三宅 (海防艦)

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三宅(みやけ)は、大日本帝国海軍海防艦御蔵型海防艦の一隻。

艦歴[編集]

1943年[編集]

1943年(昭和18年)11月30日に就役。鶴見から横須賀経由でへ移動。同年12月21日から、輸送船9隻よりなる第123船団の門司から高雄港までの護衛任務に従事。しかし、途中で船団とはぐれる。12月26日、「久栄丸」沈没現場へ高雄からの駆逐艦と向かい対潜戦闘を実施。12月30日高雄入港。

1944年[編集]

1944年(昭和19年)1月3日から、輸送船13隻よりなる第232船団の門司までの護衛任務に従事。1月10日に任務完了。1月19日から24日まで、8隻からなるヒ37船団の門司からマニラまでの護衛任務に従事。次いでシンガポール発門司行きヒ32船団の護衛に従事。

呉での補給、整備の後に門司へ移動。2月16日、三宅はタンカー「黒潮丸」(東和汽船、10,518トン)、陸軍特殊船玉津丸」(大阪商船、9,845トン)、特設運送船(給油船)「建川丸」(川崎汽船、10,090トン)等輸送船7隻で編成されたヒ45船団を駆逐艦「汐風」と共に護衛して門司を出港。19日朝、味方航空機が船団上空を飛行して哨戒を行う。夕方、高雄へ向け北上中のヒ40船団が米潜「ジャック」(USS Jack, SS-259)の攻撃を受けたとの連絡が入る。「汐風」は船団から分離し、ヒ40船団の護衛に向かう。21日、ヒ45船団は高雄に到着し、「三宅」は高雄港外で対潜警戒を行う。夜、「三宅」は左営に移動。22日、船団は水雷艇「」の護衛で高雄を出港。それからまもなく、同日に左営を出港した「三宅」が合流する。その後、「黒潮丸」が機関故障を起こし、高雄に向かった。23日、「玉津丸」が「隼」と共に船団から分離し、マニラへと向かう。同日、ヒ40船団の護衛を終えた「汐風」がヒ45船団に合流する。27日1700、船団はシンガポールに到着。「三宅」は「汐風」と共にジョホール海峡を通過してセレター軍港に入港した。その後、3月31日から輸送船8隻でなるヒ48船団の門司までの護衛に従事。途中で船団加入船の「北陸丸」が被雷沈没するが、残りは3月27日に門司着。

松輸送に投入され、4月15日から木更津サイパン島行き東松六号船団の護衛に従事。4月23日にサイパン着。復路は東松六号復航船団の護衛に従事。4月27日に出発し、5月4日東京湾着。続いて第3515船団のサイパンまでの護衛任務に従事。5月28日、給油艦「足摺」と「高崎」を護衛してサイパン発。ヤップ経由でフィリピン方面へ向かうが、途中で「足摺」と「高崎」はいずれも被雷沈没。タウイタウイ島タラカン島経由で6月12日にバリクパパン着。

16月17日、あ号作戦(マリアナ沖海戦)の補給部隊を護衛して出撃。6月24日にギマラス着。マリアナ沖海戦敗北により6月26日にギマラスを離れ、サンボアンガ、タウイタウイ、クサンガン島、ボルネオ島ペル岬経由で7月5日バリックパパン着。別船団を編成し7月10日に出航。途中のサンボアンガで船団が再編成され、マニラなどを経由して8月4日に六連島沖着。

9月8日に門司出航。シンガポールまでのヒ75船団護衛任務に従事。高雄経由で9月22日シンガポール着。10月2日、ヒ76船団の護衛としてシンガポール発。三亜経由で10月17日高雄着。

捷号作戦において第一遊撃部隊に編入され、海防艦「満珠」、油槽船「良栄丸」とともに馬公へ移動。同地で第2遊撃部隊への補給を実施。10月23日馬公出航。26日アモイ入港。海防艦「笠戸」とともにシンガポールまで「白沙」を護衛。11月17日、ヒ80船団の護衛としてシンガポール発。12月2日六連島着。

12月13日から大牟田から高雄へのモタ28船団の護衛に従事。12月26日、ルソン島への陸軍部隊輸送船団タマ38船団の護衛として高雄発。29日サンフェルナンド(北サンフェルナンド)着。12月30日、空襲により第20号海防艦、「青葉山丸」沈没等の損害が出るが、「三宅」に被害はなし。1945年1月1日にマタ38A船団を編成し北サンフェルナンド発。1月3日高雄着。同地での空襲により「三宅」では戦死6、負傷13。

1945年[編集]

1月10日高雄出港。シンガポール行きヒ87船団の護衛任務に従事。敵機動部隊来襲により13日に香港に退避。同地での空襲により船団は「さらわく丸」を残し壊滅。「三宅」に被害はなし。17日から「さらわく丸」のシンガポールへの護衛任務に従事。1月24日に護衛艦の駆逐艦「時雨」が被雷沈没して「さらわく丸」も損傷するが、1月26日シンガポール着。

1月31日、ヒ88C船団の護衛としてシンガポール発。途中爆撃により戦死者を出すが、2月21日に舟山列島着。同地で船団は二分され、上海経由で3月2日は方湾着。

3月19日、呉軍港空襲があり対空戦闘を実施。三宅に被害はなし。4月9日門司へ移動。4月11日からモシ02船団の護衛に従事。しかし、途中で船団唯一の船「寿山丸」および護衛の海防艦2隻が撃沈され、4月18日門司に帰投。4月22日、「吉林丸」を護衛して門司出港。しかし「吉林丸」は触雷航行不能となり、「三宅」は済州島対馬間の哨戒任務に従事。

5月8日、青島[要曖昧さ回避]へ向かう。5月17日に石島へ移動し、19日に「大星丸」船団の護衛として石島発。21日大東湾着。5月22日、大東湾発。「興洋丸」を護衛して24日に石島着。同日、陸上での戦闘を砲撃で援護。5月25日、石島発。「辰宮丸」、「興津丸」を護衛して26日大東湾着。6月、佐世保港に入港。8月1日に佐世保を出港し、呼子漁港へ移動。8月7日朝鮮元山港着。10日元山出港、迎日湾へ移動。同地で終戦。8月21日六連島沖着。同日触雷。門司へ曳航され応急修理の後に呉へ移動。

戦後、特別輸送艦として引き上げ輸送に従事し、1948年(昭和23年)7月解体。

参考文献[編集]