川辺町 (鹿児島県)

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かわなべちょう
川辺町
清水岩屋公園
廃止日 2007年12月1日
廃止理由 新設合併
川辺町知覧町頴娃町南九州市
現在の自治体 南九州市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
川辺郡
団体コード 46345-1
面積 127.35km2
(境界未定部分あり)
総人口 14,391
(推計人口、2007年11月1日)
隣接自治体 鹿児島市枕崎市南さつま市指宿市
町の木 クスノキ
町の花 ツツジ
川辺町役場
所在地 897-0215
鹿児島県川辺郡川辺町平山3234番地
旧川辺町役場
外部リンク 川辺町
座標 北緯31度23分28秒
東経130度23分37秒

川辺町 (鹿児島県)位置図

― 市 / ― 町・村

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川辺町(かわなべちょう)は、鹿児島県薩摩半島南部の川辺郡に存在した2007年12月1日川辺郡知覧町揖宿郡頴娃町と合併し南九州市となった。

乗馬が体験できる馬事公苑がある。

地理[編集]

熊ヶ岳、下山岳、田上岳
河川
万之瀬川、神殿川、野崎川、麓川、永里川、大谷川、佐々良川
湖沼
川辺ダム湖
とも池
東端:東経130度29分22秒
西端:東経130度18分48秒
南端:北緯31度18分17秒
北端:北緯31度28分18秒

隣接していた自治体[編集]

鹿児島市
枕崎市
南さつま市(旧加世田市、旧金峰町)
川辺郡知覧町

歴史[編集]

沿革[編集]

1889年4月1日
町村制施行により川辺郡平山村・田部田村・永田村・野間村・宮村・高田村・今田村・小野村・両添村・野崎村・古殿村・清水村・神殿村・本別府村が合併し、川辺村が発足。
同じく川辺郡上山田村・中山田村・下山田村が合併し、勝目村が発足。
1923年10月13日
川辺村が町制施行。
1950年4月1日
川辺町本別府を勝目村に編入。
1956年9月1日
川辺町と勝目村が合体し川辺町となる。
2007年11月4日
 川辺町文化会館で川辺町の閉町式が行われた。
2007年12月1日
 知覧町・頴娃町と合併し、南九州市が発足し、川辺町は廃止となった。

行政[編集]

南九州市内で頴娃町、知覧町、川辺町でゴミの分別方法が異なる。頴娃町、知覧町に比べ川辺町の分別数は飛躍的に多く、引っ越されて来た方は戸惑うこともある。ゴミ焼却場から出る焼却灰のダイオキシン除去や焼却灰のレンガ利用で全国から視察が相次いだが維持コストが高く、模範した焼却場はない。人口流出に歯止めが効かず、過疎の一途をたどっている。

経済[編集]

産業[編集]

農業
メロン、レタス、茶
畜産業
肉牛(かわなべ牛)
子牛の生産も活発で全国に子牛が流通しおり、松阪牛、神戸牛などのブランド牛として育てられている
工業
川辺仏壇
金仏壇京型仏壇で、組立て工程の一部に金箔押しが組み込まれている。昭和50年5月に指定を受けた国の伝統工芸であり、全国伝統的工芸品仏壇仏具展にて、昭和60年開催の第8回と平成15年開催の第17回で大臣賞を受賞するなど、国から表彰を受けた職人が多数いる。川辺町は日本有数の仏壇産地でもある。
川辺仏壇は、各部門の職人たちによる技術の粋を集め、細部まで手が入れられ堅牢に製作されており、国産の仏壇としては価格も手頃となっている。川辺仏壇は、仏壇本体を形作る『木地』、内部の屋根を作る『宮殿くうでん』、引き出しなどに施される『彫刻』、金属で細かな装飾を施す『金具』、彩を加える『蒔絵』、天然本黒塗りにより控えめな表面の艶を漆で表現する『塗り』、仕上げに純金箔や純金粉で輝きを持たす『箔』による7つの分業体制で製作され、各工程を経て完成。技法は、『木地は、スギ、ヒバ、ホオ若しくはマツ又はこれらと同等の材質を有する用材として、木地の構造は、「ほぞ組み」及び「ぞうきん摺り」による組立式であること』、『宮殿造りは、「本組技法」によること』、『塗装は、精製漆を手塗りすること』、『金箔押しをすること』、『金具は、銅若しくは、銅合金又はこれらと同等の材質を有する金属製とすること』、『漆は、天然漆とすること』となっている。
仏教とゆかりの深い川辺地方では、1130年頃やって来て川辺を支配した平道房をはじめ[1]、仏教文化を持ち鎌倉時代の初めに鹿児島県の南部で力があった河辺氏と、壇ノ浦の戦いで敗れ清水磨崖仏も刻んだと言われている平家の残党が、川辺町清水の渓谷を中心として供養や仏教の伝道にいそしみ、1200年頃には河辺氏の菩堤寺が建てられるなど、仏教が盛んだった。今でも、鹿児島県内において仏壇に関するものでは、延元元年(1336年)九月六日と記された漆塗りの位牌が現存している。だが、慶長2年(1597年)には島津義弘により、現在の浄土真宗系における一向宗の禁圧が始まり、江戸時代にも島津氏のもと継続。明治2年には、廃仏毀釈により鹿児島県内ほとんどの仏像や仏壇は焼失している。しかし、一向宗の禁圧が実施されても、『ガマ[注釈 1]』の中で布教して念仏を唱え、見かけはタンスだが扉を開くと金色に燦然と輝く仏壇が内包されたもの[注釈 2]など『隠し仏壇』などの隠れ念仏が作られ信仰は根強く残る。隠れ念仏によって仏壇は小型になり、今でも川辺仏壇に『ガマ』という型が作られているのは、その頃の名残で『隠し仏壇』の要素が今でも川辺仏壇のガマ型には色濃く残っていると言われている。
明治8年11月27日に教部省により信教の自由保障の口達がなされ、明治9年9月には信教の自由が許されるも、鹿児島県では弾圧が継続された形跡があり、事実上許されたのは明治11年頃になってからと言われており、浄土真宗系の寺が川辺に建てられたのは、浄土真宗本願寺派の瑞芳寺が明治12年3月、浄土真宗大谷派の光徳寺が明治13年8月14日だった[1]。その後、池田某が仏壇製作を始めたのを皮切りに、川辺町でも公然と仏壇製作が始まり、今日の川辺仏壇の基盤となった。この池田某とは、明治17年9月に加世田村宮原で生まれ、父親の薦めで12歳のとき京都へ仏壇の修行へ行き、技術、技法を継承した後、19歳頃に父親たちが住む川辺村清水田代に移り、明治36年(1903年)、この地で野崎の商人・前野伊右衛門の依頼により仏壇を造り明治36年2月10日に完成させたと言われている、池田清蔵のことだという説があり、その兄である池田一二も弟の清蔵に弟子入りしたと言われている[1]。この地方はもともと一向宗が盛んだったため、仏壇も浄土真宗の金仏壇が中心となって発展したと言われている。仏壇生産がこの地で盛んになった理由として、廃仏毀釈で消滅した宝光院との関わりを挙げる者も多いが、盛んになった理由ははっきりしていない。その後、仏壇産業の隆盛に伴い、他産地への研鑽のための交流や修行がますます盛んになり、1954年(昭和29年)から蒔絵の指導で金沢市から来た会津若松氏出身の蒔絵師・斎藤光男をはじめとする先人たちにより、川辺仏壇の技術は進歩。以前は、浄土真宗以外の宗派では唐木仏壇が一般的だったが、現在では宗派にこだわらず金仏壇になっている。
現在、川辺仏壇も職人の高齢化と後継者不足に陥っている。また、販路組織を持っていないため、製造本数では全国でも上位だが生産額では以上に入っておらず、まるで下請け同様の状態に置かれており[1]、展示場も、組合が運営する『川辺仏壇工芸会館』があるものの、これ以外に公的な展示場は無い。過去に鹿児島県庁が調査した『川辺仏壇製造業産地診断報告書』では、「個人企業が多く従業員数や生産規模が零細」、「業者の多くは食っていけさえすればよいという感覚で内在する問題や今後のあり方に対する危機感がない」、「安い人件費を武器に低コストで販売する現在のやり方では安い外国製品の流入により苦境に立たされる可能性がある」、「現在の体制のままでは生産の維持や発展は望めない」、「改善点は、組合の基盤強化、販路拡大、産地のイメージアップとPR、新製品の開発等」と指摘されている[1]。その指摘通り、近年は中国やベトナム等からの安価な外国製品の流入で生産が減少している[2]。2016年からは新たな試みとして、川辺仏壇協同組合の青年部が気鋭のデザイナーと『川辺手練団』を結成。インテリアに溶け込む神棚、『金具』の技術を応用したランプシェードなど、デザインと仏壇作りの高い技術が融合した商品で、鹿児島県内外の展示会に出品し、インターネットでの販売も行っている。
平成24年7月には、川辺仏壇協同組合により、東日本大震災の被災地・岩手県陸前高田市へ小型仏壇100基が寄贈された。なお、仏壇購入の際は川辺仏壇と、川辺仏壇の組合に属しておらず仕上げ工程だけを国内で行った製品を含めた中国製仏壇を間違われないように注意が必要である。ちなみに清水岩屋公園にある池の畔には川辺仏壇の技術を用いて金閣寺を模して作られた「桜の屋形」があり、知覧平和公園内にある『ミュージアム知覧』には、知覧町における隠れ念仏の資料が残されている。

地域[編集]

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

電話番号[編集]

市外局番は町内全域が「0993」。市内局番が「5X」 - 「8X」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(加世田MA)。収容局は加世田川辺局、勝目局。

郵便番号[編集]

郵便番号は町内全域が「897-01xx」および「897-02xx」(川辺郵便局)である。

交通[編集]

空港[編集]

町内には空港はなく、以下の空港が最寄の空港である。

鹿児島空港(車で約90分)
枕崎飛行場(車で約40分)
定期便無し(道路標識では枕崎空港表記となっている)。なお、枕崎飛行場は赤字続きだったため現在はソーラー発電所、緊急ヘリポートとなっている

鉄道路線[編集]

薩南中央鉄道(のちの鹿児島交通知覧線)により1927年に阿多~薩摩川辺間、1930年に薩摩川辺~知覧間が開通し、廃止時は川辺町の区域に5駅(田部田薩摩川辺野間東川辺小野)が設置されていたが、1965年に全線が廃止され、以降川辺町内には鉄道路線は走っていない。JR指宿枕崎線が最寄の路線である。最寄り駅は五位野駅

一般バス路線[編集]

鹿児島交通
ひまわりバス

道路[編集]

川辺インターチェンジ
道の駅川辺やすらぎの郷

有料道路[編集]

指宿スカイライン
川辺IC

一般国道[編集]

国道225号
道の駅道の駅川辺やすらぎの郷

主要地方道[編集]

鹿児島県道17号指宿鹿児島インター線
鹿児島県道19号鹿児島川辺線
鹿児島県道27号頴娃川辺線
鹿児島県道31号加世田川辺線

一般県道[編集]

鹿児島県道263号霜出川辺線
鹿児島県道265号打木谷白沢津線
鹿児島県道275号松薗加世田線
鹿児島県道291号松元川辺線
鹿児島県道297号阿多川辺線

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

高田磨崖仏清水磨崖仏
磨崖仏まつり(11月14日)会場:清水岩屋公園
二日市(2月第一土・日曜日)
清水岩屋公園
公園脇に名水百選に選ばれた湧水があり多くの利用者に愛される
清水の湧水(水元神社)
森林馬事公苑(閉鎖が決定している)
オートキャンプ 森のかわなべ
平山城址と勝目城址
八瀬尾の滝
稲荷町六月灯(7月7日)
祇園祭(7月)
高田隠れ念仏 磨崖仏(水汲み場があり利用者に人気である)

川辺町出身の有名人[編集]

川口幹夫(第16代NHK会長
鮫島重雄陸軍大将
諏訪高広(元プロレスラー、県立薩南工業高校卒)
式守伊之助 (30代)(大相撲立行司)
徳田二次郎(前日本男性最高齢)

その他[編集]

水の郷百選:心やすらぐ清水の里(平家落人伝説)
有村架純
経済学者の古市憲寿の父方のルーツが川辺にある。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 鹿児島弁で洞窟のこと。
  2. ^ 東本願寺鹿児島別院に保存。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 青屋昌興 『川辺風土記』 南方新社、2006年8月31日、194-203頁。
  2. ^ 平成8年度 研究報告 川辺仏壇のデザイン設計システムに関する調査研究 (PDF)”. 鹿児島県工業技術センター (2006年11月10日). 2018年7月1日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]