フェアリー フルマー

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フェアリー フルマー

Fairey Fulmar Mk I

Fairey Fulmar Mk I

  • 用途:迎撃・護衛・偵察
  • 分類艦上戦闘機
  • 製造者:フェアリー
  • 運用者イギリス海軍(イギリス海軍航空隊)
  • 初飛行1940年1月4日
  • 生産数:606機
  • 運用開始:1940年6月
  • 退役:前線任務は1945年まで
  • 運用状況:退役

フェアリー フルマー(Fairey Fulmar。フルマカモメの意)は、イギリスフェアリー社製の単発レシプロ複座艦上戦闘機イギリス海軍初の本格的単葉戦闘機であり、当時旧式化が著しく複葉機ばかりであったイギリス海軍戦闘機の後継機として開発、生産された。当初存在を極秘にして開発が進められ、1940年議会の追求で明るみに出たことで知られる。

経歴[編集]

1930年代も半ばになると、世界に先駆けて空母を建造、開発していたにもかかわらず、イギリス海軍の航空機事情はおよそ世界水準とは言いがたい状況となっていた。空の主役である戦闘機任務にはいまだニムロッドオスプレイといった複葉機が現役であった。そのため、1938年にイギリスは仕様書O.8/38に基づいた、複葉機に変わる単葉戦闘機の配備を決めた。フェアリー社は開発中であったバトル軽爆撃機を基にした仕様書P.4/34軽爆撃機を仕様書O.8/38に基づき複座戦闘機として改修した機体(この際にはP.4/34試作2号機が改修された)をイギリス海軍に提案し、海軍はそれを受け入れた。1938年3月、海軍は127機を正式に発注した。武装は、当時の英空軍が採用していた小口径8挺に準じており、7.7mm機関銃8挺としている。

イギリス海軍が複座戦闘機にこだわった理由は、目印も何も無い海上飛行においては航法担当が機体を適切に誘導することが空母に帰艦するのに必要であったと考えていたからと言われる。だが、実際のところは日本アメリカが証明しているように単座であっても問題なく帰艦できた。

フルマーは複座のおかげで重量が大きいにもかかわらず、重量の割にエンジンが貧弱であった。これはよく、ほぼ同馬力のエンジンを装備していたハリケーンと比較される。ハリケーンの自重2,500kg、全備重量3,300kgに対し、フルマーは自重3,960kgと1.6倍近くも重く、全備重量は4,850kgとなっていた。そのため、速度もMk. Iでは400km/hを越えることができず、戦闘機としての性能は高くないものとなってしまった。

フルマーは1940年1月4日に初飛行(元が改修機であるため、これが生産型となる)したが、この時期まで生産がずれ込んだのは、フェアリ社の新工場完成を待ったためであるとされる。1940年6月には第806飛行隊に配備され、初期生産であるMk.I型127機が納入された。その後1941年1月20日にはエンジンをマーリンXXX型1,260hpに換装し、最大速度が438km/hに上昇したMk.II型が初飛行、その後1942年になってから生産、配備された。

しかし、複座とその重量から来る能力不足はいかんともしがたく、早くも1942年から空軍が開発したスーパーマリン スピットファイアの海軍版であるシーファイア、同じくホーカー ハリケーンの海軍版であるシーハリケーン、アメリカから供与されたグラマン マートレットといった単座戦闘機、そして、フェアリー社がフルマーの後継として開発した複座戦闘機フェアリー ファイアフライ等と交換され、1943年には生産が終了、同年にはほぼ前線から退いた。

フルマーは1940年1月から1943年3月まで生産され、生産数はMk.I型250機とMk.II型350機および1941年1月に飛行した試作1機の合計601機とする説、606機という説もある。Mk.Iの生産数は127機は初期発注、250機はミュンヘン会談の原因となったチェコスロヴァキアに対するズデーテン地方割譲要求により戦争の可能性が高まった1938年9月におこなわれた追加発注である。一部450とする資料があるがこれは追加発注を入れていないと考えられる上、初期発注とMkIIのみでも477機となり数が合わない。

また、Mk.II型の一部から夜間戦闘機としてMk.IVレーダーを搭載した型が存在するほか、固定武装以外に後部座席に7.7mm機銃を装備し、計9挺としている機体もあった。このほかに、水上戦闘機とするために778航空隊に渡されたものが存在するが、結局水上機化は行われなかった。

戦果[編集]

航空母艦「ヴィクトリアス」で運用される本機

1940年に生産が始まったフルマーは次々と海軍に引き渡され、スクアや複葉戦闘機と交換され、最終的にはおよそ20の海軍航空隊がフルマーを配備した。1940年6月には空母イラストリアス艦載航空隊である第806飛行隊に配備され、8月には艦載された。フルマーの実戦初参加は、マルタ島への船団護衛時のイタリア軍機との戦闘であった。以降、主に地中海方面で戦闘を重ね、1940年10月のタラント湾奇襲に際してはイラストリアス艦載のフルマーが護衛にあたり、その直後には空母アーク・ロイヤル艦載機がマルタ島への輸送船団を護衛している。1941年3月のマタパン岬沖海戦では、空母フォーミダブルから発艦した攻撃隊を同空母艦載機が護衛している。

この方面で主に戦った相手は、複葉のCR.42であったが、多くの勝利を収めたのは一撃離脱戦法に徹したフルマーであった。フルマーが急降下に入れば、CR.42では追いつく事は不可能であり、また武装の貧弱なCR.42が重装甲のフルマーを落とす為にはよほどの長時間、射線に捉える必要があった。逆にフルマーの(陸上単葉単座戦闘機とほぼ同等の)重武装は、一瞬の射撃機会でCR.42を葬ることができた。また、多くの場合、フルマーは、航空母艦のレーダー管制を受ける事ができ、この点も戦いを有利に進めるのに役立った。[要出典]

両者の性能を比較すると、運動性能に関してはCR.42のほうが圧倒的に高く、カタログスペック上の速度性能もCR.42の方が30km/hほど速かったが、空気抵抗の大きい複葉機では運動エネルギーの損失が大きく加速性能も悪いため、先述のように一撃離脱戦法を行う単葉機に対抗できないことを露呈した。上昇性能でもCR.42の方が勝っていたが、CR.42とフルマーが巴戦(縦の面の格闘戦)を行った場合、ループの前半ではCR.42がフルマーを引き離すが、ループの後半ではフルマーの方が速く、上昇開始時の速度が十分にあれば、巴戦でもフルマーがCR.42を捕捉できた。[要出典]

日本海軍が行った1942年のセイロン攻撃においても、フルマーが防空に当たったが、日本軍機に歯が立たず壊滅的な被害を受けた。これは、地中海とはまったく逆であり、たとえ重武装重装甲であっても、加速性能の優位性がない場合、一撃離脱戦法は有効には働かないことを示しており、空戦における速度の重要性を読み取ることが出来る(フルマーより降下加速性能の高いP-40では、零戦に対しても一撃離脱戦法で何とか渡り合えることを証明している。)。このとき日本のパイロットは、フルマーをスピットファイアと誤認したらしく、日本側の戦闘記録にはフルマーは一切登場しない。結局これらインド洋での戦闘は、鈍重な複座戦闘機は、単葉単座戦闘機の敵でないことを完全に露呈したのである。

また、護衛空母がそろっていなかった大戦初期~中期の初めにおいて、CAMシップカタパルト装備商船)に搭載され敵機迎撃に当たった機体も存在するが、たとえ撃退できたとしてもCAMシップに着艦することは不可能なため機体は陸上基地まで飛んで着陸するか、もしくは着水し機体を放棄、パイロットのみ回収するかしかなく、芳しい成果は挙がらなかった。前線任務は1943年から徐々に交替していったが1945年2月8日の護衛空母カンパニアにおける着艦事故を最期に姿を消した。

スペック (Mk.I)[編集]

諸元

  • 乗員: 2名
  • 全長: 12.24 m (40.16 ft)
  • 全高: 4.27 m (14 ft)

性能

  • 最大速度: 398 km/h (215kt) 247 m/h
  • 航続距離: 1,255 km (677.6 海里) 780mi
  • 実用上昇限度: 6,560m (21520 ft)
  • 上昇率: 366 m/min
  • 翼面荷重: kg/m2 (lb/ft2

武装

  • 固定武装: 7.7mm機銃8挺
    機体によっては後部座席に7.7mm機銃1挺の計9挺
  • 爆弾: 250lb爆弾2発
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]