地下式横穴墓

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地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)とは、地面に竪穴を掘り、そこから更に横穴を掘って地中に墓壙(玄室)をつくり、その中に被葬者を葬る墳墓である。

地上には何らの標示物もなく、田畑の耕作や農地改良の際、偶然発見されることが多かった。最近では地中レーダー探査によって発見されることもある。西都原古墳群を北限に、一ツ瀬川大淀川川内川の各流域地帯や、宮崎県中央内陸部から霧島山麓の諸県盆地にかけて分布しており、宮崎県側で約600基、鹿児島県側で約100基が確認されている。特に、宮崎県の最西端の市えびの市地域において、300基以上が確認されている。

地下式横穴墓を隼人と関係づける説もある[1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「地下式横穴墓」は日向・大隅・薩摩にまたがるが、「地下式板石積石室」はほとんど薩摩地方に限られている。この事から、前者が隼人に広く普及した墓制であり、後者は阿多隼人独特の墓制と推測されている。参考・『日本の考古学 IV 古墳時代 (上)』 近藤義郎 藤沢長治編 河出書房 1966年 p.163

外部リンク[編集]