横穴墓

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吉見百穴(2010年11月)

横穴墓(おうけつぼ、よこあなぼ)とは、一般には台地や段丘の斜面に高さ2メートル前後の穴を掘り、人間を埋葬した施設のことである。 古代東アジア社会などでもみられるが、本項では日本考古学の用語として解説する。

形態[編集]

構造は、横穴式石室に似ている。墳丘をもたないのが通例であるが、例外も一部ある。玄室には棺や棺を置く台を削りだした例もある。天井の形態は、家形・ドーム形・アーチ形がある。また、前室を設けたり、羨道の前に前庭を設ける例がある。[1]

横穴墓は単独で存在することは稀で、おおむね複数からなる横穴墓群を構成する。また線刻画をともなうこともある。九州および関東から東北地方南部の太平洋沿岸では、彩色が施された例もいくつかみられる。これらは装飾古墳にも位置づけられる。

起源と変遷[編集]

5世紀後半の九州北部の豊前地域に淵源を持つと考えられている。おもに6世紀中葉に山陰・山陽近畿・東海まで盛行した。7世紀初頭までには北陸・関東・東北南部まで分布した。薄葬令前後から爆発的に増加した。一部では8世紀中頃までに終焉。[2]

名称[編集]

横穴古墳ともいうが、正確には古墳とは墳丘を持つ高塚古墳を意味するため、墳丘をもたないものは横穴墓というべきである。ただし分類上は広義の「古墳」に含まれる。また人工の墳丘の側面から埋葬する施設(横穴式石室)を持つ「横穴式」古墳のことを横穴墓とはいわない。さらに中世日本でも、鎌倉地方で同様の墓制が存在したが、この場合やぐらとよぶ。

分布と著名な横穴墓[編集]

九州から山陰、近畿をはじめとし、北陸、東海をへて、特に南関東が多い。北限は宮城県北部といわれている。静岡県内では約3000基を数える。

東北地方[編集]

関東地方[編集]

東海地方[編集]

  • 柏谷横穴群(かしやおうけつぐん、静岡県函南町、国の史跡、106基)
  • 北江間横穴群(静岡県伊豆の国市、国の史跡、101基)

北陸地方[編集]

近畿地方[編集]

中国地方[編集]

九州地方[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 参考文献の『岩波 日本史辞典』(1999年)「横穴」の項参照 1166ページ
  2. ^ 参考文献の『岩波 日本史辞典』(1999年)「横穴」の項参照 1166ページ

文献[編集]

  • 金井塚良一『吉見百穴横穴墓群の研究』(校倉書房、1975年
  • 池上悟『横穴墓』(ニュー・サイエンス社、1980年
  • 池上悟『日本の横穴墓』(雄山閣出版、2000年
  • 池上悟『日本横穴墓の形成と展開』(雄山閣出版、2004年
  • 永原慶二監修 石上英一他編集『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999年 ISBN 4-00-080093-0

関連項目[編集]