佐田岬

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座標: 北緯33度20分38.4秒 東経132度00分46.7秒 / 北緯33.344000度 東経132.012972度 / 33.344000; 132.012972

佐田岬より豊予海峡をはさみ、佐賀関を望む。(2009年8月4日)

佐田岬(さだみさき)は、佐田岬半島先端にある、四国最西端の

九州本島最南端の佐多岬(さたみさき)と字や読みが似ているため、混同されることがある。漢字の違いの他、こちらは“さみさき”と、濁音であることが異なる。

概要[編集]

九州佐賀関半島先端にある関崎と向かい合い、豊後水道の最も狭い部分である豊予海峡(速吸瀬戸)を形づくる。愛媛県西宇和郡伊方町(旧・三崎町)に属する。瀬戸内海国立公園の一部ともなっている。

海上交通の要所だが、付近には黄金碆(おうごんばえ)をはじめとして岩礁が多く、難所として知られる。

豊予要塞 佐田岬砲台[編集]

設備[編集]

大正から昭和にかけて豊予要塞の一部として砲台が設置された。佐田岬灯台キャンプ場付近に、司令部や発電所、弾磨き鍛造所が置かれた。現在使用されている灯台への通路も、かつては砲弾などを運搬する要塞の連絡通路であり、レールの上を電動車が走っていた。佐田岬砲台は昭和19年にいったん廃止されたが、本土決戦に備えて昭和20年に再整備された。太平洋戦争中は爆撃を受けることはなかったが、戦闘機などによる機銃掃射攻撃は何度も受けている。

第1砲台[編集]

第1砲台は現在の佐田岬灯台キャンプ場から灯台に至る散策路の途中に建設された。2門のカノン砲が露天に設置され、弾薬庫は2か所にあり共に地下深くに設置され、エレベーターで弾薬の昇降を行っていた。弾着観測所(測距施設)も半地下に設置された。

第2砲台[編集]

佐田岬灯台キャンプ場より四国側、影の平漁港近くの山中に第二砲台が設置されていた。第二砲台は1924年より建設が開始されており1924年に完成した。第2砲台には敵艦を夜間照射する設備も設置され、探照灯は設置されたレールで山のすそ野をぐるりと移動することが出来た。4つの砲台には露天で30㎝または15cmカノン砲が設置されていたが、昭和19年に撤去され本土決戦に備えて志布志湾に移設され第二砲台は廃止された。

穹窖砲台(第3・第4砲台)[編集]

本土決戦を睨んで昭和20年になってから建設された。佐田岬灯台直下の断崖絶壁に彫り込み式に12cm榴弾砲が2門設置され、佐田岬先の小島(大島)の現在は養殖場が設置されているあたりにも2門の砲台が設置された。

旧正野谷桟橋[編集]

第2砲台の建設のために旧正野谷桟橋という軍用桟橋(軍艦波止場が設けられた。桟橋は長さ50m、幅5mの規模。

現在[編集]

砲台官舎などはキャンプ場にあったが撤去されて現存しない。レールなどの金属類も撤去され、通路なども進駐軍によって爆破され土砂で埋まっている部分もあり砲台や弾薬庫に近づくことは困難な状況になっている。司令部や発電所跡は残っており、夏場の観光シーズンには売店や倉庫として利用される。第2砲台観測所は民家に払い下げされ、倉庫として使用されている。第1砲台は保存状態が良くなく荒廃が進んでいる。第2砲台は良好な状態で残っているが観光化されていないので、樹木に埋もれている。穹窖砲台は、灯台付近から見下ろすと断崖にその開口部を確認することが出来るが、通路は破壊されており近づくことは出来ない。旧正野谷桟橋は2003年12月1日に文部科学省が文化財として指定した。

佐田岬灯台[編集]

突端には佐田岬灯台(高さ18m、灯高49m)が立てられている。麓には10台程度の駐車スペースのある駐車場もあり、駐車場より遊歩道を20分程度歩けば佐田岬灯台に達する。

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]