海鷹 (空母)

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海鷹
Japanese aircraft carrier Kaiyō.jpg
山口県徳山を出航中(1943年11月15日)
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 三菱重工業長崎造船所[1]
種別 航空母艦
起工 1938年2月5日
進水 1938年12月9日
竣工 1939年5月31日あるぜんちな丸として[1]
就役 1943年11月23日空母へ改造完了[1]
除籍 1945年11月20日[1]
最後 1945年7月24日触雷
のちに擱座、船体放棄
その後 1948年1月31日解体完了[1]
母港 横須賀
要目(特記無きは計画)
基準排水量 計画 15,400英トン[2]
13,600英トン[注釈 1]
公試排水量 計画 17,300トン[2]
16,700トン[注釈 1]
最終時 16,748トン[3]
満載排水量 計画 18477.10トン[4]
全長 166.55m[2]
水線長 159.59m[2]
垂線間長 155.00m[2]
水線幅 21.90m[2]
深さ 22.80m(飛行甲板まで)[2]
飛行甲板 長さ:160.0m x 幅:23.0m[2]エレベーター(13x12m)2基[5]
吃水 公試平均 8.25m[2]
満載平均 8.68m[2]
ボイラー ロ号艦本式缶 4基[6]
主機 艦本式タービン2基[6]
推進 2軸 x 340rpm、直径3.900m[6]
出力 計画 52,000shp[2]
公試成績 52,510shp[7]
速力 計画 23.0ノット[2]
公試全力 23.82ノット[7]
燃料 2,500トン[2]
航続距離 計画 7,000カイリ / 18ノット[2]
公試成績 8,358カイリ / 18ノット[7]
乗員 計画乗員 587名[8]
搭載能力 九一式魚雷 36本[9]
爆弾 250kg95個、同補用192個、60kg192個[10]
飛行機用軽質油 150トン[4]
兵装 12.7cm連装高角砲4基[11]
25mm3連装機銃8基[11]
手動爆雷投下台1組[9]
九五式爆雷8個[9]
搭載艇 12m内火艇1隻、12m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船2隻[5]
搭載機 計画(常用+補用)[10]
艦上戦闘機18機 艦上攻撃機6機
合計24機 補用機なし
レーダー 竣工時 21号電探1基、13号電探2基[12]
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解体中の海鷹1947年
座礁した日出町城下海岸に建つ軍艦海鷹之碑

海鷹(かいよう)は、かつて日本海軍に所属した航空母艦(空母)である。元は大阪商船所属の客船あるぜんちな丸で、太平洋戦争勃発に伴い日本海軍が購入し空母に改造した。海軍が定めた艦艇類別等級(別表)では大鷹型航空母艦に属する[13]

概要[編集]

日本海軍は航空母艦の不足を補うために高速貨客船建造に助成金を与え、その代償として有事には特設艦船に改造する計画であった。1939年(昭和14年)に竣工した大阪商船所属の「あるぜんちな丸」もそのなかの1隻であり、姉妹船の「ぶらじる丸」と共に優秀船舶建造助成施設に基づく政府の補助を受けて南米航路の貨客船として建造された。

イギリスアメリカ合衆国などの連合国との開戦後の1942年(昭和17年)5月1日特設運送船として使用されたが、直後にミッドウェー海戦正規空母4隻が沈没したため、本船の空母への改造が6月30日に決定した。この年の12月9日に買収され、同月より三菱重工業長崎造船所で改造工事が始まり、翌1943年(昭和18年)11月23日に改造完成し、船籍も日本海軍に移り航空母艦海鷹になった。遠藤昭によると候補艦名として蒼隼があったという[14]

客船時代の主機はディーゼルエンジンであったが、陽炎型駆逐艦用のボイラータービンに換装され、速力23ノットに増速した。ちなみに姉妹艦のぶらじる丸は改造のためトラック島から日本本土に向け出港した直後の1942年8月4日アメリカ海軍潜水艦グリーンリングの雷撃によって撃沈されている。

任務は、主に後方での航空機輸送や船団護衛任務であった。しかし、1945年(昭和20年)の中盤に入ると、艦載機や燃料が枯渇してきた上に制海権が連合国軍に握られたこともあり、瀬戸内海において特攻兵器の訓練標的艦として行動した[15]

同年7月24日、海鷹は四国佐田岬沖でアメリカ軍が敷設した磁気機雷に触雷して航行不能となり、随伴していた駆逐艦夕風に曳航された後、大分県別府湾(日出町城下海岸)に擱座4日後の空襲により発電機が損傷し排水ポンプが作動せず浸水が増大、船体放棄されそのまま終戦を迎えた。戦後日鮮サルベージ[16]の手によって浮揚解体された。

護衛[編集]

海鷹は小型低速の空母であり、多数の飛行機を一挙に発艦させることはできなかった。カタパルトなしに全備状態の重い艦上機を飛ばすには、少数機を飛行甲板上に並べて長距離を滑走させる必要があった。そこで海鷹は実戦投入には不適であることから船団護衛に投入された。

護衛にあたり使用した機体は九七式艦上攻撃機である。これを12機から14機搭載し、数機ずつを船団の周囲に2~3時間交代で飛ばし、対潜哨戒を行った。

1944年(昭和19年)4月3日、海鷹はヒ57船団の護衛に初めて従事した。この船団は9隻のタンカーから成り、護衛艦艇は海鷹のほか6隻であった。4月16日にはシンガポールに到着、改めてヒ58船団として4月21日昭南を出発し、5月3日、門司に帰還した。海鷹に損害はなかった。

海鷹は日本からシンガポールの長距離輸送(ヒ船団)の護衛、または、台湾、海南島への中距離輸送の護衛を行った。これは1945年1月以降、連合国軍が南方の制空権と制海権を奪取するまで続いた。

艦歴[編集]

公試成績[編集]

#日本空母物語p.324による。

年月日 種別 排水量(トン) 速力(ノット) SHP rpm
1943-11-08 過負荷全力(10.5/10) 16,921 54,930 340.4
1943-11-08 公試全力(10/10) 16,958 23.82 52,510 335.2
1943-11-15 終末公試(10/10) 16,629 23.72 52,640 334.7

歴代艦長[編集]

※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』74-75頁、『日本海軍史』第10巻の「将官履歴」に基づく。

特設運送船あるぜんちな丸[編集]

監督官[編集]

  1. 渡部威 中佐[22]:1942年5月1日[22] - 1942年12月9日[23]

航空母艦海鷹[編集]

艦長[編集]

  1. 高尾儀六 大佐:1943年11月23日 - 1944年7月24日[24]
  2. (臨時)北村昌幸 大佐[24]:1944年7月24日[24] - 1944年8月1日[25] (本職:第一海上護衛隊運航指揮官
  3. 有田雄三 大佐:1944年8月1日 -
  4. 国府田清 大佐:1945年3月15日 -
  5. 大須賀秀一 大佐[26]:1945年5月1日[26] - 1945年8月15日[27]

参考文献[編集]

  • 大内建二 『特設艦船入門』 光人社NF文庫、2008年ISBN 978-4-7698-2565-4
  • 海軍歴史保存会 『日本海軍史』第7巻、第10巻、海軍歴史保存会、1995年11月
  • 衣島尚一「商船改造空母史」、『商船改造空母』艦船模型スペシャルNo.18、モデルアート社、2005年、 34-49頁。
  • 外山操 『艦長たちの軍艦史』 光人社、2005年ISBN 4-7698-1246-9
  • 長谷川藤一 『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』 グランプリ出版、1998年12月(原著1997年9月)、第3刷。ISBN 4-87687-184-1
  • 福井静夫 『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』 光人社、2011年1月(原著1961年)。ISBN 978-4-7698-1488-7
  • -海軍造船技術概要別冊- 海軍艦艇公式図面集』 福井静夫/編、今日の話題社、1987年12月ISBN 4-87565-212-7
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第4巻 空母II』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年10月ISBN 4-7698-0454-7
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b #海軍造船技術概要p.295。ただし次頁で計画値に改められている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e #日本航空母艦史pp.84-85
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4
  3. ^ a b c 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時残存(内地)艦艇処分状況(1948年3月20日現在)」p.20、#終戦と帝国艦艇(復刻版)巻末資料2。
  4. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.56。ただし同書p.4では計画の満載排水量を18,478トンとしている。
  5. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.46
  6. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.35
  7. ^ a b c #日本空母物語p.324
  8. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.42
  9. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
  10. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.31
  11. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.8
  12. ^ #海軍艦艇公式図面集の公式図。
  13. ^ a b 昭和18年11月23日付 内令第2477号
  14. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。
  15. ^ 別府湾内では人間魚雷回天の訓練基地・大神基地があった関係で、回天が唯一空母を標的艦として訓練を実施している。
  16. ^ 大分県公文書館:文書番号1995060033「占領軍ヨリノ指令」を参照。(大分県知事宛に第92軍政司令部が「日本サルベージ」よる解体を許可した文書。)『写真|日本の軍艦 第4巻』p126、『日本海軍史第7巻』 による。『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』『写真|日本の軍艦 第4巻』p121によると日本サルベージ、『海軍艦艇史3航空母艦・水上機母艦・潜水母艦』によると日産サルベージとなっている。また、大蔵省管財局の覚書である『艦艇解撤』誌では、許認可申請時は日本サルヴェージ、実施工は日鮮サルベージが実施(日本サルヴェージの下請けでは無い状態)と読み取れる。
  17. ^ 昭和17年5月1日付 内令第778号。
  18. ^ 海軍大臣官房 『内令提要』 昭和17年6月30日現在 第10版 「特設艦船所管別一覧表」。
  19. ^ 昭和18年11月23日付 達第286号。
  20. ^ 昭和18年11月23日付 内令第2483号。
  21. ^ 昭和20年8月15日付 内令第738号。
  22. ^ a b 昭和17年5月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第852号。
  23. ^ 昭和17年12月14日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1010号。
  24. ^ a b c 昭和19年7月29日付 海軍辞令公報 甲 (部内限) 第1549号。
  25. ^ 昭和19年8月8日付 海軍辞令公報 甲 第1557号。
  26. ^ a b 昭和20年5月14日付 海軍辞令公報 甲 第1799号
  27. ^ 昭和20年8月27日付 海軍辞令公報 甲 第1897号

関連項目[編集]

外部リンク[編集]