松 (松型駆逐艦)

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艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5計画)追加計画
起工 1943年8月8日
進水 1944年2月3日
就役 1944年4月28日
その後 1944年8月4日に戦没
除籍 1944年10月10日
性能諸元
排水量 基準:1,262t
公試:1,530t
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
航続距離 18ktで3,500
燃料 重油370t
乗員 211名
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)

(まつ)は大日本帝国海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦松型(丁型)の1番艦[2]。日本海軍の艦名としては2代目である。

艦歴[編集]

丁型一等駆逐艦第5481号艦として舞鶴工廠で建造[3]1943年(昭和18年)8月8日、起工[3][4]。当時の舞鶴工廠は、夕雲型駆逐艦3隻(浜波早波早霜《345号艦》)、秋月型駆逐艦8番艦「冬月《361号艦》」等の建造、損傷艦(不知火初春太刀風長波大波巻波名取長良木曾《11月10日到着》)等の修理を抱えていた[5][6][7]

同年12月22日、命名[1]。同日附で駆逐艦一等の部中に松型が新設され、その1番艦に定められる[2]1944年(昭和19年)2月3日に進水し[8]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[9]。 3月25日、「松、冬月」の艤装が急がれる中、舞鶴では松型4番艦「」が進水する[10]。また秋月型12番艦「花月」や松型8番艦「」、同型11番艦「」の建造も始まっている[10][11]。 同日附で、米井垣雄少佐(古鷹型重巡洋艦2番艦「加古」水雷長[12]樅型駆逐艦4番艦「」駆逐艦長)[13]等)は松艤装員長に任命される[14]。 4月27日附で米井少佐は本艦初代駆逐艦長に任命[15]。 4月28日、竣工[11][16]。訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将海軍兵学校41期[17])に編入され、5月1日に舞鶴を出港してに回航された。

6月2日、松駆逐艦長は吉永源少佐(吹雪型駆逐艦「天霧」沈没時駆逐艦長)に交代[18]。後日、米井少佐は松型9番艦「」駆逐艦長に任命され(9月4日附艤装員長[19]、9月7日附駆逐艦長[20])、同艦沈没時(1945年1月5日)に戦死した。 吉永駆逐艦長を迎えた「松」は6月18日まで瀬戸内海方面で慣熟訓練を行った後[21]軽巡洋艦長良」、駆逐艦「清霜」とともに横須賀に回航され[22]、第十一水雷戦隊に加勢された他の軽巡洋艦、駆逐艦および輸送艦とともに、小笠原諸島方面への輸送作戦に投入された[23]。「松」は軽巡「長良」と秋月型駆逐艦「冬月」および第4号輸送艦とともに硫黄島への輸送部隊の第一陣に加わり、6月29日に横須賀を出撃[24]。硫黄島への輸送任務を終えて父島を経由し、7月2日に横須賀に帰投した[25]。帰投後、「松」は横須賀鎮守府部隊に編入された[26]

7月15日、第四十一駆逐隊(霜月、冬月)および第四十三駆逐隊())が編制される[27][28]。第41駆逐隊司令には脇田喜一郎大佐、第43駆逐隊司令には菅間良吉大佐が任命された[29]。2人とも陽炎型駆逐艦8番艦「雪風」駆逐艦長を務めた経歴を持つ。

7月23日、南方諸島への緊急輸送作戦を実施するにあたり、連合艦隊より第三航空戦隊(空母「瑞鳳」)と護衛駆逐艦4隻(秋月型駆逐艦2隻《初月、秋月》、満潮型《山雲》、不知火型《野分》)が派出され、輸送作戦護衛に協力することになった[30][31][32]。 「瑞鳳」は本来の搭載航空隊ではなく、対潜哨戒を主目的とする第九三一海軍航空隊より九七式艦上攻撃機12機を受け入れた[30][33]。 7月29日、「松」は第二護衛船団司令部高橋一松少将・海兵40期[34])の旗艦として、駆逐艦「旗風」、第4号海防艦第12号海防艦第51号駆潜艇と、第109師団栗林忠道中将)指揮下の歩兵第145連隊主力を乗せた輸送船5隻を護衛し、館山を出港して父島へ向かった[35][36]硫黄島の戦いに備え、硫黄島の戦力を増強するための輸送作戦である[37]

第四八〇四船団(「松」沈没時)[38]
  • 昌広丸(石原汽船、4,739トン)
  • 利根川丸(松岡汽船、4,997トン)
  • 延寿丸(岡田商船、5,374トン)
  • 第七雲海丸(中村汽船、2,182トン)
  • 龍江丸(大連汽船、5,626トン)
  • 護衛:松 旗風 第4号海防艦 第12号海防艦 第51号駆潜艇[39]

8月1日、輸送船団は父島に到着。8月3日には硫黄島へ進出した[40]。『第四八〇四船団』と改称後[30]、8月4日8時に父島を出航した[39]。しかし、10時30分に父島北西20海里の地点にさしかかったところで、スカベンジャー作戦のため来襲した第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機に発見された[41]。一部書籍では、米軍は空母「瑞鳳」を仕留めるために行動していたとする[40][30]。 この時、「瑞鳳」は第61駆逐隊(初月秋月)、第4駆逐隊(野分山雲)に護衛されて小笠原諸島硫黄島方面への船団護衛に従事[42][43]、8月2日に横須賀へ帰投[44][45]。同日附で直接護衛部隊から除かれていた[46]。翌日には第九三一海軍航空隊より借りていた九七艦攻10機(事故で2機喪失)も返却している[47][30]

8月3日、第一空母部隊(ホーネットⅡフランクリンカボット)と第二空母部隊(バンカー・ヒルレキシントンⅡサン・ジャシント)から攻撃隊が発進[48]。艦載機は二波に分かれて襲来した[41]。空襲後の第四八〇四船団は、「松」と第4号海防艦(戦死4、負傷21)、「利根川丸」を残すのみとなり[49]、損傷した第12号海防艦(戦死6、負傷50)は別途で横須賀に向かっていた[50][48]。ミッチャー中将は第四八〇四船団を全滅させるために、クリーブランド級軽巡洋艦ビロクシ 」(USS Biloxi, CL-80) 、「モービル」 (USS Mobile, CL-63) 、「サンタフェ 」(USS Santa Fe, CL-60)の大型軽巡3隻および駆逐艦12隻の混成部隊(L・デュ・ボース少将、米第13巡洋艦隊)を分離させて、第四八〇四船団が彷徨っている海域に急行させた[51]

18時ごろ、第4号海防艦はデュ・ボース少将の艦隊を発見して砲戦を開始した[52]。第四八〇四船団は利あらずと更なる退却を続けていたが、第4号海防艦と「利根川丸」を逃がす為、高橋少将(松座乗)は『四号海防艦は利根川丸を護衛し戦場を離脱せよ』と命令、「松」は反転すると単艦でデュ・ボース少将の艦隊を迎撃していった[49][52]。1時間40分後の19時40分、「松」は第4号海防艦に対し『われ、敵巡洋艦と交戦中。これより反転、突撃す』と最期の打電をおこなう[49][53]。この後、「松」は消息不明となった[54]。「松」が逃がそうとした「利根川丸」も逃げ切ることが出来ず、20時ごろに艦砲射撃およびB-24サイパン島より発進)の夜間爆撃で撃沈された[55][56]。「松」の乗組員は吉永艦長以下全員が戦死し、高橋少将以下第二護衛船団司令部員全員もこれに殉じた。その最後の戦いの詳細は不明であるが、アメリカ側の記録では、聟島北東25海里地点で、モービルが指揮下の駆逐艦とともに「松」と「利根川丸」を撃沈したとある[57]。8月4日、第4号海防艦は静岡県伊豆下田港へ到着、第12号海防艦は翌日横須賀へ帰投した[56]

10月10日、駆逐艦「松」は松型駆逐艦[58]、帝国駆逐艦籍[59]、第四十三駆逐隊[60]のそれぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 米井恒雄 少佐:1944年3月25日[14] - 1944年4月27日[15]
駆逐艦長
  1. 米井恒雄 少佐:1944年4月27日[15] - 1944年6月2日[18]
  2. 吉永源 少佐:1944年6月2日[18] - 1944年8月4日 戦死、同日付任海軍中佐[61]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和18年12月p.43『達第三百十九號 昭和十七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦七隻、海防艦十九隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 松(マツ)|(以下略)』
  2. ^ a b #内令昭和18年12月(4)p.24『内令第二千七百七十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「天城」ノ下ニ「、葛城」ヲ加フ|驅逐艦、一等ノ部中末尾ニ左ノ一項ヲ加フ | |松型|松| (以下略)』
  3. ^ a b #S1808舞鎮日誌p.9『(a)新造艦船 濱波、沖波艤装工事ノ促進/第三四五號、第三六一號、第五四八一號(八日起工)各艦ノ建造工事促進』
  4. ^ #舞廠造機部292頁
  5. ^ #S1808舞鎮日誌pp.9-10『(b)修理艦船 名取不知火初春巻波太刀風長波(七日入港)長良(十六日入港)ノ損傷復舊工事ノ促進指導及大波(十二日入港)鴻(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂號三十六、三十七號潜水艦ノ出師準備作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ太刀風ハ豫定通工事完成三十一日出撃セリ』
  6. ^ #S1809舞鎮日誌(1)pp.9-10『(a)新造艦船 濱波沖波艤装工事ノ促進 第三四五號、第三六一號及第五四八一號各艦ノ建造工事促進第六一號、第四七號驅潜特務艇ノ兵装工事促進何レモ十一日、二十二日完成引渡|(b)修理艦船 名取長良不知火初春ノ損傷復舊工事ヲ初メ巻波長波秋風(九日入港)掃二十四(二十三日入港)大波鴻潜二十二(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂三六、呂三七潜水艦ノ出師準備作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ長波、呂三六潜五日、大波七日、巻波十五日、鴻十七日、呂三七潜二十二日工事完成出撃セリ』
  7. ^ #S1904舞鎮日誌p.9『(b)損傷艦船 長良 損傷復舊竝ニ改装工事四月二十日完成/名取 〃 四月二十七日完成』
  8. ^ #S1902舞鎮日誌pp.8-9『(2)重要ナル艦船兵器ノ造修(a)新造艦船 早霜 二月二十日完成引渡ヲ了ス/冬月 一月二十日進水艤装中/松 二月三日進水艤装中(略)|(b)損傷艦船 名取一九.五末 木曾一九.三末完成豫定ヲ以テ損傷復舊工事中木曾兵装公試終了損傷復舊工事概ネ完了/掃二十二損傷復舊ノ爲二月二十七日入港』
  9. ^ #内令昭和19年2月(2)p.6『内令第二百九十五號 驅逐艦 松 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル 昭和十九年二月三日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  10. ^ a b #S1903舞鎮日誌p.8『(a)新造艦船 冬月、松 艤装中/桃 三月二十五日進水 艤装中/第三六六號艦 第五四八八號艦}船臺ニ在リ船殻工事中(以下略)』
  11. ^ a b #S1904舞鎮日誌p.8『(a)新造艦船 松 兵装艤装竝ニ諸公試験完了四月二十八日引渡ヲ了ス/冬月 艤装中/桃 同/第三六六號艦 第五四八八號艦}船臺ニ在リテ船殻工事中/第二四三一號艦四月一日、第五四九二號四月十日起工(以下略)』
  12. ^ 昭和16年8月20日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第695号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072081800 
  13. ^ 昭和19年3月1日(発令3月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1351号 p.36』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300 
  14. ^ a b 昭和19年3月25日(発令3月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1391号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072096900 
  15. ^ a b c 昭和19年4月27日(発令4月27日付)海軍辞令公報(部内限)第1444号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072097500 
  16. ^ #S1904舞鎮日誌p.43『二十八(天候略)驅逐艦松竣工引渡』
  17. ^ 同期の将官は海軍兵学校卒業生一覧 (日本)#41期参照
  18. ^ a b c 昭和19年6月3日(発令6月2日付)海軍辞令公報(部内限)第1502号 p.45』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099400 
  19. ^ 昭和19年9月9日(発令昭和19年9月4日付)海軍辞令公報(甲)第1589号 p.10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100900 
  20. ^ 昭和19年9月12日(発令昭和19年9月7日付)海軍辞令公報(甲)第1591号 p.22』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100900 
  21. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.6
  22. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.17
  23. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.21
  24. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.23,45
  25. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.36,45 、C08030127500, pp.5
  26. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.5
  27. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.63 、雨倉, 93ページ
  28. ^ #内令昭和19年7月p.21『内令第八六五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年七月十五日 海軍大臣|第三十二驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ |第四十一驅逐隊|霜月、冬月| |第四十三驅逐隊|梅、竹、松、桃| 』
  29. ^ 昭和19年7月21日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1541号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100100 
  30. ^ a b c d e #木俣空母678-680頁『瑞鳳の小笠原船団護衛(七~八月)』
  31. ^ #S1811海護総司令部(3)p.46『(イ)南方諸島緊急作戰輸送ヲ左ニ依リ實施ス/(一)(略)/(二)二十三日南方諸島ニ對スル緊急増勢部隊輸送ノ爲第二護衛船團司令部ヲ横鎮護衛部隊ニ編入シ之ガ護衛強化ノ爲聯合艦隊ヨリ第三航空戰隊ノ空母瑞鳳及警戒驅逐艦ヲ横鎮部隊ニ編入ス』
  32. ^ #S1811海護総司令部(3)pp.55-56『二三(略)第三航空戰隊ノ一部(瑞鳳)及警戒驅逐艦(初月秋月山雲野分)ヲシテ作戰ニ關シ當司令長官ノ指揮ヲ受ケシメラル』-『二四(略)第三航空戰隊ヨリ派出ノ航空母艦及同警戒驅逐艦ヲ横鎮司令長官ノ指揮下ニ入ル 第二護衛船團司令部ヲ附属部隊ヨリ除キ横鎮護衛部隊ニ編入ス』
  33. ^ #S1907九三一航日誌p.10『二十六(天候略)瑞鳳派遣隊進出 九七艦攻十二』
  34. ^ 同期の将官は海軍兵学校卒業生一覧 (日本)#40期参照
  35. ^ 『海防艦戦記』690ページ
  36. ^ #S1811海護総司令部(3)p.57『二九(略)小笠原方面増勢部隊輸送船團部隊(第二護衛船團《旗艦》松瑞鳳其他)二〇〇〇館山出撃』
  37. ^ #日本海防艦戦史78頁
  38. ^ 木俣, 475ページ
  39. ^ a b 『海上護衛総司令部戦時日誌』pp,12
  40. ^ a b #日本海防艦戦史79頁
  41. ^ a b 『海防艦戦記』696ページ
  42. ^ #S1812第4駆日誌(7)p.8『30日/0900出港瑞鳳護衛』、p.13『29日1353瑞鳳/瑞鳳61dg(涼月若月欠)4dg(山雲野分)ハ30日0900横須賀発概ネ船団ノ50浬圏内ヲ機宜行動船団行動変化ナケレバ左ノ如ク行動ス(略)』
  43. ^ #S1907十戦隊日誌(1)p.5『(2)野分、山雲 山雲入渠セザリシ外両艦共27日迄ノ経過概ネ満潮ト同断28日横鎮乙直接護衛部隊ニ編入30日初月秋月ト共ニ瑞鳳警戒艦トシテ父島方面ニ向ケ横須賀発輸送ノ護衛ニ任ズ』
  44. ^ #S1907十戦隊日誌(2)p.3『(ロ)第六十一駆逐隊(1)初月秋月 二日附乙直接護衛部隊ヨリ除カレ第二遊撃部隊ニ編入瑞鳳ヲ警戒三日内海西部着…』
  45. ^ #S1907十戦隊日誌(2)pp.4-5『(二)第四駆逐隊(1)満潮野分山雲 野分山雲乙直接護衛部隊ニ編入中ノ所二日横須賀着同日附同部隊ヨリ除カレ機動部隊本隊ニ復皈ス尚同日附司令駆逐艦ヲ満潮ニ変更セリ…』
  46. ^ #S1907十戦隊日誌(2)p.14『二 一〇〇五横鎮長官(宛略)横鎮電令作第五八〇號 瑞鳳第四駆逐隊(満潮缺)第六十一駆逐隊(若月凉月缺)?空艦攻十二ヲ乙直接護衛部隊ヨリ除ク』
  47. ^ #S1908九三一航日誌p.3『三(天候略)瑞鳳派遣隊皈投 艦攻一〇/済州島派遣隊皈投 艦攻五』
  48. ^ a b #日本海防艦戦史80頁
  49. ^ a b c #佐藤 艦長(文庫)498頁
  50. ^ 『海防艦戦記』723ページ
  51. ^ #日本海防艦戦史81頁
  52. ^ a b #日本海防艦戦史82頁
  53. ^ #松永、ネイビー252頁。松永市郎(当事軽巡名取通信長)が受信した電文は『吾、敵攻略部隊の包囲を受く、只今より突撃す』。
  54. ^ #S1811海護総司令部(4)p.12『驅逐艦松(略)四八〇四船團護衛北上中一八三〇「我敵巡洋艦ト交戰中」ノ發信アリタル後消息不明トナル』
  55. ^ 『海防艦戦記』696ページ、多田, 86-90頁(四号海防艦所属学徒士官談)
  56. ^ a b #日本海防艦戦史83頁
  57. ^ 木俣, 477ページ
  58. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)p.35『内令第一一五九號 艦艇類別等級別表中次ノ通改正ス|昭和十九年十月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等長良型ノ項中「長良、」「、名取」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「大鷹、」ヲ、同敷設艦ノ部中「、白鷹」ヲ削ル|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、朝風」「、夕凪」ヲ、同初雪型ノ項中「、敷波」ヲ、同白露型ノ項中「、五月雨」ヲ、同松型ノ項中「松、」ヲ削ル(以下略)』
  59. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.36-37『内令第一一六五號|呉鎮守府在籍 軍艦 白鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 大鷹|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 長良、軍艦 名取|右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 朝風、驅逐艦 五月雨|呉鎮守府在籍 驅逐艦 敷波|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 夕凪|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 松|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和十九年十月十日 海軍大臣』
  60. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.35-36『内令第一一六二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年十月十日海軍大臣|第十九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十七驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「、夕凪」ヲ削ル|第四十三驅逐隊ノ項中「松、」ヲ削リ「槇」ノ下ニ「、桐」ヲ加フ』
  61. ^ 昭和20年10月8日(発令昭和19年8月4日付)海軍辞令公報(甲)第1944号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072107900 

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070121100 『昭和18年9月~12月 達/12月』。
    • Ref.C12070182900 『昭和18年11月~12月 内令5巻/昭和18年12月(4)』。
    • Ref.C12070194500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年2月(2)』。
    • Ref.C12070195500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。
    • Ref.C12070497400 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。
    • Ref.C08030356900 『昭和18年8月1日~昭和18年8月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。
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    • Ref.C08030356000 『昭和19年2月1日~昭和19年2月29日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。
    • Ref.C08030357500 『昭和19年3月1日~昭和19年3月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。
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    • Ref.C08030050900 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030137500 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030137600 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)』。
    • Ref.C13120406000 『第931海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年7月1日至昭和19年7月31日』。
    • Ref.C13120406100 『第931海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年8月1日至昭和19年8月31日』。
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年四月一日至昭和十九年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127100
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127400
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127500
  • 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」『歴史群像太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年、ISBN 4-05-603251-3
  • 岡本孝太郎 『舞廠造機部の昭和史』 文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木俣滋郎 『日本空母戦史』 図書出版社、1977年7月。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 木俣滋郎 『日本海防艦戦史』 図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 実戦即訓練 <海防艦「第四号」艦長・水谷勝二少佐の証言>(太平洋戦争時、駆潜艇3号艇長、海防艦第4号艦長、潜水母艦「駒橋」艦長等)
  • 多田実『何も語らなかった青春「学徒出陣五十年、歴史を創ったわだつみの若者たち」』三笠書房、1993年
  • 松永市郎 『思い出のネイビーブルー 私の海軍生活記』 光人社NF文庫、1994年2月。
  • 山本平弥ほか 『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』 潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 当時艦政本部部員・海軍技術中佐遠山光一『マスプロ防空駆逐艦"松型"の誕生と背景 駆逐艦発達史の中に位置づけた丁型=松型十八隻と橘型十四隻の新機軸
    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争

関連項目[編集]