州兵

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州兵のエンブレム

州兵(しゅうへい、英語: National Guard of the United States州軍とも)は、アメリカ合衆国における軍事組織の1つ。平時は知事の指揮下にあり、郷土防衛隊として治安出動災害派遣など緊急事態対処にあたっているが、必要に応じて連邦政府によって動員されることになっており、アメリカ軍予備役部隊としての性格もある[1]。なお現在の正式名称を正確に訳すると「国家警備隊」となるが、日本語圏では、歴史的経緯を踏まえた「州兵」という訳語が定着している[2]

概要[編集]

アメリカ合衆国の植民地時代、それぞれの植民地は民兵隊(Militia)を結成した。これは基本的には入植民による自警団であったが、独立戦争では大陸軍とともに重要な戦力を担い、また独立後も国内外の紛争・事案にたびたび動員されたことから、順次に中央統制の強化が図られていった。そして1916年の法改正によって規定されたのが州兵(National Guard)である[3]

このような経緯から、知事の指揮下で治安出動災害派遣など緊急事態対処にあたる郷土防衛隊としての性格と、大統領の指揮下で連邦軍を補完する予備軍部隊としての性格を兼ね備えている[1]。普段は州知事の指揮下にあるが、連邦政府による動員に備えた訓練や装備も施されており、この面では国防総省州兵総局英語版により監督されている。実施部隊は、陸軍に対応した陸軍州兵Army National Guard)と、空軍に対応した空軍州兵Air National Guard)で構成されている。連邦軍と同等の戦闘能力を発揮できるような実質を備えており、特に空軍州兵はアメリカ本土防空を一手に担っている[1]

歴史[編集]

黎明期と1792年民兵法[編集]

マサチューセッツ植民地民兵隊

アングロ・サクソン系諸国で一般的なコモン・ローでは、「全ての市民は、治安維持の任務に従事する基本的責任を有する」という伝統的思想があり[4]イギリスでは、古くより、州奉行 (Shire-reeve, Sheriffともやコンスタブル (constableの求めに応じて集まった市民が、その指揮のもとで集団警備力としての任に当たるという民警団 (Posse comitatusの伝統があった[5]。またその延長線上として、「全ての健康な市民は、共同防衛のため、いかなるときにも武器をとって戦える状態にあるべき義務と責任を有する」という民兵思想が生じた[2]アメリカ合衆国の植民地時代の1636年12月、マサチューセッツ湾直轄植民地において、インディアンなどの外敵から身を守るため、入植者たちによる自警団が設置された[6]。これがアメリカでの民兵制度の端緒とされており、同年から1754年にかけて、アメリカ東部の入植地の大部分に同様の組織が設置された[3]

1775年レキシントン・コンコードの戦い独立戦争の戦端を開いたのはマサチューセッツ植民地民兵隊であった。以後、ジョージ・ワシントン司令官の求めに応じて多くの民兵隊が馳せ参じ[2]、8年に渡る戦役で約16万人にものぼる民兵が動員されて、主要な戦闘を戦い抜いた。またアメリカ植民地人の間では大規模な常備軍への反発が強かったことから、独立後も、連邦政府の軍事力は最低限に留められており、軍事作戦の必要が生じた場合は、各州が独自の組織として保有する民兵組織に依存せざるをえなかった。このため、1792年民兵法 (Militia Acts of 1792によって、これらの民兵組織の位置付けが明白化されるとともに、軍隊としての組織化を図る法的根拠が与えられた[3]

またこのように軍事組織としての活動の一方で、国内での集団警備力としての運用もなされており、1794年のウィスキー税反乱で、さっそく治安維持のため大規模に動員されている。またアメリカ合衆国の警察は、郡保安官自治体警察といった地域の公安職を原則としており、20世紀に入るまでは州警察をもたない州も多かったが、地域の公安職は地域住民の民意に忖度する傾向があったことから、郡保安官や自治体警察が地域住民に不評な州法の執行を拒否するのに対して、知事が州兵を用いて無法状態を回復することもしばしば行われていた[2]

1916年国防法と世界大戦[編集]

1917年、完全装備の州兵隊員

1860年代南北戦争1898年米西戦争など、独立後もアメリカでは多くの戦役が経験された。戦争の規模拡大に伴って、民兵組織は連邦軍を補完する補充戦力として期待されるようになっていったが、従来の民兵組織では近代戦に対応できないことが問題になった。このことから、まず1903年民兵法 (Militia Act of 1903によって、連邦政府による民兵組織への関与が強化された[6]。そして1916年国防法 (National Defense Act of 1916において、連邦軍を補完する「州兵」("National Guard")として明文で規定された[3]

翌年の第一次世界大戦参戦に際して派遣された外征軍には、連邦軍とともに多くの州兵部隊も参加した。兵力にしておよそ40パーセントを占め、交戦相手であるドイツ参謀本部が「最も優秀な米軍部隊」と称した8個部隊のうちの実に6個が州兵部隊であったとされている。この活躍を受けて、1933年には1916年国防法が改正されて、州兵への中央統制が強化された。また第二次世界大戦の際には、欧州情勢の急迫を受けて、参戦以前の1940年から既に州兵の動員が開始されており、最終的に戦闘師団18個規模に達する動員がなされた。これによって陸軍の兵力はほぼ倍増し、州兵部隊は全ての戦域に派遣された[3]

空軍州兵の編成と遣外任務の増加[編集]

ハワイ空軍州兵のF-22戦闘機

1947年国家安全保障法の制定によって、アメリカの安全保障体制は大きく改編・整頓された。このとき、陸軍航空軍空軍として独立改編されるのとあわせて、州兵でも、既存の航空隊を独立改編して空軍州兵が編成された。これにより、州兵は陸軍州兵と空軍州兵という2つの組織をもつ体制が整備された[3]

黎明期には頻繁に行われていた治安出動は、州警察の体制が整うにつれて減少していき、かわって国内任務としては災害派遣が重視されるようになった。しかし1950年代1960年代学生運動公民権運動に際しては、雑踏警備暴動鎮圧のため、州兵による集団警備力が度々動員されている[2]。またリトルロック高校事件の際には、黒人生徒の登校に反対するアーカンソー州知事によって州兵が動員され、高校を封鎖した。これに激怒した当時の大統領ドワイト・D・アイゼンハワーはそれら州兵を連邦軍に編入し、駐屯地へ帰還するように命じた。州兵達はこの命令に従ったため事態はこれ以上悪化しなかった。

アメリカ合衆国の軍事的プレゼンスの増大とともに、州兵の遣外任務も増加しており、朝鮮戦争には陸軍州兵13万8,000人と空軍州兵4万5,000人が動員された。またベトナム戦争では、戦争への国民的支持が希薄だったことから、戦争の長期化にも関わらず州兵の大規模動員はなされなかったものの[7]、少数ながら陸軍州兵1万2,000人と空軍州兵1万人が動員されている[6]。またこの戦争では、戦争の長期化による連邦軍の人員損耗を補うため、補充要員としての州兵や予備役の比重が増加したことから、1973年、常備軍と予備部隊間の差異を小さくし、一体的な運用を行えるようにする総戦力方針 (Total Force Policy) が採択された。これを受けて、州兵の訓練・装備面での更なる充実が図られ、連邦軍に見劣りしないほどの人員装備を擁するようになった[1]

湾岸戦争でも陸軍州兵6万3,000人と空軍州兵1万人が動員されたほか[6]コソボ紛争アフガニスタン侵攻イラク戦争にも参加している[8]。またアメリカ同時多発テロ事件後には、国内の重要防護施設に対して、大規模な警護出動もなされた[9]

編制[編集]

役割と任務[編集]

上記の経緯より、州兵は、州政府と連邦政府という二重統制による「二重の地位と任務」(dual state-federal mission)を付与されている[2][3]

任務の第一は、国内における治安維持・緊急事態対処である。この場合、原則として州知事の指揮下の集団警備力として、治安出動災害派遣にあたっており、郷土防衛隊としての性格が強くなる[1]。「純然たる州任務に基づく地位」(Pure state status)の場合、基本的には各州法を根拠法とするが、アメリカ同時多発テロ事件後の国家緊急事態宣言に伴う警護出動のように、合衆国法典第32編第502条に基づき、連邦政府の要請を受けて各州知事が命令を発出することもでき、「州の指揮下で行う連邦任務」(state active duty)と称される。この場合、所要経費は連邦政府の負担となる。なおロサンゼルス暴動に対する出動は、当初は州の任務として発令されたものの、情勢悪化に伴って連邦軍が動員されるのに伴い、後に連邦任務に移行した[9]

第二の任務とされるのが、連邦軍の補完戦力としての作戦参加である。この「連邦政府の指揮下で行う連邦任務」(federal active duty)は合衆国法典第10編第12302条を根拠法とするもので、州兵部隊は大統領令によって動員され、連邦政府の指揮下で各種任務に従事することになる[1]。アメリカでは、軍の国内活動には民警団法(PCA)による法的規制が課せられているが、州兵の場合、州知事の指揮下で通常の勤務に服している場合は、その規制を免除される。ただし連邦政府の任務に動員されている場合は、陸空軍の他の部隊と同様にPCAの規制が課せられる[5]

指揮系統[編集]

連邦政府と州政府による統制体制

州兵の中央管理組織として、国防総省州兵総局 (National Guard Bureauが設置されている。これは陸軍省海軍省の共同の機関であり、州兵組織をめぐる連邦軍と各州との連絡窓口として、各州が州兵部隊の維持管理を適切に行っているかを監察し、軍政面の監督にあたっている[2]。大統領によって任命された州兵総局長 (Chief of the National Guard Bureauのもとに、それぞれ陸軍長官と空軍長官によって任命された陸軍州兵局長(Director, Army National Guard)と空軍州兵局長(Director, Air National Guard)が配されている[1]。なお州兵総局長は統合参謀本部のメンバーでもある。

連邦任務に動員されない限り、州兵は州知事の指揮下にある(コロンビア特別区州兵は平時より大統領指揮下)。各州州兵の制服組トップとなるのが州兵総監 (State adjutant generalであり、連邦軍における統合参謀本部議長と同様、州知事の最高軍事顧問となるほか、日常の州兵管理などにあたっている。一般的には州知事により任命されるが、サウスカロライナ州では州民の直接選挙、バーモント州では州議会によって任命される。州兵総監を長とする内部部局として州兵局(State Military Department)が設置されており、多くは知事直轄の独立機関であるが、公安局や防衛局に属している場合もある。なお州兵総監は、陸軍長官および空軍長官に対して所定の報告をする義務がある[2]

実施部隊[編集]

陸軍州兵は、2001年度において35万人の人員を擁する[1]。これらの人員は、8個師団を基幹として、砲兵工兵後方支援などの独立旅団37個が編成されている。また2016年より、これらとは別に、3個旅団戦闘団およびいくつかの部隊が常備軍に編入されている[10]

空軍州兵は、2001年度において16万人の人員を擁する。戦略爆撃飛行隊2個、 防空専任飛行隊4個、 戦闘攻撃飛行隊33個、 輸送飛行隊26個、 給油飛行隊23個のほか、 特殊作戦飛行隊1個などが編成されている[1]

州兵隊員は定期的な訓練への参加が義務付けられている。基本的には連邦任務に備えたものであるが、治安出動や災害派遣のような州の任務のための訓練もなされている。週末に開講される訓練集会と年次定例訓練期間があり、年間に48単位の訓練集会と15日の年次定例訓練期間が義務付けられてきた[2]。このことから、「ひと月に週末1回、年間に2週間」 (One weekend a month, two weeks a yearという標語も造られた。しかし2000年代以降のアメリカ軍においては、対テロ戦争イラク戦争の影響もあり、州兵を含む予備部隊が多数動員され、国内外で活動を行っている(テネシー州兵部隊は1950年代の装備のままで半年も派遣されていた)。そのため、フルタイム勤務が増加し、先の標語のような勤務状態ではなくなった。

州兵以外の州の民兵組織[編集]

アメリカ合衆国では、「全ての健康な市民は、共同防衛のため、いかなるときにも武器をとって戦える状態にあるべき義務と責任を有する」という民兵思想を背景として[2]権利章典修正第2条で人民の武装権が規定され、「規律ある民兵」が果たす役割の重要性を定めている。またアメリカ合衆国は連邦制をとっており、連邦政府よりも州のほうが多くの権限を有していることもあり、州兵以外にも、テキサスのように州防衛軍英語版など州政府独自の民兵組織が設置されている場合もある。これらの民兵組織は、通例、各州の州兵局に属し、州知事を最高指揮官とするが、州兵とは異なり、連邦政府からの関与は受けていない[1]

またニューヨークなどでは海軍民兵英語版も設置されている。港湾・河川での警備・救難を任務としており、州政府の指揮下にある点では州防衛軍と同様だが、こちらの要員の多くは、海軍・沿岸警備隊の予備役にも二重に登録している。またオレゴン州のように、州法に規定はあるものの、実際には編成されていない州も多い[6]

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]