神鷹 (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
神鷹
全力運転公試中の神鷹(1944年11月1日)[1]
全力運転公試中の神鷹(1944年11月1日)[1]
基本情報
建造所 デシマーク社(ブレーメン)[1]
改造:呉海軍工廠[1]
運用者  大日本帝国海軍
種別 航空母艦
経歴
進水 1934年12月14日
竣工 1935年4月30日[1]
就役 1943年12月15日空母への改装完了[1]
除籍 1945年1月10日[1]
最後 1944年11月17日沈没[1]
要目(計画)
基準排水量 計画 20,160トン[2]
17,500英トン[3]
公試排水量 計画 22,500トン[4][注釈 1]
実際 20,900トン[3][5]
満載排水量 23,925トン[4]
全長 198.34m[1] または198.64m[2]
水線長 約189.36m[2]
垂線間長 186.0m[6][注釈 2]
全幅 25.64m[1]
水線幅 25.60m[2][注釈 3]
深さ 24.35m(飛行甲板まで)[2]
飛行甲板 長さ:180.0m x 幅:24.5m[2]
エレベーター(12x13m)1基、(13x12m)1基[7]
吃水 8.18m (公試状態)[2]
機関 ターボ電気推進[1]
ボイラー 客船時:ワグナー式缶4基[8]
最終時:ロ号艦本式缶大2基、小1基[9][注釈 4]
主機 AEGタービン式発電機(10,000KW)2基[1][8]
主電動機2基[8]
推進 2軸 x 130rpm[8]
出力 26,000hp[2]
速力 計画 21.0ノット[2][3]
公試全力 21.965ノット[10]
燃料 2,760トン[2]
航続距離 計画 8,000カイリ / 18ノット[2]
8,500カイリ / 18ノット[9]
乗員 計画乗員 834名[11]
搭載能力 九一式魚雷 36本[12]
爆弾 800kg72個、250kg144個、60kg252個、30kg演習用72個[13]
飛行機用軽質油 200トン[14]
兵装 12.7cm連装高角砲4基[15]
25mm3連装機銃10基[15]
同 単装機銃12挺[9]
(爆雷)手動投下台1組[12]
九五式爆雷8個[12]
搭載艇 12m内火艇1隻、12m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船1隻[7]
搭載機 計画(常用+補用)[13]
零式艦上戦闘機9+3機
九七式艦上攻撃機18+3機
合計27+6機
レーダー 21号電探1基、13号電探1基、仮称電波探知機[9]
ソナー 水中聴音機1基[9]
テンプレートを表示

神鷹(しんよう)は、日本海軍航空母艦[16]太平洋戦争中期、日本(神戸港)に取り残されていたドイツの客船シャルンホルストを日本海軍が購入し、空母に改造した軍艦である[16][17]。日本海軍による書類上の分類は大鷹型航空母艦[18][19][注釈 5]

概要[編集]

空母神鷹は、日本海軍の航空母艦で第二次世界大戦勃発によりドイツに戻れず兵庫県神戸港に係留されていたドイツの客船シャルンホルストを、1942年(昭和17年)6月上旬ミッドウェー海戦で主力空母4隻を喪失した日本海軍が買収し空母に改造した[16][20]。ドイツ製機関部(高温高圧ボイラー、電気推進式)の取扱いが難しく、最終的に日本式のボイラーに交換[19]。客船から空母への改造には、機関換装を含め約1年3ヶ月を要した[21]。空母としては小型・低速であり、また日本海軍は空母用カタパルトを開発できなかった為、神鷹がアメリカ海軍の軽空母護衛空母のように最前線に投入されることはなかった[19][22]1944年(昭和19年)中盤に改造完了後、海上護衛隊に所属して輸送船団護衛に従事したが[19][21]、同年11月17日済州島沖でアメリカ軍潜水艦スペードフィッシュ魚雷攻撃によって沈没した[23][21]

艦歴[編集]

シャルンホルスト[編集]

写真は1935年に撮影された貨客船シャルンホルスト。

ドイツの大手海運会社である北ドイツ・ロイド汽船(en:Norddeutscher Lloyd、以下NDL)の貨客船として、ブレーメンのデシマグ社(DeSchiMAG en:Deutsche Schiff- und Maschinenbau)にて建造された。1930年初頭、NDL社は大西洋航路に大型客船2隻(ブレーメンオイローパ)を投入し好評を得てたが、太平洋航路では他社との競争が激化し、特に日本郵船は1万トン級貨客船(照国丸、靖国丸、浅間丸)を就役させていた[24]。NDL社はブレーメン号で得た経験をもとに、熱帯海域を通過して長距離航海を行う大型客船3隻(1万8000トン以上、平均速力21ノット、客船数300、大型貨物庫装備)の建造計画をまとめる[25]。これが本級3隻(シャルンホルストグナイゼナウポツダム)である[26]1933年(昭和7年)、NDL社はデシマーク・ウェーザー造船所に客船2隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ)、ハンブルクのブローム&フォス造船所に1隻(ポツダム)の建造契約を結んだ[26]。シャルンホルストの名称は、プロイセン王国軍人ゲルハルト・ヨハン・ダーヴィト・フォン・シャルンホルストに因んで名付けられた[27]

技術的には電気溶接の大幅な採用と、当時最新のAEG製発電機2基を搭載したターボ・エレクトリック駆動(電気推進)の採用が特徴である[17][26]。電気推進式は、シャルンホルストがドイツ客船として最初の採用となった[28]。船底は二重底構造[28]。2隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ)はマイヤー(Maier船型)だが、ポツダムは発注時別会社だったためバルバス・バウ(球状船首)を採用、艦型に若干の差異がある[20]。バルバス・バウは前述の客船ブレーメン(1928年進水、1929年竣工)で採用されていたが[29]、シャルンホルストはあえてマイヤー型を採用した。 機関もシャルンホルストはターボエレクトリック駆動だが、グナイゼナウは蒸気タービンである[17]1934年(昭和9年)12月14日に進水。ナチス・ドイツ政権下で誕生した最初の大型客船であったため、進水式にはナチス政権要人が列席した[17][注釈 6]

1935年(昭和10年)4月30日に竣工[30]。処女航海は各国の注目を集め、日本でも大きく報道された[30]。極東航路は17,000海里(31,484km)[31]。主な寄港地はハンブルク、ブレーメン、アントワープ、ロッテルダム、サウザンプトン、地中海沿岸大都市、スエズ運河、コロンボ、マラッカ海峡沿岸港、シンガポール、マニラ、香港、上海、横浜、神戸[32][33]。また同年竣工の姉妹船2隻(グナイゼナウ、ポツダム)も、順次ブレーメン-横浜間の極東定期航路に就航した。

一方日本郵船はシャルンホルスト級3隻に対抗する必要に迫られた[30]。欧州航路投入予定の新田丸級貨客船3隻(新田丸、八幡丸、春日丸)を日本海軍の援助で建造したが、この3隻は有事の際に空母に改造することを前提としている[34][35]。また新田丸級の要目と性能は、シャルンホルストに酷似していた[30]。 のちに新田丸級3隻は大鷹型航空母艦に改造され、春日丸が空母大鷹、八幡丸が空母雲鷹、新田丸が空母冲鷹となった[36][37]。同様の経緯で橿原丸級貨客船2隻(橿原丸、出雲丸)は隼鷹型航空母艦2隻(隼鷹飛鷹)に改造され、いずれも1942年(昭和17年)中に就役した[38][37]あるぜんちな丸級貨客船2隻(あるぜんちな丸ぶらじる丸)のうちぶらじる丸は米潜水艦に撃沈され(1942年8月5日)、あるぜんちな丸のみ空母海鷹となった[39]

1939年(昭和14年)8月16日シャルンホルストは神戸港を出港[40][41]、8月28日にマニラに寄港した後シンガポールへ向かっていた時にドイツからの暗号無電を受け、再びマニラ帰投[41]9月1日神戸港に戻った[40][41]。第二次世界大戦勃発によりドイツへ帰れなくなり、そのまま神戸港で係留された。浅間丸事件のように、イギリス海軍に拿捕される危険があった為という[20]。乗組員・乗客は当時まだ国交があったソ連シベリア鉄道を経由してドイツに帰国した[40]。 このあと、シャルンホルストは約3年間も神戸港に繋留・放置された[42]

要目(シャルンホルスト)[編集]

  • 総トン数:18,184総トン[43]
  • 全長:186m
  • 全幅:22.50m
  • 深さ:13.8m
  • 機関:ワグナー式缶4基、ターボ・エレクトリック2基2軸
  • 軸馬力:135,000馬力
  • 最高速力:21.0ノット
  • 乗客定員:311名(1等客156名、ツーリスト155名)
  • 乗員:264名
  • 所属:北ドイツ・ロイド社
  • 竣工:1935年4月30日

空母への改造[編集]

シャルンホルストが日本海軍に譲渡された正確な時期は不明である。1942年(昭和17年)春、ドイツ大使館は日本側にシャルンホルストの譲渡を申し入れた[42]。4月30日、呉鎮守府戦時日誌にシャルンホルストが徴用されていたことを示す記載がある[44][42]。 同年6月5日ミッドウェー海戦で日本海軍は正規空母4隻(赤城加賀蒼龍飛龍)を喪失した。日本側は赤城の代艦として空母グラーフ・ツェッペリンを希望したが、極東への回航は不可能とドイツ側に拒否された[45]。ドイツがグラーフ・ツェッペリンの代替として指定したのが、神戸港に係留されていたシャルンホルストであった[45]。日本政府の駐日ドイツ大使館との交渉によってドイツからシャルンホルストの売却の約束を取り付ける[注釈 7][20]福井静夫(海軍技術少佐)は、シャルンホルストの空母改造はドイツ側に実物見本を示すことにあったと回想している[46]。また日本海軍はドイツ本国に残された高速貨客船(グナイゼナウ、ポツダム、ブレーメン、オイローパ)の空母改造を要望し、「日本に回航してくれれば、日本海軍の手で空母に改造する」と提案している[34]。ドイツ側でもこれら商船の空母改造は検討されていたが、グラーフ・ツェッペリンを含め1隻も空母として就役する事はなかった[47]

6月12日、シャルンホルストは呉軍港に到着した[42]。1942年(昭和17年)9月(6月30日とも)から呉海軍工廠で空母への改造工事が始まった[48]。仮称「1004号」艦[42]。同時期、呉海軍工廠では冲鷹(新田丸)の空母改造と伊勢型戦艦1番艦伊勢航空戦艦改造を行っていた[48]。シャルンホルストにも大和型戦艦4番艦111号艦の資材が流用されたという[48][49]。シャルンホルスト級と新田丸級貨客船は艦型が酷似しているため、改造要領はほぼ同じだった[48]。艦橋は飛行甲板最前部下部に設けられ、フラットタイプ型の空母となった[49]。これは空母龍驤瑞鳳型航空母艦瑞鳳祥鳳龍鳳千歳千代田)と同様で、日本海軍小型空母の共通構造である[49][注釈 8]。神鷹の排水量は雲龍型航空母艦に匹敵し、船体の大きさから格納庫上下二層設置可能だったが、資材を節約し建造期間を縮めるため、大鷹型と同様に格納庫一層となった[48]。陸揚げされた客船時の艤装品は呉海軍工廠関係者の宿泊時に用いられた[48]

だが、神鷹は試験運転の際から機関系統のトラブルが続出していた[50][51]1943年(昭和18年)10月上旬から試験を開始[50]。故障と修理を繰り返し、11月1日に全力公試を実施(2万6000軸馬力、21.97ノット)[50][52]。12月8日に終末運転公試を行い、12月15日、シャルンホルストの空母への改造が完了[50]。日本海軍は正式に「シャルンホルスト」を「神鷹」と命名[16]大鷹型航空母艦に類別した[53]。 神鷹の試運転で適確な指導をおこなっていた石井藝二大佐も[23]、制式に神鷹艦長に任命される[54]。石井大佐は、空母鳳翔赤城副長を経て、春日丸(大鷹)艤装員長、橿原丸(隼鷹)艤装員長、冲鷹艤装員長等を歴任。客船改造空母の艤装員長を次々に担当し[23]、操艦に熟達していた[55]。 同日附で神鷹艤装員事務所も撤去された[56]。 竣工した神鷹は舞鶴鎮守府所属となり、警備艦に指定される[57]。 「神鷹(シンヨウ)」という艦名について、神鷹の改造に携わった福井静夫は元の艦名(シャルンホルスト)に基づいたものと推測している[19]遠藤昭によると候補艦名として飛隼があったという[58]

竣工後の神鷹は12月24日から30日まで因島船渠に入渠[59]、31日に呉に回航された[60]。 海軍に引き渡されたものの、審議会は実用に堪えない神鷹の機関換装を決定することとなる[52]。 結局、主缶のワグナーボイラーを日本海軍のボイラーに切り替えるという再改修工事をおこなった[61][51]広海軍工廠にあった実験用大型艦罐二基を流用することになり、飛行甲板・格納庫甲板等を切り開いて機関部を入れ替えた[52]。この工事に約三ヶ月を要し、1944年(昭和19年)3月に使用可能となった[52]舞鶴海軍工廠では神鷹の機関部の予備品を準備していたが、無駄になったという[61]。福井静夫は『換言すれば、われわれは盟邦ドイツの技術の優秀さにとうていついて行けなかったともいえる。』と回想している[50]。ただし、ワグナー缶を搭載したドイツ駆逐艦は頻繁に故障を起こしており、このボイラーそのものが欠陥を抱えていた可能性も指摘される[62]。 またアメリカ海軍の艦艇で広く採用されていた電気推進(ターボ・エレクトリック式)の機関も、日本海軍では神鷹以外に水上機母艦神威(アメリカに発注・建造艦)しか実績がなく、機関科は戸惑う事になった[62]

シャルンホルスト時代は最大発揮速力は約23ノット可能だったが、上述のように日本式ボイラーへの換装、飛行甲板や武装の設置による復元性の悪化から両舷にバルジを設けた結果、重量と水中抵抗の増大により速力も21-22ノットに低下した[51]。合成風力の低下により新型の天山艦上攻撃機彗星艦上爆撃機の発艦が不能で、旧式の九七式艦上攻撃機九九式艦上爆撃機を使用となった[51][63]。飛行機搭載数は常用27機・補用機6の合計33機で大鷹型5隻(大鷹、雲鷹、冲鷹、海鷹、神鷹)の中では最も多かった[51]

船団護衛任務[編集]

神鷹が竣工する約一ヶ月前の1943年(昭和18年)11月15日、日本海軍は海上交通保護および対潜掃蕩を主任務とする海上護衛総司令部を設置した[64][65]。 主要職員は、司令長官及川古志郎海軍大将、参謀長島本久五郎少将、首席参謀後藤光太郎大佐、作戦参謀大井篤中佐等[66][67]。 神鷹竣工と同日(12月15日)、日本海軍はシーレーン防衛飛行隊として第九〇一海軍航空隊(司令上田俊二中佐)を編成した[68][69]。また同日附で大鷹型空母3隻(大鷹、雲鷹、冲鷹)は海上護衛総司令部部隊に編入[70][71]。 12月20日附で神鷹も海上護衛総司令部附属に編入された[70][72]

1944年(昭和19年)1月8日、空母2隻(神鷹、海鷹)、吹雪型駆逐艦3隻(薄雲)はシンガポールに向け呉を出発したが、神鷹の機関故障により佐伯市(大分県)に仮泊した[73]。神鷹は呉に回航され[74]、シンガポールには3隻(海鷹、電、響)のみが向かった[75]。 連合艦隊は神鷹と薄雲および夕雲型駆逐艦玉波に輸送任務を命じた[76]。 1月19日、トラック泊地から横須賀に向け帰投中の空母雲鷹が米潜水艦の雷撃で大破した[77]。同日、神鷹は徳山沖で試運転を行うが、21日に呉へ回航された[78][79]。結局、駆逐艦2隻(薄雲、玉波)も別任務に投入されている[80]

2月1日、護衛空母の飛行機隊の訓練・整備を担当する部隊として、第九三一海軍航空隊(司令大塚秀治中佐)が編成された[81][82]。 2月11日、神鷹の修理完了[83]。 3月以降、修理・訓練を終えた大鷹型空母各艦は、順次南西方面航路の護衛に投入された[84]。 3月25日、呉練習戦隊に所属していた香取型練習巡洋艦2隻(鹿島香椎)より香椎が海上護衛総司令部部隊に編入された[85][86][87]。 神鷹は6月29日に第九三一海軍航空隊の九七艦攻14機を搭載[62]。瀬戸内海で着艦訓練を実施(1機を事故で喪失)[62]。 7月6日附で第一海上護衛司令官の作戦指揮下に入った[84][88][89]

その後、神鷹はシンガポール航路の石油船団であるヒ船団の護衛に従事した[90]。最初の護衛航海は、1944年(昭和19年)7月14日に門司出航のヒ69船団(輸送艦船14隻)だった[90][91]。同行する空母3隻(大鷹、海鷹、神鷹)のうち対潜哨戒機を搭載していたのは神鷹のみである(大鷹、海鷹は航空機輸送任務)[92][93]。 旗艦は香取型練習巡洋艦3番艦香椎(指揮官、第五護衛船団司令官吉富説三少将)[注釈 9][94]、護衛部隊は6隻(香椎、神鷹、千振、佐渡、海防艦七号、十七号)[90]。 7月18日、十七号海防艦が米潜水艦の雷撃で小破[91]、高雄市(台湾)に回航された[93]。他に被害はなく、20日マニラ(フィリピン)着[90][91]。ここで輸送用航空機を陸揚げした空母2隻(大鷹、海鷹)は分離[93]。ヒ69船団は海防艦2隻(十三号、十九号)を加えて25日出港、31日にシンガポールへ到着した[90][95]。航海中の16日午後、神鷹の搭載機が敵潜水艦を発見し護衛艦2隻(佐渡、七号)がこれを撃沈したとの報告があるが、対応する米潜水艦はいない[90][93]

8月2日南西方面艦隊は損傷修理のため内地に帰投させる予定の軽巡洋艦北上マニラ停泊中)をヒ70船団に同航させたいと申し入れた[96]。第五護衛船団司令官は台湾海峡を通過すると通告[97]。そこで加瀬三郎北上艦長は、同艦をヒ70船団に途中合流させる旨を報告した[98]8月4日8月5日)、ヒ70船団は護衛艦(巡洋艦《香椎》、空母《神鷹》、秋月型駆逐艦《霜月[99]、海防艦《千振、佐渡、第十三号、十九号》)[100][101]とタンカー8隻でシンガポールを出発[102][95]。 途中でマニラから来た軽巡北上を加え[103]8月15日に門司へ戻った[95][104]。神鷹は呉へ[105]、北上は佐世保へ[注釈 10]、霜月は横須賀へ[106]、それぞれ回航された。 なお8月12日に海防艦2隻(佐渡、13号)と神鷹の搭載機が米潜水艦撃沈を報告しているが、対応する艦は存在しなかった[102][107]

8月18日、ヒ71船団を護衛していた空母大鷹が米潜水艦の雷撃により撃沈された[108][109]。 神鷹と香椎が呉海軍工廠で修理・整備中の8月20日[110]、日本海軍は旧第三水雷戦隊の戦力を基幹として、対潜掃蕩を主任務とする第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将)を編成、連合艦隊に編入した[111]。従来の第三水雷戦隊司令部(司令官中川浩少将)はサイパン島の戦いで全滅していたのである[111]。整備を終えた神鷹も第三十一戦隊と行動を共にする[112]

9月上旬、神鷹の整備が終了[113]、神鷹は第八護衛船団司令官佐藤勉少将を指揮官とするヒ75船団に加わる[102][114]。編成は、護衛部隊(神鷹、第30駆逐隊《夕月卯月》、海防艦3隻《三宅、満珠、干珠》)[102][114]、加入船舶(水上機母艦《秋津洲》、西貢丸浅間丸、雄鳳丸、良栄丸、日栄丸、万栄丸、あまと丸、東邦丸せりあ丸[115][116]9月8日、ヒ75船団はシンガポールを目指して日本本土(門司)を出撃[102][117]

9月11日午前9時、駆逐艦夕月と神鷹搭載機が米潜水艦撃沈を報告したが、対応艦はなかった[102][114]。また神鷹搭載機が着艦に失敗して海中に転落、搭乗員は三宅に救助された[118]。 9月12日夕刻に浅間丸は台湾基隆市へ向かい[119]、残るヒ75船団は9月13日に高雄市へ到着した[120][121]。 9月14日、護衛艦3隻(海防艦18号、水雷艇、第28号掃海艇)[120]と油槽船3隻(富士山丸、黒潮丸、大邦丸)を加えて出港する[122]。 9月17日、水上機母艦秋津洲と特設巡洋艦西貢丸、司令澤村成二大佐指揮下の第30駆逐隊(夕月、卯月)はヒ75船団から分離してフィリピンマニラ港へ向かうが[123][120]、このあと西貢丸は米潜水艦に撃沈され、秋津洲はコロン島(コロン湾)で空襲を受け撃沈された。なお空母雲鷹もヒ74船団護衛中の同日(9月17日)、米潜水艦の雷撃で撃沈された[124][125]。 9月22日、ヒ75船団はシンガポールに到着[102][126]。シンガポール停泊中、神鷹搭載の九七式艦上攻撃機はマラッカ海峡ペナン沖で対潜掃蕩作戦を実施したが、戦果はなかった[114]

続いて神鷹はシンガポール発のヒ76船団を護衛する[92][127]。護衛艦(神鷹、倉橋、三宅、干珠、満珠、二八号、鵯)[128]、加入船舶(常北丸、黒潮丸、東邦丸、冨山丸、タラカン丸、日栄丸、良栄丸、君川丸、せりあ丸)[129]。10月2日、ヒ76船団はシンガポールを出撃[102]。途中、元特設水上機母艦君川丸[102]が米潜水艦ベクーナ (USS Becuna, SS/AGSS-319)の雷撃で損傷した。沖縄空襲(十・十空襲)や台湾沖航空戦を避けるため10月11日より三亜港海南島)に避退・待機[127]。15日(16日)に出発するが、アメリカ軍機動部隊のフィリピン空襲を受けて海南島に引き返した[127]。18日、あらためて海南島を出港[127]。一部部隊(倉橋、二八号、日栄丸、良栄丸)等はリンガ泊地に在泊していた第一遊撃部隊(指揮官栗田健男第二艦隊司令長官、旗艦愛宕)の命令により船団から分離、三亜港にとどめられた[129][127]。 10月22日、台湾海峡南岸でB-24爆撃機の触接を受け神鷹は船団から分離して先行、残る船団(帝北丸、新東邦丸、黒潮丸)等は馬公市に退避した[130]。24日六連(山口県)を経て25日佐伯市(九州大分県)に到着した[131]。搭載14機のうち、航海中に3機を喪失している[127]。 神鷹は10月26日から11月6日まで呉海軍工廠で修理を実施した[132][133]

11月中旬、神鷹はマニラ行きの軍隊輸送船とシンガポール行きのタンカーで編成されたヒ81船団の護衛任務に従事する[134][135][136]。指揮官は第八護衛船団司令官佐藤勉少将、護衛艦(海防艦《対馬、択捉、昭南、久米、大東、九号、六一号》、空母《神鷹》、松型駆逐艦《》)[134][137]、加入船(聖川丸《旗艦》、摩耶山丸、吉備洋丸、あきつ丸、神洲丸、タンカー《音羽山丸、東亜丸、みりい丸、ありた丸、橋立丸》)[135][138]。当事の神鷹乗組員定員は948名で、便乗者推定約1200名が乗艦した[139]

1944年(昭和19年)11月13日、ヒ81船団は門司を出撃した[134]。神鷹は船団最後尾につき、駆逐艦樫が直衛についた[140]大井篤によれば、石井(神鷹艦長)は僚艦(大鷹、雲鷹)の仇を討ちに行くと意気込んでいたという[141]九州伊万里湾から東シナ海を横断し、中国東岸の舟山列島の経由でマニラ・シンガポール方面へ向かった[92]。ところが、対馬海峡付近でアメリカ軍の潜水艦群に完全に探知されてしまった[92][140]11月15日五島列島西の海上で陸軍特殊船あきつ丸四式肉薄攻撃艇約100隻積載)[135]が米潜水艦クイーンフィッシュ(USS Queenfish, SS/AGSS-393)の雷撃で撃沈された[134][140]。沈没地点北緯33度17分 東経128度11分 / 北緯33.283度 東経128.183度 / 33.283; 128.183[142]。 このため船団は危険を感じ途中で針路を変え、巨済島や済州島の島影に避泊しながら舟山列島を目指し航行を続けた[140][143]。 だが再びアメリカ軍の大型機に遭遇、通報される[141]。神鷹は高角砲射撃を行うが命中しなかった[144]

11月17日18時12分、陸軍特殊船摩耶山丸北緯32度17分 東経124度45分 / 北緯32.283度 東経124.750度 / 32.283; 124.750地点で[134][145]、米潜水艦ピクーダ (USS Picuda, SS-382) の雷撃に遭い沈没した[146]。当事、夜間となり神鷹搭載の九七艦攻は着艦を余儀なくされていた[146]。 23時、船団より神鷹に『右45度、怪シキ黒影見ユ』の連絡があり、神鷹は樫に『45度、敵潜水艦ラシキモノ見ユ、掃討セヨ』を発信した[147]。 ところが23時5分、米バラオ級潜水艦スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) が発射した魚雷6本のうち4本[注釈 11]が神鷹の右舷に命中した[146][148]。この魚雷の爆発によって航空機用燃料槽が爆発、大量のガソリンの爆発により大火災が発生[149]。被雷から約10分後、神鷹の石井艦長は総員退去を命令した[150]。 退艦命令発令から約20分後、神鷹は艦尾から沈没した[151]。沈没地点記録北緯32度59分 東経123度18分 / 北緯32.983度 東経123.300度 / 32.983; 123.300[134][137]。もしくは北緯33度02分 東経123度38分 / 北緯33.033度 東経123.633度 / 33.033; 123.633[152]。神鷹の生存者は61名、戦死認定は1165名であった[153]

1945年(昭和20年)1月10日、神鷹は 大鷹型航空母艦[154]、 帝国軍艦籍籍[155] のそれぞれから除籍された。

艦長[編集]

  • 石井芸江 大佐/少将:1943年12月15日[54] - 1944年11月17日戦死(中将に特進。1944.10.15少将)[156]

公試成績[編集]

#日本空母物語p.318による。

年月日 種別 排水量(トン) 速力(ノット) SHP rpm
1943-11-01 公試全力(10/10) 21,148 21.965 26,000 130.3
1943-12-08 終末公試(10/10) 20,960 21.770 26,165 129.3

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4では、計画で20,500トンとされている。
  2. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.4では垂線間長168.00mとなっているが、転記ミスではないかと思われる。
  3. ^ #日本海軍史第7巻p.166で幅26.5mとなっているが、転記ミスではないかと思われる。
  4. ^ #日本航空母艦史p.86など、従来はロ号艦本式缶2基とされていた。
  5. ^ 便宜上、日本海軍が商船改造空母を『大鷹型』に分類したものであり、実際の同型艦は3隻(大鷹・雲鷹・冲鷹)
  6. ^ 大内健二は、アドルフ・ヒトラー総統、ヘルマン・ゲーリング国家元帥、エーリヒ・レーダー海軍元帥が列席したとしている。
  7. ^ 福井静夫によれば、戦争終結後、ドイツに船価の2倍を支払う約束だったという。
  8. ^ 改鈴谷型重巡洋艦改造空母伊吹を除く。同艦は小型島型艦橋を装備。
  9. ^ 太平洋戦争開戦時の第四潜水戦隊司令官。軽巡鬼怒に乗艦し、蘭印作戦に従事する。
  10. ^ 加瀬(北上艦長)は佐世保帰投後の8月29日、給糧艦間宮特務艦長へ転任。12月20日沈没時に戦死。
  11. ^ 魚雷命中は3本との生存者回想あり。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k #日本航空母艦史p.86
  2. ^ a b c d e f g h i j k 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4
  3. ^ a b c #海軍造船技術概要p.295
  4. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 pp.47,66
  5. ^ #海軍造船技術概要p.281
  6. ^ #海軍艦艇史3p.331
  7. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.46
  8. ^ a b c d 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.35
  9. ^ a b c d e #田村2008神鷹pp.164-166。
  10. ^ #日本空母物語p.318
  11. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.42
  12. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
  13. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.31
  14. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.47
  15. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.8
  16. ^ a b c d #達昭和18年12月p.30『達第三百十一號 汽船「シャルンホルスト」呉海軍工廠ニ於テ改造中ノ處完成ニ付左ノ通命名セラル 昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 神鷹(シンヨウ)』
  17. ^ a b c d #護衛空母入門137-139頁『ドイツ客船シャルンホルストの改造方法』
  18. ^ #編制(昭和19年1月31日現在)p.4『艦艇類別等級別表|軍艦|航空母艦|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹』
  19. ^ a b c d e #日本空母物語105-107頁『戦列についた「鷹型」空母陣』
  20. ^ a b c d #日本空母物語313-314頁『神鷹(1)来航中の独商船を買収』
  21. ^ a b c #日の丸ドイツ船97頁
  22. ^ #護衛空母入門116,127-131頁
  23. ^ a b c #日本空母物語323-324頁『(4)苦難の改造完成と名艦長石井提督』
  24. ^ #日の丸ドイツ船41頁
  25. ^ #日の丸ドイツ船42-43頁
  26. ^ a b c #日の丸ドイツ船43頁
  27. ^ #日の丸ドイツ船64頁
  28. ^ a b #日の丸ドイツ船49-50頁
  29. ^ #日の丸ドイツ船39頁『第11図ブレーメン号の球状船首(バルバス・バウ)』
  30. ^ a b c d #日の丸ドイツ船53-55頁
  31. ^ #日の丸ドイツ船61頁
  32. ^ #日の丸ドイツ船62頁『第1図 1930年代の極東航路』
  33. ^ #日の丸ドイツ船193頁『第19章シャルンホルスト号の航海その1』
  34. ^ a b #日本空母物語298-299頁
  35. ^ #護衛空母入門116-120頁『新田丸型客船三隻の誕生と改造方法』
  36. ^ #日本空母物語307-308頁『大鷹型(大鷹・雲鷹・冲鷹』
  37. ^ a b #日の丸ドイツ船95頁
  38. ^ #日本空母物語87-89頁『海の女王から変身した大型空母』
  39. ^ #日本空母物語324-326頁『海鷹』
  40. ^ a b c #護衛空母入門142-143頁
  41. ^ a b c #日の丸ドイツ船79-80頁(昭和14年9月2日大阪朝日新聞『ドイツ船神戸に釘づけ』)
  42. ^ a b c d e #日の丸ドイツ船103頁
  43. ^ #日の丸ドイツ船45頁および54頁要目による)
  44. ^ #S1704呉鎮日誌(8)p.30『三〇(天候略)二.官房機密第五〇七八號訓令ニ依ル徴傭船シャルンホルイト整備方指示ス』
  45. ^ a b #海軍の選択pp.76-79
  46. ^ #日本空母物語90-91頁『設計図のみのヒトラーの空母』
  47. ^ #日本空母物語93-94頁
  48. ^ a b c d e f #日本空母物語314-316頁『(2)改造要領』
  49. ^ a b c #護衛空母入門144-145頁
  50. ^ a b c d e #日本空母物語316-318頁『(3)トラブル続出の高温高圧罐』
  51. ^ a b c d e #護衛空母入門146-147頁
  52. ^ a b c d #日本空母物語319-323頁『神鷹運転時などの故障その他について』
  53. ^ #内令昭和18年12月(3)p.22『内令第二千七百八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦、航空母艦瑞鳳型ノ項中「龍鳳」ノ下ニ「、千歳、千代田」ヲ、同大鷹型ノ項中「冲鷹」ノ下ニ「、神鷹」ヲ加フ|同水上機母艦ノ部中「、千歳、千代田」ヲ削ル|驅逐艦、一等初雪型ノ項中「、夕霧」ヲ削ル』
  54. ^ a b 昭和18年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1281号 p.34』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  55. ^ #日の丸ドイツ船132頁
  56. ^ 昭和18年12月27日(月)海軍辞令公報(部内限)第4576号 p.16』 アジア歴史資料センター Ref.C12070482700 『○事務所撤去 神鷹艤装員事務所ハ十二月十五日之ヲ撤去セリ』
  57. ^ #内令昭和18年12月(3)p.10『内令第二千六百九十九號 軍艦 神鷹 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 神鷹 右警備艦ト定メラル 昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  58. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。
  59. ^ #S1811海護総司令部(1)p.22『二四(略)海上交通保護竝ニ對潜作戰ニ關スル定例研究會雲鷹横須賀ニ向ケ「トラツク」發|神鷹因島船渠ニ入渠』
  60. ^ #S1811海護総司令部(1)p.23『三〇(略)神鷹因島第八船渠出渠』-『三一(略)神鷹呉着』
  61. ^ a b #舞廠造機部277頁
  62. ^ a b c d #木俣空母688-689頁『神鷹の機関不調』
  63. ^ #護衛空母入門184-185頁『日本の場合』
  64. ^ #S1811海護総司令部(1)pp.2-3『(ロ)我軍ノ情況(一)海上交通保護及對潜作戰強化ノ爲昭和十八年十一月十五日附東京ニ解呪護衛總司令部設置セラレ第一、第二海上護衛隊ヲ直属シ海上交通保護及對潜作戰ニ關シ各鎮守府各警備府(海南警備府ヲ除)司令長官ヲ指揮スルコトトナリ同日海軍大學校ニ将旗ヲ掲揚セリ』
  65. ^ #叢書46海上護衛戦301-303頁『海上護衛総司令部の設置』
  66. ^ #S1811海護総司令部(1)p.7『(一)司令部(イ)主要職員氏名』
  67. ^ 昭和18年11月17日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1263号 pp.41-43』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094400 
  68. ^ 昭和18年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1281号 p.34』 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  69. ^ #叢書46海上護衛戦307-308頁『第九〇一海軍航空隊の編成』
  70. ^ a b #叢書46海上護衛戦309-311頁『護衛空母の海上護衛総司令部部隊編入』
  71. ^ #S1811海護総司令部(1)p.19『一五(略)雲鷹海鷹大鷹 第九〇一海軍航空隊ヲ當司令部部隊附属部隊ニ編入セラル』
  72. ^ #S1811海護総司令部(1)p.21『二〇(略)神鷹、附属部隊ニ編入セラル/駆逐艦芙蓉船團護衛中本日〇九一五北緯一四-一一六度東経一一九-五八ニ於テ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ沈没』
  73. ^ #S1811海護総司令部(1)p.33『八(略)〇八三〇海鷹神鷹(電響薄雲)昭南ニ向ケ呉發 神鷹機械故障ノ爲右他艦共佐伯ニ假泊』
  74. ^ #S1811海護総司令部(1)p.33『九(略)神鷹佐伯發呉ニ回航』
  75. ^ #S1811海護総司令部(1)p.34『一二(略)海鷹(電、響)一三〇〇佐伯發』
  76. ^ #S1809一水戦日誌(1)p.21、#S1812二水戦日誌(3)p.44『十三日(長官)GF|十三日二〇三〇神鷹(長官)GKF(長官)2F(長官)3KF(司令官1sd)|GF機密第一三一五三〇番電 GF電令作第八九五號 神鷹艦長ハ薄雲玉波ヲ併セ指揮シ一月二十日頃呉發電令作第八七〇號ニ依ル任務ニ従事スベシ』
  77. ^ #S1811海護総司令部(1)p.35『一九(略)雲鷹一〇三〇北緯一二度五二分東經一四六度二六分ニ於テ敵潜ノ雷撃(三本)ヲ受ケ前部弾庫ヨリ前方浸水機械使用可能「サイパン」ニ向ケ自力(四節)航行/神鷹試運轉ノ爲呉發徳山假泊』
  78. ^ #S1811海護総司令部(1)p.36『二一(略)一三〇〇海鷹(電、響)昭南着/神鷹徳山發呉ニ回航』
  79. ^ #S1809一水戦日誌(1)p.27、#S1812二水戦日誌(3)p.62『二十一日神鷹(宛略)一一〇〇徳山沖發一七三〇呉着ノ予定玉波ハ徳山薄雲ハ桂島沖ニテ待機』
  80. ^ #S1812二水戦日誌(3)p.11『玉波 前月ニ引続キ呉ニテ修理整備中/十七日出撃準備完成/十九日呉発徳山着/二十五日徳山発/二十六日横須賀着/二十九日瑞鳳千代田高雄護衛横須賀発』
  81. ^ 昭和19年2月1日(発令2月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1310号 p.6』 アジア歴史資料センター Ref.C13072095600 
  82. ^ #叢書46海上護衛戦312-313頁『第九三一海軍航空隊の発足』
  83. ^ #S1811海護総司令部(1)p.51『一一(略)神鷹修理工事完了』
  84. ^ a b #叢書46海上護衛戦378頁『護衛空母による護衛』
  85. ^ #S1901呉鎮日誌(3)p.6『(二)麾下艦船(特設ヲ含ム)ノ行動』
  86. ^ #S1901呉鎮日誌(3)p.51『二五(天候略)戰時編制改定香椎ヲ呉練戰ヨリ除キ海護總司令部部隊ニ編入/伊號第百六十二潜水艦ヲ呉防戰ニ編入』
  87. ^ #S1811海護総司令部(2)p.5『(三)南西方面航路ノ護衛強化ヲ期シ特設空母海鷹ヲ一海護衛司令部ニ編入又香椎ヲ海上護衛總司令部部隊附属部隊ニ編入セラレタリ』
  88. ^ #S1906第1海上護衛隊(2)p.4『七月六日|神鷹當隊作戰指揮下ニ入ル』
  89. ^ #S1811海護総司令部(3)p.51『六(略)神鷹ヲ第一海上護衛隊ニ編入ス』
  90. ^ a b c d e f #叢書46海上護衛戦380-381頁『神鷹(旧獨商船シャルンホルスト号)』
  91. ^ a b c #S1906第1海上護衛隊(2)p.28『別表第二 船団護衛状況(馬來直航々路)昭和十九年七月 第一海上護衛隊司令部』
  92. ^ a b c d #護衛空母入門258-260頁『「神鷹」』
  93. ^ a b c d #木俣空母690-691頁
  94. ^ #S1811海護総司令部(3)p.53『一三(略)「ヒ六九」船團(第五護衛船團司令官香椎神鷹其他)一六〇〇六連發/大鷹海鷹輸送任務ヲ帯ビ「マニラ」迄右船團ト同行』
  95. ^ a b c #木俣空母692頁
  96. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.53『二日一一四六GKF参謀長|二日一四五五香椎(16S司令官 1KEg)第五船団護衛司令官|北上應急修理完成近日「マニラ」発佐世保ニ同航ノ予定ノ所常用シ得ル速力一五節以下ナルヲ以テ適當ナル船団ニ續行セシメ度 今ノ處ヒ七〇(香椎)船団ヲ最適当ト認メラルルニ就テ貴団ノ都合竝ニ行動予定至急知ラサレ度』
  97. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.55『二日一八三五 五護衛船団司令官|二日二〇〇〇GKF長官 16S 1KEg各司令官|五日午前昭南発佛印東岸台湾海峡ヲ経テ門司直航速力十一節予定 航路(「ルソン」海峡ヲ避ケ極力西寄ニ選ブ)続報』
  98. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.59『六日一八一七北上艦長(宛略)本艦左ニ依リ佐世保ニ回航ノ予定 一.九日〇五〇〇「マニラ」発十日一三〇〇頃N一七-五五E一一六-一五附近ニ於テ「ヒ七〇」船団ト合同 爾後同船団ト同航十六日一三〇〇佐世保着(以下略)』
  99. ^ #S1907十戦隊日誌(2))p.37『五(天候略)?霜月ヒ七〇船団護衛横須賀ニ向ケ昭南発/一〇〇〇浦風昭南ニテ出渠』
  100. ^ #S1908第1海上護衛隊(1)p.45『別表第二 舩団護衛状況(馬來直航々路)昭和十九年八月 第一海上護衛隊司令部』
  101. ^ #S1811海護総司令部(4)p.12『五(略)「ヒ七〇」船團八隻香椎(五ES旗艦)神鷹霜月千振佐渡第一三、一九號海防艦四日二一〇〇昭南發』
  102. ^ a b c d e f g h i #叢書46海上護衛戦381頁『(二)ヒ七〇船団、(三)ヒ七五船団、(四)ヒ七六船団』
  103. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.41『北上ハ九日「マニラ」發高速船團ニ加入シテ十四日佐世保着爾後本修理ニ従事中ナリ』
  104. ^ #S1907十戦隊日誌(2))p.4『(ハ)第四十一駆逐隊 冬月内地方面霜月「リンガ」方面ニアリテ夫々訓練警戒待機ニ従事中ノ所霜月四日「リンガ」発昭南着ヒ七〇船團護衛五日同地発横須賀ニ回航同隊十日附第七基地航空部隊ニ編入爾後ノ経過當司令部ト別動中ニ付詳細不明(同艦戦時日誌参照)』
  105. ^ #S1908第1海上護衛隊(1)pp.23-25『(四)麾下艦船部隊ノ行動(其ノ二)』
  106. ^ #S1907十戦隊日誌(2))pp.25-26『一七 一六〇一雲龍(宛略)雲龍機密第一七一六〇一番電 霜月横須賀着』
  107. ^ #S1811海護総司令部(4)p.14『一二(略)〇八〇〇北緯二六度一九分東経一二二度三三分ニ於テヒ七〇船團部隊中神鷹飛行機敵潜ヲ發見佐渡及十三號海防艦ト協同攻撃効果概ネ確實』
  108. ^ #叢書46海上護衛戦380頁『(三)ヒ七一船団』
  109. ^ #S1908第1海上護衛隊(1)p.6『(ハ)大鷹ヒ七一船団(八月一七日馬公発「マニラ」行)ヲ護衛一八日夜呂栄距岸三浬ヲ南下中二二二五北緯一八度一二分東経一二〇度二二分ニ於テ敵潜水艦ノ攻撃ヲ受ケ沈没セリ』
  110. ^ #S1908第1海上護衛隊(1)p.10『神鷹|自八月十七日至八月三十一日|呉海軍工廠|舩体兵器機関整備』-『香椎|自八月十九日至八月二十四日|仝右|仝右』
  111. ^ a b #叢書46海上護衛戦330-332頁『第三十一戦隊の編成』
  112. ^ #三宅戦記93-95頁『ヒ七五船団護衛、空母神鷹とシンガポールへ』
  113. ^ #S1908第1海上護衛隊(2)p.11『神鷹|自九月一日至九月三日|仝右|仝右』
  114. ^ a b c d #木俣空母703-704頁『神鷹機、インド洋で英潜水艦狩り(九月)』
  115. ^ #三宅戦記96頁(秋津川ではなく秋津洲)
  116. ^ #S1906第30駆日誌(2)pp.64-65『一九.七.一一半晴一〇三〇|ヒ七五船團(船團十一隻護衛艦神鷹夕月卯月満珠干珠三宅)第八護衛船團司令官指揮ノ下ニ九月八日門司発昭南ニ向ケ航行中(速力十二節之字運動T法實施)神鷹発進ノ直衛機三〇〇〇度方向ニ敵潜発見』
  117. ^ #S1906第30駆日誌(1)p.10『九月八|航海中|ヒ七五船團護衛門司發伊万里着』
  118. ^ #海防艦三宅戦記100頁
  119. ^ #S1906第30駆日誌(2)p.6『一二(天候略)一七四〇淺間丸ヲ分離ス』
  120. ^ a b c #海防艦三宅戦記101頁
  121. ^ #S1906第30駆日誌(1)p.10『九月十三|航海中|ヒ七五船團護衛高雄入港』
  122. ^ #S1906第30駆日誌(2)p.22『十二日一二二〇運航指揮官(雄鳳丸)|船團|第二警戒航行隊形ヲ左ノ通リ定ム/左側列第一第二分團神鷹右側列第三四分團/日榮丸新加入船(黒潮丸富士山丸大邦丸)ヲ第四分團トス』
  123. ^ #S1906第30駆日誌(1)p.11『九月十七|航海中|ヒ七五船團ト分離西貢丸船団護衛「マニラ」ニ向フ』
  124. ^ #叢書46海上護衛戦382頁『雲鷹(旧名八幡丸)』
  125. ^ #S1908第1海上護衛隊(2)p.6『雲鷹ハ十一日ヒ七四舩団ヲ護衛昭南発門司ニ向ケ航行中十七日〇〇四二敵潜ノ雷撃二本再ビ〇二二〇雷撃一本ヲ受ケ沈没セリ』
  126. ^ #S1811海護総司令部(4)p.30『二二(略)「ヒ七五」船団一二隻海防艦干珠満珠三宅神鷹夕月卯月(鵯CD28途中加入)一七〇〇昭南着』
  127. ^ a b c d e f #木俣空母705-706頁
  128. ^ #S1908第1海上護衛隊(3)p.55『別表第二 舩団護衛状況(馬來直行航路)昭和十九年十月 第一海上護衛隊司令部』
  129. ^ a b #海防艦三宅戦記103-105頁『捷号作戦発動、第二遊撃部隊へ緊急補給』
  130. ^ #日の丸ドイツ船117頁
  131. ^ #S1908第1海上護衛隊(3)pp.23-25『(五)麾下艦船部隊ノ行動(其ノ一)』
  132. ^ #S1908第1海上護衛隊(3)p.9『海鷹|自十月一日至十月十七日|呉海軍工廠|舩体、兵器、機関ノ修理整備』-『神鷹|自十月二十六日至十月三十一日|仝右|仝右』
  133. ^ #S1908第1海上護衛隊(4)p.12『神鷹|自十一月一日至十一月六日|呉海軍工廠|三、四号主給水「ポンプ」修理』
  134. ^ a b c d e f #叢書46海上護衛戦381-382頁『(五)ヒ八一船団』
  135. ^ a b c #木俣空母817-819頁『神鷹の沈没(十一月十七日)第二十三師団の海上輸送』
  136. ^ #S1908第1海上護衛隊(4)p.8『(8)神鷹被雷沈没 神鷹ハヒ八一船団ヲ護衛昭南ニ向ケ航行中十七日敵潜ノ雷撃ヲ受ケ沈没セリ』
  137. ^ a b #S1908第1海上護衛隊(4)p.52『別表第三 舩団護衛状況 昭和十九年十一月 第一海上護衛隊司令部』
  138. ^ #日の丸ドイツ船117頁(第3回出撃)
  139. ^ #日の丸ドイツ船138頁
  140. ^ a b c d #木俣空母820-821頁
  141. ^ a b #海上護衛戦(角川)353-354頁(大井は神鷹のヒ81船団護衛が初陣としてるが、誤認)
  142. ^ #日の丸ドイツ船124頁
  143. ^ #敵潜被害一覧図(1)p.32
  144. ^ #日の丸ドイツ船139頁
  145. ^ #S1908第1海上護衛隊(4)p.48『被害舩舶名 敵潜ニ依ル被害』
  146. ^ a b c #木俣空母822-823頁
  147. ^ #日の丸ドイツ船140頁
  148. ^ #日の丸ドイツ船122頁("丸"昭和50年3月号、青い目の見たニッポン軽空母7隻の最後)
  149. ^ #日の丸ドイツ船130頁(生存者、元海軍中尉江口一男氏手記)
  150. ^ #日の丸ドイツ船141,162頁
  151. ^ #日の丸ドイツ船163頁『(3)退艦、漂流』
  152. ^ #日の丸ドイツ船119、142頁
  153. ^ #日の丸ドイツ船142頁(久米19名、樫42名)
  154. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中「八十島」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、秋風」ヲ、同「卯月型 卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風」「、野分」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波」「、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同「 島風」ヲ削ル(以下略)』
  155. ^ #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍 軍艦 厳島|呉鎮守府在籍 軍艦 八十島|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 神鷹|右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 曙、驅逐艦 満潮、驅逐艦 朝雲、驅逐艦 山雲、驅逐艦 野分、驅逐艦 早霜、驅逐艦 秋霜、驅逐艦 若月、驅逐艦 霜月|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦風、驅逐艦 島風|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 秋風、驅逐艦 卯月、驅逐艦  夕月、驅逐艦 初春|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 長波、驅逐艦 濱波、驅逐艦 沖波、驅逐艦 岸波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』
  156. ^ 『艦長たちの軍艦史』66頁。『日本海軍史』第9巻、112頁。

参考文献[編集]

  • 相澤淳 『海軍の選択 再考 真珠湾への道』 中央公論新社、2002年12月。ISBN 4-12-003304-x
  • 浅田博、高城直一 「第四章 比島沖海戦」『海防艦三宅戦記 輸送船団を護衛せよ』 光人社NF文庫、2013年9月(原著1985年)。ISBN 978-4-7698-2799-3
  • 大井篤 『海上護衛戦』 角川文庫、2014年5月(原著1953年)。ISBN 978-4-04-101598-8
  • 大内建二 『護衛空母入門 その誕生と運用メカニズム』 光人社NF文庫、2005年4月。ISBN 4-7698-2451-3
  • 岡本孝太郎 『舞廠造機部の昭和史』 文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3
  • 神鷹とシャルンホルストを偲ぶ会岡村信幸 『日の丸ドイツ船』 岩波ブックサービスセンター、1999年12月。
  • 海軍歴史保存会 『日本海軍史』第7巻、第9巻、海軍歴史保存会、1995年11月
  • 衣島尚一「商船改造空母史 その誕生と発達 その運用」、『艦船模型スペシャルNo.18 日本海軍商船改造空母』モデルアート12月号臨時増刊No.695、モデルアート社、2005年12月、 34-49頁。
  • 木俣滋郎 『日本空母戦史』 図書出版社、1977年7月。
  • 『世界の艦船増刊第95集 日本航空母艦史』、海人社、2010年12月
  • 田村俊夫「改造空母神鷹の主缶換装の真相」、『睦月型駆逐艦』歴史群像太平洋戦史シリーズ64、学習研究社、2008年5月、 158-167頁。 ISBN 978-4-05-605091-2
  • 外山操 『艦長たちの軍艦史』 光人社、2005年ISBN 4-7698-1246-9
  • 長谷川藤一 『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』 グランプリ出版、1998年12月(原著1997年9月)、第3刷。ISBN 4-87687-184-1
  • 福井静夫 『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』 KKベストセラーズ、1982年4月ISBN 4-584-17023-1
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』 光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社、1971年5月。
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第4巻 空母II』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年10月ISBN 4-7698-0454-7
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年1月31日現在10版 内令提要追録第14号原稿(防衛省防衛研究所)巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13072024200。
    • 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。
    • 『昭和16年1月~4月内令1巻/昭和16年4月(5)』。Ref.C12070150500。
    • 『昭和18年11月~12月内令5巻/昭和18年12月(3)』。Ref.C12070182800。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(2)』。Ref.C12070503600。
    • 『昭和18年9月〜12月 達/12月』。Ref.C12070121100。
    • 『昭和17年4月1日~昭和17年4月30日 呉鎮守府戦時日誌(8)』。Ref.C08030324500。
    • 『昭和18年9月1日~昭和19年3月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030085900。
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030102000。
    • 『昭和19年1月1日~昭和19年3月31日 呉鎮守府戦時日誌(3)』。Ref.C08030329000。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第16戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030057100。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030050900。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030149600。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030149700。
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(1)』。Ref.C08030137300。
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(2)』。Ref.C08030137400。
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。Ref.C08030137500。
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)』。Ref.C08030137600。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030141000。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030141100。
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030141400。
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030141500。
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030141600。
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030141700。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年10月31日 軍艦神鷹戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030584900。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年10月31日 軍艦神鷹戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030585000。
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年10月31日 軍艦神鷹戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030585100。
    • 『昭和19年7月~昭和20年3月 各護衛担任部隊指定航路と敵潜に依る被害一覧図(1)』。Ref.C08030708400。

関連項目[編集]