貨客船

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貨客船(かきゃくせん)は、旅客輸送貨物輸送の双方を行う船舶である[1]

日本では船舶安全法第8条によって旅客定員が12名を超える船舶が旅客船とされている。一方、貨物船や貨客船は法律で用いられる用語ではないが、一般に、旅客定員が12名以下で貨物を運ぶ船舶が貨物船と呼ばれ、旅客定員に関わらず旅客と貨物輸送の双方を行う船舶が貨客船と呼ばれている[1]。旅客定員が12名を超える貨客船は法的には旅客船と位置づけられるため、旅客船と同様の救命設備等が必要となる[2]

なお、海上運送法では、旅客が限定されている場合には、旅客定員が13人以上でも旅客航路事業とは扱われない[3]

かつての日本と世界各地を結んだ氷川丸を始めとする「豪華客船」のほとんどは貨物も扱っており、厳密には貨客船である。

代表的な貨客船[ソースを編集]

日本[ソースを編集]

就航中
運航会社 船名 航路 運航距離 所要時間 出典
東海汽船 橘丸 東京港竹芝埠頭←→三宅島←→御蔵島←→八丈島 302km 10時間20分
(1泊2日 八丈島行き)
[1]
さるびあ丸 東京港竹芝埠頭←→横浜港←→伊豆大島←→利島←→新島←→式根島←→神津島 207km 12時間
(1泊2日 神津島行き)
小笠原海運 おがさわら丸 東京港竹芝埠頭←→父島二見港 984km 24時間
(1泊2日 父島行き)
[2]
伊豆諸島開発 あおがしま丸 八丈島←→青ヶ島三宝港 81km 3時間 [3]
ははじま丸 父島二見港←→母島沖港 59km 2時間10分
大東海運 だいとう 那覇港←→大東諸島 405km 17時間
(1泊2日 大東諸島行き)
[4]
廃止
運航会社 船名 航路 就航 引退 備考
日本郵船 信濃丸 シアトル航路、台湾航路など 1900年明治33年) 1951年昭和26年) 日露戦争及び太平洋戦争中は日本海軍徴用船。日露戦争では最初にバルチック艦隊を発見した。
勝鬨丸 西回り世界一周航路 1920年大正9年) 1944年(昭和19年) アメリカンプレジデントラインズ所属のプレジデント・ハリソン(SS President Harrison)。
1941年(昭和16年)12月8日揚子江河口で日本海軍に拿捕され、のち勝鬨丸と改名。1944年(昭和19年)9月12日潜水艦パンパニト (USS Pampanito, SS-383) の攻撃により、海南島沖で沈没。
浅間丸 サンフランシスコ航路 1929年(昭和4年) 1944年(昭和19年) 11月1日、米潜水艦アトゥル (USS Atule, SS/AGSS-403) の攻撃により、バシー海峡で沈没。
秩父丸
(改名後:鎌倉丸)
サンフランシスコ航路 1930年(昭和5年) 1943年(昭和18年) 4月28日、米潜水艦ガジョン (USS Gudgeon, SS-211)の攻撃により、フィリピンパナイ島沖で沈没。
龍田丸 サンフランシスコ航路 1930年(昭和5年) 1943年(昭和18年) 2月8日、米潜水艦ターポン (USS Tarpon, SS-175) の攻撃により、伊豆諸島御蔵島沖で沈没。
氷川丸 シアトル航路 1930年(昭和5年) 1960年(昭和35年) 太平洋戦争中は病院船戦後復員輸送艦として徴用された後、シアトル航路に復帰。引退後の1961年(昭和36年)から2017年平成29年)現在に至るまで、横浜市博物館船として公開中[4]。国の重要文化財[5]
日枝丸 シアトル航路 1930年(昭和5年) 1943年(昭和18年) 11月17日、米潜水艦ドラム (USS Drum, SS-228)の攻撃により、ラバウル沖で沈没。
平安丸 シアトル航路 1930年(昭和5年) 1944年(昭和19年) 2月18日トラック島空襲により沈没。
照国丸 ヨーロッパ航路 1930年(昭和5年) 1939年(昭和14年) 11月21日イギリステムズ川河口で機雷に触れ沈没[6]
靖国丸 ヨーロッパ航路 1930年(昭和5年) 1944年(昭和19年) 1月31日、米潜水艦トリガー (USS Trigger, SS-237)の攻撃により、トラック諸島沖で沈没。
平洋丸 南米太平洋岸航路 1930年(昭和5年) 1943年(昭和18年) 1月11日、米潜水艦ホエール(USS Whale, SS-239)の攻撃により、トラック諸島沖で沈没[7]
サイパン丸 内南洋航路 1936年(昭和11年) 1943年(昭和18年) 7月21日、米潜水艦ハダック (USS Haddock, SS-231)の攻撃により、パラオ沖で沈没。
新田丸 サンフランシスコ航路 1938年(昭和13年) 1943年(昭和18年) 1942年(昭和17年)に日本海軍に買収され、空母冲鷹に改装される。1943年(昭和18年)12月4日、米潜水艦セイルフィッシュ(USS Sailfish, SS-192)の攻撃により、伊豆諸島八丈島沖で沈没。
阿波丸 オーストラリア航路(未就航) 1943年(昭和18年) 1945年(昭和20年) 4月1日、米潜水艦クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393)の攻撃により、台湾海峡で沈没(阿波丸事件)。
大阪商船 亜米利加丸 サンフランシスコ航路 1898年(明治31年) 1944年(昭和19年) 日露戦争では日本海海戦に参加。1944年(昭和19年)3月6日、米潜水艦ノーチラス(USS Nautilus, SF-9/SS-168) の攻撃により、硫黄島沖で沈没。
笠戸丸 ブラジル航路、台湾航路など 1900年(明治33年) 1945年(昭和20年) 日露戦争で鹵獲した元ロシア船。1908年(明治41年)6月18日には日本からブラジルへの第一回目の移民輸送を行った[8]
1945年(昭和20年)8月9日カムチャツカ半島沖でソ連軍の攻撃により沈没[8]
うらる丸 大連航路 1929年(昭和4年) 1944年(昭和19年) 9月27日、米潜水艦フラッシャー(USS Flasher, SS-249)の攻撃により、南シナ海で沈没。
りおでじゃねろ丸 東回り世界一周航路、大連航路 1930年(昭和5年) 1944年(昭和19年) 2月17日、トラック島空襲により沈没。
高千穂丸 台湾航路 1934年(昭和9年) 1943年(昭和18年) 3月19日、米潜水艦キングフィッシュ(USS Kingfish, SS-234) の攻撃により、台湾の彭佳嶼沖で沈没。
高砂丸 台湾航路 1937年(昭和12年) 1956年(昭和31年) 太平洋戦争中は病院船、戦後は復員輸送艦として徴用[9]
あるぜんちな丸(初代) 西回り世界一周航路、大連航路 1939年(昭和14年) 1948年(昭和23年) 1943年(昭和18年)に日本海軍に買収され、空母海鷹に改装される。
ぶら志゛る丸 西回り世界一周航路、大連航路 1939年(昭和14年) 1942年(昭和17年) 8月4日、米潜水艦グリーンリング(USS Greenling, SS-213)の攻撃により、トラック諸島沖で沈没。
ぶらじる丸 南米航路 1953年(昭和28年) 1973年(昭和48年) 引退後、1974年(昭和49年)7月から1996年(平成8年)1月までは三重県鳥羽市で海上パビリオン「鳥羽ぶらじる丸」として係船。その後中国に売却され、広東省湛江市で「湛江号海上城市」として利用されている[10]
あるぜんちな丸(2代) 南米航路 1958年(昭和33年) 1976年(昭和51年) 1972年(昭和47年)に南米航路から引退し、クルーズ客船に改装されてにっぽん丸と改名した。
石原産業海運南洋海運 名古屋丸 インドネシア航路 1932年(昭和7年) 1944年(昭和19年) 1月1日、米潜水艦ヘリング(USS Herring, SS-233)の攻撃により、伊豆諸島青ヶ島沖で沈没。
浄宝縷丸 インドネシア航路 1932年(昭和7年) 1943年(昭和18年) 10月23日、米潜水艦シルバーサイズ(USS Silversides, SS/AGSS-236)の攻撃により、アドミラルティ諸島マヌス島沖で沈没[11]
南洋海運 日昌丸 インドネシア航路 1939年(昭和14年) 1965年(昭和40年) 太平洋戦争中は軍隊輸送船、戦後は復員輸送艦として徴用された後、インドネシア航路に復帰[12]1956年(昭和31年)には、巡航見本市船としてアジア各地を巡り、記念切手も発行された[13]
日本国有鉄道 宗谷丸 稚泊連絡船青函連絡船 1932年(昭和8年) 1965年(昭和40年) 建造時、日本最大の砕氷船であった。
洞爺丸 青函連絡船 1947年(昭和22年) 1954年(昭和29年) 9月26日洞爺丸事故により沈没。
紫雲丸
(改名後:瀬戸丸)
宇高連絡船 1947年(昭和22年) 1966年(昭和41年) 1950年(昭和25年)3月25日及び1955年(昭和30年)5月11日に衝突事故にを起こして沈没し、その後引き揚げられている。2回目の事故である紫雲丸事故の後、瀬戸丸と改名される。
大雪丸 (初代) 青函連絡船 1947年(昭和22年) 1991年(平成3年) 1964年(昭和39年)に青函連絡船を引退後、ギリシャキプロスの船会社に売却され、カーフェリーに改装された。1988年(昭和63年)頃の一時期には、パレスチナ解放機構にチャーターされた。1991年(平成3年)12月6日アドリア海で火災によって沈没。
八甲田丸 青函連絡船 1964年(昭和39年) 1988年(昭和63年) 引退後の1990年(平成2年)7月から2017年(平成29年)現在に至るまで、青森市で博物館船として公開中[14]
関西汽船 こがね丸 大阪港←→別府港 1942年(昭和18年) 1971年(昭和46年) 太平洋戦争中は特設輸送船、戦後は復員輸送艦として徴用[15]。引退後、1980年(昭和55年)までホテルシップとして使用[15]
九州商船 → 東海汽船 長福丸
(改名後:さつき丸)
長崎港←→福江島
熱海港←→伊豆大島
1926年(昭和元年) 1973年(昭和48年) 太平洋戦争中は特設捕獲網艇として徴用。
東海汽船 すとれちあ丸 東京港竹芝埠頭←→伊豆諸島 1978年(昭和53年) 2002年(平成14年) 引退後、船体ブロック運搬船に改装され、常秀丸と改名して就航中。
かめりあ丸 1986年(昭和61年) 2014年(平成26年) インドネシアに売却され、2017年(平成29年)現在も就航中。
神新汽船 あじさい丸 下田港←→利島←→新島←→式根島←→神津島 1978年(昭和53年) 1988年(昭和63年)
あぜりあ丸 1988年(昭和63年) 2014年(平成26年) ソロモン諸島に売却され、2017年(平成29年)現在も就航中。

イギリス[ソースを編集]

就航中
運航会社 船名 航路 所要時間 備考 出典
アンドリュー・ウィアー・シッピング・リミテッド(AW Ship Management Ltd) セントヘレナ(RMS St Helena) 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国ケープタウン ←→ セントヘレナの旗 セントヘレナ ←→ アセンション島の旗 アセンション島 片道8泊9日 セントヘレナ空港英語版の開港に伴い、2018年2月11日をもって引退する予定。 [5]
ピトケアン諸島立法議会英語版(Island Council) クレイモアII英語版(MV Claymore II) フランス領ポリネシアの旗 フランス領ポリネシアガンビエ諸島 ←→ ピトケアン諸島の旗 ピトケアン諸島ピトケアン島 片道2泊3日 ニュージーランドの旗 ニュージーランド北島タウランガまで運航されることもある。 [6]
廃止

フランス[ソースを編集]

アメリカ[ソースを編集]

ロシア[ソースを編集]

北朝鮮[ソースを編集]

ギャラリー[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

参考文献[ソースを編集]

  • 大内健二 『戦う民間船--知られざる勇気と忍耐の記録』 光人社〈光人社NF文庫〉、2006年ISBN 476982498X
  • 大内健二 『不沈艦伝説--多彩な運命を背負った30隻の生涯』 光人社〈光人社NF文庫〉、2007年ISBN 9784769825531
  • 土井全二郎 『撃沈された船員たちの記録--戦争の底辺で働いた輸送船の戦い』 光人社〈光人社NF文庫〉、2008年ISBN 9784769825692

関連項目[ソースを編集]