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ミレッジビル (哨戒フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注
起工 1943年11月9日
進水 1944年4月5日
就役 1945年1月18日
退役 1946年8月21日
その後 1948年3月25日にスクラップとして廃棄
除籍 1947年4月23日
性能諸元
排水量 1,264トン
全長 303 ft 11 in (92.6 m)
全幅 37 ft 6 in (11.4 m)
吃水 13 ft 8 in (4.1 m)
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット (37 km/h)
航続距離
乗員 190名
兵装 3インチ50口径対空砲3門
40mm機関砲 4門
20mm機関砲 9門
ヘッジホッグ 1基
対潜爆雷投射機(Y砲)8基
爆雷投下軌条 2条

ミレッジビル (USS Milledgeville, PF-94) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はジョージア州ミレッジビルに因む。

艦歴

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ミレッジビルは当初シトカ (USS Sitka, PG-202) の艦名で砲艦として分類されたが、海事委任契約の下1943年11月9日に PF-94 (哨戒フリゲート)としてオハイオ州ロレインアメリカン・シップビルディング社で起工した。1944年2月7日にミレッジビルと改名され、1944年4月5日にサラ・アレン・ムーアによって命名、進水、1944年11月16日にルイジアナ州ニューオーリンズで任務に就く。11月18日にサウスカロライナ州チャールストンに向けて出航、11月24日に予備役となりチャールストン海軍工廠でステーション艦への改修を受け、1945年1月18日に艦長ジョセフ・H・ハントマン沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。

バーミューダでの整調および訓練後、ミレッジビルは第24任務部隊での任務に就く。4月3日から5日にかけてニューファンドランドアージェンティア海軍基地に向かい、7日に初めての気象観測任務で北大西洋に出航した。ミレッジビルは第1気象ステーションで気象情報の観測、収集、海上および航空救難訓練を行い4月26日にアージェンティアに帰還した。

5月11日から8月25日までの間にミレッジビルは北大西洋水域でもう3回の巡視を行う。その後マサチューセッツ州ボストンに向かい、9月はオーバーホールを受ける。ミレッジビルは10月7日にアージェンティアに戻り、5回目の北大西洋哨戒を10月29日に完了、11月5日にボストンに帰還し南大西洋での気象観測任務の準備に入った。

11月16日にボストンを出航したミレッジビルはトリニダードを経由し、12月1日にブラジルレシフェに到着した。12月19日から31日までブラジル沖の第12気象ステーションを哨戒し、その後トリニダードを経由してアージェンティアに向かう。アージェンティアには1946年1月20日に到着した。ミレッジビルは北大西洋での哨戒任務を1月21日に再開し、続く数ヶ月間をアージェンティアおよびボストン沖で活動した。

ミレッジビルは1946年8月21日にボストンで退役し、1946年4月9日にルイジアナ州ニューオーリンズのサザン・スクラップ・マテリアル社に売却された。ミレッジビルは1947年4月23日に除籍され、1948年3月25日に解体された。

外部リンク

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