神鷹 (空母)

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神鷹
Aircraft carrier Shinyo.JPG
全力運転公試中の「神鷹」(1944年11月1日)[1]
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 デシマーク社(ブレーメン)[1]
改造:呉海軍工廠[1]
種別 航空母艦
竣工 1935年4月30日客船「シャルンホルスト」として[1]
就役 1943年12月15日空母への改装完了[1]
除籍 1945年1月10日[1]
最後 1944年11月17日沈没[1]
要目 (計画)
基準排水量 計画 20,160トン[2]
17,500英トン[3]
公試排水量 計画 22,500トン[4][注釈 1]
実際 20,900トン[3][5]
満載排水量 23,925トン[4]
全長 198.34m[1] または198.64m[2]
水線長 約189.36m[2]
垂線間長 186.0m[6][注釈 2]
全幅 25.64m[1]
水線幅 25.60m[2][注釈 3]
深さ 24.35m(飛行甲板まで)[2]
吃水 8.18m (公試状態)[2]
機関 ターボ電気推進[1]
ボイラー 客船時:ワグナー式缶4基[7]
最終時:ロ号艦本式缶大2基、小1基[8][注釈 4]
主機 AEGタービン式発電機(10,000KW)2基[1][7]
主電動機2基[7]
推進 2軸 x 130rpm[7]
出力 26,000hp[2]
速力 計画 21.0ノット[2][3]
公試全力 21.965ノット[9]
燃料 2,760トン[2]
航続距離 計画 8,000カイリ / 18ノット[2]
8,500カイリ / 18ノット[8]
乗員 計画乗員 834名[10]
搭載能力 九一式魚雷 36本[11]
爆弾 800kg72個、250kg144個、60kg252個、30kg演習用72個[12]
飛行機用軽質油 200トン[13]
兵装 12.7cm連装高角砲4基[14]
25mm3連装機銃10基[14]
同 単装機銃12挺[8]
(爆雷)手動投下台1組[11]
九五式爆雷8個[11]
搭載艇 12m内火艇1隻、12m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船1隻[15]
搭載機 計画(常用+補用)[12]
零式艦上戦闘機9+3機
九七式艦上攻撃機18+3機
合計27+6機
飛行甲板 長さ:180.0m x 幅:24.5m[2]
エレベーター(12x13m)1基、(13x12m)1基[15]
レーダー 21号電探1基、13号電探1基、仮称電波探知機[8]
ソナー 水中聴音機1基[8]
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神鷹(しんよう)は、日本海軍航空母艦である。第二次世界大戦勃発時に神戸港に係留されていたドイツ客船シャルンホルストを日本海軍が買収し、航空母艦に改造した。1944年(昭和19年)11月17日済州島沖でアメリカ軍潜水艦スペードフィッシュ魚雷攻撃によって沈没した。

空母に改造されるまで[編集]

写真は1935年に撮影された貨客船「シャルンホルスト」。
  • ドイツの大手海運会社である北ドイツ・ロイド汽船(en:Norddeutscher Lloyd)の貨客船として、ブレーメンのデシマグ社(DeSchiMAG en:Deutsche Schiff- und Maschinenbau)にて建造され、1935年(昭和10年)4月30日に竣工。蒸気タービン動力だが、当初からAEG製発電機2基を搭載したターボ・エレクトリック駆動を採用していた。姉妹船には同年竣工のグナイゼナウ、ポツダムの2隻があり、これら3隻はブレーメン-横浜間の極東定期航路に就航した。
  • 1939年(昭和14年)8月26日深夜に神戸港を出港しマニラに寄港した後シンガポールへ向かっていた時にドイツ本国からの暗号無電により9月1日神戸港に戻った。第二次世界大戦勃発によりドイツ本国へ帰れなくなりそのまま神戸港で係留される。乗組員・乗客は当時まだ国交があったソ連シベリア鉄道を経由してドイツに帰国した。
  • 1942年(昭和17年)6月ミッドウェー海戦によって正規空母4隻が失われたことによって、日本海軍は商船を空母に改造していった。
  • 日本側は空母赤城の代艦として空母グラーフ・ツェッペリンを希望したが、極東への回航は不可能とドイツ側に拒否された[16]
  • ドイツがグラーフ・ツェッペリンの代替として指定されたのが、神戸港に係留されていたシャルンホルストであった[16]
  • 日本政府の駐日ドイツ大使館との交渉によってドイツからシャルンホルストの売却の約束を取り付けた。
  • シャルンホルストを呉海軍工廠に回航し、1942年(昭和17年)9月から空母への改造工事が始まった。大和型戦艦4番艦「111号艦」の資材が流用されたという[16]
  • 1943年(昭和18年)12月シャルンホルストの空母への改造完了。「神鷹」と命名された。遠藤昭によると候補艦名として飛隼があったという[17]

艦歴[編集]

命名後呉鎮守府に編入されたが、その直後に1943年(昭和18年)11月に設立されたばかりの海上護衛総司令部属となり、船団護衛任務につくことになった。

竣工後、試験運転の際に機関系統のトラブルが相次ぎ、主缶のワグナーボイラーを日本海軍のボイラーである艦本式ロ号に切り替えるという再改修工事をおこなった。そのため就役は予定より大幅に遅れ、編入されたのが1944年(昭和19年)6月になった。

当初の機関はドイツ製で缶圧力45気圧、45000馬力×2基で24ノットの出力だが、当時の日本には主缶のワグナーボイラーを整備運用の能力がなく、日本製缶圧力38気圧、40000馬力×2基22ノットに低下し、合成風力の低下により新型の天山艦上攻撃機彗星艦上爆撃機の発艦が不能で、旧式の九七式艦上攻撃機九九式艦上爆撃機を使用となった。

就役後、第931航空隊の九七艦攻14機を搭載し、シンガポール航路の石油船団であるヒ船団の護衛に従事した。最初の護衛航海は、1944年7月14日に門司出航のヒ69船団(輸送艦船14隻)で、護衛の海防艦1隻が小破しただけでシンガポールへ到着した。折り返し、シンガポール8月4日発・門司8月15日着のヒ70船団(輸送船8隻)を無傷で護衛。さらに、門司9月8日発・シンガポール9月22日着のヒ75船団(輸送船11隻)とシンガポール10月2日発のヒ76船団(輸送船10隻)の護衛を担当し、わずかな損害のみで輸送を成功させた。これらの護衛作戦の間、本艦搭載機は数度の敵潜水艦撃沈を報じたが、アメリカ海軍に該当する喪失艦は無い[18]

最期[編集]

マニラ行きの軍隊輸送船とシンガポール行きのタンカーで編成されたヒ81船団の護衛の任務につき、1944年(昭和19年)11月13日九州伊万里湾から東シナ海を横断し、中国東岸の舟山列島の経由でマニラ・シンガポール方面へ向かった。ところが、対馬海峡付近でアメリカ軍の潜水艦群に船団の存在が完全に探知されてしまった。11月15日五島列島西の海上で陸軍特殊船あきつ丸が雷撃で撃沈された。

このため船団は危険を感じ途中で針路を変え、巨済島や済州島の島影に避泊しながら舟山列島を目指し航行を続けた。しかし、11月17日に陸軍特殊船の摩耶山丸が雷撃によって沈没した。

その日の23時7分に米バラオ級潜水艦スペードフィッシュが発射した魚雷6本のうち4本が「神鷹」の右舷に命中した。この魚雷の爆発によって航空機用燃料槽が爆発、大量のガソリンの爆発により大火災が発生し魚雷命中後30分で沈没した。「神鷹」の生存者は全乗組員1160名中わずか60名であった。

艦長[編集]

  • 石井芸江 大佐:1943年12月15日 - 1944年11月17日戦死(中将に特進。1944.10.15少将)[19]

公試成績[編集]

#日本空母物語p.318による。

年月日 種別 排水量(トン) 速力(ノット) SHP rpm
1943-11-01 公試全力(10/10) 21,148 21.965 26,000 130.3
1943-12-08 終末公試(10/10) 20,960 21.770 26,165 129.3

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4では、計画で20,500トンとされている。
  2. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.4では垂線間長168.00mとなっているが、転記ミスではないかと思われる。
  3. ^ #日本海軍史第7巻p.166で幅26.5mとなっているが、転記ミスではないかと思われる。
  4. ^ #日本航空母艦史p.86など、従来はロ号艦本式缶2基とされていた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k #日本航空母艦史p.86
  2. ^ a b c d e f g h i j k 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4
  3. ^ a b c #海軍造船技術概要p.295
  4. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 pp.47,66
  5. ^ #海軍造船技術概要p.281
  6. ^ #海軍艦艇史3p.331
  7. ^ a b c d 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.35
  8. ^ a b c d e #田村2008神鷹pp.164-166。
  9. ^ #日本空母物語p.318
  10. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.42
  11. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
  12. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.31
  13. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.47
  14. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.8
  15. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.46
  16. ^ a b c #海軍の選択pp.76-79
  17. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。
  18. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1971年、380-381頁。
  19. ^ 『艦長たちの軍艦史』66頁。『日本海軍史』第9巻、112頁。

参考文献[編集]

  • 相澤淳 『海軍の選択 再考 真珠湾への道』 中央公論新社、2002年12月。ISBN 4-12-003304-x
  • 海軍歴史保存会 『日本海軍史』第7巻、第9巻、海軍歴史保存会、1995年11月
  • 衣島尚一「商船改造空母史 その誕生と発達 その運用」、『艦船模型スペシャルNo.18 日本海軍商船改造空母』モデルアート12月号臨時増刊No.695、モデルアート社、2005年12月、 34-49頁。
  • 『世界の艦船増刊第95集 日本航空母艦史』、海人社、2010年12月
  • 外山操 『艦長たちの軍艦史』 光人社、2005年ISBN 4-7698-1246-9
  • 田村俊夫「改造空母「神鷹」の主缶換装の真相」、『睦月型駆逐艦』歴史群像太平洋戦史シリーズ64、学習研究社、2008年5月、 158-167頁。 ISBN 978-4-05-605091-2
  • 長谷川藤一 『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』 グランプリ出版、1998年12月(原著1997年9月)、第3刷。ISBN 4-87687-184-1
  • 福井静夫 『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』 KKベストセラーズ、1982年4月ISBN 4-584-17023-1
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第4巻 空母II』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年10月ISBN 4-7698-0454-7
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」

関連項目[編集]