制海艦

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制海艦
Sea Control Ship 1972.JPG
1972年時点での想像図
基本情報
種別 航空母艦 (軽空母)
建造数 建造されず
要目
排水量 軽荷9,773トン / 満載13,736トン
全長 186.0 m
水線長 178.4 m
全幅 24.4 m
吃水 6.6 m
機関 COGAG方式
主機関 LM2500ガスタービンエンジン×2基
推進器 スクリュープロペラ×1軸
出力 45,000馬力
速力 26ノット
乗員 700名
兵装 CIWS×2基
搭載機 • VTOL艦上戦闘機×3機
ヘリコプター×16機
レーダー AN/SPS-52 3次元レーダー
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制海艦英語: Sea Control Ship)とは、アメリカ海軍1960年代から70年代にかけて計画した小型の航空母艦軽空母)。

来歴[編集]

1960年代のアメリカ海軍の艦隊航空戦力は、ミッドウェイ級フォレスタル級キティホーク級といった大型の攻撃空母(CVA)を中核として、大戦世代のエセックス級を改造した対潜空母によってこれを補完していた。しかし1970年代にはエセックス級の退役が予定されていたことから、その役割を引き継いで、船団護衛や対潜警戒、洋上防空などの任務で正規空母を補完できる、小型簡便で低コストの航空機搭載艦という、いわば護衛空母(CVE)の現代版の建造が模索されるようになった[1]

まず1969年、長期目標策定グループ(LRO)からの提案により、12,000~14,000トン級の対潜ヘリコプター母艦(DHK)として計画が開始された。これは主として、ソ連潜水艦の静粛化によってSOSUSP-3B対潜哨戒機によるパッシブ対潜戦では対応困難となる状況に備えて、多数の哨戒ヘリコプターのアクティブ・ソナーによる防御線を構築するための施策であった[2]

そして1970年エルモ・ズムウォルト・ジュニア大将が海軍作戦部長(CNO)に就任すると、計画は更に加速されることになった。当時、ベトナム戦争の戦費高騰を背景として国防費が緊縮される一方、上記エセックス級を含めて水上艦艇戦力は老朽化が進んでいたことから、ズムウォルト大将は、制海任務達成のため、費用対効果的に代替案を選択するというハイ・ロー・ミックス・コンセプトを採択した。そしてこの「ロー・コンセプト艦」の1つとして、DHKはVTOL艦上戦闘機を搭載して限定的な防空能力も可能な制海艦(SCS)に発展することとなった[1][3]

計画[編集]

1972年はじめにまとまったSCSの概要は、右記の諸元表のような軽空母であった。アングルド・デッキカタパルトは持たず、滑走レーンは艦首尾線とほぼ平行で、船体中央部と飛行甲板最後部の2ヶ所にエレベーターが設けられていた[1]

また並行して進められていたLAMPSが、SCSの重要度を更に高めることになった。当時のSH-2D LAMPS Mk.Iは、もともとQH-50 DASHを搭載していた艦への換装として搭載されていたが、これらの艦の航空艤装は比較的貧弱であったため、SCSが洋上での整備拠点として期待されることになったのである[2]

戦術曳航ソナー(TACTASS)の実用化をうけて、フリゲート装備のTACTASSによって探知された敵潜水艦に対してSCS搭載の哨戒ヘリコプターを指向・撃破する構想であった。またVTOL戦闘機は、フリゲートのスタンダード艦対空ミサイルの支援を受けて、100海里圏内の制空権を確保するものとされていた[2]

VTOL戦闘機としては、超音速のXFV-12も開発されてはいたものの、さしあたりはハリアーが予定されており、3機が搭載される計画であった。またヘリコプターとしては、哨戒ヘリコプター11機と早期警戒ヘリコプター3機を搭載して、哨戒ヘリコプター2機と早期警戒ヘリコプター1機を常時オンステーションさせる構想であった[2]

1972年より、イオー・ジマ級強襲揚陸艦の1隻である「グアム」がハリアー艦上攻撃機SH-3を搭載して、SCSの評価試験に当たった[4]。ズムウォルト大将の計画では、8隻のSCSが建造されて、護衛船団や洋上補給グループの護衛にあたることとなっていた。実証艦を兼ねた1隻目は1975年度予算での建造が予定されており、建造費は1億7500万ドルとされていたが、量産がはじまれば1億1700万ドルまで低下する予定であった。2番艦は1976年度、更に1977年度計画と1978年度計画で2隻ずつが建造される計画であった[2]

計画の中止[編集]

このように具体的な計画が策定されていたにも関わらず、SCS計画は、ハイマン・G・リッコーヴァー大将を唱導者とする大型原子力艦や大型空母の優位を主張するグループによって猛反撃を受け、議会も実証艦の建造予算を削除した[1][3]

1974年にズムウォルト大将がCNOから退任すると、後任のジェームズ・ホロウェイ3世大将は、より大型で能力が高いVTOL支援艦(VSS)のほうを推進するようになり、SCS計画は事実上消滅した。しかしハイ・ロー・ミックス・コンセプトの不徹底のためにVSS計画艦は肥大化を続け、1982年のVSS-III案では29,130トンまで大型化した。このためにコスト面のメリットは失われ、XFV-12戦闘機の開発失敗もあり、1980年代初頭にはVSS計画は自然消滅することになった[1]。しかし議会はSCS構想にまだ未練があり、当時計画が進められていたワスプ級強襲揚陸艦には、副次的に制海艦任務が付与されることになった[2]

また、米海軍にあわせて自国でもSCSの建造を計画していたスペイン海軍は、米本国での計画断念にも関わらず自国での計画を続行し、予定より遅延したものの、1988年に「プリンシペ・デ・アストゥリアス」を就役させた。これは、SCSをもとに旗艦機能を追加するなどしているが、特徴的なエレベータ配置や主機関構成は踏襲されている[1]。また同艦を建造したバサン社は、その縮小・派生型として、タイ王国海軍向けにも「チャクリ・ナルエベト」を建造している[5]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e f 野木恵一「幻に終わった米建艦プロジェクト (特集・米海軍の新建艦計画)」、『世界の艦船』第683号、海人社、2007年12月、 88-93頁、 NAID 40015676425
  2. ^ a b c d e f Robert Gardiner, ed (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. p. 575. ISBN 978-1557501325. 
  3. ^ a b 大熊康之 「第5章 ズムワルトの"SA"とターナーの"古典"による海軍変革」『戦略・ドクトリン統合防衛革命』 かや書房2011年、151-180頁。ISBN 978-4-906124-70-1
  4. ^ 「アメリカ揚陸艦史」、『世界の艦船』第669号、海人社、2007年1月、 114-117頁、 NAID 40015212119
  5. ^ 木津徹「現代軽空母の歩み 「インヴィンシブル」から「ひゅうが」まで (特集 現代の軽空母)」、『世界の艦船』第682号、海人社、2007年11月、 76-81頁、 NAID 40015635561

外部リンク[編集]