F2G (航空機)

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F2G

XF2G-1(BU#14691号機)1945年11月の撮影

XF2G-1(BU#14691号機)
1945年11月の撮影

Goodyear F2Gは、グッドイヤー・エアクラフト社第二次世界大戦中にアメリカ海軍向けに開発した艦上戦闘機である。

同社が生産を請け負っていた、チャンス・ヴォート F4U コルセアの社外生産型であるFGの改良型であり、F4Uの発展型として開発が進められたが、試作及び先行量産のみで本格的な生産・配備はされなかった。

公式なものではないが“スーパーコルセア(Super Corsair)”の愛称でも呼ばれる。

概要[編集]

チャンス・ヴォート社により開発され1942年よりアメリカ海軍/海兵隊に導入されたF4U戦闘機は、高空性能は優秀であったものの、低速での失速特性が悪く、上昇率も高いものではないため低空での格闘空戦が苦手である、前下方視界が不充分なため、航空母艦搭載機としての運用に難がある(そのため、初期は海兵隊により地上機としてのみ運用された)、といった問題を抱えていた。日本軍機との戦闘は主に低空域で行われることから、F4Uが艦上機としての運用が行われるようになった後も、制空/防空戦闘機としての任務は同時に採用されたグラマンF6F ヘルキャットが担っており、F4Uは戦闘爆撃機としての任務が主体であった。

アメリカ海軍当局としてはF6FはあくまでF4Uの“保険”であり、F4Uへの主力艦上戦闘機としての期待は強く、F4Uの欠点を是正した改良型が望まれた。しかし、F4Uの開発メーカーであるチャンス・ヴォート社は開戦以来各種機体の生産と新型機の開発で手一杯であり、F4Uの改良に廻す余裕を持てないのが実情であった。

そのため、海軍当局はF4Uの生産を請け負っているブルースター・エアロノーティカル社とグッドイヤー・エアクラフト社に改良型の開発を行わせる計画を立案した。2社のうち、他にも機体の生産と開発を行なっているブルースターには新規開発/生産の余裕がないと判断され、グッドイヤーに「F4Uを低空迎撃任務に適した仕様に改良した発展型」の設計・生産が要求された。

FG-1(F4U-1のグッドイヤー社生産型)を改造した試作機を用いた各種テストの結果、上昇率は優秀であったものの、エンジンの換装によって期待された速度の向上は予想以下であった。原型機でも問題となった大馬力エンジンによるエンジントルクの大きさから来る方向安定性の不足は同様に重大であった上、F4Uの大きな問題とされた「コクピットから前の部分が長すぎ、コクピットが主翼中央よりも後ろにあるために前下方視界が激しく制限される(従って航空母艦への離着艦に難がある)」点はそのままであり、艦上機としての実用性には変わらぬ問題を抱えていた。

これらに対する対策として垂直尾翼を大型化する等の部分改良を加えた機体が設計され、これがF2Gとしての正式な生産型として承認され発注されたものの、そもそもの開発目的であった「F4Uの欠点を是正した改良発展型」としては「問題なき実用化までには更なる開発の継続が必要である」との評価がなされた。

グッドイヤー社ではF2Gの発展型として、二重反転プロペラの採用及び主翼と胴体の全面的な改設計を行った事実上の新規設計機のプランを提案したが、アメリカ海軍では既に次世代の艦上戦闘機としてジェット機の開発を進めており、現行機以上に高性能なレシプロ戦闘機の開発と装備を進めることには消極的な姿勢を取りつつあった。結局、これ以上の発展型の開発については海軍当局の積極的な賛同が得られず、開発計画は第2次世界大戦の終結を理由としてキャンセルされた。

開発[編集]

1944年に入り、アメリカ海軍の要求に応じグッドイヤー社では委託生産中のF4U-1(FG-1)を改造した試作機の製作を開始した。これを受けて、1944年3月には正式に海軍と契約が結ばれ、F4Uにならって陸上機型と艦上機型の2種を開発し、まずは陸上機型の生産・導入を先行することとして、試作機の初飛行を待たず、418機の陸上型と10機の艦上機型を製造する計画で発注が行われた。

試作にあたってはまず既存のF4U-1の中で旧型の“バード・ケージ”形のキャノピーを持つ機体のエンジンをそのままR-4360に交換した実験試作機が製作され、地上駐機状態での重量バランスに問題がないこと、また機首形状を大きく変更することなくエンジンを換装できることが確認された。

続いて、FG-1の機体をそのままにエンジンをP&W R-4360に換装してカウリングを延長した機体と、FG-1のエンジンはそのままに“タートル・デッキ”形の機体背面形状を盛り上がりのないフラットな形状とし、キャノピーを涙滴形のもの[2]に変更した機体が製作され、各2機ずつ、総計4機の試作機が製作された。エンジン換装型は1944年5月31日に初飛行し、XF2Gとして両者の比較が行われた。

比較試験の結果、エンジンを変更した機体は大馬力になった分の性能向上は見られたが、速度性能の向上そのものは期待されたほどではなく、機体形状を変更した機体にはエンジンがそのままであったにもかかわらず速度性能や旋回性能等の向上が見られた。これらの結果を受けて、機体形状をフラット形・涙滴形キャノピーに変更したものにR-4360エンジンを搭載した機体が生産機とされることに決定した。

改造試作機のテスト結果を受け、先行量産型XF2G-1では機首長を原型機と同一にするためにエンジン位置をやや後ろに変更すると共に、エンジントルクによる安定性の悪さを是正するための垂直尾翼形状の変更と補助方向舵を設置する設計修正が行われ、更に本格量産型ではキャブレターの過熱問題に対処するためにキャブレターインテークが拡大されている。

生産[編集]

1945年までに先行量産型10機が完成し、1945年よりは本格量産型として手動の主翼折畳機構を持つ陸上型のF2G-1と、油圧式主翼折畳機構を持ち、着艦拘束フックを装備すると共に1フィート短いプロペラブレードを装備する艦上機型のF2G-2の生産が開始された。本格生産の開始に当たり、当初の発注は変更されて艦上機型を最優先に生産するとされたが[3]、開発計画の中止により、1945年の秋までに、*-1、*-2、各5機の計10機が生産されたのみに終わった。

運用[編集]

F2Gの少数の生産機は戦後各種のテストに用いられた。海軍の記録上では1948年まで試験機として在籍している。事故による喪失のほかスクラップとされたケース、標的として処分とされたケースもあり、最終的に残った5機が民間に払い下げられた。

機体[編集]

F2Gは基本的にはF4Uと同一の機体ではあるが、エンジンはP&W R-4360(星型7気筒4列(総28気筒)3,000馬力)に換装されている。これはF4Uに搭載されたP&W R-2800の2,000馬力と比較し大幅に強化された。

原型機の問題であった前下方視界の不良を抑えるため、機首を延長することなくより全長の長いエンジンを搭載するために、後方にある主燃料タンクが小型化されており、それを補うために主翼内に50ないし55ガロンの容量の燃料タンクが増設されている。エンジンの換装に伴い機首上部中程にキャブレターインテークが設置されており、これはF4Uとの大きな外観上の変更点である[4]
胴体上部は“タートルデッキ形”と呼ばれる、キャノピー後縁から垂直尾翼までの間が盛り上がっている形状から、涙滴型のキャノピーに変更したストレート型となっており、先行量産型のXF2G-1からはエンジントルク増加に対応するために垂直尾翼が縦方向に12インチ延長され、補助方向舵が新設されている。

制空/迎撃戦闘機としてF4Uより改良された機体ではあるが、戦闘爆撃機としての能力は変わらず保持しており、エンジン出力の増加によってより大きな爆弾搭載量を持つ。主翼内には前述のように燃料タンクを増設しており、その関係上固定武装はF4Uより減少され、主翼内の12.7mm機銃6丁のうち最外部の2丁を撤去して4丁に減備している[5]。機銃の他に2発の500ポンドまたは800ポンド爆弾、もしくは8発の5インチロケット弾を搭載できた。

各型[編集]

XF2G
FG-1(F4U-1)を改装して製作された試験試作機。4翔プロペラのエンジン換装型2機、3翔プロペラの機体形状変更型2機の計4機製作。試作1号機のエンジンはXF2G-1 1号機に流用された。
XF2G-1
試作型及び先行量産型。垂直尾翼が拡大され補助方向舵を装備。プロペラは4翔型。量産3号機以降はキャブレターインテークが拡張され機首上面形が異なる。総計5機生産。
F2G-1
主翼の自動折畳機構他の装備のない陸上機型。5機生産。
F2G-2
油圧による自動主翼折り畳み機構、着艦拘束フック等を装備した艦上機型。5機生産。
FG-4
F2Gの開発結果を受けてグッドイヤー社により提案された拡大発展型の仮呼称。「F4G」とも。提案のみ。

要目[編集]

  • 全長:10.3 m
  • 全高:4.9 m
  • 全幅:12.5 m
  • 翼面積:29 m2
  • 翼面荷重:208 kg/m2
  • 空虚重量:10,249 ld (4,649 kg)
    • 通常離陸重量:13,346 lb (6,054 kg)
    • 最大離陸重量:15,422 lb (6,995 kg)
  • エンジン:P&W R-4360-4“ワスプメジャー”28気筒(7気筒4列)星型レシプロエンジン(3,000馬力(2,200 kW))1基
  • 出力重量比:0.22 hp/lb (370 W/kg)
  • 最大速度:694 km/h(高度5,000 m)
  • 実用上昇限度:38,800 ft (11,800 m)
  • 上昇率:5,120 ft/min (26 m/s)
  • 最大航続距離:1,699 nm(3,146 km)*増槽装着時
  • 乗員:1名

現存する機体[編集]

退役後に民間に払い下げられた5機はエアレース等で使用された。

2012年の時点においては3機が現存し、うち2機が現役のレーサーとして飛行していたが、そのうち1機は2012年9月に事故で失われ、もう1機も2013年にはレーサーとしては引退して動態保存機とされている。残る1機が、米国ワシントン州 シアトル郊外の航空博物館 Museum of Flight静態保存されている。

型名  シリアル番号 機体写真   国名   保存施設/管理者 公開状況   状態   備考
F2G-1 BU#88454

NX4324

2005年4月撮影
アメリカ ミュージアムオブフライト 公開 静態展示 本機は1945年に米海軍に納入され、短かった海軍在籍期間のほとんどを Navy Air Test Center での試験飛行に費やした。その後バージニア州ノーフォークの倉庫に収められ、米海軍機としての飛行時間はわずか246時間だった。

本機は2003年に Doug Champlin のほかのコレクションとともに Museum of Flight が取得した。 [6]

F2G-1 BU#88458

N5588N “Race#57”

2005年撮影
アメリカ 不明 不明 飛行可能 本機はその後動態保存機として保管され、レース機としては引退している
F2G-2 BU#88643

N5577N “Race#74”

2012年7月22日年撮影
アメリカ N/A N/A N/A 本機は2012年9月7日にノースダコタ州バーンズ郡のバレーシティ国際空港において、航空ショーのリハーサル中に墜落して全損し、パイロットのBob Odegaard氏も死亡した。
その他
F2G-1 BU#88457

NX5588N[7]“Race#84”

1947年撮影
アメリカ 不詳 破壊 不詳 本機は1947年9月にオハイオ州クリーブランドで行われたトンプソン・トロフィー英語版レース中に墜落し、パイロットのTony Janazzoも死亡した。

脚注[編集]

  1. ^ a b エアレーサーとして
  2. ^ 試作機ではP-47D サンダーボルトのものが流用されているが、これはホーカー タイフーンもしくはホーカー テンペストのものだという説あり。
  3. ^ 1944年秋より日本軍が開始した“カミカゼ”の脅威に対し艦隊防空用の高性能機が求められたことによる。
  4. ^ 尚、民間に払い下げられてレーサー機とされた機体は、このキャブレターインテークを機首上部と一体化させてエンジンカウリング前面まで延長しているものが多い。
  5. ^ FG-1を改造した試験試作機は機銃を搭載していない。
     尚、搭載機銃を20mm機関砲4門に変更する、という案もあった。
  6. ^ Museum of Flight F2G-1
  7. ^ 本機の登録番号は“Race#57”(BU#88458号機)に引き継がれている

参考文献[編集]

  • 『F4U Corsair (Motorbooks International Warbird History) 』(ISBN 978-0879388546)by Nicholas Veronico,Other. Motorbooks Intl. 1994
  • 『F4U Corsair in Action - Aircraft No. 220』(ISBN 978-0897476232)by Jim Sullivan. Squadron/Signal Publications. 2010
  • 『世界の傑作機 No.88 ヴォートF4Uコルセア』(ISBN 978-4893190864)文林堂、2001
  • 『世界の傑作機スペシャル・エディション Vol.5 ヴォートF4Uコルセア』(ISBN 978-4893191946)文林堂、2011

関連項目[編集]