コンテンツにスキップ

呉軍港空襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉軍港空襲

江田島小用沖で爆撃を受ける戦艦「榛名」(1945年7月28日)
戦争太平洋戦争
年月日1945年3月19日7月24日28日
場所周辺海域
結果:アメリカ軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指導者・指揮官
宇垣纏中将
金沢正夫中将
ウィリアム・ハルゼー大将
マーク・ミッチャー中将
ジョン・S・マケイン中将
戦力
連合艦隊
第三四三海軍航空隊
第58任務部隊
第38任務部隊
損害
空母1大破着底、3損傷
戦艦3大破着底
巡洋艦5大破着底、1損傷
駆逐艦4着底
3月の航空機損失25機
7月の航空機損失306機、損傷392機
空母2損傷
3月の航空機損失27機
7月の航空機損失133機
日本本土の戦い
3月19日、回避行動を行う戦艦「大和」(空母ホーネット機撮影)。
3月19日、空襲を受ける軽空母海鷹」と雲龍型航空母艦
音戸町坪井沖で爆撃を受ける戦艦「伊勢」。右が倉橋島で左の海峡が音戸の瀬戸、左が呉市本土。左奥に戦艦「日向」、右奥に微かながら空母「阿蘇」の姿も確認できる。

呉軍港空襲(くれぐんこうくうしゅう)は、太平洋戦争中、1945年(昭和20年)の3月19日7月24日7月25日7月28日7月29日など複数回に渡って行われたアメリカ海軍を中心とした連合国空母機動部隊航空隊、及び、沖縄伊江島アメリカ陸軍航空軍による呉軍港および瀬戸内海西部への空襲作戦。

3月19日は沖縄戦の前哨戦として、アメリカ海軍のレイモンド・スプルーアンス提督(第5艦隊)隷下マーク・ミッチャー提督の第58任務部隊より飛来した艦上機約350機が攻撃をおこなった。7月両日はウィリアム・ハルゼー提督(第3艦隊)隷下の第38任務部隊およびイギリス海軍太平洋艦隊(第37任務部隊)[1]より出撃した約950機による空襲。日本側は戦闘機、地上の砲台、艦艇の対空砲(高角砲機銃)により抵抗したが、多数の艦艇が着底、航行不能などの被害を受けた。

なお、この空襲とは別に、1945年5月5日に隣接地域にある広工廠空襲、6月22日に軍港内の呉工廠造兵部空襲、呉市街地が7月1日深夜から2日未明にかけて戦略爆撃呉市街空襲)を受けている。

概要

[編集]

3月の空襲

[編集]

呉鎮守府の司令長官は金沢正夫中将であった。また九州第五航空艦隊(司令長官宇垣纏中将)が配備され、各航空部隊が連合軍海上部隊への邀撃準備をおこなっていた。第七二一海軍航空隊(司令岡村基春大佐)には特攻兵器桜花」が配備され、対艦攻撃の主力と期待されていた。第七六二海軍航空隊の銀河部隊がアメリカ軍空母機動部隊の根拠地ウルシー環礁に対する第二次丹作戦を発動し特攻を敢行したが、成果は正規空母1隻が中破したのみ。アメリカ空母機動部隊は健在であった。

3月18日、マーク・ミッチャー中将が率いる第58任務部隊(空母機動部隊)から攻撃隊が発進、日本列島西部の各地(九州四国紀伊半島)に空襲を敢行する。日本軍は第五航空艦隊など基地航空隊を基幹とする航空部隊で反撃し、航空戦が繰り広げられた。特攻隊も出動した。

第58任務部隊は高知県室戸岬のおよそ80キロ沖にまで進出し、3月19日の航空攻撃を開始した。日本軍航空隊も反撃し、第七六二海軍航空隊の銀河1機(艦上爆撃機・彗星三三型という資料もある)がアメリカ海軍空母「フランクリン」を攻撃し二発の徹甲爆弾が飛行甲板を貫通し格納庫で炸裂し弾薬、火薬に誘爆、甲板上で出撃準備をしていた多数の艦載機へ次々と誘爆した。大損傷を受けた「フランクリン」は懸命の応急処置により辛うじて沈没だけは免れたが、甚大な被害状況のため米本土に帰還し、終戦まで戦線を離脱した。空母「ワスプ」も損傷でしばらく戦線を離脱した。

第58任務部隊の艦上機に対しては松山基地の第三四三海軍航空隊(司令源田実大佐)が紫電改部隊を邀撃に向かわせ、呉を攻撃中の艦載機を迎撃し58機(アメリカ海軍側の記録では14機)を撃墜した。 攻撃隊は第二艦隊(司令長官伊藤整一中将)旗艦にして第一航空戦隊所属の戦艦大和」に至近弾を与えたが、損害は軽微であった。呉港や瀬戸内海に展開していた第二水雷戦隊第三十一戦隊各艦も健在であった。

7月の空襲

[編集]

7月24日の空襲では第三四三海軍航空隊が再び迎撃に向かい16機を撃墜。 7月28日の空襲では22機を撃墜した。

それまで健在だった艦艇も、7月の二度におよぶ空襲で損害が積み重なり、次々に戦闘不能になった。航空戦艦「伊勢」は2番主砲の砲身を仰角にあげた状態で大破着底[2]、姉妹艦「日向」が艦首や艦橋に直撃弾を受けて大破着底した[3]

一連の戦いで日本の乗組員約780人が戦死、約2000人が戦傷した。上記のように連合国軍にも損失を与えたものの、工廠施設が破壊され、戦略爆撃の一環として瀬戸内海の要所にB-29から機雷を投下されたことから、呉軍港は母港としての機能を完全に失った。

主な被害艦

[編集]

3月19日

[編集]
戦艦
航空母艦
巡洋艦
潜水艦

7月24日、28日

[編集]
対空戦闘をおこなう「利根」(1945年7月24日)
空襲により横転着底した空母「天城」
大破転覆した巡洋艦「大淀」

呉軍港近郊での被害

[編集]

*日付の無いものは両日の被害の結果

戦艦

航空母艦

  • 天城:大破[9]、横転着底[10]
  • 葛城:中破(飛行甲板大破孔[11]、格納庫隔壁破損)[12]
  • 鳳翔:損傷[13]
  • 龍鳳:損傷[14][15]
巡洋艦
駆逐艦
  • 宵月:7月24日損傷
  • :7月28日沈没
  • :7月24日損傷
  • 朝顔:7月28日損傷
建造中の艦艇
  • 阿蘇:7月28日火災発生。側面に損傷[23]
  • 伊404:大破、機密保持のために自沈処分

呉軍港以外での被害

[編集]
  • 摂津:7月24日大破着底(広島湾江田島大須海岸)[24]
  • しまね丸:7月24日、香川県志度湾で第37任務部隊の攻撃で大破着底。
  • 海鷹:7月28日被爆[注釈 1](大分県別府湾)
  • 駒橋:7月28日大破着底(三重県尾鷲港)
  • 伊号205:建造中、7月28日沈没(倉橋島)
  • :7月24日損傷(山口県祝島南方)
  • 椿:7月24日損傷(岡山沖)

戦災概況

[編集]

日本降伏後、連合軍が進駐した。将兵は、呉港や桂島泊地で損傷したり沈没した各艦を撮影し、記録に残した。

修理可能の艦艇のうち、一部は第二復員省より復員輸送艦に指定され、復員事業に従事した。

呉海軍工廠を引き継いだ播磨造船は、行動不能艦艇の解体を請け負った[25]。解体されるまで、大破着底した「伊勢」に民間人が住み着いたこともあったという[26]

呉空襲を描いた作品

[編集]

出典

[編集]

[編集]
  1. ^ 7月24日に触雷し、排水作業のため別府湾岸に擱座する。7月28日の空襲で爆弾1発が命中し発電機損傷、停電のため排水ポンプが作動せず浸水が増大し船体放棄された。

脚注

[編集]
  1. ^ 太平洋戦史研究部会第5回 1987, p. 11英艦隊、沖縄作戦に参加
  2. ^ id80109, p. 355(動画開始3分55秒~5分37秒/6分11秒~7分)
  3. ^ id79830, p. 620(動画開始6分20秒~7分58秒、日向/艦首と艦橋破損、前部主砲水平)
  4. ^ id79831, p. 351(動画開始3分51秒~4分45秒)
  5. ^ id80109, p. 259(動画開始2分59秒~3分54秒)
  6. ^ id79830, p. 843(動画開始8分43秒~7分58秒、伊勢/2番主砲に仰角)
  7. ^ id79831, p. 01(動画開始冒頭~20秒)
  8. ^ id80110, p. 09(動画開始9秒~3分29秒)
  9. ^ id80109, p. 824(動画開始8分24秒~8分55秒/9分45秒~11分5秒)
  10. ^ id79831, p. 158(動画開始1分58秒~2分30秒)
  11. ^ id79831, p. 114(動画開始1分14秒~1分37秒/2分33秒~3分)
  12. ^ id80109, p. 542(動画開始5分42秒~6分08秒/7分2秒~8分21秒/8分56秒~9分44秒)
  13. ^ id79831, p. 302(動画開始3分2秒~3分26秒)
  14. ^ id79831, p. 328(動画開始3分28秒~3分45秒)
  15. ^ id80110, p. 340(動画開始3分40秒~3分58秒/4分52秒~5分42秒)
  16. ^ id79831, p. 506(動画開始5分06秒~5分48秒)
  17. ^ id79831, p. 449(動画開始4分49秒~5分04秒)
  18. ^ id80110, p. 359(動画開始3分59秒~4分48秒)
  19. ^ id79831, p. 21(動画開始21秒~39秒)
  20. ^ id80109, p. 10(動画開始10秒~2分55秒)
  21. ^ id79830, p. 215(動画開始2分15秒~5分15秒)
  22. ^ id79830, p. 30(動画開始30秒~2分15秒)
  23. ^ id79830, p. 555(動画開始5分55秒~6分20秒/7分58秒~8分35秒)
  24. ^ id79829, p. 751(7分51秒より8分30秒)
  25. ^ 日本ニュース 戦後編 第21号/〔 時の話題 〕“海の戦犯人”解体 ― 呉”. nhk.or.jp/archives. NHKアーカイブス (1946年). 2025年3月22日閲覧。
  26. ^ 日本ニュース 戦後編 第97号/〔 時の話題 〕軍艦住宅 ― 呉”. nhk.or.jp/archives. NHKアーカイブス (1947年). 2025年3月22日閲覧。

参考文献

[編集]
伊達久 編『第二次大戦日本海軍作戦年誌』 p245、またp252~p253

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]