A-26 (航空機)

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A-26 インベーダー

駐機中のA-26B

駐機中のA-26B

A-26B-26 後述)は、1942年に初飛行したダグラス社の双発攻撃機/軽爆撃機。愛称はインベーダー(Invader、「侵略者」の意)。

設計[編集]

アメリカ陸軍航空隊では、伝統的に攻撃機副操縦士操縦するが、本機は操縦士が1人という、伝統に反した設計である。これは、イギリス空軍において同種の中型爆撃機が単操縦士式であり、疲労が大きい長距離行や主操縦士が死傷するような事態に陥った場合にしか活躍しない副操縦士は不要という戦訓を容れたためとされる(ちなみに、B-25 ミッチェル爆撃機の後期型においても副操縦士は省略されている。その代わり、その位置には爆撃手を兼ねる航法士が座る)。当初、2つの異なる型が製造され、C型はガラス張りの機首で中高度精密爆撃のためにノルデン爆撃照準器を積んでいたのに対し、B型は機首に12.7mm機銃を6または8丁搭載する。また、いくつかの機は翼下にも武装を施し、14丁もの前方固定の12.7mm機銃を装備した。

運用[編集]

第二次世界大戦中に初飛行したため、大戦後半の連合軍優勢の中、戦術爆撃に投入された。また、日本本土空襲にも投入され、沖縄から南九州爆撃に出撃した[2]

1948年に、軍の機種区分の変更から、B-26へ改名された[3]1967年にA-26へ復名した[4][5]アメリカ海軍でも標的曳航機など汎用目的に少数の飛行隊を運用した。1962年まで海軍はJD-1JD-1Dと呼称し、JD-1をUB-26J、JD-1DをDB-26Jに呼称を変えた。

第二次世界大戦だけでなく、第一次インドシナ戦争朝鮮戦争ベトナム戦争でも使用された。1960年代には、インターマウンテン・エアラインに所属するA-26がアメリカの後押しを受けてキューバ亡命者で編成された部隊ピッグス湾上陸で使用された。1964年にはコンゴ動乱の際に中国ソビエトの支援を受けたシンバ(ルムンバ派)との戦闘で、CIA傭兵が空輸にA-26を使用した。

少数の改良機は1969年まで戦闘任務で使用された。最後のA-26は州兵局1972年に退役し、国立航空宇宙博物館に贈与された。

仕様[編集]

A-26B-50

出典: 「アメリカ陸軍機の全貌」酣燈社刊1964年・125頁

諸元

  • 乗員: 3名
  • 全長: 15.24m (50ft)
  • 全高: 5.64m (18ft 3in)
  • 翼幅: 21.34m(70ft)
  • 翼面積: 50.62m2 (540ft2
  • 空虚重量: 10,365kg (22,850lb)
  • 運用時重量: 12,519kg (27,600lb)
  • 最大離陸重量: 15,900kg (35,000lb)

性能

  • 最大速度: 575km/h=M0.47 (308kt) 355mph
  • 巡航速度: 457km/h=M0.29
  • 航続距離: 2,300km (1,200海里) 1,400mi
  • 実用上昇限度: 6,700m (22,000ft
  • 上昇率: 6.4m/s (1,250ft/s)
  • 翼面荷重: 250kg/m2 (51lb/ft2

武装

  • 機首固定 12.7mm機銃 8丁
  • 翼内固定 12.7mm機銃 6丁
  • 背面銃座 12.7mm機銃 2丁(遠隔操作
  • 下部銃座 12.7mm機銃 2丁(遠隔操作)
  • 爆弾槽 1,800-2,700kg(4,000-6,000lb
  • 翼下 900kg (2,000lb)
お知らせ。 使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

使用国[編集]

アメリカ空軍所属のA-26

登場作品[編集]

映画[編集]

オールウェイズ
主人公の愛機として使用されている。
大列車作戦
フランス国内の鉄道網を破壊する連合軍爆撃機役として、フランス空軍の所属機が複数主演。低空で現れ、操車場爆撃シーンなどでは実際に爆撃を行っている。

ゲーム[編集]

War Thunder
A-26C-45が、イベント報酬として配布された。また、PS4アカウント限定の課金機体として販売されている。

脚注[編集]

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  1. ^ Knaack, MS (1988). Post-World War II bombers, 1945-1973. Office of Air Force History. ISBN 0-16-002260-6. 
  2. ^ 「A26初登場 延岡攻撃に参加」 昭和20年7月21日付『朝日新聞
  3. ^ 空軍での「A」カテゴリの廃止による。別にB-26 マローダーが存在したが、1948年時点では全て退役していた
  4. ^ アメリカとタイとの軍事協定において、タイ国内に爆撃機を配備しないと取り決められたため。なお、1962年に陸海空三軍の航空機の制式名称統一にともない「A」カテゴリは復活していた
  5. ^ 渡辺洋二『大空のエピソード』朝日ソノラマ、1990年、213-245頁