P-39 (航空機)

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ベル P-39 エアラコブラ

USAAF P-39F

USAAF P-39F

ベル P-39 エアラコブラ(Bell P-39 Airacobra)は、第二次世界大戦初期に活躍したアメリカ陸軍の単発レシプロ戦闘機。同国の航空機メーカーであるベル・エアクラフト社によって開発された。

概要[編集]

形態は珍しく、胴体中央(操縦席の後)に液冷式のエンジンを置き、プロペラ軸を通った大口径機関砲を機首に装備した。これは主に機関砲の安定性を保つための仕組みであったが、エンジンを中央に置くことで運動性も向上すると見込まれた。また、前輪式降着装置(米国の戦闘機では初めて)を備えたため離着陸時の視界も従来の戦闘機と比べて良好だった。

実用型では排気タービンを外され一段一速過給器のV-1710エンジンのため高高度性能が貧弱で、英国に輸出された機体(P-400)は期待はずれの性能(カタログスペックに満たず、ホーカー ハリケーンより劣ると評価された)により、僅かに使用されただけで運用中止、1941年12月からソ連へのレンドリースに回されてしまった。

一方、太平洋戦線では米陸軍やオーストラリア軍に配備されたP-39及びP-40が日本海軍零戦と戦い、やはり中高度域での性能、特に加速性が零戦には及ばなかった事から、不利な戦闘を強いられた。

しかしソ連に4773機が送られ、1942年5月から空軍及び防空軍に配備されたP-39は、大変な好評をもって迎えられた。対地支援任務を主とするソ連空軍では戦闘機でも低空域での空戦がメインであり、高度による性能低下に苦しむことなくその本領を発揮できたのである。以前は他の戦線での低い評価により、37mm機関砲による対地攻撃任務に活躍したと思われていたが、ソ連崩壊以降伝わってくる記録や当時のパイロットの話によると、ドイツ戦闘機との空戦において十分対抗できたとされており、事実、多くの有名エース・パイロットが搭乗している。ソ連軍では機動性を優先し、翼内機銃やガンポッドを撤去して機首武装のみで運用された。また東部戦線で運用されるアリソン・エンジンの寿命は短く、頻繁に交換する必要があったとのことである。

同時期にアメリカ海軍も同等のXFL「エアラボニータ」を艦上戦闘機として試作要求したが、こちらは本採用は見送られた。

後継機として、同じレイアウトで高度による性能低下問題を解決した発展型、P-63「キングコブラ」が採用されたが、P47、P51といった優秀な新型機の配備が進むアメリカ陸軍ではほとんど使用されず、やはりソ連に渡り活躍した。

初飛行は 1939年4月で、戦闘配備は 1941年初期。

日本軍のパイロットからは、その形状より「カツオブシ」と呼ばれた。

スペック[編集]

P-39Q(2005年)
  • 全長: 9.2 m
  • 翼幅: 10.4 m
  • 全高: 3.8 m
  • 翼面積: 19.8 m²
  • 自重量: 2,420 kg
  • 全備重量: 3,350 kg
  • 発動機: アリソン V-1710 レシプロエンジン 1基 1,200 hp (895 kW)
  • 最大速度: 605 km/h
  • 戦闘距離: 1,770 km
  • 最高高度: 10,700 m
  • 上昇速度: 1,140 m/min
  • 武装: 37 mm T9 機関砲(プロペラ軸内装備)×1, 0.50 in (12.7 mm) 機関銃×4 または 0.50in 機関銃×2, 0.30 in (7.62 mm) 機関銃×4
  • 爆弾: 225 kg

関連項目[編集]

外部リンク[編集]