皐月 (睦月型駆逐艦)

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艦歴
建造所 藤永田造船所
起工 1923年12月1日
進水 1925年3月25日
竣工 1925年11月15日(第二十七号駆逐艦)
喪失 1944年9月21日
除籍 1944年11月10日
要目(計画)
排水量 基準:1,315トン、公試:1,445トン
全長 102.72m
全幅 9.16m
吃水 2.96m
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基
2軸、38,500馬力
速力 37.25ノット
航続距離 14ノットで4,000海里
燃料 重油450トン
乗員 154名
兵装(新造時) 45口径12cm単装砲 4基4門
7.7mm機銃 I×2
61cm3連装魚雷発射管 2基6門
(八年式魚雷12本)
爆雷18個
機雷もしくは掃海具一式

皐月(さつき)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1]睦月型駆逐艦の5番艦である[2]。艦名は旧暦5月のこと。同名艦にロシアからの戦利艦である「皐月」があるため[3]、こちらは「皐月 (2代)」や「皐月II」などとも表記される[4]。竣工時の艦名は第二十七号駆逐艦[5]

艦歴[編集]

太平洋戦争以前[編集]

1923年(大正12年)度計画艦。1923年(大正12年)7月19日藤永田造船所で建造予定の駆逐艦に「第二十七駆逐艦」の艦名が与えられる[6]。 同日附で駆逐艦として登録される[7]。当初は大正14年2月末の竣工を目指していた[8]1923年(大正12年)12月1日に起工したが[9]、これは1番艦から4番艦の起工日よりも早かった。 1924年(大正13年)4月24日、艦名を「第二十七号駆逐艦」に改正[10]1925年(大正14年)3月25日に進水[11][12]。4月20日、藤永田造船所内の第二十七号駆逐艦艤装員事務所は事務を開始する[13]。 同年11月15日に竣工[11]。同日附で艤装員事務所を撤去[14]佐世保鎮守府に所属した。 1928年(昭和3年)8月1日附で「第二十七号駆逐艦」は「皐月」と改名された[1][5]。「皐月」に改名後、書類上の起工日は1924年(大正13年)12月1日に改められている[11]第三十四号駆逐艦→睦月型駆逐艦「夕月」も同様)。

1940年(昭和15年)上旬、第22駆逐隊各艦は修理に従事、その後佐世保軍港の警備をおこなった[15]。 11月15日、第22駆逐隊司令として川内型軽巡洋艦1番艦「川内」副長杉野修一大佐(杉野は駆逐艦「時雨」初代艦長等を歴任)が着任。杉野司令の指揮下、第22駆逐隊は中国大陸沿岸部に進出し、日中戦争における封鎖作戦等に参加[16]。 作戦行動中、第22駆逐隊は第五水雷戦隊に編入される[16]

太平洋戦争緒戦[編集]

1941年(昭和16年)12月8日以降の太平洋戦争緒戦時、睦月型駆逐艦4隻(皐月、文月水無月長月)は引続き第22駆逐隊を編制[17]。同隊は第5駆逐隊(朝風春風松風旗風)と共に第五水雷戦隊(司令官原顕三郎少将:旗艦「名取」)に所属していた[18]。開戦以来、フィリピン攻略戦、ジャワ島攻略戦、バタビア沖海戦などに参加する。3月10日附で第五水雷戦隊は解隊。第22駆逐隊は引き続きジャワ海方面で船団護衛に従事する。

1942年(昭和17年)4月10日、日本海軍は連合艦隊および南西方面艦隊に属する第一海上護衛隊(司令官井上保雄中将)を編成した[19]。新編当初は、特設巡洋艦「浮島丸」、特設砲艦(華山丸、唐山丸、北京丸、長寿山丸、でりい丸)、旧式駆逐艦10隻(第13駆逐隊《若竹呉竹早苗》、第22駆逐隊《皐月水無月文月長月》、第32駆逐隊《朝顔芙蓉刈萱》)、鴻型水雷艇2隻()という戦力に過ぎなかった[20]。 最低限の護衛戦力だったが、編成当初(4月)は米軍潜水艦の活動も低調だったため、一隻の被害もなく実施された[21]。5月以降、航行船舶の増加と共に海上護衛部隊の兵力不足が顕在化し、各艦は『フル回転』を強いられた[22]。1コ船団当りの護衛艦艇は1隻程度(特別の場合に2-4隻)に過ぎなかったが、船舶の被害は少なかった[22]

同年10月1日、睦月型3隻(睦月如月弥生)の喪失により、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定[23]。 10月12日、編成替えで卯月型姉妹艦「三日月」や峯風型駆逐艦2隻(汐風帆風)等が第一海上護衛隊に編入されるが他に大きな変化はなく、多数の輸送船団に対し第一海上護衛隊の戦力不足は明らかだった[24]

12月10日、第一海上護衛隊所属の各駆逐隊(第13駆逐隊、第22駆逐隊、第32駆逐隊)は解隊された[24][25]。駆逐隊単位の行動機会がなくなって司令部が有名無実化し、指揮系統や手続きが煩雑化して作戦行動に悪影響があるため、現場(駆逐隊司令および各駆逐艦長)の意見具申によるものだったという[26]。だが間もなく「皐月」は第一海上護衛隊から除かれた。

ソロモン諸島での行動[編集]

1943年(昭和18年)1月20日、駆逐艦3隻(長月、皐月、文月)は南東方面艦隊の下令により第八艦隊(司令長官三川軍一中将)・外南洋部隊に編入[27]。同月末からのガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加した。作戦は成功。ケ号作戦を終えた卯月型3隻(皐月、文月、長月)は、続いて中部ソロモン方面の輸送に従事した[28]。 2月12日-14日、駆逐艦2隻(皐月、文月)は運送艦「野島」を護衛してショートランド〜コロンバンガラ島輸送を実施[28]。さらに2月中旬以降の丙号輸送部隊(青島市パラオウェワク)に編入された[29]。陸軍第41師団主力を青島から東部ニューギニアウェワクへ輸送する作戦である[30]。 2月14日附で第一輸送隊(軽巡2隻《北上大井》、讃岐丸相良丸)に駆逐艦2隻(夕雲風雲)、第二輸送隊(清澄丸護国丸愛国丸)に駆逐艦2隻(朝雲五月雨)、第三輸送隊(聖川丸、靖国丸、浮島丸磯波)に2隻(秋雲、長月)、第四輸送隊(壽山丸、新京丸、新玉丸、夕暮)に2隻(皐月、文月)が、各輸送隊の護衛艦に加えられた[29][30]

この輸送作戦実施中の2月25日、卯月型4隻(皐月、水無月、文月、長月)で第22駆逐隊が再編制される[31]。 3月1日時点で第22駆逐隊は第8駆逐隊(朝潮、荒潮)、第11駆逐隊(初雪、白雪)、第19駆逐隊(浦波敷波)と共に第三水雷戦隊(司令官木村昌福少将:旗艦「川内」)に所属していた[32]3月3日ビスマルク海海戦で輸送船8隻と駆逐艦4隻(時津風朝潮荒潮白雪)が沈没。3月5日にはビラ・スタンモーア夜戦で駆逐艦2隻(村雨峯雲)が沈没[33]。最前線の駆逐艦は次々に消耗していった。 3月6日から12日まで、秋雲・風雲・夕雲・五月雨・皐月は輸送船団(桃山丸、安島丸、旺洋丸、阿蘇丸、帝龍丸、しどにい丸)のパラオ〜ウェワク沖〜ハンサ輸送を護衛した[34]。目的地着後、2隻(秋雲、五月雨)は輸送船団と共にパラオへ回航(14日、B-17の空襲で桃山丸沈没、18日着)[34]。3隻(風雲、夕雲、皐月)はラバウルへ向かい、14日に到着した[34]

その後もラバウル方面で輸送任務などに従事した。3月31日、卯月型3隻(卯月望月三日月)で第30駆逐隊が再編される[35]。翌4月1日、戦時編制の改定にともない南東方面艦隊・第八艦隊・第三水雷戦隊は軽巡「川内」、第11駆逐隊(初雪天霧夕霧)、第22駆逐隊、第30駆逐隊となった[36]。この頃、連合艦隊は『い号作戦』を実施中だった。 4月2日、第22駆逐隊(文月、長月、皐月、水無月)はフィンシュハーフェン輸送を企図しカビエンを出撃するが、米軍機の触接を受けたため輸送作戦を中止[37]。4月3日早朝、カビエン西方で「文月」はB-17の爆撃をうけ機関室浸水[37][38]。また同日の空襲でカビエン港停泊中の重巡洋艦「青葉」が大破・擱座した[39]。「文月」は内地に回航され、しばらく戦線を離脱した。ラバウル周辺の制空権が失われる中、「皐月」は第三水雷戦隊僚艦と共に最前線での駆逐艦輸送に奔走した。

5月28日午後4時、第22駆逐隊(長月、水無月、皐月)はコロンバンガラ島輸送のためブインを出撃したが、午後8時頃ブーゲンビル島南東沖合の暗礁で2隻(長月、皐月)とも座礁する[40]。翌日朝までに離礁に成功したが「皐月」は修理が必要となり、ラバウルへ引き返した[40]。損傷の程度は軽く、「皐月」は内地へ戻ることなく輸送任務に従事した[40]

昭和十八年中盤以降の戦い[編集]

6月30日、米軍はレンドバ島に上陸を開始、ニュージョージア島の戦いが始まる。増援部隊指揮官/第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将は秋月型駆逐艦5番艦「新月」を旗艦として水上戦闘に臨んだ[41]。6月30-31日の突入作戦(新月、望月、皐月、夕凪)は視界不良のため何の戦果もなく、艦隊は反転帰投した[41]。7月2日のレンドバ島突入作戦では、突撃隊(新月、天霧、初雪、長月、皐月、望月)と陽動隊(夕張夕凪三日月)という戦力だったが、米軍魚雷艇2隻を撃沈したのみで米艦隊は出現しなかった[41]。「皐月」を含めてほぼ同編制で行われた7月4-5日のコロンバンガラ島緊急輸送作戦では、米軍駆逐艦1隻(ストロング)を撃沈したが、輸送作戦は失敗した[41]

7月5日、陽炎型駆逐艦2隻(浜風谷風)と白露型駆逐艦1隻(涼風)が新たに増援部隊(第三水雷戦隊)に加わった[41]。秋山少将直率隊(新月、涼風、谷風)、第一次輸送隊(望月、三日月、浜風)、第二次輸送隊(天霧、初雪、長月、皐月)という戦力で出撃[42]。日本艦隊を迎撃するためウォルデン・L・エインズワース少将率いる米艦隊(巡洋艦3、駆逐艦4)が出撃し、夜間水上戦闘となる(クラ湾夜戦[42]。新月・涼風・谷風・天霧・望月等が米艦隊と交戦する中、22駆(長月、皐月)は揚陸地へ向かうも「長月」は座礁してしまう[42]。座礁地点で「長月」搭載の物資兵員を揚陸後、「皐月」は「長月」曳航を試みたが失敗[42]。「皐月」は午前4時以降作業を中止して本来の揚陸地へ向かい、その後「長月」を残してコロンバンガラ島を後にした[43]。 「長月」は昼間の空襲により損傷を受け、放棄される[42]。さらに旗艦「新月」が沈没、全乗組員と秋山少将以下第三水雷戦隊司令部は総員戦死[42]。他の駆逐艦も損傷した[44]。米軍は軽巡「ヘレナ」が沈没した。7月8日、第22駆逐隊司令駆逐艦は「皐月」に変更された[45]

秋山少将の戦死により増援部隊(第三水雷戦隊)は一時的に指揮官不在となり、そこで重巡洋艦「鳥海」艦長有賀幸作大佐が暫定的に指揮をとった(臨時の第八艦隊旗艦を駆逐艦「雪風」に指定)[46]。 7月9日17時、外南洋部隊指揮官は主隊(重巡鳥海、軽巡川内)、警戒隊(雪風夕暮、谷風、浜風)、輸送隊(皐月、三日月、松風、夕凪)を率いてブインを出撃、コロンバンガラ島へ進出するが米艦隊は出現せず、陸兵1200名と物件85トンの輸送作戦自体は成功した[46]。 7月10日、戦死した秋山少将の後任として伊集院松治大佐(前職金剛艦長)が第三水雷戦隊司令官として着任し、軽巡「川内」に将旗を掲げた。新司令部の準備がととのうまでの間、第二水雷戦隊が増援部隊の指揮を担うことになる。 7月12日、第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将(旗艦「神通」)率いる増援部隊は再びコロンバンガラ島への輸送任務に従事[46]。警戒隊(神通、清波、雪風、浜風、夕暮、三日月)はラバウルを、輸送隊(皐月、水無月、夕凪、松風)はブインを出撃、合同してコロンバンガラ島へ向かう[46]。同日23時、第二水雷戦隊はウォルデン・L・エインズワース少将が率いる米軍巡洋艦3・駆逐艦10隻と遭遇、夜間水上戦闘となる(コロンバンガラ島沖海戦[46]。米側は巡洋艦3隻が大破し駆逐艦1隻が沈没、日本側は「神通」が沈没し伊崎二水戦司令官以下第二水雷戦隊司令部は全滅した[46]。陸兵1200名と物資20トンの輸送成功後、駆逐艦2隻(皐月、水無月)は神通遭難現場へ向かったが同艦を発見できず、帰投した[46]

一連のクラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦で日本軍は米軍水上部隊に大打撃を与えたと判断し、コロンバンガラ島方面での敵艦隊撃滅と輸送作戦を行うことになった。第七戦隊司令官西村祥治少将を指揮官とし、主隊(熊野鈴谷)、水雷戦隊(川内、皐月、水無月、雪風、浜風、清波、夕暮)、輸送隊(三日月、夕凪、松風)という戦力が集結、16日2200にラバウルを進出してブインへむかった[47]。「初雪、望月」は西村艦隊に先行して16日夕刻にラバウルを出撃、17日午前5時にブインへ入港[48]。「初雪」は「水無月」に、「望月」は「皐月」に横付けして物件・重油の移載をおこなう[47]。だが7月17日朝、ブインは大型爆撃機19、戦爆約150機の大空襲を受ける[47]。「初雪」は沈没、2隻(皐月、水無月)が小破、翌日にも空襲を受け「望月」が小破した[49][47]。 これを受けて西村艦隊は一旦ラバウルへ帰投、戦力を再編したのち18日に再出撃した[47]。19日-20日、輸送作戦には成功したものの、夜間空襲により重巡「熊野」小破(魚雷命中)、駆逐艦2隻(清波夕暮)被弾沈没という損害を受けてしまう[47]。「皐月」を含め増援部隊艦艇は一時ラバウルに後退し、修理をおこなった[50]

「皐月」修理中の7月27日、第30駆逐隊「三日月」及び第27駆逐隊「有明」はツルブ輸送を実施中に座礁して行動不能となり、28日の空襲で沈没した[51]。第三水雷戦隊(川内、皐月、望月)は救援のためにラバウルを出撃するが、途中で反転し帰投[52]峯風型駆逐艦9番艦「秋風」が現場へ向かい、有明・三日月生存者を救助した[53]。 29日、卯月型2隻(望月、皐月)の応急修理が完成する[50]。2隻はトラック泊地へ向かう重巡「熊野」を護衛してラバウルを後にした[54]

最前線を奔走してきた第三水雷戦隊の駆逐艦は一旦内地へ帰投し、修理・整備をおこなった[55]。「皐月」は呉工廠で整備。9月16日、「皐月」は再びラバウルに進出した[56][57]。同時期、ニュージョージア島の戦いにおける日本軍の敗北は決定的となり、南東方面艦隊・第八艦隊・第八方面軍はコロンバンガラ島からの撤退作戦『セ号作戦』を準備中だった[57]。この作戦に向けて駆逐艦を増強することになり、「皐月」以外にも駆逐艦複数隻(夕雲、秋雲、風雲、五月雨、水無月)が外南洋部隊に編入(再進出)、既に同方面で活動していた磯風時雨等と合流した[57]。 9月28-30日、コロンバンガラ島第一次転進作戦が実施される[58]。第三水雷戦隊司令官伊集院少将は「秋雲」に座乗、夜襲部隊(秋雲、磯風、風雲、夕雲、時雨、五月雨)、輸送隊(皐月、水無月、文月)、警戒隊(天霧)、陽動隊(松風)の計11隻で作戦に臨んだ[59]大発動艇部隊を率いていた種子島洋二少佐によれば、28日夜コロンバンガラ島北岸で人員2685名を収容した時の輸送隊陣形は「皐月-水無月-文月-天霧」であったという[60]。輸送隊4隻は米軍魚雷艇・駆逐艦の襲撃を切り抜けて無事にチョイセル島スンビへ撤退した[58]。 10月1日の第二次転進作戦時襲撃部隊艦艇は、駆逐艦「五月雨(夜襲部隊)、夕凪(警戒隊)」が加わった以外は第一次作戦と同兵力だった[61]。米軍も日本軍の撤収作戦に気付いて巡洋艦・駆逐艦・魚雷艇を投入し、襲撃部隊9隻と夜間水上戦闘になるが双方とも決定的な損害はなかった[58]。輸送隊(皐月、水無月、文月)は人員移乗を開始したが、種子島少佐によれば、敵艦を気にするあまり1450名を乗せた時点で収容を打ち切り、舟艇3隻と621名を残して去ってしまったという[62]。米艦隊や魚雷艇の襲撃により舟艇5隻が沈没。作戦全体で機動舟艇隊170名が戦死、撤収部隊は200名が戦死して約1万2000名が生還した[63]

10月上旬、襲撃部隊(第三水雷戦隊)は再び各地への輸送任務に従事[64]。10月24日、第30駆逐隊(卯月、望月)による輸送中に空襲を受け「望月」が沈没(乗員は卯月に救助)[64]。翌日には「皐月」も海図にない暗礁に触れてスクリューを破損、安全速力16ノットとなった[64][65]。そこでパラオを経由して佐世保へ戻り、修理に従事する[66]。このため11月上旬のブーゲンビル島沖海戦には参加していない。

12月前半は月明期のため駆逐艦輸送が出来ず、第三水雷戦隊各艦はトラック泊地へ後退して整備することになり、三水戦司令部は12月2日をもってラバウル陸上へ移動した[67]。12月16日附で第三水雷戦隊司令官は伊集院少将から中川浩少将に交代[68]。トラック泊地へ回航中艦艇のうち「夕張」は内地へ帰投し、その他駆逐艦は19日にラバウルへ帰着、また内地修理を終えた2隻(皐月、松風)もラバウルへ戻り、第十一航空艦隊所属の駆逐艦「太刀風」も第三水雷戦隊の指揮下に入った[68]。しかし「卯月」は機関部に故障が見つかり、トラック泊地へ回航された[69]。 12月下旬も「皐月」以下各艦は輸送作戦に奔走する[70]。幾度も空襲を受けながら「水無月」22日小破以外の損害を受けなかった理由について、三水戦の戦闘詳報には『各艦ガ仮称電波探知機ノ利用ニ概ネ慣熟シ被爆前蛇行運動機銃射撃等機先ヲ制シ得ルニ至レルニ由ル処大ナリト認ム』と記載されている[70]。また当時の飯野忠男(皐月)艦長と長倉義春(文月)艦長は海軍兵学校の同期であり、互いに相談しながら作戦に従事していたという[71]

昭和十九年の戦い[編集]

その頃、大本営はラバウル方面の兵力を増強するため陸軍部隊を内地からカビエンへ輸送することになり、連合艦隊はこの輸送を『戊号輸送作戦』と命名した[72]。同作戦支援のため第二航空戦隊(空母龍鳳飛鷹)航空隊から零式艦上戦闘機36機がニューアイルランド島カビエンへ派遣された[73]。 戊一号輸送部隊(戦艦《大和》、駆逐艦《谷風山雲》)は12月25日トラック泊地着(到着時、米潜水艦スケートの雷撃により大和は小破)[74]。作戦参加艦艇は「大和」より陸兵や物資を移載。戊三号輸送部隊第一部隊(重巡《熊野鈴谷》、駆逐艦《谷風、満潮》)は12月31日カビエン着、物資を揚陸した[74]。戊三号輸送部隊第二部隊(軽巡《能代大淀》、駆逐艦《秋月、山雲》)は1944年(昭和19年)1月1日カビエンに到着して揚陸に成功したが、米37.2任務部隊の所属空母、バンカー・ヒルモンテレー艦載機約85-100機の襲撃を受け、各艦にに若干の損傷があった[74]

1944年(昭和19年)1月3日、第22駆逐隊(文月、皐月)は輸送隊掩護のためラバウルを出撃、カビエンへ向かった[75][76]1月4日午前1時、カビエン着[73]。戊号二号輸送部隊(重巡《妙高羽黒利根》、駆逐艦《白露藤波》)も同日0433カビエン着、午前6時には揚陸を終えてトラックへ向かった[77]。22駆(文月、皐月)は午前7時前にはカビエンを出発、ラバウルへ向かう[78]。この時、索敵中の陸上攻撃機がカビエン東約170浬に空母2隻、戦艦2隻、巡洋艦駆逐艦5隻の機動部隊を発見し、各方面に通達していた[77]。 37.2任務部隊の艦載機約80機は戊第二号輸送部隊を発見できず2隻(皐月、文月)に殺到する[77][76]。友軍機の援護のないまま約20分間の対空戦闘を実施、爆撃や雷撃を全て回避したものの至近弾および機銃掃射により両艦死傷計40名以上を出し、撃墜15機(不確実6)を記録した[79]。 対空戦闘中、飯野忠男少佐(皐月艦長)は左足を砕かれる重傷を負う[80][76]。軍医により切断処置を受けても艦橋で指揮を執っていたが、ラバウル帰投・入院後に死亡した[80][76]。第八艦隊司令長官鮫島中将は、間接的に戊二号輸送部隊を護った駆逐艦2隻(文月、皐月)と乗組員の功績を全軍に対し布告した[81]。南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将は飯野艦長(当時生存中、翌朝死去)を見舞い、日本刀を授与している[82][76]

1月前半は月明期のため輸送作戦は実施できず、各艦はトラック方面に移動を開始[83]。損傷していた「皐月」も修理を兼ねて回航された[84]。1月13日、輸送船「羽黒丸」が空襲を受け沈没、「皐月」は生存者を乗せてトラック泊地へ先行した[85]。 連合艦隊は1月15日附で第4駆逐隊(野分、舞風、山雲)を南東方面艦隊に編入、18日附で第7駆逐隊2隻(《1月14日沈没書類上在籍》、)を北方部隊(第五艦隊)に復帰させた[83]。当時の南東方面部隊襲撃部隊は、一番隊(舞風野分山雲)、二番隊(文月、水無月、皐月、松風)、附属(夕張、天霧、夕月、秋風、夕凪)という戦力である[83]。15日、皐月新艦長として杉山少佐が着任[86]

1月19日、給糧艦「伊良湖」は、駆逐艦3隻(皐月、曙、)と、同艦および輸送船2隻(日昌丸、日蘭丸)の横須賀回航の日程・航路を各方面に発信する[87]。「皐月」は「伊良湖」の警戒艦だった[88]。1月20日、「皐月」は「伊良湖」を護衛してトラックを出発[89]。 だがその日のうちにトラック北方で米潜水艦「シードラゴン」に襲撃され、被雷した「伊良湖」は航行不能。「皐月」は爆雷攻撃をおこなう[90]。救難のため白露型10番艦「涼風」(第24駆逐隊)が現場へ急行[91]。さらに重巡洋艦「鳥海」等も救援にかけつけ、「伊良湖」は沈没を免れてトラック泊地へ向かった[92]。なお「涼風」は1月25日になり、米潜水艦スキップジャックに撃沈された[93]

「伊良湖」護衛に失敗した「皐月」はサイパンに回航[94][95]。同地には米潜水艦「ハダック」の雷撃で損傷した大鷹型航空母艦2番艦「雲鷹」が停泊しており[96]、「皐月」は「雲鷹」護衛任務を下令される[97]。護衛艦艇は皐月・潮・曙・初霜であった[98]。 1月27日、雲鷹隊(雲鷹、皐月、潮、曙、初霜)はサイパンを出発[99]。 2月1日午前中、悪天候により危機に陥った雲鷹隊に、2隻(重巡高雄、駆逐艦玉波)が合流する[100]。「皐月」を含め護衛艦は燃料不足におちいり、一旦横須賀に入港して燃料補給をおこなうと、再び雲鷹護衛任務に戻る[101]。2月7日夜、「雲鷹」以下11隻に増強された雲鷹護衛隊は横須賀に到着した[102]。任務を終えた「皐月」は横須賀から佐世保に移動し、2月11日より、第三水雷戦隊僚艦(卯月、夕凪)等と共に修理に従事する[103][104]

2月中旬、米軍機動部隊艦載機によるトラック島空襲及び米潜水艦や戦艦部隊の襲撃により、艦艇多数(香取阿賀野那珂、文月、太刀風、舞風)等が沈没。姉妹艦「文月」の喪失により、第22駆逐隊は2隻(皐月、水無月)の2隻となった[105]

船団護衛任務[編集]

4月上旬、船団部隊指揮官鶴岡信道少将(第三護衛船団司令官)の指揮下、護衛艦4隻(駆逐艦《皐月》、海防艦《満珠、笠戸、4号》)、加入船舶(清洋丸、阿蘇山丸、能登丸、東山丸、三池丸)で東松第五号船団が編成される[106]4月7日午前3時30分、東松第五号船団(旗艦「皐月」)は東京湾を出撃、パラオへ向かう[106][107]。パラオ空襲の情報があったため4月10日父島に避泊[106][108]。4月18日に再出撃し[109]、24日11時30分パラオに到着した[106][110]。 「清洋丸」以外の各艦は4月26日パラオを出発[106][110]。27日、「三池丸」が被雷沈没、2隻(阿蘇山丸、笠戸)も被雷損傷したためパラオに引き返す[106]。米潜水艦トリガー(USS Trigger, SS-237)の戦果だった。船団はパラオに引き返し、28日に4隻(皐月、第4号海防艦、東山丸、能登丸)で出発、5月4日午後7時、東京湾に到着した[106][111]。 本艦が護衛作戦従事中の5月1日、第22駆逐隊に神風型駆逐艦9番艦「夕凪」が編入されて同隊は3隻(皐月、水無月、夕凪)となる[112]

5月上旬、船団部隊指揮官鶴岡信道少将(第三護衛船団司令官)の指揮下、護衛艦3隻(駆逐艦《皐月》、海防艦3隻《天草、4号、6号》)、輸送船3隻(東山丸、能登丸、さんとす丸)で東松第八号船団が編成される[113]。 5月14日午前4時30分、鶴岡少将(旗艦「皐月」)指揮下の船団は館山を出撃[113][114]。損害なく5月19日サイパン島到着[113][115]。輸送船団司令部は「皐月」が護衛についた事について「とにかく護衛艦中に一隻でも駆逐艦を有するということは強味であった」と回想している[116]。最大発揮速力17ノット前後の海防艦では、浮上航行時19ノットを発揮する米潜水艦に対抗できず、旧式駆逐艦や鴻型水雷艇は船団護衛にとって貴重な戦力となった[117]睦月型駆逐艦は護衛指揮官の乗艦としても適していたという[117]

6月6日、第22駆逐隊僚艦「水無月」は米潜水艦ハーダーUSS Harder, SS-257)に撃沈され[93]、第22駆逐隊は2隻となった[118]。 7月4日に父島で敵機の攻撃を受け至近弾により損傷、横須賀で修理。その後は内地とシンガポール間の船団護衛に従事した。

7月上旬、マリアナ沖海戦に続くサイパンの戦いで、サイパン島の地上戦に巻き込まれた第三水雷戦隊司令部は全滅、第三水雷戦隊司令官中川浩少将も戦死した。そこで日本海軍は第三水雷戦隊の残存艦艇を基幹として、8月20日附で第三十一戦隊を編制する(司令官江戸兵太郎少将)[119][120]。旗艦予定だった長良型3番艦「名取」が[119]、編成直前の8月18日に米潜水艦ハートヘッド(USS Hardhead, SS-365)の雷撃で沈没。代艦として長良型2番艦「五十鈴」を旗艦にあてた[119]。 第三十一戦隊の編成と共に第22駆逐隊は解隊され、残存2隻(皐月、夕凪)は第30駆逐隊に編入、同隊は駆逐艦5隻(卯月、夕月、秋風、皐月、夕凪)となった[121]。 各艦・各隊は瀬戸内海で戦隊訓練・対潜訓練を実施[120]。だが8月25日に船団護衛任務中の「夕凪」は米潜水艦ピクーダ(USS Picuda, SS-382)に撃沈された[93]

1944年(昭和19年)9月6日、「皐月」は神威船団(神威旭東丸、興川丸)を護衛してシンガポールを出発[122][123]。マニラ地区空襲の恐れがあったため[124]、ブルネイ等を経由・仮泊しながら航海を続ける[125]。 本艦が神威船団護衛中の9月17日、日本からシンガポールへ向かうヒ75船団から水上機母艦「秋津洲」と特設巡洋艦「西貢丸」、第30駆逐隊(夕月、卯月)が分離、フィリピンマニラ港へ向かう[126]。このあと「西貢丸」は米潜水艦フラッシャー(USS Flasher, SS-249)に撃沈された[127]。 9月20日夜、神威船団(神威、旭東丸、興川丸、皐月、駆潜艇2隻)はマニラに入港した(艦長の証言によると21日の夜明け前に到着)[128][129][130]。 翌9月21日午前5時、第30駆逐隊(卯月、夕月、秋風)はマタ27A船団を護衛してマニラを離れる[131][132][133][134]。 同日、燃料補給を実施後マタ27船団に追いつこうとしていた「皐月」は[129]マニラ湾にてアメリカ軍の空母艦載機の攻撃を受ける[135][134]。 24〜30ノットを発揮して対空戦闘を実施[136]。だが第一次空襲で左舷に落ちた至近弾により復水器が破壊され、片舷航行、最大発揮速力は20ノット以下に低下した[135][137]。また複数の至近弾により負傷者が出たため艦載艇で陸地へ移送、そのために軍医長・水雷長・航海長を派遣し、艦橋には艦長、砲術長、操舵員の3名しかいなかったという[135]。午後に入り第一缶室に爆弾が命中、速力が落ちた所で艦前部に爆弾が命中、さらに複数の命中弾を受け15時45分に沈没した[138][139]。 「皐月」沈没後、生存者は陸上からの大発動艇により救助され、また給糧艦「伊良湖」等にも救助された[140]。戦死者52名、重軽傷者42名[141]。米軍による沈没地点北緯14度35分 東経120度45分 / 北緯14.583度 東経120.750度 / 14.583; 120.750。 まもなく生存者全員は日本に帰還でき、後のマニラの地上戦に巻き込まれることはなかった[135]。 9月24日、給糧艦「伊良湖」と水上機母艦「秋津洲」は退避した先のコロン島(コロン湾)で米空母艦載機の攻撃を受け、共に撃沈された。

11月10日、駆逐艦「皐月」は 卯月型駆逐艦[142]、 第30駆逐隊[143]、 帝国駆逐艦籍[144] のそれぞれから除籍された。

最終時兵装[編集]

1944年(昭和19年)8月20日の調査によると本艦の兵装は12cm単装砲3門、61cm3連装魚雷発射管2基、25mm3連装機銃3基、同連装2基、同単装9基、13mm単装機銃5基となっている。(『日本駆逐艦物語』p267,p280による)

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』253-254頁による。

艤装員長[編集]

  1. 佐野哲 少佐:1925年4月15日 -

艦長[編集]

  1. 佐野哲 少佐:1925年11月15日 - 1927年11月15日[145]
  2. 石戸勇三 中佐:1927年11月15日 - 1928年5月7日
  3. 原顕三郎 中佐:1928年5月7日 - 1928年12月10日[146]
  4. 山本正夫 少佐:1928年12月10日[146] - 1929年11月1日[147]
  5. 古木百蔵 少佐:1929年11月1日 - 1931年7月16日[148]
  6. (兼)益田康彦 少佐:1931年7月16日[148] - 1931年11月2日[149]
  7. 松原博 少佐:1931年11月2日 - 1934年2月1日[150]
  8. 橘雄次 少佐:1934年2月1日 - 1934年11月15日
  9. 野間口兼知 少佐:1934年11月15日 - 1936年12月12日[151]
  10. 阿部徳馬 少佐:1936年12月12日[151] - 1937年11月15日[152]
  11. (兼)大島一太郎 少佐:1937年11月15日[152] - 1938年1月13日[153]
  12. 山隈和喜人 少佐:1938年1月13日 - 1938年12月1日[154]
  13. (兼)久保木英雄 少佐:1938年12月1日 - 1939年11月15日[155]
  14. 松崎辰治 少佐:1939年11月15日 -
  15. 池田周作 少佐:1941年9月10日 -
  16. 杉原与四郎 少佐:1942年6月10日 -
  17. 小島三郎 大尉:1943年5月20日 -
  18. 小泉四郎 少佐:1943年5月26日 -
  19. 飯野忠男 少佐:1943年9月1日 - 1944年1月4日戦死
  20. 杉山忠嘉 少佐:1944年1月8日 -

脚注[編集]

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  1. ^ a b #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦  ツキ トス』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.1『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月』
  3. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.77『皐月(さつき) 舊露國驅逐艦、原名「ビェドヴヰ」、明治38年5月日本海々海戦の際、負傷せる露國司令長官「ロゼストウェンスキー」を収容、戦場を逸れしも、我驅逐艦漣のため捕獲せらる、同38年6月6日帝國驅逐艦と定む。大正2年4月1日除籍。』
  4. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『睦月型(十二隻)』
  5. ^ a b #S3.06.21駆逐艦掃海艇改名p.3『艦艇名改正表(一)一等驅逐艦|第二十二驅逐隊|第二十七號驅逐艦|ツキ|/|第二十八號驅逐艦|ヅキ|/|第二十九號驅逐艦|フミツキ|/|第三十號驅逐艦|ナガツキ|』
  6. ^ #達大正12年7月p.7『達第百六十二號 艦艇製造費ヲ以テ大正十二年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦五隻ニ左ノ通命名ス|大正十二年七月十九日 海軍大臣財部彪|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第十九驅逐艦|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 第二十一驅逐艦|浦賀造船所ニ於テ建造 第二十三驅逐艦|石川島造船所ニ於テ建造 第二十五驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第二十七驅逐艦』
  7. ^ #達大正12年7月p.7『達第百六十三號 艦艇類別等級表中驅逐艦ノ欄第十七ノ下ニ「第十九、第二十一、第二十三、第二十五、第二十七」ヲ加フ|大正十二年七月十九日 海軍大臣財部彪』
  8. ^ #第27駆逐艦工事予定概括表の件p.4『第二十七驅逐艦工事豫定概括表(大正十二年五月調)』
  9. ^ #第27号駆逐艦工事予定概括表変更の件p.4『第廿七號驅逐艦工事豫定概括表 起工キール据付/一二.一二.一(以下略)』
  10. ^ 大正13年4月24日付 達第49号。
  11. ^ a b c #艦船要目(昭和12年12月1日現在)p.4『皐月|一等驅逐艦|(艦要目略)|藤永田造船所|大正13-12-1|14-3-25|14-11-15|(兵装略)』
  12. ^ 大正14年3月26日(木)海軍公報第3716号 p.46』 アジア歴史資料センター Ref.C12070296800 『○驅逐艦進水 大阪藤永田造船所ニ於テ建造ノ第二十七號驅逐艦三月二十五日午前七時三十分進水セリ』
  13. ^ 大正14年4月24日(金)海軍公報第3740号 p.40』 アジア歴史資料センター Ref.C12070297100 『○事務所設置 第二十七號驅逐艦艤装員事務所ヲ大阪藤永田造船所内ニ設置シ本月二十日ヨリ事務ヲ開始セリ』
  14. ^ 大正14年11月16日(月)海軍公報第3906号 p.9』 アジア歴史資料センター Ref.C12070299500 『○事務所撤去 第二十七號驅逐艦艤装員事務所ヲ大阪藤永田造船所内ニ設置中ノ處本月十五日撤去セリ』
  15. ^ #支那事変第8回功績概見表(第22駆逐隊)pp.1-5
  16. ^ a b #支那事変第9回功績概見表(第22駆逐隊)p.1『第二十二驅逐隊 文月皐月水無月長月|殊勲乙|自昭和十五年十一月十五日至昭和十六年五月三十一日|南支沿海ニ行動シ左記任務ニ從事ス 一.分担區域ノ監視警戒/二.支那船舶ノ交通遮断/三.宣言地區ニ於ケル第三國船舶ノ交通阻止/四.敵兵力軍事施設ノ撃破/五.分担區域内作戰資料ノ蒐集/六.大海廣州湾派遣委員トノ通信連絡/七.沿岸要地ノ急襲|乗員ノ一致協力ニ依リ上記任務ヲ完全ニ遂行シ以テ作戰目的達成上多大ノ効果ヲ収メタリ|四月十日第三艦隊第五水雷戰隊ニ編入セラレ第二遣支艦隊司令長官ノ作戰指揮下ニ入ル』
  17. ^ #駆逐隊編制(昭和16年6月30日)p.3『驅逐隊編制|第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月』
  18. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦付表第一『南方部隊作戦関係主要職員表 昭和十六年十二月八日』
  19. ^ #叢書46海上護衛戦115頁
  20. ^ #叢書46海上護衛戦117-119頁『編制』
  21. ^ #叢書46海上護衛戦137-138頁『第一海上護衛隊の護衛作戦』
  22. ^ a b #叢書46海上護衛戦138-141頁『五月〜九月の状況』
  23. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』
  24. ^ a b #叢書46海上護衛戦227-229頁『編制、配備の状況』
  25. ^ #内令昭和17年12月(2)p.38『内令第二千二百六十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十三驅逐隊、第二十二驅逐隊及第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  26. ^ #叢書46海上護衛戦230-2231頁
  27. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.16『長月、文月、皐月|1-20|NTF電令作第一號ニ依リSNBニ編入』
  28. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後43頁『中部ソロモン方面増援輸送』
  29. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)243-246頁『丙号輸送の経過』
  30. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後34-36頁『丙三号輸送』
  31. ^ #内令昭和18年2月(4)pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』
  32. ^ #S1709八艦隊日誌(6)p.6『(一)三月一日艦隊區分』-p.9『兵力配備』
  33. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後74頁
  34. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後72頁『輸送の実施』
  35. ^ #内令昭和18年3月(3)p.47『内令第五百二十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十九驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ||第三十驅逐隊|三日月、望月、卯月|』
  36. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後93頁『昭和十八年度帝国海軍戦時編制』
  37. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後133-134頁『東部ニューギニア方面増援輸送』
  38. ^ #S1709第八艦隊日誌(7)p.19『(ト)4月3日「メーウェ」泊地停泊ノ青葉及「スエツフエン」水道南方回避行動ノ文月ハ0320ヨリ0410ノ間ニ敵機ノ攻撃ヲ受ケ青葉ハ浸水擱座文月ハ中破セリ』
  39. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後131頁
  40. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後188-191頁『中部ソロモン方面輸送』
  41. ^ a b c d e #戦史叢書96ガ島撤収後226-227頁『各部隊の作戦』
  42. ^ a b c d e f #戦史叢書96ガ島撤収後228-230頁
  43. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.15『22dg(長月、皐月)11dgニ続行北上中0020戦闘一時中止サレ且敵状全ク不明ナリシヲ以テ揚陸ヲ決意反転南下ス0049長月「ベネット」入泊南海岸ニ坐礁0100ヨリ陸兵物件ノ揚陸ヲ開始スルト共ニ皐月ヲシテ曳航離礁ニ努メタルモ奏功セズ0423皐月ノ協力ニヨル曳卸ヲ止メ同艦ハ「コロンバンガラ」ニ急行0517泊地着0610終了 ZOB(長月新月欠)1000ブイン泊地ニ集結ス』
  44. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.15『(2)被害 新月沈没 長月坐礁後被爆大破 天霧初雪谷風中破 涼風望月小破』
  45. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.35『八(天候略)22dg司令駆逐艦ヲ長月ヨリ皐月ニ変更ス』
  46. ^ a b c d e f g #戦史叢書96ガ島撤収後245-247『水上部隊の作戦』
  47. ^ a b c d e f #戦史叢書96ガ島撤収後247-248頁『水上部隊の作戦』
  48. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.23『(ロ)11dg(初雪)望月17日夜決行予定ノ「コロンバンガラ」緊急輸送物件輸送ノ為16日1615「ラバウル」発17日0500「ブイン」着』
  49. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.23『(ハ)17日.18日「ブイン」泊地対空戦斗 17日初雪望月入泊皐月ハ望月ヨリ水無月ハ初雪ヨリ夫々横付重油補給出撃準備中、0722ヨリ0741ニ至ル間敵大型機並ニ戦爆連合ノ大編隊来襲主トシテ泊地攻撃之ト交戦、初雪被弾約十個沈没、皐月水無月被爆小破、18日0715ヨリ戦爆連合約100機以上ノ「ブイン」泊地来襲ニ依リ望月小破、19日0800「ラバルウ」着、修理ニ従事』
  50. ^ a b #S1807三水戦日誌(1)p.24『(ホ)七月中旬以降22dg(皐月水無月)望月11dg(天霧)夕凪松風「ラバウル」ニ於テ應急修理ニ従事、22dg(皐月)望月29日、水無月夕凪30日、11dg(天霧)松風31日夫々完成』
  51. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後249-250頁『経過外洋と南東方面部隊等の作戦指導』
  52. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.44『二八(天候略)二.0155 3sd(川内、皐月、望月)三日月有明救難ノ為遭難現場ニ向ケ「ラバウル」発、途中0400反転0710「ラバウル」着』
  53. ^ #S1807三水戦日誌(1)pp.44-45『三.0800秋風遭難現場ニ向ケ「ラバウル」発/二九(天候略)二.0735秋風「ラバウル」着』
  54. ^ #S1704七戦隊日誌(7)p.14『(六)熊野ハ19日夜戦ニ於テ損傷シ修理ノ為機動部隊ニ復帰ヲ命ゼラレタルヲ以テ「ラボール」ニ於テ應急修理ノ上29日1300「ラボール」發駆逐艦皐月望月ノ護衛ヲ附シ「トラツク」ニ回航セシム』
  55. ^ #S1807三水戦日誌(2)pp.30-31『(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  56. ^ #S1807三水戦日誌(2)pp.47-31『(四)麾下並ニ一時指揮下ニ入ル艦船部隊ノ行動』
  57. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後289頁『「セ」号作戦』
  58. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後300-302頁『「セ」号作戦実施経過』
  59. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後297頁『襲撃部隊の第一次計画』
  60. ^ #ソロモン海セ号作戦196-197頁
  61. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後297頁『襲撃部隊の第二次計画』
  62. ^ #ソロモン海セ号作戦210-211頁
  63. ^ #ソロモン海セ号作戦212頁
  64. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後329-332頁『襲撃部隊による配備兵力の作戦輸送』
  65. ^ #S1807三水戦日誌(4)p.67『(ロ)皐月 海図未載ノ暗礁ニ触レ両舷推進器翼破損安全最大速力十六節 入渠修理ヲ要ス』
  66. ^ #S1807三水戦日誌(5)pp.15-17『(二)麾下竝ニ一時指揮下ニ入レル艦船ノ行動(一)麾下艦船』
  67. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後441頁『三水戦将旗を陸上に移揚』
  68. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後442頁『第三水雷戦隊司令官交迭』
  69. ^ #S1812三水戦日誌(1)p.11『(三)卯月ハ「パラオ」ニ於テ各部検査整備中「タービン」舵取機械等ニ重大故障惹起ノ虞アルヲ発見当方面作戦ニ従事セシメ得ザルヲ以テ内地ニ回航整備セシムルコトトナレル處十二月二十一日附ヲ以テGF附属ニ編入「トラツク」ニ回航セリ』
  70. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後443頁『作戦輸送の再開』
  71. ^ #佐藤 艦長(文庫)362頁
  72. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後461-462頁『戊号輸送計画』
  73. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後464頁『我が軍の対策』
  74. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後463頁『作戦輸送の実施』
  75. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.11『(2)特別任務 自一月三日至一月四日 22dg(水無月欠)GF戊二号輸送部隊警戒対潜掃蕩「カビエン」港外』
  76. ^ a b c d e #草鹿ラバウル68-71頁『空襲下に左脚切断の手術を受けつつ、艦橋を去らずして戦いし、つき駆逐艦長飯野忠勇少佐のこと。』
  77. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後465頁『第三次カビエン空襲(一月四日)』
  78. ^ #佐藤 艦長(文庫)363頁
  79. ^ #S1812三水戦日誌(5)pp.38-40『一月五日一四五〇22dg司令(宛略)四日「カビエン」港外對空戦斗概報 當隊(文月皐月)ハ戊二號輸送部隊「カビエン」輸送ニ関聯同港外対潜掃蕩ノ任務ヲ終ヘ四日〇六四五同地発RRニ帰投ノ途次〇七二六ヨリ約二〇分間「ステフェン」水道南附近ニテ敵戦爆雷機約八十機ト交戦友軍機ノ協力ナシ 一三三五RR着 一.戦果撃墜十五機(内不確実六機)/二.被害《文月》(イ)戦死砲術長以下八名(便乗者一)重傷十四軽傷十名 (ロ)銃撃ニ依ル外鈑穿孔百数十ヶ所探信儀作動不良其ノ他兵器小被害箇所多数アリ機関全力発揮差支ナシ 《皐月》(イ)戦死候補生以下七名重傷駆逐艦長以下十五名 (ロ)三缶室機械室艦底外鈑内方ニ湾曲シ縦通材助材及び機械台一部挫曲 (ハ)両舷推進器共全翼尖欠損歪曲換装ヲ要ス (二)両舷推進軸偏倚中心検査ヲ要ス (ホ)一番砲々身機銃弾穿入換装ヲ要ス (ヘ)発揮可能最大速力二十四節/三.所見 友軍機ノ協力ナキ状況ニ於テ八十籔機ノ雷爆銃撃ヲ蒙リタルモ敵機ノ練度十分ナラザルニ比シ我ハ増備機銃ノ威力ヲ遺憾ナク発揮シ且爆撃雷撃回避其ノ宜シキヲ得タル爲至近弾及銃撃ニ依ル被害大ナリシ外雷撃爆撃共ニ順撃ニ終ラシメ直撃ヲ免レ得タリ』
  80. ^ a b #佐藤 艦長(文庫)364頁
  81. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.46『一月八日〇七五七8F長官(宛略)22dg(文月皐月)一月四日RQ南方ニ於テ敵八〇餘機ト交戦独力其ノ十数機ヲ撃墜之ヲ撃退小被害ヲ以テ両艦ノ戦力ヲ確保シ得タルハ金岡司令以下乗員一同克ク勇戦奮斗予テノ修練ヲ発揮セルモノニシテ武勲顕著ナリト認ム 今ヤ戦局愈重大ヲ加ヘルノ秋一同益奮顧以テ御信倚ニ副ヒ奉ランコトヲ期セヨ 尚不幸敵弾ニ殪レタル将士ヲ悼ミ傷ツキタル勇士ノ速ナル本復ヲ祈ル』
  82. ^ #佐藤 艦長(文庫)365頁
  83. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後487-488頁『一月、二月の駆逐艦輸送』
  84. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.12『自一月十二日至一月十四日 22dg(皐月)自「ラボール」至「トラック」間第2112船團護衛』-p.14『皐月一月四日ノ戦斗ニ於ケル損傷ニ関シ「ラボール」ニテ應急修理ノ上内地ニ於ケル修理ノ為中旬「トラック」ニ回航下旬内地回航』
  85. ^ #S1812三水戦日誌(5)pp.58-59『一月十三日22dg司令(宛略)一.現場(ユウメ34)海上荒1330羽黒丸遭難者収容終了便乗者二〇一空転進員150名船員48名同船警戒員4名中行方不明者下士官兵10名船員8名/二.機密図書ハ(船長ノ言)箱入レ重錘ヲ附シアルヲ以テ船ト共ニ沈没確實/三.皐月ハ傷者7(内重傷3名)及二〇一空輸送指揮官樋泉中尉以下計18名ヲ乗セ十四日0200船団ト分離先行十五日1200PT着ノ予定』
  86. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.65『一月十六日一二二七22dg司令(宛略)一.皐月駆逐艦長杉山十五日着任 二.文月皐月行動予定左ノ通 文月ハ十八日午前PT発二十日午後RR着 皐月伊良湖ヲ護衛十九日PT発二十六日頃NAC着ノ予定』
  87. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.3『一月二十日一九四一伊良湖(宛略)機密第191941番電 伊良湖日昌丸日蘭丸潮曙皐月行動予定 二十日0530PT発同日2120北緯八度二〇分東経一四九度三二分(以下略)』
  88. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.67『二〇(天候略)一.皐月0530「トラック」発(伊良湖警戒) 二.文月1600「ラバウル」着|(略)二.皐月1025北緯七度五〇分東経一五一度一五分ニ於テ伊良湖ヲ雷撃セル敵潜ニ対シ爆雷攻撃反覆五回実施ス 使用爆雷十八個』
  89. ^ #S1812三水戦日誌(5)p.12『自一月二十日至一月二十二日 皐月自「トラック」至サイパン間伊良湖護衛』
  90. ^ #S1812三水戦日誌(6)pp.8-9『一月二〇日一五〇五皐月駆逐艦長(宛略)発皐月駆逐艦長 一〇二五 7°50′N151°15′Eニテ伊良湖ヲ雷撃セル敵潜ニ対シ雷跡ニ反航爆雷攻撃ヲナシ(六個)引續キ五回ニ亙リ攻撃ヲナス使用爆雷合計至近弾十八個相當効果アリタルモノト認ムルモ効果ヲ確認シ得ザル内ニ護衛隊ノ命ニ依リ伊良湖警戒ニ任ジPTニ回航中』
  91. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.9『涼風(略)19日雲鷹救難ノ為24dg(海風)浦風ト共ニ出撃セルモ命ニ依リ引返セリ、20日伊良湖救難ノ為出港翌21日入港』
  92. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.60『21日0701潮→2KEg 妙高(涼風鳥海曙九〇二空/伊良湖ハ浸水増加危険状態ナリ0700鳥海到着セリ(略)』
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  98. ^ #S1812三水戦日誌(6)pp.34-36『一月二十六日 雲鷹艦長(宛略)機密第261345番電 發雲鷹艦長 一.二十六日應急補強工作概ネ完了二十七日早朝 潮曙初霜皐月ヲ率ヰPS発NAA回航ニ回航実速九節ヲ得ラルヽ見込但シ天候敵潜出現状況ニ依リテハ回航地ヲ変更スルコトアルベシ 二.予定航路(別電) 三.途中対潜飛行警戒依頼ス(以下略)』
  99. ^ #S1812三水戦日誌(6)p.71『二七(天候略)一.秋風文月一七二〇「ラバウル」帰着/二.皐月「サイパン」発(雲鷹護衛)』
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  102. ^ #S1812高雄日誌(2)p.33『爾後漸次増援アリテ横須賀入港時11隻、高雄搭載機零水1他ニ内地航空隊ノ対潜哨戒機延5機ノ協力ヲ得タリ』
  103. ^ #S1902三水戦(1)p.20『皐月|一.一一|(三月二六)|佐世保|一月四日ノ對空戰闘被銃爆撃ニ依ル損傷箇所修理』
  104. ^ #S1902三水戦(1)pp.25-26『(四)麾下一時指揮下ニ入リタル艦船ノ行動(イ)麾下艦船』
  105. ^ #内令昭和19年3月(5)p.39『内令第五百十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム|第九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「濱風」ノ下ニ「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第十八驅逐隊/薄雲、霞、不知火|第二十二驅逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル|第二十四驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  106. ^ a b c d e f g #叢書46海上護衛戦366-367頁『東松五号船団』
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  118. ^ #内令(秘)昭和19年8月(3)p.10『内令第九四一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年八月十日 海軍大臣|第十七驅逐隊ノ項中「谷風、」ヲ削ル|第二十二驅逐隊ノ項中「水無月、」ヲ削ル|第二十七驅逐隊ノ項中「白露、」及「、春雨」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「松風、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「早波、」ヲ削ル』
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  139. ^ #S1906旭東丸日誌(5)p.25『一五四五 皐月敵機ノ爆撃ヲ受ケ二六〇度一五〇〇〇米ニ火焔ヲ発シ沈没スルヲ認ム「コレヒドール」島附近ノ商船一隻縁珠港内油槽船外貨物船二隻炎上』
  140. ^ #S1906第30駆日誌(1)p.23『1730頃|大発一隻現場ニ急行シ来ル日没迄ニ生存者全部ハ根拠地隊派遣艇(大発1隻)並ニ伊良湖其他ノ船ニ救助セラル』
  141. ^ #S1906第30駆日誌(1)pp.27,38『四.戦果報告 (一)戦果 撃墜十機 撃破二機(後日撃墜ナルコト判明) (二)被害(イ)船体 被爆弾沈没 船体兵器機関全部喪失 (ロ)人員 戦死者准士官以上四名、下士官二三名、兵二五名 重傷者 下士官五名、兵一〇名』
  142. ^ #内令(秘)昭和19年11月(2)pp.21-22『内令第一二四七號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年十一月十日 海軍大臣|軍艦、航空母艦大鷹型ノ項中「雲鷹、」ヲ、同水上機母艦ノ項中「、秋津洲」ヲ、同潜水母艦ノ項中「迅鯨、」ヲ、敷設艦ノ項中「、八重山」「、蒼鷹」ヲ削ル 驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、皐月」ヲ削ル(略)』
  143. ^ #内令(秘)昭和19年11月(2)p.27『内令第一二五〇號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年十一月十日 海軍大臣|第三十驅逐隊ノ項中「、皐月」ヲ削ル』
  144. ^ #内令(秘)昭和19年11月(2)pp.27-28『内令第一二五四號 横須賀鎮守府在籍 軍艦 秋津洲 軍艦 迅鯨|呉鎮守府在籍 軍艦 雲鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 八重山|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 蒼鷹 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 皐月 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(略)|昭和十九年十一月十日 海軍大臣』
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参考文献[編集]

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  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社、1982年ISBN 4-7698-0207-2
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 危機への予感 <駆逐艦「文月」艦長・長倉義春中佐の証言>(太平洋戦争時、阿武隈水雷長、利根水雷長、早苗艦長、文月艦長、初春艦長。昭和18年11月〜沈没まで文月艦長)
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  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 正篇』(光人社、1983年) ISBN 4-7698-0207-2
  • 種子島洋二 『ソロモン海「セ」号作戦―コロンバンガラ島奇蹟の撤収』 光人社NF文庫、2003年9月。ISBN 4-7698-2394-0
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』(原書房、1981年、第3刷)ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』 朝雲新聞社、1969年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社、1971年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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    • Ref.C14120971000 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊潜水隊水雷隊掃海隊 海軍武功調査/第22駆機密第17号の81 第22駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。
    • Ref.C14120980200 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/第22駆機密第21号の147 第22駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。
    • Ref.C14120989000 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/第22駆機密第17号の265 第22駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。
    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030022700 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030022800 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030022900 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030023000 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(6)』。
    • Ref.C08030023100 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(7)』。
    • Ref.C08030023200 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(8)』。
    • Ref.C08030116300 『昭和17年12年1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030047800 『昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030100400 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030146300 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030047800 『昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030105800 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030105900 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030106000 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030106100 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030106200 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030106500 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030106600 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030106700 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030106800 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030106900 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030107000 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030107100 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030102000 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030107400 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030107500 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030107600 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030107700 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030107800 『昭和19年2月1日~昭和19年4月29日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030569700 『昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 軍艦高雄戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030569800 『昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 軍艦高雄戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030149600 『昭和19年6月1日~昭和19年12月31日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030137300 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030137400 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030137500 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030137600 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030137900 『昭和17年4月10日~昭和17年8月31日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030138000 『昭和17年4月10日~昭和17年8月31日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030138100 『昭和17年4月10日~昭和17年8月31日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030138400 『昭和17年9月1日~昭和17年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030138500 『昭和17年9月1日~昭和17年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030138800 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030138900 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030139000 『昭和17年12月1日~昭和18年4月30日 第1海上護衛隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030139300 『昭和18年3月1日~昭和18年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030139400 『昭和18年3月1日~昭和18年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030139700 『昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030139800 『昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030139900 『昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030141000 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030141100 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030141400 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030141500 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030587700 『昭和19年4月1日~昭和20年3月31日 特務艦神威戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030644900 『昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030645000 『昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(5)』。

関連項目[編集]