佐賀関

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佐賀関
パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 大分県
市町村 大分市
地区 佐賀関地区
人口 (2011年(平成23年)5月31日現在)
 - 計 3,211人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 879-2201

佐賀関(さがのせき)は、大分県大分市大字。旧北海部郡佐賀関町時代の大字名はであったが、大分市との合併後の2006年4月1日に現在の大字名に改称した。2014年7月31日現在の人口は3,211人[1]郵便番号879-2201。大分市内の地区の区分では、佐賀関地区に属する[1]

地理[編集]

旧北海部郡佐賀関町のうちで、佐賀関半島の先端から、半島のくびれた部分に位置する佐賀関港付近にかけての区域である。字域の南方では白木、西方では志生木にそれぞれ隣接しており、北方では別府湾、南東方では臼杵湾に面する。また、半島の先端部は豊予海峡に面する。

200mの巨大煙突を持つ銅製錬業のパンパシフィック・カッパー(PPC)(日本鉱業日鉱金属日鉱製錬佐賀関製錬所のある佐賀関港と関あじ関さばをはじめとした高品質な水産品の水揚げ港である佐賀関漁港とを中心とする地区であり、古くから旧佐賀関町の中心部として栄えた。

また、佐賀関港と四国佐田岬三崎港の間には、国道九四フェリーが就航している。大分市中心部方面からのアクセス道である国道197号は、かつては曲がりくねった見通しの悪い一本道であったが、古宮〜小志生木バイパスの開通等により改良が進んでいる[2]。かつては、旧国道197号と並行するように、日本鉱業佐賀関鉄道も運行されていた。

近年では、旧佐賀関町のうち半島の先端に近い佐賀関地区よりも、付け根に近いJR九州幸崎駅近辺の神崎地区の方が宅地開発により急速に活性化している。

歴史[編集]

佐賀関は、中世においては、1364年(貞治3年)に大友氏第8代当主大友氏時により大友氏の直轄領に組み込まれ、遅くとも15世紀前半には大友氏の水軍の中核であった若林氏の知行地となった。大友氏第22代当主大友義統1588年(天正16年)に11箇条から成る佐賀関法度を発給し、佐賀関の町立や度量衡等について定めている。中世には、現在の佐賀関港は上浦又は西浦、現在の佐賀関漁港は下浦又は南浦と呼ばれていた[3]

大友氏改易後、近世においては佐賀関は熊本藩飛地となった[4]

近代には旧日本鉱業佐賀関製錬所(1916年操業開始)の企業城下町として栄え、特に高度経済成長期までは大分県内でも屈指の人口密度を誇る地域であった。しかし、近年は若者離れによる高齢化・過疎化が著しく、2005年1月1日を以て大分市編入合併した。これにより「佐賀関」という地名は一旦は消滅したが、地域住民の熱意により2006年4月1日に旧町の中心部であった関地区の大字名が「関」から「佐賀関」に変更され復活した。

景勝地[編集]

黒ヶ浜。中央奥の島は高島
  • 白ヶ浜と黒ヶ浜 - 佐賀関の臼杵湾側には白ヶ浜という白砂の海岸と黒ヶ浜という黒い石の海岸が隣接している景勝地がある。このように白黒の海岸が隣接する地形は全国的にも珍しいとされる。この海岸は平安時代から知られており[5][6][7]、江戸時代の随筆にも、豊後国海部郡佐賀関には、「白濱・黒濱」というものがあり、それぞれの石が一つたりとも混じらず、白黒の境が、まるで綱を引くが如しだと記されている[8]

施設[編集]

公共
  • 大分市役所佐賀関支所
教育
郵便局
  • 佐賀関郵便局

交通[編集]

道路[編集]

国道
県道

港湾[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 人口データ 町丁別人口・世帯数(本年分) 大分市、2014-08-21閲覧。
  2. ^ 一般国道197号古宮〜小志生木バイパスの全線開通について (PDF) 大分県
  3. ^ {{PDFlink\佐賀関港の「みなと文化」}} 鹿毛敏夫、一般財団法人みなと総合研究財団
  4. ^ 佐賀関街道(関往還)峠越え|観光スポット | 一般社団法人 大分市観光協会 公式ホームページ(2014年5月19日閲覧)
  5. ^ 白ヶ浜 大分市ロケーションオフィス
  6. ^ 黒ヶ浜 大分市ロケーションオフィス
  7. ^ 第2回美しい日本のむら景観コンテスト 農林水産大臣賞 生産部門 黒い浜 大分県佐賀関町(現大分市) (PDF)
  8. ^ 大田南畝「半日閑話」吉川弘文館(日本随筆大成 巻4)1927年,320頁、日本奇跡考抄3條の項より。

関連項目[編集]