松 (松型駆逐艦)

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艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5計画)追加計画
起工 1943年8月8日
進水 1944年2月3日
就役 1944年4月28日
その後 1944年8月4日に戦没
除籍 1944年10月10日
性能諸元
排水量 基準:1,262t
公試:1,530t
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
航続距離 18ktで3,500
燃料 重油370t
乗員 211名
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)

(まつ)は大日本帝国海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦松型(丁型)の1番艦[2]。日本海軍の艦名としては2代目である。

艦歴[編集]

丁型一等駆逐艦第5481号艦として舞鶴工廠で建造。1943年(昭和18年)8月8日起工。同年12月22日、命名[1]。この日、雲龍型航空母艦葛城」や[3]、海防艦19隻も命名され、その中に「松」沈没に遭遇する海防艦4号、12号も含まれていた[1]。同日附で一等駆逐艦「松型」が新設される[2]1944年(昭和19年)2月3日、進水。同日附で舞鶴鎮守府に所属[4]。4月28日竣工。竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将海軍兵学校41期[5])に編入され、5月1日に舞鶴を出港してに回航された。

6月18日まで瀬戸内海方面で慣熟訓練を行った後[6]軽巡洋艦長良」、駆逐艦「清霜」とともに横須賀に回航され[7]、第十一水雷戦隊に加勢された他の軽巡洋艦、駆逐艦および輸送艦とともに、小笠原諸島方面への輸送作戦に投入された[8]。「松」は軽巡「長良」と秋月型駆逐艦「冬月」および第4号輸送艦とともに硫黄島への輸送部隊の第一陣に加わり、6月29日に横須賀を出撃[9]。硫黄島への輸送任務を終えて父島を経由し、7月2日に横須賀に帰投した[10]。帰投後、「松」は横須賀鎮守府部隊に編入された[11]

7月15日、第四十一駆逐隊(霜月、冬月)および第四十三駆逐隊(駆逐隊司令菅間良吉中佐:))が編成される[12][13]。7月29日、「松」は第二護衛船団司令部高橋一松少将・海兵40期[14])の旗艦として、駆逐艦「旗風」、第4号海防艦第12号海防艦第51号駆潜艇と、第109師団栗林忠道中将)指揮下の歩兵第145連隊主力を乗せた輸送船5隻で四八〇四船団を構成し、館山を出港して父島へ向かった[15]硫黄島の戦いに備え、硫黄島の戦力を増強するための輸送作戦である[16]

第四八〇四船団[17]
  • 昌広丸(石原汽船、4,739トン)
  • 利根川丸(松岡汽船、4,997トン)
  • 延寿丸(岡田商船、5,374トン)
  • 第七雲海丸(中村汽船、2,182トン)
  • 龍江丸(大連汽船、5,626トン)
  • 護衛:松 旗風 第4号海防艦 第12号海防艦 第51号駆潜艇[18]

8月1日、第四八〇四船団は父島に到着。8月3日には硫黄島へ進出した[19]。物資を陸揚げ後、第四八〇四船団は8月4日8時に父島を出航した[18]。しかし、10時30分に父島北西20海里の地点にさしかかったところで、スカベンジャー作戦のため来襲した第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機に発見された[20]。一部書籍では、米軍は空母「瑞鳳」を仕留めるために行動していたとする[19]。この時、「瑞鳳」は第61駆逐隊(初月秋月)、第4駆逐隊(野分山雲)に護衛されて小笠原諸島硫黄島方面への輸送作戦に従事、8月2日に横須賀へ戻っていた[21][22]

8月3日、第一空母部隊(ホーネットⅡフランクリンカボット)と第二空母部隊(バンカー・ヒルレキシントンⅡサン・ジャシント)から攻撃隊が発進[23]。艦載機は二波に分かれて襲来した[20]。空襲後の第四八〇四船団は、「松」と第4号海防艦(戦死4、負傷21)、「利根川丸」を残すのみとなり[24]、損傷した第12号海防艦(戦死6、負傷50)は別途で横須賀に向かっていた[25][23]。ミッチャー中将は第四八〇四船団を全滅させるために、クリーブランド級軽巡洋艦ビロクシ 」(USS Biloxi, CL-80) 、「モービル」 (USS Mobile, CL-63) 、「サンタフェ 」(USS Santa Fe, CL-60)の大型軽巡3隻および駆逐艦12隻の混成部隊(L・デュ・ボース少将、米第13巡洋艦隊)を分離させて、第四八〇四船団が彷徨っている海域に急行させた[26]

18時ごろ、第4号海防艦はデュ・ボース少将の艦隊を発見して砲戦を開始した[27]。第四八〇四船団は利あらずと更なる退却を続けていたが、やがて「松」は第4号海防艦と「利根川丸」を逃がす為、高橋少将は『四号海防艦は利根川丸を護衛し戦場を離脱せよ』と命令した上で反転して、単艦でデュ・ボース少将の艦隊を迎撃していった[24][27]。1時間40分後の19時40分、「松」は第4号海防艦に対し『われ、敵巡洋艦と交戦中。これより反転、突撃す』と最期の打電をおこなう[24]。この後、「松」は撃沈された。「松」が逃がそうとした「利根川丸」も逃げ切ることが出来ず、20時ごろに艦砲射撃およびB-24サイパン島より発進)の夜間爆撃で撃沈された[28][29]。「松」の乗組員は吉永艦長以下全員が戦死し、高橋少将以下第二護衛船団司令部員全員もこれに殉じた。その最後の戦いの詳細は不明であるが、アメリカ側の記録では、聟島北東25海里地点で、モービルが指揮下の駆逐艦とともに「松」と「利根川丸」を撃沈したとある[30]。8月4日、第4号海防艦は静岡県伊豆下田港へ到着、第12号海防艦は翌日横須賀へ帰投した[29]

10月10日、駆逐艦「松」は松型駆逐艦[31]、帝国駆逐艦籍[32]、第四十三駆逐隊[33]のそれぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』360-361頁による。

艤装員長[編集]

  1. 米井恒雄 少佐:1944年3月25日 -

駆逐艦長[編集]

  1. 吉永源 少佐:1944年4月28日 - 8月4日戦死

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達昭和18年12月p.43『達第三百十九號 昭和十七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦七隻、海防艦十九隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 松(マツ)|(以下略)』
  2. ^ a b #内令昭和18年12月(4)p.24『内令第二千七百七十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「天城」ノ下ニ「、葛城」ヲ加フ|驅逐艦、一等ノ部中末尾ニ左ノ一項ヲ加フ | |松型|松| (以下略)』
  3. ^ #達昭和18年12月p.42『達第三百十八號 呉海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 葛城(カツラギ)』
  4. ^ #内令昭和19年2月(2)p.6『内令第二百九十五號 驅逐艦 松 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル 昭和十九年二月三日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  5. ^ 同期の将官は海軍兵学校卒業生一覧 (日本)#41期参照
  6. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.6
  7. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.17
  8. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.21
  9. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.23,45
  10. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127400, pp.36,45 、C08030127500, pp.5
  11. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.5
  12. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.63 、雨倉, 93ページ
  13. ^ #内令昭和19年7月p.21『内令第八六五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年七月十五日 海軍大臣|第三十二驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ |第四十一驅逐隊|霜月、冬月| |第四十三驅逐隊|梅、竹、松、桃| 』
  14. ^ 同期の将官は海軍兵学校卒業生一覧 (日本)#40期参照
  15. ^ 『海防艦戦記』690ページ
  16. ^ #日本海防艦戦史78頁
  17. ^ 木俣, 475ページ
  18. ^ a b 『海上護衛総司令部戦時日誌』pp,12
  19. ^ a b #日本海防艦戦史79頁
  20. ^ a b 『海防艦戦記』696ページ
  21. ^ #S1812第4駆日誌(7)p.8『30日/0900出港瑞鳳護衛』、p.13『29日1353瑞鳳/瑞鳳61dg(涼月若月欠)4dg(山雲野分)ハ30日0900横須賀発概ネ船団ノ50浬圏内ヲ機宜行動船団行動変化ナケレバ左ノ如ク行動ス(略)』
  22. ^ #S1907十戦隊日誌(1)p.5『(2)野分、山雲 山雲入渠セザリシ外両艦共27日迄ノ経過概ネ満潮ト同断28日横鎮乙直接護衛部隊ニ編入30日初月秋月ト共ニ瑞鳳警戒艦トシテ父島方面ニ向ケ横須賀発輸送ノ護衛ニ任ズ』
  23. ^ a b #日本海防艦戦史80頁
  24. ^ a b c #佐藤 艦長(文庫)498頁
  25. ^ 『海防艦戦記』723ページ
  26. ^ #日本海防艦戦史81頁
  27. ^ a b #日本海防艦戦史82頁
  28. ^ 『海防艦戦記』696ページ、多田, 86-90頁(四号海防艦所属学徒士官談)
  29. ^ a b #日本海防艦戦史83頁
  30. ^ 木俣, 477ページ
  31. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)p.35『内令第一一五九號 艦艇類別等級別表中次ノ通改正ス|昭和十九年十月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等長良型ノ項中「長良、」「、名取」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「大鷹、」ヲ、同敷設艦ノ部中「、白鷹」ヲ削ル|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、朝風」「、夕凪」ヲ、同初雪型ノ項中「、敷波」ヲ、同白露型ノ項中「、五月雨」ヲ、同松型ノ項中「松、」ヲ削ル(以下略)』
  32. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.36-37『内令第一一六五號|呉鎮守府在籍 軍艦 白鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 大鷹|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 長良、軍艦 名取|右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 朝風、驅逐艦 五月雨|呉鎮守府在籍 驅逐艦 敷波|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 夕凪|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 松|右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和十九年十月十日 海軍大臣』
  33. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.35-36『内令第一一六二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年十月十日海軍大臣|第十九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十七驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「、夕凪」ヲ削ル|第四十三驅逐隊ノ項中「松、」ヲ削リ「槇」ノ下ニ「、桐」ヲ加フ』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070121100 『昭和18年9月~12月 達/12月』。
    • Ref.C12070182900 『昭和18年11月~12月 内令5巻/昭和18年12月(4)』。
    • Ref.C12070194500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年2月(2)』。
    • Ref.C12070195500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。
    • Ref.C12070497400 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。
    • Ref.C08030145900 『昭和18年12月5日~昭和19年7月31日 第4駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030050800 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日第10戦隊戦時日誌(1)』。
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年四月一日至昭和十九年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127100
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127400
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127500
  • 海上護衛総司令部『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 海上護衛総司令部戦時日誌』(昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030137600
  • 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」『歴史群像太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年、ISBN 4-05-603251-3
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 木俣滋郎 『日本海防艦戦史』 図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0
  • 佐藤和正 『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』 光人社NF文庫、1993年ISBN 47698-2009-7
    • 実戦即訓練 <海防艦「第四号」艦長・水谷勝二少佐の証言>(太平洋戦争時、駆潜艇3号艇長、海防艦第4号艦長、潜水母艦「駒橋」艦長等)
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 多田実『何も語らなかった青春「学徒出陣五十年、歴史を創ったわだつみの若者たち」』三笠書房、1993年

関連項目[編集]