東諸県郡

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宮崎県東諸県郡の位置(1.国富町 2.綾町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

東諸県郡(ひがしもろかたぐん)は、宮崎県

人口26,365人、面積225.82km²、人口密度117人/km²。(2017年5月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域[編集]

1884年明治17年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 宮崎市の一部(糸原・吉野・有田・高岡町各町および田野町乙のうち野崎・東原・鹿毛)
  • 国富町の大部分(宮王丸を除く)
  • 綾町の全域

歴史[編集]

郡発足までの沿革[編集]

知行 村数 村名
幕府領 西国筋郡代 5村 須志田村、森永村、本庄村、竹田村、塚原村[1]
旗本領[2] 4村 岩知野村、吉野村、嵐田村、木脇村
藩領 薩摩鹿児島藩[3] 1町
19村
穆佐郷(小山田村、下倉永村、上倉永村)、倉岡郷(糸原村、有田村)、高岡郷(高岡町[4]、田尻村、深年村、入野村、向高村、浦之名村、八代北俣村、飯田村、五町村、内山村、高浜村、八代南俣村、花見村)、綾郷(南俣村、北俣村)
日向高鍋藩 2村 三名村、伊佐生村

郡発足以降の沿革[編集]

  • 明治17年(1884年1月26日 - 北諸県郡のうち高岡町ほか3町31村の区域をもって東諸県郡が発足。郡役所が高岡村に設置。
1.高岡村 2.穆佐村 3.倉岡村 4.木脇村 5.本庄村 6.八代村 7.綾村(紫:宮崎市 桃:国富町 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(7村)
    • 高岡村 ← 浦之名村、五町村、内山村、高岡町、飯田村、花見村、高浜村(現・宮崎市)
    • 穆佐村 ← 小山田村、上倉永村、下倉永村、宮水流町[5](現・宮崎市)
    • 倉岡村 ← 糸原村、柳瀬町[6]、有田村、吉野村、宮崎郡堤内村、金崎村(現・宮崎市)
    • 木脇村 ← 木脇村、岩知野村、塚原村、三名村(現・国富町)
    • 本庄村 ← 須志田村、北本庄村、森永村、竹田村、十日町、六日町、向高村、田尻村、嵐田村、南本庄村、宮崎郡宮王丸村(現・国富町)
    • 八代村 ← 伊佐生村、八代北俣村、八代南俣村、深年村(現・国富町)
    • 綾村 ← 北俣村、南俣村、入野村(現・綾町)
  • 明治30年(1897年4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正8年(1919年3月1日 - 本庄村が町制施行して本庄町となる。(1町6村)
  • 大正9年(1920年)4月1日 - 高岡村が町制施行して高岡町となる。(2町5村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和7年(1932年10月1日 - 綾村が町制施行して綾町となる。(3町4村)
  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 高岡町の一部(野崎)が宮崎郡田野村に編入
  • 昭和26年(1951年3月25日 - 倉岡村が宮崎市に編入。(3町3村)
  • 昭和30年(1955年)4月1日 - 高岡町・穆佐村が合併し、改めて高岡町が発足。(3町2村)
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 本庄町・八代村が合併して国富町が発足。(3町1村)
  • 昭和32年(1957年3月31日 - 木脇村が国富町に編入。(3町)
  • 平成18年(2006年1月1日 - 高岡町が宮崎市に編入。(2町)

変遷表[編集]

方言[編集]

現在の東諸県地域の大部分は薩摩藩領であったが、宮崎弁が話されている。これは、倉岡郷・高岡郷・穆佐郷・綾郷は「関外四郷」と呼ばれ、去川関所の外側であったことから他の地域との交流が容易であったためである。

脚注[編集]

  1. ^ 記載は高鍋藩領。
  2. ^ 高鍋藩の分知家。記載は高鍋藩領。
  3. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。
  4. ^ 無高のため記載なし。
  5. ^ 下倉永村のうち。本項では町数に数えない。
  6. ^ 糸原村のうち。本項では町数に数えない。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

先代:
北諸県郡
行政区の変遷
1884年 -
次代:
(現存)