塚崎古墳群

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塚崎古墳群の位置(鹿児島県内)
塚崎古墳群
塚崎古墳群
塚崎古墳群の位置

塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)は、鹿児島県肝属郡肝付町野崎にある古墳群。大部分が国の史跡に指定されている。

日本最南端の前方後円墳を含む古墳群として知られる。

概要[編集]

塚崎古墳群の位置(日本内)
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前方後円墳の北限・南限
1:角塚古墳(太平洋側北限)
2:坊主窪1号墳(日本海側内陸部北限)
3:菖蒲塚古墳(日本海側沿岸部北限)
4:塚崎51号墳(南限)

鹿児島県東部、肝付町市街地から東方約4キロメートルの舌状台地(野崎塚崎台地)上に営造された古墳群である。古墳59基(前方後円墳5基・円墳54基<現存39基>)・地下式横穴墓29基から構成される。古墳59基についてはこれまでの番号設定において混乱が生じていたが、近年の番号整理によって確定されている。

古墳の多くは未調査のため内容が詳らかでないが、前方後円墳5基のうち特に51号墳(花牟礼古墳、旧39号墳または40号墳)は日本最南端に位置する前方後円墳として知られる。また1号墳には巨大なクスノキが生育しており、「塚崎のクス」として国の天然記念物に指定されている。そのほか、一帯では弥生時代の住居跡も検出されている。

この塚崎古墳群は、4世紀から5世紀頃の営造と推定される[1]。特に前方後円墳は4世紀代の築造と推定され、5世紀に営造が始まる北方の唐仁古墳群東串良町)の先代首長墓群に位置づけられる[1]。当該時期には畿内でも大王墓群が奈良盆地から河内平野に移動することから、肝属平野での古墳営造地の移動も畿内王権の政治変動に伴う現象と解される[1]。前方後円墳の南限地(畿内ヤマト王権勢力の南限地)であるという特色に加え、大隅地方では最古の古墳群であり、地下式横穴墓・石棺墓などを包含する多様な墓制を示す点でも重要視される古墳群になる[1]

古墳群域は1945年(昭和20年)に国の史跡に指定されている[2]

来歴[編集]

  • 1919年大正8年)、瀬戸口伝九郎による報告[3]
  • 1945年昭和20年)2月22日、国の史跡に指定[2]
    申請時:前方後円墳5基・円墳47基の計52基(番号設定)。
    指定時:前方後円墳5基・円墳43基の計48基(所在不明の4基除外)。
  • 1962年(昭和37年)、古墳分布図作成(鹿児島県埋蔵文化財分布調査)[4]
    前方後円墳4基・円墳40基の計44基(改めて番号設定。所在不明の4基除外)。
  • 1966年(昭和41年)、標柱・案内板設置[4]
    前方後円墳4基・円墳39基の計43基(1基除外、33号以降は前倒しで番号設定)[4]
  • 1992-19952001年度(平成4-7・13年度)、測量調査(鹿児島大学琉球大学[3][4]
  • 2004-2007年度(平成16-19年度)、範囲確認調査(肝付町教育委員会、2009年に報告書刊行)[5][3]
  • 2009年度(平成21年度)、指定番号・標柱番号整理(肝付町教育委員会、2009年の報告書に反映)[4]
  • 2012-2014年度(平成24-26年度)、範囲確認調査(肝付町教育委員会)。
  • 2013年(平成25年)10月17日、史跡範囲の追加指定[4]
  • 2017年度(平成29年度)、新発見古墳を加えて古墳番号・地下式番号設定(肝付町教育委員会、2018年の保存活用計画書に反映)[4]
    前方後円墳5基・円墳54基の計59基、地下式横穴墓29基(改めて番号設定)。

一覧[編集]

古墳[編集]

塚崎古墳群の一覧[4][6]
古墳
番号
(平成30年)
国史跡
申請番号
(昭和19年)
国史跡
指定番号
(昭和20年)
県調査
番号
(昭和37年)
報告書
番号
(平成21年)
座標 形状 墳丘長 調査年 備考
1 1 1 1 1 位置 円墳 2011-
2012
墳丘上に塚崎のクス(国の天然記念物
2 2 2 2 2 円墳 2011
3 3 3 円墳?
4 4 4 円墳?
5 5 5 4 4 円墳
6 6 6 3 3 円墳
7 7 7 7 7 円墳
8 8 8 8 8 円墳
9 9 9 9 9 円墳
10 10 10 10 10 位置 前方後円墳 39m
11 11 11 11 11 位置 前方後円墳 56m 2014・
2017
12 12 12 円墳?
13 13 13 13 13 円墳
14 14 14 12 12 円墳
15 15 15 円墳 2012
16 16 16 円墳?
17 17 17 円墳 2013
18 18 18 無号墳 前方後円墳 2003
19 19 19 円墳?
20 20 20 円墳?
21 21 21 16 16 位置 前方後円墳 41m
22 22 22 14 14 円墳
23 23 23 15 15 円墳
24 24 24 19 19 円墳 2004
25 25 25 18 18 円墳 2004
26 26 26 20 20 円墳 2004
27 27 27 21 21 円墳 2004
28 28 28 23 23 円墳 2004
29 29 29 22 22 円墳 2004
30 30 30 24 24 円墳 2004
31 31 31 25 25 円墳 2005
32 32 32 円墳? 2005
33 33 33 26 26 円墳 2004
34 34 34 27 27 円墳 2005
35 35 円墳?
36 36 36 28 28 円墳 2005
37 37 円墳
38 38 38 30 30 円墳 2005
39 39 39 29 29 円墳 2005
40 40 40 33 32 円墳 2005
41 41 41 31 31 円墳 2005
42 42 42 35 34 円墳 2005
43 43 43 34 33 円墳 2005
44 44 円墳?
45 45 円墳?
46 46 46 35 35 円墳 2006
47 47 47 44 43 円墳 2006
48 48 48 37 36 円墳
49 49 49 38 37 円墳
50 50 50 39 38 円墳
51 51 51 40 39 位置 前方後円墳 71m 通称:花牟礼古墳
日本最南端の前方後円墳
52 52 52 43 42 円墳 2006
53 5 5 円墳
54 6 6 円墳
55 17 17 円墳 2008
56 円墳? 2005
57 円墳? 2005
58 円墳? 2005
59 円墳? 2005
41 40
42 41

地下式横穴墓[編集]

地下式
番号
(平成30年)
旧番号
地1
地2
地3 1号
地4
地5
地6
地7 4号
地8 3号
地9 2号
地10 5号
地11
地12
地13
地14
地15
地16
地17
地18
地19
地20
地21
地22
地23
地24
地25
地26 13号
地27
地28
地29 14号

文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 塚崎古墳群
    1945年(昭和20年)2月22日指定(12,373.56平方メートル)[2][3]
    2013年(平成25年)10月17日に史跡範囲の追加指定(177,343.07平方メートル、合計189,716.63平方メートル)[3][4]

関連文化財[編集]

  • 塚崎のクス - 国の天然記念物。塚崎1号墳上に生育。1940年(昭和15年)2月10日指定[7]

関連施設[編集]

肝付町立歴史民俗資料館
  • 肝付町立歴史民俗資料館(肝付町野崎) - 塚崎古墳群の出土品等を保管・展示。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 塚崎古墳群保存活用計画書 2018, pp. 26-31.
  2. ^ a b c 塚崎古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ a b c d e 塚崎古墳群保存活用計画書 2018, pp. 1-2.
  4. ^ a b c d e f g h i 塚崎古墳群保存活用計画書 2018, pp. 12-18.
  5. ^ 古墳に眠る肝属の王 2007.
  6. ^ 塚崎古墳群保存活用計画書 2018, pp. 51-52.
  7. ^ 塚崎のクス - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『塚崎古墳群(肝付町埋蔵文化財発掘調査報告書 84)』 肝付町教育委員会、2009年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯31度20分11.40秒 東経130度58分2.96秒 / 北緯31.3365000度 東経130.9674889度 / 31.3365000; 130.9674889 (塚崎古墳群)