西都市

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さいとし
西都市
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
団体コード 45208-4
面積 438.56km²
総人口 31,326
推計人口、2014年3月1日)
人口密度 71.4人/km²
隣接自治体 宮崎市
児湯郡高鍋町木城町新富町西米良村
東臼杵郡美郷町椎葉村
東諸県郡国富町
市の木 ヤマモモ
市の花 ミツバツツジ
市の鳥 ウグイス
西都市役所
所在地 881-0015
宮崎県西都市聖陵町二丁目1番地
北緯32度6分30.7秒東経131度24分4.9秒
Saito City Offie Miyazaki Japan.jpg
外部リンク 西都市

西都市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

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一ツ瀬ダム国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成(1976年度撮影)

西都市(さいとし)は、宮崎県のほぼ中央部に位置し、日本最大級の古墳群である「西都原古墳群」で知られるである。

地理[編集]

宮崎県で5番目の面積を持つ市であり、市域の7割が山岳地帯である。

市を北西から南東に向かって、一ツ瀬川が貫流している。上流部では無数の小川が渓谷を刻み、それらの流れが集まって、九州最大の貯水量を誇る一ツ瀬ダム(米良湖)となっている。下流は宮崎平野が広がり、園芸農業、畜産業が盛んであるほか、西岸の洪積層台地には西都原古墳群が広がる。

中心市街地は都萬(つま)神社の南方に広がる妻(つま)地区。

隣接している自治体[編集]

歴史[編集]

記紀によると、天照大神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向の高千穂峰に降臨の後、居を構えたのが現在の西都市であったとされる。

西都は日本最大の古墳集積地帯であり、日本有数規模の古代国家がこの地に存在したと推定される。

律令期には現在市の中心部となっている妻(つま)地区に日向国国府、日向国分寺、国分尼寺が置かれ、日向国の中心地として栄えた。室町時代~戦国時代には日向国の地頭、伊東家が市南部に都於郡城を構え本拠地とし、領国経営の拠点とした。天正遣欧少年使節正使としてヨーロッパに渡った伊東マンショは伊東家の一族である。伊東家没落後、都於郡城には島津義久が入城し、豊臣秀吉九州征伐、高城の戦いにおける前線基地となったが、戦後廃城となった。

江戸時代は、穂北に幕府の番所が設けられ妻・穂北(ほきた)・地区は幕府の天領となり、三財(さんざい)・三納(みのう)・都於郡(とのこおり)地区は佐土原藩島津家2万7千石に組み入れられた。この時期には赤江・城ヶ崎(現宮崎市)が江戸上方との物流拠点としての性格を備え、西都地区は日向国の拠点としての機能を次第に失ったようである。また、市の中心に横たわり、市名の由来でもある西都原(さいとばる)台地は、古代より斉殿原(さいとのはる)と呼ばれていたが、江戸時代に西都原(「さいとのはる」から「さいとばる」へ)の呼称が定着したとされる。 旧湯郡東米良村の一部は米良山であった。米良山は元和年間(1615年-1624年)に人吉藩の属地とされ、廃藩置県(1871年)の際には人吉県(後に八代県、球磨郡の一部の扱い)となり、1872年に美々津県(宮崎県の前身)児湯郡に移管された。その為、1872年まで現在の西都市寒川、尾八重、中尾、八重、銀鏡、上揚の各地区は球磨郡(当時の球磨郡)の寒川谷村、猪窪谷村、岩井谷村、尾八重谷村、椎葉谷村、鳥巣谷村、東八重谷村、銀鏡谷村、登山谷村、杖山谷村、浜砂谷村、横平谷村であった。その後、美々津県(上記の通り宮崎県の前身)に移管されて児湯郡寒川村、尾八重村、中尾村、八重村、銀鏡村、上揚村となった後、児湯郡東米良村の一部になり、後に西都市の一部となって現在に至っている。

近現代[編集]

近代以降は宮崎-妻・杉安(すぎやす)間に鉄道(後の国鉄妻線・1984年廃止)が敷設され一ツ瀬川流域の農産物・木材の集散地として栄えた。1955年に児湯郡妻町・上穂北村が合併し、西都町が置かれ、1958年に三納村・都於郡村を統合し市制施行、1962年に三財村・東米良村を合併し現在の市域を持つに至った。1960年代には一ツ瀬ダムが建設され、この時期に市の人口は5万人を超え、杉安地区の一ツ瀬河畔は日向の嵐山と呼ばれ屋形船が行き交った。

80年代前半には市街地再開発等が行われ、一時期は地方小都市における再開発成功事例として注目を集めるも、その後の過疎化少子高齢化の進展、郊外型店舗の進出によって、現在中心市街地は衰退している。その他、寒川(さぶかわ)地区は限界集落となってしまい、現在は全く居住者がいなくなってしまっている。寒川地区に居住者がいた事は寒川地区の人々の暮らしぶりを記録した映画寒川でのみ知る事が出来る。この映画は限界集落の現状を隈なく記録している。

宮崎都市圏の拡大・道路等の整備による市南部の宮崎市のベッドタウン化がわずかながら見られるが、人口減少がある。

2001年に東九州自動車道西都IC - 宮崎西IC間が開通し、2010年には高鍋IC - 西都IC間が開通した。

行政区域の変遷[編集]

  • 1889年5月1日 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の村が発足。
    • 児湯郡上穂北村・下穂北村・都於郡村・三納村・三財村・東米良村
  • 1924年4月1日 【町制施行】下穂北村⇒下穂北町
  • 1924年8月1日 【改称】下穂北町⇒妻町
  • 1955年4月1日 【対等合併】妻町・上穂北村⇒西都町
  • 1958年4月1日 【編入】三納村・都於郡村⇒西都町
  • 1958年11月1日 【市制施行】西都町⇒西都市
  • 1962年4月1日 【編入】三財村・東米良村の一部⇒西都市(東米良村の他の地域は木城村へ編入)

市政[編集]

国政・県政[編集]

国政[編集]

衆議院小選挙区選挙では宮崎2区(延岡・西都・児湯郡・東臼杵郡・西臼杵郡)に属する。近年選出の議員は以下のとおり。

なお道休誠一郎民主党)が比例で復活当選している。

宮崎県議会[編集]

本市と西米良村で選挙区をなす。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。

  • 2007年4月
    • 押川修一郎(自民)
    • 浜砂守(新みやざき)

公共機関[編集]

県の行政機関[編集]

  • 西都土木事務所
  • 県立産業技術専門学校
  • 児湯農業改良普及センター
  • 県立西都原考古博物館
  • 西都警察署

国の行政機関[編集]

司法機関[編集]

経済・産業[編集]

農林畜産業が中心

主な産物[編集]

農産物
ピーマン(生産量日本一)、しいたけニラマンゴーなど

地域[編集]

人口[編集]

Demography45208.svg
西都市と全国の年齢別人口分布(2005年) 西都市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 西都市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
西都市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 38,509人
1975年 37,054人
1980年 37,836人
1985年 38,370人
1990年 37,218人
1995年 36,331人
2000年 35,381人
2005年 34,087人
2010年 32,617人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

市立

小学校[編集]

市立
  • 妻北小学校
  • 妻南小学校
  • 穂北小学校
  • 茶臼原小学校
  • 三納小学校
  • 都於郡小学校 [1]
  • 都於郡小学校山田分校
  • 三財小学校
  • 銀上小学校

専修学校[編集]

  • 宮崎医療福祉専門学校

学校教育以外の施設[編集]

職業訓練

交通[編集]

空港[編集]

最寄の民間供用空港は宮崎空港である。

  • 宮崎交通の路線バスで直通
  • 佐土原駅より、JR特急で22分

鉄道路線[編集]

現在は市内に鉄道路線はない。現在の最寄駅は、佐土原駅(佐土原町)、日向新富駅(新富町)、高鍋駅(高鍋町)。いずれもJR九州日豊本線。市中心部より各駅まで車で30分弱。

廃止路線[編集]

バス[編集]

高速バス[編集]

路線バス[編集]

妻地区の妻駅跡付近に宮崎交通のバスターミナル「西都バスセンター」があり、宮崎市街地・宮崎空港へ直通バスがあり、利用も多い。

  • 宮崎交通
    • 西都 - (高速道経由) - 宮交シティ - 宮崎空港
    • 西都 - (一般道経由) - 宮交シティ - 宮崎空港 - 国立東病院
    • 西都 - 宮交シティ
    • 西都 - 工業団地 - 宮交シティ
    • 西都 - 一丁田 - 高鍋駅

かつて存在した路線バス[編集]

道路[編集]

市中心部を通る国道219号
高速道路
地域高規格道路
一般国道
都道府県道

船舶[編集]

  • 宮崎港(宮崎市)まで車で40分
  • 細島港(日向市)まで車で60分
  • 通浜漁港(川南町)まで車で40分

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

西都原古墳群。手前に鬼の窟古墳、左奥に男狭穂塚女狭穂塚を遠望

西都市出身の有名人[編集]

西都市を舞台とした作品[編集]

  • 映画寒川

関連項目[編集]

外部リンク[編集]