F4U (航空機)

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ヴォート F4U/FG/F3A/AU コルセア

FG-1D(グッドイヤー版F4U-1D)

FG-1D(グッドイヤー版F4U-1D)

F4U コルセア(F4U Corsair)は、アメリカチャンス・ヴォートが開発し、第二次世界大戦朝鮮戦争アメリカ海軍海兵隊が使用したレシプロ単発単座戦闘機である。Corsair(コルセア)とは海賊の意である。

ヴォート社の他にグッドイヤー社とブルースター・エアロノーティカル社にも生産は移管され、グッドイヤー社製の機体はFG、ブルースター社製の機体はF3Aという制式名称が与えられた。また、AUという呼称がある攻撃機型も存在する。

経緯[編集]

開発[編集]

国家航空諮問委員会でテスト中のXF4U-1

開発史[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]

F2A バッファロー艦上戦闘機などの後継として航空機メーカーヴォート・シコルスキー社が1938年2月に開発を開始した。

1938年2月に、高速艦上戦闘機の仕様をSD112-14案としてアメリカ海軍は開発要求を告知し、グラマン社やベル社と共に、チャンス・ヴォート社は4月に1,200馬力級エンジンを搭載するV-166A案と2,000馬力級エンジン搭載のV-166B案を提出した。6月11日にV-166B案がXF4U-1として、海軍から試作発注がなされた。当時、戦闘機用エンジンの主流は1,000馬力以下であり、2,000馬力級エンジンを搭載するコルセアは海軍で一番大きなプロペラをつけた、海軍一重たい艦上戦闘機となった。

初飛行は1940年5月29日である。試作機XF4U-1は一度墜落事故を起こしているものの、時速650kmを記録するなど、性能は良好であった。降下テストでは890km/ hを得たが、損傷が発生し、最終的には1万フィートから860km/ hの制限速度を得た。

13フィート以上の直径の巨大なプロペラを採用しながら、艦載機として頑丈なランディングギアを持つため、主翼は逆ガル翼が採用された。おかげでコルセアのランディングギアは大変丈夫でF6Fのように着艦の衝撃を持ちこたえることができず、破損された事例はほとんどなかった。さらに、メインギアに頼る形式で前方にダイブブレーキパネルを位置、ギアをダイブブレーキモードで展開する場合、メインギアとダイブブレーキパネルのみ展開させることができた。このモードの制限速度は、IASで730km/ hに達した。

フラップは主翼が逆ガル翼だったので、3つのセクションに分かれて展開するようした。展開時には、主翼の形のおかげで、セクションの間にギャップが生じるので、ギャップを閉じるパネルも展開された。展開角は最大50度であり、10度の間隔で調節することができた。限界速度は50度(100%)で244 km/ h、20度(40%)で380 km/ hであった。フラップは、オーバーロードリリーフシステムで保護され、速度に応じて展開角を自動的に調整してくれるブローアップシステムを備えていた。形式は、NACAスロットテッドタイプとして高い効果を発揮し、F4Uが重量級の高速戦闘機にもフラップを使用して、低いストールスピードとタイトな旋回が可能なようにしてくれた。

エルロンは骨組みと表面の両方が木材で製作され、表面には防水のための布カバーがかぶせられた。木材合板からなる表面は堅くながらも滑らかな特性を持って航空力学的に優れていることが判明した。被撃の実験でも全金属製エルロンと比較し、望ましくない突起を残さない利点があり、金属よりも優先して採用された。完成されたエルロンは、テストパイロットの飛行実験で毎秒180度の横転を披露した場合もあった。また、左エルロンはトリムタブをインストールして飛行中、エルロンのトリムが可能なようにした。

昇降舵は布で被せられたアルミニウム合金構造で、突出バランスがとられた形状にブーストタブとトリムタブが設置された。飛行中のトリムが可能であり、すごく低いスティックフォースを持ってF4Uが素早い機首の動きをすることができるようにした。

ラダーは布で被せられたアルミニウム合金構造で、垂直尾翼の大半を占めており、突出バランスを保有している形状であった。尾翼のほとんどが動くことに違いないので、非常に高い効果を持っていたが、逆にラダー展開時、尾翼の残りのピンの部分が少なく安定性が低かった。安定した状態を迅速に崩して素早い動きを可能にしたが、低い安定性は、着艦のような状況ではよくなかった。ラダーもトリムタブがインストールされていたので、F4Uはロール、ピッチ、ヨウすべての軸に対して飛行中のトリムが可能だった。

気骨は艦載機として、あらゆる状況に対応できるように丈夫に作られて、量産機は武装と胴体燃料を満載した12,000 lbsの完全戦闘重量で7.5Gの制限荷重倍数を達成した。[10]これは戦闘重量で6.6GのF6F[11]や7.0GのF8F[12]より優れていること、運用期間中のテールユニットの補強が行われたF6Fとは異なり、F4Uは退役時まで気骨の補強が必要なかった。また、このような頑丈な気骨のために、高速での急起動を問題なくこなすことができた。

飛行中の初期型F4U-1

前方胴体には、セルフシーリング燃料タンクがあり、補助燃料タンクとして使用することができる主翼内の燃料タンクも備えていた。主翼内の燃料タンクは、セルフシーリングタンクがなかったので、念のためCO2噴射装置を備えていた。主翼内の燃料タンクは、空母運用能力を獲得するF4U-1Dから、は撤去された。

防彈装備は150 lbsほどの前方防弾ガラスとコクピットシート後方の防彈プレートであった。F4U-1Aからキャノピーカービンの後上方にも防彈プレートが設置されてF4U-1Dは、コクピットシートの底にも防彈プレートが追加された。

量産型F4U-1の初飛行は1942年6月25日である。初めての量産機は12,060 lbsのポンドの戦闘重量で3,000 ft/ min以上の海面上昇力、668 km/ hの最高速度、37,000フィートの限界高度を披露した。

1942年9月25日には護衛空母CVE-26で着艦テストがあった。F4U-1は、すぐに問題を表わした。着艦時の視界は長い機首に加えて、カウルフラップのアクチュエータから飛んでくる油圧流体とバルブプッシュロッドから飛んでくるエンジンオイルのために最悪だった。アクチュエータの問題は、F4FとPB4Y-1から借りてきた装備で、エンジンオイルの問題は、カウルフラップの上部セクションを固定的に変えギャップを非常には、ことで解決した。しかし、1943年に実戦に投入された後も、カウルフラップの上部セクションが辛くていないF4U-1があり、エンジンオイルの問題が完全に解決されたのは、F4U-1Aの登場時点であった。そのほかにも、メインギアの硬い緩衝装置は、気体を飛び出し上がるし、ロータイプテールギアと巨大なフラップは、方向安定性の問題を起こした。また、着陸の状況では減速中、ストールがいきなり訪ねてきて、鋭いウイングドロップが発生した。

結局このままではF4Uは空母で運用するに不適合であるという結論が下され、初期生産型のほとんどは海兵隊に引き渡された。しかし、VF-17のようにF4Uにこだわり、空母から降りた海軍飛行隊も存在した。

運用中の活躍[編集]

戦闘記録[4][5][7][8][9][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][23][24]

初戦は1943年2月14日、ガダルカナルに進出したVMF-124だったが、機體の平均運用時間が20時間に満たない状態で数的に優勢な日本軍の204空、251空、582空などの精鋭[N 1]たちと激突して、米軍側が10機(P-38 4機、P-40 2機、B-24 2機、F4U 2機)襲撃チュー、日本側は栄転1基自爆という一方的な損害を受け、「セントバレンタインデーの虐殺」と呼ばれる敗北を喫した。

それでも、機體自体の高性能と機関銃6錠という当時としては高い火力を利用してい号作戦頃には、汚名を返上する活躍を見せた。しかし、この時期のF4Uを苦しめたのは機体とエンジンの信頼性であった。 F4UはR-2800をエンジンとした最初の戦闘機として、お互いの開発に密接な関連があった。これはソロモン全域の良くない作戦環境と新しい機体の整備プールの不足のために、さまざまな問題を発生させた。この時期のR-2800は、電波干渉の点火装置への保護が不足して高高度でエンジンが停止するなどの問題を発生させ、カウリングからはオイルが漏れ風防ガラスを覆って、同体内の燃料タンクでも燃料が漏れなど、1943年末までのF4U-1は、性能は良いが危険な戦闘機だった。 F4U-1Aの登場時点では、エンジンの問題は改善、オイルの問題は、カウリング上方のパネルを固定的に変えて、燃料の問題は、胴体にテーピングをすることで改善した。これらのF4Uの改善過程はそのままフィードバックされ、カビュレーターの方向を除いて同じエンジンを使用したF6Fはほとんどの初期不良の問題を解決し、戦場に登場することができた。兵器研究家の大塚好古氏は、その著書「米海軍戦闘機」の中でR-2800エンジンの初期不良について触れ、「問題が殆ど解決した後で実用化されたF6Fは非常に幸運だった」と評している。

着艦問題による先入観とは違い、飛行中のF4Uは基本的なストール特性が良かった。数年にわたるグッドイヤー、ブリュースター、ヴォート・エアクラフト・インダストリーズのすべての機體の生産監察報告書によると、基本的なストールの特性は、兆しが良好で進行が緩やかで回復が容易であるということだった。[25][26][27]しかしランディングギア、フラップ、ダイブブレーキパネルをすべて展開してスロットルを下したランディングコンディションではストールの兆しがほとんどなく、突然のウィングドロップが発生して空母に着艦する場合には、危険だった。

この時期には、陸軍から評価されることもあった。1943年5月21日、フロリダ州のElgin AAFBで初めてF4U-1に搭乗した陸軍パイロットはF4U-1を大変賞賛した。P-38、P-39、P-40、P-47、P-51などの陸上機との模擬戦闘でF4U-1は2万フィート以下では、どのような陸軍戦闘機も対戦相手ができないことを立証した。2万フィート以上では、P-47とP-51が優勢だった。陸軍パイロットはF4U-1に圧倒された感じを受け、山本暗殺作戦で活躍したベテランP-38パイロットであるレックスTバーバーは、米国が一つの機体で戦争に勝つためにならF4Uしかないと評価した。[4][5][28]

1943年末にはソロモンのはしごと呼ばれる進出を終えて最精鋭であったラバウル航空隊と激戦を繰り広げた。F4Uのパイロットは、相当数が受像機や偵察機からの機種転換だったので実力で戦う格闘戦を避け、性能の優位性を生かして戦う一撃離脱戦法を主に使用した。

根が厚い6501A-0、別名「パドル」プロペラブレードを装備して作戦中のVF-17のF4U-1A。

空中戦の能力を旋回能力として定義していた日本軍のパイロットの中には、これらのF4Uの戦法を運動性が低いためであると見低く評価する場合も多かった。ラバウルで活動していた日本のエース谷水竹雄は「機動性が高く、高速横転が可能だったF6Fは最もタフな相手でした。P-38やF4Uは細かい起動をせずに一撃離脱をするだけだったからです。」と評価した。しかし、後にTAICの捕獲した零戦の米軍戦闘機の比較飛行結果、F4Uの旋回力はF6Fのような機種と大差がなく、むしろ効率的なフラップにより、よりタイトな旋回が可能であることが判明した。[29]さらに、米国と日本の資料を交差検証した結果、1943年末のラバウル航空戦期間中にラバウル航空隊に最も多くの空中戦被害を与えたことは、P-38やF6Fではなく、F4Uだったことが分かった。[18][19]

前後の尋問でもラバウルの陸軍と海軍の両方は、最高のアメリカの戦闘機でF4Uを挙げた。草鹿中将指揮下の海軍は「F4Uは高速、重武装に防御力も高く撃墜するのは難しい素晴らしい飛行機であった。F4Uが最も良い戦闘機だったと思う」とし、今村陸軍大将指揮下の陸軍は「その機動性にとってF4Uを最高の戦闘機だと思う。高い装甲を持って大変速いからでもある。」とした。[30]

そして1943年の終わりからコックピット付近を再設計して信頼性の問題を解決したF4U-1Aが普及し、1944年初めから水インジェクタを装着したF4U-1Aの後期生産型が配置された。この時期地上で作戦するF4Uの一部はアレスティングフックを削除したり、新型プロペラブレードを装着して性能を高めた。性能に優れたF4Uをヴォート・エアクラフト・インダストリーズと海軍は空母に上げるために様々な努力を傾けた。 F4U-1Aは、コックピットが高まって再設計されて視界が良くなり、ここで新たなハイタイプテールギアを設置してテクシンや離着陸時のAOAを下げた。右翼はストールを緩やかにしてくれるスポイラーを設置した。固定された上部カウルフラップ、水インジェクタ、新型プロペラ、ハイタイプテールギア、アレスティングフックの分離など、それまでのすべての改良が完了した地上戦闘機としてのF4U-1Aは、武装と胴体の内部に燃料を満載した戦闘重量で693km/ hの速度を達成し、陸軍のP-51Bとの比較では、加速、起動、上昇力で優勢であり、速度も海面と一部の領域で勝る性能を示した。[31][32]

F4Uはソロモンはしごを登るながら、最終的にラバウルの航空展で活躍して日本軍の航空戦力を消耗させた。日本軍の空母部隊は第一航空戦隊や第二航空戦隊などの精鋭航空戦力を地上基地に派遣していたので、これらの消費されることで艦隊航空戦力が弱体化された。しかし、ラバウル航空隊の優れた技量により、米海兵航空隊とVF-17のF4Uも多くの被害を被った。岩本徹三のように、最終的に数十基のF4U撃墜を報告したパイロットもあった。[33]この期間中にVF-17のF4Uは空母に着艦して再補給後、正常に運用されることで艦載機復帰への可能性を示した。

以後弱体化された日本の航空戦力を相手には本格的に空母機動部隊に所属するF6Fが大活躍した。ソロモン全域の消耗戦とは異なり、艦隊作戦術の支援を受けて集中運用されたF6Fは艦載機として優位性を活かし、積極的な戦果を築いていった。マリアナ海戦でF6Fが日本の艦隊航空勢力を終える間F4Uは、地上に縛られていたため、空中戦で活躍する機会がほとんどなかった。

一方、様々な問題が完全に解決されてF4U-1Aでの要件から空母運用のための改良も完了したF4U-1Dは、1944年4月22日、VF-11のゴードンキャディ中佐、VF-1のバーナードストリン中佐、VMF-223のジョン・スミス大佐によって護衛空母の狭いデッキを置いてF6F-5と比較された。 3週間の評価の後出された結論によれば、F4U-1DはF6F-5に比べて疑いの余地がなく、高速であり、F6F-5の機動性はF6F-3より良かったがF4U-1Dには及ばず、F4U-1DはF6F -5より上昇力が優れていて、特に高速上昇力が目立つが明らかになった。 F4U-1Dは、操作が軽く軽快し、より飛行やすい航空機であり、固定武装の配置状態も、より戦闘に適していると評価された。特に重要な利点は、武器のプラットフォームとして安定しており爆撃とロケット発射に有利であることだった。しかし、空母着艦には、着艦時の視界が広いF6F-5がより良い点も確認された。[4][7][34]

メダルオブオナーとネイビークロス受勲者であるVF-12のエドワード「バンチ」オヘアはF6FはF4Uの相手がならずF4Uを海軍が持っている最高の戦闘機で評価した。彼はハワイで自分のF6F隊が配置されたとき、誰も飛ぶことができない自分の個人的な飛行機で1機のF4Uを持ってくることもした。彼と彼のF6F飛行隊は、F4U飛行隊と2万フィートまでの上昇賭けをしたが敗北した場合もあった。[34]

1944年5月16日、空母運用能力が強化されたF4U-1Dに対して「一般的にF4UはF6Fと比較して、より良い戦闘機、より良い爆撃機であり、同等の空母運用能力を持っているということが理事会の意見であり、艦載戦闘機と爆撃機をF4Uタイプに切り替えることが強く推奨されます。」という結論が下され、本格的に艦載機としての能力を証明することになった。

1944年8月には、ペイロードに、劇的な進展があった。太平洋の海兵飛行隊を訪問したチャールズ・リンドバーグによってF4Uの最大搭載量は、2,000 lbs爆弾1発と1,000 lbs爆弾2発、最大4,000 lbsで向上した。しかし、このような高いペイロードはほとんど使用されなかった。離陸距離がすごく長くなったので、リンドバーグさえ古いカービングテイクオフのテクニックを使用する必要がした。

1944年10月、メリーランド州のNASペトクセントで、米国と英国と捕獲された日本の戦闘機による合同戦闘機会議があり、ここでもF4U-1Dは、高い評価を受けた。最高の艦載機であり、最高の戦闘爆撃機として選ばれており、高い機動性と優秀な性能で多くの支持を受けた。参加した英国のパイロットもF4Uの優れた高速機動性と戦闘能力を高く評価した。最終的にF4U-1Dは、この比較のプログラムで量産機の中では総合性能が最も優れていることを考慮された。好評を受けたF4U-1Dだったが、コクピットのレイアウトと自動化、25,000フィート以上での性能は、補完すべき点として指摘されて以降のF4U-4やF4U-5は、基本性能を上げながら、その機能を補完する方向に発展した。[35][36]

以後、1944年12月28日から空母に配置されたF4U-1Dは戦闘爆撃機として頭角をさらけ出し硫黄島や沖縄攻撃で活躍した。F4Uの心強い地上支援が好きだった地上の兵士たちは、「沖縄の天使」というニックネームをつけてくれた。F4U-1Dは太平洋戦争において最高の急降下爆撃機の一つとされるSBD ドーントレスに比べて決して劣らない爆弾搭載量と急降下正確度を持っているとされた。

損傷を受けて帰還したF4U-1D

1944年とは異なり、1945年からはF4Uも本格的に空母で作戦にされたので一線で空中戦をすることになった。F4Uの脅威となる紫電と疾風は、優秀な性能を持っていたが、パイロットの低熟練度と信頼性不良でF4Uがおおむね優勢だった。紫電と疾風の両方と戦った経験があり、ソロモン全域でVF-17所属で活動していたVF-84のエースパイロットロジャーヘンドリックは「F4U-1Dは、日本の最新のモデルに比べて優れてが判明した。疾風と紫電との性能差は大きくないが、積極的な攻撃で勝利するのに十分である。」とした。一方、VMF-441は、航空機の活動報告書に「敵のパイロットは、私たちに比べて経験がなく、積極的ではないように見えた。敵機は、私たちに発砲していなかったし、彼らの優れた機動性を利用することもできなかった。」とした。しかし、この時期のF4Uもロケトランチャーとスタブパイロンとドロップタンクなどで空中戦闘に制約が多い状態であったため速度の優位性を生かすが難しく機動性も低下した。F4Uが主に配置された新設の戦闘爆撃(VBF)飛行隊の平均的な空中戦の経験と技量も再編の過程で雷撃機や級曝気パイロットが多数参加し、F6F飛行隊に比べると不足であった。士気と熟練度が高かった343航空隊の紫電との戦いは、作戦術による状況優位が勝負を分けた。お互い奇襲を成功させた方が勝利し、数が多く、より自由に戦うことができる方が優勢だった。[37][38][39]

1944年末から海軍に渡されたZ-2与圧服は気骨が丈夫で瞬間と高速機動性に優れたF4Uとの相性が非常に良いことを示し、その価値を証明した。編隊に遅れ343航空隊の紫電たちに囲まれた2機のF4Uがドロップタンクを持ちながらも数的に先立つ紫電の降下攻撃に対してブラックアウトギリギリの級機動に対応、むしろ紫電を相次いで撃墜して突破した事例もあった。[37]

1945年には、新しいCシリーズR-2800エンジンと4発プロペラのF4U-4が配置された。海兵飛行隊のF4U-4は、沖縄戦から本格的に運用を開始したが、海軍のF4U-4はほとんど活躍していなかった。例外的に修理のために真珠湾に入港したハンコックだけは、他の航空母艦より早くF4U-4を受領することができたので、本土攻撃にF4U-4を動員することができた。第2次大戦の最後の形式であるF4U-4は、ロケトランチャーとスタブパイロンがなく弾薬と燃料を満載した、純粋な戦闘機としては746km/ hまでの速度を出すことができる圧倒的なな性能を持っていたが、空中戦の機会はほとんどなかった。数少ない記録中、VMF-223の活動報告書によると、47飛行戦隊の疾風を相手に「敵機はF4U-4に圧倒された。彼らの頭の上を封鎖して優れた速度を示した。」とされている。[39]

1945年の戦いで本土攻撃と日本の新型機などで高火力にさらされることが多かったF4Uは高い耐弾性と生存率を示した。R-2800エンジンを装備した大型機体のうえ速度が速く気骨が丈夫で、セルフシーリング燃料タンクと防彈設備も充実していたためだ。F4Uは紫電の攻撃に主翼が乱打されて弾薬が爆発、主翼の3割が飛ばされたり、40 mm砲彈によって主翼中央部のセクションがほぼ喪失されたりする状態でも帰還に成功している姿を見せた。VMF-124のエースだったケネス・A・ウォルシュは、「私たちの低い損失率は、F4Uのその速度と丈夫さに起因する。」と述べた。しかし、米国側の統計によると、被弾時の生存率は、より広い主翼とより大きい胴体のF6Fには及ばなかった。[37][38][40]

戦争中、米海軍の期待を受けたF4Uだったが、戦争が終わって、米軍の記録を集計した結果、空中戦の成果の規模とキルレシオの両方F6Fより劣ることが分かった。米海軍は19:1のキルレシオを持ち、最も多くの敵機を撃墜したと集計されたF6Fを太平洋最高の戦闘機で判定した。米海軍と米海兵隊のF4Uは、第二次世界大戦中に2,140機を撃墜しながら189機失い、11.3:1の空中戦キルレシオを記録した。しかし、これらの集計結果は、海兵隊のF4UがF6Fよりも先に、はるか劣勢な作戦環境でより精鋭度が高い日本のパイロットを相手に苦戦した戦場の状況等を考慮していない計算だった。実際に1943年の間にF4Uのaction sortieは戦争の全期間について6%にしかならなかったが、空中戦の被害は、戦争全体の空中戦の損失の50%に達した。これはラバウル航空隊をはじめ、日本軍の優れた技量と初期F4U-1が持っていた様々な問題と海兵パイロットの低い平均練度が作用したものであるが、統計資料では無視されている。さらに、F6Fの高い戰果は先に戦っていた海軍と海兵飛行隊、陸軍の第5、第13空軍が執拗な消耗戦に、日本の航空勢力の電力を著しく消耗させたことに影響を受けた。その中でもF4Uは多くの被害を負いながらも、1943年の空中戦で最も活躍する一方、新型エンジンであるR-2800の運用や戦闘の経験と問題のフィードバックも提供していたので、F6Fがより緩やかな抵抗に対抗しF4Uと同じ初期不良の問題を経験しないで戦うのに助けを与えた。実際に1944年2月にラバウルから戦闘機が撤退した後、パイロットの平均技量は、米国側が優勢になって、6月のマリアナ海戦まで南太平洋の日本の航空勢力は累積された損傷を正しく回復できず、日本側の指揮官は技量と電力の両方を問題視した。このように、F6Fは戦争が米国に有利になった時点での艦載機だったので、艦隊の機動性と戦術のサポートを受けることができ、数と質の両方で圧倒的な優位を持つ状況で戦うことが多かったことに比べてF4UはF6Fの撃墜数が集中されている1944年にも、地上に縛られていたので、F6Fのように集中運用されず、能動的に戦果を上げることができなかった。その結果、F6Fの飛行隊が圧倒的な空中戦の経験をもとに、より強く、効率的に戦うことができるようになる間、F4Uの飛行隊は、地上で主に戦闘爆撃機としての経験を積んで明暗が分かれた。また、弱体化された敵に対して積極的に、そして優位の中に戦うことができたF6Fの状況は、未熟なパイロットもすぐに経験と戦果を得られるようにしてくれたので、「エースメーカー」としての機能を発揮、F6Fの飛行特性もF4Fの延長線だったのでF4Fに積んだ経験を見事に継承してF4Fのベテランは、まさにF6Fのベテランになることが可能だった。このような利点を持つことができなかったF4Uは1945年に空母で作戦を開始した後も、パイロットの平均技量で優れたF6Fより押される作戦の効率を示し、パフォーマンスの利点を生かせなかった。米国のF4Uは戦争期間中64,051のアクションソチを持ったが、その中空母での出撃は9,581に過ぎなかった。[17]

爆弾を装備したF4U-1A

そして、アメリカ側の統計データは自軍のレポートに基づいて、交差検証がされていないことが明らかになり、被害や出撃数など、米国側の数値を除けば、その価値に疑問がある。交差検証結果、第2次世界大戦で広まっていた戰果の課長のほか、識別の誤りも大きいことが分かった。例えば、F4Uの海兵パイロットの場合、343航空隊の紫電を全く識別できず、交戦した紫電のほとんどすべてが零戦、飛燕、鍾馗などで報告された。逆に、日本側のパイロットがF4UをF6F(グラマン)で呼ばれる場合も確認されている。[37][38][40]

一方、地上攻撃にあってはF4Uの活躍が大きかった。F6Fと逆に、地上攻撃で多くの経験を積んだF4Uは超低空で飛行し、正確な爆撃と機銃掃射をすることに評判が高かった。海兵パイロットは硫黄島で陸軍のP-51パイロットに近接航空支援のノウハウを伝授したりした。しかし、低高度で作戦しながら爆弾やロケットを搭載して地上攻撃をするF4Uは敵機の攻撃に脆弱した。F4Uは戦争中14171トンの爆弾を投下してこれは、米国の戦闘機が投下した爆弾全体の70%に相当する量であった。[17]

このように、第二次世界大戦中には、主に戦闘爆撃機として頭角をさらけ出しパフォーマンス上のポテンシャルをほとんど生かせなかったF4Uだったが、機体自体が持つ性能と戦闘力は艦載戦闘機という事実を無色にする優れたものだった。

速度は同時期P-51を除けば、2万から2万5千フィート以下では、他のほとんどの米軍戦闘機よりも早かった。加速度捕獲した零戦と飛燕、陸軍のP-51Bと海軍のF6Fよりも良いと評価されたが舊式プロペラブレードを使用した初期のF4U-1は、高速で効率が落ちて、初期加速で優れているが、最終的にP-51より遅れていることが確認された。[28]

上昇力は低速では普通だったが、高速では優れていた。F4U-1は、1942年捕獲した零戦と比較し、高速の上昇は、より優れており、持続上昇の場合、ほぼ同等か、スーパーチャージャーシフト高度で過熱された場合、少し遅れると評価され、TAICレポートの零戦52型と比較されるF4U-1Dは、持続上昇の場合、1万フィートまで同等、以降はより優れたものと評価された。また、捕獲したヒエンとの比較では、F4U-1Dが高速上昇で、はるかに優勢であり、低速上昇にもすべての高度で優勢と評価された。F6F-5との比較でも優勢で、特に高速上昇ははるかに優れた姿を見せた。[41][29][42][43]

旋回力は概ねF6Fと似ていたが、パイロットの反応を見ると、少し劣る水準だった。捕獲したFw190との比較では、F6Fと一緒に「旋回とループで圧倒的」という評価を受けTAICの捕獲した零戦との比較では、1万フィートで1回転中に制圧されるP-38、P-47、P-51とは異なり、F6Fと同じ3.5回転の間に持ちこたえることができたとされており、零戦の立場では、F6Fと実質的に差がないと評価された。しかし、3万フィートで零戦と旋回が同じレベルになるF6Fとは異なり、F4Uは非常にわずか(only slight)の差で後になるとされており、表現のままの差が付いていることが分かった。しかし、コンバットフラップを使用したF4Uは零戦に150ノートまで追い付けできる唯一の米軍戦闘機として、優れた旋回力を示した。[29][42]

一部の書籍[28]では、計器速度(IAS)をベースにした3Gストール速度に基づいて、F4Uのスポイラーは最大揚力係数を大きく下げたと主張してNACAのレポート[44]を引用し、F4UがF6FはもちろんP-38、P-47 、P-51などの陸上機よりも旋回半径がはるかに広いものと述べている。しかし、NACAのレポートで設置された大型のシャープリーディングエッジは、レポートに書かれた通り揚力の低下が大きい上、位置上折りたたみウィング機能を使用しないようにされている問題点があったし、実際の量産機には、インストールされていなかった。量産機に装備されたスポイラーは小型でシンプルな形状のもので、上記した比較レポートでF4U-1Dが示した旋回力やこれのインストール後のF4U-1DやF4U-4などを対象とした監察レポート[45]と教範[10][46]のPEC(position error correction)を適用したCIAS(corrected IAS)のストール速度を見ると、上記の主張は事実と符合していなかった。また、比較の飛行では、P-51の旋回サークル内に食い込む様子も確認されている。[35]米海軍公式性能文書[47][48]は、初期のF4U-1AとF4U-1Dが同じ揚力係数を持っていることを示している。

ロール性能はP-38、P-47、P-51、F6Fなどの他のアメリカの戦闘機よりも優れて捕獲したFw190との比較では、同等に評価された。しかし、エルロンにブーストタブがインストールされていない初期のF4U-1は、高速ではP-38、P-47、P-51に劣ると評価された。

F4Uは速度と機動性が調和に優れた戦闘機だった。速度で劣る相手では機動性に、機動性で劣る相手には速度で戦うことができた。バランスだけのとれたものではなく強みも確かだった。特にエルロンと昇降舵のブーストタブにより、高速と瞬間機動性が優れていたので、おおきさとは異なり、大変素早い戦闘機であった。このように、機体自体の性能と戦闘力は優れていたため、戦場とは異なり、試験飛行や比較飛行のように、同じ条件で同じパイロットが他の戦闘機と交互に搭乗して比較した場合、F4Uは大変高い評価を受けた。

これは戦後も続いて軍の退役パイロットに結成されたSETP(Socioty of Expermental Test Pilots)は、1989年にシンポジウムを開き、現代の技術を利用してFG-1Dコルセア、P-47D-40サンダーボルト、F6F-5ヘルケト、P-51Dマスタングの4機種を比較して、軽量快適な操縦力、良好なパフォーマンス、十分なストールアラート、緩やかなストールの特性を理由にFG-1Dをドッグファイト最高機体に選んだ。FG-1Dは、内部燃料と弾薬を満載した作戦機体より1,000 lbs軽く92%の重量を持ち、88%で1,200 lbs軽いP-51D、86%で、2,000 lbs軽いF6F-5、80%で3,000 lbs軽いP-47D-40に比べて重量の面で最も不利し、主翼に装着されたスタブパイロンにより空力面でもペナルティを受けたが、テストでは、優れた機動性を披露した。一方向旋回では、不利な条件もありF6Fに押されたが、軽い操縦力と迅速なロール性能により、敏捷性テストの横転を混ぜた180度機首転換は、他の3機種と一線を画すリードを見せ、空対空追跡テストの激しい横転を混ぜた連続旋回においても最も優れた姿を見せた。これはコルセアが持つ高い機動性の特性を示すもので、戦争中コルセアに搭乗していたパイロットの証言を証明するものである。[49]

特に戦争中の様々な比較飛行などで得られたノウハウが反映され、戦争の終わりに登場したF4U-4は、これらの性能を一段と引き上げ死角がない高性能機として大戦最強のレシプロ戦闘機の一つであった。[50]1944年の比較に一緒に参加したF8Fとは2万5千フィート以上での高高度性能を補完しながら、すべてのパフォーマンスをバランスよく向上させたF4U-4と、1段過給機を装備して軽量化と低高度の性能に焦点を当てたF8F-1で全く別の答えを出した。両戦闘機は6,000フィートに基づいて、それ以上では、F4U-4、以下ではF8F-1が優勢だった。戦争中の比較とは異なり、F4U-4は、旋回力にも全く不利しなかった。プロトタイプとは異なり、配置されたF8F-1は、F4U-4とウイングロードが似ており、エアフォイルも同じだったので、パワーロードだけが違いを作った。ストール速度もF4U-4が僅かに低かったためF8F-1の1段過給機の限界にパワーロードが逆転されている6,000フィート以上からはF4U-4が有利だった。[51][12]

F4U-4とF8F-1をはじめ、45年という期間の間、様々な航空機に搭乗していた海軍大佐であり、テストパイロット、エアロエンジニアだったリチャード・ボブズ・リンネキーンはF4U-4について「F4Uは素晴らしいアクロバット飛行機でした。」と評価してF8Fと比較して「F4Uは適切で不快でない操縦力を持つ安定した戦闘機でした。巡航時には快適さと耐久性を感じることができているにも起動応答は速く、比較的やすかったです。それはF8Fほど速くはなかったが、いくつかの領域においては、より良い操縦性を持っていました。私主観的な印象としては、グラマンのいずれかよりもF4Uでより良い操縦性の調和がありました。」とした。[52]

韓国戦争で作戦中のF4U-5N

以後、F4U-5は大型化されたサイドホイールスーパーチャージャーを備え、もう一度高高度性能を向上させる一方、全体的なパフォーマンスを一段階引き上げた。それに比べてF8F-2は、スーパーチャージャーを改良して高高度に対応したが、低高度の性能が低下して重量は大幅に増加し、高高度性能もF4U-5には及ばず、すべての面でF4U-5に劣勢であった。これはF4U-5がサイズに余裕があり、2段スーパーチャージャーを維持しながら、重量の増加に伴う性能低下も少なかったからである。F4U-5は、スーパーチャージャーとカウルフラップコントロールが自動化され、主翼の外側パネルを全金属に置き換え、ラダーにブーストタブの追加、昇降舵のブーストタブにスプリングを設置し、さらに優れた操縦性を持っていた。F4U-5は陸軍のP-51Hと比較しても、弾薬と内部燃料を満載した作戦機体を基準に機動性は優勢、スピードは13,000フィート以下では劣勢、25,000フィートまで二転三転、25,000フィートから優勢、上昇力は25,000フィートまで二転三転、25,000フィート以上から優勢して航続距離と戦闘行動半径は劣勢、火力と耐彈性、ペイロードは優勢である性能を持っており、究極のレシプロ戦闘機の一つであった。[53][54][55]

F4Uは第2次世界大戦当時イギリス海軍にも供与され、本格的な運用は1944年から終戦までと期間的には短かったものの、アメリカ海軍よりも先の1943年の時点で空母イラストリアスで運用を行った。イギリス海軍では左旋回しつつ着艦寸前まで視界を確保しながらのアプローチを行い、アメリカ海軍で問題とされた視界不良を緩和できた。F4U-1はコルセア Mk.I、F4U-1AとF4U-1Dはコルセア Mk.IIと命名され、F3A-1はコルセアIII、FG-1とFG-1Dは、コルセアIVと命名された。IIからIVはは天井の低いイギリス空母格納庫への収容のため、主翼の翼端が切り落とされていた。アメリカで製造されたコルセアはクォンセット・ポイントなどから護衛空母でイギリスへと運ばれた。戦艦ティルピッツを攻撃するタングステン作戦では、爆撃部隊の護衛としてその役割を果たした。大戦末期にはイギリス太平洋艦隊へ編入された空母に同行し、日本近海でも作戦に従事した。

英国の著名なテストパイロットであり、空母着艦のスペシャリストであったエリック・ブラウンの評価はよくなかった。彼は戦争中のイギリスでコルセアIのテストパイロットを務め、前後に書いた本でコルセアに対して悪評をした。彼は自分の本でコルセアIIはFw 190 A-4に、相手がならずF6F-3とFw 190の勝負は、パイロットの実力に決定すると評価した。[56]他のパイロットとは異なり、ブラウンはコルセアの昇降舵が重く操縦性が不調和し機動性が低いと評価、視界も不評だった。しかし、他の本では、コルセアが評価するのは難しい航空機であることを認め、ヴォート・エアクラフト・インダストリーズのチーフテストパイロットの体格が193cmであることを言及し、F4Uのコックピット設計が自分の170cm体格に合わなかったので、視野と操縦で不便を経験したことを吐露した。[57]実際ブラウンは物理的限界のおかげで、他の同僚のテストパイロットに比べて低い性能を抜き出す場合があった。[58]ブラウンは、テストパイロットとしてコルセアと末永く一緒にしたにもかかわらず、何らかの(any)交感も決して(never)持たなかったと付け加えた。

一方、実戦でコルセアIIを運用した英国王立海兵隊唯一のエースだったロニー・ヘイはコルセアIIに対して「コルセアは、その戦争にぴったりの戦闘機でした。それは私達が持っているいくつかの機体よりも確実に優れており、ヘルケトを代わりにしました。」と高く評価して改善されたコクピットについて「まるで部屋で快適椅子に座っているように感じるでしょう。それほどコクピットは巨大でした。あなたはマーク2の半バブルキャノピーを介して、事実上無限の可視性と本当にそこに座った王のような感じを受けるでしょう。」で好感を示した。[59]

アメリカ海軍の空母「ボクサー」から発艦するF4U-4B(1951年)

しかし、英国王立海軍の中でF6Fを初めて受領した804 NASのエースだったスタンレー・ゴードン・オアは「F6Fは間違いなく最高の海軍の戦闘機でした。F4Uの失速と視野の問題は発生しておらず、飛行と着艦が楽な航空機でした。それはパイロットに多大な自信を与え、当時としては重要なことでした。」と回想し、やはりF4UはF6Fに比べ空母運用に難易度があることを示した。[59]

大戦後は戦闘機のジェットエンジン化が進んだが、初期のジェット戦闘機は木造甲板空母での使用に難があったため、戦後もF4Uの生産は続けられた。純粋な戦闘機としての任務はジェット戦闘機に譲り、レシプロ機は戦闘爆撃機として使われる事になったが、F4Uはこの目的にぴったりであり、生産は1950年代まで続いた。この時期、チャンス・ヴォート社は超音速戦闘機であるF8Uの開発に着手しており、その傍らでレシプロ機である本機の生産を継続していた。朝鮮戦争では海兵隊所属機として開戦当初に活躍した。しかし、第二次世界大戦に比べて発展した対空火力によってF4Uも多くの被害を被った。特に主翼のリーディングエッジ付近に存在するオイルラジエーターは正面からの攻撃に対して脆弱で、多くのF4Uが油圧低下によるエンジンの出力損失に不時着した。ほとんどの機体は20mm機関砲を装備したF4U-4BやF4U-5系列機体だったが、12.7mm機関銃を持った第2次大戦の形式のF4U-4も参加して、高い装弾数と信頼性で地上攻撃にあって、より効果的だという評価を受けた。空中戦の性能を生かす機会はほとんどなかったが、たまに遭遇したYak機やLa期については、圧倒的な優勢を見せた。MiG-15を撃墜した事例もあった。1952年9月10日、地上攻撃のために、海辺の上を横切るていたポルモ大佐はウイングマンのダニエル中佐と一緒に4機のMiG-15に攻撃されて1機のMiG-15を撃墜した。しかし、その後さらに4機のMiG-15が攻撃してきて、彼のF4U-4Bは、以降の交戦で撃墜された。様々な活躍によって価値を証明したF4UはF4U-5NLやAU-1のような戦争の中の要件を改善したモデルの追加契約を獲得し、ジェット時代にも生産を継続した。[60][61]

戦後はアメリカの同盟国に供給され、ラテンアメリカ諸国では長らく現役の座にあった。

フランス軍所属のAU-1は、1954年ディエンビエンフーの戦いに参加し、7週間1,442回の出撃をし、7週間、爆弾投下1,567トン、ロケット発射850発、機銃掃射130,000を記録した。以後、フランス海軍はスエズ、アルジェリアなどでもF4U-7を使用した。1969年のサッカー戦争においても使用され、レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦を行った。同年7月17日、ホンジュラスとエルサルバドル国境付近で起きた2度の空中戦において、ホンジュラス空軍のフェルナンド・ソト・エンリケス大尉が操縦するF4U-5が、エルサルバドル空軍のF-51D(米軍用機命名規則変更後でのP-51Dの制式名)1機とFG-1D(グッドイヤー社製F4U-1Dの呼称)2機を撃墜し、レシプロ戦闘機最後の空中戦での勝者となった。ソト大尉は「最後のコルセア・ライダー」として知られる存在である。

当機はエンジンの交換、電子ポッドの装備など、数多くの派生型が存在している。これは当機が大型であった上、馬力にもかなり余裕をもって設計されているためにできたことである。

名称について[編集]

当時のアメリカ海軍軍用機の命名規則は、同一の機体設計であっても、製造会社などの細かな差異のために複数の制式名称を与えていた。チャンス・ヴォート社に割り当てられた製造会社記号はUであるため、開発元のチャンス・ヴォート社が製造した機体であれば、この機体はチャンス・ヴォート社にとって4番目の海軍戦闘機なのでF4Uとなる。一方で、グッドイヤー社(記号G)が製造した機体では、グッドイヤー社はこれまで海軍戦闘機を製造したことは無かったのでFGとなる。また、ブルースター・エアロノーティカル社(記号はAで、これまで2種の海軍戦闘機を製造)製造の機体はF3Aである。さらに、チャンス・ヴォート社が製造したF4Uの攻撃機型は、チャンス・ヴォート社にとって初の海軍攻撃機となったためAUという記号がついた。

一方、同じF4とついているグラマン社のF4F ワイルドキャットとはまったく別の機体である。このため、運用側(特に整備面)ではしばしば混乱を生じていたという。

愛称の「コルセア(Corsair、発音に近く表記するとコゥセァー)」とは大航海時代以降のフランスにおいて、サン・マロを拠点に英仏海峡で活動した私掠船の通称「コルセール」の英語読みである。なおフランスにはコルセールフライ (Corsairfly) という航空会社が存在する。

アメリカ海軍は1966年に配備したA-7にコルセアIIの愛称を与えている。

なお、日本海軍では同機を主に「シコルスキー」と呼称していた。これは、F4Uが作られたときのヴォート社の正式な社名「ヴォート・シコルスキー・エアクラフト(Vought-Sikorsky Aircraft)」に由来する。この社名は、1926年にヴォート社がコネチカット州ストラトフォードへ本社を移転した際に、ユナイテッド・エアクラフトの1部門だったシコルスキー・エアクラフトと合併して以降使用されていたものである。第二次世界大戦後の1954年、同社は併合されていたユナイテッド・エアクラフトから独立し、社名をチャンス・ヴォート・エアクラフトとした。

運用国[編集]

1945年昭和20年)2月16日の関東上空邀撃戦において空母ベニントン搭載の第123海兵戦闘飛行隊所属のロバート・M・シース少尉操縦のF4U-1Dが対空砲火によって茨城県霞ヶ浦海軍飛行場付近に撃墜され、鹵獲された。[62]

また同年3月18日には宮崎県北部の冨高基地を攻撃するために発進した空母エセックス搭載の第83戦闘爆撃飛行隊所属のF4U-1D16機に対し上空哨戒中の第二〇三海軍航空隊戦闘第三一二飛行隊浅井幾造大尉以下4機に邀撃隊の戦闘第三〇三飛行隊岡嶋清熊少佐以下32機、戦闘三一二飛行隊林美博大尉以下25機が加わり空中戦を展開。ワーレン・O・シグマン中尉、ウィリアム・F・ガーナー中尉操縦の2機が未帰還となりガーナ―中尉機は海上に不時着水し、シグマン中尉機は鹿児島県笠ノ原海軍飛行場付近に不時着し鹵獲された。[63]

派生型[編集]

F4U/FG/F3A Corsair[64]

V-166
当機の社内呼称。
XF4U-1
原型機呼称。完成時にはXR-2800試作エンジン(1,800馬力)搭載、後にR-2800-4エンジン(2,000馬力)搭載。2.4kg空対空小型爆弾を主翼下面の五カ所に4発ずつ搭載する爆弾倉を持っていた[65]
F4U-1
F4U-1 特徴的な逆ガル翼が見て取れる
R-2800-8エンジン搭載の初期生産型。1942年6月初飛行、7月配備開始。海軍では使用されず、海兵隊にまわされた。枠の多いキャノピーの形状から、「バードケージ(鳥籠)」と通称される。
F3A-1
ブルースター・エアロノーティカル社で製造されたF4U-1の呼称。生産品質の問題から空中分解事故を発生させたため、機体に掛かる負荷に制限の掛けられた訓練用としてのみ運用された。
FG-1
グッドイヤー社で製造されたF4U-1の呼称。なお、主翼折りたたみ装置は廃止されており、陸上での使用が前提となっている。
F4U-1A
 前方視界向上のための操縦席位置を178mm上昇させ、キャノピーを枠の少ないバブル型に変更。更に尾脚をいくらか高くして機体の三点姿勢角度を減らした。戦争中、米軍の公式文書ではF4U-1Aは存在せず、初期型のようにF4U-1と呼ばれた。生産途中で爆弾架が取り付けられ爆撃任務への使用が可能になった。F4U-1より着艦が容易になり、1943年11月、空母エセックスとバンカー・ヒルに着艦が再開された。
F4U-1B
イギリスに供与された機体の米国内呼称(総称)。
F4U-1C
1D型の搭載機銃を12.7mmから20mm機関砲×4に変更したモデル。
アメリカ海軍のF4U-1D(1945年)
F4U-1D
水噴射装置付きR-2800-8Wエンジンを装備した機体。主脚の改良により着艦が容易になり、空母で使用され始める。
F3A-1D
ブルースター社で製造されたF4U-1Dの呼称。
FG-1D
グッドイヤー社で製造されたF4U-1Dの呼称。
FG-1E
グッドイヤー社で製造されたF4U-1Dにレーダーを搭載した型。
F4U-1P
F4U-1を改修した写真偵察機仕様。
F4U-2[66]
機上迎撃レーダーポッドを装備した夜間戦闘機型。搭載武装が従来型よりも減少。F4U-1Dより実験的に先に空母で運用されており、マリアナ海戦でも夜間迎撃に、ごく少数のF4U-2が参加した。
XF4U-3,-3B[67][68]
ターボ過給機を装備した高高度戦闘機型。既存の機体を改良した3基のプロトタイプが製作され、それぞれXF4U-3(F4U-1 BuNo02157)、XF4U-3A(F4U-117516)、XF4U-3B(F4U-1A BuNo49664)と命名された。23,000ft以下では、F4U-4に比べて利点がないと判断されてキャンセルされた。最大出力 3,000馬力、高度8,382 mで784 km/h、高度12,344 mで731 km/h。
FG-3
グッドイヤー社で製造されたF4U-1Dに2段ターボ過給機付きのR-2800-14Wを搭載した高高度戦闘機型。Bureau Numbers:76450の1機のみ生産。
XF4U-4[69]
F4U-4の原型機。5機生産された中でF4U-1の改造機である最初の2機はF4U-4Xと呼ばれ1944年4月19日に初飛行を行った。
F4U-4[70]
R-2800-18WまたはR-2800-42Wエンジンを装備した第二期生産型。第二次世界大戦中の最終生産型で1947年まで生産された。センターラインのハードポイントが撤去され、装着可能な爆弾の数がF4U-1Dに比べて1つ少なかった。
F4U-4B
英国に供与される予定だったF4U-4、戦争が終わって供与はキャンセルされてF4U-4CがF4U-4Bに再分類された。
F4U-4C
搭載機銃を20mm機関砲×4に変更したF4U-4。前後F4U-4Bに再分類された。
F4U-4E
機上迎撃レーダーポッド(APS-4)を装備した夜間戦闘機仕様F4U-4。
F4U-4N
1946年に完成。機上迎撃レーダーポッド(APS-5、6)を装備した夜間戦闘機仕様F4U-4。テスト飛行のみで量産されなかった。
F4U-4P
F4U-4を改修した写真偵察機型。
FG-4
グッドイヤー社で製造されるF4U-4の予定であったがBureau Numbers:67255~67754の全機がキャンセルされた。
F4U-5[71][72]
R-2800-32Wエンジンを装備した高高度戦闘機型。スーパーチャージャー、カウルフラップ、インタークーラードア、オイルクーラードアの自動制御機能及び、戦闘出力システムの自動化が行われている。F4U-4から除去されたセンターラインのハードポイントが再インストールされて2,000 lbs爆弾運用能力を回復した。223機生産。
夜間戦闘機型のF4U-5N(1949年撮影)
F4U-5N
機上迎撃レーダーポッドを装備した夜間戦闘機仕様F4U-5。214機生産。
F4U-5NL
F4U-5Nの寒冷地対応型。101機生産。
F4U-5P
F4U-5の長距離写真偵察機型。30機生産。
XF4U-6
飛行中のAU-1 (1952年)
F4U-5を原型として改良され、R-2800-83Wエンジンを装備した低空攻撃機型の原型。
AU-1[73][74]
R-2800-83WAエンジンを装備した攻撃機型。基本性能の低下と引き換えに爆弾搭載量が8,200lbs(3,719kg)まで増加している。韓国戦争期間中指摘されたオイルクーラーの弱点を除去し、ハードポイントと防弾プレートが増設された。戦争の後半に活躍し、戦後はフランス軍所属でディエンビエンフーの戦いに参加したりした。ジェット時代にも、新規の生産を獲得して111台生産された。
フランス海軍に供与され現存するF4U-7
F4U-7[68][74]
最終生産型。軍事援助計画によりフランス海軍へ供与。機体のフレームは、AU-1のものだったが、エンジンはF4U-4のR-2800-18Wであった。94機生産。1952年12月に最終機が完成。
コルセア Mk.I
F4U-1のイギリス海軍における呼称。
コルセア Mk.II
F4U-1Aのイギリス海軍における呼称。最後に供与された150基の形式は、F4U-1Dであった。[57]
コルセア Mk.III
F3A-1Dのイギリス海軍における呼称。
コルセア Mk.IV
FG-1Dのイギリス海軍における呼称。
F2G
グッドイヤー社が独自に改良した発展型。3,000馬力エンジン搭載。試作のみ。

諸元[編集]

F4U-1 Corsair.svg
機体名 F4U-1[75] F4U-1A[76]
全長 33ft 4.13in (10.16m)
全幅 40ft 11.73in (12.49m)
全高 14ft 8.5in (4.48m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼折り畳み時
翼面積 314ft² (29.17m²)
空虚重量 8,752lbs (3,970kg) 8,982lbs (4,074kg)
総重量 11,194lbs (5,077kg) 12,039lbs (5,461kg)
燃料 237gal (897ℓ)
エンジン R-2800-8 (2,000Bhp) ×1 R-2800-8W (2,000Bhp 最大:2,135Bhp) ×1
最高速 395mph/22,800ft (636km/h 高度6,949m) 417mph/19,900ft (671km/h 高度6,066m)
上昇力 海面高度 3,160ft/m (16.05m/s)、20,000ft (6,096m)まで8分12秒 海面高度 2,890ft/m (14.68m/s)、20,000ft (6,096m)まで7分42秒
実用上昇限度 38,400ft (11,704m) 37,000ft (11,278m)
航続距離 1,850st.mile (2,977km) ※追加固定燃料(124gal) 2,140st.mile (3,444km) ※追加固定燃料(124gal) + 1×175galタンク搭載時
武装 AN/M2 12.7mm機関銃 ×6
爆装 爆弾2,000lbs(907kg)
機体名 F4U-1A 後期型[31] F4U-1D[77]
全長 33ft 4.13in (10.16m)
全幅 40ft 11.73in (12.49m)
全高 14ft 8.5in (4.48m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼折り畳み時
翼面積 314ft² (29.17m²)
空虚重量 8,982lbs (4,074kg) 8,823lbs (4,002kg)
総重量 12,162lbs (5,517kg) 12,086lbs (5,482kg)
燃料 237gal (897ℓ)
エンジン R-2800-8W (2,000Bhp 最大:2,250Bhp) ×1 R-2800-8W (2,000Bhp 最大:2,250Bhp) ×1
最高速 431mph/20,300ft (693km/h 高度6,187m) 417mph/20,000ft (671km/h 高度6,096m)[78]
上昇力 海面高度 3,210ft/m (16.31m/s)、20,000ft (6,096m)まで7分12秒 海面高度 3,370ft/m (17.12m/s)、20,000ft (6,096m)まで7分6秒
実用上昇限度 41,000ft (12,450m) 40,000ft (12,192m)
航続距離 2,140st.mile (3,444km) ※追加固定燃料(124gal) + 1×175galタンク搭載時 1,500st.mile (2,414km) ※1×150galタンク搭載時
1,895st.mile (3,050km) ※2×150galタンク搭載時
武装 AN/M2 12.7mm機関銃 ×6
爆装 爆弾2,000lbs(907kg) HVAR or A.R.×8 or 爆弾4,000lbs(1,814kg)
機体名 F4U-4[79] F4U-5[80]
全長 33ft 8in (10.26m) 34ft 6in (10.52m)
全幅 41ft (12.5m)
全高 14ft 9.13in (4.5m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼折り畳み時
翼面積 314ft² (29.17m²)
空虚重量 9,167lbs (4,158kg) 9,691lbs (4,396kg)
総重量 12,480lbs (5,661kg) 12,901lbs (5,852kg)
燃料 234gal (886ℓ)
エンジン R-2800-18W (2,100Bhp 最大:2,800Bhp)[81] ×1 R-2800-32W(E) (2,450Bhp 最大:2,850Bhp)[82] ×1
最高速 403kn/20,600ft (746km/h 高度6,279m)[83] 408kn/27,000ft (756km/h 高度8,230m)
上昇力 海面高度 4,770ft/m (24.23m/s)、20,000ft (6,096m)まで4分54秒 海面高度 4,840ft/m (24.59m/s)、20,000ft (6,096m)まで4分42秒
実用上昇限度 38,500~42,000ft (11,735~12,802m) 43,500ft (13,259m)
航続距離 1,005n.mile (1,861km) ※1×150galタンク搭載時
1,300n.mile (2,408km) ※2×150galタンク搭載時
1,228n.mile (2,274km) ※1×150galタンク搭載時
武装 AN/M2 12.7mm機関銃 ×6またはAN/M3 20mm機関砲 ×4 AN/M3 20mm機関砲 ×4
爆装 HVAR or A.R.×8 + 1,600lbs(726kg)爆弾×2 + 増槽 HVAR or A.R.×8 + 爆弾5,000lbs(2,268kg) + 増槽
機体名 F2G-2[84] FG-3[85]
全長 33ft 10in (10.31m) 33ft 7.22in (10.24m)
全幅 40ft 11.75in (12.49m)
全高 14ft 11.56in (4.56m) → 16ft 3.88in (4.98m) ※主翼折り畳み時 14ft 9.75in (4.51m) → 16ft 4.13in (4.98m) ※主翼折り畳み時
翼面積 314ft² (29.17m²)
空虚重量 10,249lbs (4,649kg) 9,545lbs (4,330kg)
総重量 13,346lbs (6,054kg) 12,800lbs (5,806kg)
燃料 309gal (1,170ℓ) 237gal (897ℓ)
エンジン R-4360-4 (3,000Bhp) ×1 R-2800-14W (2,100Bhp 最大:2,600Bhp) ×1
最高速 440mph/17,000ft (708km/h 高度5,182m)[86] 469mph/33,600ft (755km/h 高度10,241m)[87]
上昇力 海面高度 4,400ft/m (22.35m/s)、20,000ft (6,096m)まで5分42秒 海面高度 4,210ft/m (21.39m/s)、20,000ft (6,096m)まで5分
実用上昇限度 38,800ft (11,826m) 45,700ft (13,929m)
航続距離 1,610st.mile (2,591km) ※1×150galタンク搭載時
1,955st.mile (3,146km) ※2×150galタンク搭載時
1,575st.mile (2,535km) ※1×150galタンク搭載時
1,960st.mile (3,154km) ※2×150galタンク搭載時
武装 AN/M2 12.7mm機関銃 ×4 AN/M2 12.7mm機関銃 ×6またはAN/M3 20mm機関砲 ×4
爆装 HVAR or A.R.×8 + 1,600lbs(726kg)爆弾×2 + 増槽

現存する機体[編集]

製造された数が三社合計して12,571機と多く、また7ヶ国8軍において使用されたため、今なお非常に多くの機体が現存しており、飛行可能な機体も多々ある。[88] 下の表は国別にニュージーランドアルゼンチンカナダブラジルホンジュラスの順に分類してある。

型名 機体写真 国名 保存施設/管理者 公開状況 状態 備考
F4U-1A
PLANES OF FAME AIRSHOW 2015 でのテイクオフの瞬間。2015年5月撮影
アメリカ Planes of Fame Air Museum 公開 飛行可能 Serial Number 17799。現存する飛行可能なコルセアの中で最も初期の機体。1943年にヴォート・シコルスキーで製造され、第84戦闘航空隊(VF84)に配備。1944年1月から第14戦闘爆撃航空隊(VBF14)、1945年2月から第98戦闘爆撃航空隊(VBF98)、1945年4月から6月の間 Carrier Air Support Unit (CASU-33)に所属。1945年8月31日に退役。

1970年に Planes of Fame Air Museum が取得し1976年に飛行可能となった。エンジンは、オリジナルの二段二速式過給機付きのP&W R2800-8から一段式過給機のP&W R2800 に換装されている。[89]

FG-1D
2015年9月撮影
アメリカ Museum of Flight 公開 静態展示 1945年4月にグッドイヤー社で製造され、空母イントレピッド に配備された。戦後は予備役に移され、1950年にワシントン州シアトル市のSand Pointの海軍航空基地に配備された。同年7月 Ralph Milleson 中佐が本機で飛行中に他のコルセアと接触しワシントン湖に不時着水。

1983年に本機はワシントン湖から回収された。本機のレストアにあたり、1989年4月13日に殉職した故 Jerome Reese Schucart 大尉とすべての軍人の搭乗員に捧げられることとなった。なお本機は、所有者である National Museum of Naval Aviation から貸与を受けている。[90]

FG-1D
PLANES OF FAME AIRSHOW 2015でのデモフライト。2015年5月撮影
アメリカ Antique Aero社、CC Air Corp社 飛行可能 Antique Aero社の Chuck Wentworth氏、CC Air Corp社により飛行可能な状態に維持されている。連邦航空局登録ナンバー N11Y。現役時のserial numberは 67087。
機体名 機体番号 機体写真 状態 国名 所有者・管理施設
F4U-1 02449 修復中 アメリカ WAHL CHARLES[91]
F4U-1 02465 修復中 アメリカ National Naval Aviation Museum[92]
F4U-1A 17799
2015年5月撮影
飛行可能 アメリカ PLANES OF FAME[93]
F4U-1D 50375
2007年7月撮影
静態展示 アメリカ Steven F. Udvar-Hazy Center[94]
FG-1A 13459 静態展示 アメリカ National Museum of the Marine Corps[95][96]
FG-1D 67070 飛行可能 アメリカ Lewis Air Legends[97]
FG-1D 67087
2015年5月撮影
飛行可能 アメリカ Aero Classics LLC[98]
FG-1D 67089
2006年5月撮影
飛行可能 アメリカ American Airpower Museum[99]
FG-1D 88090
2015年7月撮影
飛行可能 アメリカ Barry Avent[100]
FG-1D 92095 飛行可能 アメリカ PROAIR HOLDING CO LLC[101]
FG-1D 92399 飛行可能 アメリカ Cavanaugh Flight Museum[102]
FG-1D 92433 飛行可能 アメリカ William Scott Glover[103]
FG-1D 92436
2015年9月撮影
飛行可能 アメリカ Olympic Flight Museum[104]
FG-1D 92468 飛行可能 アメリカ Commemorative Air Force[105]
FG-1D 92489 飛行可能 アメリカ Texas Flying Legends Museum[106]
FG-1D 92508 飛行可能 アメリカ Military Aviation Museum[107]
FG-1D 92629
2006年9月撮影
飛行可能 アメリカ Palm Springs Air Museum[108]
FG-1D 88303 静態展示 アメリカ Flying Heritage & Combat Armor Museum[109]
FG-1D 76628 修復中 アメリカ Doyle Duane Trustee[110]
FG-1D 88086 修復中 アメリカ Fantasy of Flight[111]
FG-1D 92050
2008年2月撮影
修復中 アメリカ Warbird Heritage Foundation Museum & Hangar[112]
FG-1D 92132 修復中 アメリカ Tri-State Warbird Museum[113]
FG-1D 92304 修復中 アメリカ DB Aero Inc[114]
FG-1D 92460 修復中 アメリカ Connecticut Air and Space Center[115]
FG-1D 92463 修復中 アメリカ Brian O'Farrell Aviation Inc[116]
FG-1D 92490 修復中 アメリカ Brian O'Farrell Aviation Inc[117]
FG-1D 92618 修復中 アメリカ Brian O'Farrell Aviation Inc[118]
FG-1D 92642 修復中 アメリカ Doyle Duane Trustee[119]
FG-1D 92643 修復中 アメリカ Brian O'Farrell Aviation Inc[120]
F3A-1 04634 修復中 アメリカ Pissed Away N4634 LLC[121]
XF4U-4 80759 静態展示 アメリカ New England Air Museum[122]
F4U-4 81698 飛行可能 アメリカ War Eagles Air Museum[123]
F4U-4 97264 飛行可能 アメリカ Comanche Warbirds Inc[124]
F4U-4 97286 飛行可能 アメリカ Fantasy of Flight[125]
F4U-4 97359
2012年8月撮影
飛行可能 アメリカ Latshaw Drilling and Exploration Co[126]
F4U-4 97388
2005年撮影
飛行可能 アメリカ Fargo Air Museum[127][128][129]
F4U-4 不明
2006年11月撮影
静態展示 アメリカ National World War II Museum[130]
F4U-4 97142 静態展示 アメリカ Pima Air & Space Museum[131]
F4U-4 97259 静態展示 アメリカ EAA AirVenture Museum[132]
F4U-4 97349
2008年4月撮影
静態展示 アメリカ National Naval Aviation Museum[133]
F4U-4 97369
2007年8月撮影
静態展示 アメリカ National Museum of the Marine Corps[134]
F4U-4 81164 修復中 アメリカ Westpac Restorations[135]
F4U-4 81857 修復中 アメリカ Robert and Donna Odegaard Family Ltd[136]
F4U-4 96885 修復中 アメリカ Lori Pierucci Crown Lori D[137]
F4U-4 97143
2014年4月撮影
修復中 アメリカ Tobul James R[138]
F4U-4 97280 修復中 アメリカ Corsair Enterprises Inc[139]
F4U-4 97302 修復中 アメリカ Corsair Enterprises Inc[140]
F4U-4 97390 修復中 アメリカ Yanks Air Museum[141]
F4U-5 124560 飛行可能 アメリカ Zeus Flight II LLC[142]
F4U-5 122179 修復中 アメリカ Fighters & Legends LCC[143]
F4U-5N 121881 飛行可能 アメリカ Lone Star Flight Museum[144]
F4U-5N 124486 飛行可能 アメリカ Air Combat Museum[145]
F4U-5N 122189
2008年7月撮影
静態展示 アメリカ Flying Leatherneck Aviation Museum[146]
F4U-5N 124447 静態展示 アメリカ Mid-America Air Museum[147][148][149]
F4U-5NL 124692
2006年7月撮影
飛行可能 アメリカ Collings Foundation[150]
F4U-5NL 122184 飛行可能 アメリカ Stonehenge Air Museum[151]
F4U-7 133714 飛行可能 アメリカ BA 1945 LCC[152]
F4U-7 133722 飛行可能 アメリカ Erickson Aircraft Collection[153]
F4U-7 133704 静態展示 アメリカ San Diego Air & Space Museum[154]
FG-1 88297 飛行可能 イギリス The Fighter Collection[155]
FG-1 14862 静態展示 イギリス Fleet Air Arm Museum[156]
F4U-5 124541
2011年7月撮影

2006年6月撮影 かつての塗装の様子
飛行可能 フランス Les Ailes de l'Aero[157]
F4U-5 124724 飛行可能 フランス Salis Flying Museum[158]
F4U-1 10508 修復中 ニュージーランド Ross Jowitt[159]
F4U-1 50000 修復中 ニュージーランド Ross Jowitt[160]
FG-1D 88391
1995年7月撮影 FG-1D 92844号機の塗装がされている
飛行可能 ニュージーランド Old Stick and Rudder Company[161]
F4U-5N 124715 静態展示 ホンジュラス Museo del Aire[162]
FG-1D 92106 飛行可能 カナダ Vintage Wings of Canada[163]
F4U-1A 17995 静態展示 ブラジル TAM Museum[164]
F4U-4 96995
2013年9月撮影
飛行可能 オーストリア Flying Bulls[165]
F4U-5N 124493 飛行可能 オーストラリア Graham Hosking[166]
F4U-1 02270 修復中 オーストラリア Classic Jet Fighter Museum[167]
F4U-1D 82640 修復中 オーストラリア Warbird Adventures[168]
F4U-5 121928 静態展示 アルゼンチン Museo de Aviacion Naval[169]


脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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