第一号型掃海特務艇

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第一号型掃海特務艇
IJN No11 Auxiliary Minesweeper 1943.jpg
第11号掃海特務艇(推定1943年2月)[1]
基本情報
種別 掃海特務艇
運用者  大日本帝国海軍
同型艦 22隻
前級 -
次級 -
要目 (計画)
排水量 基準:215.00英トン[2]
公試:222.00トン[2]
満載:230.00トン[2] または230.29トン[3]
全長 33.00m[2]
水線長 28.97m[2][注釈 1] または28.74m[4]
垂線間長 29.60m[2][注釈 1]
水線幅 5.916m[2]
深さ 2.95m[2]
吃水 公試平均 2.29m[2] または2.240m[5]
満載平均 2.35m[2]
主機関 赤坂式(もしくは赤阪式[6])ディーゼル機関 1基[7]
(単動4サイクル無気噴油式)[4]
推進器 1軸 x 370rpm、直径1.550m[8]
出力 300馬力[2][注釈 2]
速力 9.5ノット以上[2][注釈 3]
燃料 重油 10トン[2]
航続距離 1,500カイリ / 9.5ノット[2]
乗員 計画乗員43名 または 44名[注釈 4]
兵装 五年式[9]短8cm高角砲1門[7][10]
留式[9]7.7mm機銃1挺[10]
25mm単装機銃2挺から4挺(後期竣工艇)[6]
爆雷投下軌道2本[11]
九五式爆雷12個[11] または爆雷15個[7] または爆雷6個[5]
搭載艇 5m通船1隻[12] または2隻[13]
ソナー 吊下式K型水中聴音機 1組[11]
特殊装備 対艦式大掃海具2型 2個[11]
小掃海具一型改一 2個[11]
水中処分具一型 1個[11]
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第1号掃海特務艇

第一号型掃海特務艇(だいいちごうがたそうかいとくむてい)は、日本海軍掃海特務艇。船体が漁船形状であり漁掃とも呼ばれた[14]

計画[編集]

従来日本海軍の所有していた掃海艇は性能は良かったが戦時急造には向かず、予算的にも戦時の必要数は揃えられなかった[14]。一方、日中戦争勃発により掃海艇の不足が認識され、日本海軍はトロール船などの漁船を徴用し特設掃海艇として使用し十分実用的であった反面、不十分な箇所も多くあった[14]。また英国海軍では、正規掃海艇の補助兵力として構造簡単で安価な船を所有しており、日本海軍でも1938年(昭和13年)から研究を始めた[14]。その結果、既製のトロール漁船そのままの安価な艦型の掃海艇が計画され、1940年(昭和15年)度第二次追加計画(マル臨計画)で6隻が試験的に建造された[14]。予算は第76帝国議会で成立した昭和16年度臨時軍事費に含まれ、雑船(雑役船)として1隻1,050,000円、6隻合計6,300,000円だった[15]。続いて1941年(昭和16年)度戦時建造計画(マル急計画)で16隻計画され、1隻1,431,000円、合計22,896,000円の予算が成立した[16]。当初は雑役船として建造が計画されており、漁船型掃海艇を略して漁掃と称された[14]

艇型[編集]

設計はできるだけ簡単な構造、艤装とし、艇型はトロール漁船そのままであり[17]、戦争が起こらずに本型が必要なくなった場合には、簡単に漁船に改造できるよう考慮されていた[18]。主な変更点として船艙部分は兵員居住区や弾薬庫などにされた外、機械室へは船橋から船内を通って行き来できるようにしたくらいだった[17]。なお舵取機械は当初は手動の桿鎖式だったが、後期の艇はスピンドル式に変更された[17]

兵装は船首に短8cm高角砲1門を装備、7.7mm単装機銃1挺は船橋上に装備された[1]。その他爆雷も搭載しており、対潜戦闘にも従事した汎用艇だった[1]

竣工後の変更として、掃海作業用の後部甲板部分が狭く、後に上部構造物後端にあった浴室を廃止して作業甲板を広げた[17]。機銃は終戦時、25mm単装機銃2挺から4挺が装備されていた[1]。「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると1944年8月20日付けの報告で「第6号」が船橋前に機銃台を設けて25mm単装機銃を1挺、煙突直前の上部構造物上の左右舷に機銃台を設けて1挺ずつ、上部構造物上の後端、後部マストの直後に1挺、合計25mm単装機銃4挺を装備していた[19]。また「JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR(終戦時の日本海軍艦艇)」によると船橋前部に機銃台を設けたのは「第6号」のみで、他の艇は船橋(またはメイン・マストの直後)の左右舷に1挺ずつ、後部マスト直後に1挺、また船橋上の機銃も残し計4挺を装備した[5]

マストは前部、後部共に単マストだったが、「第13号」は後部が3脚マスト、「第14号」は後部が支柱1本を加えた2脚形式だった[5]。また第11,12,17,18,19,20,22号の各艇はアンカーリセスを設けた[5]

運用[編集]

建造は大型漁船の経験の深い大阪鉄工所桜島工場と三菱重工業彦島造船所に加え、艦艇建造経験の無い中小の造船所でも建造された[14]1942年(昭和17年)1月に「第1号」が竣工、その後1943年(昭和18年)10月までに22隻が完成、大戦中に7隻が戦没した[20]。鋼製船体のため磁気機雷の掃海には適せず、残存艇のうち11隻は戦後も繋留機雷の掃海任務などに従事した後、賠償艦として連合国側に引き渡された[20]

同型艇[編集]

艇番号 
竣工日(建造所)。喪失日と原因(喪失場所)、または戦後の状況[21]
建造所の略称は桜島=大阪鉄工所(日立造船)桜島工場、下関=大阪鉄工所(日立造船)彦島工場(後に三菱重工業下関造船所と工場合併)、浪速=浪速船渠、名村=名村造船所、佐野安=佐野安船渠
第1号 
1942年1月31日竣工(桜島)。1942年5月4日空母機の攻撃(サボ島付近)。
第2号 
1942年2月28日竣工(桜島)。1942年5月4日米空母機の攻撃(サボ島付近)。
第3号 
1942年5月30日竣工(桜島)。1945年7月24日米空母機の攻撃(スラバヤ)。
第4号 
1942年6月29日竣工(浪速)。1944年7月19日英軍機の攻撃(チモール島)。
第5号 
1942年6月30日竣工(桜島)。終戦時トラックに所在。
第6号 
1942年10月30日竣工(浪速)。1945年8月10日米空母機の攻撃(岩手県山田湾)。
第7号 
1942年12月28日竣工(下関)。終戦時シンガポールに所在。英軍管理下でフェリーとして使用後、1946年7月連合軍に引き渡し、後に売却。
第8号 
1943年1月31日竣工(下関)。1944年10月21日米空母機の攻撃(フィリピンギガンデス島)。
第9号 
1942年11月30日竣工(名村)。終戦時シンガポールに所在。英軍管理下でフェリーとして使用後、1946年7月連合軍に引き渡し、後に売却。
第10号 
1942年11月30日竣工(佐野安)。1945年1月12日米駆逐艦の砲撃(ルソン島ピガン沖)。
第11号 
1943年2月24日竣工(浪速)。戦後掃海艦指定、1947年11月14日英国へ引き渡し、後に解体。
第12号 
1943年3月31日竣工(浪速)。戦後掃海艦指定、1947年10月3日ソ連へ引き渡し。
第13号 
1943年4月14日[22]竣工(下関)。戦後掃海艦指定、1947年(昭和22年)10月1日青島米国に引き渡し。
第14号 
1943年4月24日竣工(下関)。戦後掃海艦指定、1947年10月3日国府へ引き渡し、1948年中共所属。
第15号 
1943年4月30日竣工(名村)。終戦時鎮海に所在。
第16号 
1943年3月31日竣工(佐野安)戦後掃海艦指定、1947年11月14日英国へ引き渡し、後に解体。
第17号 
1943年5月28日竣工(浪速)。戦後掃海艦指定、1947年10月3日ソ連へ引き渡し。
第18号 
1943年7月31日竣工(名村)。戦後掃海艦指定、1947年10月1日青島で米国に引き渡し。
第19号 
1943年6月30日竣工(佐野安)。戦後復員輸送艦、1947年10月3日国府に引き渡し、1970年同海軍籍を除籍。
第20号 
1943年7月31日竣工(浪速)。戦後復員輸送艦、1947年10月3日ソ連に引き渡し。
第21号 
1943年6月15日竣工(下関)。戦後掃海艦指定、1947年10月1日青島で米国に引き渡し。
第22号 
1943年10月20日竣工(名村)。戦後掃海艦指定、1947年10月3日国府に引き渡し、1970年同海軍籍を除籍。

参考文献[編集]

  • 『世界の艦船増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年2月ISBN 4-905551-55-2
  • 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、(社)日本造船学会/編、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU. (COMPILED BY 福井静夫『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
  • 福井静夫 『日本補助艦艇物語』福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月ISBN 4-7698-0658-2
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』 ベストセラーズ、1994年ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』 雑誌「」編集部/編、光人社、1990年8月ISBN 4-7698-0463-6
  • 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b #日本海軍全艦艇史主要艦艇要目表p.57と#写真日本の軍艦第13巻p.226では水線長29.60m、垂線間長28.97mとしている。
  2. ^ #海軍造船技術概要p.690の軸馬力の項には「275(300)」とある。
  3. ^ #海軍造船技術概要p.690の速力(節)の項には「10(9.5)」とある。
  4. ^ 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」p.14では准士官以上4人、下士官兵40人となっているが、合計に43人と書かれている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d #日本海軍全艦艇史p.888
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」p.2。
  3. ^ 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」p.21。
  4. ^ a b #海軍造船技術概要p.690
  5. ^ a b c d e #終戦時の日本海軍艦艇p.119
  6. ^ a b #日本海軍護衛艦艇史p.132
  7. ^ a b c #昭和造船史1pp.796-797
  8. ^ 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」p.14。
  9. ^ a b #写真日本の軍艦第13巻p.233
  10. ^ a b 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」p.4。
  11. ^ a b c d e f 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」p.6。
  12. ^ 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」p.18。
  13. ^ #写真日本の軍艦第13巻p.226
  14. ^ a b c d e f g #海軍造船技術概要p.688
  15. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.805
  16. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.815
  17. ^ a b c d #海軍造船技術概要p.689
  18. ^ #海軍造船技術概要p.691
  19. ^ #日本補助艦艇物語p.367の図77、p.369の一覧表による。
  20. ^ a b #日本海軍護衛艦艇史p.131
  21. ^ 竣工日は『昭和造船史』による、喪失等と戦後の状況は『世界の艦船 日本海軍護衛艦艇史』、『写真 日本の軍艦 第13巻』による。
  22. ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』p235によると1943年4月24日竣工。

関連項目[編集]