ベイヨン (哨戒フリゲート)

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ベイヨン
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基本情報
建造所 アメリカン・シップビルディング社
経歴
起工 1943年5月6日
進水 1943年9月11日
就役 1945年2月14日
1950年7月28日
退役 1945年9月2日
1953年1月31日
除籍 1961年12月1日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
満載排水量 2,415トン
全長 92.6m
全幅 11.4m
吃水 4.1m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
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ベイヨン (USS Bayonne, PF-21) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はニュージャージー州ベイヨンに因む。

艦歴[ソースを編集]

ベイヨンは海事委任契約(船体番号1487)の下1943年5月6日にオハイオ州クリーブランドのアメリカン・シップビルディング社で起工した。1943年9月11日にハンナ・ギャラハー夫人によって命名、進水、1944年9月22日にメリーランド州ボルチモアへ移動するためいったん就役、1944年10月2日にボルチモアに到着し、1944年10月6日に再び退役し艤装が行われた。ベイヨンは1945年2月14日にボルチモアで艦長エルマー・E・コムストック沿岸警備隊中佐の指揮下就役した。

就役後は2月末にバージニア州ハンプトン・ローズの南方に移動、3月3日にはグアンタナモ湾に向かい、整調訓練を行った。4月3日にグアンタナモ湾を離れ、ジャマイカキングストンニューヨークに寄港した後整調後の修理のためフィラデルフィア海軍工廠入りする。作業は5月初めに完了し、7日にニューヨークに向かう。翌日到着し、ほぼ2ヶ月間を同地で過ごす。7月3日、西海岸に向けて出航、7月下旬にピュージェット・サウンド海軍造船所に到着し短期間の信頼性試験を行う。8月の最終週にアラスカ州コールド・ベイに移動し、同地で9月2日に退役、同日レンドリース法に基づきソ連海軍に貸与された。1949年10月までソ連海軍で活動し、その後アメリカ海軍に返還された。1949年11月14日に予備役となり、日本横須賀で保管されたが、朝鮮戦争が勃発すると1950年7月28日に艦長ハリー・A・クラーク海軍少佐の指揮下再就役した。

9月11日、ベイヨンは神戸を出航し第90.7任務群と共に韓国の西海岸に向かう。9月15日、国連軍による仁川上陸作戦が始まり、ベイヨンは揚陸部隊の護衛を担当した。その後16ヶ月間を朝鮮半島での任務に従事し、時折修理のため日本の港に入港した。第90.7任務群との任務を1951年8月まで続けた後、ベイヨンは第92.1任務群と共に北朝鮮東部海岸の元山城津での作戦活動を行った。

ベイヨンは1953年1月31日に横須賀で退役した。同年10月31日に日米船舶貸借協定の下、警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、ぶな (PF-14) として就役し、同年12月1日付で新編された第4船隊に編入された。海上自衛隊では、第2護衛隊群第4護衛隊に所属し、1957年9月1日にPF-294へ艦籍番号が変更、1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍、1962年8月28日に貸与から供与に変更された。その後、1967年6月27日にアメリカ海軍に返還され、1968年3月1日に標的艦として海没処分された。

ベイヨンは朝鮮戦争の戦功で6個の従軍星章を受章した。

外部リンク[ソースを編集]