官)の7隻(熊野鈴谷三隈最上朝潮荒潮、日栄丸)との連絡が取れなくなった[42][43]。6月4日、航空隊4隻(千歳、神川丸、早潮、35号哨戒艇)は事前の計画どおり攻略船団と分離してキューア島(ミッドウェー北西約17浬)に向かった[44]。当時、船団はB-17重爆9機の空襲を受けたが、特に被害はなかった[44][45]。 6月5日、第一航空艦隊は米海軍機の空襲により主力空母4隻(赤城加賀飛龍蒼龍)は炎上、戦闘不能となる。1000、攻略部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官は船団部隊(田中頼三司令官)に対し、第十一航空戦隊司令官指揮による輸送船団の避退と、第二水雷戦隊の攻略部隊本隊(第二艦隊)への合流を命じる[46]。キューア島に向かっていた航空部隊は反転、速力24ノットの2隻(千歳、早潮)は同日1630に、低速の2隻(神川丸、第35号哨戒艇)は6月6日0400に、それぞれ船団部隊と合流[46]。船団は、藤田司令官の指揮下で南鳥島方面への退避を続けた[46][47]。6月8日1710、神川丸は連合艦隊からの下令により船団部隊と分離、翌日には第三戦隊第1小隊(比叡、金剛)と合流して北方に向かった[48]。また輸送船団の指揮は藤田(第十一航戦司令官)から田中(二水戦司令官)に復帰[48]。6月9日正午、2隻(千歳、早潮)は輸送船団から分離して先行[48]。6月14日、桂島泊地に入泊した[48]

7月にはペナン沖で対潜警戒活動を実施する。

7月5日、アリューシャン方面作戦に従事中の第18駆逐隊3隻(不知火)は、米潜水艦グロウラーの雷撃により霰沈没、大破2隻(不知火、霞)という損害を受ける[49][50]。駆逐隊として当分活動できないため(8月15日に解隊)、残存かつ健在の駆逐艦「陽炎」は7月20日附で第15駆逐隊に編入された[51][52]。第15駆逐隊は再び陽炎型駆逐艦定数4隻(親潮、黒潮、早潮、陽炎)編制となった[51]

ガダルカナル島の戦い[編集]

8月からはガダルカナル島の戦いに参戦。第二水雷戦隊はソロモン方面へ進出、ガダルカナル島輸送に投入される。10月1日、3隻(水上機母艦日進、親潮、早潮)はショートランド泊地に到着。10月3日以降、「早潮」はガ島輸送に従事した[53]。10月中旬のヘンダーソン基地艦砲射撃では、第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下、戦艦(金剛榛名)、第二水雷戦隊(旗艦五十鈴、第15駆逐隊《親潮黒潮早潮》、第24駆逐隊《海風江風涼風》、第31駆逐隊《高波巻波長波》)として参加する。続いて南太平洋海戦に、第二航空戦隊直衛(隼鷹、黒潮、早潮)として参加した。

11月12日、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(輸送部隊指揮官)は二水戦旗艦を「五十鈴」から「早潮」に変更[54]。11月13日、第15駆逐隊(早潮《第二水雷戦隊旗艦》、親潮、陽炎)、第24駆逐隊(海風、江風、涼風)、第31駆逐隊(高波、巻波、長波)、収容隊(望月、天霧)、第一分隊(長良丸、宏川丸、佐渡丸、かんべら丸、那古丸)、第二分隊(山月丸、山浦丸、信濃川丸、鬼怒川丸、ぶりすべん丸、ありぞな丸)はガダルカナル島に向かうが[55]、11月14日に空母エンタープライズ、ヘンダーソン基地、エスピリサント島から飛来したF4Fワイルドキャット戦闘機SBDドーントレス急降下爆撃機TBFアヴェンジャー雷撃機、B-17爆撃機の波状攻撃を受けて7隻沈没、佐渡丸のみ損傷避退した(佐渡丸はショートランド到着後、空襲で沈没)[56]。 田中少将(旗艦早潮)は、直率駆逐艦4隻(早潮、黒潮、親潮、陽炎)と残存輸送船4隻(宏川丸、山月丸、山浦丸、鬼怒川丸)をして進撃を続行(第三次ソロモン海戦第二夜戦生起)、輸送船4隻をガダルカナル島沿岸に突入・擱座させた[57][6]。救助された輸送船4隻の乗組員はわずかだった[58]。 11月18日、「早潮」は第二水雷戦隊各艦と分離してカビエンニューアイルランド島)へ移動する[59]。つづいてラバウルニューブリテン島)に移動した[60]。陸戦隊員や物資の積みこみと共に、幹部乗組員以下人事異動が行われたという[61]

沈没[編集]

11月23日21時00分、春雨以下輸送隊はラバウルを出港し、パプアニューギニアラエへ向かった[62][63]。輸送部隊指揮官は第2駆逐隊司令橘正雄大佐で、各駆逐隊から集められた駆逐艦5隻(第27駆逐隊《春雨白露》、第6駆逐隊《》、第19駆逐隊《磯波》、第15駆逐隊《早潮》)で編制されている[64]

11月24日午後7時前後、輸送隊はラエ東方でB-17爆撃機7機の攻撃を受ける。本艦は至近弾により浸水して左舷機械が使用不能となり、応急処置を実施した[65][66]。 左舷機械復旧により28ノットを発揮していたところ、19時25分に一番主砲と艦橋間に直撃弾を受け、大火災となる[67][68]。 「春雨」が接舷を試みたが、誘爆の危険により果たせなかった[69]。 弾薬や燃料に引火して手の施し様がなくなり、金田(早潮艦長)は20時25分に総員退去と軍艦旗降下を命じる[70]。脱出者は僚艦が派遣した装載艇に救助されていった[71][7]。 その後「早潮」は「白露」の砲撃により魚雷が誘爆、23時5分に沈没した[72][73]。戦死者約50名[74]。沈没地点南緯06度54分 東経147度55分 / 南緯6.900度 東経147.917度 / -6.900; 147.917[74]

駆逐艦「早潮」は12月24日附で、 帝国駆逐艦籍[75]、 第15駆逐隊[76]、 陽炎型駆逐艦[77] のそれぞれから除籍された。 早潮駆逐艦長の職務を解かれた金田清之中佐は[78]、建造中の秋月型駆逐艦5番艦「新月」艤装員長[79]および初代艦長に任命される[80]。だが「新月」がクラ湾夜戦で沈没した際に、第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将と共に戦死した[81][82]

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 山隈和喜人 中佐:1940年5月1日[13] - 1940年8月31日[16]
駆逐艦長
  1. 山隈和喜人 中佐:1940年8月31日[16] - 1941年9月1日[26]
  2. 金田清之 中佐:1941年9月1日[26] - 1942年12月20日[78]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『艦名:早潮|艦種:一等驅逐艦|(性能略)|製造所:浦賀船渠會社|起工年月日13-6-30|進水年月日14-4-19|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  2. ^ a b 『艦長たちの軍艦史』による。『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』では1940年8月21日竣工となっている。
  3. ^ a b c #達昭和14年3月(2)p.23『達第四十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年三月三十一日 海軍大臣米内光政|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香取(カトリ) 練習巡洋艦 鹿島(カシマ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 早潮(ハヤシホ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 巨濟(キョサイ)』
  4. ^ a b #昭和16年12月31日現在艦艇類別等級p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』
  5. ^ a b c d e f #陽炎型(2014)304頁『早潮(はやしお)』
  6. ^ a b #大熊、水雷戦隊245-247頁『擱座上陸』
  7. ^ a b #高松宮日記5巻250頁『○第二駆逐隊(二五-〇二〇〇)一九〇〇反転後、連続敵機ノ執拗ナル触接攻撃ヲ受ケ「早潮」ニ更ニ爆弾命中。「クラニ27」《「ラエ」東20′附近》ニテ火災航行不能。二三三〇乗員救助ヲ終ル。「白露」砲撃処分セシメタリ。救助人員、艦長以下二九二名(陸戦隊員(横五特)ヲ含ム)。戦死、砲術長以下四九名。重傷、主計長以下三四名』
  8. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ204『◎練習巡洋艦香取鹿島、驅逐艦早潮及敷設艇巨濟命名ノ件 昭和十四年三月三十一日(達四八)』
  9. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ70『昭和十四年三月三十一日(内令二一五)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部練習巡洋艦ノ項中艦艇名ノ欄ニ「香取、鹿島」ヲ加フ 驅逐艦一等ノ部陽炎型ノ項中親潮ノ下ニ「、早潮」ヲ加フ』
  10. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ75『昭和十四年三月三十一日(内令二一九)特務艇類別等級別表中左ノ通改正ス 敷設艇ノ項中白神ノ下ニ「、巨濟」ヲ加フ』
  11. ^ 昭和12年7月15日(発令7月15日付)海軍辞令公報(号外)第4号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100 
  12. ^ 昭和12年12月20日(発令12月20日付)海軍辞令公報(号外)第108号 pp.42-43』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072900 
  13. ^ a b 昭和15年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第472号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000 
  14. ^ 昭和15年5月4日 海軍公報(部内限)第3493号 p.13』 アジア歴史資料センター Ref.C12070387800 『○事務開始(略)早潮艤装員事務所ヲ神奈川縣三浦郡浦賀町谷戸浦賀船渠株式會社浦賀工場内ニ設置シ五月一日事務ヲ開始セリ|高崎艤装員事務所ヲ横須賀海軍工廠内ニ設置シ五月一日事務ヲ開始セリ』
  15. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『(艦名)夏潮|(艦種)一等駆逐艦|(性能略)|(製造所)藤永田造船所|起工年月日12-12-9|進水年月日14-2-23|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  16. ^ a b c d e 昭和15年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.1植田司令補職、山隈(早潮艦長)、野間口(夏潮艦長)補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  17. ^ 海軍公報(部内限)目録(九月分) p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C12070383800 『○三|三五九六|支那方面艦隊第四潜水戰隊第十三砲艦隊旗艦變更、早潮艤装員事務所撤去…|九八七』
  18. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『親潮|一等駆逐艦|(性能略)|舞鶴工廠|起工年月日13-3-29|進水年月日13-11-29|竣工年月日15-8-20|(兵装略)』
  19. ^ a b c #陽炎型(2014)113-114頁『第十五駆逐隊(黒潮・親潮・早潮・夏潮・陽炎)』
  20. ^ #支那事変15駆第8回p.1『夏潮 親潮 早潮|功労甲|自昭和十五年八月三十一日/至同年十一月十五日|呉鎮守府警備練習駆逐隊トシテ任務遂行』
  21. ^ #支那事変15駆第9回p.1『早潮 親潮 夏潮 黒潮|勲功丙|自昭和十五年十一月十五日至同十六年五月三十一日|第二艦隊第二水雷戰隊ニ編入セラレ對事変内地待機』
  22. ^ 昭和16年6月18日(発令6月18日付)海軍辞令公報(部内限)第657号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081400 
  23. ^ 後日、軽巡洋艦神通艦長。神通沈没時に戦死(コロンバンガラ島沖海戦
  24. ^ 昭和16年9月20日(発令9月20日付)海軍辞令公報(部内限)第716号 p.43』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  25. ^ 海軍進攻作戦(蘭印)149-154頁『第十三、第十四掃海艇の戦闘』
  26. ^ a b c d e 昭和16年9月1日(発令9月1日)海軍辞令公報(部内限)第701号 p.6山隈免職、p.7金田補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900 
  27. ^ 故海軍大佐山隈和喜人位階追陞の件』 アジア歴史資料センター Ref.A11115183400 
  28. ^ 昭和13年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(部内限)第267号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  29. ^ 昭和14年4月1日(発令4月1日付)海軍辞令公報(部内限)第321号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072075600 
  30. ^ #陽炎型(2014)303-304頁『夏潮(なつしお)』
  31. ^ #寺内、駆逐隊188-189頁『僚艦夏潮の最後』
  32. ^ #内令昭和17年2月(4)p.18『内令第三百六十六號|驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年二月二十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十五驅逐隊ノ項中「、夏潮」ヲ削ル』
  33. ^ 海軍進攻作戦(蘭印)511頁
  34. ^ 海軍進攻作戦(蘭印)513頁
  35. ^ 海軍進攻作戦(蘭印)515頁
  36. ^ a b c d e f 戦史叢書ミッドウェー海戦178-179頁『航空隊のサイパン進出』
  37. ^ a b c d e 北東方面海軍作戦183-184頁『警戒部隊の作戦』
  38. ^ #高松宮日記4巻235頁『○「早潮」(二一-〇三三九受)天候不良ノ為大阪湾(地点潮岬ノ209°58′)ソ聯商船(Sp.6kt)ヲ見失フ、捜索中。監視員士官一名、下士官一〇名乗船シアリ《ソ商船ハ浦塩宛テ天候悪ク速力出ナイノニ駆逐艦ハカマワズ「ドンドン」航行シテイツテシマフト云ツテヰル》。』
  39. ^ 北東方面海軍作戦191-193頁『ソ連船に対する処置』
  40. ^ #丸写真3巻167頁『【2】攻略部隊-第2艦隊司令長官近藤信竹中将指揮』
  41. ^ 戦史叢書ミッドウェー海戦186-187頁『航空隊、支援隊の作戦計画』
  42. ^ a b 戦史叢書ミッドウェー海戦266-268頁『護衛隊、占領隊、航空隊』
  43. ^ 戦史叢書ミッドウェー海戦270-271頁『支援隊』
  44. ^ a b 戦史叢書ミッドウェー海戦269-270頁『船団の被発見攻撃』
  45. ^ 戦史叢書ミッドウェー海戦389頁『日本軍船団発見と攻撃』
  46. ^ a b c 戦史叢書ミッドウェー海戦478-479頁『船団部隊の避退』
  47. ^ 戦史叢書ミッドウェー海戦492-493頁『船団部隊の避退(六月六日、六月七日)』
  48. ^ a b c d 戦史叢書ミッドウェー海戦538-539頁『船団部隊のグァム、トラック帰投』
  49. ^ #陽炎型(2014)301頁『霰(あられ)』
  50. ^ 北東方面海軍作戦272-273頁
  51. ^ a b #内令昭和17年7月分(3)p.28『内令第千三百二十四號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年七月二十日海軍大臣嶋田繁太郎 第十八駆逐隊ノ項中「陽炎、」ヲ削リ第十五駆逐隊ノ項中「早潮」ノ下ニ「、陽炎」ヲ加フ』
  52. ^ #内令昭和17年8月(2)p.40『内令第千五百三十號 驅逐隊編制中左ノ通改正セラル 昭和十七年八月十五日海軍大臣嶋田繁太郎 第十八駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  53. ^ #神風電探戦記228-229頁
  54. ^ #撃沈船員記録79頁(早潮航海長浅野銀一中尉は当日着任)
  55. ^ #撃沈船員記録65頁『第二次強行輸送作戦』
  56. ^ #撃沈船員記録71-72頁『炎上また炎上』
  57. ^ #撃沈船員記録76-78頁『残るは四隻のみ』
  58. ^ #撃沈船員記録86頁(山月丸78名中/生還6、宏川丸70/5、山浦丸73/4、鬼怒川丸62/13)
  59. ^ #S17.11二水戦日誌(3)p.7『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
  60. ^ #神風電探戦記246-249頁『つかのまのラバウル』
  61. ^ #神風電探戦記272-276頁『"歴戦の猛者"のくやみ』
  62. ^ #S17.09十八戦隊日誌(7)p.7『…11月23日2100RR出撃RRi北方航路ヲ西進天候予期ニ反シ良好ナリシモ敵機ノ触接ヲ受ケザリシヲ以テ進撃続行…』
  63. ^ #神風電探戦記249-251頁『開幕した悪霊のドラマ』
  64. ^ #S17.09十八戦隊日誌(7)p.7『2dg司令指揮下春雨、白露、電、磯波、早潮ヲ以テ特別護送隊ヲ編成、佐五特本隊(RZL)横五特一部及582空(以上RZM)人員物件ヲ搭載…』
  65. ^ #S17.11二水戦日誌(1)p.39『早潮駆逐艦長/24日1853敵大型機数機ト交戦シ至近断片ニ依リ中部及後部左舷ニ多数ノ小破口ヲ生ジ漏水、左舷機使用不能二缶室重油漏洩…』
  66. ^ #S17.09十八戦隊日誌(7)p.8『1822月出視界良好トナリ1850前方上空至近ニ爆音ヲ聞クト同時ニ反航爆撃ヲ受ケ4番艦早潮ハ前続艦附近ノ弾着ヲ認メ急速左方ニ回避運動中1853後部左舷約30米ニ至近弾、二・三番砲、二・三罐室左舷機械室被害左舷機使用不能トナレリ』
  67. ^ #S17.11二水戦日誌(1)p.39『…1925応急処置ヲ終リ左舷故障復旧28節ニテ反転離脱中「サラモア」ノ67度35浬ニ於テ更ニ1機来襲之ト交戦中1番砲艦橋間ニ直撃弾1、艦橋左舷及後部至近弾ヲ受ケ前部大火災多数ノ戦死者ヲ生ジ主砲及操舵装置使用不能…』
  68. ^ #神風電探戦記260-263頁『絶望の火災地獄の下で』
  69. ^ #S17.09十八戦隊日誌(7)pp.8-9『護衛隊指揮官ハ敵機触接攻撃下ニ揚陸ハ不可能ト認メ1900反転セルモ敵機ハ照明下ニ雷撃ヲモ交ヘ執拗ナル触接攻撃ヲ反復1910応急処置完了シテ両舷航行ニ移行セル早潮1922前方ニ吊光弾3、両舷公報ニ敵機各1ヲ近接スルヲ認メ砲撃開始面舵回避中1925推定位置6度54.5分南147度40分東ニ於テ左舷後方ニ至近弾續テ艦橋前方附近ニ2個ノ直撃乃至至近弾ヲ受ケ漂白(略)此ノ間春雨ハ横附人員ノ収容ヲ企図セルモ魚雷誘爆ノ虞アリテ果サズ』
  70. ^ #S17.11二水戦日誌(1)p.39『…次デ応急弾薬ノ誘爆漏出重油ノ引火ニ依リ火災後再ビ火災拡大施ス術ナキニ至リシヲ以テ2025退去ヲ命ジ1時艦ヲ放棄…』
  71. ^ #S17.09十八戦隊日誌(7)p.9『仍テ早潮駆逐艦長ハ2030軍艦旗降下総員退去ヲ下令尚一部乗員ヲ以テ消火ニ努メツツ敵機ノ執拗ナル銃爆撃下ニ戦傷者ヲ逐次僚艦短艇ニ移乗セシメ2220頃之ヲ完了…』
  72. ^ #S17.09十八戦隊日誌(7)p.9『尓後火災全艦ヲ覆ヒ白露砲撃(指揮官ノ令ニ依ル)ト相前後シ魚雷誘爆艦中央部大破シテ2305沈没(推定位置6度54分南147度50.5分東)セルヲ以テ全隊RRニ向ヒ25日未明ヨリ敵機ノ触接ヲ受ケタルモ異状ナク1800RR着』
  73. ^ #神風電探戦記264-267頁『鋼鉄のひつぎと化して』
  74. ^ a b #S17.11二水戦日誌(3)p.42『七.早潮1925敵機ノ爆撃ヲ受ケ2305沈没位置6度54分南147度55分東、戦死准士官以上3下士官兵47重傷6』
  75. ^ #内令昭和17年12月分(4)p.30『内令第二千三百七十五號 呉鎮守府在籍:駆逐艦 早潮|舞鶴鎮守府在籍:駆逐艦 高波|右帝国駆逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍:伊號第十五潜水艦 右帝国潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十七年十二月二十四日海軍大臣嶋田繁太郎』
  76. ^ #内令昭和17年12月分(4)p.29『内令第二千三百七十三號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年十二月二十四日海軍大臣嶋田繁太郎|第十五駆逐隊ノ項中「早潮、」ヲ削ル|第三十一駆逐隊ノ項中「、高波」ヲ削ル』
  77. ^ #内令昭和17年12月分(4)p.33『内令第二千三百八十一號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十七年十二月二十四日海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦、一等陽炎型ノ項中「、早潮」ヲ、同夕雲型ノ項中「、高波」ヲ削ル|潜水艦、一等ノ部中「伊十五型」ヲ「伊十七型」ニ改メ同項中「伊號第十五、」ヲ削ル』
  78. ^ a b 昭和17年12月21日(発令12月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1017号 p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088600 
  79. ^ 昭和18年2月23日(発令2月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1057号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072089800 
  80. ^ 昭和18年4月1日(発令3月31日付)海軍辞令公報(部内限)第1086号 p.46』 アジア歴史資料センター Ref.C13072090400 
  81. ^ 故海軍中将秋山輝男外二名位階追陞の件 p.3』 アジア歴史資料センター Ref.A12090368600 
  82. ^ 昭和19年1月5日(発令昭和18年7月6日付)海軍辞令公報(部内限)第1294号 p.19』 アジア歴史資料センター Ref.C13072095200 

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和14年達 完/3月(2)』。Ref.C12070105300。
    • 『昭和17年1月~3月 内令1巻/昭和17年2月(4)』。Ref.C12070161100。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(3)』。Ref.C12070164200。
    • 『昭和17年7月~9月 内令 3巻/昭和17年8月分(2)』。Ref.C12070164500。
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    • 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿2.3』。Ref.C13072003500。
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/第15駆機密第35号 第15駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120969900。
    • 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/第15駆機密第27号の19 第15駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120979500。
    • 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/第15駆機密第27号の11 第15駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。Ref.C14120988300。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030098800。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030098900。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030099000。
    • 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030063400。
  • 大熊安之助ほか 『海軍水雷戦隊 駆逐艦と魚雷と軽巡が織りなす大海戦の実相』 潮書房光人社、2016年10月。ISBN 978-4-7698-1629-4
    • 戦史研究家竹下高見『ガ島急行"輸送駆逐隊"一四〇日の盛衰 二水戦、三水戦、四水戦を投じ多大な犠牲を払ったネズミ輸送の実態
    • 当時二水戦司令官・海軍少将田中頼三/当時二水戦首席参謀・海軍中佐遠山安巳『水雷戦隊の雄"二水戦"司令官と参謀の回想 勇将のもと戦闘に護衛に輸送に獅子奮迅した精強戦隊の戦歴と素顔
  • 重本俊一ほか 『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』 潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録
    • 当時「早潮」分隊士・海軍少尉岡本辰蔵『快速輸送「早潮」兵員物資の積み降ろし秘法 命がけのネズミ輸送"東京急行"に従事した揚陸指揮官の苦心惨憺
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第四巻 昭和十七年一月一日~昭和十七年九月三十日』 中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-X
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月一日~昭和十八年二月十一日』 中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403395-8
  • 寺内正道ほか 『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』 潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0
    • 当時「黒潮」三代目艦長・海軍中佐宇垣環『第十五駆逐隊「黒潮」艦長の奮戦苦闘記 緒戦期からガ島血戦まで。夏潮の最後と黒潮、親潮、早潮=十五駆の航跡
    • 当時「陽炎」信号員・海軍一等兵曹谷義保『十五駆逐隊「陽炎」ソロモン輸送航海記 黒潮、親潮、早潮の十五駆へ編入。最多ともいえる二十数回の決死行
  • 土井全二郎 『撃沈された船員たちの記録 戦争の底辺で働いた輸送船の戦い』 光人社〈光人社NF文庫〉、2008年5月。ISBN 978-4-7698-2569-2
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年 ISBN 4-7698-1246-9
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書29 北東方面海軍作戦』 朝雲新聞社、1969年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 ミッドウェー海戦』戦史叢書第43巻、朝雲新聞社、1971年3月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0461-X
  • 雑誌「丸」編集部 『写真 太平洋戦争<第三巻> ドーリットル空襲/珊瑚海海戦/ミッドウェー海戦』 光人社〈光人社NF文庫〉、1995年2月。ISBN 4-7698-2073-9
  • 「丸」編集部 『駆逐艦戦記 駆逐艦「神風」電探戦記』 光人社、2011年7月。ISBN 978-4-7698-2696-5
    • 非情なる海戦劇の真相を赤裸々に描出した激闘の記録―岡本辰蔵『ソロモン特急「早潮」ダンピールに死す』

関連項目[編集]