ヨークタウン (CV-5)

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USS Yorktown(CV-5)
艦歴
発注 1933年8月3日
起工 1934年5月21日
進水 1936年4月4日
就役 1937年9月30日
除籍 1942年10月2日
その後 ミッドウェー海戦で沈没
性能諸元
排水量 基準:19,800 トン
満載:25,500 トン
全長 809 ft 6 in (247 m)
艦幅 83 ft 1 in (25 m)
全幅 114 ft (35 m)
吃水 28.0 ft (8.5 m)
機関 蒸気タービン4基
4軸, 120,000 shp(90MW)
最大速 32.5 ノット
航続距離 12,500 カイリ(15ノット時)
乗員 士官、兵員2,217名
兵装 5インチ砲八基, .50口径機銃22基
搭載機 90機
エレベーター 3基
カタパルト 3基(飛行甲板2基、格納庫1基)

ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) はアメリカ海軍航空母艦ヨークタウン級航空母艦のネームシップ。その名を持つ艦としては三隻目。1942年ミッドウェー海戦で沈没した。愛称は「オールド・ヨーキィ」。また、101日間正規の補給無しで外洋で活動を続けたことから「ワルチング・マチルダ(ワルツを踊るマチルダ)」と呼ばれた。

艦歴[編集]

ヨークタウンは1934年5月21日にバージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所で起工した。1936年4月4日にエレノア・ルーズベルトによって進水され、バージニア州ノーフォークの海軍作戦基地において1937年9月30日に初代艦長アーネスト・D・マクウォーター大佐の指揮下就役した。

艤装完了後ヨークタウンはバージニア州ハンプトン・ローズで慣熟訓練を行い、バージニア岬沖で新たに配備された航空団の訓練を行った。

1938年1月8日にカリブ海へ出航し、プエルトリコのクレブラに1月13日到着。続く一ヶ月にも及ぶ試運転の間にヴァージン諸島セント・トーマス島のシャーロット・アマリィ、ハイチのゴナイブ、キューバグアンタナモ湾パナマ運河地帯のクリストバルを訪れた。クリストバルのコロン湾を3月1日に出航し、ハンプトン・ローズに6日に帰港した。翌日調整のためノーフォーク海軍工廠へ移動。1938年の秋の間を使って修理と調整が行われ、ヨークタウンは10月17日に海軍工廠からノーフォーク海軍基地へ移動し、またすぐに南方に向かい訓練というのが繰り返された。

ヨークタウンは東海岸を拠点としてチェサピーク湾からグアンタナモ湾までの範囲で作戦行動を行う。1939年には第2空母部隊の旗艦として最初の対抗演習「 Fleet Problem XX 」に姉妹艦エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) と共に参加した。その演習の様子は重巡洋艦ヒューストン (USS Houston, CA-30) に乗艦したフランクリン・ルーズベルト大統領に目撃されている。

演習が終了するとヨークタウンは4月20日にハンプトン・ローズに帰還する。一週間後にパナマ運河を通過して太平洋艦隊に合流、定期的な作戦行動に入る。1940年はカリフォルニア州サンディエゴを拠点として活動し、同年4月には演習「 Fleet Problem XXI 」に参加した。

「 Fleet Problem XXI 」での結論でハワイ水域の艦隊勢力を維持するため、ヨークタウンは翌年の春までアメリカ西海岸、ハワイ海域で活動した。しかしながらドイツ海軍Uボートによる成功は、アメリカの海軍力変更を要求することとなった。大西洋艦隊強化のため、海軍はヨークタウンを含む主要戦力を移動させることとなる。

ヨークタウンは駆逐艦ウォリントン (USS Warrington, DD-383) 、ソマーズ (USS Somers, DD-381) およびジョーエット (USS Jouett, DD-396) と共に1941年4月20日に真珠湾を出港、パナマ運河を5月6日、7日に通過しバミューダに12日到着する。このときからアメリカ海軍は戦争状態に突入し、ヨークタウンはニューファンドランドからバミューダへかけての範囲を4回偵察し、アメリカが中立でいる間に17,642マイルを航海した。

第二次世界大戦[編集]

日本海軍による真珠湾攻撃で、アメリカ太平洋艦隊は大敗を喫する。無傷の空母は戦略的な重要性を持つこととなる。1941年12月7日の時点で太平洋に配備されていた空母はエンタープライズ、レキシントン (USS Lexington, CV-2) 、サラトガ (USS Saratoga, CV-3) の三隻で、レンジャー (USS Ranger, CV-4) 、ワスプ (USS Wasp, CV-7) 、そして最近就役したホーネット (USS Hornet, CV-8) は大西洋にいた[1]。ヨークタウンは1941年12月16日にノーフォークを出港し太平洋に向かった。この間にヨークタウンは航行しながら20mm機銃を取り付けた。[1]12月12日にパナマ運河を抜け[2]、1941年12月30日にサンディエゴに到着[1]。そこで、新たに形成されたフランク・フレッチャー少将率いる第17任務部隊の旗艦となった[1]。サンディエゴでは補用機42機を搭載し、それによってヨークタウンの搭載機数は129機となった[3]

ヨークタウンの太平洋での最初の任務はアメリカ領サモア海兵隊増援部隊を運ぶ船団の護衛であった[1]。ヨークタウンは1942年1月6日にサンディエゴを出港し、トゥトゥイラ島パゴパゴへの海兵隊の移動を支援した[1]。このときヨークタウンに同行したのは海兵隊を載せた3隻の客船モンタレイ、マトソニア、ラーラインと弾薬運搬船ラッセン、給油艦カスカスキア、工作艦ジュピター、重巡洋艦ルイビル、軽巡洋艦セントルイス、駆逐艦シムス、ウォーク、ラッセル、ヒューズであった[4]。1月7日、ヨークタウン搭載のワイルドキャット戦闘機1機が不時着水した[4]。続いて1月8日、1月12日、1月14日にも戦闘機が失われ、原因究明が命じられた[4]

海兵隊の移動支援を終えると、ヨークタウンはエンタープライズとともに1月25日にサモア海域を離れた[1]。六日後、マーシャル・ギルバート諸島機動空襲のため、エンタープライズを中心に第8任務部隊、ヨークタウンを中心に第17任務部隊が形成された[1]。そして、第8任務部隊はマーシャル諸島攻撃に、第17任務部隊はギルバート諸島攻撃に向かった[1]。1月31日、ヨークタウンは攻撃隊を発進させ、ボブ・アームストロング少佐率いるドーントレス急降下爆撃機17機とジョー・テイラー少佐率いるデバステイター雷撃機11機がヤルートに、ビル・バーチ少佐率いる急降下爆撃機9機がマキンに、ウォリイ・ショート大尉率いる急降下爆撃機5機がミリに向かった[5]。このうちヤルート攻撃はカーチス・スマイリイ中佐が総指揮を取った[5]。この攻撃でヨークタウンは7機の搭載機を失った。ドーントレス2機とデバステイター2機が空中衝突により喪失[6]。デバステイター2機がヤルート環礁で不時着して乗員は日本軍に投降し、ドーントレス1機が帰還途中に不時着した[6]。ヤルートに対する第2次攻撃も計画されたが、大雨や日没のため中止された[1]。2月16日、真珠湾に入港[7]。10日間在泊し補給などを行った[8]

2月16日(14日[1])、ヨークタウンは護衛のルイビル、セントルイス、駆逐艦6隻とともに出港した[9]。ヨークタウンの任務はオーストラリアとの交通路の防衛であった[10]。3月6日、空母レキシントンを基幹とする第11任務部隊ウィルソン・ブラウン少将)と合流[1]。両空母はニューカレドニアへの連合国軍部隊移動支援のため、ラバウルガスマタに対する攻撃を命じられた[10]。だが、日本軍のラエサラモア上陸を受けて目標がラエ・サラモア地区に変更された[1]。3月10日、2隻の空母から104機がオーエンスタンレー山脈越えの攻撃に向かった[11]。ヨークタウンからはまずビル・バーチ少佐指揮のドーントレス13機とジョー・テイラー少佐指揮のデバステイター12機が発進し、続いてボブ・アームストロング少佐指揮のドーントレス17機以上、最後にオスカー・ペダーソン少佐がワイルドキャット10機を率いて発進した[11]。ヨークタウンの攻撃隊は全機帰還したが、レキシントンの攻撃隊は1機を失った[12]。ヨークタウン攻撃隊はラエを、レキシントン攻撃隊はサラモアを攻撃し、戦果はラエでは金剛丸、天洋丸撃沈、黄海丸中破、サラモアでは横浜丸撃沈、ちゃいな丸と敷設艦津軽損傷であった[13]。この攻撃後、レキシントンはヨークタウンと別れて真珠湾へ向かい[14]、ヨークタウンは珊瑚海の哨戒任務に戻った[1]。この間に、戦闘機の問題の原因が判明した。それは以前より燃料の品質が劣っていたことでランクのゴム製ライナーが腐食し、その破片がパイプに詰まってエンストを起こしていたというものであった[15]

珊瑚海海戦[編集]

日本軍は次の作戦としてポートモレスビー攻略を計画していたが、アメリカは暗号解読によりそれを察知した。4月29日、ヨークタウンは次のような命令を受信した。「五月一日より、珊瑚海で作戦行動すべし。米豪交通線を確保するため、好機あらば敵艦隊および海上輸送、航空機を撃滅せよ」[16]

5月1日、エスピリツサント島でヨークタウンはレキシントンと会合[17][18]。また、この日は長きに渡る哨戒任務で遂にトイレットペーパーが切れた日でもあった。ヨークタウンはネオショーから、レキシントンはティッペキャノーから給油を開始したが[18]、フレッチャー少将は給油中のレキシントンを残して西進を始めた[19]。5月3日、ツラギで揚陸中の日本軍輸送船2隻発見との報告が届いた[20]。これを受けてヨークタウンは北上してレンネル島沖に達し、5月4日にツラギへの攻撃を開始した[16]。ヨークタウンからはジョー・テーラー少佐指揮のデバステイター12機とビス・バーチ少佐指揮のドーントレス13機、ウォリイ・ショート大尉指揮のドーントレス15機が発進した[16][21]。この攻撃では駆逐艦菊月に魚雷1本が命中した[22]。未帰還機はなかった[23]。続いて第二次攻撃隊38機が発進[24]。ドーントレス14機が第14掃海隊の玉丸、第一号掃海特務艇、第二号掃海特務艇を攻撃して3隻とも撃沈[25]。残りは敷設艦沖島と駆逐艦夕月を攻撃したが、日本軍の水上機2機の妨害を受けたこともあり爆弾魚雷ともに命中しなかった[26]。攻撃隊の損害はデバステイター1機であった[27]。第3次攻撃ではドーントレス21機が発進、アメリカ側記録では上陸用舟艇4隻撃沈とあり、また輸送船高栄丸がこの攻撃隊の攻撃で被害を受けている[28]。以上の他にワイルドキャット4機もヨークタウンから発進し、夕月を銃撃して艦長などを戦死させたが[28]、2機は燃料欠乏により不時着した[29]。この攻撃では魚雷22本、500ポンド爆弾76発、機関銃弾83000発が消費された[30]。攻撃終了後、ヨークタウンはレキシントンとの合流のため南下した[28]

5月5日、ヨークタウンは再びレキシントンと合流[31]。またオーストラリアから出撃してきた第44任務部隊(クレース少将、重巡洋艦オーストラリア、軽巡洋艦ホバート)も合流した[32]。これらの部隊は5月6日に統合され第17任務部隊となった[33]。ヨークタウンはネオショーからの給油を開始したが、日本軍機に接触されたことから5月6日夕刻に補給を中断して艦隊は北西に向かった[34]。5月7日、重巡洋艦オーストラリア、シカゴ、軽巡洋艦ホバート、駆逐艦3隻が分離された[35]。また、この日ヨークタウンからドーントレス10機が索敵に発進し[36]、そのうちの1機が空母2、重巡2発見を報告してきた[37]。これを受けてヨークタウンから42機(戦闘機8、急降下爆撃機24、雷撃機10)、レキシントンから50機(戦闘機10、急降下爆撃機28、雷撃機12)が発進した[38]。だが、空母発見は報告時のミスであり、実際には索敵機は空母は発見していなかった[39]。しかし、攻撃隊は日本軍のMO主隊(空母祥鳳、重巡洋艦4、駆逐艦1)を捕捉、攻撃した[40]。攻撃隊は祥鳳を撃沈し、損害は戦闘機2機、急降下爆撃機3機であった[41]。一方、この日日本軍はネオショーを空母と誤認して空母翔鶴瑞鶴から攻撃隊を発進させ、ネオショーを撃破し随行していた駆逐艦シムスを撃沈した。

午後、日本軍は艦爆12機、艦攻15機を発進させフレッチャーの艦隊に対する薄暮攻撃を試みた[42]。アメリカ側はこの攻撃隊をレーダーにより発見、ヨークタウンから11機、レキシントンから4機の戦闘機が発進して迎撃に向かった[43]。これにより日本側は大きな損害を受け、攻撃を断念して帰途についた。この際日本機がアメリカの空母を味方の母艦と誤認して着艦を試み、アメリカ側も進入する艦載機を日本機だと気付かないという事があった[44]。このときヨークタウンの砲術長デイヴィス少佐は「総員、斬り込み隊に備えーっ」と叫んでいる[45]。結局日米双方が間違いに気付き、日本機は退避して行った。この夜の戦闘でアメリカ側は3名のパイロットが戦死した[46]

5月8日、レキシントンから18機の索敵機が発進した[47]。索敵機は日本の機動部隊を発見し、ヨークタウンから39機(戦闘機6、急降下爆撃機24、雷撃機9)、レキシントンから43機(戦闘機9、急降下爆撃機22、雷撃機12)が発進した[48]。攻撃隊ではまずヨークタウン第5哨戒機中隊(急降下爆撃機7)が翔鶴を攻撃したが命中弾なし[49]。続いてヨークタウン第5爆撃機中隊(急降下爆撃機17)が攻撃し、翔鶴に1000ポンド爆弾2発を命中させた[50]。第5爆撃機中隊の攻撃後、ヨークタウン第5雷撃機中隊(雷撃機9)が翔鶴を攻撃したが、命中魚雷は無かった[51]。ヨークタウン攻撃隊の損害は喪失、急降下爆撃機3、大破、急降下爆撃機9、雷撃機1、小破、急降下爆撃機6、雷撃機2であった[52]。翔鶴はこの後のレキシントン隊の攻撃でさらに100ポンド爆弾1発が命中している。

アメリカ軍の攻撃隊が日本の空母を攻撃しているころ、アメリカの空母も空襲を受けていた。ヨークタウンはまず雷撃8〜9本を受けたがこれは回避した[53]。次いで江間保大尉率いる瑞鶴艦爆隊の攻撃を受け250キロ爆弾1発が艦橋後方、2番エレベーター前23ヒートの場所に命中し、また3発の至近弾によって燃料漏れが生じた[54]。命中した爆弾は飛行甲板、第5爆撃隊の待機室、海兵隊居住区、倉庫の順に貫通し、飛行機用補用品倉庫の装甲甲板で炸裂した[55]。この攻撃でヨークタウンは第7, 8,9ボイラー室からの煙路が破壊され、速力が24ノットまで低下した。攻撃ではレキシントンも損傷し、いったんは復旧したものの爆発を起こして炎上し、処分された。

ヨークタウンは5月10日にトンガタプ島に投錨[56]。この時のヨークタウンは燃料事情が深刻となっており、既に重油は無くなり、ディーゼル油を炊いてかろうじてトンガにたどり着いていた。ヨークタウンはすぐさま補給を行おうとしたものの、そこで唯一補給可能であったものはイギリス船搭載のもののみであり、その質は悪く硫黄が浮いていたという[57]。燃料補給とともに応急修理もなされた[58]。5月24日、フレッチャー少将は速やかに帰投せよとの命令を受けた[58]。そして同日ヨークタウンはトンガタプ島を離れ[59]、5月27日に真珠湾に到着した[1]

ミッドウェー海戦[編集]

真珠湾のドックに入る空母ヨークタウン。

修理完了には最低90日かかると報告されていたヨークタウンであったが、5月17日に行われたトンガタプ島帰港後の調査で、早期戦線復帰が可能であれば最低限の修理を真珠湾で行い、戦列復帰させることが決定した。これに伴い修理に必要な物資が大至急でかき集められた。ちなみにこの時集められた物資の中には酒保で使用する冷凍機や酒も含まれていた[60]

27日に真珠湾に帰港すると、太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツ大将が直接損傷状況検分を行い、応急措置を施せば戦列復帰は可能と判断、3日で修理を行うよう命令した。修理は24時間体勢の突貫工事で、作業効率を優先し民間人である修理工に兵隊を指揮監督させる方式で行われた。修理法は破損箇所に鋼板をツギハギで溶接、換気不十分で艦内温度が48.9℃の蒸し風呂状態といったいささか乱暴なものであったが、オアフ島の一部を停電にして海軍工廠に電力を優先に供給するよう調整するなど全面バックアップが取られ、2日後の29日11時には穴は完全に塞ぎ終わりドックの外へ出す事が出来るまでに回復された[60]

ただ、ヨークタウン乗組員の回想では修理はいい加減な間に合わせであり実際、艦各所の隔壁が破壊されていたりずれていたために水密性も大きく悪化しており、ただでさえ低い水雷防御力が更に低下していた。

同時に連戦続きで101日に渡って正規の補給無しで払底していた物資も大急ぎで補給された。ある砲術科の下士官は48時間ぶっ通しで爆弾搭載作業に当たったとの回想が残っている。一番重要な艦載機については珊瑚海海戦で消耗した第5雷撃隊(VT-5)と第5偵察隊(VS-5)は下ろされサラトガの飛行隊であった第3戦闘機隊(VF-3)、第3爆撃隊(VB-3)、第3雷撃隊(VT-3)が搭載された。残る元々の搭載機のうち第42戦闘機隊(VF-42)はVF-3に組み込まれ、第5爆撃隊(VB-5)は第5偵察隊(VS-5)と改称された[60]。最終的に艦載機は、

となった[61]

この時戦闘機は従来のF4F-3から新たにF4F-4が搭載されたが、F4F-4を整備した事がある整備士も整備マニュアルもなく整備は難航を極め、出航後も突貫で整備された[62]。またパイロットも照準器の調整が必要、機銃を2門追加した事による運動性低下に対する完熟飛行は無し、都合3空母のパイロットの寄せ集めで1つの部隊としての訓練も無しという状態であった。

ミッドウェー海戦においてヨークタウンは、当初フレッチャー少将の指示により後方で艦隊直掩と索敵を担当することとなっていた[62]。しかしレイモンド・A・スプルーアンス少将率いる第16任務部隊が発見した日本空母艦隊へ攻撃隊を発艦させた際、フレッチャー少将は新たな敵艦隊が居なかったことからヨークタウンも攻撃に加わることを決めた[63]

  • ヨークタウン攻撃隊[63]
    • 第三戦闘機隊:F4Fワイルドキャット6機=指揮官:ジョン・S・サッチ少佐
    • 第三爆撃機隊:SBDドーントレス17機=指揮官:マックスウェル・レスリー少佐
    • 第三雷撃機隊:TBDデバステーター12機=指揮官:ランス・マッセイ少佐

フレッチャー少将は当初第二波も出撃させる予定であったが、珊瑚海海戦にて索敵ミスから日本空母艦隊ではなく離れていた小型空母の祥鳳に攻撃を集中させてしまった失敗を踏まえ、更に敵艦隊の詳細が分かるまで待機させた[63]

攻撃に向かう際、レスリー少佐機含む爆撃機隊4機が整備時の配線ミスで爆弾を誤投棄してしまうアクシデントがあったが、そのまま日本艦隊へと向かった[63]。ヨークタウン発艦時にペダーソン飛行長が行った航行指示が功を奏し、ヨークタウン攻撃隊は全部隊がまとまって日本艦隊に辿り着き、攻撃を行うことができた[64]。42機にも及ぶ零戦の直援隊による攻撃を受け、雷撃機隊はマッセイ少佐含む10機が撃墜される大損害をうけたものの、サッチ少佐率いる戦闘機隊は後にサッチ・ウィーブと呼ばれる編隊空戦術を行い1機被撃墜に対して5機撃墜という戦果を上げた[65]。そしてレスリー少佐率いる爆撃機隊は、攻撃を受けて緊急支援要請を出したマッセイ少佐らの攻撃機を援護するため前方に見える空母蒼龍を攻撃。爆弾3発を命中させ、後に沈没させる成果を上げた。なおこの時レスリー少佐は前述のアクシデントにより爆弾を誤投棄してしまっていたが、僚機の援護のために部隊の先頭に立ち、機銃掃射をもって突撃したという[66]。この時同時に攻撃を行ったエンタープライズ爆撃機隊の攻撃により、空母赤城加賀も後に沈没する事となった[66]

だが、この後ヨークタウンは残る飛龍の反撃を一身に受けた。飛龍攻撃隊の接近に伴いヨークタウンでは対空戦闘準備が行われていたが、この時ヨークタウンは全力出力で284RPM、30.5ノットを発揮していたという[67][68]。まず第1次攻撃隊として小林道雄大尉率いる18機の九九式艦上爆撃機の攻撃が行われ、直掩機と対空砲火の迎撃により13機が撃墜されるものの、残る5機の爆撃を受け、3発が直撃した[69]。これによりヨークタウンは炎上し、第1ボイラー室を除いて全ての動力を喪失、航行不能に陥った。しかし迅速な応急修理もあって被弾から約25分後には艦載機の発着艦が可能となり[70]、更に1時間後の13時50分には第4から第6ボイラーの復旧に成功した。しかし、被弾による影響によりレーダーと無線は使用不可能になっており、フレッチャー少将は12時34分に旗艦を重巡洋艦アストリアへ変更すること決意し、移乗した[71]


応急修理完了から約40分後の、ヨークタウンは飛龍からの第2次攻撃隊として森茂大尉率いる6機の零戦に護衛された、友永丈市大尉率いる九七式艦上攻撃機10機の雷撃を受ける。ヨークタウンは最大速力で20.5ノットしか出なかったが、友永大尉ら第一中隊5機中4機が放った魚雷をすべて回避した[72]。だが次席指揮官の橋本敏男大尉率いる第二中隊率いる5機中4機が放った魚雷の内2本が左舷に直撃、再びヨークタウンは航行不能に陥った。この際、橋本大尉は友永大尉機がヨークタウン艦橋に体当たりしたと証言しているが、アメリカ側では被弾し海面に突入したとされている[72]。 この被雷により全てのボイラーが停止、短時間のうちに26度まで傾斜し、転覆の危険もあった。この状況でヨークタウンの動力を復帰させるためには浸水を止め、燃料を右舷に移し、傾斜を回復させることが必要だった。だが大型発電機と配電盤の損傷により艦内に電力供給ができず、応急作業は不可能な状態であった。バックマスター艦長はヨークタウンが助からないと考え、14時58分に総員退艦を下した[73]

ヨークタウンは日本軍による鹵獲を警戒して雷撃処分のための駆逐艦ヒューズと共に取り残された。だがヨークタウンのバックマスター艦長はヨークタウンを諦めておらず、重巡アストリアに救助隊を集結させていた。そして翌日、ヨークタウンは修理不足で水密性が悪化していた状況にもかかわらず、浸水で沈没せずに艦を保ち漂流していた。バックマスター艦長以下救助隊は駆逐艦ハムマン (USS Hammann, DD-412) からヨークタウンに移乗し、左舷5インチ砲架の切断投棄、艦載機の残骸の投棄等の作業を開始した[74]

だが日本海軍も動いており、連絡を受けて遅れて戦場に入った日本潜水艦伊一六八によってヨークタウンは現地時間6月7日5時半に発見された[75]。ヨークタウンは3ノットで曳航されながら駆逐艦ハムマンが横付けして復旧作業の最中であり、傾斜が22度まで回復していた[74]。厳重な警戒態勢であったが、伊一六八はその場で360度旋回をしたり、ヨークタウンや駆逐艦の真下を通過するなどして距離を計り、発見から8時間後の13時に4本の八九式魚雷が発射された[75]。これを発見したハムマンは即座に機銃で魚雷の迎撃を図り、ヨークタウンからの離脱を行いつつ、爆雷を起爆状態にセットし、対潜戦闘に移ろうとした。だが、ヨークタウンには2本の魚雷が右舷に命中。ハムマンもヨークタウンから離脱するだけの時間があるはずもなく魚雷1本が命中し、ハムマンは轟沈した。魚雷の被害に加えハムマン轟沈時の爆発と爆雷の誘爆の衝撃がヨークタウンを襲い、右舷喫水線下の損害が更に拡大した[74]。皮肉にも右舷への浸水で傾斜角が17度まで回復した。最も、既に浸水量はヨークタウンの浮力を超え、船体は沈みつつあった。バックマスター艦長はそれでもなおヨークタウンを救おうと夜通しヨークタウンを修理する志願者を募ったが、ヨークタウンの状態は悪化し復旧作業は断念された。ヨークタウンは2度目の総員退艦が行われた。

護衛の駆逐艦からの反撃は熾烈を極め、伊一六八も大きな損傷を受けたが現場からの退避に成功した[75]。ヨークタウンは大浸水にも関わらず、翌日5時頃まで艦を保ち続けたが、左舷から転覆し沈没した[74]。その最期は決して美しいものではなく、艦載機の残骸の立てる耳障りな轟音が鳴り響く中、魚雷とハムマンの爆雷で破られた醜い船腹を晒して沈没していったという。処分の為に米駆逐艦から魚雷が打ち込まれたという記載もある。

なお、ヨークタウンが沈没に長時間を要したため戦死者数は58名と極めて少数に留まった。

ヨークタウンは第二次世界大戦での戦功により3つの従軍星章を受章した。2つは日本の拡張を止めるのに大きな役割を果たしたことに対して与えられ、もう1つは珊瑚海海戦とミッドウェー海戦での功績に対して与えられた。

伊一六八はその後の戦闘によって撃沈されたが、艦長は他の潜水艦に転勤となっていたため終戦まで生き延びた。戦後GHQからヨークタウンへの攻撃について執拗な調査があり、その慎重かつ大胆な攻撃方法に調査を担当した米兵も驚いたとされている。

1998年5月19日に、海底に眠るヨークタウンの船体が確認、撮影された。船尾から海底に衝突したために、最後部は変形しているが、それ以外では大規模な破損は見られていない。舷側部には魚雷命中穴も確認されている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Dictionary of American Naval Fighting Ships
  2. ^ 空母ヨークタウン、47ページ
  3. ^ 空母ヨークタウン、51ページ
  4. ^ a b c 空母ヨークタウン、53ページ
  5. ^ a b 空母ヨークタウン、59ページ
  6. ^ a b 空母ヨークタウン、61-62ページ
  7. ^ 空母ヨークタウン、66ページ
  8. ^ 空母ヨークタウン、67ページ
  9. ^ 空母ヨークタウン、68ページ
  10. ^ a b 空母ヨークタウン、69ページ
  11. ^ a b 空母ヨークタウン、71ページ
  12. ^ 空母ヨークタウン、72ページ
  13. ^ 木俣滋郎、『日本軽巡戦史』、図書出版社、1989年、152ページ
  14. ^ 空母ヨークタウン、74ページ
  15. ^ 空母ヨークタウン、79-80ページ
  16. ^ a b c 暁の珊瑚海、74-75ページ
  17. ^ 暁の珊瑚海、71ページ
  18. ^ a b 空母ヨークタウン、87ページ
  19. ^ 暁の珊瑚海、72ページ
  20. ^ 暁の珊瑚海、73ページ
  21. ^ 空母ヨークタウン、90ページ
  22. ^ 暁の珊瑚海、76ページ
  23. ^ 空母ヨークタウン、92ページ
  24. ^ 暁の珊瑚海、77ページ
  25. ^ 暁の珊瑚海、77-78ページ
  26. ^ 暁の珊瑚海、78-79ページ
  27. ^ 暁の珊瑚海、78ページ
  28. ^ a b c 暁の珊瑚海、80-81ページ
  29. ^ 空母ヨークタウン、95ページ
  30. ^ 暁の珊瑚海、82ページ
  31. ^ 暁の珊瑚海、87-88ページ
  32. ^ Royal Australian Navy, 1942–1945, Volume II, pp.41,45
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  36. ^ 暁の珊瑚海、106ページ
  37. ^ 暁の珊瑚海、115ページ
  38. ^ 暁の珊瑚海、116、120ページ
  39. ^ 暁の珊瑚海、161ページ
  40. ^ 暁の珊瑚海、165ページ
  41. ^ 暁の珊瑚海、175ページ
  42. ^ 暁の珊瑚海、220-222ページ
  43. ^ 暁の珊瑚海、233ページ
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]