南九州

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南九州(みなみきゅうしゅう)は、九州のうち南部に位置する地域の呼称である。2007年に誕生した南九州市とまぎらわしいため南部九州・九州南部と言う場合もある。

南九州の地域区分[編集]

九州を南北に分割する区分はしばしば用いられ、二分する場合は北九州(北部九州、九州北部)南九州南部九州、九州南部)、三分する場合はこれに中九州(中部九州、九州中部)が加わる。

最も一般的な範囲は宮崎県鹿児島県を合わせた地域[1][2] とされるが、地域区分の境界は明確ではない。したがって南九州という言葉の用法も行政組織や民間企業などの業務エリアによってさまざまである。

その他の範囲[編集]

  • 地方制度調査会による「道州制のあり方に関する答申」の13道州案[3]国土交通省による日本の14地域区分[4]では、上記2県に熊本県を含めた3県を南九州としている。また、観光雑誌などにおいては熊本県を含め「南九州3県」または単に「南九州」と呼ばれることがある。
  • 行政組織や民間企業において、熊本県を含めた3県、或いは熊本県・大分県を含めた4県を管轄区域としているものもある(後述)。また、沖縄県の全域を含めて同一管轄区域としている場合も稀にある。
  • 地質学などにおいては、臼杵 - 八代構造線(中央構造線)より南側の領域を指す。この場合、上記2県のほか熊本県の人吉市水俣市などの球磨・葦北地域、大分県佐伯市豊後大野市を含める。
  • 考古学などにおいては九州の南北で文化的な違いがみられる場合にその南側の領域を指す場合に用いられる。

南九州を含む名称一覧[編集]

行政
公共機関
組織
  • 南九州信用金庫協会 (所在地:熊本市中央区。管轄エリア:熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県)
  • 南九州税理士会(所在地:熊本市中央区。管轄エリア:熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県)
企業
支店・支社
その他

九州の南側を管轄する組織一覧[編集]

  • 鹿児島地方気象台福岡管区気象台から管轄業務の一部を委ねられている。所在地:鹿児島市、委託範囲:宮崎県、鹿児島県)
  • 九州財務局(所在地:熊本市西区。管轄エリア:熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県)
  • 熊本国税局(所在地:熊本市西区。管轄エリア:熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県)
  • 第十管区海上保安本部(本部:鹿児島市。管轄エリア:宮崎県、鹿児島県および有明海上を除く熊本県)
  • 福岡高等裁判所宮崎支部(所在地:宮崎市、管轄エリア:大分県佐伯市、宮崎県、鹿児島県)
  • 九州防衛局熊本防衛支局(所在地:熊本市東区、管轄エリア:熊本県、宮崎県、鹿児島県)
    • 宮崎防衛事務所
    • 鹿児島防衛事務所
  • 陸上自衛隊西部方面隊第8師団(所在地:熊本市北区、管轄エリア:熊本県、宮崎県、鹿児島県および大分県の一部)

地理[編集]

北部九州との陸路の交通路として大切なのは、九州山地越えをして到る南九州側最初の平地であり、延岡高千穂水俣などである。これらの玄関口の内、高千穂は軍事的意味合いは強かったが、南九州の主要な平地である国分平野から遠いため、最も重要な玄関口は「人吉」であった。西都原には古墳群があり、のちに国府も置かれている。古墳時代の「表日本」は、対馬海流域の日本海側なので、日本という国の玄関であった出雲地域に古墳群があるが、その他、平野や盆地の玄関口の地域に多く分布する。

文化[編集]

鹿児島県と宮崎県南部は室町時代から明治維新まで島津氏の勢力下にあり、九州内の他の地域とは異なった文化を有している。南西諸島との交流を示す文化も伝わり、食文化、地名など、他の地方とは異なる、琉球諸島と共通の文化も持っている。

南九州において昭和30年代頃まで存在していた古い民家は母屋と別棟が隣接した構造を呈しており、これは南西諸島にみられる母屋と別棟が離れた構造と、北部九州にみられるカギ型構造との中間であるとされる[5]。また、田植祭における足耕と呼ばれる風習や、江戸時代中期に薩摩藩で始まった棒踊りもその起源を南西諸島に求めることができる[6]

ニニギノミコト神武王(→神武東征)といった日本神話や、邪馬台国に登場する熊襲隼人などの勇猛な一族の説話に登場する市町村が多く、アジア大陸文化の窓口となった北部九州とは一線を画している。山間部には、平家落人伝説が残る山村隠田百姓村)が多い[7]

産業[編集]

熊本県を含めたいわゆる「南九州3県」の合計面積が日本の6.5パーセントを占めているのに対し、工業製品出荷額は1.9パーセントを占めるに過ぎない。その一方で農業農産物出荷額は11.5パーセントを占めており、日本における重要な食糧供給地の一つとなっている。特に畜産柑橘類タバコイグサの産地を多く抱える。[8]

畜産については、特に肉用牛の飼育が北海道に続いて鹿児島県が2位、宮崎県が3位、熊本県が4位となっており、またブロイラーの飼育も鹿児島県が1位、宮崎県が2位となっている[9][10]

クルマエビの養殖が盛んであり、沖縄県、鹿児島県、熊本県で日本の生産量の大半を占める[11]

歴史[編集]

ここでは南九州の歴史について述べる。南九州の歴史については、おおむね鹿児島県と宮崎県を合わせた地域について述べられることが多いが、水俣市や人吉市などの熊本県南部を含めて述べられることもある。九州全域の歴史については九州の歴史、鹿児島県の歴史については鹿児島の歴史、宮崎県の歴史については宮崎県の歴史、熊本県南部の歴史については熊本県の歴史を参照すること。

南九州には上野原遺跡をはじめとして掃除山遺跡奥ノ仁田遺跡など、多様な生活遺構を含む縄文時代の遺跡が分布しており、日本列島における縄文文化の先駆けになったと考えられている。しかしながらこの高度な縄文文化は約7300年前に鬼界カルデラで起きた大噴火によって消失してしまった[12]

古墳時代の南九州は、5世紀6世紀頃にはヤマト王権と活発な交流を持ち、宮崎県では生目古墳群西都原古墳群などが出現し、鹿児島県でも大隅地方に唐仁古墳群塚崎古墳群などの大古墳群が多く造営されたが[13]律令体制が導入される7世紀後半頃から、住民は大隅隼人、阿多隼人、薩摩隼人などと呼ばれるようになった。南九州の行政区分として7世紀にまず日向国が設立され、8世紀に日向国から薩摩国大隅国がそれぞれ分離設立された。しかしながら南九州はシラスなど火山灰質の土地が多く畑作が優勢であったため、稲作を制度の基礎としたヤマト王権と対立し、ついには720年(養老4年)、隼人の反乱と呼ばれる地域紛争に発展した[14]

室町時代においては島津氏が薩摩国、大隅国、日向国の守護を務め南九州を支配下とし、戦国時代には九州全域に影響力を及ぼすまでになったが、1587年(天正15年)、羽柴秀吉九州征伐によって領地を薩摩国、大隅国、および日向国の一部に制限された。1876年(明治9年)8月21日には薩摩国、大隅国、日向国を合わせた領域が「鹿児島県」とされたが、後に分県運動が起き、1883年(明治16年)5月9日に宮崎県が分割された[15]

地形・地質[編集]

地質学地形学)においては九州を北部九州中部九州南部九州に三分する分類が用いられる。南部九州(南九州)は臼杵-八代構造線(中央構造線)より南側の領域を指し、西南日本弧外帯に属する。

南九州はフォッサマグナの西側から続く西南日本弧の地形と台湾付近から続く南西諸島の地形が交錯する部分にあたり、これに加えて多くの火山性地形を持つ複雑な様相を呈している。基盤となる地層は古生代から鮮新世にかけて形成された地層群であり、秩父帯四万十層群および宮崎層群に分けられる。

南九州北部を構成する九州山地は北東-南西方向に延びる帯状の地質構造を持ち、北東に隣接する四国山地の延長をなしている。この帯構造は南九州中央部付近で屈曲し南北方向へと向きを変え南西諸島へと延長される。屈曲構造は複雑であり出水山地付近の「北薩屈曲」、人吉盆地北東部の「人吉屈曲」、宮崎平野西部の「野尻屈曲」などが複合している。かつてはおおむね一直線上に並んでいた山脈が日本海沖縄トラフの拡大によって折り曲げられ、屈曲点を境にして南部が東へ向かってずれるように移動しているためにこのような構造となっている。

南九州の西部には多くの火山が分布しており、活動時期は西から東へ進むにつれて新しくなる傾向がある。これら火山群の東端にあたる鹿児島湾を中心として「鹿児島地溝」と呼ばれる地溝が南北に延び、これに沿って「南九州火山群」と呼ばれる火山列が連なっている。この火山列には霧島山や桜島などの活火山や大規模噴火を特徴とするカルデラが並んでおり、溶結凝灰岩シラスなど火山噴出物を起源とする厚い地層がカルデラから数十キロメートル離れた地域にまで広がっている。火山列は南方海上にまで延びており南西諸島のトカラ列島へと続いている[16][17][18][19]

南九州の地形区分[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 谷岡武雄、山口恵一郎監修『コンサイス日本地名事典 第4版』三省堂、1998年、ISBN 4-385-15327-2
  2. ^ 下中邦彦編『大百科事典 4』平凡社、1984年
  3. ^ 「道州制のあり方に関する答申」の参考資料 (PDF)
  4. ^ 用語集”. 国土交通省. 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ 小野重朗『九州の民家 有形文化の系譜(上)』慶文社、1982年
  6. ^ 下野敏見『南九州の伝統文化 1 祭礼と芸能、歴史』南方新社、2005年、ISBN 4-86124-018-2
  7. ^ 山田安彦、山崎謹哉編『歴史のふるい都市群・12 ―南九州地方の都市―』大明堂、1997年、ISBN 4-470-51032-7
  8. ^ 立正大学地理学教室編『日本の地誌』古今書院、2007年、ISBN 978-4-7722-6102-9、統計値は2003年における数値
  9. ^ 農林水産省統計部編『2005年農林業センサス 第2巻 農林業経営体調査報告書 総括編』2007年
  10. ^ 『日本の地理』ナツメ社、2003年、ISBN 4-8163-3063-1
  11. ^ 生活情報センター編集部編『さかなの漁獲・養殖・加工・輸出入・流通・消費データ集2005』生活情報センター、2005年
  12. ^ 新東晃一「鹿児島の初期縄文文化と上野原遺跡」志學館大学生涯学習センター編『隼人学』南方新社、2004年、ISBN 4-86124-021-2
  13. ^ 橋本達也「古墳研究と熊襲・隼人」 (PDF) 『黎明館企画特別展「古代ロマン北南~三内丸山VS上野原~」関連行事資料集』鹿児島県歴史資料センター黎明館、2009年9月、NCID BB00815865
  14. ^ 中村明蔵「古代隼人の生活と文化」志學館大学生涯学習センター編『隼人学』南方新社、2004年、ISBN 4-86124-021-2
  15. ^ 本村秀雄『南九州史概要』南九州文化研究所、1984年
  16. ^ 町田洋他編『日本の地形 7 九州・南西諸島』東京大学出版会、2001年、ISBN 4-13-064717-2
  17. ^ 日本の地質編集委員会編『日本の地質 9 九州地方』共立出版、1993年、ISBN 4-320-04668-4
  18. ^ 松本達郎ほか『日本地方地質誌 九州地方』朝倉書店、1973年。
  19. ^ 国立天文台編『理科年表 2005年』丸善、2004年、ISBN 4-621-07487-3

関連項目[編集]