コロナド (哨戒フリゲート)

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コロナド
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基本情報
建造所 コンソリデーテッド・スチール
経歴
起工 1943年5月6日
進水 1943年6月17日
就役 1943年11月17日
退役 1945年7月12日
除籍 1953年1月14日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
常備排水量 2,415トン
全長 92.6m
全幅 11.4m
吃水 4.1m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
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コロナドUSS Coronado, PG-146/PF-38)は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はカリフォルニア州コロナドに因む。

艦歴[編集]

コロナドは海事委任契約の下1943年5月6日にカリフォルニア州ウィルミントンコンソリデーテッド・スチール社で起工した。当初はPG-146(砲艦)として認可されたが、1943年4月15日にPF-38(哨戒フリゲート)に艦種変更された。1943年6月17日にJ・R・クラッチフィールド夫人によって命名、進水、1943年11月17日に艦長N・W・スプロウ沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。

コロナドは1944年2月8日にカリフォルニア州サンディエゴを出航し、ヌーメアオーストラリアケアンズへの船団護衛を行った。ニューギニアを経由しケアンズには3月25日に到着した。マヌス島への上陸部隊の支援として兵員および物資輸送船の護衛を行った後、コロナドはニューギニア西部での作戦に参加するため同海域に戻り、5月28日から6月17日までビアク島上陸に、8月15日から18日まではケープ・サンサポア9月15日にはモロタイ島での戦いに参加した。

コロナドはレイテ島の戦いに参加するため1944年10月10日フンボルト湾を出航し、その後12月15日までレイテ島とニューギニア間の哨戒および船団護衛任務に従事した。マサチューセッツ州ボストンオーバーホールを行い、カスコ湾で回復訓練を行った後、コロナドはワシントン州シアトルに向かい1945年4月26日に到着した。6月7日アラスカへ向けて出航、6月25日にアラスカ州コールド・ベイソ連海軍士官4名と兵員45名を訓練のため乗艦させた。

コロナドは1945年7月12日にコールド・ベイで退役し、レンドリース法に基づきソ連海軍に貸与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号を付与され、EK-8(ЭК-8エーカー・ヴォースィェミ)の名で7月23日太平洋艦隊に編入された。ソ連海軍では、8月15日に行われた清津上陸作戦に参加した。

ソ連海軍での活動後、1949年10月16日横須賀でアメリカ海軍に返還され、同地で保管された。1953年1月14日に日米船舶貸借協定の下、警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、すぎ(PF-5) として就役し、同日付で新編された第2船隊に編入された。海上自衛隊では第1護衛隊群第2護衛隊に所属し、1957年5月10日、練習隊群の新編により第2練習隊に編入、第1回及び第2回遠洋練習航海に参加した。同年9月1日、PF-285に艦籍番号が変更され、1969年3月31日に退役、1971年7月9日にアメリカ海軍へ返還された。なお、返還後の1971年8月10日野島崎南方で実艦標的となり撃沈されている[1]


コロナドは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。


脚注[編集]

  1. ^ 「貸供与護衛艦顛末記」、『世界の艦船』1987年6月号、海人社、 134頁。

外部リンク[編集]