瑞鶴 (空母)

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瑞鶴
Japanese.aircraft.carrier.zuikaku.jpg
瑞鶴(1941年9月25日)
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 川崎造船所(川崎重工業)艦船工場
計画 1937年 (マル3計画)
起工 1938年5月25日
進水 1939年11月27日
竣工 1941年9月25日
除籍 1945年8月31日[1]
最後 1944年10月25日沈没
北緯19度20分 東経125度51分 / 北緯19.333度 東経125.850度 / 19.333; 125.850 (瑞鶴の沈没地点)座標: 北緯19度20分 東経125度51分 / 北緯19.333度 東経125.850度 / 19.333; 125.850 (瑞鶴の沈没地点)
要目 (特記無きは計画[2])
種別 航空母艦
クラス 翔鶴型
基準排水量 25,675英トン
公試排水量 29,800トン
満載排水量 32,105トン
全長 257.5m
水線幅 26.0m
吃水 8.87m (公試平均)
ボイラー ロ号艦本式専焼缶8基
主機 艦本式タービン4基4軸 160,000hp
速力 計画:34.0kt
1944年5月調査:34.23kt[3]
燃料 計画:重油 5,000トン
1944年5月調査:重油 5,069トン[3]
航続距離 計画:9,700カイリ / 18ノット
1944年5月調査:11,798カイリ / 18ノット[3]
乗員 計画乗員:1,660名 最終時:1,712名[要出典]
兵装
搭載機
飛行甲板 長さ:242.2m x 幅:29.0m[6](または計画幅 29.5m)
エレベーター3基
その他 着艦識別文字: ス[7]
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瑞鶴(ずいかく/ずゐかく/ズヰカク)は、大日本帝国海軍航空母艦[8]

概要[編集]

軍艦 瑞鶴翔鶴型航空母艦の2番艦[9]マル3計画において、大和型戦艦大和や武蔵と同時期に建造された。太平洋戦争では、真珠湾攻撃珊瑚海海戦第二次ソロモン海戦南太平洋海戦い号作戦(航空隊のみ参加)、ろ号作戦(航空隊のみ参加)、マリアナ沖海戦等の海戦に参加、姉妹艦の翔鶴と共に日本海軍の主力艦として活躍した[10]1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦栗田艦隊のレイテ湾突入を支援する「囮部隊」として参加、10月25日エンガノ岬沖海戦において米軍機動部隊艦載機の攻撃により沈没した。翔鶴と対照的に、瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった[11][12]

艦名[編集]

艦名の「瑞」はめでたいという意味で、「」は日本において長寿の象徴とされており縁起の良い鳥獣の一種である。

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

新造時の瑞鶴

1930年代初頭、日本海軍はワシントン海軍軍縮条約ロンドン海軍軍縮条約から脱退、第二次ロンドン海軍軍縮会議も決裂した。これをふまえ、第三次海軍軍備補充計画(マル3計画)が帝国議会で承認される。第1号艦(大和)、第2号艦(武蔵)、第3号艦(翔鶴)、第4号艦(瑞鶴)、第5号艦(日進)として、1938年(昭和13年)5月25日川崎造船所(川崎重工業)艦船工場にて瑞鶴は起工された[13]。同造船所が建造する三万トン級大型軍艦としては、金剛型戦艦榛名伊勢型戦艦伊勢加賀型戦艦加賀に続く四隻目となる。1939年(昭和14年)9月14日、高松宮宣仁親王が神戸艦船工場を訪れ、瑞鶴の工期を半年繰り上がらないかと発言[14]。それを受けて3ヶ月の工期短縮が決定され、この結果として瑞鶴は真珠湾攻撃への参加が可能となった[15]1939年(昭和14年)9月30日、神戸造船所で建造中の空母に瑞鶴[8]、敷設艦(甲標的母艦)に日進砲艦橋立、潜水艦3隻に伊号第二十一潜水艦伊号第二十三潜水艦伊号第二十四潜水艦敷設艇浮島の艦名が正式に与えられた[16]。 同年11月27日進水[13]。翔鶴、瑞鶴という軍艦が進水した事は公表されたが、その概要は伏せられている[17]1941年(昭和16年)8月、呉海軍工廠での作業のため神戸から呉に向かう途中、台風十四号の暴風雨にあい、その際舷窓の閉め忘れにより浸水するという出来事があった[18]1941年(昭和16年)9月25日に就役[13]。8月8日に竣工していた姉妹艦の翔鶴[19]、駆逐艦秋雲とともに第五航空戦隊(司令官原忠一少将)を編成した[20]。この時点では姉妹艦の翔鶴と区別するために、甲板前部に「ス」と書かれていた。ただし、最終状態の時には書かれていない。

1941年(昭和16年)9月12日に内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、最新鋭の翔鶴と瑞鶴はは第11駆逐隊(吹雪白雪初雪)と共に第一航空戦隊を編制し[21]、それまでの一航戦(赤城、加賀)は第51駆逐隊(白雲薄雲)と共に第五航空戦隊となる予定であった[22][23]。しかし太平洋戦争の勃発により、第11駆逐隊が第一航空戦隊に配属されることはなかった。

真珠湾攻撃[編集]

1941年(昭和16年)、第五航空戦隊南雲忠一中将指揮下の第一航空艦隊(南雲機動部隊)に属し、真珠湾攻撃に参加した。 艦上攻撃機隊48機が宇佐基地艦上爆撃機隊54機が大分基地艦上戦闘機隊36機は佐世保基地を基地として[24]、離着艦訓練や錦江湾志布志湾佐伯湾での訓練を行った。

11月16日、瑞鶴は呉基地で燃料・弾薬・食料などを搭載、艦載機も全機収容した[25]。出港前に副長から凡その目的地と寄港地を説明されるのが通例であったが、今回はそれが無いまま出港し、途中で自艦の搭載機部隊を各陸上基地から離陸させて着艦収容すると佐伯湾に錨泊した[26]。佐伯湾にはハワイ作戦に参加するほとんどの24隻の艦船が集まっており、翌17日午後に山本五十六連合艦隊司令長官の視察を受けた。各艦船は機動部隊としての行動をごまかすため、11月18日に時間をずらしてバラバラに佐伯湾を離れ、第五航空戦隊は豊後水道を他艦とは逆に北上して別府湾で停止した。日付が19日になった午前0時に再び動き出して豊後水道を戻り、本州東海の太平洋を北上していった。

旗艦赤城では、佐伯湾を出た翌日の航行途中で全飛行搭乗員へハワイ作戦が訓示されたが、瑞鶴では呉出港以来、何も説明が無いまま11月22日千島列島択捉島単冠湾へ入った[27]。全乗組員に艦長もしくは副長からハワイ作戦について知らされたのは翌23日で[28]、加賀が到着した後だったという。各艦打ち合わせと兵器整備の後、11月26日南雲機動部隊は単冠湾を出港し艦列を連ね、一路ハワイ真珠湾へと向かった[29]

12月8日、瑞鶴は他の5隻の空母と共に真珠湾に対し2波にわたる攻撃を行った。瑞鶴からは計58機が出撃し未帰還機ゼロという幸運なスタートを切った。当時の第五航空戦隊は新兵が多く、比較的練度も低めだった事もあり、翔鶴共々艦隊からお荷物扱いもされ、攻撃の際も難しい魚雷攻撃ではなく、水平爆撃が主体だった。(しかし実際は他機動部隊乗員の練度が極端に高かっただけであり、世界基準で言えば翔鶴、及び瑞鶴の乗員の殆どは他国軍での教官並の練度を有していた。)

瑞鶴からの真珠湾攻撃参加機
第一次攻撃隊
九九式艦爆25機=指揮官:分隊長坂本明大尉零戦6機=指揮官:分隊長佐藤正夫大尉
第二次攻撃隊
九七式艦攻27機=指揮官:飛行隊長嶋崎重和少佐(第二次攻撃隊指揮官)

12月24日、内地に帰投して呉到着[30]。その後、1942年(昭和17年)1月1日付で瑞鶴搭載の常用機定数は翔鶴ともども艦上爆撃機艦上攻撃機が各27機から18機に削減されて中型空母蒼龍飛龍と同じとなり、投射重量は当初の3分の2となった[31]

ラバウル攻略、セイロン沖海戦[編集]

1942年(昭和17年)1月5日呉を出港、8日に内地を離れトラック泊地へと向かう[32]。14日トラック泊地着、17日出撃[33]。20-22日のラバウルを攻略作戦に赤城、加賀、翔鶴と共に参加し、連合軍基地を空襲した[34]。また五航戦の零戦が連合軍飛行艇1機を撃墜、脱出した搭乗員を重巡青葉が捕虜にしている[35]。この時は主立った抵抗も受けず、占領することに成功する。つづいて特別空襲隊(瑞鶴、翔鶴、筑摩、不知火、陽炎、霞、霰)となり、ニューギニア島ラエを攻撃した[36]。一連の作戦後、翔鶴、瑞鶴はラバウル進出予定の九六式艦上戦闘機16機の空輸を担当したのち、1月29日にトラック泊地へ帰投する[37][38]。 翔鶴は駆逐艦浜風、陽炎と共に内地へ帰投した。瑞鶴は2月8日にパラオへ一時入港、横須賀へ向かい2月13日着[39]。機動部隊からのぞかれ連合艦隊直属航空部隊(第1連隊《瑞鶴、陽炎、霰》、第2連隊《翔鶴、秋雲》)となり、米軍機動部隊の東京空襲に備えつつ訓練に従事した[40]。艦載機は館山海軍基地横須賀飛行場、鈴鹿海軍航空隊等で訓練に従事した[41]

3月7日、横須賀を出港して伊勢湾で航空隊を収容、セレベス島スターリング湾へ向かうがアメリカ軍の機動部隊出現(誤報)により反転、横須賀に入港した後、3月17日に再びセレベス島へ向かう[42]。24日、セレベス島にて南雲機動部隊主力(第一航空戦隊第二航空戦隊)と合流する。駆逐艦谷風で負傷兵1名が発生するが旗艦の赤城は赤痢患者多発のため受け入れを拒否、結局瑞鶴で手術を行った[43]。 26日に出港、インド洋に進出してイギリス東洋艦隊との戦闘に備えた[44]。4月上旬、セイロン沖海戦に参加。瑞鶴攻撃隊は空母ハーミーズ、豪駆逐艦ヴァンパイア、コルベット艦ホリホック、タンカー2隻を共同で撃沈した。第五航空戦隊は4月14日にシンガポール沖で他の空母と別れ[45]、駆逐艦3隻(秋雲、萩風舞風)とともに台湾馬公市に向かった[46]。馬公には4月18日に到着、正式に第27駆逐隊(時雨白露有明夕暮)が五航戦の指揮下に入った[45]。同日、アメリカ軍機動部隊(エンタープライズホーネット)は日本本土初空襲(ドーリットル空襲)を敢行する。五航戦は補給を実施後の19日に出港、硫黄島方面に出動する[45]。米軍機動部隊を捜索したが会敵できず、25日になってトラック泊地に入港した[45]。27日、妙高、羽黒、潮、曙がトラック泊地に到着、機動部隊の戦力が揃った[45]。機動部隊指揮官は第五戦隊司令官高木武雄少将(先任)で、五航戦司令官原忠一少将は第五戦隊の指揮下という立場である[45]。しかし高木・原少将は協議の結果、航空戦に関しては五航戦が主導する旨を確認している[45]

アメリカ軍機動部隊との戦い[編集]

1942年(昭和17年)5月、第五航空戦隊は南雲機動部隊から分離し、MO機動部隊に編入されポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)の支援に当たった。当時、アメリカ軍機動隊は南方にて活発な行動を行っており、軽空母祥鳳1隻の護衛では限界があった[47]。南洋部隊指揮官井上成美中将(第四艦隊司令長官)は増援の空母配備を希望した[47]。連合艦隊は加賀の投入を予定していたが、同艦はパラオ寄港時の座礁(艦底損傷)修理のため4月中の派遣は困難だった[47]。作戦実施時期を5月上旬に延期したため加賀の投入は可能となったが、要求される任務(モレスビー周辺飛行場制圧、輸送船団護衛、敵機動部隊警戒・撃滅)が多すぎるため加賀でも兵力不足と判定された[48]。南洋部隊は第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)の派遣を希望したが、連合艦隊は第五航空戦隊の練度向上を企図し、五航戦(瑞鶴、翔鶴)、第五戦隊(妙高、羽黒)、第7駆逐隊(潮、曙)、第27駆逐隊の南洋部隊(第四艦隊)編入を発令した[48]。こうして瑞鶴はポートモレスビー作戦にともなう珊瑚海海戦に参加することになった。作戦開始時の五航戦搭載機は、瑞鶴計63機(艦戦20、艦爆22、艦攻21)、翔鶴54機(艦戦17、艦爆21、艦攻16)、2隻合計117機だった[45]。また五航戦側は祥鳳を指揮下に置き、同艦搭載機を艦戦に統一して艦隊防空をになわせることを希望したが、船団護衛を重視する南洋部隊に却下されている[49]

5月1日、五航戦(瑞鶴、翔鶴)は時雨、白露、有明、夕暮の4隻の駆逐艦に護衛されてトラックを出撃、ソロモン海へ進出した[50]。出撃直後、対潜哨戒に投入した艦爆1・艦攻2が悪天候のため母艦に戻れず、回収できないまま作戦を続けた[50]。MO作戦に従事する前にラバウルへ零戦9機を空輸するよう下令されていたが、悪天候のため空輸を実施できず、たびたび予定を変更している[50]。この間、フロリダ諸島を占領したツラギ攻略部隊は米空母ヨークタウンの艦載機に襲撃され、駆逐艦菊月等を撃沈されている[51]。 5月上旬、MO機動部隊はアメリカ海軍第17任務部隊と交戦した。5月6日夜、MO機動部隊は一旦速度を10ノットとして北上を開始、祥鳳を囮にしてアメリカ軍機動部隊がおびきだされるのを待つ計画であったという[52]5月7日、MO機動部隊艦載機が、米空母と誤認された給油艦ネオショーと護衛の駆逐艦シムスを撃沈した[53]。この攻撃で瑞鶴の艦爆1機が被弾してネオショーに自爆攻撃を敢行した[54]。 一方、MO攻略部隊主隊(指揮官五藤存知第六戦隊司令官:青葉加古衣笠古鷹、祥鳳、)も第17任務部隊艦載機の空襲を受け、祥鳳が撃沈された[55]。またMO機動部隊の薄暮攻撃も米軍機による迎撃を受けて艦爆12機中1機(瑞鶴1)、艦攻15機中8機(瑞鶴5、翔鶴3)を喪失、他にも被弾機を出して失敗した[56]。翌日の使用可能機数は瑞鶴45機(艦戦19、艦爆14、艦攻12)、翔鶴51機(艦戦18、艦爆19、艦攻14)となる[56]。度重なる失敗に、原忠一司令官は「海軍をやめたい」とまで漏らした[57]。またMO攻略部隊主隊より第六戦隊第2小隊(衣笠、古鷹)が機動部隊に合流、駆逐艦有明を不時着機救助に派遣したため、その戦力は空母2隻(瑞鶴、翔鶴)、重巡4隻(妙高羽黒、衣笠、古鷹)、駆逐艦5隻(時雨、白露、夕暮、)となった[58]

5月8日、翔鶴飛行長高橋赫一少佐が指揮するMO機動部隊艦載機69機(瑞鶴31機《艦戦9、艦爆14、艦攻8》、翔鶴38機《艦戦9、艦爆19、艦攻10》)は第17任務部隊を攻撃する[59]。翔鶴隊は空母レキシントンを攻撃してレキシントンを自沈に追い込んだ[59]。瑞鶴隊は空母ヨークタウンを中破させたが、魚雷を命中させられず、決定的戦果をあげられなかった[59][60]。対する第17任務部隊艦載機はスコールの下にあった瑞鶴を発見できず、翔鶴に集中攻撃を加えた[61]。爆弾3発が命中した翔鶴は大破、炎上する[61]。瑞鶴は損害こそ受けなかったものの、多数の艦載機と搭乗員を失い、随伴駆逐艦の燃料も不足しまた敵空母2隻を撃沈したと錯覚したため(ヨークタウン型三弾以上命中撃沈確実)、米機動部隊追撃を諦めて北上した[62]。同日夕刻の報告によると、「瑞鶴」使用可能機(翔鶴収容機含む)は艦戦24、艦爆9、艦攻6、翌日修理完了予定(艦戦1、艦爆8、艦攻8)だったという[63]

祥鳳が喪失、翔鶴が大破、瑞鶴の航空隊消耗という経緯を受けて井上司令長官はポートモレスビー攻略の延期を決定した[64]。連合艦隊(司令長官山本五十六大将)は『此ノ際極力残敵ノ殲滅ニ努ムベシ』と発令して南洋部隊(第四艦隊)を叱責する[64]。南洋部隊は麾下部隊に南下および索敵攻撃を命じるが、航空機の消耗に加えて燃料不足が行動を制約する[65]。翔鶴は駆逐艦と共に内地へ回航された[66]。瑞鶴は東邦丸から燃料補給をおこなったのち、策敵を実施する[65]。だが漂流するネオショーを発見したのみで、ヨークタウンは逃走した後だった[67]。5月10日、連合艦隊はポートモレスビー作戦の延期を発令[67]。MO機動部隊はミッドウェー作戦準備のため、南洋部隊(第四艦隊)から除かれる旨を通知した[67]。 5月13日、MO攻略部隊の編成は解かれ、南洋部隊はナウル・オーシャン攻略部隊作戦を実施することになる[68]。同日、「瑞鶴」は戦闘機隊のラバウル空輸を実施[68]。第五戦隊と分離し、第7駆逐隊と共にトラック泊地へ向かう[68]。同泊地を経由して内地への航海中、洋上で珊瑚海海戦における戦死者35名の葬儀を行う[69]。21日、内地に到着した[70]。「翔鶴」運用長の福地周夫中佐は、「運よくスコールに隠れた瑞鶴は無傷で、被害は翔鶴に集中し、瑞鶴はまことに幸運艦でした…と山本長官に報告したら、長官は瑞鶴の幸運を喜んだだろうか」と述べている[71]

6月上旬、日本軍はミッドウェー海戦で大敗、主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を一挙に失う。赤城に乗艦していた源田実参謀(兵52期)は、炎上する同艦から脱出する際に「翔鶴と瑞鶴がいてくれたらなあ」と呟いたほどである[72]。6月15日、瑞鶴は駆逐艦秋月に護衛され柱島を出港。ミッドウェー作戦から戻ってきた駆逐艦浦風と合流すると、4隻(瑞鶴、浦風、秋月、朧)は大湊へ向った。23日着[73]。アリューシャン攻略部隊の支援として北太平洋方面に進出[74]。6月28日以降、重巡妙高、羽黒と共に北方海域でアメリカ軍機動部隊を警戒した[75]。7月12日大分着、13日に呉へ帰港して整備・補修を行う[76]。7月14日、瑞鶴は翔鶴、瑞鳳」と共に第一航空戦隊に所属し、同時に第三艦隊に編入され、再建された日本海軍機動部隊の主力空母となった。またミッドウェー海戦の戦訓から、搭載機の編制も艦戦27、艦爆27、艦攻18に改められ、艦首・艦尾に25mm機銃の銃座を設置した[77]。第三艦隊司令長官の南雲中将は、修理を終えレーダーを装備した翔鶴に将旗を掲げた[78]

アメリカ軍機動部隊との再戦[編集]

ブインからサボ海峡を航行する空母を始めとする連合軍艦隊への出撃に向かう瑞鶴航空隊(1943年4月7日

1942年(昭和17年)8月7日、アメリカ軍はガダルカナル島フロリダ諸島に上陸してガダルカナル島の戦いがはじまった。これに呼応して翔鶴、龍驤らと共に南東方面へ進出する。24日アメリカ海軍の第61任務部隊と交戦した(第二次ソロモン海戦)。翔鶴、瑞鶴より発進した第一次攻撃隊37機(指揮官関衛翔鶴飛行長:翔鶴《艦戦4、艦爆18》、瑞鶴《艦戦6、艦爆9》)は、翔鶴隊がエンタープライズを、瑞鶴隊がサラトガを攻撃した[79]。零戦3と艦爆17機を喪失、零戦3と艦爆1機が不時着するという被害だった[79]。第二次攻撃隊36機(指揮官高橋定瑞鶴飛行隊長:翔鶴《艦戦3、艦爆9》、瑞鶴《艦戦6、艦爆18》)はアメリカ軍機動部隊を発見できず空振りとなり、艦爆4が行方不明、艦爆1機が不時着した[80]。この戦闘で日本軍は空母龍驤、駆逐艦睦月、輸送船金龍丸を喪失、軽巡神通と水上機母艦千歳が中破した。アメリカ海軍は空母「エンタープライズ」が損傷したのみで、輸送船団(第二水雷戦隊護衛)のガ島揚陸を阻止して勝利を収めた。瑞鶴は直掩の零戦をアメリカ軍機と間違えて対空戦闘を行ったが、誤射で墜落した機はなかったという[81]。ブカ島に零戦隊を派遣後、9月5日にトラック泊地へ帰投した。15日に出撃し、23日帰投[82]

10月11日、第一航空戦隊はトラックを出撃、ソロモン海域へ向かった。10月15日朝、アメリカ軍輸送船団を発見する[83]。二派に亘る攻撃隊を送り込むが、決定的な戦果はなかった。夜間着艦の際、右に流れながら着艦した機が信号檣と艦橋に接触して海中に転落、乗組員10名が負傷した[84]

10月25日深夜、南雲機動部隊(第三艦隊)はソロモン諸島へ向け南下中、アメリカ軍哨戒機に爆撃されて瑞鶴の前方150m程に至近弾となった[85]。瑞鶴から報告を受けた旗艦翔鶴では艦隊司令部が対応を協議、アメリカ軍に位置を発見されたと判断して一時北方へ反転する[86]。この行動が、日本側にとって僥倖となった。 10月26日には再度米機動部隊と交戦し、日本側は空母ホーネットと駆逐艦ポーターを撃沈、空母エンタープライズを中破、戦艦サウスダコタと防空巡洋艦サン・ファンに損傷を与えた。一方、アメリカ側は空母翔鶴と重巡筑摩を大破し、空母瑞鳳を中破させた。 なお、第一次攻撃隊発進時に瑞鶴攻撃隊の発艦が遅れた件について、野元艦長は「レーダーを持っている翔鶴から矢の催促がきたが、瑞鶴は(レーダーが)ないのでのんびりやることにした」と回想している[87][88]。瑞鶴は航空隊発進のため風上へ向かい翔鶴と2万メートル近く離れ、このためアメリカ軍攻撃隊は再び翔鶴に集中攻撃を加えた[89]。翔鶴は大破して航空隊発進・収容が不可能となり旗艦としての通信能力も喪失、そこで瑞鶴の野元艦長が航空戦の指揮をとることになった[90]。のちに南雲中将や草鹿少将など第三艦隊司令部は翔鶴から駆逐艦嵐(第4駆逐隊司令有賀幸作大佐)へ移動し、さらに嵐から瑞鶴に移乗して将旗を掲げた。また瑞鶴に損傷はなかったものの、艦載機の消耗は甚大であった。10月30日、トラック泊地帰投[91]。戦死者の葬儀を行うが、輸送船に救助されていた瑞鶴飛行長高橋定大尉は葬儀開始1時間前に瑞鶴へ帰還している[92]。 11月4日、第五戦隊(妙高)、第16駆逐隊(初風時津風)と共に内地へ帰投するよう命じられる[93]。9日、瑞鶴、初風は豊後水道にて佐世保へ向かう妙高、時津風と分離、呉に到着した[94]。このため11月中旬の第三次ソロモン海戦には参加していない。後日、翔鶴と瑞鶴は三回目の感状を授与された[95]

呉到着後の瑞鶴は瀬戸内海で消耗した航空隊の再編や天山艦上攻撃機の発着艦試験を行っていたが、トラック島への輸送任務に投入された龍鳳が横須賀出港直後に潜水艦の攻撃を受け損傷したため、瑞鶴が龍鳳が輸送する予定だった陸軍飛行第45戦隊の九九式双発軽爆を輸送することとなる[96]。機材と関係者を乗せて駆逐艦秋月、初風、時津風と共に12月31日に横須賀を出発、1943年(昭和18年)1月4日トラック着[97]。1月7日、戦艦陸奥、空母瑞鶴、重巡鈴谷、駆逐艦(有明夕暮磯波天霧)はトラック泊地を出発[98]。この航海では、陸奥の為に艦隊速力を16ノットに落とさざるを得ず、瑞鶴乗組員は不安になったという[99]。瑞鶴、鈴谷、天霧、夕暮、有明は呉へ向かい[100]、12日大分、14日呉着。最下甲板の舷窓を全て塞いだのち、18日内地発、23日トラック着[101]ガダルカナル島からの撤退を支援するため、1月下旬に基地要員を駆逐艦「秋雲巻雲」に乗せて派遣し、続いて航空隊を進出させる。2月10日、基地員の大部分は第17駆逐隊2隻(谷風、浦風)に分乗し、トラック泊地の瑞鶴へ戻った[102]。 この時期に瑞鶴は21号電探を装備、艦橋周辺などに機銃を追加した[103]

1943年(昭和18年)後半はトラック島に碇泊していた。9月17日に瑞鶴は他の艦艇と共に訓練のためトラック島を出港した。翌18日、アメリカ機動部隊ギルバート諸島タラワマキンを空襲したため、瑞鶴以下の日本艦隊はこのアメリカ艦隊攻撃に向かったが会敵できず、23日にトラック島に帰投した。10月5日6日今度はウェーク島を米機動部隊が空襲した。17日、日本艦隊はトラック島を出撃したがこの時も会敵できずに終わった。

また、4月のい号作戦、11月のろ号作戦ブーゲンビル島沖航空戦)で艦載機をラバウルへ進出させた。南太平洋海戦後に再編成された機動部隊航空隊は一連の地上基地派遣により、母艦からの作戦でアメリカ軍機動部隊と戦うことなく消耗し、特にろ号作戦では飛行隊長や分隊長に戦死や未帰還が相次ぐほどの損害であった[104]

マリアナ沖海戦[編集]

マリアナ沖海戦で防戦中の瑞鶴(中央)と二隻の秋月型駆逐艦[105]

1944年(昭和19年)3月、日本海軍は第一機動艦隊を編成、瑞鶴は姉妹艦の翔鶴や新造艦の大鳳第一航空戦隊に所属し、シンガポール方面に進出して訓練を行っていた。この時期の瑞鶴は航空機の緊急投棄のため煙突の上に鉄板が張られた他、後部航空機格納庫の壁が切り取られ、艦尾の短艇甲板に天山艦上攻撃機3機を搭載可能となっていたという[106]。またミッドウェー海戦の戦訓から艦載機への燃料補給と爆弾・魚雷装着は飛行甲板で行うようになったが、給油パイプは飛行甲板まで延長できたものの揚爆弾筒は格納庫までしか延ばせず、最後はエレベーターで爆弾や魚雷を飛行甲板まで揚げる必要があった[107]。5月、あ号作戦準備のためタウイタウイを経てギマラスに移動し、6月下旬のマリアナ沖海戦に参加する。

6月19日、小沢機動部隊はアメリカ機動部隊を攻撃し瑞鶴も同日朝には40機(零戦16機、彗星15機、天山9機)の攻撃隊を発艦させたが、味方部隊の誤射による混乱やアウトレンジ戦法の失敗により帰還できたのは12機(零戦5機、彗星4機、天山3機)という大損害を受けた[108] 。また、小沢機動部隊の旗艦大鳳が米潜水艦アルバコア(USS Albacore, SS-218)の雷撃、翔鶴が米潜水艦カヴァラ(USS Cavalla, SS-244)の雷撃で撃沈された。大鳳から脱出した小沢治三郎中将や古村啓蔵参謀長は駆逐艦若月、重巡羽黒を経由して20日正午頃、瑞鶴に移乗した[109]。午後5時25分、薄暮攻撃隊として天山7機が発進(3機未帰還、4機帰投後不時着救助)。直後、100機以上のアメリカ機動部隊艦載機の空襲を受けた[110]。機動部隊は瑞鶴を中心に、第五戦隊(妙高、羽黒)、第十戦隊(矢矧、浦風、磯風、朝雲)、第61駆逐隊(初月、若月、秋月)、駆逐艦霜月という輪形陣を組んでアメリカ軍機を迎撃した[111]。この攻撃で瑞鶴の飛行甲板に爆弾1発が命中、小規模な火災が発生した[112]。空襲下では投棄するはずの小型移動式ガソリン車が戦闘中も飛行甲板に放置されており、これに引火したとされる[113]。また格納庫でも火災が発生、消火用の水と至近弾による破孔から浸水により艦内に水があふれ、総員退艦を囁く乗組員もあったという[114]。瑞鶴は艦橋を小破した状態で日本本土に帰還した[115]

レイテ沖海戦[編集]

7月14日、瑞鶴は呉工廠に入渠した。マリアナ沖海戦での損傷復旧とともに戦訓からガソリンタンクの防御強化や艦内の不燃化対策がより徹底され[116]、船体や甲板には空母以外の艦船にみせかけるための迷彩塗装を施した。武装は対空噴進砲(対空ロケットランチャー)8基[117]を新設、このほかにも25mm単装機銃や13号電探、水中聴音器が追加装備された[118][119]。8月に出渠後、8月10日に第一航空戦隊から第三航空戦隊に編入、瑞鳳千歳千代田らと瀬戸内海で訓練に入った[120]。9月には後述する映画撮影にも協力した[121]

10月20日、小沢治三郎中将が指揮する第一機動艦隊第三艦隊)の旗艦として本土を離れ、フィリピン北東へ進出した[122]。小沢機動部隊は第三航空戦隊(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)、第四航空戦隊(日向、伊勢)、軽巡洋艦多磨、五十鈴、第三十一戦隊(大淀、桑、槇、桐、杉)、第61駆逐隊(初月、秋月、若月)、第41駆逐隊(霜月)で編成されていた[123]。各艦の搭載機は合計116機(瑞鶴65機、瑞鳳17機、千歳18機、千代田16機)であったとされる[124]

10月24日午前11時30分、瑞鶴から零戦16機、爆装零戦16機、彗星2機、天山1機(彗星と天山は誘導・戦果確認)が発進し[125]、他三空母の32機と合計した攻撃隊はアメリカ機動部隊攻撃に向かった[126]。アメリカ軍空母2隻を撃沈、数隻に命中弾を与えたとするが、実際には空母エセックスラングレーへの攻撃が至近弾となったものの[127]、 戦果はなかった[128]。撃墜された機も多かったが、攻撃後に陸上基地に向かった機もあり、小沢機動部隊に帰還した機は3機であった[129]。また故障で零戦6機、爆装零戦5機が着艦した[130]。小沢機動部隊の航空戦力は29機(零戦19/内直掩可能14機、戦爆5、天山4、彗星1)に減少した[131]。一方、アメリカ軍第38任務部隊ウィリアム・ハルゼー・ジュニア司令官は軽空母プリンストンの喪失を小沢機動部隊艦載機による攻撃と判断(実際は基地航空隊彗星の戦果)、小沢機動部隊を壊滅させるべく北上を開始した[132]。栗田艦隊は24日の第38任務部隊による空襲で戦艦武蔵を失ったものの、他艦の損害は軽微であった。だがハルゼー司令官は、栗田艦隊は大打撃を受けて無力化したと誤判断、「本命」である日本空母を決戦の相手に選んだのである[133]

25日の小沢艦隊は、空母瑞鶴、軽空母瑞鳳、戦艦伊勢、軽巡洋艦大淀、駆逐艦4隻の第1群と、軽空母千歳、千代田、戦艦日向、軽巡洋艦多摩、五十鈴、駆逐艦4隻からなる第2群に分かれていた[134]。瑞鶴は9機の零戦を発進させ、直掩とした[126]。また午前6時13分、爆装零戦5機、彗星1機、天山4機が発進した[135]。午前8時20分から米軍機約130機による第一波攻撃を受ける。8時35分、甲板中央部に爆弾1発が命中した[136]。2分後に魚雷一本が左舷に命中し、機械室が浸水、艦載機発着艦不能となる[137]。また送風装置の故障により機関部温度が急上昇し在室不能となり、この結果右2軸運転となった[137]。艦橋の舵取り装置も故障し、直接操舵となるが、修理により8時45分復旧する[137]。火災も鎮火した[137]。一方で機関部に命中した魚雷により一時電源が遮断され、各部高角砲や対空機銃のモーターが使用不能、通信能力も制限されるなど、艦の機能に重大な影響を残した[138]。速力は22ノットまで低下した[139]。また第一波攻撃で僚艦は次々に被弾し[140]、千歳、秋月が沈没した[141]

第二波の攻撃までは約1時間の時間があり、その間も瑞鶴は囮の役目を果たすべく北上を継続した。艦内では必死の修理が進められたが、左傾斜6度の艦内作業は相当な困難を伴い、また機関部の被害は深刻で完全な復旧は不可能であった[142]。8時48分、送受信不能になり[137]、瑞鶴は軽巡洋艦大淀に無線代行を依頼した[143]。その後復旧し、アメリカ軍の誘致に成功したことが発信されるが、その通信が栗田艦隊には届くことは無かった。9時27分、千歳が沈没[144]。9時44分、小沢中将は旗艦施設の整った大淀に旗艦を変更すべく準備を進めさせたが、その前にアメリカ軍の第二波攻撃隊が接近したため、大淀は瑞鶴から離れていった[145]

第二波の攻撃では、瑞鶴に対しては至近弾のみで被害は少なかった[146]。千代田は被弾して落伍した[147]。小沢中将は大淀のカッターで瑞鶴を離れ、10時54分大淀に将旗を移した[148]。11時7分、各部隊に旗艦変更の通達がなされた[149]。この頃、上空直掩機9機が燃料切れで不時着した[150]。1名は大淀に救助され[151]、8名は初月に救助された[152]。しかし、救助できず溺死した複数の搭乗員も大淀から目撃されている[153]。13時頃から始まった第三波攻撃では、小沢艦隊の他の空母が既に大破・沈没したこともあって、攻撃は瑞鶴に集中した[154]。速力低下を来たしたことが致命傷に繋がり、左舷に4本、右舷2本の魚雷を受けた[155]。また爆弾も5-7発命中し、揮発油タンクなどに引火して火災が発生。左舷に20度傾斜し、『1325 艦内浸水・火災猛烈 處置ノ手段ナシ』という状態となる[156]。対空火器は爆撃によって破壊されるか、動力を絶たれて使用不能となった[157]。辛うじて残った右舷の高角砲が最期まで射撃を継続していたが、砲身が過加熱して焼けるなどして迎撃継続が困難となり、最終的に傾斜が増して旋回不能になり沈黙した[158]

13時27分、瑞鶴の貝塚艦長は「総員発着甲板ニアガレ」を下令した[156]。13時55-58分頃「軍艦旗降下」に至り[159][156]、総員退艦が発令された後、瑞鶴の傾斜は増していった。瑞鳳は14時7分に「瑞鶴左ニ傾斜発着甲板水際ニ浸」と報告している[160]。直後の14時14分、瑞鶴は沈没した[156]。大淀の記録14時20分だった[161]。沈没時にはアメリカ軍の攻撃は終了しており、総員退艦時に撮影された飛行甲板での写真は有名である。瑞鶴の沈没地点は北緯19度57分、東経126度34分と記録されている[156]

航空母艦瑞鶴之碑

小沢艦隊は瑞鶴の沈没後も空襲を受けたため、生存者の漂流は長時間に及んだ[162]。最終的に、士官49名、下士官兵794名が戦死した[163]。貝塚艦長は退艦を拒否し、艦長休憩室に入って鍵をかけたという[164]。慰霊碑(航空母艦瑞鶴之碑)は奈良県橿原市橿原公苑内にあり、川崎重工が再現した三角マストのレプリカが傍らに立っている[165]

真珠湾攻撃に参加した日本の空母6隻のうち、最後まで残ったのが瑞鶴である。正規空母として設計、建造され、機動部隊として作戦に参加できた最後の空母でもあった。瑞鶴の喪失を含め空母戦力の大半を失ったことにより、これ以降、空母戦力を組織的に運用、作戦できる隻数、艦載機、乗員の確保が困難になり、事実上日本海軍の機動部隊は壊滅した。これは当然に、日本海軍が組織的に艦隊運用できる能力を失ったことを意味していた。アメリカにとっては、真珠湾攻撃に参加した最後の空母を沈めたことにより真珠湾の最後の仇討を成功させたと言われる。

歴代艦長[編集]

最終時の瑞鶴の迷彩図案

※『艦長たちの軍艦史』56-59頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  • 横川市平 大佐:1940年11月15日 - 1941年9月25日

艦長[編集]

  • 横川市平 大佐:1941年9月25日 -
  • 野元為輝 大佐:1942年6月5日 -
  • 菊池朝三 大佐:1943年6月20日 -
  • 貝塚武男 大佐:1943年12月18日 - 1944年10月25日

同型艦[編集]

瑞鶴が登場する作品[編集]

「雷撃隊出動」での瑞鶴
  • 雷撃隊出動」 1944年(昭和19年)東宝作品。レイテ沖海戦の約1ヶ月前である1944年(昭和19年)9月23日に、瀬戸内海西部で訓練中の実物の瑞鶴艦上などで撮影が行なわれた。なお、本編中で九七式艦攻が発艦する場面、甲板上で待機している零戦や発艦する天山艦攻を艦橋上部から撮影した場面は、天山艦攻の発艦を飛行甲板の左舷寄りや機内から撮影した場面と異なり船体や飛行甲板に迷彩が施されていない状態であることから、別の時期に撮影した映像を編集したものと考えられる。
  • 日本ニュース第232号「比島沖海戦」 1944年(昭和19年)日本映画社。やや不鮮明ながら、迷彩を施した最終時の姿が確認できるほか、対空戦闘シーンや発艦シーンもある。なお、発艦シーンは右舷側から撮影されているが、この海戦を撮影し帰還した山根重視(大淀に乗艦)、竹内広一(瑞鳳に乗艦、沈没後救助)両カメラマンの乗艦した艦船は、いずれも瑞鶴の左舷側に位置していたことから、右舷側から撮影した映像はおそらく演習時に撮影されたものではないかと考えられる。上記の「雷撃隊出動」とほぼ同時期に撮影された可能性が高い。
  • 「日本海軍艦艇集【下】」2005年(平成17年)コニービデオ発売。ASIN:B000A6K8AG。過去にVHSで発売されていたもののDVD再発売版。日本海軍が撮影したフィルムのうち未公開のものを集めて解説を加えたもの。南太平洋海戦における瑞鶴が撮影されている。なおこのビデオ内の零戦発艦シーン4秒が、JRA2012年(平成24年)年に放映したテレビCM「近代競馬150周年〈60秒バージョン〉」内にて使用されている。
  • 連合艦隊司令長官 山本五十六1968年(昭和43年)東宝作品。主人公の1人でもある木村少尉(後大尉)の乗艦。ガダルカナルを巡る攻防戦の前フリで模型が登場する。
  • 連合艦隊1981年(昭和56年)東宝作品。艦橋や飛行甲板、対空機銃などが神奈川県茅ヶ崎市の柳島海岸に実物大セットで再現された他、自走操船航行可能なミニチュア模型が特撮シーンの撮影に使用された。
  • 野村泰治 『落日の残像 最後の母艦航空隊』 光人社、1989年6月。ISBN 4-7698-0443-1 野村(海軍中尉)は第六五三航空隊一六六飛行隊。瑞鶴の沈没を体験した。『落日の残像』は野村の体験を元にした小説である。『雷撃隊出動』の撮影時、女優が来ないので搭乗員が落胆したり、佐官服を着ていた主演男優に士官や下士官兵が敬礼したというエピソードが記載されている[166]

参考文献[編集]

  • 岩本徹三太平洋戦争ノンフィクション 零戦撃墜王』 今日の話題社、1972年7月。 岩本は1941年10月~1942年7月まで瑞鶴勤務。零戦隊搭乗員。
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  • 奥宮正武・淵田美津雄 『機動部隊』 朝日ソノラマ、1992年12月。ISBN 4-257-17269-x
  • 小淵守男 『少年水兵の太平洋戦争 巡洋艦「大淀」16歳の海戦』 光人社NF文庫、2011年11月。ISBN 978-4-7698-2713-9
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    • 渡辺義雄『ああ「瑞鶴」飛行隊帰投せず」(瑞鶴戦闘機整備科員)
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「信頼の絆」<航空母艦「瑞鶴」艦長・野元為輝少将の証言>(第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦時、瑞鶴艦長)
    • 「用兵の極地」<戦艦「伊勢」艦長・中瀬泝少将の証言>(レイテ沖海戦時、伊勢艦長)
    • 「武人の本懐」<戦艦「日向」艦長・野村留吉少将の証言>(レイテ沖海戦時、日向艦長)
    • 「乱戦の中」<駆逐艦「初月」艦長・田口正一大佐の証言>(マリアナ沖海戦時、初月駆逐艦長)
    • 「綱渡りの航跡」<駆逐艦「秋月」艦長・緒方友兄大佐の証言>(レイテ沖海戦時、秋月駆逐艦長)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 戸高一成 『聞き書き・日本海軍史』 PHP研究所、2009年8月。ISBN 978-4-569-70418-0 三原誠(瑞鶴整備科)証言収録。
  • 原為一 『帝国海軍の最後』 河出書房新社、2011年7月(原著1955年)。ISBN 978-4-309-24557-7
  • 原為一ほか 『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』 潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8
    • 当時大淀第三分隊士・海軍中尉足立之義『大淀乗員が見た小沢オトリ艦隊の悲惨 左舷高角砲指揮官が敵空襲下で体験したエンガノ岬沖海戦の現実
    • 当時五十鈴工作科・海軍一等工作兵曹須藤岩夫『防空巡五十鈴の脈動がわが胸に響くとき 満十七歳の秋、血の海に戦い生還した工作兵の血涙の戦場体験
    • 当時五十鈴通信長・海軍大尉芝山末男『防空巡洋艦五十鈴エンガノ岬沖の血戦 主砲を撤去して高角砲六門に対空機銃と電探。大改装後の通信長の回想
    • 当時大淀航海長・海軍中佐内田信雄『艦隊司令部用旗艦大淀の航跡 連合艦隊旗艦としても栄光をになった名艦の生涯を綴る航海長の手記
  • 福地周夫 『空母翔鶴海戦記』 出版共同社、1962年6月。
  • 福地周夫 『続・海軍くろしお物語』 光人社、1982年6月。ISBN 4-7698-0179-3
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  • 福田幸弘 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』 時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6
  • 文藝春秋編 『完本・太平洋戦争(上)』 文藝春秋、1991年12月。ISBN 4-16-345920-0
    • 源田實『奇蹟の成功・真珠湾攻撃』/淵田美津雄『真珠湾上空一時間』/小瀬本国雄(蒼龍艦爆隊)『ハーミスを撃沈せり-インド洋作戦』/江間保(瑞鶴艦爆分隊長)『九九艦爆戦記-珊瑚海海戦』/長井純隆(第三艦隊作戦参謀)『南太平洋海戦の勝利』/千早正隆(元海軍中佐)『戦果ゼロ・マリアナ沖海戦』
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  • 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』潮書房、1981年
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    • 当時「翔鶴」応急指揮官・元海軍大佐福地周夫『珊瑚海海戦 五航戦「翔鶴」と史上初の空母戦』
    • 当時第三艦隊参謀・元海軍中佐中島親孝『南太平洋海戦の勝利 ミッドウエーの仇を討った日本機動部隊』
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    • 当時第一機動艦隊司令長官・海軍中将小沢治三郎『昭和20年10月16日/小沢長官が米軍に語った証言記録-質問者/米海軍R・A・オフスティ少将 「あ」号作戦の疑問に答える』
    • 当時海軍技術大佐塩山策一『大鳳と瑞鶴で見たマリアナ沖海戦』
    • 元第一機動艦隊参謀・海軍大佐大前敏一『あ号作戦・レイテ沖海戦に散る 小沢機動艦隊の最後』
    • 当時第六五三空付・元海軍二等整曹安倍稠也『エンガノ岬沖の死闘 オトリ艦隊「瑞鳳」比島沖に潰ゆ』
  • 宮尾直哉 『空母瑞鶴から新興丸まで 海軍軍医日記抄』 近代文藝社、1992年3月。ISBN 4-7733-1211-4 著者は1941年11月18日~1943年2月15日まで瑞鶴勤務。
  • 門司親徳 「第1章 空母「瑞鶴」に乗り込む」『空と海の涯で―第一航空艦隊副官の回想』 光人社、2012年(原著1978年)。ISBN 978-4-7698-2098-7
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  • 吉田俊雄 「幸運の神 ―航空母艦「瑞鶴」の強運」『造艦テクノロジーの戦い 科学技術の頂点に立った連合艦隊軍艦物語』 光人社NF文庫、1995年(原著1989年)。ISBN 4-7698-2103-4
  • 歴史群像 太平洋戦史シリーズvol.13『翔鶴型空母』学習研究社、1996年 ISBN 4-05-601426-4
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  • 写真日本の軍艦 第3巻 空母I』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年9月ISBN 4-7698-0453-9
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  • 福井静夫 『日本空母物語』福井静夫著作集第7巻、光人社、1996年8月ISBN 4-7698-0655-8
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    • Ref.C13120035000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/1.経過』。
    • Ref.C13120035100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/2.人員』。
    • Ref.C13120035200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120035300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120035400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/3.令達報告等(3)』。
    • Ref.C13120033500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/4.参考』。
    • Ref.C13120033600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120033700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/作戦経過別表』。
    • Ref.C13120036100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/1.経過』。
    • Ref.C13120036200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/2.人員の現状』。
    • Ref.C13120036300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/4.参考』。
    • Ref.C13120036400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120036500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/3.令達報告等(別紙第1)(1)』。
    • Ref.C13120036600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/3.令達報告等(別紙第2)(2)』。
    • Ref.C13120036700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/3.令達報告等(別紙第3)(3)』。
    • Ref.C13120036800 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/機密5航戦日令第2号(別紙第2)』。
    • Ref.C13120037200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/1.経過』。
    • Ref.C13120037300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/2.人員の現状』。
    • Ref.C13120037400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120037500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120037600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/4.参考』。
    • Ref.C13120037700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120037800 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120037900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別紙機密MO機動部隊航空部隊命令作第1号』。
    • Ref.C13120038000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別紙機密MO機動部隊航空部隊命令作第2号』。
    • Ref.C13120038100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別表第5航空戦隊特定通信略語』。
    • Ref.C13120039900 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/1.形勢』。
    • Ref.C13120040000 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/2.計画』。
    • Ref.C13120040100 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/3.経過』。
    • Ref.C13120040200 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/4.令達報告等』。
    • Ref.C13120040300 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/5.計画』。
    • Ref.C13120040400 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/6.計画』。
    • Ref.C13120040500 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/7.計画』。
    • Ref.C13120040600 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120040700 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/別図第5航空戦隊コロンボ空襲合戦図』。
    • Ref.C13120040900 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/1.形勢』。
    • Ref.C13120041000 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/2.計画』。
    • Ref.C13120041200 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/3.経過』。
    • Ref.C13120041300 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/4.令達報告等』。
    • Ref.C13120041400 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/5.計画』。
    • Ref.C13120041500 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/6.計画』。
    • Ref.C13120041600 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/7.計画』。
    • Ref.C13120041700 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120041800 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/別図第5航空戦隊ツリンコマリー空襲合戦図』。
    • Ref.C13120038500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/1.経過』。
    • Ref.C13120038600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/2.人員の現状』。
    • Ref.C13120038700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120038800 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120038900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/3.令達報告等(3)』。
    • Ref.C13120039000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/4.参考』。
    • Ref.C13120039100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120039200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120039300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/別紙機密5航戦日第4号』。
    • Ref.C13120039400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/別紙機密5航戦日第7号』。
    • Ref.C08030728400 『昭和17年5月1日~昭和17年5月17日 南洋部隊MO機動部隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030728500 『昭和17年5月1日~昭和17年5月17日 南洋部隊MO機動部隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030728600 『昭和17年5月1日~昭和17年5月17日 南洋部隊MO機動部隊戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030727700 『昭和17年5月8日 第7駆逐隊戦闘詳報.珊瑚海海戦』。
    • Ref.C08030045600 『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030045700 『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
  • 南太平洋海戦
    • Ref.C08030044300 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030769100 『昭和18年1月1日~昭和18年1月31日 第7戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030402500 『昭和18年1月1日~昭和18年1月25日 佐伯防備隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
  • マリアナ沖海戦
    • Ref.C08030036200 『昭和19年3月1日~昭和19年11月15日 第1機動艦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030039800 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030039900 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030040000 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030724100 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030150500 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030150600 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030150700 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(3)』。
  • レイテ沖海戦
    • Ref.C08030036600 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)』。
    • Ref.C08030036700 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(2)』。
    • Ref.C08030036800 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)』。
    • Ref.C08030582100 『昭和19年10月20日~昭和19年10月25日 軍艦瑞鶴捷1号作戦戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030582200 『昭和19年10月20日~昭和19年10月25日 軍艦瑞鶴捷1号作戦戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030576900 『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030577000 『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030038000 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(1)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦瑞鳳戦時日誌)
    • Ref.C08030038100 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(2)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦千歳戦時日誌)
    • Ref.C08030038200 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(3)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦瑞鶴戦時日誌・軍艦日向戦時日誌)
    • Ref.C08030038300 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(4)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦大淀戦時日誌・軍艦鈴谷戦時日誌)
    • Ref.C08030038500 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(6)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦五十鈴戦時日誌)
    • Ref.C08030576800 『昭和19年10月24日~昭和19年10月25日 第4航空戦隊捷1号作戦戦闘詳報』。
    • Ref.C08030577100 『昭和19年10月20日~昭和19年10月29日 軍艦日向捷号作戦戦闘詳報』。
    • Ref.C08030577500 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 軍艦大淀捷1号作戦戦闘詳報』。
    • Ref.C08030590100 『昭和19年10月25日 駆逐艦霜月戦闘詳報』。
    • Ref.C08030590300 『昭和19年11月 駆逐艦桑菲島沖海戦戦闘詳報』。

脚注[編集]

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  1. ^ 昭和20年8月31日付 内令第750号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070530400 で閲覧可能。
  2. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」
  3. ^ a b c #日本空母物語p.418、「表B あ号作戦直前における空母の最大速力、航続距離、満載重油搭載量(昭和19年5月調査)」、瑞鶴の項。
  4. ^ #日本空母物語p.419、「表C あ号作戦直後の対空兵装強化(昭和19年7月現在)」。
  5. ^ 『戦史叢書10 ハワイ作戦』p.344
  6. ^ #昭和造船史1pp.780-781
  7. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.173の写真および解説。
  8. ^ a b #達昭和14年9月p.19『達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク)』
  9. ^ #内令昭和18年9月(6)p.24『内令第千九百八十五號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十八年九月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦ノ項ヲ左ノ如ク改正ス 鳳翔、赤城、加賀、龍驤、蒼龍、飛龍|翔鶴型|翔鶴、瑞鶴|瑞鳳型|瑞鳳、龍鳳|隼鷹型|隼鷹、飛鷹|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹|大鳳型|大鳳|雲龍型|雲龍、天城』
  10. ^ #続海軍くろしお236頁『翔鶴の余栄』
  11. ^ #造艦テクノロジーの戦い134-135頁『幸運の神』
  12. ^ #続海軍くろしお202-203頁(福地周夫翔鶴運用長は「海軍軍人としての立場からいうと、瑞鶴が運がよかったとばかりは思わない。翔鶴の方が武運に恵まれ幸運だった」と回想している)
  13. ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和17年12月31日)p.2『瑞鶴|航空母艦|(艦要目略)|神戸川崎造船所|昭和13-5-25|14-11-27|16-9-25|(艦装備略)』
  14. ^ 勇者の海、35ページ
  15. ^ 勇者の海、43-44ページ
  16. ^ #達昭和14年9月pp.19-20『達第百六十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、砲艦一隻、潜水艦三隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年九月三十日 海軍大臣吉田善吾|呉海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 日進(ニッシン)|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 砲艦 橋立(ハシダテ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十一潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十四潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艦 浮島(ウキシマ)』
  17. ^ #日本軍艦集2600年版p.81『最近建造された諸艦艇|軍艦|瑞鶴|昭和14-11-27|神戸川崎造船所』
  18. ^ 勇者の海、58-68ページ
  19. ^ #艦船要目公表範囲(昭和17年12月31日)p.2『翔鶴|(要目略)|横須賀工廠|昭和12-12-12|14-6-1|16-8-8|(艦装備略)』
  20. ^ #支那事変第10回功績(秋雲)p.1『記事|昭和一六.九.二七 第一航空艦隊第五航空戦隊ニ編入』
  21. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『呉|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪|(戦時編制ニ依ル所属)第一航空戦隊』
  22. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『呉|第五十一驅逐隊|薄雲、白雲|(戦時編制ニ依ル所属)第五航空戦隊』
  23. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』
  24. ^ 面白いほどよくわかる太平洋戦争 日本文芸社 p.37
  25. ^ #零戦撃墜王55頁
  26. ^ 勇者の海、164、168-170ページ
  27. ^ 勇者の海、172、188、197ページ
  28. ^ #海軍軍医日記抄19頁、#零戦撃墜王57頁
  29. ^ #海軍軍医日記抄21頁
  30. ^ #S1612五航戦(経過)pp.3-4『(六)同夜機動部隊ハ南方ニ偽航路ヲ執リ爾後概ネ16節乃至20節ヲ以テ硫黄島ノ南方海面ヲ経テ21日朝父島ノ南西方約350浬ニ於テ第21、第27駆逐隊及第2補給隊ト合同豊後水道方面ニ向ヒツヽ警戒隊ハ第二補給隊ヨリ補給ヲ行ヒ同夜第二補給隊ヲ分離、23日0930豊後水道掃海水道外ニ達シ呉鎮守府防備部隊ノ警戒裡ニ内海ニ入リ1833廣島湾ニ假泊24日1345假泊地発1600呉ニ入港セリ』
  31. ^ #S1701五航戦(経過)p.5『(2)飛行機整備補充 第一段第一期作戦中ノ損耗及使用時間超過機更新及12月31日附搭載機数ノ改正(fc×18 fb×27 fo×27ヲfc×18 fb×18 fo×18ニ改正セラル)等ニ依ル 飛行機ノ整備補充状況左ノ如シ(略)』
  32. ^ #S1701五航戦(経過)pp.7-8『(1)8日1610豊後水道第二掃海水道ヲ通過(中略)14日0830頃「トラック」南水道ヲ経テ楓島附近錨地ニ入港第四艦隊ニ合同セリ』
  33. ^ #海軍軍医日記抄33頁
  34. ^ #叢書49南東方面71頁
  35. ^ #叢書49南東方面72頁
  36. ^ #S1701五航戦(経過)p.3『(2)特別空襲隊軍隊區分』
  37. ^ #S1701五航戦(経過)pp.13-14『(4)26日予定ノ空輸ヲ取止メ27日朝實施スルコトヽシ一旦北上2230南下27日0700 2度南152度東ニ達シ発艦セントセルモ0600天候偵察ニ派遣セル瑞鶴艦攻ヨリ「ラボール」方面天候不良ナルモ「カビエン」ハ良好ナルノ報告ニ接スルヲ以テ「ラボール」ヘノ空輸ヲ取止メ「カビエン」ヘ空輸スルコトニ変更1000瑞鶴艦攻3(誘導機)及九六艦戦16機発艦1130全機「カビエン」ヘ空輸ヲ完了セリ(着艦ノ際1機顛覆機体大破人員無事)』
  38. ^ #叢書49南東方面82-83頁『基地航空部隊の進出』
  39. ^ #海軍軍医日記抄36頁
  40. ^ #S1702五航戦(経過)p.7『(二)自2月8日至2月28日 機動部隊ヨリ除カレ聯合艦隊附属航空部隊(五航戦《欠朧》陽炎及霰、指揮官五航戦司令官)トナリ内地港湾ニ在リテ敵機動部隊ノ東京方面空襲ニ備ヘ兼テ訓練ニ従事ス』
  41. ^ #零戦撃墜王68-70頁
  42. ^ #海軍軍医日記抄39頁
  43. ^ #海軍軍医日記抄40頁
  44. ^ #零戦撃墜王73頁
  45. ^ a b c d e f g h #叢書49南東方面187-189頁『MO機動部隊』
  46. ^ #S1612馬公警備府日誌(5)pp.28-29『一四(天候略)第五航空戦隊機密第383番電 瑞鶴翔鶴萩風秋雲舞風4月18日1400馬公到着ノ豫定錨地指定ヲ乞フ(略)』
  47. ^ a b c #叢書49南東方面163-164頁『南洋部隊の空母要求』
  48. ^ a b #叢書49南東方面167頁
  49. ^ #叢書49南東方面193-194頁『MO攻略部隊』
  50. ^ a b c #叢書49南東方面229-230頁『MO主隊およびMO機動部隊の作戦』
  51. ^ #叢書49南東方面230-233頁『ツラギ攻略部隊の戦闘』
  52. ^ #海軍軍医日記抄46頁
  53. ^ #叢書49南東方面276-279頁『油槽船を空母と見誤る』
  54. ^ #叢書49南東方面279頁(石塚重男二等飛行兵曹、川添正義三等飛行兵曹)
  55. ^ #叢書49南東方面282-285頁『「祥鳳」の沈没』
  56. ^ a b #叢書49南東方面291-294頁『夜間収容による攻撃を策す』
  57. ^ #続海軍くろしお189頁
  58. ^ #叢書49南東方面305頁
  59. ^ a b c #叢書49南東方面307-311頁『敵空母攻撃』
  60. ^ #続海軍くろしお293-294頁
  61. ^ a b #叢書49南東方面311-315頁『米機動部隊の攻撃』
  62. ^ #叢書49南東方面317-318頁『MO機動部隊の北上』
  63. ^ #叢書49南東方面320頁
  64. ^ a b #叢書49南東方面326-327頁『聯合艦隊の作戦指導』
  65. ^ a b #叢書49南東方面327-329頁『五月九日の作戦』
  66. ^ #S1705五航戦(経過)p.6『5月9日翔鶴ハ避退ノ途次主力部隊ニ編入呉回航ヲ命ゼラレ夕暮漣及第15駆逐隊ノ警戒下ニ5月17日1830呉着修理整備ニ従事ス』
  67. ^ a b c #叢書49南東方面329-330頁『五月十日の作戦とポートモレスビー攻略作戦の中止』
  68. ^ a b c #叢書49南東方面254-255頁『攻略作戦の再興』
  69. ^ #海軍軍医日記抄53頁
  70. ^ #S1705五航戦(経過)p.7『5月17日五航戦(翔鶴欠)及七駆ヲ率ヒPT発対敵警戒ヲ厳ニシツヽ呉ニ回航ス5月21日豊後水道南方海面ニ於テ瑞鶴飛行機隊(艦戦4大分空 艦爆13及艦攻8佐伯空)空輸同日1645呉着』
  71. ^ #続海軍くろしお204-206頁『天運と武運と』
  72. ^ #続海軍くろしお209-210頁(後日、福地が海兵同期の源田に聞くと憤然と否定したという)
  73. ^ #海軍軍医日記抄56頁
  74. ^ 歴史群像 太平洋戦史シリーズvol.13『翔鶴型空母』折込行動年表
  75. ^ #零戦撃墜王109頁
  76. ^ #海軍軍医日記抄58頁
  77. ^ 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』112-113頁
  78. ^ #続海軍くろしお214-215頁
  79. ^ a b #叢書49南東方面567-569頁『第一次攻撃』
  80. ^ #叢書49南東方面569-572頁『第二次攻撃』
  81. ^ #海軍軍医日記抄61頁
  82. ^ #海軍軍医日記抄65頁
  83. ^ #海軍軍医日記抄66頁
  84. ^ #海軍軍医日記抄68頁
  85. ^ #海軍美談10頁
  86. ^ #海軍美談11頁
  87. ^ #続海軍くろしお221頁
  88. ^ #空母機動部隊(2010)148頁(野元艦長によれば、瑞鶴は艦攻なので時間がかかった)
  89. ^ #続海軍くろしお225頁『運命をになって』
  90. ^ #続海軍くろしお229頁
  91. ^ #海軍軍医日記抄70頁
  92. ^ #最前線指揮官167頁
  93. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.9『5S(羽黒欠)ハ「トラツク」ニ於テ警戒待機中ノ處命ニ依リ修理整備ノ為11月4日3F(瑞鶴時津風初風)ト共ニ「トラツク」発9日豊後水道ニ於テ瑞鶴初風ト分離(以下略)』
  94. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.16『11月9日/0900 豊後水道通過1sfト分離 時津風ヲ警戒艦ニ附ス1430下関海峡通過1800時津風ヲ解列1900佐世保掃海水道ニ入ル』
  95. ^ #続海軍くろしお233頁(昭和18年9月15日附。真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、南太平洋海戦)
  96. ^ 歴史群像シリーズ 空母瑞鶴』、139頁
  97. ^ #海軍軍医日記抄77頁
  98. ^ #S1801七戦隊日誌(1)p.18『7日0800第三艦隊司令長官/瑞鶴陸奥鈴谷有明夕暮磯波(天霧電6日)「トラック」発』
  99. ^ #海軍軍医日記抄78頁
  100. ^ #S1801佐伯防備隊日誌(2)pp.11-12『1月11日0900呉防備司令官→瑞鶴鈴谷天霧夕暮有明迅鯨伊良湖|一.瑞鶴鈴谷天霧有明夕暮12日0900沖ノ島通過北上ノ豫定沖ノ島迄ノ針路335度/二.迅鯨12日0800沖ノ島通過、伊良湖同日0700深島通過北上ノ予定』
  101. ^ #海軍軍医日記抄79頁
  102. ^ #海軍軍医日記抄83頁
  103. ^ 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』11頁、112-113頁
  104. ^ 歴史群像シリーズ 空母瑞鶴』、142頁
  105. ^ 『翔鶴型空母』p.132
  106. ^ #聞き書き・日本海軍史91頁
  107. ^ #聞き書き・日本海軍史95頁
  108. ^ 歴史群像シリーズ 空母瑞鶴』、142頁
  109. ^ #サイパン・レイテ海戦記65頁
  110. ^ #S1906第61駆詳報(1)p.8、#サイパン・レイテ海戦記66頁
  111. ^ #S1906第61駆詳報(1)p.27
  112. ^ #S1906第61駆詳報(1)p.9『一七四六 瑞鶴爆弾一命中火災間モナク消火ス』
  113. ^ #聞き書き・日本海軍史92頁
  114. ^ #空母機動部隊(2010)201-203頁『傷ついた"武勲艦"』
  115. ^ #あ号作戦詳報(1)p.62『1.瑞鶴 艦橋後方ニ直撃弾1其ノ他至近弾計6、戦闘航海ニ支障ナシ』
  116. ^ 丸スペシャルNo131『戦時中の日本空母III』40-42頁
  117. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.3
  118. ^ 歴史群像 太平洋戦史シリーズvol.13『翔鶴型空母』折込要目表
  119. ^ 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』11頁、35頁、112-113頁
  120. ^ #第1機動艦隊戦時日誌p.7
  121. ^ 歴史群像 太平洋戦史シリーズvol.13『翔鶴型空母』折込行動年表
  122. ^ #瑞鶴日向捷号日誌(3)p.5
  123. ^ #日向詳報pp.4-5
  124. ^ #サイパン・レイテ海戦記360頁
  125. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.14
  126. ^ a b 小林昌信『戦艦「大和」檣頭下に死す』265頁
  127. ^ 歴史群像シリーズ 空母瑞鶴』、142-143頁
  128. ^ #サイパン・レイテ海戦記361頁
  129. ^ #大淀捷1号詳報pp.30
  130. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.22
  131. ^ #大淀捷1号詳報pp.30、#サイパン・レイテ海戦記366頁
  132. ^ #サイパン・レイテ海戦記362頁
  133. ^ #サイパン・レイテ海戦記368-369頁
  134. ^ 「軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(1)」pp.6、#駆逐艦霜月詳報p.4
  135. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.16
  136. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)p.17
  137. ^ a b c d e #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.18
  138. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.29-37
  139. ^ #16歳の海戦(文庫版)283頁
  140. ^ #瑞鶴日向捷号日誌(1)p.12、#瑞鶴日向捷号日誌(2)p.11
  141. ^ #日向詳報p.11、#瑞鶴日向捷号日誌(6)p.25
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  143. ^ #大淀捷1号詳報pp.9, 15
  144. ^ #瑞鶴日向捷号日誌(2)p.12
  145. ^ #大淀捷1号詳報pp.9, 15-16
  146. ^ 小林昌信『戦艦「大和」檣頭下に死す』267頁
  147. ^ #日向詳報p.11
  148. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.19、#大淀捷1号詳報pp.17
  149. ^ #瑞鶴日向捷号日誌(1)p.50、#大淀捷1号詳報p.37
  150. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.19
  151. ^ #16歳の海戦(文庫版)291頁。南義美少尉。
  152. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.20
  153. ^ #16歳の海戦(文庫版)293-294頁
  154. ^ #サイパン・レイテ海戦記372頁
  155. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.60-61
  156. ^ a b c d e #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.21
  157. ^ #瑞鶴捷1号詳報(1)pp.44
  158. ^ 小林昌信『戦艦「大和」檣頭下に死す』267-268頁
  159. ^ 小林昌信『戦艦「大和」檣頭下に死す』269頁
  160. ^ #瑞鶴日向捷号日誌(1)p.13
  161. ^ #大淀捷1号詳報pp.19
  162. ^ 小林昌信『戦艦「大和」檣頭下に死す』270-272頁
  163. ^ #瑞鶴日向捷号日誌(3)pp.13、#瑞鶴捷1号詳報(2)pp.21
  164. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)131-132頁
  165. ^ 橿原神宮・航空母艦「瑞鶴」三角マスト”. 2014年6月30日閲覧。
  166. ^ #野村残像91頁

関連項目[編集]