エセックス級航空母艦

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エセックス級航空母艦
USS Essex (CV-9) in Hampton Roads on 1 February 1943 (NNAM.1996.488.242.078).jpg
「エセックス」(1943年2月)
艦級概観
艦種 航空母艦正規空母
艦名 アメリカに関する戦い、政治家、都市名、過去の武勲艦等
一番艦はマサチューセッツ州エセックス郡から
建造期間 1941年 - 1945年
就役期間 1942年 - 1991年
前級 ワスプ
準同型艦 タイコンデロガ級
次級 ミッドウェイ級
性能諸元[1]
基準
排水量
就役時:27,100 t
近代化改装:33,000 t
満載
排水量
就役時:34,500 t - 36,380 t
近代化改装:43,060 t
全長 short-bow 265.2 m
long-bow 270.7 m
全幅 水線幅28.4 m(最大45 m)
吃水 7 m、満載:8.4 m
機関 ボイラー
(450℃, 40 kgf/cm²)
8缶
蒸気タービン
37,500 hp/28.0 MW)
4基
スクリュープロペラ 4軸
出力 設計:150,000馬力
公試:154,054馬力
速力 設計:33ノット
公試:32.93ノット
近代化改装:30ノット
航続距離 15ノット/20,000海里(設計)
15ノット/15,440海里
乗員 3,200名以上(艦船:2,170名、航空:870名、旗艦:160名)
兵装 38口径5インチ連装砲
改装時に撤去
4基
38口径5インチ単装砲
改装後は4基
8基
56口径40mm機関砲
改装時に撤去
68基
78口径20mm機関砲
改装時に撤去
65基
搭載機 #搭載機を参照
航空艤装 エレベーター 3基
カタパルト 2基

エセックス級航空母艦 (エセックスきゅうこうくうぼかん、英語: Essex-class aircraft carrier) は、アメリカ海軍航空母艦の艦級。1942年から1946年にかけて計23隻が就役し (1950年に追加で未成艦1隻が大規模な改修を施して就役) 、アメリカ海軍史上、艦隊型空母としては最多の建造数となった[2]第二次世界大戦開戦時におけるアメリカ海軍の空母の理想像を具現化した艦であり、また第二次世界大戦後も改修を受けつつ運用され、アメリカ海軍の艦隊航空兵力の一翼を担った[3]

なお長船体型を後期建造型としたり、長船体型そのものあるいはジェット機の運用能力の付加やアングルド・デッキの装備などをしてタイコンデロガ級と呼ぶ資料もあるが、両タイプの起工が前後しているなど必ずしも建造時期で区別できるものではなく、また戦後の近代化改装においても長船体型か否かは無関係であり、後述するハンコック級とともに非公式な区分である。

概要[編集]

1938年3月、アメリカ海軍は第二次ロンドン軍縮条約のエスカレーター条項によって、4万tの空母建造枠を得た。これによりアメリカ海軍は2万t型の空母2隻を新たに建造することを決めた。だが、艦艇の設計担当である艦船局が多くの新型戦艦設計案を進めており、新型空母を設計する余裕がなかったこともあって、1隻は1938年度計画として基準排水量1万9,600tであるヨークタウン級の改正型 (後の「ホーネット」) を建造し、もう1隻は1939年度計画として新規設計艦を建造することを決めた[4]

新型空母はヨークタウン級より全ての性能を上回ることが要求に上げられた。しかし建造可能枠は残り2万400tしかなく、更に要求の増大もあって設計がまとまらなかったため、ヨークタウン級4番艦「エセックス」として建造される可能性も浮上していた。しかし第二次世界大戦による無条約時代の到来に伴い、ヨークタウン級を大幅に拡大した基準排水量2万7,100tの大型空母として建造されることとなった[5]

排水量の制限撤廃に伴い、艦船局への要求もより具体的となった[6]

  1. 4個飛行隊(72機)の同時発艦可能な飛行甲板の長さを確保する
  2. 艦内区画を細分化することによる被弾被害拡大の局限、三重底採用を含む水中防御の強化
  3. 「ヨークタウン級」よりも航空燃料搭載量を25%増加
  4. 格納庫甲板の装甲化などによる耐弾防御力の強化
  5. 5インチ対空砲の装備数を4門増加
  6. 速度性能維持のため機関出力を増大

艦船局はこれらの要求をかなえるため、設計案を数案まとめて、そのなかでCV9-F案の設計案が新型空母エセックス級の最終案となった。第二次世界大戦の勃発に伴い、1940年の第三次海軍拡張法両洋艦隊法によって大量建造が決定され、1940年から1943年まで予算の成立した32隻が発注されて、第二次世界大戦の終了にともないキャンセルされた8隻を除く24隻が、1942年から1950年の間に就役した[7]

エセックス級空母は、今までのアメリカ軍空母設計における成功や失敗を基礎にして設計され、種々の問題はあったものの全体的な完成度は高く、空母設計の傑作であったとも評される。アメリカの大きな国力もあって大量に建造されたエセックス級空母は、太平洋戦争で日本軍を打ち負かす立役者となり、アメリカ軍はエセックス級空母の活躍という成功経験により、今日まで空母を重視してきたという意見もある[8]

設計[編集]

船体[編集]

本級の設計案。

主船体は全通した飛行甲板と、その下に第1甲板から第4甲板までの4層の全通甲板をもつ船首楼型を採用している。艦底部は3重底で、喫水線長が249.9m、喫水線幅が28.4mであり、喫水線長:喫水線幅の比率が8.8倍で、これはヨークタウン級航空母艦の9.3倍と比較すると、やや肥えた船形になった。そのため、エセックス級空母がパナマ運河を通るときには、装備されている対空火器のいくつかを外さないと運河を通過できなかった[9]

飛行甲板の長さは262.9m、幅は32.9m、ヨークタウン級より長さで18.3m長く、幅で6.7m広かった。格納庫の長さは199.3m、幅は21.3m、天井までの高さは5.3mでヨークタウン級よりやや高く、格納庫はローラーカーテン式の防火壁で仕切ることができて、格納庫内の火災の拡大を防げるようになっていた。アイランドは飛行甲板右舷で、艦橋構造、三脚マスト煙突が一体化されていた。主船体は機関室を中心に両舷により4層の縦隔壁を設けていたが、バルジは造られていない。舷側の防御層は、ガソリン貯蔵などの諸タンクとして活用されていた[10]

1943年の対空火器改善計画に伴い、艦首と艦尾にスポンソンを設置して全長が延長となった後期型が存在するが、44年以降に起工された原型もあり、計画トン数も同一となっている。アメリカ海軍においては後期型を「LIST3型」、原型を「LIST1型」と呼称していた。戦後、LIST3型は「長船体型」、LIST1型は「短船体型」として呼ばれるようになったが、喫水線長は両型とも同じ長さであった[11]

第1甲板より下層の部分は船体内で密閉区画となることから、船体後部第2甲板レベルに設けられたダクトから給気されていたが、このダクトが陰圧となっていたため、「レキシントン」で発煙剤タンクが破損した時にこのダクトを通じて艦内に煙が充満するという事態になり、以後改良された[2]。飛行甲板後部が搭載機で満載された状況に備えて、艦首側から飛行甲板前部に着艦が可能とするように船体の前と後が似たような形状 (Double-ended) になり、後進速度も設計考慮事項だった[12]

航空艤装[編集]

飛行甲板は長さ262.7m×幅32.9mを確保し、2基の油圧カタパルトが設置された。機種としては、当初予定のH-4型の開発は間に合わず、1番艦は当初カタパルトなしでH-2型を後日装備しており、H-4型の装備化は「レキシントン」以降となった。また飛行甲板以外にも、格納庫から横向きに直接射出できるよう舷側カタパルトも装備された。こちらは軽量な小型機だけに対応し、非使用時には上側に跳ね上げて格納する形式であった。しかし運用上メリットが少なく、1943年中盤には全ての艦から撤去された。また、艦首から艦尾までの着艦制動索が設置されていた。

アレスティング・ギアは、Mk.4 mod.3Aが10基前後搭載されたほか、のちに能力向上型のMk.5も装備化された。

エレベーターは従来型のインボード式のもの (14.7m×13.5m、力量12.7t) を前部と後部に設置したほかに、左舷中央部に小型ながらもデッキサイド式のもの (18m×10m、力量8.2t) を装備し、計3基となった[2]

防御力[編集]

特攻機が貫通した「ランドルフ」の飛行甲板

当初、エセックス級は飛行甲板に装甲板を施す計画であったが、検討を重ねた結果、装甲板による重量増のデメリットが大きいという結論に至り、飛行甲板の装甲板化は見送られた。最も大きいデメリットは、艦載機の搭載機数が2/3以下程度に減ってしまうということであった。エセックス級の飛行甲板はわずか5㎜の特殊処理鋼 英語版(Special Treatment Steel)の鋼板に10㎝のチーク材を張っただけのものであった[13]

飛行甲板下の第1甲板は、航空機格納庫の床面であるとともに64㎜の特殊処理鋼の装甲板が張られていた。第1甲板上の航空機格納庫側面には装甲はなく、開放型の格納庫となっていた。開放型格納庫は航空機の整備が容易で、高温多湿の太平洋戦線には適応しているという利点もあったが[14]、航空機格納庫と、その上に設置されたギャラリーデッキ(パイロットの待機室などに使用)は守る装甲板のない脆弱な区域となってしまい、多数の艦載機やその燃料、弾薬が非装甲の危険区域に置かれ、多くの兵員もその危険区域での活動を余儀なくされることとなった[15]。第1甲板上の脆弱な構造のため、エセックス級の各空母は日本軍の特別攻撃隊を主体とする航空攻撃で、格納庫や飛行甲板上にあった航空機や燃料弾薬が誘爆して、しばしば甚大な損傷を被り、長期にわたって戦線を離脱した。沖縄戦においては、飛行甲板に76㎜の装甲板を張っていたイギリス海軍の空母が、特別攻撃機の攻撃でも深刻な損害を被らず、任務を続行できたのとは対照的であった[16]

飛行甲板は脆弱であったが、第1甲板下の乗組員居住区や機関室などのバイタルパートの防御力は強化された[17]。特に機関室についてはその上に当たる部分 (全長にして5分の3程度) に、第1甲板には64㎜[18]、機関室直上の第4甲板には38㎜の特殊処理鋼装甲板が張られた。(第2甲板は13㎜、第3甲板は6㎜と比較的薄かった)また、舷側装甲には64 - 102mmの特殊処理鋼装甲板が張られ、バイタルパートのの対弾防御は高度1万フィート (3,048m) から投下された1,000ポンド (454kg) 爆弾を防ぎ、最上型15.5cm砲を耐えることを目標とされた。これは、当時の空母が、航空機からの攻撃だけでなく、巡洋艦を主力とする偵察艦隊と共に行動し、日本の偵察艦隊である第二艦隊と交戦した際に、戦闘に巻き込まれる可能性があると考えられたためだった[19]。これにより15.5cm砲弾に対しては10,300m以遠を安全圏とし、高度10,000フィートから投下された1,000ポンド爆弾を第1甲板装甲で防ぐことができるとされた。実戦においても、日本軍機の250kgや500kg爆弾によって装甲甲板下部のバイタルパートへの損害を受けたことは少なかった[19]

日本軍の爆撃で大破したフランクリンの損害報告書

バイタルパートに損害を受けた例としては、1945年3月19日に日本軍の緩降下爆撃で2発の爆弾が命中した「フランクリン」において、2発の爆弾は脆弱な飛行甲板を貫通、うち1発は航空機格納庫床の第1甲板に張られた装甲に跳ね返った直後に爆発したが、爆発により第1甲板の装甲板には8フィート(2.43m)×12フィート(3.65m)の穴が開き、爆弾の破片は第1甲板下の酒保などを破壊し、第2甲板まで達して破孔を生じさせた。もう1発は格納庫内の航空機に当たって爆発し、航空機格納庫に格納してあった5機のF4Uコルセアを炎上させたが、搭載していた地上攻撃用のティニー・ティムロケットの誘爆で、さらに第1甲板に3か所の穴を開けた。そのうちのひとつは、航空機上で爆発した爆弾の威力とも相まって、第2と第3甲板をも貫通し居住区を破壊して、最深部の第4甲板に破孔を生じさせている。爆弾の爆発やロケット弾の誘爆で第1甲板の装甲は広範囲で歪んでいたが、その下の重要区画の損害は大きくはなく、装甲板は十分な強度を示した[20]

1945年5月11日に神風特別攻撃隊零戦2機に体当たりされた「バンカーヒル」において、格納甲板に格納されていた艦載機が特攻機により生じた火災により誘爆し、爆砕された艦載機から流れ出した航空燃料は、炎と大量の煙を伴いながら、消火のために大量に注水された海水の表層を流れ、第4甲板下まで流れ込み、機関室の装甲ハッチの上に溜まって、黒煙が機関室に充満し、作業をしていた機関員多数が一酸化炭素中毒で死亡した。この日、「バンカーヒル」の第一ボイラー室にいた機関員は全員死亡、第2ボイラー室にいた機関員も半数が死亡し、この攻撃による「バンカーヒル」全体での死者約400名のなかで、一番死者が多かった部署は機関科となった[21]

水中防御においてもTNT火薬500ポンド分の水中爆発を防ぎ、魚雷3本を同じ舷側に被雷しても沈まないことを目標とされた。この目標は達成されたものの、当時の戦艦が採用していた多層式液層防御よりは効果が劣り、ヨークタウン級より大きく改善されていないという評価もあった。また、大戦後期には対空火器増設によって復元性が悪化しており、「魚雷2本を同じ舷側に被雷した際は転覆する危険性がある」と艦船局が警告を出していた[19]

機関[編集]

主機関としては、圧力40kgf/cm² (570 psi) 、温度450℃の高温高圧缶による蒸気タービン推進方式が採用された。抗堪性の観点から主機配置にはシフト方式が採用されており、艦首側から、前部ボイラー室2室、前部機械室、後部ボイラー室、後部機械室の順に配置された。このうち、前部機械室が外側2軸、後部機械室が内側2軸を駆動する[2]

兵装[編集]

ホーネット」の4連装ボフォース 40mm機銃
第二次世界大戦後、エセックス級の主要対空兵装となったMk 33 3インチ砲、写真は「ワスプ

対空兵装[編集]

経空脅威の深刻化に伴い、対空砲火力はさらに増強されている。両用砲としては、連装のMk.32がアイランド前後に2基ずつ背負い式に、また単装のMk.24が左舷の前・後部のスポンソンに2基ずつと、計12門の38口径5インチ砲が搭載された。その射撃指揮はアイランド上のMk.37 砲射撃指揮装置2基によって行われたが、左舷側については視界が不足であり、一度は左舷格納庫甲板レベルに3基目のMk.37 GFCSが装備されたが、のちにこれは40mm機銃に換装された。ボフォース 40mm機銃は4連装マウントに搭載されており、当初は8基、のちに増設されて17・8基とされた。こちらは砲側のMk.51方位盤による射撃指揮を受けていた[2]

ボフォース 40mm機関砲は近接してきた航空機に相応の威力を発揮したが、太平洋戦争末期に日本軍が開始した特別攻撃隊の特攻機に対しては、しばしば接近を許して痛撃を浴びたため、同じく特攻機阻止には十分な効果がなかったMk.IV 20 mm 機関砲とともに威力不足と判定され、太平洋戦争後に大部分が取り外されて、特攻機対策として新規開発されたMk 33 3インチ砲に換装されていった[22]

電測兵装[編集]

レーダーとしては、対空捜索用にはPバンドのSKが、対水上捜索・航空機誘導用にはSバンドSGが搭載されたほか、航空管制用の測高用としてSMが、さらに珊瑚海海戦の戦訓から予備の対空捜索レーダーとしてSC-2も搭載されていた。また大戦末期には対空・測高機能を統合したSXレーダーも配備されたほか、直上の目標に対処するため、航空機搭載用のAPS-6や陸軍のSCR-720を搭載した艦もあり、非常にバリエーション豊富である[2]。射撃用のレーダーとしては、Mk.37 砲射撃指揮装置の上部に距離測定用のMk.12レーダーと、高度測角用のMk.22レーダーが搭載された[23]。Mk.12レーダーとMk.22レーダーは、その前に装備されていたMk.4レーダーと比較すると、各段に測距可能距離・高度と精度が向上しており、レーダーからの情報だけで高角砲の射撃が可能となった[24]

CIC[編集]

アメリカ海軍では、1941年8月より、空母艦上に戦闘指揮所 (CIC) を設置していた。これは、急速に展開していく航空戦闘の様相に対応し、また、レーダー探知など、視認不能な敵情報を適切に把握するため、情報を統合的に集中処理するものであった[25]。この試みは本級にも導入されており、当初はギャラリー・デッキに、後期建造艦では格納庫甲板より下のレベルにCICが設置された[2]

第二次世界大戦当初は、各空母のCICに配置された対空戦闘の指揮をとる戦闘機指揮管制士官(FDO)が、艦ごとの戦闘機による迎撃の指揮を行っていたが、ミッドウェー海戦南太平洋海戦等の海戦で、単艦ごとに指揮を行うことの不効率性や指揮系統の不明確さで、防空の効果を損じた戦訓により、指揮系統を一元化して効果的な対空戦闘の指揮ができるように、艦隊旗艦のFDOが艦隊全体の迎撃戦闘機の指揮権限を有することとし、その旗艦には最新式のレーダーを搭載したエセックス級空母各艦が選ばれた。この新システムはマリアナ沖海戦で真価を発揮し、日本軍の攻撃隊のほとんどを艦隊に接近する前に撃墜することができた[26]。しかし、第二次世界大戦末期に登場した日本軍の特別攻撃隊により空母に損害が続出したため、より早く敵機を探知して迎撃態勢を整える必要性が生じ、駆逐艦に大型のレーダーを搭載してレーダーピケット艦とし、空母部隊の周囲に配置してなるべく早く敵機を発見できる体制を構築した[27]。このレーダーピケットラインは沖縄戦で効果を発揮し、空母部隊に接近する特攻機を減少させることに成功したが、レーダーピケット艦そのものが特攻機の目標となってしまい、多大な損害を被ることになった[28]

レーダーピケット艦の損害を無くすため、アメリカ海軍はより有効な特攻対策を迫られることとなった。その対策とは『CADILLAC』と呼ばれた早期警戒機とデータリンクシステムを結合させた新システムであり、これまでレーダーピケット艦が担っていた役割を早期警戒機が担い、機上レーダーで特攻機を探知すると、そのデータをビデオ信号に変えて発信し、旗艦空母のCICの受信機上にリアルタイムで投影するようにした。このデータリンクにより、旗艦空母は自らのレーダーが探知できていない目標に対しても効果的な対策を講じることができた[29]。早期警戒機としてAN/APS-20早期警戒レーダーを搭載したTBM-3Wが開発され、データリンクシステムも1945年5月にはテストを終えて、1945年7月からエセックス級空母各艦に設置されていったが、本格的に運用する前に終戦となった。この必要に迫られて開発された極めて先進的なシステムは、その後もさらに洗練されて現在のアメリカ軍空母部隊にも受け継がれている[30]

改装[編集]

エセックス級空母の変遷、左から古い順に並んでいる

大戦終結後、航空機技術は飛躍的な発展を遂げたことから、これに対応するため、運用プラットフォームたる本級も数次に渡る改装を受けることになった。

SCB-27A/C[編集]

SCB-27A改装後の「エセックス」(1951年)

大戦末期のジェット機の登場によって航空機の性能は飛躍的に向上したが、その一方、特に初期のジェット機は、失速速度が比較的速く (低速安定性が低く) 、加速が悪く、機体重量が重かったことから、艦上機としての運用は困難なものであった。このため、まず1946年よりSCB-27 (Ship Characteristics Board) 改装が開始された。本改装は当初、新鋭のミッドウェイ級への適用が検討されていたものの、改装のために新鋭空母が長期間戦列を離れることは許容しがたかったことから、まず工程85パーセントで建造が中断されていた「オリスカニー」に、H8油圧カタパルトの装備や飛行甲板や艦橋構造物の全面再設計などの改装をSCB-27として施した上で建造を再開した。またオリスカニーの工事完了を待たず本改装に準拠したSCB-27A改装が予備役艦を優先して開始され、1949年の「エセックス」「ワスプ」を筆頭に8隻が改装された[31]

飛行要員の移動用のエスカレーター

SCB-27Aは、大重量のジェット艦上機の運用に耐えるよう飛行甲板とエレベータの構造を強化するとともに、カタパルトを油圧式の最終発達型であるH8に、アレスティング・ギアも一括して能力向上型のMk.5に更新するものであった。飛行甲板拡張のため、アイランド前後の38口径5インチ連装砲は撤去された一方、近接防空力強化のため、40mm機銃は新型のVT信管対応速射砲である50口径3インチ連装砲に換装された。また飛行要員の待機室は防御を考慮してギャラリー・デッキから格納庫甲板下層に移され、待機室から飛行甲板までの長大なエスカレーターが設置された[31]。これはアイランドの下部に設置され、右舷舷側の斜めのダクト状構造物からも確認できる。エスカレーターの設置は艦載機のジェット化以降に重量が増加し移動が困難になったパイロットの装具への対応でもあった。

一方、1951年末以降に改装された6隻はSCB-27Cと呼ばれる設計が採用された。これはイギリスから導入された蒸気カタパルトの技術を導入したもので、射出能力は飛躍的に増強された。「ハンコック」と「タイコンデロガ」にはイギリスから輸入されたブラウン・ブラザーズ社製BSX-1が装備されたのち、これをもとに蒸気圧を高めたC11がアメリカで開発され、以後の艦はこちらに切り替えた。カタパルト始点には昇降式のジェット・ブラスト・デフレクターが設置されるとともに、機体停止用のバリケードはナイロン・バリアに換装された。後部 (第3) エレベータも、インボード式から右舷側のデッキサイド式に変更され、これにより本級のエレベータ3基のうち2基がデッキサイド式となった[31]。また重要な点として本改装を受けた艦は核兵器の搭載、運用能力が与えられた。

SCB-27A、SCB-27Cいずれの工期も2年にわたる大規模なもので、蒸気カタパルトを装備するSCB-27C改装のほうが数ヶ月、工事は長いものであった。

SCB-125[編集]

SCB-125改装後の「エセックス」(1956年)

イギリスにおいては、蒸気カタパルトの発明に続いて、より発着艦を合理化できる飛行甲板設計としてアングルド・デッキが考案され、1952年2月より試験を行なっていた。

アメリカ海軍でも、1953年より「アンティータム」において同様の試験を行った後、当時SCB-27C改装の途上にあった「シャングリラ」「レキシントン」「ボノム・リシャール」の3隻に対し、アングルド・デッキ化などを含むSCB-125改装を同時に施行することとした。また1954年からは、SCB-27A/C改装施工済みの10隻も改装を受けた。本改装においては、同時に、アングルド・デッキと干渉する後部エレベーターが右舷側に移設されてデッキサイド式とされるとともに、艦首がエンクローズド・バウとされており、外見上も一新された。

SCB-125改装の工期は1年半程度を要したが、カタパルトやアレスティング・ギアの更新は行われていない。SCB-27A改装艦の油圧式H8から蒸気式C11への換装も行われていないのは、カタパルト機器室の容積の不足のためである。ただし最後に本改装の対象となった「オリスカニー」のみはSCB-125A設計とされ、SCB-27改装で搭載された油圧式H8から蒸気式改良型のC11-1に、アレスティング・ギアもフォレスタル級と同じMk.7に更新された[31]

SCB-144[編集]

AN/SQS-23ソナーを艦首に装備したもので、1960年代初頭よりSCB-125改装を受けた艦から油圧カタパルト装備艦7隻、蒸気カタパルト装備艦1隻が対象となった。

LPH[編集]

ヘリコプター揚陸艦に改装された「ヴァリー・フォージ」

1950年代後半になると、上記の改装をどれも受けていない艦では艦上機の発達に追随できなくなり、航空母艦としての意義が希薄化していた。このことから1959年以降、「ボクサー」以下計3隻がヘリコプター揚陸艦として改装され、ボクサー級強襲揚陸艦として再就役した[32]

なお「レイク・シャンプレイン」もLPH化が検討されていたがこれはキャンセルされ[31]1966年に退役した。これによって同艦はSCB-27A改装を受けたにもかかわらずSCB-125改装を受けないまま退役した唯一の艦となった。

計画のみに終わった改装[編集]

究極の改装[編集]

超大型空母「ユナイテッド・ステーツ」の概念図。“究極”のエセックス級改装も、このように艦橋構造物のないフラッシュデッキとする計画であった

長距離核攻撃任務を遂行できる超大型空母「ユナイテッド・ステーツ」級の建造が計画され、エセックス級も同様な任務のための“究極”の改装("Ultimate" Reconstruction)が検討された。計画によれば、SCB-27改装はあくまでジェット機を運用できるようにするための応急的なものであり、“究極”なエセックス級は、艦橋構造物は飛行甲板上に設置しない、フラッシュデッキ(全通式平甲板)型航空母艦になる計画だったという。太平洋戦争末期に日本軍の爆撃と特別攻撃機の体当たりで大破し、その後飛行任務を再開しないままモスボール処理されていた「フランクリン」と「バンカーヒル」がその改装の候補艦となったが、1949年のユナイテッド・ステーツ級建造の中止に伴い、“究極”のエセックス級改装計画も撤回され、両艦はそのまま他に改装されることもなくスクラップとして売却された[33]

人工衛星打ち上げ艦[編集]

ロケット発射台を搭載したエセックス級空母の概念図

エセックス級空母の飛行甲板後部にロケット発射台を設置、アメリカ本土からは到達不可能な軌道に、海上から発射したロケットで人工衛星投入を目指そうという計画。搭載したロケット発射台から発射されるのはアトラス (ロケット)[34]。どこまで計画が進められていたかは不明。

搭載機[編集]

太平洋戦争時
CVG (Carrier Air Group) 基本構成[35]
(1)指揮官機×1機 / VF×36機 / VB×36機 / VT×18機
(2)指揮官機×1機 / VF×36機 / VBF×36機 / VB×15機 / VT×15機
(3)指揮官機×1機 / VF×73機 / VBF×36機 / VB×15機 / VT×15機
VF (Fighter Squadron)、VFN (Night Fighter Squadron)、VMF (Marine Corps Fighter Squadron)
VBF (Bomber Fighter Squadron)
VB (Bomber Squadron)
VT (Torpedo Squadron)、VTN (Night Torpedo Squadron)
Bon Homme Richardは夜間任務のためにVF・VFN・VTNで編成されたCVGN (Night Carrier Air Group)を搭載していたことがあった。[36]
搭載機種
F6FF4U、FG-1SBDSB2CTBF

搭載機の編成は時期によって変遷しているが、1944年10月に開始された特別攻撃に衝撃を受けたアメリカ海軍は、1944年11月24日から26日までアメリカ本土で、アメリカ海軍省首脳、太平洋艦隊司令部、第3艦隊司令部を招集して特攻対策会議を行った[37]。その会議の席で、指揮下の空母艦隊に多大な損害を被った第38任務部隊司令マーク・ミッチャー少将は、特別攻撃対策には艦載戦闘機の増強がもっとも効果が大きいと訴えた[38]

その提案を受けて、一部空母の標準搭載機の艦上爆撃機艦上攻撃機を減らし、艦上戦闘機を倍増することとなった[39]

空母エセックスの標準搭載機数の変遷[40]

F6F (VF・VFN) SB2C (VB) TBF (VT) F4U (VBF)
1944年7月 (特攻開始前) 39機 36機 20機
1945年4月 (沖縄戦開始時) 38機 15機 15機 36機

艦爆・艦攻減による攻撃力低下は、戦闘飛行隊 (VF) の一部を戦闘爆撃飛行隊 (VBF) として運用することによって対応し、増加搭載する戦闘機は海兵隊戦闘飛行隊 (VMF) より補充した。そのため、EssexFranklinBunkerHillWaspBenningtonには一時期VMFが搭載されていた。 しかし、海兵隊のパイロットは空母の発着艦ができないため、急遽集中訓練が行われたが、事故が多発し、空母エセックスだけでも、最初の9日間で13機の戦闘機が訓練中の事故で失われ、7名の海兵隊パイロットが事故死している[41]

太平洋戦争中の航空隊編成例[42]
空母 航空隊 編成 搭載機数
Essex CVG-4 指揮官機:[F6F-5×1機] / VF-4:[F6F-3×3機 + F6F-5×46機 + F6F-5P×3機 + F6F-5N×4機] / VB-4:[SB2C-3×15機] / VT-4:[TBM-1C×11機 + TBM-3×4機] / VMF-124:[F4U-1D×18機] / VMF-213:[F4U-1D×18機] 123機
Yorktown CVG-3 指揮官機:[F6F-5E×1機] / VF-3:[F6F-3×6機 + F6F-3P×2機 + F6F-5×35機 + F6F-5E×1機 + F6F-5P×2機] / VB-3:[SB2C-3×8機 + SB2C-4×32機 + SBW-3×11機] / VT-3:[TBM-1C×18機] 116機
Intrepid CVG-10 指揮官機:[F4U-1D×1機] / VF-10:[F6F-5P×2機 + F4U-1D×36機] / VBF-10:[F4U-1D×36機] / VB-10:[SB2C-4E×15機] / VT-10:[TBM-3×14機 + TBM-3P×1機] 105機
Hornet CVG-17 指揮官機:[F6F-3P×1機] / VF-17:[F6F-5×59機 + F6F-5E×2機 + F6F-5P×5機 + F6F-5N×6機] / VBF-17:―[43] / VB-17:[SB2C-4×4機 + SB2C-4E×11機] / VT-17:[TBM-3×9機 + TBM-3E×6機] 103機
Franklin CVG-5 指揮官機:[F4U-1D×1機] / VF-5:[F4U-1D×29機 + F6F-5P×2機 + F6F-5N×4機 + FG-1D×2機] / VB-5:[SB2C-4E×15機] / VT-5:[TBM-3×15機] / VMF-214:[F4U-1D×18機] / VMF-452:[F4U-1D×6機 + FG-1D×12機] 104機
Ticonderoga CVG-87 指揮官機:[F6F-5×1機] / VF-87:[F6F-3×5機 + F6F-5×46機 + F6F-5P×2機] / VBF-87:[F6F-3×4機 + F6F-5×32機 + F6F-5×32機] / VB-87:[SB2C-3×5機 + SB2C-4×5機 + SB2C-4E×5機] / VT-87:[TBM-1C×2機 + TBM-3×9機 + TBM-3E×4機] 152機
Randolph CVG-12 指揮官機:[F6F-5×1機] / VF-12:[F6F-5×32機 + F6F-5P×4機 + F6F-5N×6機] / VBF-12:[F6F-5×31機] / VB-12:[SB2C-4E×15機] / VT-12:[TBM-3×12機 + TBM-3E×3機] 104機
Lexington CVG-19 指揮官機:[F6F-3×1機] / VF-19:[F6F-3×44機] / VB-19:[SB2C-1C×5機 + SB2C-3×35機 + SBD-5×2機] / VT-19:[TBM-1C×18機] / VFN-76:[F6F-3N×4機 + TBM-1C×2機] 111機
Bunker Hill CVG-84 指揮官機:[F4U-1D×1機] / VF-84:[F4U-1D×26機 + F6F-5P×6機 + FG-1D×8機] / VB-84:[SB2C-4E×16機] / VT-84:[TBM-3×15機 + TBM-3P×1機] / VMF-221:[F4U-1D×18機] / VMF-451:[F4U-1D×18機] 109機
Wasp CVG-81 VF-81:[F6F-5×81機 + F6F-5P×4機 + F6F-5N×4機] / VB-81:[SB2C-3×10機 + SBW-3×2機] / VT-81:[TBM-1C×15機] / VMF-216:[F4U-1D×18機] / VMF-217:[F4U-1D×18機] 152機
Hancock CVG-7 VF-7:[F6F-5×37機] / VB-7:[SB2C-3×30機 + SB2C-3E×12機 + SBW-3×7機] / VT-7:[TBM-1C×18機] 104機
Bennington CVG-82 指揮官機:[F6F-5×1機] / VF-82:[F6F-5×29機 + F6F-5P×2機 + F6F-5E×2機 + F6F-5N×4機] / VB-82:[SB2C-4E×15機] / VT-82:[TBM-3×15機] / VMF-112:[F4U-1D×18機] / VMF-123:[F4U-1D×18機] 104機
Boxer CVG-93 指揮官機:[F4U-4×1機] / VF-93:[F6F-5×32機] / VBF-93:[F4U-4×36機] / VB-93:[SB2C-5×15機] / VT-93:[TBM-3E×15機] 99機
Bon Homme Richard CVG-16 指揮官機:[F6F-5×1機] / VF-16:[F6F-5×32機 + F6F-5P×2機 + F6F-5E×2機] / VBF-16:[F6F-5×36機] / VB-16:[SB2C-4E×15機] / VT-16:[TBM-3×15機] 103機
Antietam CVG-89 指揮官機:[F4U-4×1機] / VF-89:[F6F-5×30機 + F6F-5P×2機 + F6F-5N×4機] / VBF-89:[F4U-4×36機] / VB-89:[SB2C-5×15機] / VT-89:[TBM-3E×15機] 103機
Shangri La CVG-85 指揮官機:[F4U-1D×1機] / VF-85:[F6F-5P×2機 + F6F-5N×6機 + F4U-1C×28機] / VBF-85:[FG-1D×6機 + F4U-1D×31機] / VB-85:[SB2C-4E×15機] / VT-85:[TBM-3×15機] 104機
Lake Champlain CVG-150 指揮官機:[F6F-5×1機] / VF-150:[F6F-5×32機] / VBF-150:[F4U-4×35機] / VB-150:[SB2C-5×16機] / VT-150:[TBM-3×16機] 100機
朝鮮戦争 - 1950年代後半
F4UF8FF9FF2HFJ-1F7UF3DADA3DAFAMAJHO3SH-25
1950年代末 - ベトナム戦争
F11FF3HF4DF8UA4DWFA-7
対潜空母
S2F/S-2HSS-1/SH-34HS-2/SH-3HUK/UH-2HUS/UH-34
また、艦や時期によっては防空戦闘機としてVSF (Carrier Anti Submarine Fighter Squadron) より4機程度の分遣隊が派遣されていた。使用機種はA-4CのちにF-8Hである。

配備[編集]

第二次世界大戦[編集]

1944年3月2日、マジュロ環礁での「エセックス」

1943年春にエセックス級空母の一番艦「エセックス」が完成して真珠湾に到着した。その後も続々とエセックス級の空母とインディペンデンス級航空母艦が完成し、1943年秋には正規空母6隻、軽空母5隻、新型戦艦5隻、重巡洋艦9隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦56隻により第5艦隊が編成されて、中部太平洋進攻戦力の主力となった[44]。エセックス級空母を主力として編成された高速空母艦隊第58任務部隊は、カートホイール作戦を皮切りに太平洋上の日本軍の基地をひとつひとつ破壊していった。時折、日本軍の反撃を受けることもあったが、大きな損害を受けることもなく無敗のまま突き進んだ[45]ガルヴァニック作戦ギルバート諸島タラワマキン環礁)攻略の支援を行い、1944年2月には日本軍の重要拠点であるトラック島を空襲し、多大な損害を被らせて、トラック島を無力化させた。このトラック島攻撃の際に日本軍雷撃機が反撃し、夜間雷撃でエセックス級空母「イントレピッド」に魚雷1発を命中させ、「イントレピッド」は甚大な損害を被って戦線離脱となった。日本軍は初めてエセックス級の空母に大きな損害を与えることができた[46]

「イントレピッド」の魚雷による損傷箇所

トラック島を無力化したアメリカ軍の次の目標は、マリアナ諸島及びパラオ諸島となった。マリアナ諸島を攻略すれば、新型戦略爆撃機B-29により直接東京を攻撃できるようになるため、戦争の帰趨に決定的な影響を与えると思われた。統合参謀本部フォレイジャー作戦を命じ[47]、上陸部隊を乗せた535隻の大船団がマリアナ諸島に向け出撃したが、その支援を第58任務部隊が務めた。この時点での第58任務部隊は正規空母7隻、軽空母8隻合計15隻の空母で編成されていたが、正規空母7隻のうち6隻がエセックス級空母(「ホーネット」、「ヨークタウン」、「バンカーヒル」、「ワスプ」、「レキシントン」、「エセックス」)であり、文字通りアメリカ海軍の主力となっていた[48]

マリアナ諸島を絶対国防圏としていた日本軍は、多数の陸上機をマリアナ諸島と硫黄島に配備し、連合艦隊の総力を結集した第一機動艦隊でアメリカ軍を迎え撃ったが、第58任務部隊は、第一機動艦隊との交戦前に、日本軍の陸上機に大損害を与えて無力化しており、1944年6月19日から開始された空母機動部隊同士の最大規模の海戦となったマリアナ沖海戦では、第58任務部隊の1,000機にもなる大量の艦載機で、9隻の空母と475機の艦載機を擁する第一機動艦隊を圧倒し、空母3隻を撃沈して圧勝した。一方アメリカ軍の空母の損害は、バンカーヒルに至近弾が1発あり、軽微な損傷を受けただけであった。この勝利の原動力のひとつは、エセックス級の各空母に配備された、1,000時間以上の飛行時間を使ってじっくりと育成されたアメリカ海軍パイロットたちであり[49]、その熟練パイロットが搭乗した新鋭戦闘機F6Fヘルキャットと、新兵器近接信管の対空砲が日本軍の航空攻撃を実質的に無力化してしまった[50]

マリアナ諸島を攻略したアメリカ軍の次の目標はフィリピンとなった。第3艦隊第38任務部隊に再編成された高速空母隊に、エセックス級の進造艦「フランクリン」、「ハンコック」、「タイコンデロガ」が加わった。1944年9月から、第38任務部隊はフィリピン攻略準備のため、フィリピン、沖縄十・十空襲)、台湾を艦載機で攻撃し、日本軍機1,200機以上を撃墜破した。日本軍も反撃を試みて、1944年10月12日から台湾沖航空戦で延べ700機の攻撃機で高速空母隊を攻撃し、約400機の航空機を失いつつも、空母11隻撃沈、8隻撃破などと多大な戦果を挙げたと報じたが、実際には巡洋艦2隻が大破したのみで、空母はほぼ無傷であった[51]

アメリカ軍はついにフィリピン島レイテ島に上陸した。連合艦隊はフィリピンを決戦場と考えて、捷一号作戦を発動した。マリアナ沖海戦で機動部隊は戦闘力を喪失していたが、日本海軍は戦艦 大和武蔵などの、稼働艦艇の多くの投入し、1944年10月20日より太平洋戦争最大級の海戦となったレイテ沖海戦が戦われたが、直掩戦闘機がほぼない日本軍艦隊は、航空母艦17隻、護衛空母18隻に膨れ上がっていたアメリカ軍空母部隊の艦載機に一方的に叩かれて武蔵が沈没するなど大損害を被り、日本海軍の水上部隊は事実上戦闘力を喪失した[52]

この戦いの最中に、初めての組織的な航空機による体当たり攻撃部隊神風特別攻撃隊が出撃し、護衛空母「セント・ロー」を撃沈し、5隻の護衛空母を損傷させた[53]。やがて特攻機は、これまで損傷を受けることすら少なかったエセックス級空母にも甚大な損害をあたえ、フィリピンの戦い中に、「フランクリン」、「イントレピッド」、「レキシントン」、「エセックス」が特攻による損傷で戦線離脱に追い込まれ、第3艦隊司令ウィリアム・ハルゼー・ジュニアが11月11日に計画していた艦載機による初の大規模な東京空襲は中止に追い込まれた。ハルゼーはこの中止の判断にあたって「少なくとも、(特攻に対する)防御技術が完成するまでは 大兵力による戦局を決定的にするような攻撃だけが、自殺攻撃に高速空母をさらすことを正当化できる」と特攻対策の強化の検討を要求している[54]

しかし、各種の特攻対策にも関わらず、1945年1月21日には台湾から出撃した特攻機2機が「タイコンデロガ」に命中、格納庫の艦載機と搭載していた魚雷・爆弾が誘爆し、甚大な損傷を被っている。ディクシー・キーファー英語版艦長も全身55箇所に傷を負う重傷であったが、艦橋内にマットレスを敷いて横たわった状態で12時間もの間的確なダメージコントロールを指示し続け、沈没は免れたものの[55]、この後も特攻機はエセックス級空母各艦を苦しめた。

再び第5艦隊第58任務部隊に再編制され、硫黄島の戦いを支援した高速空母隊は、ウルシー環礁の艦隊泊地に帰還し次の沖縄攻撃に備えて準備していたが、1945年3月11日、硫黄島の戦いから第58任務部隊に加わった「ランドルフ」に、鹿児島鹿屋基地から長躯出撃した梓特別攻撃隊の銀河が飛行甲板後部に突入して、一瞬にして150名以上の兵員が死傷した[56]。「ランドルフ」はこの攻撃で脱落したが、ランドルフと同じ時期に合流した「ベニントン」と、フィリピン戦で損傷した、「フランクリン」、「イントレピッド」、「エセックス」が修理を終えて復帰していた第58任務部隊は、今までの出撃で最も多い9隻のエセックス級で編成されており(正規空母は「エンタープライズ」を含めて10隻、軽空母は6隻で空母合計16隻)、沖縄進攻の前哨戦として日本本土を攻撃するため、予定通り出撃した[57]

日本近海に到達した第58任務部隊は、1945年3月19日~20日にかけて、大量の艦載機で呉軍港空襲を始めとして、九州方面の飛行場や交通機関を爆撃し、呉軍港の機能不全など甚大な損害を与えた[58]。日本軍も1945年に新設されたばかりの第五航空艦隊が特攻と通常攻撃併用で全力で迎撃し、日本本土と近海で激しい海空戦が繰り広げられ、この戦いは『九州沖航空戦』と呼称された[59]。3月18日には、「ヨークタウン」が3機の彗星に攻撃され、うち1機が投じた爆弾が命中したが、飛行甲板を貫通して海上で爆発したため、31名の死傷者が生じたが、艦の損傷は軽微であった[60]

1945年4月28日、日本軍の爆撃で大破し修理のためニューヨークに帰還した「フランクリン」

3月19日にはさらに日本軍の攻撃は激烈となり、フィリピンでの特攻の損傷からようやく復帰した「フランクリン」に、陸上攻撃機銀河(彗星三三型という説もあり)が投下した2発の250㎏爆弾が命中、1発は飛行甲板中央部を貫通し格納庫で炸裂、前部エレベーターを30㎝ほど持ち上げ猛烈な火災を発生させた。もう一発は飛行甲板後部を貫通し格納庫で炸裂、飛行甲板上には爆弾やロケット弾、機銃弾や燃料を満載した多数の艦上機が並んで出撃待機していたため、次々と誘爆を引き起こした[61]。ひっきりなしに続く誘爆で、猛烈な火災が艦の後部全体を包んでいた。さらに1機の特攻機の彗星があらわれて、「フランクリン」にとどめをさすべく体当たりを試みたが、艦体には命中せず至近海中に突入した。しかしその衝撃で「フランクリン」の傾斜がさらに進み、左舷13度に達した[62]。「フランクリン」の損傷の度合いは、今までの海戦で撃沈されたアメリカ軍の空母と比較しても、空前絶後の酷い状況で、死傷者は1,100名以上にも達したが、それでも沈むことはなく、エセックス級空母の頑強さを証明することとなった[63]。アメリカ海軍史上最空前絶後の損傷を被った艦を放棄するか、曳航してアメリカ本土で修理するかの決断が、レスリー.E.ゲーレズ艦長に委ねられたが、航海長らの「まだ放棄すべきではない」との進言で、放棄されることなく、本国まで曳航され修理されることとなった[64]。「ワスプ」にも、特攻機彗星が突入して、格納庫下の居住区で爆発、爆発の衝撃で艦載機の航空燃料が下層甲板に流れ出し、火災が拡大し大損害を被り、約400名の死傷者が生じ[65]、「イントレピッド」も特攻機(アメリカ軍公式記録ではBettyこと一式陸上攻撃機)が飛行甲板直上で爆発、破片や燃料で火災が発生し、艦載機2機が炎上するという軽微な損傷を被った[66]。第58任務部隊は、エセックス級空母2隻に甚大な損傷、2隻に軽微な損傷(他、エンタープライズも軽微な損傷)と多数の艦載機を失いながらも、日本軍機582機を撃墜破、艦船17隻を撃破、飛行場や交通施設や工場などに多大な損害を与えて[67]、日本軍に3週間に渡って大規模な反撃ができないようにさせて、沖縄への上陸支援の任務を成し遂げた[68]

1945年3月27日、沖縄戦での「ホーネット」

続く沖縄戦でもエセックス級空母各艦は主力となって、地上部隊への航空支援や、特攻機を主体とする日本軍航空攻撃の迎撃で活躍した。日本軍は沖縄でアメリカ軍艦隊に大損害を与えるべく、菊水作戦を発動し、大量の特攻機を出撃させたが、アメリカ軍は、フィリピンの戦いで特攻により大きな損害を受けた教訓として、沖縄本島近海で作戦行動をとる主力艦隊や輸送艦隊を包み込むように、半径100㎞の巨大な円周上に、レーダーを装備したレーダーピケット艦を配置し早期警戒体制を整えた。このレーダーピケット部隊は第5上陸作戦場スクリーン隊という部隊名であったが、一般的にはレーダーピケットラインと呼ばれた[69]。それで特攻機の接近を探知すると、空母各艦に設置された戦闘指揮所(CIC)からの通知で、上空待機している戦闘機を最適位置に迎撃に向かわせると共に、ピケット艦と戦艦・巡洋艦を特攻機進入海域に集中させ、対空砲火を濃密にした[70]。エセックス級各艦は、特攻機対策として艦載戦闘機の搭載機数を増加させており、迎撃任務で大量の日本軍機を撃墜したが、それでも、当時のレーダーは完璧には程遠いものであり、しばしば特攻機が艦隊中枢に到達した[71]

1945年4月7日、日本軍は航空機による特攻に呼応して、戦艦大和を中心とする水上特攻隊を沖縄に突入させるべく出撃させた。日本軍艦隊は出撃直後からアメリカ軍に発見され、第58任務部隊司令のマーク・ミッチャー中将は、大和の撃沈は日本海軍を完全に崩壊させると同時に、アメリカ海軍の将来は航空戦力にかかっていることを証明するいい機会だと考えて、第58任務部隊全力をもって大和を攻撃することとした[72]。約400機ものアメリカ軍艦載機が日本軍艦隊に襲い掛かり、大和、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦4隻を撃沈した(坊ノ岬沖海戦[73]

沖縄戦でもエセックス級空母に損傷艦が続出した。4月7日に大和攻撃隊を発進させた「ハンコック」に特攻機が1機命中し、特攻機の搭載燃料による火災で飛行甲板上の出撃準備中の艦載機16機が炎上、約150名の死傷者が生じて、戦線離脱となった[74]。4月16日には海軍の零戦52型1機が、フィリピン戦中の1944年11月25日に特攻により大破し、1945年2月中旬に修理を終えて艦隊に復帰したばかりの「イントレピッド」に命中した[75]。零戦はほぼ垂直に命中したため、飛行甲板を貫通しハンガーデッキで火災を起こさせ、9名の戦死・行方不明者と21名の負傷者が出た。火災は3時間後に鎮火したが、損傷は深刻で修理のためにアメリカ本国に後退し、任務に復帰できたのは1945年8月の終戦直前になった。「イントレピッド」は沖縄戦直前の九州沖航空戦中でも損傷を被っており、トラック島攻撃のときの魚雷による損傷と特攻による4回の損傷により、合計5回も損傷を被って、修理のため乾ドックに入っている期間が長かったので、"the Dry I"(ドライアイの語呂合わせ)や"Decrepit" (よぼよぼ、ガタガタの意味)という不名誉なあだ名を付けられた[76][77]

日本軍の特攻により炎上する「バンカーヒル」と救援のため接舷している駆逐艦「チャールズ.S.スペリー」

5月11日には、第58任務部隊の旗艦である「バンカーヒル」で、司令のミッチャーが艦載機の発艦の様子を幕僚と一緒に見守っていたが、レーダーは接近する特攻機を捉えておらず、完全に油断していた。海面近くを巧みな低空飛行で接近してきた零戦(安則盛三中尉操縦)が、直前で急上昇すると、飛行甲板上に250㎏爆弾を投下し、そのまま、機銃を掃射しながら、発艦準備中の34機の艦載機が並んでいる真ん中に突っ込んだ。爆弾は「バンカー・ヒル」の飛行甲板と舷側を貫通した後、海面上で爆発したが、突入した零戦により発生した火災で、燃料を満載していた艦載機が次々と誘爆を始めた[78]。その後に小川清少尉の操縦する零戦(アメリカ軍公式記録では彗星)が、殆ど垂直に近い大角度降下で艦尾から接近してきて、250kg爆弾を投下後に、特攻の教科書通り、重要箇所の艦橋基部に突入した。小川の零戦が突入した箇所はミッチャーが参謀長のアーレイ・バーク代将幕僚らといた場所と6mしか離れておらず、ミッチャーとバークは無事だったが、第58任務部隊の幕僚や当番兵13人が戦死し、艦後部にある控室で待機していた戦闘機パイロットの多くが煙による一酸化炭素中毒で窒息死している[79]。火災は艦全体を焼き尽くし、艦は操縦不能に陥ったが、ジョージ.A.サイツ艦長の的確なダメージコントロールによりかろうじて沈没は逃れた。ただし戦死者行方不明者402名、負傷者264名と特攻により単艦で生じた最多の死傷者を被ったうえ、修理のため、アメリカ本国のピュージェット・サウンド海軍造船所に回航されたが、同造船所で修理した艦船の中では、「フランクリン」に匹敵する史上最悪の状況で、修理は終戦までには完了しなかった[80]

この後は、日本軍の本土決戦準備のための航空兵力温存策もあって、第一線の航空戦力は枯渇して攻撃も散発的となり、エセックス級空母が損害を被ることはなかった。1945年6月23日に沖縄戦が終了すると、「シャングリラ」と「ボノム・リシャール」が新たに加わり、修理を終えた各艦も復帰し、戦力がさらに強化された高速空母部隊は、日本軍の微弱な反撃を制しつつ日本各地を縦横無尽に暴れまわったが、1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し、戦争は終わった。エセックス級空母は太平洋戦争後半の重要な戦いにすべて主力戦力として参加し、アメリカ軍の勝利に多大な貢献をした一方で、多数のエセックス級空母が損傷し、終戦時点でも「フランクリン」と「バンカーヒル」が修理中であったが、戦没した艦は1隻もなかった[81]

第二次世界大戦後[編集]

大戦後、「エセックス」(一番手前)をはじめ大半が予備役となる(1948年撮影)
1965年、ベトナム戦争での任務中に艦上でバスケットに興じるボノム・リシャール乗組員

本級はアメリカ海軍の主力空母となったものの、第二次世界大戦後の海軍の縮小に伴い、1948年までに半数以上が予備役に編入された。当時のアメリカ海軍の艦載機が核兵器(重量5トン前後)を運搬できないのも空母不要論に拍車をかけた。1950年6月の時点で現役なのは12隻だけであった。

1950年6月25日に朝鮮戦争が開戦した際、極東に在泊していたのはフィリピンのスービック湾にいた「ヴァリー・フォージ」のみであった。「ヴァリー・フォージ」は沖縄の中城湾でイギリス海軍の空母「トライアンフ」と会合し、第77機動部隊を編成した。7月3日からの平壌空襲では「ヴァリー・フォージ」からF9F戦闘機が出撃し、初めて実戦でジェット機を出撃させた空母となった。 以後第77機動部隊は8月に「フィリピン・シ-」やコメンスメント・ベイ級航空母艦の「シシリー」や「バドエン・ストレイト」が増援として到着するまで2隻で釜山橋頭堡に航空支援を行い、これを支え続けた。この間、7月14日から22日にかけて「ボクサー」が航空機輸送任務として空軍のP51戦闘機145機、約1,000名の兵員をサンフランシスコから横須賀まで8日と半日で太平洋を横断して送り届けるという記録を作った。これは当時の船舶による太平洋横断の世界記録となった[82]

1950年9月10日の仁川上陸作戦には「ヴァリー・フォージ」と「フィリピン・シ-」が参加、15日の上陸当日には「ボクサー」も増援として加わった[83]

3年間の戦争期間中には11隻(「エセックス」、「ボクサー」、「ボノム・リシャール」、「レイテ」、「オリスカニー」、「アンティータム」、「プリンストン」、「レイク・シャンプレイン」、「ヴァリー・フォージ」、「キアサージ」、「フィリピン・シー」)が参加し、その活躍により当時根強かった空母不要論を打ち破る働きを見せた[3]。任務の中にはB29爆撃機の護衛などもあった(レシプロ機から初期のジェット機への過渡期の時期であり、第一級の戦闘機の航続距離が一時的に短くなったため)。 また50年代半ばまでに「フランクリン」及び「バンカーヒル」以外のほぼ全隻が現役復帰した。エセックス級の後継の空母としてミッドウェイ級航空母艦があったが三隻しか建造されず、朝鮮戦争にも投入されなかった。

この時期、冷戦のグローバル化が進んでおり、またAJ サヴェージA3Dスカイウォーリアーといった艦上攻撃機の登場によって本級も核抑止任務を遂行可能となったこともあり、本級の運用寿命延伸のため、戦争中より上記のSCB-27・ついでSCB-125改修が着手された。また1952年10月に新設された新艦種である「攻撃空母」 (CVA) にも、新型のミッドウェイ級フォレスタル級とともに種別変更されている[31]

一方、大戦中より、アメリカ海軍においては軽空母 (CVL) や護衛空母 (CVE) が対潜戦を担当してきたが、1954年に登場した新型の艦上哨戒機であるS2Fは、極めて高性能である一方でかなり大型の機体であり、これらの小型空母では運用困難となっていた。ミッドウェイ級やフォレスタル級など大型空母の増勢もあり、またソ連海軍が潜水艦を主戦力としていたのでこれに対抗する必要があったため1953年より、まずSCB-27改装未実施艦が、新設された対潜空母 (CVS) に艦種変更されることとなった。その後、1956年からは、SCB-125改装艦からもCVSに艦種変更される艦が出始めており、最終的には「ハンコック」「ボノム・リシャール」「オリスカニー」を除く全艦がCVSとなっている。これらのエセックス級対潜空母のうち「エセックス」と「ランドルフ」は1962年のキューバ危機において指揮下の駆逐艦部隊と共同でソ連海軍が派遣したフォックストロット型潜水艦4隻の内3隻を捕捉し、キューバ沖から退去させている。 ただしベトナム戦争開戦時には、SCB-125/SCB-27C改装艦5隻がCVA籍に残っており、うち4隻(「タイコンデロガ」、「ハンコック」「ボノム・リシャール」「オリスカニー」)がベトナムにおける空対空・空対地任務に投入された。またCVS籍にあった9隻についても、航空機運用能力が高いSCB-125/SCB-27C改装艦のうち2隻 (「イントレピッド」「シャングリラ」) は攻撃機のみ60機を搭載する攻撃空母として運用されたほか、その他の艦も対潜哨戒・航空救難任務にあたった[84]。また強襲揚陸艦に改造された三隻全て(「ボクサー」、「プリンストン」、「ヴァリー・フォージ」)もベトナムに投入された。

各艦は、近代化改装の段階によって能力や用途に大きな差異を有することとなった。なかでもSCB-27C改装によりC11蒸気カタパルト、SCB-125改装によりアングルドデッキを装備した6隻、SCB-125A改装によりH8油圧カタパルトからC11カタパルトへ換装し同時にアングルドデッキを装備した1隻の合わせて7隻は、エセックス級のなかで最高の航空機運用能力を有する艦となった。F-111海軍型の開発を意図したTFX計画が頓挫し、VFX計画として仕切り直されて後のF-14が開発されるが、このRFPの発行において空母適合性の要件としてハンコック級の名称が使われている。これは公式な区分ではないが蒸気カタパルトを装備した上記7隻のことを指す。ただし実際のF-14の開発においてはエセックス級改装艦での運用能力が求められることはなかった。

「フランクリン 」 (CV/CVA/CVS-13, AVT-8) と「 バンカーヒル 」 (CV/CVA/CVS-17,AVT-9) は、日本軍の航空攻撃で大破し、修理中に終戦を迎えた。エセックス級の空母は戦没することなく戦争が終わったため、平時の海軍には空母は過多となり、日本軍の航空攻撃で深刻な損害を被った両艦は任務から解かれてピュージェット・サウンド海軍工廠モスボール処理され、他のエセックス級空母が、SCB-27等の近代化改修を受けて引き続き運用されるなかで、この2艦が積極的に運用されることは二度となかった[85]

2006年、漁礁として利用するため、フロリダ沖のメキシコ湾で沈められた「オリスカニー
イントレピッド海上航空宇宙博物館」として保存されているイントレピッド

その後、バンカーヒルは保管状態のままで、1952年10月1日に攻撃航空母艦(CVA-17)、1953年8月8日に対潜水艦戦支援空母(CVS-17)、1959年5月15日に航空機輸送艦(AVT-9)へと艦種変更され、「究極のエセックス級」に改装する可能性も探られたが、実現することなく保管状態のままで、1966年11月1日に退役・除籍となった[86]。除籍されてからの数年間はサンディエゴのノースアイランド海軍基地で海軍の電子実験船として使用され、その後1973年スクラップとして売却、解体された。皮肉なことに、スクラップの大半はバンカーヒルを破壊した日本に引き取られた。また、分厚いスチールの一部はフェルミ国立加速器研究所加速器の素材となった[87]。フランクリンもバンカーヒルと同様に保管状態のまま、1952年10月1日に攻撃航空母艦(CVA-13)、1953年8月8日に対潜水艦戦支援空母(CVS-13)、1959年5月15日に航空機輸送艦(AVT-8)へと艦種変更され、バンカーヒルより一足先に1964年10月1日に退役し、1966年7月にスクラップとして売却された[88]

竣工時期の遅かった艦はSCB-27改装の対象とならなかったものが多く、3隻はヘリコプター揚陸艦に改装され、「アンティータム」(CVS-36)はアングルド・デッキ導入のテストベッドとして使われたのち練習空母となった。その他の艦は小規模な活動にとどまり、比較的早期に退役している。

第一線で現役を続けたエセックス級の多くの艦も、ベトナム戦争後期には就役から30年を迎え、戦争終結を待たずに予備艦となるか除籍され、「オリスカニー」 (CV-34)が1972年のラインバッカーⅡ作戦英語版に、「ハンコック」(CV-19)が1975年のフリークエント・ウィンド作戦に参加したのを最後として1976年に「ハンコック」、次いで「オリスカニー」が退役し、全艦が一線を退いた。退役後もモスボール保管されていた艦があったが、1990年代前半までにほとんどが解体処分された。

ボノム・リシャール」(CVA-31)は、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争のすべてに参加した唯一の空母である。

レキシントン 」 (CVS-16) は、1962年に「アンティータム」から練習空母の任務を引き継ぎ、その後航空機発着練習艦 (AVT-16) に艦種変更され、1991年に退役するまで48年間にわたり使用された。

オリスカニー」は、人工漁礁として利用するため2006年5月17日にフロリダ沖メキシコ湾で海没処置された。

現在、「ヨークタウン」 (CVS-10) 、「イントレピッド 」 (CVS-11) 、「ホーネット 」 (CVS-12) および「レキシントン」の4隻が記念館として保存されている。特に「イントレピッド」はニューヨーク市マンハッタンで「イントレピッド海上航空宇宙博物館」として公開され、多くの観光客を集める観光名所となっている。

宇宙開発への貢献[編集]

1969年7月24日、アポロ11号を回収する空母ホーネット

ヘリコプターを運用でき大きな格納庫を持つ航空母艦、特に60年代に二線級に回されていたエセックス級は着水した宇宙船の回収に多用された。

年月日 艦名 計画名 任務
1960年12月19日 ヴァリー・フォージ マーキュリー計画 マーキュリー・レッドストーン1A号 (MR1A) 無人試験飛行
1961年5月5日 レイク・シャンプレイン マーキュリー計画 マーキュリー・レッドストーン3号 アメリカ初の有人宇宙飛行
1961年7月22日 ランドルフ マーキュリー計画 マーキュリー・レッドストーン4号 宇宙船本体は水没
1962年2月20日 ランドルフ マーキュリー計画 マーキュリー・アトラス6号
1962年5月24日 イントレピッド マーキュリー計画 マーキュリー・アトラス7号
1962年10月3日 キアサージ マーキュリー計画 マーキュリー・アトラス8号
1963年5月16日 キアサージ マーキュリー計画 マーキュリー・アトラス9号
1965年1月19日 レイク・シャンプレイン ジェミニ計画 ジェミニ2号 無人試験飛行
1965年3月23日 イントレピッド ジェミニ計画 ジェミニ3号
1965年6月7日 ワスプ ジェミニ計画 ジェミニ4号
1965年8月29日 レイク・シャンプレイン ジェミニ計画 ジェミニ5号
1965年12月16日 ワスプ ジェミニ計画 ジェミニ6A号 ジェミニ7号と同時飛行
1965年12月18日 ワスプ ジェミニ計画 ジェミニ7号 ジェミニ6A号と同時飛行
1966年2月26日 ボクサー アポロ計画 AS-201 無人試験飛行
1966年6月6日 ワスプ ジェミニ計画 ジェミニ9A号
1966年8月25日 ホ―ネット アポロ計画 AS-202アポロ3号 無人試験飛行
1966年11月15日 ワスプ ジェミニ計画 ジェミニ12号
1967年11月9日 ベニントン アポロ計画 アポロ4号 無人試験飛行
1968年10月22日 エセックス アポロ計画 アポロ7号 アポロ計画初の有人飛行
1968年12月27日 ヨークタウン アポロ計画 アポロ8号 初の有人月周回飛行
1969年5月26日 プリンストン アポロ計画 アポロ10号
1969年7月24日 ホ―ネット アポロ計画 アポロ11号 初の月面着陸
1969年11月24日 ホ―ネット アポロ計画 アポロ12号
1972年4月27日 タイコンデロガ アポロ計画 アポロ16号
1972年12月19日 タイコンデロガ アポロ計画 アポロ17号 アポロ計画最後の月面着陸
1973年6月22日 タイコンデロガ スカイラブ計画 スカイラブ2号

同型艦[編集]

1944年12月8日、ウルシー環礁に集結したエセックス級。手前から「ワスプ」「ヨークタウン」「ホーネット」「ハンコック」「タイコンデロガ」、左後方は「レキシントン
Essex class aircraft carrier[89]
Hull No. 艦名 発注 起工 就役 退役 除籍
CV-9 エセックス
USS Essex
1940年07月03日 1941年04月28日 1942年12月31日 1969年06月30日 1973年06月01日
CV-10 ヨークタウン
USS Yorktown
1940年07月03日 1941年12月01日 1943年04月15日 1970年06月27日
CV-11 イントレピッド
USS Intrepid
1940年07月03日 1943年08月16日 1974年03月15日 1982年02月23日
CV-12 ホーネット
USS Hornet
1940年09月09日 1942年08月03日 1943年11月29日 1970年06月26日 1989年07月25日
CV-13 フランクリン
USS Franklin
1940年09月09日 1942年12月07日 1944年01月31日 1947年02月17日 1964年10月01日
CV-14 タイコンデロガ
USS Ticonderoga
1940年09月09日 1943年02月01日 1944年05月08日 1973年09月01日 1973年11月16日
CV-15 ランドルフ
USS Randolph
1940年09月09日 1943年05月10日 1944年10月09日 1969年02月13日 1973年06月01日
CV-16 レキシントン
USS Lexington
1940年09月09日 1941年07月15日 1943年02月17日 1991年11月08日 1991年11月08日
CV-17 バンカー・ヒル
USS Bunker Hill
1940年09月09日 1941年09月15日 1943年05月24日 1947年01月09日 1966年11月01日
CV-18 ワスプ
USS Wasp
1940年09月09日 1942年03月18日 1943年11月24日 1972年07月01日 1972年07月01日
CV-19 ハンコック
USS Hancock
1940年09月09日 1943年01月26日 1944年04月15日 1976年01月30日 1976年01月31日
CV-20 ベニントン
USS Bennington
1941年12月15日 1942年12月15日 1944年08月06日 1970年01月15日 1989年09月20日
CV-21 ボクサー
USS Boxer
1941年12月15日 1943年09月13日 1945年04月16日 1969年12月01日 1969年12月01日
CV-31 ボノム・リシャール
USS Bon Homme Richard
1942年08月07日 1943年02月01日 1944年11月26日 1971年07月02日 1989年09月20日
CV-32 レイテ
USS Leyte
1942年08月07日 1944年02月21日 1946年04月11日 1959年05月15日 1969年06月01日
CV-33 キアサージ
USS Kearsarge
1942年08月07日 1944年03月01日 1946年03月02日 1970年02月13日 1973年05月01日
CV-34 オリスカニー
USS Oriskany
1942年08月07日 1944年05月01日 1950年09月25日 1976年09月30日 1989年07月25日
CV-35 レプライザル
USS Reprisal
1942年08月07日 1944年07月01日 1945年08月12日建造中止
CV-36 アンティータム
USS Antietam
1942年08月07日 1943年03月15日 1945年01月28日 1963年05月08日 1973年05月01日
CV-37 プリンストン
USS Princeton
1942年08月07日 1943年09月14日 1945年11月18日 1970年01月30日 1970年01月30日
CV-38 シャングリラ
USS Shangri-la
1942年08月07日 1943年01月15日 1944年09月15日 1971年07月30日 1982年07月15日
CV-39 レイク・シャンプレイン
USS Lake Champlain
1942年08月07日 1943年03月15日 1945年06月03日 1966年05月02日 1969年12月01日
CV-40 タラワ
USS Tarawa
1942年08月07日 1944年03月01日 1945年12月08日 1960年05月13日 1967年06月01日
CV-45 ヴァリー・フォージ
USS Valley Forge
1943年06月14日 1943年09月14日 1946年11月03日 1970年01月15日 1970年01月15日
CV-46 イオー・ジマ
USS Iwo Jima
1943年06月14日 1945年01月29日 1945年08月12日建造中止
CV-47 フィリピン・シー
USS Philippine Sea
1943年06月14日 1944年08月19日 1946年05月11日 1958年12月28日 1969年12月01日
CV-50 1945年03月計画中止
CV-51
CV-52
CV-53
CV-54
CV-55

ハルナンバーと就役順[編集]

アメリカ海軍艦艇のハルナンバーは、造船所への発注時に造船所ごとにまとめて割り振られるもので、日本海軍で就役順に同型艦の「第X番艦」と数えるのとは全く違う概念である。CV-9からCV-15はニューポート・ニューズ造船所への発注分 (第二次海軍拡張法による1隻と第三次海軍拡張法による2隻を1940年7月に発注、両洋艦隊法による4隻を同年9月に発注) に、CV-16からCV-19はベスレヘム・スチール株式会社への発注分 (両洋艦隊法による4隻を1940年9月に発注) に割り当てられ[90]真珠湾攻撃の8日後にブルックリン海軍工廠とニューポート・ニューズ造船所に発注された分には、それぞれCV-20とCV-21が当てられた。そのため、エセックス級空母の就役順 (日本海軍艦艇の「第X番艦」に相当) は、ハルナンバーの順と異なっている。

脚注[編集]

  1. ^ U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History、p. 394
  2. ^ a b c d e f g 多田智彦「エセックス級のメカニズム (特集 米空母エセックス級)」、『世界の艦船』第761号、海人社、2012年6月、 84-91頁、 NAID 40019305383
  3. ^ a b 岡部いさく「史上最多建造の艦隊空母エセックス級 (特集 米空母エセックス級)」、『世界の艦船』第761号、海人社、2012年6月、 75-83頁、 NAID 40019305375
  4. ^ #歴群米空6 p.111
  5. ^ #歴群米空6 p.111
  6. ^ #歴群米空6 p.112
  7. ^ 世界の艦船 2016, p. 101
  8. ^ ケネディ 2010, p. 70
  9. ^ ケネディ 2010, p. 71
  10. ^ 世界の艦船 2016, p. 101
  11. ^ #歴群米空6 p.113
  12. ^ U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History、p. 134
  13. ^ ケネディ 2010, p. 80
  14. ^ ニミッツ & ポッター 1962, p. 435
  15. ^ ケネディ 2010, p. 80
  16. ^ ニミッツ & ポッター 1962, p. 435
  17. ^ ケネディ 2010, p. 80
  18. ^ Mark 2007, p. 15
  19. ^ a b c #歴群米空6 p.117
  20. ^ USS Franklin CV-13 War Damage Report No. 56 D. Bomb Damage - 19 March 1945” (英語). Naval History and Heritage Command. 2019年3月9日閲覧。
  21. ^ ケネディ 2010, p. 504
  22. ^ ボールドウィン 1967, p. 436
  23. ^ 世界の艦船 2016, p. 105
  24. ^ #歴群米空6 p.168
  25. ^ 野木恵一「システムとしての艦隊防空」、『世界の艦船』第662号、海人社、2006年8月、 98-103頁、 NAID 40007357722
  26. ^ 歴史群像53 2006, pp. 174
  27. ^ 歴史群像53 2006, pp. 175
  28. ^ アレン & ボーマー 1995, p. 137
  29. ^ 歴史群像53 2006, p. 177
  30. ^ 歴史群像53 2006, p. 178
  31. ^ a b c d e f 野木恵一「エセックス級戦後近代化改装の概要 (特集 米空母エセックス級)」、『世界の艦船』第761号、海人社、2012年6月、 102-109頁、 NAID 40019305396
  32. ^ 「アメリカ揚陸艦史」、『世界の艦船』第669号、海人社、2007年1月、 1-167頁、 NAID 40015212119
  33. ^ World Aircraft Carriers List: US Fleet Carriers, WWII Era, https://www.hazegray.org/navhist/carriers/us_fleet.htm
  34. ^ KN-2961 Satellite Launching Ship” (英語). Naval History and Heritage Command. 2019年3月7日閲覧。
  35. ^ United States Pacific Fleet Organization 1 May 1945
    編成例
    (1)1945年5月時点には編成無し
    (2)AIR GROUP ONE [ComAirGrp 1:(VF×1) / VF-1 (VF×36) / VBF-1 (VF×36) / VB-1 (VSB×15) / VT-1 (VTB×15)]
    (3)AIR GROUP FOURTEEN [ComAirGrp 14:(VF×1) / VF-14 (VF×73) / VBF-14 (VF×36) / VB-14 (VSB×15) / VT-14 (VTB×15)]
  36. ^ Essex、Yorktown、Intrepid、Hornet、Franklin、Lexington、Bunker Hill、Waspも少数のVFNを搭載していた時期が存在する。
  37. ^ オネール 1988, p. 165
  38. ^ 冨永 & 安延 1972, p. 75
  39. ^ U.S.NAVY AIR GROUPS CV-9 Essex” (英語). Researcher@Large. 2019年3月5日閲覧。
  40. ^ U.S.NAVY AIR GROUPS CV-9 Essex” (英語). Researcher@Large. 2019年3月5日閲覧。
  41. ^ 冨永 & 安延 1972, p. 77
  42. ^ LOCATION OF US NAVAL AIRCRAFT
    ※予備機及び練習機の数は不明。それらを除いた中で各航空隊に配備された搭載機数でおよそ最大のものを記載。
    23 Jan 1945:CV-9 Essex & CV-18 Wasp
    24 Oct 1944:CV-10 Yorktown
    10 Mar 1945:CV-11 Intrepid & CV-20 Bennington
    23 Jun 1945:CV-12 Hornet
    17 Mar 1945:CV-13 Franklin
    19 May 1945:CV-14 Ticonderoga
    16 Jun 1945:CV-15 Randolph
    11 Jul 1944:CV-16 Lexington
    6 Feb 1945:CV-17 Bunker Hill
    3 Oct 1944:CV-19 Hancock
    4 Aug 1945:CV-21 Boxer
    31 Mar 1945:CV-31 Bon Homme Richard
    7 Sep 1945:CV-36 Antietam
    14 Apr 1945:CV-38 Shangri La
    28 Jul 1945:CV-39 Lake Champlain
  43. ^ 編成数の記載がないが通常編成ならばF6F-5×36機
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  51. ^ 米国戦略爆撃調査団 1996, p. 79
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    Aircraft Carriers - CV/CVN navysite.de
    NavSource Aircraft Carriers navsource.org
  90. ^ 瀬名堯彦「図で見る『エセックス級』変遷史I」 (『丸スペシャル 第85号 エセックス級I』1984年3月) 43頁

参考文献[編集]

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    • 大塚好古『【6】対日戦勝利の原動力「エセックス」級』。
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  • ドナルド・マッキンタイヤー; 寺井義守 訳 『空母―日米機動部隊の激突』 サンケイ新聞社出版局〈第二次世界大戦ブックス〉、1971年。ASIN B000J9HB0E 
  • ハンソン・ボールドウィン『勝利と敗北 第二次世界大戦の記録』木村忠雄(訳)、朝日新聞社、1967年。ASIN B000JA83Y6
  • マクスウェル・テイラー・ケネディ『『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』中村有以(訳)、ハート出版、2010年。ISBN 978-4-89295-651-5
  • デニス・ウォーナー『ドキュメント神風』上、時事通信社、1982a。ASIN B000J7NKMO
  • デニス・ウォーナー『ドキュメント神風』下、時事通信社、1982b。ASIN B000J7NKMO
  • 冨永謙吾、安延多計夫『神風特攻隊 壮烈な体あたり作戦』秋田書店、1972年。ASIN B000JBQ7K2
  • トーマス・アレン、ノーマン・ボーマー『日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌』栗山洋児(訳)、光人社、1995年。ISBN 4769807236
  • リチャード オネール『特別攻撃隊―神風SUICIDE SQUADS』益田 善雄(訳)、霞出版社、1988年。ISBN 978-4876022045
  • 加藤浩『神雷部隊始末記 人間爆弾「桜花」特攻全記録』学研パブリッシング、2009年。ISBN 4054042023
  • 原勝洋『真相・カミカゼ特攻 必死必中の300日』ベストセラーズ、2004年。ISBN 4584187991
  • マイケル・シャラー; 豊島哲 訳 『マッカーサーの時代』 恒文社、1996年。ISBN 4770408552 
  • 大内建二『朝鮮戦争空母戦闘記 新しい時代の空母機動部隊の幕開け』光人社NF文庫、2018年。ISBN 978-4769830894
  • 世界の艦船『世界の艦船 特集 第二次世界大戦のアメリカの空母 2017年6月号』海人社、2016年。

外部リンク[編集]