バンカー・ヒル (空母)

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1944年3月27日、パラオ島近海にて
性能諸元
排水量 基準27,100トン
満載36,380トン
全長 水線長820 ft、全長872 ft
全幅 水線長93 ft、全幅147 ft 6 in
吃水 満載:34 ft 2 in
機関 バブコック&ウィルコックス製ボイラー8基150,000 shp、ウェスティングハウス製蒸気タービン4基4軸推進
最大速 33ノット
航続距離 20,000海里(15ノット時)
乗員 士官、兵員 2,600名
兵装 連装38口径5インチ砲4基
単装38口径5インチ砲4基
56口径40mm4連装機関砲8基
単装78口径20mm機関砲46基
搭載機 90 - 100機
エレベーター 中央2基、舷側1基
カタパルト

バンカー・ヒルUSS Bunker Hill, CV/CVA/CVS-17,AVT-9)は、アメリカ海軍航空母艦エセックス級航空母艦としては4番目に就役した。太平洋戦争ではマリアナ沖海戦(フィリピン海海戦)、レイテ沖海戦(レイテ湾海戦)、沖縄戦など主要な戦いに参加し、「ホリデー・エクスプレス」の愛称で呼ばれた[1][2]

艦名は独立戦争におけるバンカーヒルの戦いボストンの軍港の近くにある小さな丘をめぐる戦闘)に由来する。この名を持つ艦としては1隻目である。

艦歴[編集]

第二次世界大戦[編集]

1941~43年[編集]

バンカー・ヒルの進水式

バンカー・ヒルは1941年9月15日マサチューセッツ州クインシーベスレヘム・スチール株式会社・フォアリバー造船所にて起工され、1942年12月7日、ドナルド・ボイントン夫人の後援のもと進水、1943年5月24日に初代艦長J・J・バレンタイン大佐の指揮下就役した[3]

バンカー・ヒルは6月末にバージニア州ノーフォークで飛行隊を載せ、7月15日に整調航海のためトリニダードに向かった。3週間後にノーフォークに戻り、9月4日にパナマ運河、サンディエゴ、真珠湾を経由して太平洋戦線へ向かった[4]

バンカー・ヒルには、1943年1月に新設された海軍第17戦闘飛行隊(VF-17英語版)が乗り込んでいた。VF-17は最新鋭のF4Uコルセア戦闘機の性能に着目し[5]、離着陸に難のあったコルセアを空母で運用できるよう訓練を重ね、空母運用資格試験に合格した。しかし真珠湾に向け航海する途上、海軍がコルセアを空母で運用しない(空母部隊の戦闘機をF6Fヘルキャットに統一する)ことを決定し、VF-17は空母を降りてソロモンの陸上基地に展開、代わりにF6Fを運用するVF-18がバンカー・ヒルで運用されることとなった[6][7]

バンカー・ヒルは10月19日に真珠湾を出港して太平洋に向かい、モントゴメリー少将の指揮下に入る。そこで空母エセックスインディペンデンスらと任務部隊(高速機動部隊)を編成し、1943年11月11日第二次ラバウル空襲に参加した[8]。この作戦において、かつて運用していたVF-17がVF-18と協同し、空母の上空警戒を担当することとなった[9][10]。VF-17のコルセアは再び着艦フックを装着し、バンカー・ヒルに着艦して給油を受けながら警戒任務を遂行した[11]。バンカー・ヒル艦上での活躍によりコルセアは艦上戦闘機として有望であることを示し、やがて空母部隊に広く配備されることとなる。

11月13日からギルバート攻略作戦(ガルヴァニック作戦)が開始され、バンカー・ヒルはタラワ(環礁)攻略にあたり航空支援を行い、同作戦の支援にあたった(ギルバート・マーシャル諸島の戦い[12]

1944年[編集]

マリアナ沖海戦で至近弾を受ける

1943年12月25日より開始されたニューアイルランド島カビエンの攻略に、航空支援で1944年1月1日から4日まで参加する。その後スプルーアンス中将指揮下の第58任務部隊に加わり、1月29日から2月8日にかけて、マーシャル諸島攻略支援を行った。同任務部隊に所属してトラック島空襲マリアナ諸島空襲(2月23日)、パラオ諸島空襲(3月30日~4月1日)などに参加し、カロリン諸島一帯に展開する日本軍に打撃を与えた。

1944年6月19日マリアナ沖海戦において日本海軍第一機動艦隊から出撃した艦上機群のうちの2機による急降下爆撃を受け、至近弾の炸裂により喫水線下に損傷を受けるが、海戦終了直後にウルシー泊地で修理を受け、すぐに戦線に復帰している。その後もフィリピン攻略、レイテ沖海戦などで活躍した。

なお、1945年初頭までの間に、艦橋の改装(前方の40mm機銃座の撤去および艦橋容積の拡張)および対空火器の増設等の工事を受けている[13]

1945年[編集]

硫黄島上陸作戦より、バンカー・ヒルはマーク・ミッチャー中将率いる第58任務部隊(高速空母機動部隊)の旗艦となる。沖縄戦では、沖縄水上特攻作戦に出撃した戦艦大和に対し僚艦のエセックスなどと共同して艦上機群による攻撃を行いこれを撃沈した(坊ノ岬沖海戦)。

しかし沖縄侵攻の支援中の5月11日、第5航空艦隊実用機の全力を特攻攻撃に投入する菊水6号作戦により10隊65機の特攻機が出撃し[14]、バンカー・ヒルはこの攻撃で2機の突入を受け大破する。

特攻機の突入で炎上するバンカー・ヒル
消火活動にあたる搭乗員たち
駆逐艦チャールズS.スペリー英語版が救援のため接近

11日朝、バンカー・ヒル艦上のミッチャー中将は艦載機の発艦の様子を幕僚と共に見守っていたが、レーダーは接近する機影を捉えておらず、油断もあった。そこへ海面近くを巧みな低空飛行で接近してきた零戦(安則盛三中尉操縦)が、直前で急上昇すると、飛行甲板上に250㎏爆弾を投下し、そのまま、機銃を掃射しながら、発艦準備中の34機の艦載機が並んでいる真ん中に突っ込んだ。爆弾はバンカー・ヒルの飛行甲板と舷側を貫通した後、海面上で爆発したが、突入した零戦により発生した火災で、燃料を満載していた艦載機が次々と誘爆を始めた[15]

その約30秒後、小川清少尉の操縦する零戦(アメリカ軍公式記録では彗星)が、殆ど垂直に近い大角度降下で艦尾から接近してきて、250kg爆弾を投下後に艦橋と飛行甲板の境に激突した(重要箇所の艦橋基部を狙うのは「特攻の教科書通り」であった)。小川機が突入した箇所はミッチャー中将が参謀長アーレイ・バーク代将をはじめとする幕僚らといた場所と6mしか離れておらず、ミッチャーとバークは無事だったが、第58任務部隊の幕僚や当番兵13人が戦死した[16]。また、爆弾は後部エレベーター付近に達して爆発し、ガソリンに引火し誘爆を引き起こし大火災となった。甲板上および艦内の火災は深刻だったが、ジョージ.A.サイツ英語版艦長の的確なダメージコントロールもあって沈没は免れ、修理のためアメリカ本国へ帰還することになった。

消火後の飛行甲板の状況
破壊された艦中央部

戦死者・行方不明者は402名[17]、負傷者は264名にのぼり、これは特攻攻撃により単艦で生じた最多の人的損害である[18]。火災で発生した有毒な煙が換気装置を通じて艦内に大量に流入し、艦後部の控室で待機していた戦闘機パイロットの多くが煙による一酸化炭素中毒で死亡している[19]。また、破壊された艦載機から流れ出した航空燃料が炎と大量の煙を伴いつつ、消火のため注入された海水の表層を伝って第4甲板下まで流れ込み、機関室の装甲ハッチの上に滞留した。その結果、黒煙が機関室に充満し、作業中の機関員多数が一酸化炭素中毒で死亡した。この日、バンカー・ヒルの第1ボイラー室にいた機関員は全員死亡、第2ボイラー室の機関員も半数が死亡し、艦全体で一番犠牲が多い部署は機関科となった[20]。焼死、一酸化炭素中毒死のほか、消火のため注入された海水によって艦内に閉じ込められたまま溺死した水兵も多数にのぼる。

当時バンカー・ヒルの航空群長だったロジャー・ヘドリック中佐は、この日の出来事を次のように述懐している[21]。「朝10時に警戒態勢が一段格下げになり、雷撃飛行隊の午後のスケジュールについて説明していた時、特攻機の命中の衝撃を感じた。次の攻撃グループの発艦準備が整ったところに突っ込んだため、飛行甲板上の航空機が全滅した。それから3分とたたないうちに次の特攻機が命中した。今度は艦橋の根元のところで、爆弾が機体を離れ艦に食い込んでから爆発したため、待機室にいたパイロットがほぼ全員即死した。私は皆と一緒に通路を逃げ、途中で積んであった食料品の中にオレンジがあったのを1個失敬してポケットにねじ込んだ。オブザーバーとして乗り組んでいたイギリス海軍のパイロットが消火作業をしているのを見かけたので、ホースを取ってきて協力した。18時にようやく火災が下火になり、機関室に閉じ込められていた乗組員を救出した。彼らは熱と煙にもめげず火災の間じゅう艦のスピードを10ノット以上に維持する離れ業をやってのけたのだった。茫然とした顔で幽霊のように歩いてくるバンカー・ヒルの機関長に出会い、彼こそはこの艦を動かし続けた功労者だと思うと胸がいっぱいになったが、さっき盗んだオレンジを彼の手にそっと握らせるのがやっとで、それ以上何もできなかった。火災は翌朝ようやくおさまった。前もって知らされているのを忘れて格納甲板に足を踏み入れたら、そこは死体置き場で、隊の死者全員の姿がそこにあった。その光景を、私は生涯忘れないだろう。翌日葬儀が行われ、我々一同で慎んで水葬に付した。」

懸命の消火・救助活動の裏で、バンカー・ヒル艦内では混乱に乗じ犯罪が多発した。遺体の焼けた手から腕時計が奪われ、指輪も抜き取られた。艦内には郵便局があったが、郵便局周辺は激しい損傷を被っていたため、貸金庫も破損していたが、他の兵員が消火活動をしている最中に、ガスバーナーで破損した貸金庫をこじ開けて中身を強奪する者もいた。あまりの無秩序ぶりに業を煮やした将校は、死刑をも含む厳しい対処を行うこととし、遺体には窃盗を抑止するため武装した不寝番を立てた。また、全兵員を集めてボディチェックとロッカー内の捜索が実施され、盗品を持っていないか調べられた。盗品所持が見つかると、まずは懲罰房に拘禁し、食事はパンと水のみに制限した。そして、連日のように、衣服を引き剥がして、消火ホースで海水を浴びせるという体罰もおこなった。艦が前線基地であるウルシー環礁に到着すると、窃盗犯らはどこかに連行されていったが、連行された窃盗犯たちのその後を知る者はおらず、航海日誌にも懲罰の記録は記述されていない[22]

ミッチャー中将は旗艦をエンタープライズに変更したが、その3日後の5月14日にエンタープライズも特攻攻撃により深刻な損傷を受け、ランドルフへの旗艦変更を余儀なくされている。

バンカー・ヒルはウルシー環礁まで後退し、真珠湾経由でワシントン州ブレマートンピュージェット・サウンド海軍造船所に帰投して大修理を受けた。ウルシー環礁に向かう途中で行われた300名以上の水葬は、現在までにアメリカ海軍が一回で行った最大規模のものである。

修理は7月中には完了したものの、戦線に復帰する前に終戦を迎えた[23]

戦後[編集]

1968年、サンディエゴのノースアイランド海軍基地に係留されているバンカー・ヒル

9月27日にブレマートンを出港して復員兵輸送(マジック・カーペット作戦)に参加する。しかし大戦後の海軍の縮小に伴い、バンカー・ヒルも他の同型艦の多くと同様に予備役に編入される。

バンカー・ヒルは1947年1月9日よりピュージェット・サウンド海軍造船所モスボール処理のうえ保管されるが、その後現役復帰や改装が一切なされなかった。これは同型艦の「フランクリン」も同様である[24]。両艦とも大戦中に大破して復帰が間に合わなかったという共通点はあるが、損傷は首尾よく修復され良好な状態にあり、核攻撃任務を視野に入れた徹底的な大改装("Ultimate" Reconstruction)の候補として温存されていた。しかしながら改装の実施は見送られ、結局は立ち消えとなってしまった[25]。この計画がしばらく残っていたため、SCB-27等の改装対象から外され、現役に復帰することもなかった。

バンカー・ヒルは保管状態のままで1952年10月1日に攻撃航空母艦(CVA-17)、1953年8月8日に対潜水艦戦支援空母(CVS-17)、1959年5月15日に航空機輸送艦(AVT-9)へと艦種変更されたが形式的なもので、艦首の船体番号は《17》のままだった[26]

1966年11月1日に退役・除籍となり[27]、それから数年間はサンディエゴのノースアイランド海軍基地で海軍の電子実験船として使用された。その後1973年スクラップとして売却されることとなり、タコマ (ワシントン州)に曳航されたが、移動中にギリシャ船籍のタンカーと衝突事故を起こし、船首が損傷した[28]

解体後、スクラップの大半は皮肉なことにかつての対戦国・日本に引き取られた。分厚いスチールの一部はフェルミ国立加速器研究所加速器の素材となった[29]。号鐘は博物館で一時期展示されたのち、1986年に就役したミサイル巡洋艦へ艦名とともに受け継がれた[30]。またユニークな例として、バンカー・ヒルのモスボール処理で機銃等のカバーとして用いられたドームを流用して作られた家がオレゴン州に存在する[31]

受賞[編集]

バンカー・ヒルは殊勲部隊章を与えられる9隻の空母のうちの一隻であり[32]、第二次世界大戦における以下の戦功で11の従軍星章を受賞した[33]

1.1943年11月のラバウル攻撃

2.11月からのギルバート攻略作戦およびそれに引き続くタラワ攻略

3.12月からのカビエン攻略

4.1944年2月のマーシャル諸島等の攻略

5.2月からのトラック島、マリアナ諸島、パラオ諸島空襲

6.4月のホーランディア攻略

7.6月からのマリアナ、サイパン等への攻撃

8.9月からのカロリン諸島、パラオ諸島、フィリピン等への攻撃

9.10月からのレイテ作戦、ルソンおよび台湾への攻撃

10.1945年2月からの硫黄島攻略

11.3月からの沖縄攻略

乗艦していた著名人[編集]

・俳優のポール・ニューマンTBF/TBM アベンジャーの後部銃座手を務め、沖縄戦に参加。

・元ウォルト・ディズニー・カンパニー会長のE・カードン・ウォーカーは航空管制官として1943~45年まで勤務[34]

・ブルース・メイヤーは特攻機による惨事を経験した一人であり、1963年にレジャービークルの会社「BFメイヤーズ·アンド·カンパニー」を設立、バギーカーの「メイヤーズ・マンクス英語版」等で知られる[35]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 作戦行動がしばしばクリスマスや新年といった祝祭日と重なったことに由来する。Ship Nicknames”. 2019年5月19日閲覧。
  2. ^ VF-17 Squadron History and Base Locations”. 2019年5月19日閲覧。
  3. ^ https://www.navysite.de/cv/cv17.htm
  4. ^ Udoff, 1994 & p. 12-13
  5. ^ Blackburn, 1997 & p. 73-77
  6. ^ Udoff, 1994 & p. 130
  7. ^ スタイリング, 2003 & p. 65-66
  8. ^ Udoff, 1994 & p. 26, 27
  9. ^ Bowman, 2002 & p. 39
  10. ^ Blackburn, 1997 & p. 130-47
  11. ^ スタイリング, 2003 & p. 67
  12. ^ Udoff, 1994 & p. 26, 50
  13. ^ NavSource Online: Aircraft Carrier Photo Archive”. 2019年5月19日閲覧。
  14. ^ 決定版 写真 太平洋戦争, 2015 & p.73
  15. ^ 原 2006, p. 217
  16. ^ 決定版 写真 太平洋戦争, 2015 & p.74
  17. ^ 戦死者346名、行方不明者43名とする資料もある。NavSource Online: Aircraft Carrier Photo Archive”. 2019年5月19日閲覧。
  18. ^ ウォーナー 1982b, p. 166
  19. ^ ウォーナー 1982b, p. 165
  20. ^ ケネディ 2010, p. 504
  21. ^ スタイリング, 2003 & p. 89-92
  22. ^ ケネディ 2010, p. 572
  23. ^ Raven, 1988 & p. 32
  24. ^ Friedman, 1983 & p. 156
  25. ^ World Aircraft Carriers List: US Fleet Carriers, WWII Era”. 2019年5月19日閲覧。
  26. ^ NavSource Online: Aircraft Carrier Photo Archive USS BUNKER HILL (CV-17)(later CVA-17, CVS-17 and AVT-9)
  27. ^ World Aircraft Carriers List: US Fleet Carriers, WWII Era,
  28. ^ NavSource Online: Aircraft Carrier Photo Archive USS BUNKER HILL (CV-17)(later CVA-17, CVS-17 and AVT-9)
  29. ^ ケネディ 2010, p. 616
  30. ^ Udoff, 1994 & p.81
  31. ^ Hobbit House for Sale: Quirky Dome Home in the Woods of Oregon”. 2019年5月19日閲覧。
  32. ^ 他にはエンタープライズ、エセックスヨークタウンホーネットレキシントンベロー・ウッドカボットサン・ジャシントが受賞。NavSource Online: Aircraft Carrier Photo Archive USS BUNKER HILL (CV-17)(later CVA-17, CVS-17 and AVT-9)
  33. ^ Udoff, 1994 & p.27
  34. ^ [1] Disney Legend Card Walker 2019年5月19日参照。
  35. ^ [2] BRUCE MEYERS E O MANX 2019年5月19日参照。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • マクスウェル・テイラー・ケネディ『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』中村有以(訳)、ハート出版、2010年。ISBN 978-4-89295-651-5
  • デニス・ウォーナー『ドキュメント神風』上、時事通信社、1982a。ASIN B000J7NKMO
  • デニス・ウォーナー『ドキュメント神風』下、時事通信社、1982b。ASIN B000J7NKMO
  • 原勝洋『真相・カミカゼ特攻 必死必中の300日』ベストセラーズ、2004年。ISBN 4584187991
  • 「丸」編集部『決定版 写真 太平洋戦争〈5〉』潮書房光人新社、2015年。ISBN 978-4769815976
  • マーク・スタイリング『第二次大戦のF4Uコルセアエース (オスプレイ軍用機シリーズ』武田秀夫(訳)、大日本絵画、2003年。ISBN 978-4499228060
  • Friedman, Norman; Baker, A. D III (1983). U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History. Annapolis: Naval Institute Press. ISBN 978-0-87021-739-5. 
  • Raven, Alan (1988). Essex-Class Carriers. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-021-1. 
  • Tommy Blackburn and Eric M. Hammel. The Jolly Rogers: The Story of Tom Blackburn and Navy Fighting Squadron VF-17. Pacific, California: Pacific Military History, 1997. 0-935553-67-3.
  • Bowman, Martin W. Vought F4U Corsair. Marlborough, UK: The Crowood Press Ltd., 2002. 1-86126-492-5.
  • Udoff, Irv. The Bunker Hill Story. Paducah, Kentucky: Turner Publishing, 1994. 1-56311-168-3.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]