古鷹 (重巡洋艦)

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古鷹
艦歴
発注 1922年6月
起工 1922年12月5日
進水 1925年2月25日
就役 1926年3月31日
その後 1942年10月12日米艦隊の砲撃により沈没
除籍 1942年11月10日
要目(新造時 → 改装後)[1]
排水量 基準:7,950トン → 8,700トン
公試:9,544トン → 10,630トン
全長 185.166m
全幅 16.55m → 16.926m
吃水 5.56m → 5.61m
主缶 艦本式缶重油専焼10基、同混焼2基 → 艦本式重油専焼缶10基
主機 三菱パーソンズ式オールギアードタービン4基4軸
102,000馬力 → 103,340馬力(公試成績)
速力 34.6ノット(公試成績)
→ 32.95ノット(公試成績)
航続距離 14ノットで7,000海里
燃料 重油:1,400トン、石炭:400トン
→ 重油:1,858トン
乗員 627名 → 639名
兵装
(竣工時)
50口径20cm単装砲6門
40口径8cm単装高角砲4門
61cm連装魚雷発射管6基12門
八年式魚雷24本
兵装
(改装後)
50口径20.3cm連装砲3基6門
45口径12cm単装高角砲4門
61cm4連装魚雷発射管2基8門
九三式魚雷16本
装甲 舷側76mm
水平32-35mm
主砲25mm
航空機 1機 → 2機
(カタパルト0 → 1基)

古鷹(ふるたか)は[2]日本海軍重巡洋艦[3]一等巡洋艦古鷹型の1番艦[4]。その艦名は江田島海軍兵学校そばにある古鷹山による[5]平賀譲造船官が手掛けた代表艦であり[6]、世界の注目をあびた20㎝砲搭載型巡洋艦である[7]

概要[編集]

列強の15cm砲搭載軽巡洋艦を凌駕する巡洋艦として、20cm砲6門を搭載し相応の防御力を有した8,000トン級巡洋艦として1923年度の計画で建造された(起工は1922年暮)。その背景には、日本海軍の巡洋艦の主力である5,500t型巡洋艦が仮想敵であるアメリカ海軍オマハ級軽巡洋艦に比べ大きく劣っていた事が挙げられる。

設計者は八八艦隊計画で有名な平賀譲造船官。実験艦としての性格が強かった軽巡洋艦夕張を拡大・改良したものである[8]

単装の20cm砲(8inchではなく20cm)を前甲板と後甲板の中心線上に3基ずつ並べ、煙突を巨大化し、航行性を高めるために波型の甲板を採用した事に特徴がある[9]。なお、この砲は準砲塔式とも言える人力装填のものを採用しており、竣工時の古鷹型巡洋艦(加古級巡洋艦)ではこの人力装填による給弾の遅れが問題となった。準同型艦の青葉型重巡洋艦では20㎝連装砲塔3基6門を搭載しており、これが建造当初の古鷹型(加古級)と青葉型の識別点となった[10]

同型の加古と共に1936~39年の改装で主砲を20.3cm連装砲3基に変更し、艦橋装置の近代化や、水雷兵装の新式化が行われている。砲撃力、速力、水雷戦闘能力共に太平洋戦争開戦時の水準を満たした強力な中型巡洋艦となった。

上記の通り当初はオマハ型を凌駕する巡洋艦として計画された。ワシントン海軍軍縮条約では巡洋艦は排水量10,000t以下、砲口径5inch以上8inch以下と定義付けられたが、保有制限はなかった。その為、当初の計画では14cm砲搭載の予定を20cm単装砲6基6門に変更された。その後、ロンドン海軍軍縮条約によって排水量に関わりなく重巡洋艦とされて保有制限を受けたため、搭載砲塔が条約上限の20.3cm(8inch)連装砲に換装された。

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

昭和16年11月

大正時代の日本海軍は、7000トン以上の巡洋艦を「一等巡洋艦」、7000トン未満の巡洋艦を「二等巡洋艦」と類別していた(大日本帝国海軍艦艇類別変遷[11]。 軍艦古鷹は三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造された[12]。1922年(大正11年)8月11日、建造予定の一等巡洋艦2隻に、1番艦衣笠と2番艦古鷹の艦名が与えられる[2]。 10月9日、既に二等巡洋艦(川内型軽巡洋艦)としては建造中止命令が出ていた加古の艦名を、川崎造船所で建造予定の一等巡洋艦に流用する事が正式に決まる[13]。これをもって加古は二等巡洋艦から一等巡洋艦に艦種変更[14]。加古および衣笠、古鷹は同日附で一等巡洋艦に類別された[14]。前述のように加古の艦名流用により一等巡洋艦1番艦の艦名は加古と決まり、衣笠の艦名は一等巡洋艦3番艦以降へ先送りされた[15][16]。この変更により衣笠はどの造船所で建造するかも『未定』となる[16]。神戸造船所で建造する事が正式に通達されたのは、翌年9月18日のことだった[17]

このような曲折を経つつ、古鷹は1922年(大正11年)12月5日に起工された[12]。1925年(大正14年)2月25日に進水[18]。1926年(大正15年)3月31日に竣工した[12]。起工は姉妹艦の加古(神戸川崎造船所)の方が早かったが(加古の起工1922年11月17日)、進水・竣工は古鷹の方が先だった(加古の進水1925年4月10日、竣工1926年7月20日)[19][20]。このため古鷹が同型のネームシップとなった[4]

後日、ロンドン海軍軍縮会議の結果『ロンドン海軍軍縮条約』が1930年(昭和5年)10月2日に締結されて日本が批准すると、加古型(古鷹型)・青葉型の4隻(加古、古鷹、青葉、衣笠)は甲巡洋艦(重巡洋艦)に定義され、これにともない日本海軍の「一等巡洋艦・二等巡洋艦」の定義も変更された[21]

竣工後[編集]

加古竣工直後の1926年(大正15年)9月25日に長崎造船所でおこなわれた青葉の進水式には皇族高松宮宣仁親王が立ち会っており[22]、御召艦任務のため第五戦隊(加古、古鷹)も「青葉」進水式に参加する(親王は古鷹乗艦)[23]。正午過ぎ、青葉の進水式は無事に終了した[24]

1927年(昭和2年)8月24日、島根県美保関沖で行われた第八回基本演習(夜間無灯火演習)において、第五戦隊(第1小隊《加古、古鷹》、第2小隊《神通那珂》)および第二水雷戦隊(旗艦「夕張」)は夜間雷撃訓練を実施することになった[25][26]。乙軍は、加藤寛治連合艦隊司令長官率いる長門、陸奥以下戦艦部隊を仮想敵(甲軍)にみたてて接近中、戦艦伊勢、日向・第六戦隊(由良、龍田)等から照射を受けた五戦隊第2小隊(神通、那珂)は距離をとるべく右に転舵[27]。すると2隻は後続していた第1小隊(加古、古鷹)および第26駆逐隊、第27駆逐隊(菱、蕨、葦、菫)の一群に突っ込んだ[28]。神通と第27駆逐隊2番艦が衝突(蕨は沈没)、それを避けようとして左に転舵した那珂は、同駆逐隊3番艦と衝突、両艦とも大破する。加古、古鷹は伊勢、鬼怒、阿武隈、由良、龍田等と協力して沈没艦と損傷艦の救援に従事した[29]。 その後、戦艦比叡と重巡古鷹は自力航行可能だった那珂を護衛して舞鶴へ移動[30]。重巡加古は戦艦金剛に曳航される神通を護衛し、葦は軽巡阿武隈に曳航され、それぞれ舞鶴へむかった[31]。12月26日、「神通」艦長水城圭次大佐は自決した[32]。これを美保関事件という。

1936年(昭和11年)当時は古賀峯一少将を司令官として第七戦隊(青葉《旗艦》、衣笠、古鷹)を編制していた[33]。10月、青葉と衣笠は夜間航行中に衝突事故を起こした[34]。訓練終了後、青葉、衣笠、古鷹の単縦陣は速度を6ノットに減速することになったが、衣笠は青葉の信号を見落とし9ノットで直進、誰一人気付かないまま青葉の艦尾に衝突した[35]。両艦とも深刻な損傷はなかったが、衣笠の艦首は潰れてしまった[36]。このため同年度では無事故で演習でも優秀な成績をおさめた3番艦古鷹の評価が高まったという[36]1940年(昭和15年)10月11日、紀元二千六百年特別観艦式で昭和天皇は御召艦比叡に座乗、先導艦は重巡高雄、供奉艦は重巡加古と古鷹であった。

太平洋戦争緒戦[編集]

1941年(昭和16年)12月8日、第六戦隊(司令官五藤存知少将:青葉衣笠加古、古鷹)はグアム島攻略作戦を支援した。続いてウェーク島の戦いに参加した。ウェーク島攻略部隊第一陣は第六水雷戦隊(司令官梶岡定道少将:旗艦夕張)・第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将)軽巡2隻(天龍龍田)を基幹に上陸作戦を行おうとしたが、駆逐艦「疾風如月」を撃沈されて撃退されていたのである。第六戦隊は、第二航空戦隊(司令官山口多聞少将:蒼龍飛龍)、第八戦隊(利根筑摩)、第17駆逐隊(谷風浦風)と共に増援部隊を編制、ウェーク島の占領を支援した。

1942年(昭和17年)5月上旬、古鷹はMO攻略部隊に所属し、珊瑚海海戦に参加した。MO攻略部隊の主戦力は第六戦隊(青葉、衣笠、古鷹、加古)、空母祥鳳、駆逐艦で編制されていた。5月7日、MO攻略部隊はアメリカ軍第17任務部隊(司令官フランク・J・フレッチャー少将)の空母2隻(ヨークタウンレキシントン)から発進した攻撃隊の空襲を受けた。第六戦隊は祥鳳を中心に輪形陣を組んでいたものの、このシステムに慣れておらず、効果的な迎撃は望めなかった[37]。集中攻撃を受けた祥鳳は沈没、また退避命令が出たため青葉以下第六戦隊は祥鳳の脱出者の救助を中断し、沈没現場を離れた[38]。のちに漣が祥鳳の沈没現場に戻って約200名を救助した[39]。20時40分、第六戦隊第2小隊(衣笠、古鷹)はMO機動部隊に編入される[40]。古鷹、衣笠は第六戦隊第1小隊(青葉、加古)と分離し、第五航空戦隊の空母2隻(瑞鶴翔鶴)、第五戦隊(妙高羽黒)、護衛駆逐艦(有明夕暮白露時雨)との合流地点へ向かった。 5月8日朝、古鷹、衣笠はMO機動部隊に合流する[41]。だが「第六戦隊ハ航空戦隊ノ後方五キロニ続行セヨ」以外の指示がなく、また空母を中心とした輪形陣を組まなかったため、各艦は単独でアメリカ軍機動部隊艦載機の空襲に対処する事になった[42]。古鷹、衣笠は翔鶴の後方約8000m地点を航行中、空襲を受けることになる[43]。MO機動部隊攻撃隊はレキシントンを撃沈しヨークタウンに損傷を与えたが、一方で翔鶴が大破した。古鷹主計長は「(空母はすぐ燃えるので)味方の母艦が攻撃を受けているときほどいやな光景はない。」と回想している[44]。古鷹、衣笠、夕暮、潮は戦場を離脱する翔鶴を一時的に護衛した[45]。残敵掃蕩のため珊瑚海を行動したのち、6月上旬になって日本本土に戻り、整備・補修・休養に従事する。だがミッドウェー海戦で日本海軍は主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を喪失。そこでソロモン諸島防備強化の方針を打ち出す。整備・休養を終えた第六戦隊は第十八戦隊の軽巡天龍、龍田等と共にそれぞれ南方へ進出した。

ガダルカナル島の戦い[編集]

同年8月7日、アメリカ軍はウォッチタワー作戦を発動し、ガダルカナル島の戦いがはじまった。8日-9日の第一次ソロモン海戦で古鷹以下第六戦隊は第8艦隊(司令長官三川軍一中将:旗艦「鳥海)に所属し、鳥海、青葉、加古、衣笠、古鷹、天龍、夕張、夕凪で挺身艦隊を編制。連合国軍重巡四隻を共同で撃沈している[46]。夜間戦闘の最中、炎上した敵艦(クインシー)が三川艦隊の隊列に接近[47]単縦陣最後尾の古鷹は回避のため応戦しつつ左に転舵、このため先行する鳥海、青葉、加古、衣笠と分離してしまった[48]。敵艦と共に右舷から魚雷2本が迫ったための措置だったが、古鷹の主計長によれば、荒木(古鷹艦長)は夜戦中に隊列を二分したことを以後も気にしていたという[49]。この分離行動中、後続の天龍と夕張は古鷹を発見して続行した(夕凪は分離後、単艦で戦場を離脱)[48]。続いて鳥海、青葉、加古、衣笠は敵艦3隻を砲撃中、その向こう側に古鷹、天龍、夕張を発見、マストに掲げた白い吹き流しで古鷹隊と気付く一幕もあった[50][51]。期せずして米艦隊を挟撃する陣形となり、連合軍艦隊は大敗北を喫した[50]。記録によれば、古鷹は20㎝主砲153発、12㎝高射砲94発、25粍機銃147発を発射した[52]

勝利を収めた三川艦隊は、鳥海、天龍、夕張、夕凪がラバウルやショートランド泊地へ向かい、第六戦隊4隻のみニューアイルランド島カビエンへ向かったが[53]、8月10日朝、姉妹艦の加古が米潜水艦S-44の魚雷攻撃により沈没した[53]。第六戦隊各艦はカッターボート装載艇を降ろしてカビエンへ向かった[54]。勝利に湧いていた第六戦隊の空気は、一転して沈痛なものになったという[55]。加古生存者は近隣の島に上陸し、駆逐艦卯月大発動艇に救助されてカビエンへ移動[56]。同地で青葉、古鷹、衣笠に収容されたのち、給油艦石廊に乗りラバウルへ去った[57]

8月24-25日の第二次ソロモン海戦前後における鳥海と第六戦隊は、ガダルカナル島揚陸を目指す輸送船団(第二水雷戦隊基幹)掩護のためにガ島北方海域に出動する[58]。第六戦隊は輸送船団や被弾炎上する空母龍驤を視認したのみで、戦局には関与しなかった[58][49]。25日、ガ島ヘンダーソン飛行場より飛来したアメリカ軍機の空襲で軽巡神通が中破、駆逐艦睦月と輸送船金龍丸が沈没する[59]。第二水雷戦隊司令官田中頼三少将は駆逐艦陽炎に将旗を移し、駆逐艦海風、磯風および輸送船2隻と共にショートランド泊地へ避退した[59]。輸送船によるガ島揚陸の企図は頓挫し、第二次ソロモン海戦は日本軍の敗北で終わった[60][61]。8月27日夕刻、青葉、古鷹はショートランド泊地に到着[62]。28日には外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官)の指示により第六戦隊より重巡衣笠が外南洋部隊増援部隊(第二水雷戦隊)に編入され、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将(旗艦川内)が増援部隊指揮官を引き継ぐまでの数日間だけ衣笠が第二水雷戦隊旗艦となっている[62]

サボ島沖海戦[編集]

10月11日-12日、五藤司令官が率いる外南洋部隊支援部隊(第六戦隊《青葉、古鷹、衣笠》、第11駆逐隊第2小隊《初雪吹雪》)はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃に向かった[63][64]。第一次ソロモン海戦と比較して僚艦は少なく、「せめて加古が健在ならば」という回想も残されている[65]。 同日、トラック泊地から第三戦隊司令官栗田健男中将ひきいる第二次飛行場砲撃隊(戦艦《金剛榛名》、第二水雷戦隊《軽巡五十鈴、第15駆逐隊、第24駆逐隊、第31駆逐隊》)および第二航空戦隊(隼鷹飛鷹)もヘンダーソン基地艦砲射撃のため出撃する[66][67]。また飛行場砲撃に先行して、水上機母艦2隻(日進千歳)、駆逐艦(秋月綾波白雪叢雲朝雲夏雲)によるガダルカナル島揚陸作戦も実施中だった[68]。 だが、第六戦隊はノーマン・スコット少将ひきいるアメリカ艦隊(重巡洋艦2、軽巡洋艦2、駆逐艦5)に丁字戦法によって迎撃される(サボ島沖海戦[69][70]。日本側は、アメリカ軍が水上部隊をもって反撃する可能性は極めて低いと判断していた[71]。日進輸送隊や基地航空隊から「アメリカ艦隊出現」の報告が無いことも、第六戦隊の判断に影響を与えていたとみられる[72]

10月11日21時43分、艦隊旗艦であった重巡青葉は左舷前方に出現したアメリカ艦隊(すでに第六戦隊を補足、丁字戦法のため陣形調整中)を日進輸送隊と判断し、味方識別信号をおくりつつ接近した[73][74]。敵艦隊と気づいた時には照明弾で照明されて砲撃されており、初弾が青葉艦橋を貫通して五藤司令官を含む司令部・艦首脳部を戦傷死させる[75][76]。大破した青葉は『我青葉』を連送し[76]、面舵に変針しつつ煙幕を張って避退した[77]。 青葉の後方を進んでいた古鷹でも、荒木艦長は日進輸送隊の可能性を疑っていた[78]。だが吊光弾を投下されて仰天[69]。最初は取舵をとって右砲戦に備えたものの青葉の行動を見て面舵に転舵、青葉に続行した[79][76]。古鷹の主計長は、第一次ソロモン海戦での隊列分離が、サボ島沖海戦における荒木艦長の青葉追従(取舵を中止して面舵転針)判断につながったと推測している[78]。だが煙幕に入りきれなかった古鷹はアメリカ艦隊の攻撃により酸素魚雷が誘爆して大火災となり、射撃目標となる[69]。三番砲塔旋回不能、魚雷発射管破壊、機関室砲弾貫通、左舷傾斜5度、機械故障と損害が累加し、ついに航行不能となった[69]。古鷹は主に高射砲で応戦し、主砲発射弾数は40発以下だっが、第二斉射以後で敵3番艦(米軽巡洋艦ボイシ)に損害を与えたという[69][76]。また古鷹にアメリカ艦隊が集中砲火を浴びせたため青葉への砲撃が少なくなり、同艦が無事に離脱できたという側面もある[80]。衣笠、初雪は取舵を維持したまま戦場を離脱、軽巡ボイシ、重巡ソルトレイクシティと砲撃戦を行って損傷を与えた[81]。また米駆逐艦の同士討ちが生じた[82]。青葉の右前方を航行していた吹雪は米艦隊に距離1500mまで接近、集中砲火をあびて轟沈した[81]

青葉、衣笠、初雪が戦場を離脱した後も古鷹はしばらく海上に浮かんでいたが、水線下への被弾による浸水が進み、22時40分頃に航行不能となる[81]。敵駆逐艦らしき艦が接近してきたが、反転して遠のく[83]。その後、短電話のみ復旧し、救援を命じられていた駆逐艦初雪との連絡に成功[84][83]。到着した初雪が接舷しようとしたが、傾斜のため接舷できなかったという[81][83]軍艦旗をおろしたのち艦尾より沈没した[69]。10月12日午前0時28分、サボ島の310度22浬[81]。艦長以下、生存者は駆逐艦初雪[85]に救助されたが、日中の空襲を考慮したため救助活動は午前2時をもって打ち切られた[81][86]

このあと日進隊より古鷹の救援にむかった駆逐艦4隻(第9駆逐隊《朝雲夏雲》、第11駆逐隊第1小隊《白雪叢雲》)のうち[87]、2隻(夏雲、叢雲)が日中の空襲により沈没した[88][89]。叢雲は白雪による雷撃処分だった[89]。一方、本夜戦において損害を受けた米艦隊もガダルカナル島海域から撤退し、この間隙をついて第二次挺身隊(金剛、榛名)による10月13日ガダルカナル島飛行場砲撃が実施された[90]。健在だった衣笠も再出撃し、10月14日深夜に鳥海、衣笠、天霧、望月という編制でガ島ルンガ泊地へ突入、重巡「鳥海、衣笠」によるヘンダーソン基地砲撃を敢行している[91]

古鷹型重巡洋艦の設計計画当時は船体強度を維持するために船体中心線上に隔壁を設置することが多かった。古鷹も船体軽量化と強度の確保の面から船体中央に隔壁が設置されていた。太平洋戦争開始直前の時期には砲力や大威力の魚雷の出現により、片舷にのみ浸水し大傾斜により復原できなくなる可能性が指摘されていたが改修されることなく戦争に突入した。古鷹の沈没は一説にはこの片舷浸水による大傾斜が原因になったとされる。10月16日時点での戦死33名(内士官2)、行方不明者225名(内士官16)、救助518名(内士官34)[69][92]。なお、古鷹、吹雪生存者の一部はアメリカ軍に救助された後にニュージーランドの収容所に送られ、そこでフェザーストン事件に遭遇している[93]。またアメリカ軍に捕虜となった古鷹および空母飛龍(ミッドウェー海戦で沈没)、戦艦霧島(第三次ソロモン海戦で沈没)生存者の一部は[94]アメリカ軍捕虜尋問所「トレイシー」に移送された[95]

11月10日、第六戦隊は解隊された[96]。健在だった衣笠は第八艦隊直属、修理を要する青葉は呉鎮守府部隊に編入という配備が決まった[97]。同日附で重巡古鷹と空母龍驤は軍艦籍より除籍された[98]。11月14日、第三次ソロモン海戦に参加した衣笠は、鳥海、鈴谷、摩耶、五十鈴、夕雲、風雲、巻雲、朝潮と共に行動中、ニュージョージア島南方でアメリカ軍機の空襲を受け沈没した[99]。古鷹型・青葉型計4隻は青葉を残すのみとなった[100]

公試成績[編集]

状態 排水量 出力 速力 実施日 実施場所 備考
改装後 10,630t 32.95kt 1939年(昭和14年)6月9日 宿毛湾外標柱間

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』87-89頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 塩沢幸一 大佐:1925年5月15日 -

艦長[編集]

  1. 塩沢幸一 大佐:1926年3月31日 - 1926年12月1日
  2. 菊井信義 大佐:1926年12月1日 - 1927年11月15日
  3. 有馬寛 大佐:1927年11月15日 - 1928年12月10日[101]
  4. 大西次郎 大佐:1928年12月10日[101] - 1929年11月30日
  5. 田尻敏郎 大佐:1929年11月30日 - 1930年12月1日
  6. 町田進一郎 大佐:1930年12月1日 - 1931年12月1日
  7. 神山忠 大佐:1931年12月1日 - 1932年12月1日
  8. 高山忠三 大佐:1932年12月1日 - 1933年11月15日
  9. 斎藤二朗 大佐:1933年11月15日 - 1934年11月15日
  10. 角田覚治 大佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
  11. 水野準一 大佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
  12. 大塚幹 大佐:1936年12月1日 -
  13. 友成佐市郎 大佐:1937年12月1日 -
  14. 岡村政夫 大佐:1938年4月20日 -
  15. 伊藤皎 大佐:1938年12月15日 -
  16. 白石万隆 大佐:1939年11月15日 -
  17. 中川浩 大佐:1940年10月19日 -
  18. 荒木伝 大佐:1941年11月28日 -

同型艦[編集]

参考文献[編集]

  • 五十嵐邁 『黒き日本海に消ゆ 海軍・美保関遭難事件』 講談社、1978年11月。
  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人 『戦藻録 明治百年史叢書』 原書房、1968年1月。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 佐藤和正 「フェザーストンの惨劇」『戦争の素顔 一兵卒から提督まで』 光人社、2000年5月。ISBN 4-7698-0958-1
  • 五月会 『波濤と流雲と青春と 第二期二年現役海軍主計課士官 四十周年記念文集』 朝雲新聞社、1980年4月。
    • 山岸二郎 "加古沈没"(昭和15年6月~沈没まで加古主計長)
    • 立野良郎 "六戦隊古鷹沈没"(昭和16年4月~沈没まで古鷹主計長)
  • 諏訪繁治、高橋直一 『重巡鳥海奮戦記 武運長久艦の生涯』 光人社NF文庫、2010年5月。ISBN 978-4-7698-2643-9
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • チェスター・ニミッツ/E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳 『ニミッツの太平洋海戦史』 恒文社、1962年12月。
  • 高橋雄次 『鉄底海峡 重巡加古艦長回想記』 光人社NF文庫、1994年10月(原著1967年)。ISBN 4-7698-2062-3
  • 竹村悟 『太平洋戦記ノンフィクション 軍艦青葉は沈まず 完勝!第一次ソロモン海戦』 今日の話題社、1986年4月。ISBN 4-87565-117-6
  • 中田整一 「第二章 空母飛龍と潜水艦呂号第61の男たち」『トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所』 講談社、2010年4月。ISBN 978-4-06-216157-2
  • 原為一ほか 『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』 潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8
  • 藤原盛宏、岡武文発行人 『わが青春と海軍』 株式会社トムス出版部、1974年3月。
    藤原は当時海軍主計少尉、昭和17年3月より11月まで第11駆逐隊庶務主任。サボ島沖海戦時、第11駆逐隊司令駆逐艦「白雪」乗艦。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
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    • Ref.C08030060800 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
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    • Ref.C08030586700 『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030586800 『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030113900 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。
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    • Ref.C12070082500 『大正12年 達完/達大正12年9月』。

脚注[編集]

  1. ^ 要目は主に加古の値。古鷹の値は改装後の公試排水量、機関出力、速力。
  2. ^ a b #達大正11年8月p.8『達第百五十一號 軍備補充費ヲ以テ大正十一年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|大正十一年八月十一日 海軍大臣男爵加藤友三郎|川崎造船所ニ於テ建造 衣笠キヌカサ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 古鷹フルタカ』
  3. ^ #日本軍艦集2600年版p.28『一等巡洋艦 古鷹(ふるたか) 基準排水量7,100噸、長さ176.78米、幅15.47米、平均吃水4.5米、速力33節、備砲20糎砲6門、12糎高角砲4門、魚雷發射管12門、起工大正11年12月5日、進水大正14年2月15日、竣工大正15年3月31日、建造所長崎造船所-衣笠と同型。古鷹は世界最初の八吋砲巡洋艦で世界の造船家を唖然足らしめた。』
  4. ^ a b #艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.2『軍艦|巡洋艦|一等|古鷹型|古鷹、加古』
  5. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.120『古鷹(ふるたか) 艦種一等巡洋艦 加古・青葉・衣笠は其の姉妹艦なり。艦名考山名なり、安藝國江田島に在る古鷹山に採る。艦歴所謂8吋砲巡洋艦の魁をなしたる艦なり。』
  6. ^ #東京帝国大学総長平賀譲p.2『…殊ニ古鷹、加古、青葉、衣笠級巡洋艦ノ如キハ世界ノ驚異トシテ造船史上ニ一時代ヲ劃セルモノニシテ昭和三年帝國學士院ハ學士院賞ヲ授與シテ其ノ功績ヲ表彰セリ(以下略)』
  7. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.27『一等巡洋艦"古鷹 ふるたか" 飛躍的進歩を遂げた我が造艦技術は、今や世界の驚異とされ1隻の艦艇が我に出現すれば忽ちそれは世界列強の注目研究するところとなる。就中この古鷹の出現ほど世界をあつと云はせたものはあるまい。實にこの艦の計畫された時などは外國人は口を揃へて、「わずか7,100噸の排水量の艦に20糎砲が6門その上に魚雷發射管が12門も積めるわけがない」と云つて信じなかつたものである。が「これですつかり出來上つたから見て呉れ」とばかりに大正15年3月竣工した古鷹を見せつけられた世界は二度吃驚した。計畫通りの兵装が施されてゐるばかりでなく、それまでの巡洋艦型を美事に脱却したスマートさ。即ち古鷹の出現は世界巡洋艦に大革新を齎したと共に日本人の偉大さを世界に再認識せしめたのである。』
  8. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.38『ニ等巡洋艦"夕張 ゆふばり" 全要目{排水量2,890頓 速力33.0節 備砲14糎砲6門 8糎高角砲1門 魚雷發射管4門 起工大正11年6月 竣工大正12年7月 建造所佐世保海軍工廠} 由良又は鬼怒などの軽巡洋艦が申し合せたやうに同型艦として續々出現し、どれが由良か鬼怒か見分けがつかない思ひをしてゐる中へ大正12年7月忽然として現はれた甚だ軽快さうな巡洋艦、ナリは小さいが由良や鬼怒に比べて全然艦型を異にしたスマートな姿であつたから見る者凡てが目を瞠つた。それが夕張であつた。排水量僅かに2,890頓で上記の兵装も而もその悉くが首尾線上に装備されてゐるのみならず、14糎砲は各2門宛を砲塔式に即ち2連装砲塔として備へて、速力は5,000頓級と同じ33節である。全く素晴らしい進歩である。今後はこれだと人々に思はせたが果たせるかな後年になつて計畫されたのがあの7,100頓の加古級である。即ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』
  9. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.28『一等巡洋艦"加古 かこ" 加古は艦型要目共に古鷹と同様で全長176.78米、幅15.47米、平均吃水4.50米。備砲20糎砲6門は何れも單装砲塔式であるから、この點すぐ後に出來た衣笠、青葉の2艦をして一日の長たらしめてはゐるが、従来の巡洋艦が採り來つた形式と比較したならばその斬新振りに満足すべきであらう。この型に於て眼新らしく見られる前部甲板の彎曲してゐるのは高速航行に際して前方3個の砲塔及び艦橋(ブリツヂ)が飛沫に冒されるのを防ぐためである。又後部甲板が全部と反對に下つてゐるのはこの不要部分を割いてこれを武装の方に振當てた苦心の跡を物語るもの。尚この型は後檣の下に飛行機格納庫を有してゐる。後檣に副ふて飛行機揚収用の"デリツクderrick"が見えるであらう。』
  10. ^ #ポケット海軍年鑑(1937)p.34『一等巡洋艦"衣笠 きぬがさ" 衣笠も亦要目に於ては加古、古鷹と同様であるがその主砲たる20糎砲の配列が單装砲塔から二聯装砲塔へと變化した。即ち前部に2個、後部に1個の砲塔としたため單装6砲塔の加古級に比し半籔の砲塔で足りることゝなり従つて甲板上にも大いにゆとりが出來た。後檣下には大きな飛行機格納所があり"カタパルトCata-Pult"は後檣の後に廻つた。尚外誌によると加古級の搭載し得る燃料は石炭400頓と、重油1,200頓であるが、衣笠、青葉になると石炭は同様400頓であるが、重油は1,600頓に増加してゐるといつてゐる。』
  11. ^ #達大正1年8月p.32『達第十一號 艦艇類別標準別表ノ通改正セラル 大正元年八月二十六日 海軍大臣男爵斎藤實 |艦艇類別標準|軍艦|巡洋艦|一等|七千頓以上|二等|七千頓未満』
  12. ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.3『古鷹|一等巡洋艦|(艦要目略)|三菱長崎造船所|大正11-12-5|大正14-2-25|大正15-3-31|(艦装備略)』
  13. ^ #達大正11年10月p.2『達第百七十六號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ノ内加古ノ艦型ヲ一等巡洋艦ニ變更シ大正十一年度ニ於テ川崎造船所ニ於テ建造セシム|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵加藤友三郎』
  14. ^ a b #達大正11年10月p.2『達第百七十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵加藤友三郎|巡洋艦一等ノ欄ニ加古、衣笠、古鷹ヲ加ヘ同二等ノ欄「加古、」ヲ削ル』
  15. ^ #我海軍軽巡に関する問合せの件p.3『衣笠加古|7.100|未起工(契約済)|古鷹|7.100|未起工(契約済)|Ⅲ衣笠|7.100|仝右未起工』
  16. ^ a b #達大正11年10月p.2『達第百七十七號 軍備補充費ヲ以テ大正十一年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ノ内衣笠ノ建造年度ヲ大正十二年度ニ繰下ゲ建造所ハ未定トス|大正十一年十月九日 海軍大臣男爵加藤友三郎』
  17. ^ #達大正12年9月p.1『達第百九十二號 一等巡洋艦衣笠ノ建造所ヲ川崎造船所トシ製造費支出科目ヲ艦艇製造費ニ變更ス 大正十二年九月十八日 海軍大臣財部彪』
  18. ^ #軍艦進水の件p.9『(宛略)軍艦古鷹二十五日午前十時無事進水セリ』
  19. ^ #日本軍艦集2600年版p.28『一等巡洋艦 加古(かこ) 基準排水量7,100噸、長さ176.78米、幅15.47米、平均吃水4.5米、速力33節、備砲20糎砲6門、12糎高角砲4門、魚雷發射管12門、起工大正11年11月17日、進水大正14年4月10日、竣工大正15年7月20日、建造所神戸川崎造船所-古鷹と同型。以上四隻の重巡の出現は、世界の巡洋艦に大革新を齎した。』
  20. ^ #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.3『加古|一等巡洋艦|(艦要目略)|神戸川崎造船所|大正11-11-17|大正14-4-10|大正15-7-20|(艦装備略)』
  21. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p.30『一等巡洋艦"青葉 あをば" これは衣笠と艦型も要目も寸分違はぬと云つてよい同型艦。しかも起工、進水(大正15年)竣工ともに同じ年と云ふ、因縁深い姉妹艦である。昭和10年度はこの青葉とそれに古鷹、衣笠の3隻で第六戰隊を編成し聯合艦隊の第二艦隊に属してゐる。軍縮會議の結果生まれた巡洋艦と云ふものゝ定義を記して見ると、大正10年(1921年)のワシントン會議では巡洋艦の基準排水量は10,000頓を超ゆるを得ず。又備砲の口徑は8吋(20,31糎)を超ゆるを得ず。と云ふことに制限し、更に昭和5年(1930年)の倫敦會議では巡洋艦は1,850頓以上10,000頓以下のものとし、その中備砲口徑6,1吋を超ゆるものを甲級巡洋艦、5,1吋以上6,1吋以下の備砲を有するものを乙級巡洋艦とした。(1,850頓以下でも5,1吋を超える大砲を積めば巡洋艦と見做す)』
  22. ^ #宣仁親王殿下御発着の件p.13
  23. ^ #青葉進水式儀礼p.7『附圖』
  24. ^ #青葉進水式儀礼p.11『15.9.25 第五戦隊司令官 海軍大臣 青葉進水式ニ關スル任務無事終了 午後二時』
  25. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(2)p.11『軍艦神通ハ昭和二年八月二十四日聯合艦隊第八回基本演習ニ参加シ乙軍第五戦隊第二小隊ノ先頭艦トシテ二番艦那珂ヲ率ヒ仝日午後十時美保湾錨地ヲ出港…』
  26. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(3)p.50『触接及襲撃要領』
  27. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(7)pp.7-16』
  28. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(3)pp.46-47『実施経過概要 午後十時演習開始各隊予定ノ如ク行動ヲ開始ス午後十一時六分左翼列ノ第五戦隊第二小隊ハ甲軍伊勢型ヲ発見触接探照灯ヲ用ヒ之ヲ友軍ニ通報ス爰ニ於テ第二十六及第二十七駆逐隊ハ第五戦隊第一小隊ヨリ分離進撃ス 第二小隊ト概ネ竝進セシ第一小隊ハ其頃艦首ニ長門型ラシキモノヲ発見シテ之ガ艦尾ニ触接運動中十一時二十六分葦ヨリ衝突救助ヲ要スル旨信号ニ接シ反転現場ニ至リ損傷艦ノ救助溺者捜索ニ従事ス』
  29. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(1)p.12『当時遭難地附近ニ在リテ極力短艇等ヲ以テ救難ニ従事シツツアリシ艦艇左ノ如シ 伊勢加古古鷹鬼怒阿武隈由良龍田第二十六第二十七駆逐隊』
  30. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(1)p.13『那珂ハ25日午前2時40分防水区画補強工事及防水畫出シ方終了自力航行ニ差支ナキヲ確メタル旨報告ニ接シ比叡及古鷹之ヲ護衛シ舞鶴ニ回航セシム25日午後5時無事到着セリ』
  31. ^ #神通蕨那珂葦衝突報告(1)p.14『神通ハ損傷最甚シク二十五日午前八時其ノ防水補強作業終了シ金剛ハ之ヲ艦尾曳ニテ舞鶴ニ回航加古之ヲ護衛シ二十六日午前九時無事舞鶴着』
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  65. ^ #青葉は沈まず150頁
  66. ^ #戦藻録(1968)202頁『十月十一日 日曜日 晴 艦隊トラック出撃』
  67. ^ #S1612六戦隊日誌(6)pp.34-35『是ニ於テ艦砲ヲ以テスル「ガダルカナル」飛行基地砲撃制圧ノ議案画セラレ10月13日第三戦隊射撃実施ノ予定トナリタルヲ以テソノ前ニ先ヅ當隊ヲ以テ砲撃ヲ実施スベク発令セラレタリ、即チ10月11日第六戦隊、13日第三戦隊、14日鳥海及第六戦隊砲撃実施(尓後15日第五戦隊第二水雷戦隊砲撃ノ発令アリ)ノ予定トナレリ』
  68. ^ #叢書83ガ島戦188-189頁(白雲は白雪の誤認)』
  69. ^ a b c d e f g #戦藻録(1968)208-210頁『十月十六日金曜日 曇 サボ島沖夜戦青葉古鷹實戦失敗談。』
  70. ^ #ニミッツの太平洋海戦史126-127頁
  71. ^ #S1612六戦隊日誌(6)pp.35-36『情況判断トシテハ敵水上部隊ハ「ルンガ」附近ニ入泊補給増強ヲ為シアルモ夜間ハ遠ク東南方ヘ避退スルカ又ハ「ツラギ」港内深ク遁入シ僅カニ魚雷艇数隻ヲ以テ我増援部隊ニ対シ一部ノ反撃ヲ企図シアルニ過ギザル情況ナリシヲ以テ當我隊ノ「ガダルカナル」基地砲撃ニ対シテモ敵ノ大兵力水上部隊ヲ以テスル反撃等ハ殆ド無ノ機会ナキモノト判断シアリ。當日ハ昼間ノ我索敵偵察機、夜間ノ我増援部隊(第六戦隊ヨリ僅カ三時間以前「サボ」島附近ヲ通過シ「タサハロング」ニ入泊セリ)等ニ依ル敵情通報ニ於テ何等敵情ヲ得ザリシヲ以テ特ニ警戒ヲ厳ニ為シアリキ』
  72. ^ #叢書83ガ島戦192-193頁『出撃時の情勢判断』
  73. ^ #叢書83ガ島戦193『支援隊先制攻撃を受ける』
  74. ^ #青葉は沈まず171頁『ワレ・アオバ』(青葉の正式な艦名は"アヲバ")
  75. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.39『初弾旗艦艦橋ニ命中司令官以下幹部多数死傷艦橋各部間通信装置破壊ト同時ニ支援隊内無線電話ノ外通信連絡不能トナレリ…』
  76. ^ a b c d #叢書83ガ島戦194頁
  77. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.39『(青葉)更ニ右変針針路270度最大戦速下令左砲戦左魚雷戦次イデ右砲戦ヲ実施2150煙幕展開避弾運動ヲ行ヒ針路300度ト為セリ』
  78. ^ a b #波濤流雲青春395頁
  79. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.39『古鷹ハ2146.5前面ニ10隻余ノ発砲ヲ認ムルヤ直ニ取舵ニ取リ戦闘魚雷戦右砲戦下令(高角砲ノミ一斉射)主砲旋回ヲ了シ未ダ発砲セザル中ニ青葉面舵ニ変針シ敵弾之ニ集中シテ火災ヲ起シ危急ノ情況ナリシヲ以テ直ニ取舵ヲ戻シ面舵一杯ニテ青葉ニ続行左砲戦トナセリ…』
  80. ^ #青葉は沈まず179-180頁『古鷹の奮戦』
  81. ^ a b c d e f #叢書83ガ島戦195頁
  82. ^ #ニミッツの太平洋海戦史128頁
  83. ^ a b c #波濤流雲青春396頁
  84. ^ #S1710四水戦日誌(2)pp.14-15『12日0015衣笠(宛略)衣笠機密第120015番電 戦闘詳報/一.針路125度速力30節ニテ南下中2150「サボ」島ノ280度15浬近距離ニ敵巡洋艦駆逐艦各数隻ヲ発見交戦約一時間三十分後撃退ス/二.戦果 重巡1魚雷2命中轟沈重巡1大破駆逐艦1撃沈但シ他艦ノ戦果ハ含マズ/三.被害 古鷹隊ハ初雪吹雪ヲ救援ニ赴カシム衣笠被害ナシ其ノ他不明/四.只今ヨリ日進ニ合同セヨ』
  85. ^ 『戦藻録』では白雲と誤認しているが、実際は初雪である。
  86. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.41『初雪ハ会敵後直ニ取舵ニ転舵衣笠ニ続航中ナリシガ二三三〇古鷹ノ救援ニ向ヒ十二日〇〇〇八現場着古鷹沈没ト共ニ人員救助ニ努メタルモ天明後ノ敵機ノ襲来ヲ考慮シテ〇二〇〇救助ヲ打切リ人員五一三名(准士官以上三三名下士官兵傭人四八〇名)ヲ収容ノ後短艇二隻及円材等ヲ残置シ急速中央航路ヲ北上セリ』
  87. ^ 戦史叢書では救援艦を朝雲、夏雲、白雲、叢雲とするが、白雲は8月28日の戦闘で大破、大修理が必要な状態となって呉鎮守府警備駆逐艦となり、サボ島沖海戦時は呉で修理中#S1709呉鎮日誌(4)pp.1-2『四参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動/白雲』
  88. ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.43『10月11日/第9駆(峯雲夏雲欠)、第11駆(2小隊欠)、綾波/聯隊砲1大隊砲2速射砲2迫撃砲1兵400其他ヲRXNニ揚陸、帰途空爆ニ依リ夏雲ト叢雲ヲ失フ』
  89. ^ a b #S1710四水戦日誌(3)pp.17-18『15日1800(将旗)3sd(宛略)3sd機密第151800番電 SNB ZOB戦斗概報第三號/一.十一日夜6Sノ夜戦ニ際シ直衛d吹雪沈没初雪被弾前部水線上破口荒天航行竝ニ二十四節以上ノ航行危険/二.日進千歳11dg(2D欠)9dg(峯雲欠)ハ増援兵力ヲ「ガ」島ニ揚陸シタル後11dgハ古鷹救援ニ赴キ「ソロモン」諸島南方海面ヲ経テ避退中(2/3未着)一四二〇夏雲沈没叢雲大火災爆發収拾ノ途ナク朝雲白雪乗員ヲ収容シテ一旦避退夜陰ニ乗ジ更ニ叢雲ヲ曳航セントセシモ大火災艦尾切断シテ見込ナク遂ニ之ヲ処分セリ 夏雲戦死駆逐艦長以下十七名 叢雲ハ全員行衛不明』
  90. ^ #戦藻録(1968)204頁
  91. ^ #叢書83ガ島戦219-220頁『外南洋部隊のガ島飛行場射撃』
  92. ^ #叢書83ガ島戦198-199頁『戦果及び被害』
  93. ^ #戦争の素顔194頁
  94. ^ #トレイシー87-88頁(古鷹7名、霧島3名)
  95. ^ #トレイシー91-93頁
  96. ^ #戦隊行動調書p.6『11.10 6S解隊 6S(衣笠欠)ハ呉鎮守府ヘ』
  97. ^ #S1709呉鎮日誌(5)pp.16-17『十日〇〇〇四軍令部総長→十日〇四三〇各鎮長官 各警長官 各艦隊長官|大海機密第一〇〇〇〇四三五番電 昭和十七年度帝国海軍戦時編制中大海機密代二三一四二九番電第二項(内報)ノ通改定セラル(一部省略)<内報抄録>一.第六戦隊ヲ解隊シ衣笠ヲ第八艦隊ニ青葉ヲ呉鎮守府部隊ニ編入/二.龍驤、古鷹、伊號第三十潜水艦及伊號代三十三潜水艦ヲ戦時編制ヨリ除ク』
  98. ^ #S1709呉鎮日誌(5)p.17『十日〇〇〇八海軍大臣→十日一〇五〇各鎮長官 各警長官 各艦隊長官|官房機密第一〇〇〇八八三番電 十日附古鷹、龍驤ヲ軍艦籍ヨリ除カル』
  99. ^ #叢書83ガ島戦376-379頁『鈴谷、摩耶のガ島飛行場砲撃と衣笠の喪失』
  100. ^ #青葉は沈まず200頁
  101. ^ a b 『官報』第587号、昭和3年12月11日。

関連項目[編集]