豊予要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

豊予要塞(ほうよようさい)は、豊予海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍要塞である。

佐田岬砲台の穹窖砲台
佐田岬砲台の穹窖砲台内部。三八式十二糎榴弾砲(レプリカ)が設置されている

概要[編集]

1920年(大正9年)の要塞整理方針に基づき工事が着手された。1921年(大正10年)から1930年(昭和5年)まで第一期工事を実施し、1931年(昭和6年)以降に第二期工事が実施された。この要塞の建設により、芸予要塞広島湾要塞が整理され廃止となった。

太平洋戦争を控え、1941年(昭和16年)11月に警急戦備が下令された。1942年(昭和17年)1月、巡洋戦艦伊吹」の後部主砲45口径30センチ2連装カノン砲を転用して作られた丹賀砲台(砲塔砲台)で実弾射撃の際に右砲身の砲腔破裂事故が発生し、砲塔全体が吹き飛び16名の死者を出し[1]再生不能となった。同年3月、代替の砲台として鶴見崎砲台(15cmカノン砲)の工事に着手し、同年9月に竣工した。佐田岬砲台は榴弾砲を志布志湾の高崎砲台に移設したために1944年に一度廃止されたが、1945年2月より再整備工事が始まり終戦直前に工事が完了した。

要塞周辺である豊後水道沿岸部一帯は終戦まで写真撮影が禁止されるなどの様々な制限を受けていた[2]

年譜[編集]

  • 1920年(大正9年)4月 - 佐賀関陸軍築城部豊予支部開設。
  • 1921年(大正10年)7月 - 高島第1砲台・高島第2砲台・関崎砲台着工。
  • 1924年(大正13年)
    • 1月 - 高島第1砲台・高島第2砲台・関崎砲台竣工。
    • 9月 - 佐田岬第1砲台着工。
  • 1926年(大正15年)
    • 8月1日 - 豊予要塞司令部設置。
    • 11月 - 佐田岬第1砲台竣工・佐田岬第2砲台着工。
    • 同年 - 丹賀砲台(砲塔砲台)着工[3]
  • 1927年(昭和2年)10月 - 佐田岬第2砲台竣工。
  • 1930年(昭和5年) - 佐田岬第3砲台・佐田岬第4砲台竣工。
  • 1932年(昭和7年) - 丹賀砲台(砲塔砲台)竣工[3]
  • 1933年(昭和8年)8月 - 高島第3砲台着工。
  • 1934年(昭和9年)7月 - 高島第3砲台竣工。
  • 1941年(昭和16年)
    • 11月17日 - 警急戦備下令。
    • 12月20日 - 豊予要塞司令部臨時編成。
  • 1942年(昭和17年)
    • 1月 - 丹賀砲台(砲塔砲台)、砲腔破裂事故により破損し放棄。
    • 3月 - 鶴見崎第1砲台(15cmカノン砲)着工。
    • 9月 - 鶴見崎第1砲台(15cmカノン砲)竣工。
  • 1944年(昭和19年) - 佐田岬砲台廃止。榴弾砲は志布志湾の高崎砲台に転用される[4]
  • 1945年(昭和20年) - 鶴見崎第1砲台を洞窟内に移設。元の砲台には12cm榴弾砲4門を配備し鶴見崎第2砲台とする[5]

主要な施設[編集]

高島
  • 高島第1砲台(12cm速射砲2門)[5]
  • 高島第2砲台(30cm榴弾砲4門)[5]
  • 高島第3砲台(12cm速射カノン砲4門)[5]
関崎
  • 関崎砲台(15cm速射カノン砲)[5]
佐田岬砲台
  • 佐田岬第1砲台(15cmカノン砲4門)1944年撤去
  • 佐田岬第2砲台 カノン砲4門 1944年撤去
  • 佐田岬第3砲台 - 三八式十二糎榴弾砲2門 1945年設置
  • 佐田岬第4砲台 - 三八式十二糎榴弾砲2門 1945年設置
鶴御崎
  • 丹賀砲台(砲塔砲台) - 巡洋戦艦伊吹」の主砲塔(30cm砲2門)を設置。1942年(昭和17年)1月に破損。
  • 鶴見崎第1砲台(15cmカノン砲4門)[5]
  • 鶴見崎第2砲台(12cm榴弾砲4門)[5]
佐賀関町
  • 志生木弾薬本庫 - 豊予要塞砲台用・九州所在要塞予備用の弾薬を保管した[7]

歴代司令官[編集]

豊予要塞重砲兵連隊[編集]

豊予要塞重砲兵連隊は、豊予要塞の主戦力として1941年(昭和16年)12月20日に編成下令され、佐賀関で編成された[10]通称号は睦第2738部隊である。1942年(昭和17年)1月11日に、配備後初の実弾射撃を丹賀砲台で実施したところ、腔発事故を起こし、内藤連隊長以下16名が死亡、28名が負傷した[5][11]

1945年(昭和20年)5月に、本土決戦に備えて野戦的な性格のある重砲兵第18連隊に改称され、独立混成第118旅団に編合された。引き続き既設の砲台に5個中隊を配置して、終戦まで防衛態勢をとった。矢野穆彦連隊長は旅団の高島地区隊長を務めていた。大戦末期には本土決戦に備えて約1100人の守備隊兵士が配置された[10]

  • 豊予要塞重砲兵連隊(通称号:睦第2738部隊)
    • 編成地:佐賀関
    • 歴代連隊長 ※一部不明
      • 内藤: - 1942年1月11日(事故死)
      • 矢野穆彦: - 1945年5月23日
  • 重砲兵第18連隊(通称号:堅塁第2738部隊)
    • 編成地:佐賀関
    • 歴代連隊長
      • 矢野穆彦:1945年5月23日 - 終戦

脚注[編集]

  1. ^ 丹賀砲台園地”. 佐伯市. 2017年8月25日閲覧。
  2. ^ 豊予要塞”. 臼杵市 (2014年1月1日). 2017年8月25日閲覧。
  3. ^ a b 歴史群像シリーズ『日本の要塞』、181頁
  4. ^ 突貫工事 負の歴史(眠る砲台跡 佐田岬半島から:1)/愛媛 朝日新聞 1999年8月15日 大阪地方版/愛媛 29頁 愛媛 写図有 (全1,386字)
  5. ^ a b c d e f g h 戦跡「豊予要塞」 の実像を探る(pdf) 三重野勝人、「大分縣地方史」(181), pp.24 - 41 , 2001-3、大分県地方史研究会 別府史談 No.23 (2010. 3) ,p.37- 50
  6. ^ 忠魂碑 犠牲者の名刻む(眠る砲台跡 佐田岬半島から:6)/愛媛 朝日新聞 1999年8月21日 大阪地方版/愛媛 29頁 愛媛 写図有 (全727字)
  7. ^ 浄法寺『日本築城史』、278頁。
  8. ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
  9. ^ 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。
  10. ^ a b [情報ランド]戦跡、慰霊碑 2001年7月11日 読売新聞 東京朝刊 20頁 写有 (全6,889字)
  11. ^ 追想記 丹賀砲台の爆発 秘められた惨事の記録(pdf) 相良主殿、「別府史談」 (23), pp.87 - 93 , 2010-3 , 別府史談会

参考文献[編集]

  • 浄法寺朝美『日本築城史 - 近代の沿岸築城と要塞』原書房、1971年。
  • 歴史群像シリーズ『日本の要塞 - 忘れられた帝国の城塞』学習研究社、2003年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 篠崎達男「日本陸軍「沿岸要塞」の戦い」『丸別冊 忘れえぬ戦場』太平洋戦争証言シリーズ18号、潮書房、1991年。
  • 田藤博「砲兵連隊の戦歴」『日本陸軍機械化部隊総覧』別冊歴史読本16巻6号、新人物往来社、1991年。

関連項目[編集]