天霧 (駆逐艦)

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天霧
天霧
天霧
基本情報
建造所 石川島造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 吹雪型駆逐艦
艦歴
発注 昭和2年度艦艇補充計画
起工 1928年11月28日
進水 1930年2月27日
就役 1930年11月10日
最後 1944年4月23日戦没
除籍 1944年6月10日
要目
基準排水量 1,680 t
公試排水量 1,980 t
全長 118 m
水線長 115.3 m
最大幅 10.36 m
吃水 3.2 m
主缶 ロ号艦本式缶4基
主機 艦本式タービン2基2軸
出力 50,000hp
速力 38.0ノット
航続距離 14ktで5,000浬
乗員 219名
兵装 50口径12.7cm連装砲 3基6門
13mm単装機銃 2挺
61cm3連装魚雷発射管 3基
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天霧(あまぎり)は[1]日本海軍駆逐艦[2]海軍省が定めた艦艇類別等級では吹雪型駆逐艦に属する[3]

概要[編集]

一等駆逐艦天霧(あまぎり)は、吹雪型駆逐艦の13番艦[3][4]。 吹雪型駆逐艦の15番艦とする見解・資料もある[5][6]。 特型駆逐艦としてはII型[7]。 霧級(きりクラス)の1隻[2][8]。 天霧は石川島造船所において、1927年(昭和3年)11月に起工、1930年(昭和5年)2月27日に進水[9]、同年11月に竣工[2][10]

1941年(昭和16年)12月の大東亜戦争開戦時、霧級4隻(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)は引き続き第20駆逐隊(第三水雷戦隊所属)を編成しており、南方作戦マレー作戦蘭印作戦)に従事した[11][12]1942年(昭和17年)3月のインド洋通商破壊作戦、6月上旬のミッドウェー作戦(戦艦部隊護衛)[13]に従事する。 同年8月28日、第20駆逐隊はガダルカナル島の戦いに伴う輸送作戦従事中に空襲を受け[14]、僚艦朝霧が沈没[11]白雲[15]夕霧[16]が損傷、のちに解隊された[17]。 健在だった天霧は、重巡洋艦鳥海第八艦隊旗艦)や睦月型駆逐艦望月等と共にガダルカナル島周辺の作戦に参加(ヘンダーソン飛行場砲撃第三次ソロモン海戦等)。また外南洋部隊増援部隊として駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)[12]、挺身輸送隊として大発動艇輸送作戦(蟻輸送)にも従事した[18]

1943年(昭和18年)2月25日、霧級2隻(天霧、夕霧)は第11駆逐隊に編入される[19]。天霧は外南洋部隊の僚艦(駆逐艦時雨望月等)と共にソロモン諸島各地への輸送作戦、ニュージョージア島攻防戦ブーゲンビル島攻防戦に伴う数々の作戦および海戦に参加。 8月2日には、ジョン・F・ケネディ中尉(のちアメリカ大統領)が指揮する魚雷艇を衝突により撃沈した[12][20]。同時期、ソロモン海で行動中の第11駆逐隊僚艦(白雪、初雪、夕霧)は次々に撃沈され、第11駆逐隊は12月15日附で解隊された[21]。この直前、天霧は駆逐艦秋風に衝突[22][23]。艦首を損傷し[24]、内地にもどった[25]。内地帰投直前、護衛していた陸軍特殊船にぎつ丸[26]が、米潜水艦の雷撃で沈没した[27]

1944年(昭和19年)1月15日に呉到着後、修理に従事[28]。2月末に修理完了後、船団護衛任務に従事[29]3月1日、天霧は第19駆逐隊に編入される[30]。シンガポールに進出後の4月23日[12]、第十六戦隊(青葉大井)と共に輸送作戦従事中、天霧はマカッサル海峡で機雷に触雷、沈没した[31][32]

艦名は海上自衛隊の護衛艦あまぎりに引き継がれた。

艦歴[編集]

建造[編集]

1928年(昭和3年)9月11日、建造予定の一等巡洋艦1隻、砲艦2隻、駆逐艦2隻に、それぞれ摩耶[33][34]、砲艦熱海二見[1]天霧(アマギリ)と朝霧(アサギリ)の艦名が与えられた[1][35]。 同日附で、各艦(摩耶、熱海、二見、天霧、朝霧)は艦艇類別等級表の各項目に類別される(天霧と朝霧は吹雪型駆逐艦)[36]。 天霧は、東京石川島造船所で同年11月28日に起工[2][9]

1930年(昭和5年)2月27日午後4時35分[37][38]、天霧は進水[2][39]。 6月20日、日本海軍は帖佐敬吉中佐(当時、駆逐艦羽風艦長)を天霧艤装員長に任命する[40]。 7月2日、東京石川島造船所の天霧艤装員事務所は、事務を開始[41]。 10月8日からしばらくの間、天霧艤装員事務所は横須賀海軍工廠内に移転[42]11月10日[43]、天霧は竣工[6][9]。 帖佐敬吉中佐は初代の天霧駆逐艦長となる[44]。主要初代幹部は、砲術長藤岡勝夫大尉、水雷長岡本次郎大尉、航海長山中秀夫大尉、機関長大重静機関大尉[44]。竣工と共に、天霧艤装員事務所は撤去された[45]

太平洋戦争開戦まで[編集]

1930年(昭和5年)12月1日、天霧と姉妹艦朝霧(昭和5年6月30日竣工)[6][46]により、第8駆逐隊が編成される(横須賀鎮守府籍)[47][48]。初代の第8駆逐隊司令は、郷田喜一郎大佐[49]。 郷田司令は、初代の司令駆逐艦を天霧に指定した[50]。 12月3日、姉妹艦夕霧舞鶴海軍工廠で竣工する[6][51]。夕霧は同日附で第8駆逐隊に編入され、8駆は吹雪型3隻(天霧、朝霧、夕霧)となる[52][53]

1931年(昭和6年)1月31日、姉妹艦狭霧浦賀船渠で竣工[6][54]。狭霧は同日附で第8駆逐隊に編入され、8駆は定数4隻(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)を揃えた[55]。 12月1日、第二艦隊・第二水雷戦隊に編入[56]。だが狭霧は第8駆逐隊から除かれ[54]、8駆は3隻(天霧、朝霧、夕霧)編制となった(翌年より狭霧で第10駆逐隊を編成)[57]。 同日附で、帖佐敬吉中佐(天霧艦長)は第9駆逐隊司令へ転任[58]。広瀬末人中佐(当時、海軍水雷学校教官)が天霧駆逐艦長となる[58]

1932年(昭和7年)5月16日、広瀬末人中佐(天霧艦長)は第16駆逐隊司令に任命される[59]金桝義夫少佐(当時、姉妹艦深雪艦長兼初雪艦長)が天霧駆逐艦長に補職[59]中原達平中佐(当時、姉妹艦白雪艦長)は従来職に加えて深雪艦長と初雪艦長の兼務を命じられ、吹雪型3隻(白雪、深雪、初雪)艦長となった[59]。 12月1日附で、中原達平中佐(白雪および深雪艦長)は駆逐艦敷波艦長へ転任[60]。金桝義夫中佐(天霧艦長)は白雪駆逐艦長に、大森正直中佐(当時、姉妹艦吹雪艦長)が深雪駆逐艦長に、それぞれ補職[60]。日本海軍は伏見宮博義王少佐(当時、駆逐艦沖風艦長)を、天霧駆逐艦長に任命した[60]

1933年(昭和8年)10月11日、博義王少佐(天霧艦長)は海軍大学校選科学生となり、天霧を離れる[61]佐藤俊美中佐(当時、駆逐艦菊月艦長)が天霧艦長に、鈴木田幸造中佐(当時、第23駆逐隊司令)が23駆司令と菊月艦長の職務を兼務した[61]。 11月15日、第8駆逐隊は第二水雷戦隊から外れる[62]。12月11日より、横須賀警備戦隊所属となる[63]

1935年(昭和10年)9月26日、第四艦隊に所属して演習のため三陸沖を航行中、台風により小破した。この時は第四艦隊に所属していたほかの艦もほとんどが損傷した(第四艦隊事件)。10月15日、佐藤俊美中佐(天霧艦長)は装甲巡洋艦出雲副長へ転任[64]中川浩中佐(当時、姉妹艦艦長)が、後任の天霧駆逐艦長に補職される[64]。 10月24日、損傷した夕霧は第8駆逐隊から除籍、8駆は吹雪型2隻(天霧、朝霧)になった[65]。 11月15日、第二艦隊・第二水雷戦隊に編入[66]

1936年(昭和11年)12月1日、夕霧の復帰により第8駆逐隊は3隻(天霧、朝霧、夕霧)に戻る[67]。 同日附で、中川浩中佐(天霧艦長)は第16駆逐隊司令へ転任[68][69]。橘正雄中佐(朝霧艦長)は軽巡洋艦川内副長へ転任[68][69]。海軍は松原博中佐(当時、海軍艦政本部出仕兼海軍省軍務局局員)に対し、天霧艦長と朝霧艦長の兼務を命じた[68][69]。 12月12日、原為一少佐(当時、駆逐艦長月艦長)が天霧艦長に補職される[70]。松原博中佐(朝霧艦長兼天霧艦長)の職務は、朝霧駆逐艦長のみとなった[70]

1937年(昭和12年)からは支那事変仏印進駐に参加した。 12月1日、日本海軍は建造中の朝潮型駆逐艦山雲艤装員長だった阿部俊雄中佐を、駆逐艦朝霧艦長に任命する[71]。原為一少佐(天霧駆逐艦長)は、阿部の後任として山雲艤装員長となる[71]。原少佐の後任として、中原義一郎少佐(当時、駆逐艦汐風艦長)が天霧駆逐艦長に補職された[71]

1939年(昭和14年)11月1日、日本海軍は駆逐隊の名称を変更する[72]朝潮型駆逐艦4隻(朝潮大潮満潮荒潮)で編制されていた第25駆逐隊を第8駆逐隊と改名[72]。 吹雪型3隻(朝霧夕霧、天霧)の第8駆逐隊を第20駆逐隊に改称(呉鎮守府に転籍)[72][73]。呉鎮守府予備艦となった。11月15日附で、第20駆逐隊司令は小柳冨次大佐から藤田俊造大佐に交代する[74]

1940年(昭和15年)5月1日、第20駆逐隊は第一艦隊・第三水雷戦隊に転属。 8月1日、狭霧(元第10駆逐隊)が第20駆逐隊に編入され、同隊は吹雪型定数4隻(朝霧、夕霧、天霧、狭霧)となった[75][76]。 8月11日、天霧は臨時に第二遣支艦隊旗艦となった(同日、重巡洋艦鳥海に復帰)[77] 9月1日、中原義一郎中佐(天霧駆逐艦長)は建造中の陽炎型駆逐艦時津風艤装員長へ転任[78]蘆田部一少佐(当時、駆逐艦長月艦長)が天霧駆逐艦長となる[78]。 同時期、第三水雷戦隊(旗艦川内)は北部仏印進駐にともなう陸軍輸送船団護衛任務に従事した[79]

1941年(昭和16年)8月11日附で、第20駆逐隊司令は藤田俊造大佐から山田雄二中佐に交代する[80]

太平洋戦争緒戦[編集]

1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時、第三水雷戦隊はマレー半島シンゴラコタバル上陸作戦を支援した。 12月24日、ボルネオ島攻略作戦従事中の姉妹艦狭霧(第20駆逐隊)が沈没する[54][81](翌年1月15日、第20駆逐隊より削除)[82]

1942年(昭和17年)1月27日、マレー半島南部エンドウ沖で日本軍の船団を攻撃すべく出撃してきた英駆逐艦「サネット」、豪駆逐艦「ヴァンパイア」を、第三水雷戦隊(軽巡川内《旗艦》、第11駆逐隊《白雪吹雪初雪》、第20駆逐隊《天霧、夕霧朝霧》)として迎撃、協同でサネットを撃沈した(エンドウ沖海戦[46]。その後も第三水雷戦隊はスマトラ島アンダマン諸島攻略作戦などの支援作戦に従事した[51]

3月10日附で第12駆逐隊は解隊され[15]、同駆逐隊所属だった姉妹艦白雲が第20駆逐隊に編入される[83][84]。第20駆逐隊は定数4隻(天霧、朝霧、夕霧、白雲)を揃えた[83]。 4月、日本軍はインド洋のイギリス艦隊攻撃のため南雲機動部隊をインド洋に出撃させた。馬來部隊指揮官小沢治三郎中将は、これに呼応してベンガル湾通商破壊作戦を行うことを決定する[85]。作戦部隊は3つに分けられ、「天霧」は南方隊に所属する[85]。南方隊は三隈艦長崎山釈夫大佐が指揮し、重巡洋艦2隻(三隈最上)、駆逐艦1隻(天霧)という編成だった[85]。ベンガル湾での一連の作戦で、南方隊は商船5隻を沈めた[86]。4月10日附で、鳥海・第七戦隊・第三水雷戦隊・龍驤・由良は馬來部隊から除かれた[87]

4月下旬、第三水雷戦隊各隊・各艦は内地に帰投して整備に従事する[88]。各隊が内海西部に集合できたのは5月中旬以降(第19駆逐隊と第20駆逐隊は5月19日)で、水雷戦隊として訓練を行う時間はなかった[88]。 5月下旬から6月上旬のミッドウェー作戦において、第三水雷戦隊(軽巡《川内》、第11駆逐隊《吹雪、白雪、初雪、叢雲》、第19駆逐隊《磯波、浦波、敷波、綾波》、第20駆逐隊《天霧、朝霧、夕霧、白雲》)は、連合艦隊司令長官山本五十六大将直率の主力部隊(戦艦大和、空母鳳翔)等として行動した[13]。 5月29日、主力部隊は瀬戸内海を出撃[89]。 6月4日、アリューシャン方面支援の警戒部隊(指揮官高須四郎第一艦隊司令長官)は、山本長官直率の主隊と分離する[90]。第20駆逐隊は警戒部隊に所属していた[91]。警戒部隊は第二戦隊(伊勢、日向、山城、扶桑)、警戒隊(第九戦隊《北上、大井》、第24駆逐隊《海風、江風》、第27駆逐隊《時雨、白露、夕暮》、第20駆逐隊《天霧、朝霧、夕霧、白雲》)、第二補給隊(駆逐艦山風、給油艦《さくらめんて丸、東亜丸》)という編成だった[91]。6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー海戦で、日本軍は空母4隻と重巡三隈を失って敗北した[92]。6月17日、警戒部隊は横須賀に帰投した[46][51]。その後、桂島泊地に回航された[84]

6月下旬より、第三水雷戦隊(第20駆逐隊を含む)は奄美大島周辺で対潜掃蕩に従事する[46][51]。 7月中旬、インド洋方面通商破壊作戦(B作戦)参加のため、台湾・シンガポールを経由してマレー半島へ移動[46][51]。作戦参加部隊(第七戦隊、第三水雷戦隊、第2駆逐隊、第15駆逐隊)等は8月1日までにメルギー英語版へ進出した[46][84]

ガダルカナル島の戦い[編集]

8月7日、アメリカ軍は日本軍が飛行場を建設していたソロモン諸島ガダルカナル島などへ上陸し占領した(ウォッチタワー作戦)。B作戦中止に伴い、各隊・各艦はソロモン諸島への移動を開始する。川口清健陸軍少将指揮下の川口支隊のガダルカナル島派遣にあたり、連合艦隊は第三水雷戦隊に輸送船団(川口支隊乗船中)の護衛を命じた[93]。第三水雷戦隊の大部分は外南洋部隊(指揮官三川軍一中将、第八艦隊司令長官)に編入されていた[94]。8月23日までに、第20駆逐隊(朝霧、天霧、夕霧、白雲)はトラック泊地に集結した[46][51][84]

8月24日、三水戦(川内、朝霧、天霧、夕霧、白雲)は輸送船2隻(佐渡丸、浅香山丸)を護衛してトラック泊地を出撃、ガダルカナル島へ向かう[95]。航海中の8月26日、南東方面部隊(第十一航空艦隊)より輸送船団によるガ島揚陸中止と、駆逐艦によるガ島輸送の命令が出される[96]。同日夜、北緯1度5分 東経156度53分 / 北緯1.083度 東経156.883度 / 1.083; 156.883地点で川口支隊一個大隊600名は輸送船から20駆(天霧、朝霧、夕霧[97]、白雲)に移乗、ガ島に向かうことになった。輸送船2隻(佐渡丸、浅香山丸)は川内護衛下でラバウルに向かった[96]。ところが、南東方面部隊(第十一航空艦隊)と外南洋部隊(第八艦隊)の間で矛盾した命令が出され、増援部隊(第二水雷戦隊)を混乱させる[96]。 8月28日、第24駆逐隊(海風江風磯風《臨時に24駆司令指揮下で行動》)との合同をめざしていた第20駆逐隊(朝霧、天霧、夕霧、白雲)は、夕刻になりインディスペンサブル海峡でSBDドーントレス11機の空襲を受ける[98]。このドーントレスは、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場より飛来した部隊である[99]。一連の空襲により、第20駆逐隊は朝霧沈没、夕霧大破(自力航行可能)[98]、白雲大破(航行不能)[98]という損害を受ける[100]。第20駆逐隊司令山田雄二大佐も戦死した(海軍少将へ進級)[101][102]。 無傷だった天霧は朝霧生存者135名を収容、陸兵330名が乗船[103]。天霧は航行不能の白雲を曳航し、夕霧の護衛下でショートランド泊地にむかった[98]。報告を受けた増援部隊指揮官田中頼三少将(第二水雷戦隊司令官)は駆逐艦陽炎を救援に派遣、同艦は8月29日昼頃に3隻(天霧、夕霧、白雲)と合同する[98]。曲折があったものの、4隻(天霧、陽炎、夕霧、白雲)は8月30日朝にショートランド泊地に到着した[103]。夕霧と白雲は、応急修理のあと内地に帰投した[51][84]

第二次ソロモン海戦で日本軍は輸送船によるガダルカナル島への増援部隊の輸送に失敗し、その後は駆逐艦による輸送を行うようになった。また外南洋部隊指揮官(第八艦隊長官三川軍一中将)は増援部隊指揮官を田中頼三少将(二水戦)から第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将に交代させる[104]。天霧は、増援部隊の僚艦と共に何度もガダルカナル島への輸送に従事した[12]。 まず、輸送船2隻(佐渡丸、浅香丸)が搭載していた物資や野砲を敷設艦津軽に移載[105]。9月1日、5隻(津軽、陽炎、夕暮、哨戒艇1号《旧島風》哨戒艇2号《旧灘風》)はショートランド泊地を出撃し、2日夜にガ島に物資および兵員を揚陸[105][106]。吹雪型3隻(吹雪白雪、天霧)も同時にルンガ泊地へ突入、飛行場を砲撃したあと津軽隊の掩護をおこなった[105][107]。帰途、空襲により津軽が小破した[105]。 9月5日、駆逐艦5隻(吹雪、白雪、天霧、陽炎、夕暮)でガ島輸送作戦を実施[108][109]。 9月8日朝、ガ島に米軍輸送船団が出現して上陸戦を敢行、川口支隊は挟撃されて危機に陥った[110]。増援部隊(第三水雷戦隊旗艦《川内》、第19駆逐隊《浦波、敷波》、第11駆逐隊《吹雪、白雪》、第20駆逐隊《天霧》、第15駆逐隊《陽炎》、第2駆逐隊《夕立》、第27駆逐隊《夕暮》)は1130にショートランド泊地を出撃する[110]。増援部隊は夜になってルンガ泊地に突入したが、米軍は既に撤収しており、掃海艇2隻を撃破して撤退した(米軍によれば掃海艇1隻被弾座礁)[110][111]

9月10日以降、ガ島飛行場に対する日本陸軍総攻撃に呼応し、外南洋部隊主隊(鳥海)や外南洋部隊支援隊(第六戦隊)もラバウルを出撃する[112][113]。天霧は重巡4隻(鳥海、青葉、古鷹、衣笠)と行動を共にした[113][114]。9月12日から14日の川口支隊飛行場攻撃は失敗し、各艦・各隊はラバウルやショートランド泊地に戻った[114]

総攻撃失敗後も、ガ島に対する日本軍の輸送作戦は続いた[115]。9月17日、蘆田中佐(天霧艦長)指揮下の2隻(天霧、漣)はガ島への輸送に成功[115][116]。往路で米艦爆3機の空襲を受けたが、特設水上機母艦山陽丸零式観測機2機が米艦爆を撃退し、2隻(天霧、漣)に被害はなかった[115]。 この頃、南東方面部隊(第十一航空艦隊、第八艦隊)は水上機母艦日進の重火器輸送や、駆逐艦輸送作戦を中止するに至った[117]。日本陸軍、連合艦隊、南東方面部隊が協議した結果、大発動艇を用いた蟻輸送を実施することになり、外南洋部隊(第八艦隊)の兵力部署も改正される[117]。本艦は第四水雷戦隊司令官高間完少将(旗艦由良)を指揮官とする「挺身輸送隊」に所属[117]。挺身輸送隊は、潜水艦2隻(伊二伊三)、駆逐艦2隻(天霧、綾波)という兵力だった[117][118]。蟻輸送の出発地点はショートランド泊地で、ニュージョージア諸島に複数の輸送基地を設置、最後は潜水艦によりガ島まで曳航する計画である[119]。 9月26日、天霧は大発動艇4隻を曳航してショートランドを出発したが、外洋のうねりが強かった為に一旦中止[18]。9月27日の再出撃では波浪のため大発動艇1隻が放棄されたが、大発3隻はなんとかレンドバ島に到着して第一基地を設置した[18][120]。29日から30日にかけて、吹雪型2隻(天霧、綾波)は第二基地用の大発動艇を曳航し、作戦は成功した[18][121]。吹雪型2隻は引き続き蟻輸送作戦に協力した[18]

天霧が蟻輸送に従事中の10月1日、第20駆逐隊は解隊され[17]、天霧は第八艦隊に編入される[122]。 10月7日、外南洋部隊は輸送計画を見直し、蟻輸送は一時中断する[18][123]。2隻(天霧、綾波)は挺身輸送隊から増援部隊本隊(第三水雷戦隊)に編入された[18]。10月10日、第27駆逐隊司令瀬戸山安秀大佐(時雨座乗)指揮下の駆逐艦3隻(時雨、白露、天霧)でガ島輸送作戦を実施する[123][124]サボ島沖海戦時の天霧は、ショートランド泊地に停泊していた[125]10月12日0200、増援部隊指揮官(第三水雷戦隊司令官)は支援隊(青葉、古鷹、衣笠、初雪、吹雪)と日進隊(日進、千歳、秋月、綾波等)を支援するため、増援部隊7隻(軽巡《川内、由良》、駆逐艦《天霧、浦波、磯波、白露、時雨》)を率いてショートランド泊地を出撃する[126]。増援部隊は戦場離脱中の衣笠や日進隊を収容し、ショートランドに帰投した[126]。本海戦で[127]、日本側は4隻(古鷹吹雪夏雲叢雲)を喪失した[126][128]

10月13日、日本軍は栗田健男中将指揮下の第三戦隊(金剛榛名)により、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃をおこなった[129][130]。 10月12日午前0時発令の外南洋部隊兵力部署変更により、天霧は外南洋部隊主隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入され、主隊は重巡洋艦2隻(鳥海衣笠)と駆逐艦2隻(天霧望月)という編成になる[131]。10月13日2100、三川長官直率の主隊(鳥海、衣笠、天霧、望月)はショートランド泊地を出撃、10月14日深夜にはガダルカナル島に進出、輸送船団掩護のため2度目の飛行場砲撃を行った[130][132]。10月15日1600、主隊はショートランド泊地に帰着[132]。だが輸送船団は揚陸地点で空襲を受け輸送船3隻(笹子丸、旧州丸、吾妻山丸)を喪失、揚陸した物資も大部分は空襲と艦砲射撃により焼き払われた[133]。 10月17日0930、外南洋部隊主隊は輸送作戦掩護のためにショートランドを出撃[134]。夜になり駆逐艦2隻(天霧、望月)は重巡2隻(鳥海、衣笠)と分離し、ガ島に突入[134]。飛行場砲撃を敢行した[134][135]

10月下旬の日本陸軍ガ島飛行場総攻撃(南太平洋海戦)における本艦は、乙増援隊(白雪、天霧、望月)に所属[136]。ヘンダーソン飛行場占領後の、日本軍基地航空部隊急速揚陸を命じられていた[136]。だが飛行場占領失敗と、空襲により軽巡由良沈没・駆逐艦秋月損等等の被害を受け、外南洋部隊の作戦は中止に至った[137]。 11月2日、第一攻撃隊(衣笠、川内、天霧、初雪)としてガ島輸送作戦を支援する[138]。作戦実施にあたり、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将は衣笠に将旗を掲げた[139]。第一攻撃隊はサボ島附近まで進出し、輸送部隊を支援する[139]。この後、天霧はレカタ水上機基地(サンタイサベル島北西端)への補給任務に従事した[140]

11月中旬の第三次ソロモン海戦における本艦は、増援部隊指揮官田中頼三少将(第二水雷戦隊司令官)の麾下にあり、本隊(第15駆逐隊《早潮、親潮、陽炎》、第24駆逐隊《海風、江風、涼風》、第31駆逐隊《高波、巻波、長波》)、収容隊(天霧、望月)、待機隊(黒潮)に区分されていた[141]。二水戦司令官田中少将は駆逐艦早潮に将旗を掲げ、駆逐艦11隻(本隊9隻、収容隊《天霧、望月》)と輸送船11隻でガダルカナル島へ向かう[141][142]。この輸送船団を三川長官直率の主隊(鳥海、衣笠、五十鈴、朝潮)と、第七戦隊司令官西村祥治少将指揮下の支援隊(巡洋艦3隻《鈴谷、摩耶、天龍》、第10駆逐隊《夕雲、巻雲、風雲》)が間接支援していた[141][143]。 11月14日、増援部隊輸送船団は空母エンタープライズ艦載機およびガ島の米軍航空隊、エスピリトゥサント島より飛来したB-17重爆撃機の波状攻撃により大損害を受けた[142][144]。収容隊(天霧、望月)は輸送船佐渡丸を護衛してショートランド泊地に引き返した[142]。天霧の収容者は550名、望月の収容者は1012名と記録されている[142]

12月上旬、駆逐艦2隻(天霧、夕暮)はレカタ基地輸送作戦に従事[145][146]。同時期、コロンバンガラ島防備強化のため輸送作戦が実施されており、12月23日の第二回ムンダ輸送(津軽、天霧)に参加した[147][148]

第十一駆逐隊[編集]

1943年(昭和18年)1月6日[43]から7日にかけて[149]軍艦3隻(空母瑞鶴、戦艦陸奥、重巡鈴谷)は駆逐艦6隻(有明夕暮磯波天霧朝潮)と共にトラックを出発[150][151]、修理と整備のために内地に帰投する[152]。 陸奥隊(陸奥、朝潮、電)は横須賀へ[151][153]、瑞鶴隊(瑞鶴、鈴谷、天霧、有明、夕暮)は呉へ向かう[151][154]。 1月12日、瑞鶴隊は内海西部に到着した(途中から単独航海の磯波は13日に呉到着)[155][156]。 1月13日から3月10日まで、天霧は呉で修理を行った[12]。この間、修理を終えた夕霧は最前線に復帰している[51]。同時期、日本軍はガダルカナル島から撤退(ケ号作戦)、戦場はソロモン諸島中部に移っていった。

2月25日、吹雪型2隻(天霧、夕霧)は第11駆逐隊に編入、11駆(駆逐隊司令杉野修一大佐)[157]は定数4隻(白雪、初雪、天霧、夕霧)となった[19]。 だが白雪は3月3日ビスマルク海海戦で沈没した[158](4月1日附で第11駆逐隊より削除)[159]。 3月10日、天霧は呉を出港、ラバウルに向かう[43]。20日、ラバウル着[43]。ただちに輸送作戦に投入された[160]。 3月29日には駆逐艦2隻(天霧、望月)でレカタ基地への輸送を実施した[161][162]。 4月1日、第三水雷戦隊の編成が変わる[163][164]。 4月2日、駆逐艦3隻(雪風、天霧、望月)でレカタ輸送を実施する[165][166]。 4月7日、2隻(天霧、望月)でレカタ輸送を実施するが[165]、天霧はB-17重爆1機に爆撃されて10名の死傷者を出した[166]

4月下旬より月暗期に入ったため、天霧は新たに編入された各艦・各部隊と共に輸送作戦に従事する[167]。駆逐艦3隻(天霧、夕霧、望月)は4月29日~30日[168]、5月3日[169]、5月7日と10日[170]、それぞれレカタ輸送を実施した(合計進出:陸軍820名、海軍306名。後送:陸軍507名、海軍58名。弾薬燃料90トン、糧食150トン)[171]。 5月16日[51]、夕霧はカビエン北東約200kmのムッソー島附近で米潜水艦(グレイバック)の雷撃を受けて損傷、艦首切断状態となる[172]。天霧は夕霧を曳航してラバウルに避退[173]。夕霧は同地で応急修理を行ったのち、内地に帰投した[16][51]

5月25日附で、天霧駆逐艦長は蘆田部一中佐[174][175]から花見弘平少佐(花見は5月19日まで[176]、駆逐艦艦長)に交代する[177][178]。 5月28日と5月31日、駆逐艦2隻(天霧、望月)で計2回のレカタ輸送を実施[179]。 6月4日、駆逐艦3隻(天霧、望月、皐月)でラバウル~ツルブ(ニューブリテン島西端)を実施[180]。 6月10日、花見少佐はラバウル停泊中の天霧に着任した[177][181]。志賀博大尉(天霧水雷長)は、花見(天霧艦長)について以下のように記述している[182]

「天霧」艦長の花見弘平少佐は、責任感のあまり、乗員全員にみずからと同じくきびしく規制することを要求し、実践した人で、そのため部下に鉄拳をふるってまでも、全員を常時戦闘即応態勢におき、艦内をして極度の緊張状態たらしめ、みずからを持するにことのほか厳格で、航海中は艦橋から一歩も降りず、ほとんど一睡もしないくらいで、艦長としての任務遂行にきびしく処したのである。
 そのため、艦内は"ケイン号の叛乱"のごとき状況にたちいたったが、鉄拳をくらいながらも私はじめ乗員は、艦長の異状なくらいの責任感と勤務精励ぶりに内心傾倒し、艦長の命令に喜んで一命をささげる心境に達していた。「天霧」が南東方面で死闘を演じつつも、ただ一隻、不沈艦たり得たのもむべなるかなであった。 — 特別輸送艦巨済艦長 志賀博、最後のネイビーブルー 28ページ

一方で志賀は、天霧沈没後に配属となった松型駆逐艦の艦長(田中弘国少佐、宇那木勁少佐)と花見(天霧艦長)の統率を比較し、「(花見の鉄拳制裁は)どう考えてもよくないことであった」「駆逐艦乗りの理想は竹時代に現出した」と回想している[183]。 6月28日、第11駆逐隊(天霧、初雪)はレカタ輸送を実施[179]。 6月30日、アメリカ軍はレンドバ島に上陸を開始、ニュージョージア島の戦いが始まる[184]。この時、外南洋部隊主力艦艇はトラック泊地(鳥海、雪風、涼風、江風、谷風、浜風)、ラバウル(新月、望月、皐月、夕凪)、ブイン(長月、水無月、三日月)、ブカ島(天霧、初雪)に分散していた[184][185]。 7月1日、第11駆逐隊司令指揮の先行部隊(天霧、初雪、長月、水無月、三日月)は直ちにレンドバ島方面に進出するが、接敵しなかった[185]。 7月2日夜、増援部隊指揮官秋山輝男少将(第三水雷戦隊司令官、旗艦新月[157]は、直率の突撃隊(新月、天霧、初雪、長月、皐月、望月)、夕張艦長指揮下の陽動隊(夕張、夕凪、三日月)としてブインを出撃、レンドバ島に突入した[185]。だが米軍機の空襲と魚雷艇の迎撃により、敵艦隊撃滅・陸上砲撃とも果たせなかった(魚雷艇2隻撃沈)[185]

7月5日、秋山少将(第三水雷戦隊司令官)は秋月型駆逐艦新月に乗艦、直率の支援隊(新月、涼風、谷風)、第30駆逐隊司令折田常雄中佐指揮の第一次輸送隊(望月、三日月、浜風)、第11駆逐隊司令指揮の第二次輸送隊(天霧、初雪、長月、皐月)としてショートランド泊地を出撃した[186]。コロンバンガラ島沖で日本艦隊はアメリカ軍の軽巡洋艦3隻、駆逐艦4隻からなる艦隊に攻撃され、新月が沈没(秋山少将戦死)[187]。長月がコロンバンガラ島に座礁して放棄される[187][188]。輸送隊(天霧、初雪)はアメリカ艦隊に対し雷撃と砲撃を行うが命中しなかった[186]。その後コロンバンガラ島への揚陸を行って帰投中、天霧は米駆逐艦(ニコラスラドフォード)の攻撃を受けて損傷した[186]。電信室への命中弾で10名が戦死したという[189]。天霧はラバウルで応急修理を実施[189]。しばらく作戦に参加できなくなった[190]。 前述のように、本海戦で新月沈没時に秋山少将が戦死したため、7月7日附で伊集院松治大佐(当時、戦艦金剛艦長)[157]が第三水雷戦隊司令官に任命される[187][191]。 7月9日、第11駆逐隊司令は杉野修一大佐から山代勝守大佐に交代する[157][192]。当時、第11駆逐隊の健在艦は初雪だけだったので(夕霧は内地修理、天霧は応急修理中)、杉野大佐は初雪に移動して作戦を実施することになった[193][194]。 7月17日、輸送作戦準備中の初雪は、ブインで空襲を受け沈没(同時に皐月、水無月、望月小破)[195][196](10月15日附で第11駆逐隊から削除)[197]。11駆は吹雪型2隻(天霧、夕霧)に減少した[197]。杉野司令は天霧に将旗を掲げた[193][194]

7月31日朝、第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐指揮下の駆逐艦3隻(第4駆逐隊《萩風》、第27駆逐隊《時雨》)はラバウルを出撃し、コロンバンガラ島輸送任務に従事する[198][199][200]。天霧(第11駆逐隊司令山代勝守大佐座乗)は警戒隊に区分されていた[198][199]。 輸送隊は同日深夜にブインで海軍陸戦隊と日本陸軍を乗せ、8月1日0100にブインを出発[200]。天霧はブカ島附近で輸送隊3隻に合流[200]。駆逐艦4隻(萩風、嵐、時雨、天霧)はコロンバンガラ島に向かう[199]。8月1日深夜~8月2日未明、日本側4隻はブラケット海峡で米軍魚雷艇部隊と交戦[198][201]。天霧は「PT-109」(艇長:ジョン・F・ケネディ中尉・後に第35代アメリカ合衆国大統領)と衝突、同魚雷艇を沈没させた[43][200]。輸送任務も無事に終わり、8月2日夕刻に4隻はラバウルへ帰投した[199][200]。 特務艦鳴戸で艦首部の応急修理を実施したあとの8月4日から7日にかけて、ツルブ輸送を実施[43][202]。なおケネディ中尉の魚雷艇と衝突した時の損傷により、天霧は修理を行うことになった[203]。そこで駆逐艦江風(第24駆逐隊)が、天霧の代艦として輸送任務に加わった[203]8月6日午前0時半、5隻(軽巡洋艦川内、駆逐艦4隻《萩風、嵐、江風、時雨》)はラバウルを出撃、輸送任務に従事した[204][205]。コロンバンガラ島に向かった駆逐艦4隻は同日夜間に米軍水雷戦隊の奇襲攻撃を受け、時雨(第27駆逐隊司令原為一中佐座乗。原は、昭和11年~12年時の天霧駆逐艦長)を残して3隻(萩風、嵐、江風)とも沈没した(ベラ湾夜戦)[206][207]

8月10日、天霧は重巡洋艦鳥海(艦長有賀幸作大佐)を護衛してラバウルを出発、トラック泊地に移動した[202]。同泊地に到着後、応急修理を実施する[43]。8月31日、駆逐艦2隻(文月、天霧)は輸送船団(五洲丸、りおん丸、筥崎丸)を護衛してトラックを出撃[202][208]。9月4日、ラバウルに入港[202]。その後はブカ島輸送に従事する[43]。 9月下旬より、天霧はコロンバンガラ島からの撤退作戦(セ号作戦)に従事する[43][209]。 10月7日~8日にかけて、駆逐艦3隻(天霧、望月、皐月)でスルミ(ニューブリテン島南部)輸送を実施[210]。一連の作戦後、第三水雷戦隊の全力発揮可能艦は6隻(川内、天霧、皐月、時雨、五月雨、望月)、戦闘可能艦4隻(文月、水無月、夕凪、松風)となった[210]。 10月下旬、第三水雷戦隊(天霧、時雨、五月雨、望月、水無月、皐月、卯月、夕凪)はニューブリテン島周辺の輸送作戦に従事する(天霧と望月で21日~22日ラバウルよりブカ島、天霧と水無月で26-27日カビエンとブカ間輸送、天霧と夕凪の10月31日イボキ輸送は敵機触接により中止)[211]。10月24日、ジャキノット輸送中の2隻(卯月、望月)は空襲を受け、望月は沈没した[211]

11月1日、アメリカ軍はソロモン諸島西部のブーゲンビル島に上陸した[212]。日本軍は逆上陸を企図し、11月2日1530に第五戦隊(妙高羽黒)、第一警戒隊(川内、時雨、五月雨、白露)、第二警戒隊(阿賀野、長波、初風、若月)などからなる艦隊をラバウルから出撃させた[213]。山代大佐(第11駆逐隊司令、天霧座乗)指揮下の輸送隊4隻(天霧、夕凪、文月、望月)、水無月(ブカ島行)も出撃する[213]。だが逆上陸作戦は中止となったため、輸送隊はラバウルに引き返した(水無月は輸送決行)[213]。残りの日本艦隊はブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾でアメリカ軍の艦隊と交戦し、2隻(川内初風)を失う敗北を喫した(ブーゲンビル島沖海戦)[214][215]。 11月5日のラバウル空襲で、第二艦隊司令長官栗田健男中将(旗艦愛宕)指揮下の重巡洋艦部隊は大損害を受ける[216]。天霧以下数隻の駆逐艦は空襲警報発令と共に港外に脱出し、被害を受けなかった[215][217]。大破した摩耶をラバウルに残し、その他の重巡部隊はトラック泊地に撤退した[217]

11月6日、第十戦隊司令官大杉守一少将指揮下の艦隊は、タロキナ(ブーゲンビル島)への逆上陸作戦を行う[218]。挺身輸送隊(指揮官香川清登第31駆逐隊司令)は警戒隊(大波、巻波)と輸送隊(天霧、文月、卯月、夕凪)で編成されていた[218]11月7日日付変更直後、挺身輸送隊はタロキナへの揚陸に成功し、ラバウルに帰投した[218]。この後、川内沈没後に呂号第104潜水艦に救助された第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将は、旗艦を駆逐艦五月雨(第27駆逐隊)から天霧に移した[218]。11月8日、三水戦旗艦は軽巡夕張に変った[218]。 11月11日、米軍機動部隊による第二次ラバウル空襲により、駆逐艦涼波が沈没、軽巡阿賀野や駆逐艦長波が大破する[215][219]。航行不能の長波を残して大多数の水上艦艇はラバウルを去った[219]。この措置により南東方面部隊の襲撃部隊兵力は11隻(夕張、天霧、文月、水無月、卯月、夕凪、大波、長波《航行不能》、巻波、夕霧《11月18日ラバウル着》[51]、秋風《11月18日ラバウル着》)になった[219]

11月中旬、襲撃部隊はブカ島(ブーゲンビル島北西)への緊急輸送作戦を行うことになった[220]。第一回輸送(指揮官香川清登第31駆逐隊司令)は警戒隊(大波、巻波)、山代大佐(第11駆逐隊司令)指揮下の輸送隊(第11駆逐隊《天霧、夕霧》、第30駆逐隊《卯月》)で11月21日から22日にかけて実施[220]。成功した[220]。 11月24日1330、香川大佐(第31駆逐隊司令)は前回と同編成の駆逐艦5隻(警戒隊《大波巻波》、輸送隊《天霧、夕霧卯月》)を率いてラバウルを出撃した[220]。揚陸後帰投中、日本艦隊はアーレイ・バーク大佐指揮下の米駆逐艦5隻と魚雷艇9隻の攻撃を受ける[220]。米軍水雷戦隊(駆逐艦5隻)の襲撃により日本側は駆逐艦3隻(大波、巻波、夕霧)を失ったが[221]、「天霧」は離脱に成功した(セント・ジョージ岬沖海戦)[220][222]

12月上旬、第三水雷戦隊の4隻(夕張、文月、水無月、卯月)が整備休養のためトラック泊地後退が決まり、ラバウル残存の三水戦は3隻(天霧、秋風、夕凪)となる[223]。12月2日、伊集院少将(三水戦司令官)は将旗をラバウル陸上に移した[223]。 12月3日深夜、天霧は夕雲型駆逐艦長波回航部隊(軽巡夕張、駆逐艦文月水無月、長波《水無月曳航》)を護衛してラバウルを出発[224][225]。途中まで長波回航部隊を護衛し、ラバウルに戻った[226][227]。 12月6日、天霧は曳航油槽船(特二〇号。燃料搭載量1000トン)を護衛するため、ラバウルを出撃する[228][22]。特二〇号は海軍徴用船康寧丸(中村汽船、2,345トン)に曳航されていたが、同艦が米潜水艦(ピート)に撃沈されて困窮していた[22][229]。 同任務従事中の12月7日ニューアイルランド島カビエンの近くで天霧は操艦を誤り、駆逐艦秋風と衝突[22]、損傷した[25][23]。 天霧は艦首損傷のため最大発揮速力18ノット、秋風は浸水のため6ノットとなる[230][24]。 かねてより修理や整備をする予定だったため[231]、天霧は衝突事故を機会に内地に戻ることになった[25]。特20号運貨船の曳航任務から外され[232][233]、カビエンに回航[234][235]。 応急修理実施後、12月15日にトラック泊地へ到着[227][236]。 同日附で夕霧は除籍され[51]、同時に第11駆逐隊も解隊された[157][21][237]。 12月16日には[157]、第三水雷戦隊司令官も伊集院松治少将から中川浩少将に交代した[238][239]。中川は昭和10年~11年にかけての天霧駆逐艦長である[64][68]

護衛任務[編集]

1943年(昭和18年)12月16日、トラック泊地在泊の天霧は、タンカー日栄丸から燃料補給を受ける[240]。発揮可能速力は16ノットであったという[241]。 12月20日、天霧はタンカー照川丸(五洋商船、6,432トン)[242]を護衛してトラック泊地を出発、サイパンに向かった[243][244]。 同時期、トラック泊地近海で行動していた米潜水艦スケート(USS Skate, SS-305)が照川丸を襲撃する。 12月21日0518、照川丸は北緯9度45分 東経151度56分 / 北緯9.750度 東経151.933度 / 9.750; 151.933地点で被雷[245]、大火災となった[246][247]。 哨戒中の3隻(駆逐艦満潮、海防艦隠岐、特設掃海艇金城丸)や[246][248]、トラック泊地で編成された救難隊(軽巡能代《第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将》、駆逐艦《浜風》)が派遣される[247][249][250]。 同日夜、照川丸は沈没[247][251]。 12月22日、照川丸乗員を乗せた天霧は、トラック泊地に戻った[252][253]

12月26日[254]、天霧は第30駆逐隊司令沢村成二大佐(卯月座乗)指揮のもと、駆逐艦2隻(卯月、天霧)でタンカー2隻(日栄丸、旭東丸)を護衛し、トラック泊地を出撃[255][256]。 12月29日、パラオ近海で夕雲型駆逐艦早波(第32駆逐隊)が日栄丸船団(卯月、天霧、日栄丸、旭東丸)に合流[257][258]。卯月は先にパラオへ向かった[258][259]。 12月31日、天霧も予定通り船団護衛任務をやめ[256]、パラオに到着した[260][261]

1944年(昭和19年)1月9日、天霧は陸軍特殊船にぎつ丸[26]を護衛してパラオを出発[231][262]、日本にむかった[263][264]1月12日夜、米潜水艦ヘイク(USS Hake, SS/AGSS-256)は2隻(天霧、にぎつ丸)を襲撃する[27][265]。 雷撃を受けた「にぎつ丸」(日本海運、9,547トン。大発動艇輸送特殊艦)は[266][267]北緯23度15分 東経132度52分 / 北緯23.250度 東経132.867度 / 23.250; 132.867地点で沈没[268][269]。 天霧[270]や各艦・各部隊は生存者の救助をおこなった[271]。 1月15日、天霧は呉に帰投[272][273]。修理をおこなう[274][275]。 2月下旬、修理完成[276][277]。輸送船団護衛任務のため、呉から門司に回航された[277][278]

3月1日、天霧は第三水雷戦隊から除かれる[277]。同日附で、天霧駆逐艦長は花見少佐から[279]吉永源少佐(当時、駆逐艦帆風艦長)に交代[280]。また天霧は第19駆逐隊に編入され、19駆は吹雪型3隻(浦波敷波、天霧)編成となった[231][30]。 同日[43][281]、天霧は掃海艇30号と共に「モタ07船団」として門司を出撃[282][283]。2-3日に鹿児島(山川港、爆雷搭載のため)[284]に停泊したあと、3月9日に高雄港(台湾)到着[282][283]。しばらく高雄港で待機する[282]。高雄滞在中に花見少佐は天霧を退艦、吉永新艦長が着任した[231]。 3月13日、海防艦干珠と共に「ヒ53船団」を護衛して南下し[285]、3月18日にシンガポール到着[43][282]。第一海上護衛隊の指揮下を離れた[282]。3月25日には、シンガポールで19駆3隻(天霧、浦波、敷波)幹部を集め、懇親会をおこなったという[286]

4月2日午前4時40分、護衛艦艇3隻(天霧、海防艦松輪、水雷艇)の「ヒ55船団」[285]を米潜水艦(ヘイク)が襲撃[287]。 油槽船「たらかん丸」が被雷して船体前部切断、最大速力4ノットとなる[287][288]。「たらかん丸」は辛うじて沈没を免れ、ヒ55船団もそれ以上の損害なくシンガポールに到着した[289][290]

天霧がシンガポールに進出した4月上旬、同地所在の第十六戦隊(司令官左近允尚正少将。重巡青葉、軽巡大井鬼怒)は、シンガポール~ダバオ(フィリピン南部)への輸送作戦に従事していた(軽巡北上はシンガポールで修理中)[291][292]。天霧も第十六戦隊と共に行動、輸送作戦に従事した[31][32]。これより少し前(3月上旬)、オーストラリアから出撃してきたアメリカ海軍の潜水戦隊が、マラッカ海峡に機雷を敷設していた[32]。 4月20日、3隻(巡洋艦《青葉、大井》、駆逐艦《天霧》)はシンガポールを出撃[31]、ダバオ(フィリピン)に向かう[43][293]。航海中の4月23日午後[292]、天霧はマカッサル海峡で触雷[231]。午後2時53分、南緯2度12分 東経116度45分 / 南緯2.200度 東経116.750度 / -2.200; 116.750地点で沈没した[294]。艦長以下大多数の幹部は生還したが、機関長西之園(にしのその)茂大尉は脱出せずに自決[183][295]。天霧生存者は同航2隻(青葉、大井)に収容された[31][32]

5月1日附で吉永源少佐(天霧駆逐艦長)と志賀博大尉(旧姓保坂、天霧水雷長)は、それぞれの職務を解かれた(2名とも呉鎮守府附)[296]。その後、生存者達は次々に転任[297]。山崎健太郎中尉(天霧航海長)は秋月型駆逐艦冬月艤装員[298]、金沢繁雄大尉(天霧砲術長)[299]は駆逐艦長波水雷長[300]、志賀博大尉[301]は松型駆逐艦駆逐艦艤装員[302](竣工後は水雷長[303])となる[297]。 吉永源少佐(元天霧艦長)は横須賀鎮守府附となった後[302]、6月2日附で松型駆逐艦艦長となるが[304]スカベンジャー作戦における松沈没時に戦死した(任、海軍中佐)[297][305]

6月10日、天霧は 帝国駆逐艦籍[306] および初雪型駆逐艦[307]より除籍。第19駆逐隊よりも削除され、19駆は初雪型2隻(浦波、敷波)に減少した[308]

魚雷艇「PT-109」との衝突[編集]

  • ジョン・F・ケネディ中尉が艦長として率いていた魚雷艇、PT-109は、1943年8月2日にソロモン諸島の近くのニュージョージアの西を哨戒していた時に、「天霧」との偶発的な接触事故によって艇体を引き裂かれた。天霧に乗艦していた第11駆逐隊司令山代勝守大佐は、魚雷艇に衝突してしまうと魚雷の誘爆により自艦の方も損傷してしまう危険もあるので、回避のために「取舵」を指令した[309]。砲撃を行うには魚雷艇の位置が近すぎ、また艦首方向に発砲すると砲炎の閃光で視界を奪われてしまうからである[309][310]。花見弘平少佐(天霧駆逐艦長)は「面舵」と号令してしまうも、すぐに気がつき「取舵」と修正して号令したが、間に合わず損傷してしまった[311]。なお、司令が階級上位であっても操艦についての責任は艦長にあるため、司令の回避指示は越権行為に該当する。山代は「司令によっては艦長まかせの人もいるし、細かくやる人もいるが、私(山代)は何でも自分やった」と回想している[309]
  • 花見は「右十度! 前進全速!」を命じ、意図的に魚雷艇に衝突したと回想している[312]
  • ケネディ中尉乗艇のPT-109(魚雷4本搭載、37mm砲1門、乗員13名)は戦時急造の木製であった[313]レンドバ島の米軍基地には魚雷艇15隻が配備されており、当日も全隻が出動していた[313]レーダーを装備していた魚雷艇もあったが、各部隊・各魚雷艇間の連絡・連繋が全くとれておらず、各魚雷艇合計魚雷30本を発射しながら1本も命中しなかった[314]。PT-109も敵情・自軍状況を充分把握しておらず、とりあえず命令に従って哨戒行動中であった[314]
  • 素早い速度で航行し肉薄攻撃を敢行するのが魚雷艇の能力であるため、敵艦と衝突する事は滅多にない。だが当時PT-109は日本軍の航空機による攻撃を避けるため、騒音および航跡を残さないように、三基の内二基を使用しない、減軸運転を行っていた。ゆえに速度が遅いまま航行していたので魚雷艇側も舵の効きが鈍く、回避が困難であった。
  • 「天霧」の損傷は艦首のわずかな亀裂と右スクリューの翼が曲がった程度であり、その後の航海には支障はなかった[315][316]
  • 当時の「天霧」の乗員はPT-109の乗員の全員の戦死を確信し、そのように報告した[316]。そして報告を受けた第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐(旗艦川内)は、天霧が魚雷艇を踏み潰したとして賞賛した[309]。また日本の新聞にも掲載された[317]
  • PT-109の乗組員は2名が戦死、生存者11名(ケネディ中尉含む)はコースト・ウォッチャーズに救助された[318]
  • 1951年(昭和26年)秋、ジョン・F・ケネディは下院議員として来日、花見(元天霧艦長)との面会を希望したが、日程上かなわず帰国した[319]。花見とケネディは手紙を文通する仲になったという[319]。後日、1952年の上院選、1960年の大統領選の際には、「天霧」の元乗員一同から激励の色紙を贈られている[320]
  • 映画『魚雷艇109』(英語)として暗殺の5ヶ月前に公開され、日本でも公開された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』279-280頁による。

艤装員長[編集]

  1. 帖佐敬吉 中佐:1930年6月20日[40] - 1930年11月10日[44]

艦長[編集]

  1. 帖佐敬吉 中佐:1930年11月10日[44] - 1931年12月1日[58]
  2. 広瀬末人 中佐:1931年12月1日[58] - 1932年5月16日[59]
  3. 金桝義夫 少佐:1932年5月16日[59] - 1932年12月1日[60]
  4. 博義王 少佐:1932年12月1日[60] - 1933年10月10日[61]
  5. 佐藤俊美 中佐:1933年10月10日[61] - 1935年10月15日[64]
  6. 中川浩 中佐:1935年10月15日[64] - 1936年12月1日[68]
  7. (兼)松原博 中佐:1936年12月1日[68] - 1936年12月12日[70]
  8. 原為一 少佐:1936年12月12日[70] - 1937年12月1日[71]
  9. 中原義一郎 少佐:1937年12月1日[71] - 1940年9月1日[78]
  10. 芦田部一 中佐:1940年9月1日[78] - 1943年5月25日[175]
  11. 花見弘平 少佐:1943年5月25日[175] - 1944年3月1日[279]
  12. 吉永源 少佐:1944年3月1日[279] - 1944年5月1日[296]

参考文献[編集]

  • 木俣滋郎 『日本空母戦史』 図書出版社、1977年7月。
  • 木俣滋郎 『日本水雷戦史』 図書出版社、1986年3月。
  • 木俣滋郎 『日本軽巡戦史』 図書出版社、1989年3月。
  • ノンフィクション作家佐藤和正 「命令誤認〈砲艦「橋立」艦長・山代勝守大佐の証言〉」『艦長たちの太平洋戦争 続篇 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社、1984年4月。ISBN 4-7698-0231-5
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争<続篇>』 光人社、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
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  • 佐藤和正『艦と乗員たちの太平洋戦争』光人社NF文庫、2004年(平成16年)。ISBN 4-7698-2432-7
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    • 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030107000。
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030107100。
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030107400。
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030107500。
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030107600。
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年3月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030140200。
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年3月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030140300。
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030140600。
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030140700。
    • 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。
    • 『昭和16年~20年 喪失船舶一覧表(2)』。Ref.C08050010000。
    • 『昭和19.1.1~昭和19.3.31 太平洋戦争経過概要 その7/第三段作戦19年1月1日~19年1月15日』。Ref.C16120638400。
    • 『昭和19.4.1~昭和19.6.30 太平洋戦争経過概要 その8/第三段作戦19年4月1日~19年4月20日』。Ref.C16120641100。
    • 『昭和19.4.1~昭和19.6.30 太平洋戦争経過概要 その8/第三段作戦(船舶被害「損傷」之部)』。Ref.C16120641900。

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達昭和3年9月pp.15-16『達第百三十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ノ軍艦竝驅逐艦ニ左ノ通命名ス|昭和三年九月十一日 海軍大臣 岡田啓介|艦種|艦名|建造所|二等砲艦|熱海(アタミ)|三井物産株式會社造船部玉工場|同|二見(フタミ)|株式會社藤永田造船所|一等驅逐艦|天霧(アマギリ)|株式會社東京石川島造船所|同|朝霧(アサギリ)|佐世保海軍工廠』
  2. ^ a b c d e 日本軍艦集2600年版コマ43(原本56頁)『一等驅逐艦 天霧(あまぎり) 基準排水量1,700噸、長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2,97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工昭和3年11月28日、進水昭和5年2月27日、竣工昭和5年11月10日、建造所石川島造船所 ― 所謂特型驅逐艦で、同型計23隻、この中 霧級 には天霧のほかに、朝霧夕霧狭霧の三隻がある。』
  3. ^ a b #艦船(昭和11年12月1日現在)p.2〔別表〕『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波、敷波、天霧、狭霧、夕霧、朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電、朝霧』(註:4番艦の深雪は除籍済み)』
  4. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ64-66(原本88-92頁)、大正15年11月29日(内令238)、第35号型(第35,36,37,38,39,40,41,42,43号)制定。同書コマ66(原本92頁)、昭和2年4月26日(内令143)、「第44号」追加。同書コマ66(原本92頁)、昭和2年10月20日(内令341)、「第45号」追加。同書コマ66(原本92-93頁)、昭和3年6月20日(内令160、8月1日施行)、吹雪型(吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波)に名称変更。同書コマ66(原本93頁)、昭和3年8月6日(内令212)、「敷波」追加。同書コマ66(原本93頁)、昭和3年9月11日(内令254)、「天霧」「朝霧」追加。同書コマ66(原本93頁)、昭和3年11月23日(内令323)、「狭霧」追加。同書コマ66(原本93頁)、昭和3年12月11日(内令356)、「夕霧」追加。同書コマ67(原本94頁)、昭和4年6月20日(内令177)、「朧」追加。同書67(原本94頁)、昭和4年9月20日(内令222)、「曙」「漣」「潮」追加。同書67(原本94頁)、昭和5年3月15日(内令43)、「暁」「響」「雷」「電」追加。
  5. ^ 歴史群像太平洋戦史シリーズ18、特型19頁(狭霧写真解説)
  6. ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻11、1940)コマ574(原本1096-1097)、昭和6年4月29日(内令79)艦船要目公表範囲
  7. ^ 写真日本の軍艦10巻235頁『四種の艦型にわけられる"特型"』
  8. ^ ポケット海軍年鑑(1937)コマ48(原本78頁)『一等驅逐艦"狭霧 さぎり"  全要目{排水量1,700噸 速力34.0節 備砲12.7糎砲6門 魚雷發射管9門 起工昭和4年3月 竣工昭和6年1月 建造所浦賀船渠會社} 特型驅逐艦はわが海軍驅逐艦の中堅主要部隊である。わが驅逐艦名のゆかしさは世界に比類のない、外國の追随を許さぬ詩的なものであるが、"吹雪"より始る特型驅逐艦は "吹雪 ふぶき" "初雪 はつゆき" "白雪 しらゆき" 雪級3隻(深雪が除籍された) 雲級4隻 "浦波 うらなみ" "磯波 いそなみ" "綾波 あやなみ" "敷波 しきなみ" 波級4隻 "天霧 あまぎり" "朝霧 あさぎり" "夕霧 ゆうぎり" 霧級4隻 外に"朧" "曙"等一文字名のものが8隻、合計23隻で各大體4隻づゝをもつて驅逐隊一隊を編制、時には水雷戰隊となり、或ひは航空戰隊に加はり、また警備戰隊に入つて活躍する。』
  9. ^ a b c #艦船要目(昭和11年12月1日現在)p.5『天霧|一等驅逐艦|(要目略)|石川島造船|3-11-28|5-2-27|5-11-10|(装備略)』
  10. ^ 幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ160(原本251頁)『吹雪型(十六隻) 艦種一等驅逐艦 艦名考風波等気象に採る。(略)天霧 (起工)昭和3-11-28 (進水)5-2-27 (竣工)5-11-10 (建造所)石川島造船所』
  11. ^ a b #陽炎型(2014)280頁『朝霧(あさぎり)』
  12. ^ a b c d e f #陽炎型(2014)280頁『天霧(あまぎり)』
  13. ^ a b 戦史叢書ミッドウェー海戦188-190頁『主力部隊』
  14. ^ #第八艦隊日誌(1)p.60『二十八日(天候略)一木川口支隊ノ第一回増援隊発進シタルモ敵機空襲ニ依リ中止朝霧沈没夕霧白雲大破ス』
  15. ^ a b #陽炎型(2014)275頁『白雲(しらくも)』
  16. ^ a b #陽炎型(2014)280-281頁『夕霧(ゆうぎり)』
  17. ^ a b #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「睦月」ヲ削ル 第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ』
  18. ^ a b c d e f g 戦史叢書(83)183-186頁『挺身輸送隊の輸送(蟻輸送)』
  19. ^ a b #内令昭和18年2月(4)pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』
  20. ^ 写真日本の軍艦10巻173頁(天霧写真解説より)
  21. ^ a b #内令昭和18年12月(2)p.46『内令第二千六百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波」ノ下ニ「、濱波」ヲ加フ』
  22. ^ a b c d 戦史叢書(96)442頁『特二〇号の曳航不成功』
  23. ^ a b #S18.12三水戦日誌(1)pp.36-37『七日〇六〇〇11dg司令(宛略)11dg機密第〇七〇六〇〇番電 今暁〇二二五運貨船ヲ中心トシテ左廻リニテ監視中天霧行動適切ヲ缺キ其ノ艦首ヲ以テ秋風二三区右舷々側水線附近ニ觸衝(側圧ニ乗ゼラレ後進ニ依リ行足ヲ停止ス)秋風二三区間浸水今ノ所浸水増加セズ人員兵器異状ナキモ最大使用速力六節ROニ回航セシメ運貨船ハ天霧ニテ曳航ス』
  24. ^ a b #S18.12三水戦日誌(2)p.29〔昭和18年12月〕『七(天候略)(略)一.〇二二五天霧 秋風ニ觸衝 特二〇号運貨船ハ天霧ニテ曳航 秋風ハカビエンニ向フ/二.夕凪補給ノ上警戒待機/三.天霧一四三〇特二〇号曳航開始セルモ曳索切断|一.秋風二三区浸水損傷ノ爲出シ得ル最大速力六節 天霧舟首損傷ノ爲出シ得ル最大速力一八節』
  25. ^ a b c #S18.12三水戦日誌(1)pp.11-12『(二)天霧ハ長期ニ亘リ当方面作戰ニ從事シ各部要改造修理箇所モ多キヲ以テ前記各部隊歸着後内地ニ回航整備ノ予定 秋風夕凪ハ差当リ「ラバウル」ニ在リテ待機セシム外機宜船團護衛ニ協力セシムル予定ナシリ處特二〇號護衛任務ニ從事中十二月七日天霧・秋風ニ觸衝両艦共損傷ヲ生ジタルヲ以テ一旦「カビエン」及「ラバウル」ニ於テ應急修理ノ上「トラツク」ヲ経テ天霧ハ内地、秋風ハPTニ回航入渠修理ニ任ゼシメラル』
  26. ^ a b 日本空母戦史536-537頁『にぎつ丸の竣工(三月)』
  27. ^ a b 日本空母戦史538-539頁
  28. ^ #S18.12三水戦日誌(6)p.65〔昭和19年1月〕『一五(天候略)一.天霧一二三〇呉着(以下略)(略)二.天霧呉ニテ修理ニ從事ス』
  29. ^ #S19.02三水戦日誌(1)p.22『10.任務實施概要及成果(略)天霧|自二.二九|南西方面行船團護衛』
  30. ^ a b #内令昭和19年3月(1)p.8『内令第三百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年三月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「霞」ノ下ニ「、不知火」ヲ加フ|第十九驅逐隊ノ項中「敷波」ノ下ニ「、天霧」ヲ加フ』
  31. ^ a b c d ハンディ判艦艇写真集11巻p.104(重巡洋艦『青葉』行動年表)
  32. ^ a b c d 日本軽巡戦史521-522頁『渾作戦と第十六戦隊(六月)』
  33. ^ #達昭和3年9月p.15『達第百三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ノ一等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和三年九月十一日 海軍大臣 岡田啓介|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 摩耶(マヤ)』
  34. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ203(原本366頁)『◎一等巡洋艦摩耶命名ノ件』
  35. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ203(原本366頁)『◎砲艦熱海二見及驅逐艦天霧朝霧命名ノ件』
  36. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ66(原本93頁)『昭和三年九月十一日(内令二五四)艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 別表巡洋艦一等妙高型ノ項「鳥海」ノ下ニ「、摩耶」ヲ加フ/同砲艦二等勢多型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |熱海型|熱海、二見| 同驅逐艦一等吹雪型ノ項「敷波」ノ下ニ「、天霧、朝霧」ヲ加フ』
  37. ^ 昭和5年2月28日(金)海軍公報 931号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C12070326100 『○驅逐艦進水 株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造ノ驅逐艦天霧本月二十七日午後四時三十五分進水セリ』
  38. ^ #進水p.3『〔軍務局〕五、二、二七、一七二〇 一七二五 中央局 築島発 着(九三一)第一課長 局員 石川島造船所 大臣、電報.天霧本日午後四時三十五分無事進水終了セリ 右 御報告ス.二十七日』
  39. ^ 写真日本の軍艦10巻166頁(天霧艤装中写真解説)
  40. ^ a b 昭和5年6月21日(土)官報第1042号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ4(原本547)帖佐補職、新美和貴少佐(補羽風艦長)
  41. ^ 昭和5年7月4日(金)海軍公報 1033号 p.8』 アジア歴史資料センター Ref.C12070327800 『○事務所設置 軍艦愛宕艤装員事務所ヲ呉海軍工廠内ニ設置シ六月三十日ヨリ事務ヲ開始セリ|○事務所設置 驅逐艦天霧艤装員事務所ヲ株式會社東京石川島造船所内ニ設置シ本月二日ヨリ事務ヲ開始セリ』
  42. ^ 昭和5年10月8日(水)海軍公報 1114号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C12070328600 『○郵便物發送先 驅逐艦天霧艤装員事務所宛 十月二十六日迄ニ到達見込ノモノハ 横須賀 其ノ後ハ 東京石川島|○假事務所設置 驅逐艦天霧艤装員事務所ヲ一時横須賀海軍工廠内ニ設置シ 自十月八日 至同二十七日 執務ス』
  43. ^ a b c d e f g h i j k l 写真日本の軍艦10巻254-255頁〔『特型駆逐艦』(磯波、浦波、綾波、敷波、朝霧、天霧、狭霧、夕霧)行動年表 ◇天霧◇〕
  44. ^ a b c d 昭和5年11月11日(火)官報第1161号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ6(原本191)
  45. ^ 昭和5年11月11日(火)海軍公報 1140号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C12070328900 『○事務所撤去 驅逐艦天霧艤装員事務所ヲ株式會社東京石川島造船所内ニ設置中ノ處本月十日撤去セリ』
  46. ^ a b c d e f g 写真日本の軍艦10巻254頁〔『特型駆逐艦』(磯波、浦波、綾波、敷波、朝霧、天霧、狭霧、夕霧)行動年表 ◇朝霧◇〕
  47. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)原本94-95、昭和5年12月1日(内令229)
  48. ^ 写真日本の軍艦10巻167頁(天霧写真解説より)
  49. ^ 昭和5年12月2日(火)官報第1179号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ9(原本49)
  50. ^ 昭和5年12月9日(火)海軍公報 1164号 pp.1-2』 アジア歴史資料センター Ref.C12070329400 『○司令驅逐艦指定 第八驅逐隊司令ハ本月六日司令驅逐艦ヲ天霧ニ指定セリ』
  51. ^ a b c d e f g h i j k l 写真日本の軍艦10巻255頁〔『特型駆逐艦』(磯波、浦波、綾波、敷波、朝霧、天霧、狭霧、夕霧)行動年表 ◇夕霧◇〕
  52. ^ 写真日本の軍艦10巻158頁(狭霧写真解説より)
  53. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)原本95、昭和5年12月3日(内令265)
  54. ^ a b c 写真日本の軍艦10巻255頁〔『特型駆逐艦』(磯波、浦波、綾波、敷波、朝霧、天霧、狭霧、夕霧)行動年表 ◇狭霧◇〕
  55. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)原本95、昭和6年1月31日(内令9)
  56. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)原本49、昭和6年12月1日(内令214)
  57. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.68『昭和六、一二、一(内令二一五)|横須賀鎮守府|第二艦隊|第八驅逐隊|天霧、朝霧、夕霧|昭和六、一二、一(内令二一五)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル(略)昭和七、五、一九(内令一六七)横鎮ノ部隊第九驅逐隊ノ次ニ第十驅逐隊(狭霧、漣)ヲ加フ/(略)/昭和七、一一、三〇(内令三七〇)第十驅逐隊ニ暁ヲ加フ』
  58. ^ a b c d 昭和6年12月2日(水)官報第1478号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ11(原本52)
  59. ^ a b c d e 昭和7年5月18日(水)官報第1612号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ5(原本461)
  60. ^ a b c d e 昭和7年12月2日(金)官報第1778号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ9(原本49)金桝免職、コマ10(原本50)博義王補職
  61. ^ a b c d 昭和8年10月11日(水)官報第2035号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ4(原本259)
  62. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)原本53-55、昭和8年11月15日(内令351)
  63. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)原本59-60、昭和8年12月11日(内令403)
  64. ^ a b c d e 昭和10年10月16日(水)官報第2638号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ3(原本432)佐藤免職・中川補職・森可久少佐(潮駆逐艦長)兼補朧駆逐艦長
  65. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)原本101、昭和10年10月24日(内令412)
  66. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)原本57-58、昭和10年11月15日(内令458)
  67. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)原本104、昭和11年12月1日(内令471)
  68. ^ a b c d e f 昭和11年12月2日(水)官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ22(原本74)中川免職・(原本75)松原補職・橘免職
  69. ^ a b c 昭和11年12月1日(火)海軍辭令公報號外』 アジア歴史資料センター Ref.C12070358600 p.27中川(補16dg司令)、p.29松原(補朝霧兼天霧艦長)・橘(補川内副長)
  70. ^ a b c d 昭和11年12月14日(月)官報第2986号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ5(原本440)松原免職・原補職・磯久研磨少佐(補長月艦長)
  71. ^ a b c d e 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 p.28阿部免職、p.34原免職・中原補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  72. ^ a b c 昭和14年11月1日(水)海軍公報(部内限)第3349号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C12070381800 『官房第五五八七號 本月十一月一日驅逐隊編制中改正竝ニ海軍定員令中改正施行ノ際現ニ左記上欄ノ隊ノ職員タル者ハ別ニ辭令ヲ用ヒズシテ各下欄ノ相當職員ニ補セラレタル義ト心得ベシ 昭和十四年十一月一日 海軍大臣』-『(従前ノ隊名)第八驅逐隊|(新隊名)第二十驅逐隊』-『第二十五驅逐隊|第八驅逐隊』-『呉防備隊|佐伯防備隊』
  73. ^ 写真日本の軍艦10巻157頁(朝霧写真解説より)
  74. ^ 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.30小柳免職、p.35藤田補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  75. ^ 支那事変第8回功績、第20駆逐隊p.2『狭霧 昭和十五年八月一日第二十驅逐隊ニ編入サル』
  76. ^ 支那事変第8回功績、第20駆逐隊p.4『狭霧|功勞甲|自八月一日至八月三日|昭和十五年八月一日第二十驅逐隊ニ編入サレ浦賀 呉ニテ出師準備』
  77. ^ 昭和15年8月14日(水)海軍公報(部内限)3579号 p.9』 アジア歴史資料センター Ref.C12070389500 『○将旗一時移揚 第二遣支艦隊司令長官ハ八月十一日将旗ヲ一時天霧ニ移揚同日鳥海ニ復歸セリ』
  78. ^ a b c d 昭和15年9月2日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.2中原免職・蘆田補職・中俣勇少佐(文月駆逐艦長)兼補長月駆逐艦長』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  79. ^ 日本水雷戦史39頁
  80. ^ 昭和16年8月11日(発令8月11日付)海軍辞令公報(部内限)第688号 p.23藤田免職、p.25山田補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700 
  81. ^ #陽炎型(2014)281頁『狭霧(さぎり)』
  82. ^ #S17.1-3内令1巻/昭和17年1月(2)画像15-16『内令第二千百五十九號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル 第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル 第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル』
  83. ^ a b #内令昭和17年3月(1)p.35『内令第四百十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、叢雲」ヲ加フ |第十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「夕霧」ノ下ニ「、白雲」ヲ加フ』
  84. ^ a b c d e 写真日本の軍艦10巻252頁〔『特型駆逐艦』(磯波、浦波、綾波、敷波、朝霧、天霧、狭霧、夕霧)行動年表 ◇白雲◇〕
  85. ^ a b c 海軍進攻作戦(蘭印)635-638頁『馬來部隊』
  86. ^ 海軍進攻作戦(蘭印)669頁(戦果総合表)
  87. ^ 海軍進攻作戦(蘭印)668頁
  88. ^ a b 戦史叢書ミッドウェー海戦193頁
  89. ^ 戦史叢書ミッドウェー海戦272頁『主力部隊進出』
  90. ^ 戦史叢書ミッドウェー海戦276頁『警戒部隊の分離』
  91. ^ a b 戦史叢書ミッドウェー海戦191-192頁『主隊/警戒部隊軍隊区分』
  92. ^ 戦史叢書ミッドウェー海戦601頁『水上艦艇の被害』
  93. ^ 戦史叢書(49)521-523頁『川口支隊のガダルカナル島派遣計画』
  94. ^ #第八艦隊日誌(1)p.9『八月二十四日 鳴戸外南洋部隊ノ指揮下ニ入ル/第三水雷戰隊(第十九驅逐隊缺)外南洋部隊ニ編入
  95. ^ 戦史叢書(83)10-11頁〔川口支隊〕
  96. ^ a b c 戦史叢書(83)21-22頁『輸送開始と外南洋部隊の延期命令』
  97. ^ 戦史叢書(83)22頁で夕雲とあるが、夕霧の誤記。
  98. ^ a b c d e 戦史叢書(83)24-26頁『第一次輸送の挫折』
  99. ^ 戦史叢書(83)27頁
  100. ^ #第八艦隊日誌(1)p.21『八月二十八日一木川口支隊ノ第一回増援部隊ハ警戒部隊ニ分乗發進シタル所敵機ノ空襲ニ依リ一木支隊増援隊ノ乗艦セル第二〇駆逐隊ハ朝霧沈没夕霧白雲大破ス 此ノ状況ヲ見テ第二十四駆逐隊ハ輸送ヲ断念引返セリ』
  101. ^ 故海軍少将山田雄二位階追陞ノ件』 アジア歴史資料センター Ref.A11115326200 
  102. ^ 昭和17年10月1日(発令8月28日)海軍辞令公報(部内限)第954号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072087200 
  103. ^ a b 戦史叢書(83)30-31頁
  104. ^ 戦史叢書(83)31-33頁『増援部隊指揮官の更迭』
  105. ^ a b c d 戦史叢書(83)52-53頁『九月二日』
  106. ^ #第八艦隊日誌(2)p.14『陽炎、夕暮、津輕、哨戒一、哨二|九月二日二三三〇/九月二日二三五五|「タイボ」岬ニ輸送物件ヲ揚陸』
  107. ^ #第八艦隊日誌(2)p.14『第十一駆(初雪叢雲缺)天霧|九月二日二二五四|「ルンガ」泊地ニ突入敵飛行場ヲ砲撃津輕ノ援護ニ任ズ』
  108. ^ #第八艦隊日誌(2)p.14『吹雪、白雪、天霧、陽炎、夕暮|九月五日|RXWヘ陸兵二三一名彈藥糧秣ヲ揚陸ス』
  109. ^ 戦史叢書(83)55頁『九月五日』
  110. ^ a b c 戦史叢書(83)91-92頁『敵のタイボ岬上陸』
  111. ^ #第八艦隊日誌(2)p.15『川内、第十九駆(2D缺) 第十一駆(初雪叢雲缺)陽炎、天霧、夕暮|九月八日|「タイボ」岬ニ敵巡一、駆六、輸送船六出現ノ報ニ依リ直ニ進撃同日二一三〇湾外ニ於テ敵駆一撃沈、一隻大破ス』
  112. ^ 戦史叢書(83)102-103頁『青葉支隊第二次輸送と外南洋部隊の出撃』
  113. ^ a b 戦史叢書(83)103-104頁『奇襲隊のガ島敵陣地砲撃』
  114. ^ a b 戦史叢書(83)104-106頁『青葉支隊第三次輸送』
  115. ^ a b c 戦史叢書(83)137-138頁『十六日~十九日』
  116. ^ #第八艦隊日誌(2)p.16『漣、天霧|九月十七日|「カミンボ」ニ兵器、彈藥、糧秣ヲ揚陸ス』
  117. ^ a b c d 戦史叢書(83)165-167頁『輸送計画の改正』
  118. ^ 戦史叢書(83)177頁『輸送再開』
  119. ^ 戦史叢書(83)184頁『挺身輸送隊航路図』
  120. ^ #第八艦隊日誌(2)p.17『天霧|九月二十七日|挺身輸送隊員二〇〇名及大發四隻ヲ曳航「レンドバ」着』
  121. ^ #第八艦隊日誌(2)p.17『天霧、浦波、敷波|九月三十日|大發曳航「レンドバ」着』
  122. ^ #第八艦隊日誌(2)p.27『(3)軍隊区分ノ変更|天霧|一〇-一|第八艦隊ニ編入』
  123. ^ a b 戦史叢書(83)186-188頁『輸送計画の再検討と九日~十日の輸送』
  124. ^ #第八艦隊日誌(2)p.41『第二十七駆(二小隊欠)天霧|一〇-一〇|陸兵二九三、其他「タサファロング」ヘ揚陸ス』
  125. ^ 戦史叢書(83)200頁以降の「夕霧」と「白雲」表記あるも、8月28日に大破した夕霧と白雲は既に日本本土に帰投。修理中。
  126. ^ a b c 戦史叢書(83)200-202頁『叢雲、夏雲の喪失』
  127. ^ 駆逐艦物語71-72頁『▽サボ島沖海戦』
  128. ^ 戦史叢書(83)198-199頁『戦果及び被害』
  129. ^ #第八艦隊日誌(2)p.21『(イ)一般情勢 敵ハ逐次RXNニ増強シ飽ク迄之ヲ固守セントスルノ對勢ヲ示スニ至レリ/帝國海陸軍ハ之ニ對シ基地航空兵力竝ニ在RXN陸軍 第三戰隊、鳥海及第六戰隊ノ射撃ニ依リ敵機ヲ撃碎シ其ノ虚ニ乗ジ高速船團ニ依ル輸送ヲ強行セリ斯クテ在RXN陸軍ノ増強ヲ計リ二十四日總攻撃ニ轉ジタルモ敵飛行場ヲ占領スルニ至ラズ、目下彼我共ニ増勢シツツ次期作戰ヲ畫シアル情況ナリ』
  130. ^ a b #第八艦隊日誌(2)p.42『外南洋部隊|一〇-一三/一〇-一四|増援部隊ハ輸送船(崎戸、九州、笹子、佐渡、南海及吾妻山丸)ヲ護衛RXNニ進撃ス 爾餘ノ外南洋部隊ハ右支援及敵艦艇撃滅ノ爲進撃ス/3Sハ十三日夜約一時間ニ亘リRXIノ砲撃ヲ行フ/船團ハ途中敵機ノ連續爆撃ヲ受ケタルモ被害ナク十四日二二〇〇「タサファロング」沖ニ入泊セリ/鳥海、衣笠ハ十四日夜「ルンガ」沖ニ突入RXIニ對シ艦砲射撃ヲ行フ』
  131. ^ 戦史叢書(83)206頁
  132. ^ a b 戦史叢書(83)219-220頁『外南洋部隊のガ島飛行場射撃』
  133. ^ 戦史叢書(83)220-221頁『船団の揚陸』
  134. ^ a b c 戦史叢書(83)224-225頁『十七日の輸送』
  135. ^ #第八艦隊日誌(2)p.43『第二駆(d×2欠)天霧、望月|一〇-一七|RXIノ砲撃制圧ヲ行フ/鳥海衣笠ハ増援部隊ノ間接護衛ニ任ズ』
  136. ^ a b 戦史叢書(83)246-247頁『各部隊の作戦命令』
  137. ^ 戦史叢書(83)260-262頁『由良の沈没』
  138. ^ 戦史叢書(83)344-345頁『十一月二日の輸送』
  139. ^ a b 戦史叢書(83)346-347頁『輸送の実施』
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  143. ^ 戦史叢書(83)376頁
  144. ^ 戦史叢書(83)381-383頁『米航空部隊の戦闘』
  145. ^ #第八艦隊日誌(3)p.60『天霧、夕暮|一二-九|「レカタ」ニ増援輸送ヲ實施ス』
  146. ^ #第八艦隊日誌(3)p.61『天霧、夕暮|一二-一三|「レカタ」増援輸送ヲ實施ス』
  147. ^ 戦史叢書(83)454頁『第二回輸送』
  148. ^ #第八艦隊日誌(3)p.62『津軽、天霧|一二-二三|第二回第二次「ムンダ」輸送ヲ實施ス』
  149. ^ #S17.12四水戦日誌(3)p.12『(略)有明、夕暮ハ前月ヨリNTBニ編入同方面ニ於テ作戰行動中ノ処二日AdBニ復皈(AdB電令作第一〇五號)有明ハ三日「ラボール」發六日「トラツク」着 夕暮ハ一日「ラボール」發五日「トラツク」着 兩艦共AdB電令作第一一二號ニ依リ(長官)KdBノ指揮下ニ入リ(内地回航中)内地回航部隊トシテ七日「トラツク」發 瑞鶴 陸奥 鈴谷等ノ直衛警戒ニ任ジツツ十二日呉着(以下略)』
  150. ^ #S18.01七戦隊日誌(1)p.18『7日0800第三艦隊司令長官/瑞鶴陸奥鈴谷有明夕暮磯波(天霧電6日)「トラック」発』
  151. ^ a b c #S17.12四水戦日誌(3)pp.24-25『五日一五〇〇 3F参謀長(宛略)3F機密第〇五五〇〇番電12/2 瑞鶴、陸奥、鈴谷、有明、夕暮、朝潮、磯、天霧、雷 左記予定ヲ以テ「トラツク」發内地ニ回航整備補給其ノ他ニ関シ然ルベク配慮ヲ得度/一月六日夕刻天霧 電「トラツク」發(八日朝「サイパン」着補給)/一月七日〇八〇〇其ノ他ノ各艦「トラツク」發(dハ対潜掃蕩後北水道出口ニテ合同)〇九三〇北水道針路三三五度速力二二節尓後「ルクテイ」島東方ヲ北上一四〇〇9°-20′N 151°-32′E針路330°實速16.5節 一月八日日没頃磯波分離(九日朝「サイパン」着補給後單獨内海西部ニ回航)一月九日早朝「バガン」「アグリガン」間ヲ通過〇七〇〇「バカン」ヲ経ル三〇浬附近ニ於テ天霧 雷合同一月十日一一〇〇23°40′N 140°3′Eニテ陸奥、朝潮、電 分離(十二日午前横須賀着ノ予定)一七三〇24°50′N 138°47′E針路325°實速一五.五節 一月十二日〇九〇〇沖ノ島(瑞鶴、天霧)同日午後内海西部鈴谷、同日夕刻呉、有明、夕暮十三日佐世保着ノ予定』
  152. ^ 戦史叢書(83)567頁
  153. ^ 高松宮日記5巻451頁『○「陸奥」「朝潮」「電」、「横」着(一二-一〇三〇)』
  154. ^ #S18.01佐伯防備隊日誌(2)pp.11-12『1月11日0900呉防備司令官→瑞鶴鈴谷天霧夕暮有明迅鯨伊良湖|一.瑞鶴鈴谷天霧有明夕暮12日0900沖ノ島通過北上ノ豫定沖ノ島迄ノ針路335度/二.迅鯨12日0800沖ノ島通過、伊良湖同日0700深島通過北上ノ予定』
  155. ^ 写真日本の軍艦10巻253頁〔『特型駆逐艦』(磯波、浦波、綾波、敷波、朝霧、天霧、狭霧、夕霧)行動年表 ◇磯波◇〕
  156. ^ #S18.01七戦隊日誌(1)pp.7-8『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
  157. ^ a b c d e f 戦史叢書(96)(付表第1その1)『南東方面作戦関係主要職員表(昭和十七年九月下旬以降)』
  158. ^ #陽炎型(2014)273-274頁『白雪(しらゆき)』
  159. ^ #内令昭和18年4月(1)画像26-27『内令第五百七十九號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル 第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム 第十一驅逐隊ノ項中「白雪、」ヲ削ル 第十六驅逐隊ノ項中「、時津風」ヲ削ル 第八驅逐隊、第二十九驅逐隊及第三十四驅逐隊ノ各項ヲ削ル』
  160. ^ #第八艦隊日誌(7)pp.16-17『(二)第二師団 第三八師団ノ輸送 在「ブイン」ガ島転進部隊ヲ「ラバウル」ニ輸送ス之ガ護衛ヲ行フト共ニ同方面ヨリ「ラバウル」皈還ノ駆逐艦ヲシテ人員ノミ輸送ヲ行ヘリ/(一)38Dノ輸送 10dg(夕雲、風雲、秋雲)ハ陸軍輸送船亜丁丸 宮殿丸ヲ護衛三月二十六日「ボーゲンヴィル」南方航路ヲ經テ二十八日「ラバウル」着輸送人員六〇〇〇名 別紙第七参照/(二)2Dノ輸送 四月三日ヨリ十日迄ノ間「ソロモン」方面輸送ヲ終ヘテ皈還スル 16dg(雪風)10dg(以上護衛ヲ兼ヌ)2dg 天霧 望月計駆逐艦七隻ヲ以テ大型駆ニハ各四〇〇名小型駆ニハ各三〇〇名搭載 海輸菊川丸ニテ二五〇名搭載輸送ニ協力セリ 輸送人員四六〇〇名(内陸輸ニテ二〇〇〇名)別紙第八参照』
  161. ^ 戦史叢書(96)78頁
  162. ^ #第八艦隊日誌(6)p.29『天霧、望月|三-二九|「レカタ」輸送ヲ實施ス 揚陸人員一二防空隊五〇名陸兵〇名糧秣彈藥約六〇屯』
  163. ^ #第八艦隊日誌(7)pp.4-5『四月一日|夕張ヲ加フ、3sdヨリ8dgヲ除ク、7SSヲ除ク、夕凪ヲ加フ、竜田ヲ除ク、K7Lg、一四防空隊、一五防空隊ヲ加フ|17dg(谷風)天津風ヲ編入 夕張ヲ主隊ニ30dg(望月欠)夕凪ヲ附属トス』
  164. ^ 戦史叢書(96)130-131頁『外南洋部隊の作戦の概要』
  165. ^ a b #第八艦隊日誌(7)pp.9-10『三、二八|天霧望月ヲ以テ第一次輸送|佐六特ノ一部約三〇〇名/兵器彈藥糧秣二五〇屯|行動概要「ブイン」泊地一六〇〇頃発翌日〇〇〇〇頃入泊揚陸ノ上〇一三〇〇頃発〇九〇〇頃「ブイン」皈投ス』・『四.二|16dg(雪風)天霧 望月ニテ第二次輸送|大發二隻 後送一一五名 第三次| 』・『四.六|天霧 望月ヲ以テ第三次輸送| | |』
  166. ^ a b 戦史叢書(96)132-133頁『中部ソロモン方面増援輸送』
  167. ^ 戦史叢書(96)159-160頁『中部ソロモン方面増援輸送(親潮、黒潮、陽炎の沈没)』
  168. ^ 戦史叢書(96)163頁『レカタ輸送-第一回』
  169. ^ 戦史叢書(96)163頁『レカタ輸送-第二回』
  170. ^ 戦史叢書(96)163頁『レカタ輸送-第三回、第四回
  171. ^ 戦史叢書(96)164頁『レカタ』
  172. ^ 写真日本の軍艦10巻165頁(夕霧艦首写真解説より)
  173. ^ 戦史叢書(96)168頁『五月十六日』
  174. ^ 戦史叢書(96)(付表第1その2)『南東方面作戦関係主要職員表(昭和十七年九月下旬以降)』
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  176. ^ 昭和18年5月19日(発令5月19日付)海軍辞令公報(部内限)第1118号 p.30』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091000 
  177. ^ a b 完本太平洋戦争上352-353頁『ふたたびラバウルへ』
  178. ^ 昭和18年5月25日(発令5月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1126号 p.6花見補職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091100 
  179. ^ a b 戦史叢書(96)191頁『レカタ輸送』
  180. ^ 戦史叢書(96)191-192頁『ニューギニア方面輸送』
  181. ^ 駆逐艦物語38-39頁『緊急時のブカ増援』
  182. ^ 最後のネイビーブルー28頁
  183. ^ a b 最後のネイビーブルー31-32頁
  184. ^ a b 戦史叢書(96)210頁『連合軍来攻時の我が軍の状況』
  185. ^ a b c d 戦史叢書(96)226-227頁『外南洋部隊水上部隊』
  186. ^ a b c 戦史叢書(96)228頁
  187. ^ a b c 戦史叢書(96)230頁
  188. ^ 駆逐艦物語79-80頁『▽クラ湾夜戦』
  189. ^ a b 完本太平洋戦争上353-355頁『レーダーには敵わぬ』
  190. ^ 海軍兵科将校23頁
  191. ^ 昭和18年7月7日(発令7月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1167号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092100 
  192. ^ 昭和18年7月10日(発令7月9日付)海軍辞令公報(部内限)第1169号 p.12』 アジア歴史資料センター Ref.C13072092100 
  193. ^ a b 佐藤1984、艦長たち続篇209-210頁『ベテラン司令、再登場』
  194. ^ a b 海軍兵科将校24-25頁
  195. ^ 戦史叢書(96)248頁
  196. ^ #陽炎型(2014)274頁『初雪(はつゆき)』
  197. ^ a b #S18.9-10内令4巻/昭和18年10月(4)画像8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風、」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一驅逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』
  198. ^ a b c #陽炎型(2014)194-195頁『敵魚雷艇を踏みつぶす』
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  202. ^ a b c d 海軍兵科将校40-41頁
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  204. ^ #陽炎型(2014)199-200頁『ベラ湾に向けて南下す』
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  208. ^ #S16.12四根日誌(3)p.58『(七)管區内護衛船団並ニ無護衛船団ニ関スル調査(一八-八)』・『三一|一三一三|二六〇一八|文月 天霧|トラツク―ラボール|八.五|』
  209. ^ 戦史叢書(96)297頁『襲撃部隊の第一次計画』
  210. ^ a b 戦史叢書(96)330-331頁『十月上旬作戦輸送』
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  213. ^ a b c 戦史叢書(96)390-391頁『第二回出撃―輸送隊の反転帰投』
  214. ^ 駆逐艦物語85-86頁『▽ブーゲンビル島沖海戦』
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  220. ^ a b c d e f 戦史叢書(96)429-431頁『ブカ輸送と「セントジョージ岬沖海戦」』
  221. ^ 海軍兵科将校48-50頁
  222. ^ 駆逐艦物語86-87頁『▽セントジョージ岬沖海戦』
  223. ^ a b 戦史叢書(96)441頁『三水戦将旗を陸上に移揚』
  224. ^ #S18.12三水戦日誌(1)p.26『三日〇六四五NTB指揮官(宛略)NTB信電令作第五三号(NTB機密〇二〇六四五番電)一.夕張艦長ハ夕張・文月・水無月・長波ヲ指揮シ四日午后又ハ五日午前RR発長波ノPT曳航護衛ヲ行フベシ/二.天霧ハ六日〇八〇〇頃迄前項ノ護衛ニ協力シタル後RRニ歸投スベシ(以下略)』、p.28『三日二〇〇〇8Bg司令官(宛略)R方面防備部隊信電令作第六四三号(8Bg機密第〇三二〇〇番電)夕張11dg(天霧)22d(水無月文月)長波(水無月ニテ曳航)三日二二〇〇RR発PTニ囘航スRR水上機隊仝派遣隊ハ右ノ對潜警戒ヲ實施スベシ』
  225. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.27〔昭和18年12月3日〕
  226. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.28〔昭和18年12月5日〕
  227. ^ a b #S18.12三水戦日誌(1)pp.13-16『四 麾下及一時指揮下ニ入リタル艦船ノ行動(イ)麾下艦船』(天霧)
  228. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.29〔昭和18年12月6日〕
  229. ^ #喪失一覧(2)p.31〔昭和18年12月(1943年)B〕『1|b|康寧丸|2,345|中村汽船|雷撃|ラバウル沖』
  230. ^ #S18.12三水戦日誌(1)pp.43-44『八日一〇三〇秋風駆逐艦長(宛略)秋風機密第〇八一〇三〇番電 損傷ノ状況目下調査中ナルモ損傷以外ニ大ニシテ現在迄ニ判明セル概況左ノ通(以下略)』
  231. ^ a b c d e 海軍兵科将校52-55頁『「天霧」もまた』
  232. ^ #S18.12三水戦日誌(1)pp.45-46『八日一四三三NTF参謀長(宛略)NTF機密第〇八一四三三番電 康寧丸沈没後鴻秋風夕凪天霧ニテ逐次特二〇号ノ曳航ヲ試ミタルモ風力波浪大ニシテ何レモ曳索切断シ最後ニ監視中ノ天霧駆潜四〇モ亦風浪激シク一時ROニ避泊ノ已ムナキニ至レリ 特二〇号ヲRRニ曳航シ得ザル場合本月二十日以後潜水艦燃料補給ニ支障ヲ來スニ付同日迄ニ 二号重油約一〇〇〇瓲補給方配慮ヲ得度(差当リ文月・水無月ニ約一五〇瓲宛搭載補給シ得レバ好都合ナリ)』
  233. ^ #S18.12三水戦日誌(1)pp.50-51『十一日〇七〇〇NTB指揮官(宛略)NTF機密第一一〇七〇〇番電 一.夕凪ハ十二日一二〇〇特二〇号附近着予定ニテRR出港特二〇号ノ曳航ニ任ズベシ 但シ海上ノ横揺特二〇号ノ曳航作業困難ト認ムル場合ハROンテ待機セヨ/二.11dg(天霧)ノ特二〇号曳航(警戒)ヲ取止ム』
  234. ^ #S18.12三水戦日誌(1)p.48『九日〇七〇〇11dg司令(宛略)11dg機密第〇九〇七〇〇番電 天霧RO着』
  235. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.29〔昭和18年12月〕『九(天候略)一.十一駆(天霧)〇七〇〇「カビエン」着/二.松風一四〇〇横須賀發』
  236. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.6『十五日一一一五天霧駆逐艦長(宛略)天霧機密第一五一一一五番電 PT着』
  237. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.6『十五日〇〇一二大臣|十五日〇八〇〇各鎮 各警 各艦隊長官|官房機密第一五〇〇一二番電 十五日附 一.駆逐隊編制中ヨリ第十一駆逐隊ヲ除カル 第三十二驅逐隊ニ浜波ヲ加ヘラル/二.略/三.夕霧ヲ駆逐艦籍ヨリ除カル』
  238. ^ 戦史叢書(96)442頁『第三水雷戦隊司令官交送』
  239. ^ 昭和18年12月17日(発令12月16日付)海軍辞令公報(部内限)第1283号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094900 
  240. ^ #S18.12日栄丸日誌(1)p.3『十二月十五日一七三〇トラツク着投錨〔自十六日至二十五日 天霧、飛鷹、龍鳳、運輸丸〔第三圖南丸 第四海軍軍部〕燃料補給、殘油日章丸ニ移積』、p.29『一六(天候略)天霧燃料補給』
  241. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.15『十九日一九二五天霧駆逐艦長(宛略)天霧意味津第一九一九二五番電 工事完了出シ得ル速力一六節』
  242. ^ #喪失一覧(2)p.32〔昭和18年12月(1943年)B〕『21|b|照川丸|6,432|五洋商船|雷撃|1-45N 151-56E』
  243. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.12『十八日一〇五九GF長官(宛略)(GF機密第一八一〇五九番電)GF信電令作第四二號 南東方面部隊指揮官ハ天霧ヲシテ十二月二十日PT發照川丸ヲPS迄護衛(右行動中第二海上護衛隊司令官ノ指揮ヲ承ク)尓後GF信電令作第四一號ニ依リ行動セシムベシ』
  244. ^ #S17.04第二海護日誌(5)pp.65-66『二〇(天候略)天霧ハ照川丸護衛中第二海上護衛隊司令官ノ指揮ヲ承クベシ(聨合艦隊信電令作第四二號)|(略)二.天霧、照川丸ヲ護衛一一〇〇サイパンニ向ケトラック發』
  245. ^ #S18.12二水戦日誌(1)pp.44『二一日〇八二〇天霧(宛略)天霧機密第二一〇八二〇番電 〇五一八照川丸北緯九度四五分東経一五一度六分ニ於テ右六〇度ヨリ雷撃ヲ受ク 魚雷一番船舟倉ニ一 機関室ニ一命中船橋ヨリ後方大火災航行不能船員全部退去|無電』
  246. ^ a b #S17.04第二海護日誌(5)pp.66-67『二一(天候略)(略)二.天霧護衛中ノ照川丸沈没セル爲二二三〇トラックニ向フ|一.〇五一八天霧船団護衛中北緯九度四五分東経一五一度五六分ニ於テ照川丸被害航行不能天霧制圧実施スルト共ニ乗員救助/二.〇六一五満潮 一二〇〇隠岐 一一〇〇金城丸哨区ヲ徹シ夫々照川丸救難対潜攻撃ノ爲トラック發/三.二一〇〇隠岐現場着掃蕩開始』
  247. ^ a b c #S18.12二水戦日誌(1)p.8『(3)下旬 二十一日GF電令作第七七號ニ依リ照川丸救難隊編成セラレ(司令官)2Sd指揮官トナリ濱風、電、響ヲ率ヒ仝日一一〇〇「トラック」発一九三〇現場着、照川丸大火災掃蕩及護衛部隊(満潮、隠岐、金城丸、天霧)ト共ニ警戒中二〇二〇沈没、掃蕩隊ヲ残シ翌二十二日帰着、満潮二十三日帰着』
  248. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.12『満潮(中略)二十一日 YB電令第十九號ニヨリ筥崎丸護衛ノ爲「トラック」発途中GF信令第七八號ニ依リ(司令官)2KEgノ指揮下ニ入リ任務変更照川丸ノ救難及對潜掃蕩ニ急行 隠岐 金城丸ヲ併セ指揮右任務ニ從事 照川丸沈没ノ後尚掃蕩続行セルモ手掛ヲ得ズ 二十三日早朝命ニ依リ現場発帰着(司令官)2KEgノ指揮ヲ解カル(以下略)』
  249. ^ #S18.12二水戦日誌(1)pp.44『二一日〇九五五(司令官)2Sd|能代 響 電 浜風(GF長官、2F長官、明石)|タナ六三 能代一一〇〇錨地発北水道ヨリ出撃ス 駆逐艦長ハ適宜出港北水道外方ニ於テ合同セヨ一一〇〇以後二十四節即時待機トナセ|信号』
  250. ^ #S18.12十戦隊日誌(1)p.6『(ル)濱風二〇日2Sd司令官ノ作戰指揮下ニ照川丸ノ救難作業ニ從事ス』
  251. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.10『(1)能代(中略)二十一日 能代、浜風、雷、電ヲ以テ照川丸救難隊編成セラル (司令官)2Sd指揮一一五二「トラック」発一九〇〇現場(9°-45′N 151°-56′E)着仝船大火災護衛隊及掃蕩隊(満潮、隠岐、天霧)ト共ニ警戒中二〇二〇沈没救難隊帰途ニ就ク/二十二日午前「トラック」帰着(以下略)』
  252. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.18『二十二日一〇一五天霧駆逐艦長(宛略)天霧機密第二二一〇一五番電 PT着』
  253. ^ #S17.04第二海護日誌(5)p.67『二二(天候略)(略)四.天霧一〇一五トラック帰投』
  254. ^ #S18.12日栄丸日誌(1)p.4『4.四根電令作第九九號ニ依ル行動 十二月二十六日一五〇〇スラバヤ向發』
  255. ^ #S18.12日栄丸日誌(1)pp.15-16『十二月二十六日 第二海上護衛隊(ナラヱ)|30dg 43kg 天霧← 日榮丸← 旭東丸←|2KEg機密第二五一五五〇番電 第二海上護衛隊信電令作第一六三號(四根電令作第九九號)一.日榮丸、旭東丸明日二十六日一五〇〇スラバヤニ向ケ發セシム/二.第三十駆逐隊司令ハ卯月天霧ヲ併指揮、三〇日一六〇〇頃迄船団護衛ニ任ジタル後パラオニ回航スベシ/三.(第三十二駆逐隊)早波ヲシテ二九日一四〇〇北緯一二度五〇分東経一四〇度〇〇分ニテ右船團(針路二八九度、速力一四)ニ會合東経一三〇度線迄護衛ニ協力後パラオニ皈投セシムベシ』
  256. ^ a b #S17.04第二海護日誌(5)pp.70-71『二六(天候略)|第三〇駆逐隊司令ハ卯月、天霧ヲ指揮、日栄丸旭東丸パラオ迄護衛シ帰途船団護衛トラックニ帰投スベシ右行動ニ関シ 二護司令官ノ指揮ヲ受クベシ(聨合艦隊信令第四六號)|一.早波〇七一七パラオ着/二.天霧、卯月二隻 日榮丸 旭東丸ヲ護衛一六三五スラバヤニ向ケトラック發(東経一三五度迄護衛パラオニ回航)』
  257. ^ #S18.12二水戦日誌(1)pp.13-14『(3)32dg(早波)(中略)二十八日「パラオ」発二十九日 日榮丸船団ニ合同天霧ヨリ護衛任務ヲ引継ギ護衛續行』
  258. ^ a b #S17.04第二海護日誌(5)pp.72-73『二九(天候略)|一.早波(天霧、卯月、日榮丸、旭東丸)船団ニ 一三〇〇合同護衛開始(略)三.卯月、天霧二隻日榮丸船団護衛ヲ早波ト交代ス卯月ハ先航一四〇〇パラオ着』
  259. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.23『三十日一三〇〇30dg司令(宛略)30dg機密第三〇一三〇〇番地 卯月天霧二十九日一四〇〇日栄丸船團護衛ヲ早波ト交代卯月ハ先行PP着』
  260. ^ #S17.04第二海護日誌(5)pp.74-75『三一(天候略)(略)三.天霧〇九三〇日榮丸旭東丸護衛ヲ止メパラオ着』
  261. ^ #S18.12三水戦日誌(2)p.24『三十一日〇九三〇天霧駆逐艦長(宛略)天霧機密第三一〇九三〇番電 PP着』
  262. ^ #S18.12三水戦日誌(6)p.61〔昭和19年1月〕『九(天候略)一.文月〇八〇〇「トラツク」着/二.天霧にぎつ丸護衛〇九〇〇呉ニ向ケ「パラオ」發(以下略)』
  263. ^ #S18.12呉防戦(2)p.27『九日一六三四 2KEg(司令官)パラオ方面|十日〇七二五(司令官)(宛略)|二海護パラオ機密第〇九一六三四番電 フ九〇一船団A船にぎつ丸〔宇品〕護衛艦天霧一月九日〇九〇〇西口発速力一四節 A点二〇度〇〇分E一三二度一四分 B点〃三〇度四〇分〃一三四度二〇分 ヲ経テ十四日一五三〇深島着』
  264. ^ #S18.12三水戦日誌(5)p.12『自一月九日 至一月十五日 天霧 にぎつ丸自「パラオ」至呉間護衛』
  265. ^ #S19.01.01-01.15経過概要p.36『19-1|12|1901|にぎつ丸(陸軍9547t)「パラオ」ヨリ豊後水道ヘ航行中「沖ノ大東島」ノ南東約130′ニ於テ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|内地|沈没 護衛艦天霧掃蕩竝ニ救難ニ從事』
  266. ^ #喪失一覧(2)p.34〔昭和19年1月(1944年)A〕『12|a|にぎつ丸|9,547|日本海運|雷撃|沖大東島沖23-15N 132-51E』
  267. ^ 高松宮日記7巻221頁『○にぎつ丸』
  268. ^ #S18.12呉防戦(2)p.4『一二|一九〇〇|二三-一五|一三二-五一|雷撃にぎつ丸沈没ス』
  269. ^ #S18.12呉防戦(2)p.34『十三日〇三一〇呉鎭(長官)(宛略)呉鎭機密第一三〇〇三五番電 十二日一九〇〇北緯二三度一五分東経一三二度五二分ノ地点ニ於テにぎつ丸敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ一九二五沈没附近天霧制圧中ナルモ貴隊ノ協力ヲ得度』
  270. ^ #S18.12呉防戦(2)p.35『十三日一二〇〇呉鎭(長官)|十三日一四〇〇天霧艦長 呉防戰(司令官)|呉鎭機密第一三一二〇〇番電 呉囘航ノ途次宇品ニ寄港にぎつ丸遭難者ヲ同地ニテ揚陸セシメラレ度』
  271. ^ #S18.12呉防戦(2)p.36『十三日一七五〇呉防戰司令官(宛略)呉防戰機密第一三一七五〇電 電令第一五〇號 十二日一九〇〇N二三度一五分E一三二度五一分ニ於テにぎつ丸遭難沈没人員ハ天霧ニ収容セルモ其ノ後飛行機偵察ニ依レバ人員ハ尚約三〇名漂流中 怒和島ハ二八度線ニ至ラバ船団ヨリ分離シ右遭難現場ニ急行人員救助並ニ要スレバ重要浮流物件ノ揚収ニ任ズベシ』
  272. ^ #S18.12三水戦日誌(5)pp.16-17『(四)麾下竝ニ一時指揮下ニ入リタル艦船部隊ノ行動(イ)麾下艦船部隊』(天霧)
  273. ^ #S18.12三水戦日誌(5)p.64『一月十六日一二三〇天霧(宛略)機密第一五一二三〇番電 呉着』
  274. ^ #S18.12三水戦日誌(5)p.15『天霧 十五日呉着修理ニ從事二月下旬完成ノ予定』
  275. ^ #S18.12三水戦日誌(6)p.2『一月十九日〇〇〇五天霧|一月十九日(一三三〇)|機密第一九一〇四五番電 修理整備二月二十二日終了ノ予定』
  276. ^ #S19.02三水戦日誌(1)pp.18-19『9.修理整備實施ノ概要(略)』『天霧|一.一五|二.二八|呉|二月二十四日工事完成二十五日出發桂島ニテ訓練ニ從事中主砲方位盤旋回装置故障二十七日再ビ呉ニテ修理實施二十八日完成』
  277. ^ a b c #S19.02三水戦日誌(1)pp.25-27『(四)麾下及一時指揮下ニ入リタル艦船ノ行動(イ)麾下艦船』(天霧ハ三月一日附3sdヨリ除カル)
  278. ^ #S19.02三水戦日誌(3)p.58(昭和19年2月)『二九(天候略)一.天霧〇七三〇門司ニ向ケ呉發/二.松風〇六〇〇横須賀ニ向ケ父島發|一.夕凪修理工事完成/二.天霧南西方面船團護衛任務ノ爲門司ニ回航ス』
  279. ^ a b c 昭和19年3月1日(発令3月2日)海軍辞令公報(部内限)第1354号 p.7花見弘平少佐(免天霧艦長)横須賀鎮守府附被仰付』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096400 
  280. ^ 昭和19年3月1日(発令3月1日)海軍辞令公報(部内限)第1351号 p.35吉永(免帆風艦長)・染谷英一大尉(補帆風艦長)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300 
  281. ^ #S18.12第一海護日誌(2)pp.55-57『(四)麾下艦舩部隊ノ行動(其ノ一)』
  282. ^ a b c d e #S18.12第一海護日誌(2)pp.59-61『(四)麾下艦舩部隊ノ行動(其ノ二)天霧』
  283. ^ a b #S18.12第一海護日誌(2)p.72『別表第三 舩団護衛状況(台湾航路)昭和十九年三月』
  284. ^ 海軍兵科将校63頁
  285. ^ a b #S18.12第一海護日誌(2)p.71『別表第二 舩団護衛状況(馬來直航航路)昭和十九年三月』
  286. ^ 海軍兵科将校61-62頁
  287. ^ a b #S19.04.01-04.20経過概要p.4『19-4|2|0440|海軍所属油槽船たらかん丸(5135t)ハ六隻船團ニ加入、松輪、天霧、鳩護衛ノ下ニ門司ヨリ昭南ニ向ケ航行中昭南西方約120′附近ニテ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|菲蘭 横運|船橋ヨリ前部切断セシモ辛ウジテ自力航行(SP4kt)ヲ續行シツヽアリ』
  288. ^ #S19.04船舶被害損傷p.2『19-4|2|0440|昭南西方約120′|たらかん丸|菲蘭 横運|五一三五|松輪外二隻|敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ケ辛ウジテ自力航行(SP4kt)』
  289. ^ #S19.04第一海護日誌(1)pp.13-15『(四)麾下艦舩部隊ノ行動(其ノ一)』(昭和19年4月)
  290. ^ #S19.04第一海護日誌(1)p.31『別表第二 舩団護衛状況(馬來直航航路)昭和十九年四月』
  291. ^ #船体行動調書p.16(第16戦隊)『四、一~七 (司令官)青葉 大井 鬼怒 19dg昭南「ダバオ」間輸送』
  292. ^ a b 軽巡海戦史83-84頁『赤痢発生で決戦不参加』
  293. ^ #船体行動調書p.16(第16戦隊)『四、一八~二七 青葉 大井 19dg「ピナン」「ダバオ」間輸送』
  294. ^ 海軍兵科将校58-59頁
  295. ^ 海軍兵科将校60-61頁
  296. ^ a b 昭和19年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1449号 p.39吉永・保坂免職』 アジア歴史資料センター Ref.C13072097900 
  297. ^ a b c 海軍兵科将校133-134頁『雑木林の真価』
  298. ^ 昭和19年5月8日(発令5月6日付)海軍辞令公報(部内限)第1465号 p.20』 アジア歴史資料センター Ref.C13072098100 
  299. ^ 昭和19年5月17日(発令5月16日付)海軍辞令公報(部内限)第1473号 p.24』 アジア歴史資料センター Ref.C13072098200 
  300. ^ 昭和19年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1497号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099400 
  301. ^ 昭和19年5月17日(発令5月16日付)海軍辞令公報(部内限)第1473号 p.24』 アジア歴史資料センター Ref.C13072098200 
  302. ^ a b 昭和19年5月20日(発令5月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1475号 p.32吉永(補横鎮附)、p.33保坂(補竹艤装員)』 アジア歴史資料センター Ref.C13072098200 
  303. ^ 昭和19年6月22日(発令6月16日付)海軍辞令公報甲(部内限)第1518号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099600 
  304. ^ 昭和19年6月3日(発令6月2日付)海軍辞令公報(部内限)第1502号 p.45』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099400 
  305. ^ 昭和20年10月8日(発令昭和19年8月4日付)海軍辞令公報(甲)第1944号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072107900 
  306. ^ #内令昭和19年6月pp.13-15『内令第七百四十六號 佐世保鎭守府警備敷設艇 敷設艇 鴎 右役務ヲ解カル/横須賀鎭守府在籍 軍艦 夕張 右帝國軍艦籍ヨリ除カル/横須賀鎭守府在籍 驅逐艦 雷 驅逐艦 電 驅逐艦 秋雲/呉鎭守府籍 驅逐艦 天霧 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル/横須賀鎭守府在籍 伊號第二潜水艦/呉鎭守府在籍 伊號第三十二潜水艦 伊號第百六十九潜水艦 伊號第百七十四潜水艦 右帝國潜水艦隻ヨリ除カル/佐世保鎭守府在籍 第七號掃海艇 右帝國掃海艇籍ヨリ除カル/佐世保鎭守府在籍 敷設艇 鴎 右帝國敷設艇籍ヨリ除カル  昭和十九年六月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  307. ^ #内令昭和19年6月pp.9-10『内令第七百四十一號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年六月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎  軍艦、巡洋艦二等ノ部中夕張ノ項ヲ削ル/驅逐艦、一等初雪型ノ項中「天霧」「、雷、電」ヲ、同不知火型ノ項中「、秋雲」ヲ削ル(以下略)』
  308. ^ #内令昭和19年6月p.12『内令第七百四十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年六月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「秋雲、」ヲ削ル|第十九驅逐隊ノ項中「、天霧」ヲ削ル』
  309. ^ a b c d 佐藤1984、艦長たち続篇213-214頁『ケネディ艇の出現』
  310. ^ 海軍兵科将校34頁
  311. ^ 艦長たちの太平洋戦争<続編>387-393頁『ケネディ艇の出現』『ついに衝撃撃破』
  312. ^ 完本太平洋戦争上355-356頁『前進全速、体当りだ』
  313. ^ a b 海軍兵科将校25-26頁『闇の中の混乱』
  314. ^ a b 海軍兵科将校30-32頁
  315. ^ 海軍兵科将校38-39頁
  316. ^ a b 佐藤1984、艦長たち続216-217頁『粉砕された「PT109号艇」』
  317. ^ 海軍兵科将校13-15頁『不沈艦の威風』
  318. ^ 完本太平洋戦争上358-359頁
  319. ^ a b 完本太平洋戦争上350頁
  320. ^ 完本太平洋戦争上359-360頁『太平洋を越えた友情』

関連項目[編集]