瑞鶴 (空母)

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瑞鶴
Japanese.aircraft.carrier.zuikaku.jpg
1941年9月25日、神戸沖にて(竣工直後)
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 川崎造船所(川崎重工業)艦船工場[1]
種別 航空母艦[2]
艦級 翔鶴型
計画 昭和12年度(1937年)、マル3計画[3]
起工 1938年5月25日[1]
進水 1939年11月27日[1]
竣工 1941年9月25日[1]
除籍 1945年8月31日[4]
最後 1944年10月25日沈没
北緯19度20分 東経125度51分 / 北緯19.333度 東経125.850度 / 19.333; 125.850 (瑞鶴の沈没地点)座標: 北緯19度20分 東経125度51分 / 北緯19.333度 東経125.850度 / 19.333; 125.850 (瑞鶴の沈没地点)
母港 [5]
建造費 予算 84,496,983円[6]
要目 (特記無きは計画[7])
基準排水量 25,675英トン[8]
公試排水量 29,800トン[8]
満載排水量 32,105.1トン[9]
全長 257.50m[8]
水線長 250.00m[8]
垂線間長 238.00m[8]
水線幅 26.00m[8]
深さ 23.00m(飛行甲板まで)[8]
飛行甲板 長さ:242.2m x 幅:29.0m[10]
エレベーター3基[11]
吃水 公試平均 8.87m[8]
満載平均 9.32m[8]
ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付[10])8基[12]
主機 艦本式タービン(高中低圧[10])4基[12]
推進 4軸[12]
出力 160,000hp[8]
速力 計画:34.0kt[8]
1944年5月調査:34.23kt[13]
燃料 計画:重油 5,000トン[8]
1944年5月調査:重油 5,069トン[13]
航続距離 計画:9,700カイリ / 18ノット[8]
1944年5月調査:11,798カイリ / 18ノット[13]
乗員 計画乗員:1,660名[14]
最終時:1,712名[要出典]
搭載能力 九一式魚雷 45本[15]
爆弾 800kg90個、250kg306個、60kg540個[16]
飛行機用軽質油 745トン[9]
兵装
搭載艇 12m内火艇3隻、12m内火ランチ3隻、8m内火ランチ1隻、9m救助挺2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船2隻[11]
搭載機
レーダー 1944年7月:21号電探2基、13号電探1基[18]
ソナー 仮称九一式四号探信儀1組(後日装備)[20]
零式水中聴音機2組(1944年7月に1組から2組へ増設)[21][22]
その他 着艦識別文字: ス[23]
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瑞鶴(ずいかく/ずゐかく/ズヰカク)は、大日本帝国海軍航空母艦[24]

概要[編集]

軍艦 瑞鶴翔鶴型航空母艦の2番艦[25]マル3計画において、大和型戦艦大和武蔵)と同時期に建造された。太平洋戦争では、真珠湾攻撃珊瑚海海戦第二次ソロモン海戦南太平洋海戦い号作戦(航空隊のみ参加)、ろ号作戦(航空隊のみ参加)、マリアナ沖海戦等の海戦に参加、姉妹艦の翔鶴と共に日本海軍の主力艦として活躍した[26]。そして迎えた1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦栗田艦隊のレイテ湾突入を支援する「囮部隊」として参加、10月25日エンガノ岬沖海戦においてアメリカ軍機動部隊艦載機の攻撃により沈没した。翔鶴と対照的に、瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦でもあった[27][28]

艦名[編集]

艦名の「瑞」はめでたいという意味で、「」は日本において長寿の象徴とされており縁起の良い鳥獣の一種である。

艦歴[編集]

建造経緯[編集]

新造時の瑞鶴。

1930年代初頭、日本海軍はワシントン海軍軍縮条約ロンドン海軍軍縮条約から脱退、第二次ロンドン海軍軍縮会議も決裂した。これをふまえ、第三次海軍軍備補充計画(マル3計画)が帝国議会で承認される。第1号艦(大和)、第2号艦(武蔵)、第3号艦(翔鶴)、第4号艦(瑞鶴)、第5号艦(日進)として、1938年(昭和13年)5月25日川崎造船所(川崎重工業)艦船工場にて瑞鶴が起工された[29][30]。同造船所が建造する三万トン級大型軍艦としては、金剛型戦艦3番艦榛名伊勢型戦艦1番艦伊勢加賀型戦艦1番艦加賀に続く四隻目となった。

1939年(昭和14年)9月14日、高松宮宣仁親王が神戸艦船工場を訪れ、瑞鶴の工期を半年繰り上がらないかと発言した[31]。それを受けて3ヶ月の工期短縮が決定され、この結果として瑞鶴は真珠湾攻撃への参加が可能となった[32]。 同年9月30日、神戸造船所で建造中の空母に瑞鶴[24]、敷設艦(甲標的母艦)に日進砲艦橋立、潜水艦3隻に伊号第二十一潜水艦伊号第二十三潜水艦伊号第二十四潜水艦敷設艇に「[浮島 (敷設艇)|浮島]]艦名が正式に与えられた[33]11月15日、空母飛龍の艦長の横川市平大佐は本艦艤装員長に任命された[34]。同年11月27日進水[30]。翔鶴や瑞鶴という軍艦が進水した事は公表されたが、その概要は伏せられている[35]

1941年(昭和16年)8月14日、瑞鶴は呉海軍工廠での作業のため神戸から呉に向かう途中、台風十四号の暴風雨にあいその際舷窓の閉め忘れにより浸水するという出来事があった[36][37]1941年(昭和16年)9月25日、就役[30]。同時に横川艤装員長は正式に瑞鶴の初代艦長となった[38]。瑞鶴は8月8日に竣工していた姉妹艦の翔鶴[39]、駆逐艦2隻(秋雲)とともに第五航空戦隊(9月1日編制、司令官原忠一少将)を編成した[40][41]。この時点では姉妹艦と区別するために、甲板前部に「ス」と書かれていた。ただし、最終状態の時には書かれていない。

1941年(昭和16年)9月12日に内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、翔鶴型航空母艦2隻(翔鶴、瑞鶴)は第11駆逐隊(吹雪白雪初雪)と共に第一航空戦隊を編制し[42]、それまでの一航戦(赤城加賀)は第51駆逐隊(白雲薄雲)と共に第五航空戦隊となる予定であった[43][44]。しかし、旗艦として使用する予定であった完成直後の翔鶴を訪れた第一航空艦隊司令部は「翔鶴型の飛行甲板は他の空母と比べて著しく短い」「艦橋付近の飛行甲板の幅が狭く、艦上機の運用に不便」と評価を下しており、その影響もあってか編成替えの予定は中止された[45]

真珠湾攻撃[編集]

1941年(昭和16年)、第五航空戦隊南雲忠一中将指揮下の第一航空艦隊(南雲機動部隊)に属し、真珠湾攻撃に参加した。 艦上攻撃機隊48機が宇佐基地艦上爆撃機隊54機が大分基地艦上戦闘機隊36機は佐世保基地を基地として[46]、離着艦訓練や錦江湾志布志湾佐伯湾での訓練を行った。

11月16日、瑞鶴は呉基地で燃料・弾薬・食料などを搭載、艦載機も全機収容した[47]。出港前に副長から凡その目的地と寄港地を説明されるのが通例であったが、今回はそれが無いまま出港し、途中で自艦の搭載機部隊を各陸上基地から離陸させて着艦収容すると佐伯湾に錨泊した[48]。佐伯湾にはハワイ作戦に参加するほとんどの24隻の艦船が集まっており、翌17日午後に山本五十六連合艦隊司令長官の視察を受けた。各艦船は機動部隊としての行動をごまかすため、11月18日に時間をずらしてバラバラに佐伯湾を離れ、第五航空戦隊は豊後水道を他艦とは逆に北上して別府湾で停止した。日付が19日になった午前0時に再び動き出して豊後水道を戻り、本州東海の太平洋を北上していった。

旗艦赤城では佐伯湾を出た翌日の航行途中で全飛行搭乗員へハワイ作戦が訓示されたが、瑞鶴では呉出港以来、何も説明が無いまま11月22日千島列島択捉島単冠湾へ入った[49]。全乗組員に艦長もしくは副長からハワイ作戦について知らされたのは翌23日で[50]、加賀が到着した後だったという。各艦打ち合わせと兵器整備の後、11月26日南雲機動部隊は単冠湾を出港し艦列を連ね、一路ハワイ真珠湾へと向かった[51]

12月8日、瑞鶴は他の空母5隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴)と共に真珠湾に対し2波にわたる攻撃を行った。瑞鶴からは計58機が出撃し未帰還機ゼロという幸運なスタートを切った。当時の第五航空戦隊は新兵が多く、比較的練度も低めだった事もあり、翔鶴共々艦隊からお荷物扱いもされ、攻撃の際も難しい魚雷攻撃ではなく、水平爆撃が主体だった。(しかし実際は他機動部隊乗員の練度が極端に高かっただけであり、世界基準で言えば翔鶴、及び瑞鶴の乗員の殆どは他国軍での教官並の練度を有していた。)

瑞鶴からの真珠湾攻撃参加機
第一次攻撃隊
九九式艦爆25機=指揮官:分隊長坂本明大尉零戦6機=指揮官:分隊長佐藤正夫大尉
第二次攻撃隊
九七式艦攻27機=指揮官:飛行隊長嶋崎重和少佐(第二次攻撃隊指揮官)

12月24日、内地に帰投して呉到着[52]。その後、1942年(昭和17年)1月1日付で瑞鶴・翔鶴搭載の常用機定数は艦上爆撃機艦上攻撃機が各27機から18機に削減されて第二航空戦隊(蒼龍飛龍)と同じとなり、投射重量は当初の3分の2となった[53]

ラバウル攻略、セイロン沖海戦[編集]

1942年(昭和17年)1月5日に呉を出港し、8日に内地を離れトラック泊地へと向かった[54]。14日トラック泊地着、17日出撃[55]。20-22日、空母4隻(赤城、加賀、瑞鶴、翔鶴)はラバウル攻略作戦に参加し、連合軍基地を空襲した[56]。また五航戦の零戦が連合軍飛行艇1機を撃墜、脱出した搭乗員を第六戦隊(重巡青葉)が捕虜にしている[57][58]。この時は主立った抵抗も受けず、占領することに成功する[59]。つづいて特別空襲隊(瑞鶴、翔鶴、筑摩、不知火、陽炎、霞、霰)となり、ニューギニア島ラエを攻撃した[60]。一連の作戦後、五航戦(翔鶴、瑞鶴)はラバウル進出予定の九六式艦上戦闘機16機の空輸を担当したのち、1月29日にトラック泊地へ帰投する[61][62]。 翔鶴は駆逐艦2隻(浜風、陽炎)と共に内地へ帰投した。瑞鶴は2月8日にパラオへ一時入港、横須賀へ向かい2月13日着[63]。機動部隊からのぞかれ連合艦隊直属航空部隊(第1連隊《瑞鶴、陽炎、霰》、第2連隊《翔鶴、秋雲》)となり、アメリカ軍機動部隊の東京空襲に備えつつ訓練に従事した[64]。艦載機は館山海軍基地横須賀飛行場、鈴鹿海軍航空隊等で訓練に従事した[65]

3月7日、横須賀を出港して伊勢湾で航空隊を収容、セレベス島スターリング湾へ向かうがアメリカ軍の機動部隊出現(誤報)により反転、横須賀に入港した後、3月17日に再びセレベス島へ向かう[66]。24日、セレベス島にて南雲機動部隊主力(第一航空戦隊第二航空戦隊)と合流する。駆逐艦「谷風」で負傷兵1名が発生するが旗艦・赤城は赤痢患者多発のため受け入れを拒否し、結局瑞鶴で手術を行った[67]。26日に出港、インド洋に進出してイギリス東洋艦隊との戦闘に備えた[68]。4月上旬、セイロン沖海戦に参加。瑞鶴攻撃隊は空母ハーミーズ (HMS Hermes, 95) 、豪駆逐艦ヴァンパイア(HMAS Vampire, D68)、コルベット艦ホリホック (HMS Hollyhock, K64)、タンカー2隻を共同で撃沈した。

第五航空戦隊は4月14日にシンガポール沖で他の空母と別れ[69]、駆逐艦3隻(秋雲、萩風舞風)とともに台湾馬公市に向かった[70]。馬公には4月18日に到着、正式に第27駆逐隊(時雨白露有明夕暮)が五航戦の指揮下に入った[69]。同日、アメリカ軍機動部隊(エンタープライズホーネット)は日本本土初空襲(ドーリットル空襲)を敢行する[71]。五航戦は補給を実施後の19日に出港、硫黄島方面に出動する[69]。アメリカ軍機動部隊を捜索したが会敵できず、25日になってトラック泊地に入港した[69]。27日、第五戦隊部隊(妙高、羽黒、潮、曙)がトラック泊地に到着、機動部隊の戦力が揃った[69]。機動部隊指揮官は第五戦隊司令官高木武雄少将(先任)で、五航戦司令官原忠一少将は第五戦隊の指揮下という立場である[69]。しかし高木・原少将は協議の結果、航空戦に関しては五航戦が主導する旨を確認している[69]

アメリカ軍機動部隊との戦い[編集]

1942年(昭和17年)5月、第五航空戦隊は南雲機動部隊から分離し、MO機動部隊に編入されポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)の支援に当たった。当時、アメリカ軍機動部隊は南方にて活発な行動を行っており、軽空母1隻(祥鳳)の護衛では限界があった[72]。南洋部隊指揮官井上成美中将(第四艦隊司令長官)は増援の空母配備を希望した[72]。連合艦隊は加賀の投入を予定していたが、加賀はパラオ寄港時の座礁(艦底損傷)修理のため4月中の派遣は困難だった[72]。作戦実施時期を5月上旬に延期したため投入可能となったが、要求される任務(モレスビー周辺飛行場制圧、輸送船団護衛、敵機動部隊警戒・撃滅)が多すぎるため加賀でも兵力不足と判定された[73]。南洋部隊は第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)の派遣を希望したが、連合艦隊は第五航空戦隊の練度向上を企図し、五航戦(瑞鶴、翔鶴)、第五戦隊(妙高、羽黒)、第7駆逐隊(潮、曙)、第27駆逐隊の南洋部隊(第四艦隊)編入を発令した[73]。こうして瑞鶴はポートモレスビー作戦にともなう珊瑚海海戦に参加することになった。作戦開始時の五航戦搭載機は、瑞鶴計63機(艦戦20、艦爆22、艦攻21)、翔鶴54機(艦戦17、艦爆21、艦攻16)、2隻合計117機だった[69]。また五航戦側は祥鳳を指揮下に置き、同艦搭載機を艦戦に統一して艦隊防空をになわせることを希望したが、船団護衛を重視する南洋部隊に却下されている[74]

5月1日、MO機動部隊(瑞鶴、翔鶴、時雨、白露、有明、夕暮)はトラックを出撃、ソロモン海へ進出した[75]。出撃直後、対潜哨戒に投入した艦爆1・艦攻2が悪天候のため母艦に戻れず、回収できないまま作戦を続けた[75]。MO作戦に従事する前にラバウルへ零戦9機を空輸するよう下令されていたが、悪天候のため空輸を実施できず、たびたび予定を変更している[75]。この間、フロリダ諸島を占領したツラギ攻略部隊は米空母ヨークタウンの艦載機に襲撃され、駆逐艦菊月等を撃沈されている[76]

5月上旬、MO機動部隊はアメリカ海軍第17任務部隊と交戦した。5月6日夜、MO機動部隊は一旦速度を10ノットとして北上を開始。5月7日、MO機動部隊艦載機が、米空母と誤認された給油艦ネオショー(USS Neosho, AO–23)と駆逐艦シムス(USS Sims, DD-409)を撃沈した[77]。この攻撃で瑞鶴艦爆1機が被弾してネオショーに自爆攻撃を敢行した[78]。 一方、MO攻略部隊主隊(指揮官五藤存知第六戦隊司令官:青葉加古衣笠古鷹祥鳳)も第17任務部隊艦載機の空襲を受け、祥鳳沈没という被害を受けた[79]。またMO機動部隊の薄暮攻撃もアメリカ軍機による迎撃を受けて艦爆12機中1機(瑞鶴1)、艦攻15機中8機(瑞鶴5、翔鶴3)を喪失、他にも被弾機を出して失敗した[80]。翌日の使用可能機数は瑞鶴45機(艦戦19、艦爆14、艦攻12)、翔鶴51機(艦戦18、艦爆19、艦攻14)となる[80]。度重なる失敗に、原忠一司令官は「海軍をやめたい」とまで漏らした[81]。またMO攻略部隊主隊より第六戦隊第2小隊(衣笠、古鷹)が機動部隊に合流、駆逐艦有明を不時着機救助に派遣したため、その戦力は空母2隻(瑞鶴、翔鶴)、重巡4隻(妙高、羽黒、衣笠、古鷹)、駆逐艦5隻(時雨、白露、夕暮、)となった[82]

5月8日、翔鶴の飛行隊長高橋赫一少佐が指揮するMO機動部隊艦載機69機(瑞鶴31機《艦戦9、艦爆14、艦攻8》、翔鶴38機《艦戦9、艦爆19、艦攻10》)は第17任務部隊を攻撃する[83]。翔鶴隊は空母レキシントン(USS Lexington, CV-2) を攻撃して同艦を自沈に追い込んだ[83]。瑞鶴攻撃隊はヨークタウン(USS Yorktown, CV-5)を中破させたが、魚雷を命中させられず決定的戦果をあげられなかった[83][84]。対する第17任務部隊艦載機はスコールの下にあった瑞鶴を発見できず、翔鶴に集中攻撃を加えた[85]。爆弾3発の命中により同艦は大破、炎上した[85]。瑞鶴は損害こそ受けなかったものの、多数の艦載機と搭乗員を失い、随伴駆逐艦の燃料も不足、また敵空母2隻を撃沈したと錯覚したため(ヨークタウン型三弾以上命中撃沈確実)、米機動部隊追撃を諦めて北上した[86]。同日夕刻の報告によると、瑞鶴の使用可能機(翔鶴収容機含む)は艦戦24、艦爆9、艦攻6、翌日修理完了予定(艦戦1、艦爆8、艦攻8)だったという[87]

祥鳳が沈没し、翔鶴も大破され瑞鶴の航空隊消耗という経緯を受けて井上司令長官はポートモレスビー攻略の延期を決定した[88]。連合艦隊(司令長官山本五十六大将)は『此ノ際極力残敵ノ殲滅ニ努ムベシ』と発令して南洋部隊(第四艦隊)を叱責する[88]。南洋部隊は麾下部隊に南下および索敵攻撃を命じるが、航空機の消耗に加えて燃料不足が行動を制約する[89]。翔鶴は駆逐艦と共に内地へ回航された[90]。瑞鶴は東邦丸から燃料補給をおこなったのち、策敵を実施する[89]。だが漂流するネオショーを発見したのみで、アメリカ軍機動部隊(ヨークタウン等)は逃走した後だった[91]。5月10日、連合艦隊はポートモレスビー作戦の延期を発令[91]。MO機動部隊はミッドウェー作戦準備のため、南洋部隊(第四艦隊)から除かれる旨を通知した[91]。 5月13日、MO攻略部隊の編成は解かれ、南洋部隊はナウル・オーシャン攻略部隊作戦を実施することになる[92]。同日、本艦は戦闘機隊のラバウル空輸を実施[92]。第五戦隊と分離し、第7駆逐隊と共にトラック泊地へ向かう[92]。同泊地を経由して内地への航海中、洋上で珊瑚海海戦における戦死者35名の葬儀を行う[93]。5月21日、内地に到着した[94]。翔鶴運用長の福地周夫中佐は、「運よくスコールに隠れた瑞鶴は無傷で、被害は翔鶴に集中し、瑞鶴はまことに幸運艦でした…と山本長官に報告したら、長官は瑞鶴の幸運を喜んだだろうか」と述べている[95]

6月5日、横川大佐(瑞鶴艦長)は筑波海軍航空隊司令官へ転任[96]。同時に、同航空隊司令官野元為輝大佐は、瑞鶴二代目艦長に任命された[96][97]。 同日、日本軍はミッドウェー海戦で大敗し、主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を一挙に失った[98]。赤城乗艦中の源田実機動部隊参謀(兵52期)は、炎上する同艦から脱出する際に「翔鶴と瑞鶴がいてくれたらなあ」と呟いたほどである[99]。日本海軍はアメリカ軍機動部隊がアリューシャン列島より来襲すると予期し、北方への戦力集結を開始する[100]。 6月14日、瑞鶴と駆逐艦浦風は北方部隊編入を命じられた[100]。駆逐艦2隻(秋月)に護衛され柱島を出港、4隻(瑞鶴、浦風、秋月、朧)は大湊へ向った[100]。23日着[101]。アリューシャン攻略部隊の支援として北太平洋方面に進出[102]。当時の軍隊区分(指揮官細萱戊子郎第五艦隊司令長官)における第二機動部隊(指揮官角田覚治第四航空戦隊司令官)は、第一空襲部隊(龍驤、隼鷹、高雄、潮、曙、漣、浦風、東邦丸)、第二空襲部隊(瑞鶴、瑞鳳、摩耶、嵐、野分、萩風、舞風、富士山丸)という戦力だった[103]。各部隊は米艦隊出現に備えて北方海面に進出したが(隼鷹は機関故障で不参加)、とくに戦闘は起きず、7月7日に配備撤収命令が出た[104]。北方での哨戒行動は、完全な空振りに終わった[104]

本艦は7月13日に呉へ帰港、整備・補修を行った[105]。7月14日、第五航空戦隊は解隊され、司令官原忠一少将は第八戦隊(利根筑摩)司令官に転任した[106]。また同日附で空母3隻(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)は第一航空戦隊を再編成、同時に第三艦隊(司令長官南雲忠一中将、参謀長草鹿龍之介少将)[107][106]に編入[108]。再建された日本海軍機動部隊の主力空母となった。瑞鶴飛行隊長には源田実中佐が任命されている[106]。 またミッドウェー海戦の戦訓から、搭載機の編制も艦戦27、艦爆27、艦攻18に改められ、艦首・艦尾に25mm機銃の銃座を設置した[109]。第三艦隊司令長官の南雲中将は、修理を終えレーダーを装備した翔鶴に将旗を掲げた[110]

アメリカ軍機動部隊との再戦[編集]

ブインからサボ海峡を航行する空母を始めとする連合軍艦隊への出撃に向かう瑞鶴の航空隊(1943年4月7日

1942年(昭和17年)8月7日、アメリカ軍はガダルカナル島フロリダ諸島に上陸してガダルカナル島の戦いがはじまった。瑞鳳出撃準備が間に合わないため、第二航空戦隊(飛鷹隼鷹龍驤)より龍驤を第一航空戦隊に臨時編入し、空母3隻(翔鶴、瑞鶴、龍驤)を基幹として南東方面へ進出する[111]24日、アメリカ海軍の第61任務部隊と交戦した(第二次ソロモン海戦)。翔鶴・瑞鶴より発進した第一次攻撃隊37機(指揮官関衛翔鶴飛行隊長:翔鶴《艦戦4、艦爆18》、瑞鶴《艦戦6、艦爆9》)は翔鶴隊がエンタープライズを、瑞鶴隊がサラトガを攻撃した[112]。零戦3と艦爆17機を喪失、零戦3と艦爆1機が不時着するという被害だった[112]。第二次攻撃隊36機(指揮官高橋定瑞鶴飛行隊長:翔鶴《艦戦3、艦爆9》、瑞鶴《艦戦6、艦爆18》)はアメリカ軍機動部隊を発見できず空振りとなり、艦爆4が行方不明、艦爆1機が不時着した[113]。この戦闘で日本軍は3隻(空母龍驤、駆逐艦睦月、輸送船金龍丸)を喪失、2隻(軽巡神通、水上機母艦千歳)が中破した。アメリカ海軍は空母エンタープライズが損傷したのみで、輸送船団(第二水雷戦隊護衛)のガ島揚陸を阻止して勝利を収めた。瑞鶴は直掩の零戦をアメリカ軍機と間違えて対空戦闘を行ったが、誤射で墜落した機はなかったという[114]。ブカ島に零戦隊を派遣後、9月5日にトラック泊地へ帰投した。15日に出撃し、23日帰投[115]。なお源田実瑞鶴飛行長は10月8日附で任を解かれ、第十一航空艦隊臨時参謀を命じられた(後日、軍令部第1部第1課部員、大本営参謀)[116][117]

10月11日、第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)はトラックを出撃し、ソロモン海域へと向かった。10月15日朝、アメリカ軍輸送船団を発見する[118]。二派に亘る攻撃隊を送り込むが、決定的な戦果はなかった。夜間着艦の際、右に流れながら着艦した機が瑞鶴信号檣と艦橋に接触して海中に転落、乗組員10名が負傷した[119]

10月25日深夜、南雲機動部隊(第三艦隊)はソロモン諸島へ向け南下中、アメリカ軍哨戒機に爆撃されて瑞鶴前方150m程に至近弾となった[120]。報告を受けた南雲機動部隊司令部は対応を協議、アメリカ軍に位置を発見されたと判断して一時北方へ反転する[121]。この行動が、日本側にとって僥倖となった。 10月26日、日本艦隊は再度米機動部隊と交戦する。日本艦隊は、南雲中将直率の機動部隊本隊(第一航空戦隊《翔鶴、瑞鶴、瑞鳳》、重巡《熊野》、第4駆逐隊《舞風》、第16駆逐隊《雪風初風天津風時津風》、第17駆逐隊《浜風》、第61駆逐隊《照月》)、第十一戦隊司令官阿部弘毅少将(戦艦比叡座乗)指揮下の機動部隊前衛、第二艦隊司令長官近藤信竹中将(重巡愛宕座乗)指揮下の前進艦隊(第二航空戦隊角田覚治少将、空母隼鷹を含む)に分離していた[122]。日本側は空母ホーネット (USS Hornet, CV-8)と駆逐艦ポーター(USS Porter, DD-356)を撃沈、空母エンタープライズを中破、戦艦サウスダコタ (USS South Dakota, BB-57) 、防空巡洋艦サンフアン(USS San Juan, CL-54)、駆逐艦スミス(USS Smith,DD–378)に損傷を与えた[123]。一方、アメリカ側は空母翔鶴と重巡筑摩を大破、空母瑞鳳を中破させた。 なお、第一次攻撃隊発進時に瑞鶴攻撃隊の発艦が遅れた件について瑞鶴の野元艦長は、「レーダーを持っている翔鶴から矢の催促がきたが、瑞鶴は(レーダーが)ないのでのんびりやることにした」と回想している[124][125]。瑞鶴は航空隊発進のため風上へ向かい翔鶴と2万メートル近く離れ、このためアメリカ軍攻撃隊は再び翔鶴に集中攻撃を加えた[126]。大破した翔鶴は航空隊発進・収容が不可能となり旗艦としての通信能力も喪失、そこで一時的に野元瑞鶴艦長が航空戦の指揮をとることになった[127]。のちに南雲中将や草鹿少将など第三艦隊司令部は翔鶴から駆逐艦(第4駆逐隊司令有賀幸作大佐)へ移動し、さらに同艦から瑞鶴に移乗して将旗を掲げた[128]。また本艦に損傷はなかったものの、艦載機の消耗は甚大であった。10月30日、トラック泊地帰投[129]。戦死者の葬儀を行うが、輸送船に救助されていた瑞鶴飛行隊長高橋定大尉は葬儀開始1時間前に母艦(瑞鶴)へ帰還している[130]

11月4日、瑞鶴は第五戦隊(妙高)、第16駆逐隊(初風時津風)と共に内地へ帰投するよう命じられる[131]。9日、瑞鶴隊(瑞鶴、初風)は豊後水道にて佐世保へ向かう妙高隊(妙高、時津風)と分離、呉に到着した[132][133]。このため11月中旬の第三次ソロモン海戦には参加していない。後日、翔鶴と瑞鶴は三回目の感状を授与された[134]。 11月11日、第三艦隊司令長官は南雲中将から小沢治三郎中将に交代した[135]。同艦隊参謀長も23日附で草鹿少将から山田定義少将に交代している[136]

昭和18年の行動[編集]

呉到着後、瀬戸内海で消耗した航空隊の再編や天山艦上攻撃機の発着艦試験を行った。12月12日、トラック島への輸送任務に投入された空母龍鳳が横須賀出港直後に米潜水艦ドラム (USS Drum, SS-228)から雷撃され中破、「時津風」に護衛されて引き返した。このため瑞鶴が龍鳳輸送物件(陸軍飛行第45戦隊の九九式双発軽爆)を輸送することとなる[137]。機材と関係者を乗せて駆逐艦3隻(秋月初風時津風)と共に12月31日に横須賀を出発[138]1943年(昭和18年)1月4日トラック着[139]。駆逐艦3隻はそのままガダルカナル島の戦いに投入された。 1月7日、長門型戦艦2番艦陸奥、空母瑞鶴、重巡鈴谷、駆逐艦6隻(有明夕暮磯波天霧朝潮)はトラック泊地を出発[140]。この航海では、陸奥の為に艦隊速力を16ノットに落とさざるを得ず、瑞鶴乗組員は不安になったという[141]。瑞鶴隊(瑞鶴、鈴谷、天霧、夕暮、有明)は呉へ向かい[142]、12日大分、14日呉着[138]

1943年(昭和18年)1月18日、大和型戦艦2番艦武蔵、空母2隻(瑞鶴、瑞鳳)、護衛艦6隻(軽巡神通、第10駆逐隊《夕雲秋雲巻雲風雲》、第16駆逐隊《雪風》)は呉を出発した[143]。22-23日トラック着[144]ガダルカナル島からの撤退(ケ号作戦)を支援するため、1月下旬に基地要員を駆逐艦2隻(秋雲、巻雲)に乗せて派遣し、続いて航空隊を進出させた。1月27日、駆逐艦「陽炎」が瑞鶴不時着機救助のために出動[145][146]。2月10日、基地員の大部分は第17駆逐隊2隻(谷風浦風)に分乗し、トラック泊地の本艦へと戻った[147]

4月上旬のい号作戦で母艦飛行隊の損害は総計17%となり、ハワイ作戦時の2倍程度になった[148]。小沢長官は山本五十六連合艦隊司令長官に、母艦航空隊を陸上航空戦に投入しないよう申し入れたが、却下されている[149]。第一航空戦隊は機材と搭乗員の一部を第二航空戦隊(隼鷹、飛鷹)に移載し、整備・修理のため内地帰投が決まる[148]。 5月3日、第一航空戦隊(瑞鶴、瑞鳳)は第十戦隊(阿賀野雪風夕雲秋雲)に護衛されてトラック泊地を出発[148][150]。瑞鶴隊は5月8日呉到着[151]。瑞鳳隊(瑞鳳、嵐、漣)は佐世保に回航された[152][148]。 この時期に瑞鶴は21号電探を装備、艦橋周辺などに機銃を追加した[153]。アメリカ軍のアッツ島来攻(アッツ島の戦い)にともない、連合艦隊水上部隊主力は東京湾に集結し、北方作戦に備える[154]。5月18日、修理を終えた翔鶴と共に呉を出発[155]。5月21日、機動部隊(空母3隻《翔鶴、瑞鶴、瑞鳳》、巡洋艦5隻《熊野鈴谷最上大淀阿賀野》、駆逐艦3隻《浜風、嵐、雪風》)は横須賀に到着した[154][156]。だが翔鶴状況は「四月末人員整備個艦教育ヲ漸ク終了」、瑞鶴の状況は「人員補充漸ク終ッタバカリ、大兵力ヲ以テルス演練不足」であり、連合艦隊司令部としても作戦に自信を持てなかったという[154]。 5月29日(報告30日)、アッツ島守備隊(指揮官山崎保代陸軍大佐)は玉砕[157]。有力な米水上部隊の不在、燃料不足、守備隊玉砕という観点より、機動部隊の北方作戦参加は中止[154]。各艦・各部隊は横須賀を経由して内海西部へ回航された[158]。第一航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)と巡洋艦2隻(最上、大淀)は、秋月型駆逐艦3隻(涼月、初月、新月)および第27駆逐隊(時雨、有明、夕暮)に護衛されて内海西部に移動した[159][160]

6月20日、瑞鶴艦長は菊池朝三大佐に交代[161]。 6月30日、アメリカ軍はニュージョージア諸島レンドバ島に上陸を開始、つづいてニュージョージア島にも上陸を敢行し、ニュージョージア島の戦いが始まった。情勢が緊迫する中、日本陸軍部隊のソロモン諸島転用が決まった。7月8日、空母4隻(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳、沖鷹)、水上機母艦日進、重巡3隻(利根筑摩最上)、軽巡洋艦2隻(大淀阿賀野)、駆逐艦部隊(第4駆逐隊《萩風》、第17駆逐隊《磯風》、第61駆逐隊《涼月初月》、夕雲型《玉波》)は内地を出撃[162][163]。7月15日、トラック泊地に到着。 1943年(昭和18年)後半はトラック島に碇泊していた。9月17日、他の艦艇と共に訓練のためトラック島を出港した。翌18日、アメリカ機動部隊ギルバート諸島タラワマキンを空襲したため、瑞鶴以下の日本艦隊はこのアメリカ艦隊攻撃に向かったが会敵できず、23日にトラック島に帰投した。10月5日6日今度はウェーク島を米機動部隊が空襲した。17日、日本艦隊(大和、長門、翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)等はトラック島を出撃したがこの時も会敵できずに終わった[164]

これら一連の作戦と11月のろ号作戦ブーゲンビル島沖航空戦)で小沢機動部隊は所属艦載機を地上基地(ラバウル)へ進出させた[165]。南太平洋海戦後に再編成された機動部隊航空隊は、母艦からの作戦でアメリカ軍機動部隊と戦うことなく消耗し、特にろ号作戦では飛行隊長や分隊長に戦死や未帰還が相次ぐほどの損害であった[166]。 12月7日、機動部隊参謀長は山田少将から古村啓蔵大佐(戦艦武蔵」艦長)に交代した[167]。同日、呉回航部隊(筑摩、瑞鶴、涼月初月)はトラック泊地を出発、12日に呉へ到着した[168][169]。 12月18日、瑞鶴の艦長は菊池大佐から空母鳳翔艦長貝塚武男大佐に交代した[170][169]。菊池大佐は12月23日附で装甲空母大鳳艤装員長に任命された[171][169]

マリアナ沖海戦[編集]

マリアナ沖海戦で防戦中の瑞鶴(中央)と二隻の秋月型駆逐艦。

1944年(昭和19年)2月15日、空地分離の方針により第六〇一海軍航空隊(司令入佐俊家中佐)が編制され、瑞鶴飛行隊は母艦の指揮下を離れた[172]。 3月1日、日本海軍は第一機動艦隊(司令長官小沢治三郎中将《第三艦隊司令長官兼務》、参謀長古村啓蔵少将)を編成、第一航空戦隊は空母3隻(大鳳、翔鶴、瑞鶴)となり、シンガポール方面に進出して訓練を行った[172]。同時期、瑞鶴三代目艦長の菊池大佐は、3月7日より大鳳初代艦長となっている[173]。また大鳳砲術長、大鳳副長とも瑞鶴からの転勤者であった[174]。大鳳は3月10日に第一航空戦隊へ編入され[175]、4月5日にシンガポールへ到着、4月15日より第一機動艦隊旗艦となった[176]。 一方、この時期の瑞鶴には航空機の緊急投棄のため煙突の上に鉄板が張られた他、後部航空機格納庫の壁が切り取られ、艦尾の短艇甲板に天山艦上攻撃機3機を搭載可能となっていたという[177]。またミッドウェー海戦の戦訓から艦載機への燃料補給と爆弾・魚雷装着は飛行甲板で行うようになったが、給油パイプは飛行甲板まで延長できたものの揚爆弾筒は格納庫までしか延ばせず、最後はエレベーターで爆弾や魚雷を飛行甲板まで揚げる必要があった[178]。4月下旬、シンガポールで推進軸受の修理を実施[179]。5月、あ号作戦準備のためタウイタウイを経てギマラスに移動し、6月下旬のマリアナ沖海戦に参加する。

6月19日、小沢機動部隊はアメリカ機動部隊を攻撃し、本艦も同日朝には40機(零戦16機、彗星15機、天山9機)の攻撃隊を発艦させたが、味方部隊の誤射による混乱やアウトレンジ戦法の失敗により帰還できたのは12機(零戦5機、彗星4機、天山3機)という大損害を受けた[180]。また、小沢機動部隊甲部隊(第一航空戦隊《大鳳、翔鶴、瑞鶴》、第五戦隊《羽黒妙高》、第十戦隊〔旗艦矢矧霜月、第4駆逐隊《朝雲》、第17駆逐隊《磯風浦風》、第61駆逐隊《若月初月秋月》〕)も米潜水艦の襲撃を受け、旗艦の大鳳が米潜水艦アルバコア(USS Albacore, SS-218)、翔鶴がカヴァラ(USS Cavalla, SS-244)の雷撃で撃沈された[181]。大鳳脱出後の小沢治三郎司令長官や古村啓蔵参謀長は駆逐艦若月、重巡羽黒を経由して20日正午頃に瑞鶴に移乗した[182]

6月20日午後5時25分、薄暮攻撃隊として天山7機が発進(3機未帰還、4機帰投後不時着救助)。直後、100機以上のアメリカ機動部隊艦載機の空襲を受けた[183]。機動部隊は瑞鶴(旗艦)を中心に、第五戦隊(妙高、羽黒)、第十戦隊(矢矧、浦風、磯風、朝雲)、秋月型駆逐艦4隻(初月、若月、秋月、霜月)という輪形陣を組んでアメリカ軍機を迎撃した[184]。この攻撃で至近弾6発を受け、さらに瑞鶴艦橋後部の飛行甲板に爆弾1発が命中、小規模な火災が発生した[185][186]。空襲下では投棄するはずの小型移動式ガソリン車が戦闘中も飛行甲板に放置されており、これに引火したとされる[187]。また格納庫でも火災が発生、消火用の水と至近弾による破孔から浸水により艦内に水があふれ、総員退艦を囁く乗組員もあったという[188]。本艦は艦橋を小破した状態で日本本土に帰還した[189]。 6月21日、軍令部は陸海軍総力をあげたサイパン島奪還作戦を立案、小沢機動部隊残存空母は練習航空隊や陸軍機を搭載し、特設航空母艦大鷹型航空母艦)も含めて7月4日に内地を出発、サイパンに突入する予定となる[190]。連合艦隊参謀の神重徳大佐は、自ら戦艦山城の艦長となってサイパンへ突入すると宣言したほどである。だが日本陸軍の協力が得られず、瑞鶴を含めたサイパン突入作戦は実施されなかった[190]

レイテ沖海戦[編集]

7月14日、瑞鶴は呉工廠に入渠した。第一航空戦隊は空母2隻(瑞鶴、龍鳳)となる[191]。 マリアナ沖海戦での損傷復旧とともに戦訓からガソリンタンクの防御強化や艦内の不燃化対策がより徹底され[192]、船体や甲板には空母以外の艦船にみせかけるための迷彩塗装を施した。武装は対空噴進砲(対空ロケットランチャー)8基[193]を新設、このほかにも25mm単装機銃や13号電探、水中聴音器が追加装備された[194][195]。 8月に出渠後、8月6日に空母雲龍が第一航空戦隊に編入された[196]。8月10日、瑞鶴は第一航空戦隊から第三航空戦隊に編入、三航戦は空母4隻(瑞鶴、瑞鳳千歳千代田)となる[197]。第一航空戦隊は雲龍型航空母艦2隻(雲龍天城)で再編され、小沢司令長官は天城に将旗を掲げた(9月13日より陸上基地)[198]。瑞鶴は僚艦と共に瀬戸内海で訓練に入った[199]。9月には後述する映画撮影にも協力した[200]

10月上旬、アメリカ軍機動部隊が沖縄に出現したため、連合艦隊(司令長官豊田副武大将、参謀長草鹿龍之介中将)は捷号作戦警戒を発令[201]。連合艦隊は内海西部で訓練中の第三航空戦隊・第四航空戦隊の母艦航空隊をとりあげ、陸上基地に配備した[202][203]。機動部隊首席参謀大前敏一大佐は神重徳連合艦隊参謀と何度も折衝、「連合艦隊は母艦艦隊の出動に期待しない」と明示したため、小沢長官も母艦航空隊の地上基地転用に了承したという[204]。 戦局は10月中旬の台湾沖航空戦を経てフィリピン方面の攻防戦に焦点が移る(キングII作戦)。作戦の一環として、連合艦隊は第二艦隊司令長官栗田健男中将指揮下の水上艦部隊をレイテ湾に突入させるため、小沢中将直率の第三艦隊(小沢機動部隊)に米軍機動部隊を誘致する『囮役』を命じた[205][206]

10月20日、瑞鶴は小沢治三郎中将が指揮する第一機動艦隊第三艦隊)の旗艦として本土を離れ、フィリピン北東へ進出した[207]。小沢機動部隊は第三航空戦隊(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)、第四航空戦隊(日向、伊勢)、軽巡洋艦2隻(多磨、五十鈴、大淀)、松型駆逐艦4隻(桑、槇、桐、杉)[208]、第61駆逐隊(初月、秋月、若月)、第41駆逐隊(霜月)で編成されていた[209]。各艦の搭載機は合計116機(瑞鶴65機、瑞鳳17機、千歳18機、千代田16機)であったとされる[210]。10月23日、松型2隻()は墜落した瑞鶴所属零式艦上戦闘機救助のため小沢艦隊から分離、燃料不足のため小沢艦隊に復帰せず戦場を離脱した。

10月24日午前11時30分、瑞鶴から零戦16機、爆装零戦16機、彗星2機、天山1機(彗星と天山は誘導・戦果確認)が発進し[211]、他三空母の32機と合計した攻撃隊はアメリカ機動部隊攻撃に向かった[212]。アメリカ軍空母2隻を撃沈、数隻に命中弾を与えたとするが、実際には空母エセックスラングレーへの攻撃が至近弾となったものの[213]、 戦果はなかった[214]。撃墜された機も多かったが、攻撃後に陸上基地に向かった機もあり、小沢機動部隊に帰還した機は3機であった[215]。また故障で零戦6機、爆装零戦5機が着艦した[216]。小沢機動部隊の航空戦力は29機(零戦19/内直掩可能14機、戦爆5、天山4、彗星1)に減少した[217]。一方、アメリカ軍第38任務部隊ウィリアム・ハルゼー・ジュニア司令官は軽空母プリンストンの喪失を小沢機動部隊艦載機による攻撃と判断(実際は基地航空隊彗星の戦果)、小沢機動部隊を壊滅させるべく北上を開始した[218]。栗田艦隊は24日の第38任務部隊による空襲で数隻に損害を受けたが(戦艦武蔵が沈没、重巡妙高が被雷で離脱、駆逐艦2隻《浜風清霜》被弾離脱)、他艦の損害は軽微(大和、長門、利根、矢矧損傷)であった。だがハルゼー司令官は、栗田艦隊は大打撃を受けて無力化したと誤判断、「本命」である日本空母を決戦の相手に選んだのである[219]

25日対空戦闘時の小沢機動部隊は第三航空戦隊の空母4隻(瑞鶴、瑞鳳千歳千代田)、第四航空戦隊航空戦艦2隻(伊勢日向)、軽巡洋艦3隻(多摩五十鈴大淀)、駆逐艦6隻(初月秋月若月霜月)で編制され、さらに第一群(瑞鶴、瑞鳳、伊勢、大淀、多摩、初月、秋月、若月、桑)と、第二群(千歳、千代田、日向、五十鈴、霜月、槇)に分離していた[220][221]。 瑞鶴零戦9機が発進、直掩となる[212]。また午前6時13分、爆装零戦5機、彗星1機、天山4機が発進した[222]。 午前8時20分からアメリカ軍機約130機による第一波攻撃を受けた。8時35分、瑞鶴の甲板中央部に爆弾1発が命中した[223]。さらに2分後に魚雷一本が瑞鶴の左舷に命中し機械室が浸水、艦載機発着艦不能となってしまった[224]。また送風装置の故障により機関部温度が急上昇し在室不能となり、この結果右2軸運転となった[224]。艦橋の舵取り装置も故障し、直接操舵となるが、修理により8時45分復旧する[224]。火災も鎮火した[224]。一方で機関部に命中した魚雷により一時電源が遮断され、各部高角砲や対空機銃のモーターが使用不能、通信能力も制限されるなど、艦の機能に重大な影響を残し[225]、速力は22ノットまで低下した[226]。また第一波攻撃で僚艦は次々に被弾し[227]、9時頃に秋月が沈没した[228]

第二波の攻撃までは約1時間の時間があり、その間も小沢機動部隊は囮の役目を果たすべく北上を継続した。瑞鶴の艦内では必死の修理が進められたが、左傾斜6度の艦内作業は相当な困難を伴い、また機関部の被害は深刻で完全な復旧は不可能であった[229]。8時48分、送受信不能になり[224]、瑞鶴は大淀に無線代行を依頼した[230]。その後復旧し、アメリカ軍の誘致に成功したことが発信されるが、その通信が栗田艦隊には届くことは無かった。9時27分、千歳が沈没した[231]。9時44分、小沢中将は旗艦施設の整った大淀に旗艦を変更すべく準備を進めさせたが、その前にアメリカ軍の第二波攻撃隊が接近したため、大淀は距離をとった[232]

第二波の攻撃では、瑞鶴に対しては至近弾のみで被害は少なかった[233]。千代田は被弾して落伍[234]、小沢中将は大淀艦載カッターで瑞鶴を離れ10時54分大淀に将旗を移した[235]。11時7分、各部隊に旗艦変更の通達がなされた[236]。この頃、上空直掩機9機が燃料切れで不時着した[237]。1名は大淀に救助され[238]、8名は初月に救助された[239]。しかし、救助できず溺死した複数の搭乗員も大淀から目撃されている[240]。13時頃から始まった第三波攻撃では、小沢艦隊の他の空母が既に大破・沈没したこともあって、攻撃は瑞鶴に集中した[241]。速力低下を来たしたことが致命傷に繋がり、左舷に4本、右舷2本の魚雷を受けた[242]。また爆弾も5-7発命中し、揮発油タンクなどに引火して火災が発生した。左舷に20度傾斜し、『1325 艦内浸水・火災猛烈 處置ノ手段ナシ』という状態となった[243]。対空火器は爆撃によって破壊されるか、動力を絶たれて使用不能となった[244]。辛うじて残った右舷の高角砲が最期まで射撃を継続していたが、砲身が過加熱して焼けるなどして迎撃継続が困難となり、最終的に傾斜が増して旋回不能になり沈黙した[245]

13時27分、瑞鶴の貝塚艦長は「総員発着甲板ニアガレ」を下令した[243]。13時55-58分頃「軍艦旗降下」に至り[246][243]、総員退艦が発令された後、傾斜は増していった。瑞鳳は14時7分に「瑞鶴左ニ傾斜発着甲板水際ニ浸」と報告している[247]。直後の14時14分、瑞鶴は沈没していった[243]。大淀記録(戦闘詳報)14時20分[248]。瑞鶴の沈没時にはアメリカ軍の攻撃は終了しており、総員退艦時に撮影された瑞鶴飛行甲板での写真は有名である。沈没地点は北緯19度57分、東経126度34分と記録されている[243]

航空母艦瑞鶴之碑

小沢艦隊は瑞鶴の沈没後も空襲を受けたため(間もなく瑞鳳も沈没)、生存者の漂流は長時間に及んだ[249]。最終的に、士官49名、下士官兵794名が戦死した[250]。初月に救助された生存者は、追撃してきた米艦隊に初月が撃沈された際に戦死した。瑞鶴の貝塚艦長は退艦を拒否し、艦長休憩室に入って鍵をかけたという[251]。慰霊碑(航空母艦瑞鶴之碑)は奈良県橿原市橿原神宮若桜友苑内にあり、川崎重工が再現した三角マストのレプリカが傍らに立っている[252]

真珠湾攻撃に参加した日本の空母6隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴)のうち、最後まで残ったのが瑞鶴である。正規空母として設計、建造され、機動部隊として作戦に参加できた最後の空母でもあった。瑞鶴喪失を含め空母戦力の大半を失ったことにより、これ以降、空母戦力を組織的に運用、作戦できる隻数、艦載機、乗員の確保が困難になり、事実上日本海軍の機動部隊は壊滅、次々に沈む各艦を目撃した小沢中将は「これがかつて全世界にその最強を誇った日本海軍の機動部隊の末路かと思うと情けなくなり、また日本の運命が、この機動部隊の末路のようになっていくのではなかろうか」と感じたという[253]。アメリカにとっては、真珠湾攻撃に参加した最後の空母を沈めたことにより真珠湾の最後の仇討を成功させたと言われる。11月15日、第一機動艦隊および第三艦隊は解隊された[254]

歴代艦長[編集]

最終時の瑞鶴の迷彩図案

※『艦長たちの軍艦史』56-59頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

艦長[編集]

同型艦[編集]

瑞鶴が登場する作品[編集]

「雷撃隊出動」での瑞鶴
  • 雷撃隊出動」 1944年(昭和19年)東宝作品。レイテ沖海戦の約1ヶ月前である1944年(昭和19年)9月23日に、瀬戸内海西部で訓練中の実物の瑞鶴艦上などで撮影が行なわれた。なお、本編中で九七式艦攻が発艦する場面、甲板上で待機している零戦や発艦する天山艦攻を艦橋上部から撮影した場面は、天山艦攻の発艦を飛行甲板の左舷寄りや機内から撮影した場面と異なり船体や飛行甲板に迷彩が施されていない状態であることから、別の時期に撮影した映像を編集したものと考えられる。
  • 日本ニュース第232号「比島沖海戦」 1944年(昭和19年)日本映画社。やや不鮮明ながら、迷彩を施した最終時の姿が確認できるほか、対空戦闘シーンや発艦シーンもある。なお、発艦シーンは右舷側から撮影されているが、この海戦を撮影し帰還した山根重視(大淀に乗艦)、竹内広一(瑞鳳に乗艦、沈没後救助)両カメラマンの乗艦した艦船は、いずれも瑞鶴の左舷側に位置していたことから、右舷側から撮影した映像はおそらく演習時に撮影されたものではないかと考えられる。上記の「雷撃隊出動」とほぼ同時期に撮影された可能性が高い。
  • 「日本海軍艦艇集【下】」2005年(平成17年)コニービデオ発売。ASIN:B000A6K8AG。過去にVHSで発売されていたもののDVD再発売版。日本海軍が撮影したフィルムのうち未公開のものを集めて解説を加えたもの。南太平洋海戦における瑞鶴が撮影されている。なおこのビデオ内の零戦発艦シーン4秒が、JRA2012年(平成24年)年に放映したテレビCM「近代競馬150周年〈60秒バージョン〉」内にて使用されている。
  • 連合艦隊司令長官 山本五十六1968年(昭和43年)東宝作品。主人公の1人でもある木村少尉(後大尉)の乗艦。ガダルカナルを巡る攻防戦の前フリで模型が登場する。
  • 連合艦隊1981年(昭和56年)東宝作品。艦橋や飛行甲板、対空機銃などが神奈川県茅ヶ崎市の柳島海岸に実物大セットで再現された他、自走操船航行可能なミニチュア模型が特撮シーンの撮影に使用された。
  • 野村泰治 『落日の残像 最後の母艦航空隊』 光人社、1989年6月。ISBN 4-7698-0443-1 野村(海軍中尉)は第六五三航空隊一六六飛行隊。瑞鶴の沈没を体験した。『落日の残像』は野村の体験を元にした小説である。『雷撃隊出動』の撮影時、女優が来ないので搭乗員が落胆したり、佐官服を着ていた主演男優に士官や下士官兵が敬礼したというエピソードが記載されている[255]

参考文献[編集]

  • 岩本徹三太平洋戦争ノンフィクション 零戦撃墜王』 今日の話題社、1972年7月。 岩本は1941年10月~1942年7月まで瑞鶴に勤務していた。零戦隊搭乗員。
  • 岩崎剛二 「蒼空の飛翔雲 歴戦の飛行隊長・高橋定少佐の航跡」『海と空の八人の武人の生涯 最前線指揮官の太平洋戦争』 光人社NF文庫、2003年4月(原著1995年)。ISBN 4-7698-2379-7 高橋は昭和17年6月~昭和18年8月まで瑞鶴飛行長兼分隊長。
  • 奥宮正武・淵田美津雄 『機動部隊』 朝日ソノラマ、1992年12月。ISBN 4-257-17269-x
  • 小沢提督伝刊行会編 『回想の提督 小沢治三郎』 原書房、1971年3月。
  • 小淵守男 『少年水兵の太平洋戦争 巡洋艦大淀16歳の海戦』 光人社NF文庫、2011年11月。ISBN 978-4-7698-2713-9
  • 『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、海軍省/編、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 桂理平 『空母瑞鳳の生涯 われ等かく戦えり』 霞出版社、1999年10月。ISBN 4-87602-213-5 著者は海兵72期。昭和18年12月~沈没まで瑞鳳勤務。
  • 川崎まなぶ 『日本海軍の航空母艦 その生い立ちと戦歴』 大日本絵画、2009年ISBN 978-4-499-23003-2
  • 草鹿龍之介 『連合艦隊参謀長の回想』 光和堂、1979年1月。ISBN 4-87538-039-9
  • 小林昌信ほか『証言・昭和の戦争 戦艦大和檣頭下に死す』(光人社、1995) ISBN 4-7698-2087-9
    • 渡辺義雄『ああ瑞鶴飛行隊帰投せず」(瑞鶴戦闘機整備科員)
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』 光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「信頼の絆」<航空母艦瑞鶴艦長・野元為輝少将の証言>(第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦時、瑞鶴艦長)
    • 「用兵の極地」<戦艦伊勢艦長・中瀬泝少将の証言>(レイテ沖海戦時、伊勢艦長)
    • 「武人の本懐」<戦艦日向艦長・野村留吉少将の証言>(レイテ沖海戦時、日向艦長)
    • 「乱戦の中」<駆逐艦初月艦長・田口正一大佐の証言>(マリアナ沖海戦時、初月駆逐艦長)
    • 「綱渡りの航跡」<駆逐艦秋月艦長・緒方友兄大佐の証言>(レイテ沖海戦時、秋月駆逐艦長)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第六巻 昭和十八年二月十二日~九月』 中央公論社、1997年3月。ISBN 4-12-403396-6
  • 竹村悟 『太平洋戦記ノンフィクション 軍艦青葉は沈まず 完勝!第一次ソロモン海戦』 今日の話題社、1986年4月。ISBN 4-87565-117-1
  • 手塚正己 『軍艦武藏 上巻』 新潮文庫、2009年ISBN 978-4-10-127771-4
  • 戸高一成 『聞き書き・日本海軍史』 PHP研究所、2009年8月。ISBN 978-4-569-70418-0 三原誠(瑞鶴整備科)証言収録。
  • 豊田穣 『空母瑞鶴の生涯』 集英社文庫、1985年7月(原著1982年)。ISBN 978-4-7698-2027-7
  • 豊田穣 『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦 栄光の生涯』 光人社NF文庫、2004年11月(原著1983年)。ISBN 978-4-7698-2027-7
  • 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、(社)日本造船学会/編、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • 原為一 『帝国海軍の最後』 河出書房新社、2011年7月(原著1955年)。ISBN 978-4-309-24557-7
  • 原為一ほか 『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』 潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8
    • 当時大淀第三分隊士・海軍中尉足立之義『大淀乗員が見た小沢オトリ艦隊の悲惨 左舷高角砲指揮官が敵空襲下で体験したエンガノ岬沖海戦の現実
    • 当時五十鈴工作科・海軍一等工作兵曹須藤岩夫『防空巡五十鈴の脈動がわが胸に響くとき 満十七歳の秋、血の海に戦い生還した工作兵の血涙の戦場体験
    • 当時五十鈴通信長・海軍大尉芝山末男『防空巡洋艦五十鈴エンガノ岬沖の血戦 主砲を撤去して高角砲六門に対空機銃と電探。大改装後の通信長の回想
    • 当時大淀航海長・海軍中佐内田信雄『艦隊司令部用旗艦大淀の航跡 連合艦隊旗艦としても栄光をになった名艦の生涯を綴る航海長の手記
  • 福井静夫 『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』 KKベストセラーズ、1982年4月ISBN 4-584-17023-1
  • 福井静夫 『日本空母物語』福井静夫著作集第7巻、光人社、1996年8月ISBN 4-7698-0655-8
  • 福地周夫 『空母翔鶴海戦記』 出版共同社、1962年6月。
  • 福地周夫 『続・海軍くろしお物語』 光人社、1982年6月。ISBN 4-7698-0179-3
  • 福地周夫 『海軍美談よもやま物語』 光人社、1985年11月。ISBN 4-4698-0287-0
  • 福地周夫温故知新ちょっといい話 海軍くろしお物語』 光人社、1992年12月(原著1956年)。ISBN 4-7698-0179-3
  • 福田幸弘 『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』 時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6
  • 文藝春秋編 『完本・太平洋戦争(上)』 文藝春秋、1991年12月。ISBN 4-16-345920-0
    • 源田實『奇蹟の成功・真珠湾攻撃』/淵田美津雄『真珠湾上空一時間』/小瀬本国雄(蒼龍艦爆隊)『ハーミスを撃沈せり-インド洋作戦』/江間保(瑞鶴艦爆分隊長)『九九艦爆戦記-珊瑚海海戦』/長井純隆(第三艦隊作戦参謀)『南太平洋海戦の勝利』/千早正隆(元海軍中佐)『戦果ゼロ・マリアナ沖海戦』
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書29 北東方面海軍作戦』 朝雲新聞社、1969年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』潮書房、1981年
  • 丸スペシャルNo131『戦時中の日本空母III』潮書房、1988年
  • 写真日本の軍艦 第3巻 空母I』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年9月ISBN 4-7698-0453-9
  • 雑誌「丸」編集部 『空母機動部隊 私は非情の海空戦をこう戦った!』 光人社、2010年7月。
    • 当時翔鶴応急指揮官・元海軍大佐福地周夫『珊瑚海海戦 五航戦翔鶴と史上初の空母戦』
    • 当時第三艦隊参謀・元海軍中佐中島親孝『南太平洋海戦の勝利 ミッドウエーの仇を討った日本機動部隊』
    • 当時瑞鶴艦長・元海軍少将野元為輝『武運艦瑞鶴南太平洋の凱歌』
    • 当時第一機動艦隊司令長官・海軍中将小沢治三郎『昭和20年10月16日/小沢長官が米軍に語った証言記録-質問者/米海軍R・A・オフスティ少将 「あ」号作戦の疑問に答える』
    • 当時海軍技術大佐塩山策一『大鳳と瑞鶴で見たマリアナ沖海戦』
    • 元第一機動艦隊参謀・海軍大佐大前敏一『あ号作戦・レイテ沖海戦に散る 小沢機動艦隊の最後』
    • 当時第六五三空付・元海軍二等整曹安倍稠也『エンガノ岬沖の死闘 オトリ艦隊瑞鳳比島沖に潰ゆ』
  • 宮尾直哉 『空母瑞鶴から新興丸まで 海軍軍医日記抄』 近代文藝社、1992年3月。ISBN 4-7733-1211-4 著者は1941年11月18日~1943年2月15日まで瑞鶴勤務。
  • 森史朗、『勇者の海 空母瑞鶴の生涯』、光人社、2008年、ISBN 978-4-7698-1377-4
  • 門司親徳 「第1章 空母瑞鶴に乗り込む」『空と海の涯で―第一航空艦隊副官の回想』 光人社、2012年(原著1978年)。ISBN 978-4-7698-2098-7
  • 写真日本の軍艦 第3巻 空母I』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年9月ISBN 4-7698-0453-9
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」
  • 山本平弥越中島 風呂敷に包まれた短剣海軍予備士官の太平洋戦争』 光人社、1989年ISBN 4-7698-0479-2
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 当時「秋月」初代艦長・海軍中佐古賀彌周次『防空直衛駆逐艦「秋月」の鎌倉丸護衛記 竣工ほやほやの最新鋭罐を新品艦長が指揮、敵潜の海を補給なしで三千浬
    • 当時「秋月」二代目艦長・海軍中佐緒方友兄『二代目艦長が綴る駆逐艦「秋月」の奮戦 被雷損傷修理をおえ新艦長を迎えて前線復帰した後の精鋭艦の航跡
    • 当時「秋月」罐部四分隊士・海軍中尉山本平弥『防空駆「秋月」の死命を制した最後の一弾 秋月の沈没原因は敵潜の魚雷か直撃弾か。それとも発射管の誘爆か
    • 戦史研究家落合康夫『艦名別秋月型駆逐艦十二隻の生涯』
    • 当時「秋月」乗組軍医長職務執行者・海軍軍医中尉国見寿彦『「秋月」軍医長 炎の海よりわれ帰還せり 初月若月と共にエンガノ沖に戦い沈没後は槇に救われた九死一生の体験
    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
  • 吉田俊雄 「幸運の神 ―航空母艦「瑞鶴」の強運」『造艦テクノロジーの戦い 科学技術の頂点に立った連合艦隊軍艦物語』 光人社NF文庫、1995年(原著1989年)。ISBN 4-7698-2103-4
  • 歴史群像 太平洋戦史シリーズvol.13『翔鶴型空母』学習研究社、1996年 ISBN 4-05-601426-4
  • 歴史群像シリーズ 空母瑞鶴 THE AIRCRAFT CARRIER ZUIKAKU 1/100 SUPER SCALE MODEL 』学習研究社、2004年、ISBN 4-05-603433-8
  • 近代デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 川崎造船所 編 『川崎造船所四十年史』 川崎造船所、1936年11月。
    • 海軍研究社編輯部 編 『日本軍艦集 2600年版』 海軍研究社、1940年7月。
    • 連合軍総司令部民間情報教育局編 『連合軍最高司令部民間情報教育局編 ラヂオ放送「眞相箱」の再録 眞相はかうだ 第一輯』 総合プレス社、1946年8月。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
  • 建造・内令
    • Ref.C12070105900 『昭和14年達/9月』。
    • Ref.C12070170800 『昭和17年5月~8月 内令/昭和17年5月(1)』。
    • Ref.C12070180900 『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年9月(6)』。
    • Ref.C13072012500 『昭和17年12月31日現在10版内令提要追録第12号原稿・巻1/第6類機密保護』。
    • Ref.C08011233600 『艦艇特務艦艇籍一覧表』。
    • Ref.C141209913000 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/秋雲機密第8号の2 駆逐艦秋雲支那事変第10回功績概見表』。
    • Ref.C14121196200 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度帝国海軍戦時編制/附表』。
    • Ref.C14121196500 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度戦時駆逐隊・潜水隊・水雷隊・掃海隊・驅潛隊・通信隊・航空隊編制予定表 昭和17年度警備隊・防備隊附属艦艇及防備機関編制予定表 昭和17年度戦時艦船飛行機搭載予定表/第1表~第9表』。
  • 真珠湾攻撃から珊瑚海海戦まで
    • Ref.C08030509000 『昭和16年12月8日~昭和17年5月31日 馬公警備府戦時日誌(5)』。
    • Ref.C13120032900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/1.経過』。
    • Ref.C13120033000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/2.人員』。
    • Ref.C13120033100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120033200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120033300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/4.参考』。
    • Ref.C13120033400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和16年12月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120033800 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/1.経過』。
    • Ref.C13120033900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/2.人員』。
    • Ref.C13120034000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120034100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120034200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/4.参考』。
    • Ref.C13120034300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120034400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/別表第1 特別空襲隊命令作第1号』。
    • Ref.C13120034500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/別図 行動図』。
    • Ref.C13120034600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年1月/別表第2 特別空襲隊命令作第2号』。
    • Ref.C13120035000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/1.経過』。
    • Ref.C13120035100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/2.人員』。
    • Ref.C13120035200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120035300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120035400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/3.令達報告等(3)』。
    • Ref.C13120033500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/4.参考』。
    • Ref.C13120033600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120033700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年2月/作戦経過別表』。
    • Ref.C13120036100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/1.経過』。
    • Ref.C13120036200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/2.人員の現状』。
    • Ref.C13120036300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/4.参考』。
    • Ref.C13120036400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120036500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/3.令達報告等(別紙第1)(1)』。
    • Ref.C13120036600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/3.令達報告等(別紙第2)(2)』。
    • Ref.C13120036700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/3.令達報告等(別紙第3)(3)』。
    • Ref.C13120036800 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般の部)昭和17年3月/機密5航戦日令第2号(別紙第2)』。
    • Ref.C13120037200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/1.経過』。
    • Ref.C13120037300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/2.人員の現状』。
    • Ref.C13120037400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120037500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120037600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/4.参考』。
    • Ref.C13120037700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120037800 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120037900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別紙機密MO機動部隊航空部隊命令作第1号』。
    • Ref.C13120038000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別紙機密MO機動部隊航空部隊命令作第2号』。
    • Ref.C13120038100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年4月/別表第5航空戦隊特定通信略語』。
    • Ref.C13120039900 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/1.形勢』。
    • Ref.C13120040000 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/2.計画』。
    • Ref.C13120040100 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/3.経過』。
    • Ref.C13120040200 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/4.令達報告等』。
    • Ref.C13120040300 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/5.計画』。
    • Ref.C13120040400 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/6.計画』。
    • Ref.C13120040500 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/7.計画』。
    • Ref.C13120040600 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120040700 『第5航空戦隊戦闘詳報 第5号(第1段第4期作戦に於けるC作戦コロンボ空襲)/別図第5航空戦隊コロンボ空襲合戦図』。
    • Ref.C13120040900 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/1.形勢』。
    • Ref.C13120041000 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/2.計画』。
    • Ref.C13120041200 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/3.経過』。
    • Ref.C13120041300 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/4.令達報告等』。
    • Ref.C13120041400 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/5.計画』。
    • Ref.C13120041500 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/6.計画』。
    • Ref.C13120041600 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/7.計画』。
    • Ref.C13120041700 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120041800 『第5航空戦隊戦闘詳報 第6号(第1段第4期作戦に於けるC作戦ツリンコマリ空襲)/別図第5航空戦隊ツリンコマリー空襲合戦図』。
    • Ref.C13120038500 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/1.経過』。
    • Ref.C13120038600 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/2.人員の現状』。
    • Ref.C13120038700 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/3.令達報告等(1)』。
    • Ref.C13120038800 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/3.令達報告等(2)』。
    • Ref.C13120038900 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/3.令達報告等(3)』。
    • Ref.C13120039000 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/4.参考』。
    • Ref.C13120039100 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/5.作戦経過概要』。
    • Ref.C13120039200 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/別図第5航空戦隊行動図』。
    • Ref.C13120039300 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/別紙機密5航戦日第4号』。
    • Ref.C13120039400 『第5航空戦隊戦時日誌(作戦及一般之部)昭和17年5月/別紙機密5航戦日第7号』。
    • Ref.C08030728400 『昭和17年5月1日~昭和17年5月17日 南洋部隊MO機動部隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030728500 『昭和17年5月1日~昭和17年5月17日 南洋部隊MO機動部隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030728600 『昭和17年5月1日~昭和17年5月17日 南洋部隊MO機動部隊戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030727700 『昭和17年5月8日 第7駆逐隊戦闘詳報.珊瑚海海戦』。
    • Ref.C08030045600 『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030045700 『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
  • 南太平洋海戦
    • Ref.C08030044300 『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030769100 『昭和18年1月1日~昭和18年1月31日 第7戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030402500 『昭和18年1月1日~昭和18年1月25日 佐伯防備隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030100200 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030405500 『昭和18年5月1日~昭和18年5月31日 佐伯防備隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030367800 『昭和17年12月1日~昭和18年5月31日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。
    • Ref.C08030047700 『昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030586800 『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030048700 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(6)』。
    • Ref.C08030048900 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌(8)』。
    • Ref.C08030116900 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030117000 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030117100 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
  • マリアナ沖海戦
    • Ref.C08030036200 『昭和19年3月1日~昭和19年11月15日 第1機動艦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030039800 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030039900 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030040000 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030724100 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030150500 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030150600 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030150700 『昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(3)』。
  • レイテ沖海戦
    • Ref.C08030036600 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)』。
    • Ref.C08030036700 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(2)』。
    • Ref.C08030036800 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)』。
    • Ref.C08030582100 『昭和19年10月20日~昭和19年10月25日 軍艦瑞鶴捷1号作戦戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030582200 『昭和19年10月20日~昭和19年10月25日 軍艦瑞鶴捷1号作戦戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030576900 『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030577000 『昭和19年10月25日 軍艦伊勢捷1号作戦戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030038000 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(1)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦瑞鳳戦時日誌)
    • Ref.C08030038100 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(2)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦千歳戦時日誌)
    • Ref.C08030038200 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(3)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦瑞鶴戦時日誌・軍艦日向戦時日誌)
    • Ref.C08030038300 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(4)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦大淀戦時日誌・軍艦鈴谷戦時日誌)
    • Ref.C08030038500 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(6)軍艦瑞鶴・軍艦日向』。(軍艦五十鈴戦時日誌)
    • Ref.C08030576800 『昭和19年10月24日~昭和19年10月25日 第4航空戦隊捷1号作戦戦闘詳報』。
    • Ref.C08030577100 『昭和19年10月20日~昭和19年10月29日 軍艦日向捷号作戦戦闘詳報』。
    • Ref.C08030577500 『昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 軍艦大淀捷1号作戦戦闘詳報』。
    • Ref.C08030590100 『昭和19年10月25日 駆逐艦霜月戦闘詳報』。
    • Ref.C08030590300 『昭和19年11月 駆逐艦桑菲島沖海戦戦闘詳報』。
    • Ref.A12090588900 『海軍少将貝塚武男日附変更の件』。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d #内令昭和17年5月(1)画像48、艦船要目公表範囲
  2. ^ #海軍制度沿革巻八p.102。昭和14年9月30日(内令666) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、航空母艦ノ項中翔鶴ノ下ニ「、瑞鶴」ヲ加フ(以下略)。
  3. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.506。
  4. ^ 昭和20年8月31日付 内令第750号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070530400 で閲覧可能。
  5. ^ #艦艇特務艦艇籍一覧表p.1
  6. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.501、物価高騰の追加分を含む。当初は80,850,000円(同書p.497)。
  7. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.2
  9. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.49
  10. ^ a b c #昭和造船史1pp.780-781
  11. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.44
  12. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.33
  13. ^ a b c #日本空母物語p.418、「表B あ号作戦直前における空母の最大速力、航続距離、満載重油搭載量(昭和19年5月調査)」、瑞鶴の項。
  14. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.40
  15. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
  16. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.29
  17. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.6
  18. ^ a b #日本空母物語p.419、「表C あ号作戦直後の対空兵装強化(昭和19年7月現在)」。
  19. ^ 『戦史叢書10 ハワイ作戦』p.344
  20. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.25
  21. ^ 歴史群像 太平洋戦史シリーズvol.13『翔鶴型空母』折込要目表
  22. ^ 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』p.35
  23. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.173の写真および解説。
  24. ^ a b #達昭和14年9月p.19『達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク)』。「ズイカク」とタイプされた物の「イ」に斜線を入れて手書きで「ヰ」に直されている。
  25. ^ #内令昭和18年9月(6)p.24『内令第千九百八十五號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十八年九月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦ノ項ヲ左ノ如ク改正ス 鳳翔、赤城、加賀、龍驤、蒼龍、飛龍|翔鶴型|翔鶴、瑞鶴|瑞鳳型|瑞鳳、龍鳳|隼鷹型|隼鷹、飛鷹|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹|大鳳型|大鳳|雲龍型|雲龍、天城』
  26. ^ #続海軍くろしお236頁『翔鶴の余栄』
  27. ^ #造艦テクノロジーの戦い134-135頁『幸運の神』
  28. ^ #続海軍くろしお202-203頁(福地周夫翔鶴運用長は「海軍軍人としての立場からいうと、瑞鶴が運がよかったとばかりは思わない。翔鶴の方が武運に恵まれ幸運だった」と回想している)
  29. ^ #空母瑞鶴生涯67頁
  30. ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和17年12月31日)p.2『瑞鶴|航空母艦|(艦要目略)|神戸川崎造船所|昭和13-5-25|14-11-27|16-9-25|(艦装備略)』
  31. ^ 勇者の海、35ページ
  32. ^ 勇者の海、43-44ページ
  33. ^ #達昭和14年9月pp.19-20『達第百六十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、砲艦一隻、潜水艦三隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾|呉海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 日進(ニッシン)|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 砲艦 橋立(ハシダテ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十一潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十四潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艦 浮島(ウキシマ)』
  34. ^ a b 昭和15年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第556号 p.15』 アジア歴史資料センター Ref.C13072079700 
  35. ^ #日本軍艦集2600年版p.81『最近建造された諸艦艇|軍艦|瑞鶴|昭和14-11-27|神戸川崎造船所』
  36. ^ 勇者の海、58-68ページ
  37. ^ #空母瑞鶴生涯72-73頁
  38. ^ a b c 昭和16年9月26日(発令9月25日付)海軍辞令公報(部内限)第719号 p.36』 アジア歴史資料センター Ref.C13072082300 
  39. ^ #艦船要目公表範囲(昭和17年12月31日)p.2『翔鶴|(要目略)|横須賀工廠|昭和12-12-12|14-6-1|16-8-8|(艦装備略)』
  40. ^ #支那事変第10回功績(秋雲)p.1『記事|昭和一六.九.二七 第一航空艦隊第五航空戦隊ニ編入』
  41. ^ 昭和16年9月1日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第701号 p.2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900 
  42. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『呉|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪|(戦時編制ニ依ル所属)第一航空戦隊』
  43. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『呉|第五十一驅逐隊|薄雲、白雲|(戦時編制ニ依ル所属)第五航空戦隊』
  44. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』
  45. ^ #川崎戦歴20,43頁
  46. ^ 面白いほどよくわかる太平洋戦争 日本文芸社 p.37
  47. ^ #零戦撃墜王55頁
  48. ^ 勇者の海、164、168-170ページ
  49. ^ 勇者の海、172、188、197ページ
  50. ^ #海軍軍医日記抄19頁、#零戦撃墜王57頁
  51. ^ #海軍軍医日記抄21頁
  52. ^ #S1612五航戦(経過)pp.3-4『(六)同夜機動部隊ハ南方ニ偽航路ヲ執リ爾後概ネ16節乃至20節ヲ以テ硫黄島ノ南方海面ヲ経テ21日朝父島ノ南西方約350浬ニ於テ第21、第27駆逐隊及第2補給隊ト合同豊後水道方面ニ向ヒツヽ警戒隊ハ第二補給隊ヨリ補給ヲ行ヒ同夜第二補給隊ヲ分離、23日0930豊後水道掃海水道外ニ達シ呉鎮守府防備部隊ノ警戒裡ニ内海ニ入リ1833廣島湾ニ假泊24日1345假泊地発1600呉ニ入港セリ』
  53. ^ #S1701五航戦(経過)p.5『(2)飛行機整備補充 第一段第一期作戦中ノ損耗及使用時間超過機更新及12月31日附搭載機数ノ改正(fc×18 fb×27 fo×27ヲfc×18 fb×18 fo×18ニ改正セラル)等ニ依ル 飛行機ノ整備補充状況左ノ如シ(略)』
  54. ^ #S1701五航戦(経過)pp.7-8『(1)8日1610豊後水道第二掃海水道ヲ通過(中略)14日0830頃「トラック」南水道ヲ経テ楓島附近錨地ニ入港第四艦隊ニ合同セリ』
  55. ^ #海軍軍医日記抄33頁
  56. ^ #叢書49南東方面71頁
  57. ^ #叢書49南東方面72頁
  58. ^ #青葉は沈まず34-38頁『ビスマルク群島攻略作戦』
  59. ^ #青葉は沈まず38-39頁『ビスマルク群島上陸』
  60. ^ #S1701五航戦(経過)p.3『(2)特別空襲隊軍隊區分』
  61. ^ #S1701五航戦(経過)pp.13-14『(4)26日予定ノ空輸ヲ取止メ27日朝實施スルコトヽシ一旦北上2230南下27日0700 2度南152度東ニ達シ発艦セントセルモ0600天候偵察ニ派遣セル瑞鶴艦攻ヨリ「ラボール」方面天候不良ナルモ「カビエン」ハ良好ナルノ報告ニ接スルヲ以テ「ラボール」ヘノ空輸ヲ取止メ「カビエン」ヘ空輸スルコトニ変更1000瑞鶴艦攻3(誘導機)及九六艦戦16機発艦1130全機「カビエン」ヘ空輸ヲ完了セリ(着艦ノ際1機顛覆機体大破人員無事)』
  62. ^ #叢書49南東方面82-83頁『基地航空部隊の進出』
  63. ^ #海軍軍医日記抄36頁
  64. ^ #S1702五航戦(経過)p.7『(二)自2月8日至2月28日 機動部隊ヨリ除カレ聯合艦隊附属航空部隊(五航戦《欠朧》陽炎及霰、指揮官五航戦司令官)トナリ内地港湾ニ在リテ敵機動部隊ノ東京方面空襲ニ備ヘ兼テ訓練ニ従事ス』
  65. ^ #零戦撃墜王68-70頁
  66. ^ #海軍軍医日記抄39頁
  67. ^ #海軍軍医日記抄40頁
  68. ^ #零戦撃墜王73頁
  69. ^ a b c d e f g h #叢書49南東方面187-189頁『MO機動部隊』
  70. ^ #S1612馬公警備府日誌(5)pp.28-29『一四(天候略)第五航空戦隊機密第383番電 瑞鶴翔鶴萩風秋雲舞風4月18日1400馬公到着ノ豫定錨地指定ヲ乞フ(略)』
  71. ^ #草鹿回想111-112頁『帝都空襲に司令部あわてる』
  72. ^ a b c #叢書49南東方面163-164頁『南洋部隊の空母要求』
  73. ^ a b #叢書49南東方面167頁
  74. ^ #叢書49南東方面193-194頁『MO攻略部隊』
  75. ^ a b c #叢書49南東方面229-230頁『MO主隊およびMO機動部隊の作戦』
  76. ^ #叢書49南東方面230-233頁『ツラギ攻略部隊の戦闘』
  77. ^ #叢書49南東方面276-279頁『油槽船を空母と見誤る』
  78. ^ #叢書49南東方面279頁(石塚重男二等飛行兵曹、川添正義三等飛行兵曹)
  79. ^ #叢書49南東方面282-285頁『祥鳳の沈没』
  80. ^ a b #叢書49南東方面291-294頁『夜間収容による攻撃を策す』
  81. ^ #続海軍くろしお189頁
  82. ^ #叢書49南東方面305頁
  83. ^ a b c #叢書49南東方面307-311頁『敵空母攻撃』
  84. ^ #続海軍くろしお293-294頁
  85. ^ a b #叢書49南東方面311-315頁『米機動部隊の攻撃』
  86. ^ #叢書49南東方面317-318頁『MO機動部隊の北上』
  87. ^ #叢書49南東方面320頁
  88. ^ a b #叢書49南東方面326-327頁『聯合艦隊の作戦指導』
  89. ^ a b #叢書49南東方面327-329頁『五月九日の作戦』
  90. ^ #S1705五航戦(経過)p.6『5月9日翔鶴ハ避退ノ途次主力部隊ニ編入呉回航ヲ命ゼラレ夕暮漣及第15駆逐隊ノ警戒下ニ5月17日1830呉着修理整備ニ従事ス』
  91. ^ a b c #叢書49南東方面329-330頁『五月十日の作戦とポートモレスビー攻略作戦の中止』
  92. ^ a b c #叢書49南東方面254-255頁『攻略作戦の再興』
  93. ^ #海軍軍医日記抄53頁
  94. ^ #S1705五航戦(経過)p.7『5月17日五航戦(翔鶴欠)及七駆ヲ率ヒPT発対敵警戒ヲ厳ニシツヽ呉ニ回航ス5月21日豊後水道南方海面ニ於テ瑞鶴飛行機隊(艦戦4大分空 艦爆13及艦攻8佐伯空)空輸同日1645呉着』
  95. ^ #続海軍くろしお204-206頁『天運と武運と』
  96. ^ a b c d 昭和17年6月5日(発令6月5日付)海軍辞令公報(部内限)第876号 pp.46-47』 アジア歴史資料センター Ref.C13072085700 
  97. ^ #空母瑞鶴生涯176頁
  98. ^ #叢書29北東方面248-249頁『ミッドウェー作戦不成功に伴う聯合艦隊及び第五艦隊司令部等の作戦指導』
  99. ^ #続海軍くろしお209-210頁(後日、福地が海兵同期の源田に聞くと憤然と否定したという)
  100. ^ a b c #叢書29北東方面258-260頁『第一次邀撃作戦』
  101. ^ #海軍軍医日記抄56頁
  102. ^ 歴史群像 太平洋戦史シリーズvol.13『翔鶴型空母』折込行動年表
  103. ^ #叢書29北東方面260-261頁『第三軍隊区分』
  104. ^ a b #叢書29北東方面262-263頁『第二次邀撃作戦』
  105. ^ #海軍軍医日記抄58頁
  106. ^ a b c 昭和17年7月14日(発令7月14日付)海軍辞令公報(部内限)第899号 pp.1-2』 アジア歴史資料センター Ref.C13072086300 
  107. ^ 昭和17年7月14日(発令7月14日付)海軍辞令公報(部内限)第899号 p.50』 アジア歴史資料センター Ref.C13072086200 
  108. ^ #草鹿回想150-151頁『艦隊の編制替え』
  109. ^ 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』112-113頁
  110. ^ #続海軍くろしお214-215頁
  111. ^ #草鹿回想159-161頁『長期攻防戦の幕あがる』
  112. ^ a b #叢書49南東方面567-569頁『第一次攻撃』
  113. ^ #叢書49南東方面569-572頁『第二次攻撃』
  114. ^ #海軍軍医日記抄61頁
  115. ^ #海軍軍医日記抄65頁
  116. ^ 昭和17年10月10日(発令10月8日付)海軍辞令公報(部内限)第961号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072087300 
  117. ^ 昭和17年12月11日(発令12月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1009号 p.41』 アジア歴史資料センター Ref.C13072088500 
  118. ^ #海軍軍医日記抄66頁
  119. ^ #海軍軍医日記抄68頁
  120. ^ #海軍美談10頁
  121. ^ #海軍美談11頁
  122. ^ #豊田、雪風(文庫)138-139頁
  123. ^ #空母瑞鶴生涯287頁
  124. ^ #続海軍くろしお221頁
  125. ^ #空母機動部隊(2010)148頁(野元艦長によれば、瑞鶴は艦攻なので時間がかかった)
  126. ^ #続海軍くろしお225頁『運命をになって』
  127. ^ #続海軍くろしお229頁
  128. ^ #草鹿回想176-177頁『ホーネットに留めを刺す』
  129. ^ #海軍軍医日記抄70頁
  130. ^ #最前線指揮官167頁
  131. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.9『5S(羽黒欠)ハ「トラツク」ニ於テ警戒待機中ノ處命ニ依リ修理整備ノ為11月4日3F(瑞鶴時津風初風)ト共ニ「トラツク」発9日豊後水道ニ於テ瑞鶴初風ト分離(以下略)』
  132. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.16『11月9日/0900 豊後水道通過1sfト分離 時津風ヲ警戒艦ニ附ス1430下関海峡通過1800時津風ヲ解列1900佐世保掃海水道ニ入ル』
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  142. ^ #S1801佐伯防備隊日誌(2)pp.11-12『1月11日0900呉防備司令官→瑞鶴鈴谷天霧夕暮有明迅鯨伊良湖|一.瑞鶴鈴谷天霧有明夕暮12日0900沖ノ島通過北上ノ豫定沖ノ島迄ノ針路335度/二.迅鯨12日0800沖ノ島通過、伊良湖同日0700深島通過北上ノ予定』
  143. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.20『一八日(天候略)一.神通「トラック」ニ向ケ呉発(回航中3F長官ノ指揮ヲ受ケ瑞鶴瑞鳳武蔵10dg雪風ト同行)』
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  146. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.69『AdB指揮官|二十七日一九三五神通艦長〔大和陽炎鹿島四根隼鷹瑞鶴〕|神通艦長ハ陽炎ヲシテ至急出動本日一四二五「コロロソップ」島ノ一五八度三五浬附近ニ不時着セル瑞鶴艦戰一機ヲ救助セシムベシ』-『二十七日二〇一〇2sd司令官|2sd〔大和愛宕鹿島四根隼鷹瑞鶴〕|2sd信令第一〇號 陽炎ハ至急出動前進部隊信令第七三號ニ依ル瑞鶴艦戰ノ救助ニ任ズベシ』
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  151. ^ #S1805佐伯防備隊日誌(1)p.34『五月六日一三一七呉防戰司令官|五月六日一三三五 伯空司令 呉鎮長官 瑞鶴瑞鳳阿賀野雪風|電令作第一六五號 一.瑞鶴瑞鳳阿賀野雪風五月八日〇六〇〇沖ノ島入泊針路三二五度速力二〇節(以下略)』
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  153. ^ 丸スペシャル特別増刊号『写真と図で見る軍艦メカ3 全特集 日本の空母』11頁、112-113頁
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  156. ^ #S1704七戦隊日誌(6)p.42『(四)五月二十日機動部隊ハ豊後水道ニ於テ集結二十一日横須賀ニ回航北方作戰準備ヲ完成シ二十五日木更津沖ニ回航待機ス (五)二十九日待機ヲ解カレ横須賀ニ回航三十日第七戰隊(最上欠)ヲ率ヰ第三戰隊第十戰隊ト共ニ諸訓練ニ従事シツツ内海西部ニ回航ス』
  157. ^ #S1704七戦隊日誌(6)pp.40-41『(二)「アリューシャン」方面ニ対シ熾烈ナル航空攻撃ヲ加ヘツツアリシ敵ハ五月十二日遂ニ大部隊ヲ以テ「アッツ」島ニ来襲セリ 我方ハ同島守備隊ヲ以テ同島ヲ死守スルト共ニ聯合艦隊ノ大部ヲ東京湾ニ集結敵艦隊ノ来寇ニ備ヘ極力救援ノ策ヲ講ゼントセシモ敵ノ攻撃急ニシテ遂ニ五月三十日同島守備隊玉砕スルニ至リ「アッツ」島放棄ノ已ムナキニ至レリ』
  158. ^ #叢書29北東方面553頁
  159. ^ #高松宮日記6巻327-328頁『○第三艦隊(三一-一〇一八)第三戦隊(「金剛」欠)、第七、第八、第十戦隊(阿賀野、風雲、雪風、浜風、谷風、嵐)、以上五-三〇、第一航空戦隊、最上、大淀、第二十駆逐隊(白露欠)、第六十一駆逐隊(秋月欠)、新月、以上五-三一、「横」発。《第三艦隊、機動作戦ヲ中止、内海西部ニテ訓練》』
  160. ^ #S1805四水戦日誌(1)p.71『31日(天候略)|一.27dg(白露欠)0900内地西部ニ向ケ横須賀発(1sf大淀最上直衛)』
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  162. ^ #S1701八戦隊日誌(6)p.18『…翌十日機動部隊指揮官指揮ノ下ニ第八戦隊ヲ率ヰ0600同地發1230沖ノ島出撃「トラック」ニ回航15日着急速補給ヲ完了機動部隊第一部隊(8S 61dg)及第三部隊(日進)ヲ率ヰ14S(那珂)ヲ併セ指揮シ16日早朝「トラック」發ニテ搭載人員ヲ「ミレ」方面ニ輸送ノ予定ナシリ所…』
  163. ^ #S1709日進詳報(2)p.38『七月三日一八二五機動部隊指揮官|8S 10S外日進|KdB機密〇三二一一〇番電 一.略/二.冲鷹日進玉波(日進艦長ノ命ヲ受ケ日進警衛ニ任ズ)ハ便宜各所在地發七月十一日一二〇〇迄ニ當部隊ニ合同セヨ|無電』-『七月十日〇五三〇日進(宛略)日進玉波〇五〇〇「トラック」ニ向ケ發|無電』-『七月十四日〇五〇〇瑞鶴|艦隊|日進冲鷹玉波嵐ハ列ヲ解キ日進艦長所定ニ依リ概ネ當隊ニ續行「トラック」ニ入泊スベシ|信号』
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  168. ^ #S1701第八戦隊日誌(8)p.26『(四)六日8S(筑摩)ハ聯合艦隊信令第六四五號ニ依リ兵器其ノ他ノ物件ヲ處理シ(弾薬等一部7Sニ還納以来)陸揚中ノ物件ヲ揚収回航準備ヲ完成、七日〇八〇〇8S(筑摩)瑞鶴61dg(涼月初月)ヲ率ヰ「トラック」發二三〇〇途中迄直衛トナレル谷風ヲ「トラツク」ニ皈投セシメ十一日一六〇〇豊後水道沖島通過十二日〇一〇〇呉ニ入港セリ』
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関連項目[編集]


外部リンク[編集]